今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

お盆法要の施食会~健康に感謝して

2019-08-30 07:21:55 | 家族

今日のお話も、お盆のことです。

もう少し、お付き合いくださいね。

毎年同様のことを繰り返しているわけですから、記事の内容も変わり映えしなくて、

でも、同じ年中行事を無事に迎えられるのは、自分が健康だから。

有難いことだと思います。

その健康に感謝して、今年のお盆も、はるばる郷里の広島にも、夫の墓参に出かけてきました。

 

そのお話の前に、私の実家の菩提寺で八月十日に執り行われたお盆法要大施食会について、短く触れさせていただきます。

妹と一緒に、今年も参列しました。

まるで時代絵巻を見るような儀式の光景です、

母が亡くなった時のこと。

新盆を迎える人たちが腰かける席に就きました。

そして、流れるお経に耳を傾けていると、涙が溢れて溢れて仕方なかったことを、想い出しました。

切なくも、今では懐かしい想い出です。

 

した。

 

供養が終わると、順番を待ってお塔婆をいただき、お墓参りをします。

儀式が始まる前、私が受付で、供養代その他、16000円を納めている間に、妹がお墓のお掃除は済ませてくれました。

ですからあまり時間をかけることなく、お墓参りが終了。

その日は、そのまま妹と駅前で別れ、帰路に就きましたが。

お寺に行く前に、共にランチを取り、語りつくしている私達です。

 

その時の話題は、昨年の当日に、妹がレストランの入り口の段差に躓き、転倒して骨折したこと。

その数日前、私も真夜中に転倒し、大出血に見舞われ、あわや救急車と思った出来事の話にもなりました。

最近は、身の回りでも、旅立つ人が多いお話も。

 

 

一生懸命頑張って生きてきた末の老後。

穏やかな余生を、と望むのは、だれしも同様でしょうが、必ずしもしもそうはまいりませんね。

親愛なる人たちとの哀しい別離の多い事。

歳を重ねたがゆえの悲哀を味わうことが多くなってきました

昨日も、郷里から思いがけない訃報が入り、弔電を打ったばかりです。

 

せめてけがをしませんように。

いつまでも健康でいられますように。

体は小さくなっても、心は成長し続けることができますように。

そのようなことを願いながら、素敵な余生を紡ぎたいものです。

 

最後になりましたが、この度の集中豪雨による被災地の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

痛ましい報道を耳にするたびに、心が痛みます。

自然の脅威に、何も手を付けられないもどかしさ。

何とかならないものでしょうか。

経済や外交政策も大切でしょうが、地球温暖化防止や治水対策に、政府は、もっともっと力を入れていただきたい。

そう願ってやみません。

 

被災地の皆さまは、お疲れでしょうが、くじけず頑張ってくださいませ。

 

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お棚経~墓地の問題 

2019-08-28 07:30:14 | 家族

我が家では、毎年お盆入り前、12日に、お寺さんがお棚経をあげにお越しくださいます。

今年は久方ぶりにご住職様でした。

ここ数年は、跡継ぎのご長男さんがお見えになっていましたが。

以前にも同じことを話されたことがあるのですが、この度も住職様が、その理由をおっしゃいました。

「こちらの方は皆さん優しいから、私は失礼して、息子を伺わせるようにしています。

住職がなぜ来ない、と文句を言う方も結構いるのですよ」と。

 

私はお経をあげて下されば、どなたでも有難いこと。

そんな文句を言う方がいるなんて、信じられませんが。

 

 このお盆にのせて、お布施をお渡ししました。
実際はもっと簡素な慶弔袋にお包みしています。

 

いつもお経が終わると、お礼を述べ、お布施とお車代をお渡しします。

それから、居間にお通し、寛いでいただきます。

氷を浮かべた冷たいお抹茶を立て、和菓子と共に一服していただくことが多かったのですが。

今年は、手作りの冷たいお抹茶ゼリーを出しました。

梨、ブドウ、モモの盛り合わせを添えて。

 

写真は撮り忘れ、その時使用した器のみでも。

果物の器は、お寺さんには和風がふさわしいと思い、今右衛門のお皿にしました。
チョット季節外れの柄ですね。

 

妹と、翌々日はヨーロッパに旅立つ長女も同席。

次女は蓼科に出かけ留守でした。

例年通り、一時間近く、ご住職様のお話に耳を傾け、有意義な時間を過ごした私達です。

大柄な方で、威風堂々となさっていて、お顔もチョット強面。

そのため、私は少々苦手なのですが。

長女が、とても良いお話が聞けたと言って、喜んでいました。

 

ご住職様をお見送りした後、長女のMちゃんと、外でお昼食を。
妹も誘ったのですが、用事があり、二人のみ。
楽しいひと時でした。

 

両親が亡くなって以来、ずっとお世話になっているお寺さん。

その時から、もう二十数年が経過します。

こちらは、両親の菩提寺ですが、私にはお世話になっている、宗派の異なるお寺さんがもう一つあります。

私達の郷里にある、夫が眠る菩提寺です。

 

私の実家の菩提寺のお墓は、母が亡くなった時に、今のお寺に移転しました。

煩雑な手続きがあり、大変な思いをしたものです。

敷地は狭いながら、大都会にあり、墓石もいいものを使用したからでしょうか。

お寺さんに納める諸経費、その他も入れると、高額な費用を要しました。

 

両親のお墓もそうですが、夫の菩提寺のお墓も、今後跡を継いでくれる人がいません、

残されたのは私と妹。

私も娘二人ですから。

 

 過去記事の画像をコピーしたものです。

 

 

夫のお墓を今後どうするか悩ましい限りです。

私が死んだなら、両家のお墓は後継ぎがいなくなります。

思い切って、永代供養してくれてもかまわないのだけれど。

それでは、お墓参りしてもらえなくて、ちょっと寂しいかしら。

とは言え、娘たちに遠方の郷里の墓地まで足を運ばせたくはありません

 

私が今お世話になっているお寺は、曹洞宗ですが、宗派は一切問わないとのこと。

そのためか、違う苗字が並んで刻まれた墓石が結構あります。

私と夫も、しばしの間、私の両親の墓地に眠らせてもらってもいいのかもしれない。

孫の代になるまでに、永代供養してくれれば、と思っています。

 

私とて、とても意外なことだったのですが・・・。

夫は、私の家を継いでもいい、と冗談で、義父に言ったことがあったようです。

これが義理の姉の誤解を生み、ひと騒動ありました。

このお話は、またいつか機会があれば。

 

お墓の問題は、結構悩ましいですね、

 

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お盆を迎えて

2019-08-26 07:07:48 | 家族

毎年訪れるお盆。

亡くなったご先祖様が戻ってくる日、と言われています。

ではその日々を、真心を込めて過ごしているか、と自問自答すると・・・。

とんでもない。

後悔することばかりです。

 

心情的には、夫や両親が我が家に久しぶりに戻り、寛いでくれている。

いつも以上に良き時間を過ごさなければ、と思うのだけれど。

そんな暮らし方とは、とても言えません。

体調が今一つだと、だらだらと過ごす事も多くて。

 

 

せめても私ができることは、お盆用の精霊棚をきちんと整え、お坊様を我が家にお迎えすること、

お寺さんのお盆の行事に参加すること。

お墓参りをする事。

子供たちの都合がつく時は、我が家に迎えて、夫や両親に喜んでもらうこと。

心がけていることは、その程度です。

 

ひじきずし・やわら青じそつくね・夏野菜の揚げ煮びたし・あさりと小松菜・冷ややっこ
蓼科から戻った次女家族を翌々日の16日夕食に招きました。
夫と両家の両親のお位牌もそばに置いて。
ご先祖様と一緒に楽しんだ夕餉との思いになれました。

 

娘たちは二人とも、管理職の身で働くバリバリのキャリアウーマンです。

めったにない、長いお盆休みは、家族旅行などして思い切り愉しんで、寛ぎたい。

その気持ちは十分理解できる私。

このお盆休みも、長女家族、次女家族とも、別天地で、良き休暇を愉しみました。

 

次女家族は、蓼科にある義父母様の別荘で四日間のバケーション。 

長女家族は、台風情報が頻繁に流れる悪天候の時、ヨーロッパへと旅立ちました。

行き先は、ハンガリーとウイーン、そして一番の愉しみはクロアチア観光のようでした。

幸せな若夫婦家族を見守っているだけで、私は、母親としてのこの上ない幸福感に浸れます。

亡き夫も、孫たちをとても可愛がった母も、私と同様の思いでいるに違いありません。

 

お盆に、家族が揃って、ご先祖様を迎えられないのは、ちょっぴり心苦しい気もするけれど。

これも一つの幸せな過ごし方、と思っています。

忙しい合間を縫って、別々の日でしたが、我が家にも訪れてくれた娘達です

 

 

打って変わって、私は相変わらず行動範囲の実に狭い暮らしですが、何と言っても、我が家が一番好き。

体調を慮りながら、お気に入りの空間に身を置いて、のんびりマイペースで好きなことをして過ごすとき、至上の喜びに浸れます。

ですから、このライフスタイルは今後も変わりそうにありません。

脚を痛めて以来、もう怖くて無理ができなくなってしまった私ですが、

郷里の広島までお墓参りに行くことだけは、夫亡き後、欠かしたことがありません。

明日からはお寺さんのお盆行事と墓参旅行のお話をさせていただきます。

 

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私が心に描く、理想のお医者様

2019-08-24 07:12:29 | 健康

もう一回だけ、最近、私が主治医と決め、通い始めた内科医院のお話をさせていただきますね。

とても感動的なエピソードがあるからです。

場は、診察室に戻ります。

先生との問答。

血液検査の結果を伺った後のものです。

 

私「前より、よくなりましたが、相変わらず息苦しく時々なります。

思い当たるストレスは、今は何もないのですが。

息苦しくなると、体力が落ちて困ります」

 

先生「その症状の診察は、心療内科がいいかもしれません。

心療内科の垣根は、今はとても低くなっていて、訪ねる方が多いですよ」と。

 

その後、小さな医療機器で指を挟み、体の酸素量を測ってくださいましたが、正常。

酸素量は十分足りていました。

 

ご近所にお住いの、私が心から尊敬して止まない
お年が90過ぎのご夫妻から頂戴した折り紙細工です。
私もそのご健康にあやかりたい、といつも願っています。

 

「5年前に撮った、レントゲンのの画像があります。

比較できるので、今日も撮りましょうか」と。

私は即座にお願いしました。

その結果は、やはり異常なし。

5年前と全く変わりなく、きれいな胸の画像でした。

 

そのレントゲン撮影を受けるとき、そこで衣類を脱ぎ、ネックレスも外しました。

ところが、そこで私はまたうっかりミスを犯してしまったのです。

そのネックレスを置き忘れたまま、帰宅してしまいました。

  

その事に、全く気付かないまま、家に戻り家事に臨み、

入浴も済ませ、パジャマに着替え、ほっと一息。

明日は、両親の菩提寺で、盂蘭盆大施食会があります。

厳しい連日の暑さをかいくぐるようにして、頑張ってきたこの数日。

今日まで、暑さのせいかボケ行動も多かったけれど、何とか予定通りに事が進んでいます。

でも明日からはもっと忙しくなる。

そんな思いに浸っていると、突然電話が鳴りました。

 

置き忘れたプラチナのネックレスです。イヤリングも。
私はピアスの穴はあけていなくて、未だにイヤリングなんですよ。

 

 

一瞬、何事と、たいそう驚いた私です。

何故なら、数時間前に診察を受けた医院の奥様らしき方からのお電話だったからです。

「レントゲン室に、ネックレスをお忘れになりませんでしたか?」

そういわれると、確かに私は、撮影後、取り付けた覚えがありません。

またまた、ボケ行動をしでかしてしまったようです。

恥ずかしさでいっぱいになりましたが、思いがけないご親切な言葉に、恐縮至極の私。

 

 何と、今から、届けますとのこと。

そんなご足労をしていただくのは、余りに申し訳なくて。

明日取りに伺いますから、と私は固辞しましたが。

お盆休みにもうすぐ入りますから、とおっしゃり・・・。

数度お断りしましても、譲られません。

それでお言葉に甘えてしまいました。

  

外に出て門先でお待ちしていました。

すると車が停まり、奥様が忘れたネックレスを手渡してくださいました。

恐縮の至りでしたがでしたが、何だかとても感激、感動。

 

我が家の電話コーナー
携帯利用が多く、めったに使用しなくなりました。

 

最近のお医者様は、大層多忙なのでしょう。

ろくにコッミュニケーションを取ることなく、患者さんを機械的に処理しようとする医師がなんと多いこと。

主人が、最後に入院した病院の先生の態度にも、少なからず、私は疑問を抱いたものでした。

 

私が今理想に描く先生は、私の大学時代の親友の旦那様です。

元は、愛知がんセンターの医師でいらっしゃいましたが。

開業されてからは、彼女もスタッフの一員となり、窓口で医療事務に専念されています。

彼女は、今の仕事が自分の生き甲斐とまで、言っていました、

  

ご主人さまは、時にお薬を患者さんの御宅に自ら届けられると聞き、本当に本当に驚いたものでした。

今どき、そんなお医者様もいらっしゃるのだ、と。

「いつも夜は、患者さんのカルテを見て過ごし、家族旅行にもついてこないの。

患者さんのことばかり、考えている人なの。

主人と一緒にゆっくり過ごせるのは、外食するときだけなのよ」と。

 

この度の思いがけないご親切に、友人の旦那様のことを、ふと思い出した私です。

私が医師の理想とする、友の旦那様ほどの方ではないかもしれないけれど・・・。

私が長い間探し求めてきた理想の先生にやっと巡り会えた。

そんな喜びに、今は浸り続けています。

 

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二度目の血液検査の結果

2019-08-22 07:21:32 | 健康

前回の続きと言っていいかもしれません。

内科医院に一月半ぶりにまた出かけた私です。

そして前述のような、頓馬なことをしでかしてしまいました。

 

お盆を目前に控え、頭の中は、その行事の色々なスケジュールでいっぱい。、

そのため、弱い頭が飽和状態。

暑さが、その疲労に滑車をかけていました。

医院に出かける日時が混乱してしまったのも、無べなるかなとも。

炎天下の下、ボケた頭で、無駄な行動ばかり取った翌日ゆえ、まだ疲労気味でしたが。

お盆休みになる前に、先週受けた血液検査の結果をどうしても伺いたくて、翌日また医院に出向きました 

 

後期高齢者の身なのだから、毎朝血圧くらいは測って、体調管理を心がけましょう。

 

一月以上前、この度の医院とは異なるクリニックでの事。

「採血の結果、赤血球の数値が以前より下がり、尿にもに出血が見られる。

そのため、大腸の内視鏡検査を一度受けたほうがいいかもしれない。

まず、その前に便の検査ををしましょう」

と言われたことは、以前記事に書きました。

 

私は少々驚き、不安になりましたが、詳しい説明がまるでなく、先生の物言いがあまりに物足りなくて・・・。

二年くらいお世話になったその先生には、見切りを付けることにした私です。

目の優しい誠実そうなお人柄の先生でしたが、寡黙すぎて、コミュニケーションがうまく取れない不安がありました。

そして新たに通い始めたのが、この度、私が休診日に出かけ、チャイムまで押してしまったお医者さんです。

 

そこで一月以上前に、再度尿の検査と検便もしましたが、出血は全く認められず。

内視鏡検査はまだ必要ないでしょう、と。

でも一月後に、再確認のため、血液検査をもう一度受けることを勧められた私です。

この度の頓馬な行動により、医院に出向いた日の翌日、また出かけ、その結果を伺いました。

 

相変わらず、貧血傾向の数値は、そのままでしたが、値は前回と変わらず。

恐らく加齢によるものでしょうから、心配はいりません。

他の数値はすべて上々です。

栄養状態もとてもいいです、と。

コルステロール値、血糖値、その他の数値も、すべて正常。

感心したように、おっしゃられ、とても嬉しくなりました。

主人が亡くなってから、料理もいい加減になりがちで、自分の体に自信が持てなくなっていましたから。

意外で、嬉しさもひとしおでした。

 

 肉団子のトマト煮・春雨の中華風酢の物・えびのふわふわ揚げ・小松菜の塩炒め・中華風レタススープ

 

妹にからかわれました。

「運動もしないお姉さまが、体年齢も私より若くて、採決の結果も、私よりもいいなんて。

何だかとても不思議だけれど、これからはお姉さまが妹になってね」と。(笑)

とんでもない。

妹の体力は、私には驚異的に見えます。

今日から海外に旅立つのに、昨日はボランテア活動に励む妹ですから。

いくら旅慣れているとはいえ、その体力が私の目には眩しいです。

 

週に一、二度は、料理にメリハリを付けたく思い、上の画像のように、ご馳走を作るように心がけてきましたが。

この調子で暮らせば、何とかまだしばらく、健康は維持できそうです。

でも頭脳の健康が問題。

今後、どうなることやら。

神様のみぞ知る領域なのかもしれませんが。

認知症予防のためにも、せめて、ブログを丁寧に綴る心がは忘れないようにしよう、と思っています

 

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私の大ボケ行動

2019-08-20 07:02:16 | 暮らし

うだるような炎暑の毎日なのに、三日間お出かけが続き、もう限界。

そんな心境にある日なりました。

その間、ボケ行動の、なんと多かったこと。

暑さのせいにしたいところですが、何だか自信が無くなる一方です。

 昨日(8月9日)までの連続の外出の所用が何だったか、すでに記憶が曖昧。

いよいよ、私もおかしくなってきたかな、と不安がよぎります。

 

ブログ綴りの、宿題を抱えているような負担感がしんどくて・・・。

やめたくなったことも、しばしばあったのだけれど。

頭の健康を維持する上で、これほど効果的なものはありませんものね。

そう思い、更新を頑張り続けてきました。

ブログを綴っていなかったら、認知症まっしぐらだったかもしれません。

 

 この記事にふさわしい画像が思い当たらなくて、前記事の料理を一品ずつまた載せることにしました。
次女宅に持っていったのは、この料理ではありません。

 

ある日の私の顕著なボケ行動のお話を、今日は恥ずかしながらさせていただきますね。

八月八日は、整骨院と内科医院に出かける予定にしていました。

前夜から計画を立て、午前中は内科、午後から整骨院へと。

 

その日は保冷袋に料理を詰め、次女宅に届けるつもりでもいました。

内科で待たされると、食料品の鮮度が落ちて少々まずいかな、と思ったのですが・・・。

そのクリニックは、木曜日の午後は休診日。

ゆえに、午前中に行くことに。

 

終点の最寄り駅に向かうバスに乗り、ひと駅前で降ります。

次女宅も整骨院も、最寄駅からは目と鼻の先。

ですから次女宅に先に食料品を届けると、道順的に面倒なことになります。

ですから、先に医院に行く、と念入りに計画を立てたつもりだったのですけれど・・・。

 

 メカジキのニンニクたれ

 

ここまでは前夜、考えたことでした。

ところが、どうしたことでしょう。

翌日、家を出た時、すっかり前日の計画案が頭から抜けてしまいました。

 

朝一番に次女宅に寄る。

食料品を置いて、その後、整骨院に。

施術後、不足の夕食の食材を数点買い求める。

そして、また次女宅に戻り、お弁当で昼食を済ませる。

仮眠後、整理整頓、お洗濯ものをたたむなど、家事の手伝いを少々して、内科医院に向かう。

 

昨夜考えていたこととは、まるで違うコースが頭に浮かんで、離れなくなくなってしまいました。

恐らく、これが私が採りたかった理想のコースだったからでしょうか。

いつの間にか当日が、木曜日でなく水曜日に変わってもいました。

 

その間違った行程を当たり前のように採り、午後の二時ぎに内科医院へと。

バスもありますが、本数が少ない路線です。

暑い中、医院まで歩くことに。

 

半ばまで歩いた時、スーパーで求めた食材の入ったレジ袋を、次女宅に忘れたことに気が付いた私。

暑い中、また引き返さないといけない。

ショックでしたが、仕方ありません。

診察後にまた戻ることにしました。

 

なすとピーマンの鍋しぎ

 

これが私のボケ行動と言いたいところですが、前述したように、私はもっと大きな間抜けをすでに犯しています。

前日の夜、決めた計画とはまるで違うことを進めていたからです。

その日の朝から、突然水曜日と思い込み(木曜日ですのに)、午後休診の医院に向かってしまったのです。

 

汗だくで医院の玄関先に辿り着き、ドアを開けようとしたところ、開きません。

当然ですよね。

その日の午後はお休みなんですから。

前夜までは承知していたのに。

 

 サワークリーム入りポテトサラダ

 

その様な状況になっても、私は自分の間違いに気が付かなくて・・・。

「突然お休みなんて、ちょっとひどいなあ~。

お報せの張り紙ぐらい張ってくれればいいのに。

素晴らしい先生と思い、今後の主治医に、と心の内で決めていたのだけれど、

こんなことをされては信用ならないわ」

とまで、思う始末。

 

自分が間違っている、とすぐに気が付かない、余りの愚かしさ。

余りのボケ。

そして私は、何とチャイムまで押してしまったのです。

すると、先生らしき男の人の声で、

「今日の午後はお休みです」

との返事。

 

 きゅうりのピクルス

 

その時になって初めて、私は自分の行動の間違いに気が付きました。

昨夜立てた計画とまるで違う行動をとってしまったことに。

前日は、午前中に医院に行く予定でしたのに。

 

きっと家を出たとたん、強い陽射しで、頭がくらくらし混乱してしまったのかもしれません。

それは単なる言い訳。

明らかに齢のせいによるボケ行動なのでしょう。

どうしようもなく恥ずかしくなり、益々自分に自信が持てなくなりました。

 

お詫びを一言述べた後は、近くのバス停からバスに乗車して、そのまま家に、一目散で戻りたいところでしたが・・・。

食材の入ったレジ袋を、私は娘宅に忘れています。

そのため、それを採りに逆戻り。

 

炎暑の下、無駄な行動ばかり重ね、もう汗だく。

あまりの疲労で、次女宅を出ると、いつものように、バスで戻る元気はまるでなく。

最近はめったに利用しないタクシーに乗りました。

帰宅後、やっとの思いで入浴し、汗を流し、夕食も取らず、七時過ぎから明け方まで寝込んでしまった私です。

 

 わかめの冷やしスープ

 

これからは、このようなボケ行動が多くなり、恥をさらすだけでなく、他人に迷惑をかけるようになっていくのかもしれません。

でもびくびくしていても始まりません。

そんなボケ行動も可愛い、と言ってもらえるような、チャーミングなおばあさんを目指します。(笑)

 

追記

複雑な内容の文章で、一読では理解できなかった方が多かったのではないでしょうか。

書くのにこんなに苦労したのは珍しい事。

もっと簡潔に書けないものか、と思い、恥ずかしくなりました。

拙文でごめんなさい。

 

8月9日頃記述、

 

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ブルーべり狩に誘われたのだけれど・・・

2019-08-18 07:15:59 | 

しばしのお盆休みを取らせていただきましたが、また更新を開始します。

お休みの間も、たくさんの応援をありがとうございました。

 

今日の記事も、長女宅に泊りがけで出かけた頃の、想い出です。

私のブログ日記は、リアルタイムの記事ではなく、多少いつもずれていますので、その点はご了解ください。

遠い過去の想い出を、昨日のことのように鮮明な描写で、細かく書かれる方もいらっしゃいますが、私はだめ。

記憶力が悪くて、すべてがベールに包まれて曖昧。

 

ですから、遠い過去の思い出を記事にする事はめったにありませんが。

多少のタイムラグでしたら、大丈夫。

忘れないうちにと思い、書くようにしています。

 

けれど、遅筆のせいもあって、かなり遅れがち。

下書きを始めた日の日付を、必ず最後に記すように心がけなければ、と。

常々思っているのですが、いつも忘れてしまいます。

 

 

今日の記事も、少し前の思い出になります。

7月の中頃、長女宅に泊りがけで出かけた前後のものです。

親友のKさんから、ブルーベリー狩りのイベントへのお誘いがありました。

私は目にも良いので、シロップ漬けに加工された上の画像のブルーベリーは、毎日、朝夕な、ヨーグルトにかけて、常食しています。

大好きな果物です。

ですから、ブルーベリーが取り放題なんて、とても魅力的。

是非一緒に出掛けたかったのですが、残念ながら、その日は長女宅滞在の日に重なってしまいました。

 

 

すると娘宅から戻って数日後、彼女が収穫したブルーベリーを、わざわざ、我が家に届けて下さいました。

他にも、取り立ての新鮮なお野菜やシソジュースを。

お野菜は、彼女の友人が育てたもの、とのこと。

家庭菜園は、私も憧れなのだけれど、年齢的にもう無理のよう。

庭とポーチ周辺の草花を世話するだけで手いっぱいです。

 

このベビートマトも

 

いただいたお野菜の鮮度が落ちないうちにと思い、すぐ写真に収めました。

野菜の写真は、撮影技術が拙い私でも、割ときれいに撮れます。

自然の彩に勝るものは、他にはないからでしょう。

絵になる野菜の鮮やかな色彩や形に、私はいつも見惚れて、感動。

その野菜を利用して、数種、料理を作りました。

とても美味しくいただきました。

 

メカジキのニンニクだれ・サワークリーム入りポテトサラダ・わかめの冷やしスープ・なすとピーマンの鍋しぎ・きゅうりのピクルス

 Kさんから頂戴したお野菜が、ほとんど使用されています。

Kさん、本当にありがとう。

 

8月7日から記述

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孫と私 ~追記あり

2019-08-12 06:51:35 | 

そういえば、長女宅へ泊りがけで出かけた時の思い出を、書くのを忘れていました。

我が家とは趣の全く違う、今風のモダンなたたずまいの娘宅。

私の好みとは少々異なるのかもしれないけれど、心惹かれてやまない素晴らしい邸宅です。

とても便利な都心の閑静な住宅地にあります。

そこで週末にかけて、二泊しました。

 

 

初孫で私が一番手をかけたR君の、折々での優しさには感激。

一方、妹のさっちゃんは、実にマイペースな明るい子です。

 

短い期間でしたけれど、のんびり気ままに過ごさせてもらいました。

とはいっても保冷袋に、お料理を詰め込んで出かけ、夕食は私が振る舞いました。

翌日は、娘は帰宅が遅いようでしたので、前日の残り物その他を、適当に食卓に並べました。

 

 翌日の夕食

 

両親を看取り、夫が退職するまでの十数年の期間は、実に頻繁に長女宅に通ったものです。

そのころは、都心のマンション住まいでしたが。

孫たちをしょっちゅう預かりもし、一週間面倒を見ることもざらにありました。

子供服を買うのが楽しくて、初孫のR君の着るものは、私がほとんど揃えていたようにも。

よく、孫を連れて旅行にも出かけました。

九州、北海道、会津、伊勢など。

 

 

夫が年金暮らしとなり、家に一日滞在するようになると、その生活は打って変わり・・・。

夫の三度の食事作りに追われ、ほど遠い長女宅に足を運ぶことはめったになくなりましたが。

今度は、次女のお婿さんが単身赴任となり、次女家族と、数年間同居することに。

孫息子のK君の世話は、娘が勤務中は、私が一手に引き受けました。

保育園のお迎えも、夫と交代でしたものです。

 

 

その頃、さぞかし私は元気だったのでしょう。

とはいえ、丈夫で体力がある、とは言えず。

無理をし過ぎると、過労で倒れ、緊急入院。

そんなことを、若い頃から数度繰り返しました。

今では、すべてが懐かしい良き想い出です。

 

それに引き換え、今の自分は、もう別人のよう。

外見は、極端には変わっていないと思うのだけれど(?)、体力はがた落ち。

気力もそう。

 

 長女宅の浴室です。

 

今の私は、孫を預かる自信が、もうなくて。

次女宅には、毎週末出かけていますが、隠居のような身で、ご馳走になるばかり。

でもそれではあまりに申し訳ないので、自信のある料理をこしらえた時は、娘宅にせっせと運んでいます。

 

年を取ったとはいえ、時にはハッスルして、元気なうちに、もっと孫との思い出作りに励まなければ、と思うこともありますが。

十分尽くしたので、もう気楽な隠居の身でいいかしら。

そんな風にも思うこの頃。

 

でも次女家の孫娘が、五年生の中頃になれば、塾通いを始めるでしょう。

お兄ちゃんのK君の時と同様に、一年半くらい、下校時に次女宅に行き、おやつの用意をし、お相手をする役を仰せつかるかもしれませんね。

孫可愛さで頑張れるかもしれないけれど、その時は私はもう78歳。

ちょっと自信がないなあ~。

元気でいられますように。

 

追記

 

昨夜遅く、墓参のために出かけた広島から戻ってきました。

少々疲れていますし、お盆は亡き愛しい人達を迎えたつもりで、のんびり過ごしたい心境になりました。

そのためしばらくお休みさせていただきます。

勝手ながらお休みの間も、応援をいただけると、心強く嬉しいです。

  

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低い血圧に驚く

2019-08-10 07:22:37 | 健康

厳しい暑さが連日続き、皆さんのブログから、その閉口感がひしひしと伝わってっくるようです。

災害級の暑さ、という表現も、時にニュースで耳にするこの頃。

この表現にはさすがに驚かされ、割と暑さには強い私も、身構えたくなります。

 

でも私は、周りの方が騒ぐほどには、暑さに敏感ではありません。

弱音や愚痴を吐くことが余りなく、淡々と暮らしていると言えるのかもしれません。

妹から電話がかかってきた時のこと。

「暑さに参っているのでは、と思って、電話したのだけれど、とても元気そうね。

声ですぐわかる」と。

私は問い返しました。

「私の元気な声って、どんな声なの?」と。

「コロコロしていて躍動感がある」とのことでした。(笑)、

 

妹は寒さに強く、暑さに弱いです。

私は、その逆。

寒い方がはるかに苦手。

厳冬期は、身がすくんで、日々が重たく感じられ、心身共に、時に辛くなります

ひたすら春を待ち侘びて暮らす心境に。

 

 画像のアップに苦労します。何を載せていいか分からない。
長年使用してきた夏の風物詩の団扇です

 

こんな私ですが、最近出かけた内科医院で、ちょっと驚くことがありました。

先生が血圧を測られたところ、上の血圧が90台だったのです。

年齢が60になる前は、ずっと血圧は低目で、100を超えることはありませんでしたが。

年を重ねるうちに、次第に上昇し、ここ十年くらい、120前後、時に130台になることもありました。

 

ですから90台にはびっくり。

先生に、思わず、

「大丈夫でしょうか。

こんなに血圧が低くなったのは久しぶりです」

と言いました。

 

すると先生の答えは、とても意外なものでした。

「幾分脱水症状気味なのかもしれませんね」

 私は確認するように、問い返しました。

「脱水症状になると、血圧が下がるのですか」

そうです、と先生。

 

 我が家の血圧計で測った私の今朝の血圧

 

最近、報道でよく耳にする、熱中症にによるお年寄りの死亡が、急に身近に感じられ・・・。

この度の先生のお言葉は、我が身への注意喚起となりました。

水分をもっと意識して補給するように心がけなければ、と思った次第です。

  

他でも、それを疑いたくなるようなことに、数日前見舞われました。

よりによって、何と正午過ぎの陽射しが一番強い時に、自宅前の道路を掃き始めた私。

ポーチの階段も入れると、いつも小一時間は軽くかかってしまう作業。

さすがにこの暑さでは、すべてこなすのは無理と思い、道路だけにしました。

 

ところがそれを終了しほっとして、涼しい部屋に戻ると、頭痛がし始めたのです、

もしかして、軽い熱中症、と不安に。

慌ててお水をコップ一杯飲み干しました。

 

お客様用のグラス

突然の来客があった時、冷たい美味しい飲み物がすぐ差し上げられるように、心がけたいですね。

 

空調機の使用を私は余り好まない、と最近書きました。

けれど、今の暑さでは、さすがに私も堪えられません。

最近は、生活のリズムをかなり変えて、5時半頃には、床から離れ階下に降りるのですが。

6時過ぎると、冷房をオンに。

  

でも就寝中は冷房のない部屋で、私は寝ます。

大きなアイスノンを脇に置き、手のあたりを冷やして。

首にも、細いアイスノンんを当てます。

これで、私は十分暑さが凌げます。

空調の効いた部屋で一晩中寝ると、却って体調が悪くなりますから。

枕元にはもちろん水の準備もしています。

 

 

今の暮らし方で、何とか元気にこの夏も乗り切りたいものですが。

年を取ると、脱水や熱中症にもかかりやすく体がなっていくのでしょう。

ですから、自分の体への過信は禁物。

こまめな水分補給を心がけましょう。

栄養も十分取り、熱中症への注意を常に怠らないようにしたいもの、と。

皆様も、くれぐれもお気をつけてお暮らしくださいませ。

 

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野球観戦~メリハリのある家計管理を心がけたい

2019-08-08 07:21:34 | ちょっと一服の記事

少し前の記事で、カープとDeNAの野球観戦記を綴りましたが。

妹に誘われ、また出かけてきました。

今回は巨人戦です。

 

今の私の暮らしでは、誘われても気楽にOKとはいきません。

無駄な出費はとことん省きたい。

自分の余生にとって、掛け替えのないものだけにお金を使用したい。

少々高くても、払う価値が十分あるなら、多少の贅沢も良しとしたい。

倹約するばかりでなく、メリハリのある家計管理で、残りの人生を愉しもう、と思っているからです。

 

妹が、電話口で私に言いました。

「お姉さま、巨人戦のチケットが、並びで二席、取れそうなの。

意外だけれど、空いているのよ。

申し込んで買えたら、観に行く?」と。

 

 一回に二発のホームランがあり、カープファンは大喜び

 

一瞬迷いました。

今の私にとって、続けて出かけるほど、かけがえのない大切なことなのだろうか。

二週間ほど前に、横浜戦を6000円も支払って観戦したばかり。

今回は、SS席ではなく、A席のため、5500円とのこと。

これだけではすみません。

お弁当代、交通費、その他いろいろかかります。 

 

とてもとても迷いました。

でも、諦め難い事。

球場の声援のるつぼの中に身を置いて、年甲斐もなく興奮して愉しめる野球観戦。

それは、今の私には掛け替えのない老後の愉しみになりそう。

一月に二回はちょっと贅沢に思えたけれど、しばらく迷った挙句、OKの返事を出しました。

 

野球バットを振り上げて喜んでいるのは隣席の妹、Aちゃんです。

 

出かける前の昨日は、家計簿とにらめっこ。

六月そして七月も、ほぼ予定通り、余裕費が余りそう。

その余裕費の端数金額が、今回の野球チケット代とほぼ同額。

お茶代もお弁当代も、ここから出せそう。

 私には納得のゆく支出となり、昼下がりの炎天下にもかかわらず、ルンルン気分で後楽園ドームに向かいました。

横浜スタジアムと違い、後楽園はとても遠く感じた私です。

 

その試合展開は、手に汗を握る緊迫した接戦で、命が縮む思いがした私達。

耳をふさいで目を閉じること度々。

妹が言うに、「こんな場面の時、家ではテレビ消すわ」と。

私も同様です。

 

でも1点差を守り、、辛うじて勝利したカープでした。

実は九回裏のその勝利の一瞬は、怖くて、とても観ていられなくて。

場外に出て、売店が並ぶ通路に置かれたテレビで観戦。

勝った一瞬は、慌てて、また入り口から中に入り、立ったまま、遠目にカープの選手が喜ぶ姿を眺めました。

勝ってよかった、勝ってよかった、と妹と大感激。

 

 

 勝てば、暑い中はるばる後楽園まで出かけた苦労も、そのために支払った経費も、相当の価値があったと思えたのでした。

その日、次女も会社の友人と観戦することを知っていた私です。

帰りは次女と待ち合わせ、うろうろすることなく、実に気楽な気持ちで帰ることができました。

二人とも、疲れていたとはいえ、心はルンルンランラン。

車中、カープのことで話が弾みました。

 

でもでも、その翌日がただ事ではなくなってしまった私。

体が鉛のように重たくて、疲れが、半端ではありません。

野球観戦の再考を余儀なくさせられてしまうような状況に。

 

前の日、帰宅したのは、真夜中の12時前。

試合中は、ハラハラドキドキし通し。

75歳の老体では、心身ともに疲労困憊するのは当然ですよね。

 

 妹と娘

この日、妹に電話をかけると、何と妹はお出かけ。

海外旅行を目前に控え、そのための準備、グランドゴルフも愉しんだようでした。

姉妹ながら、体力のあまりの違いに、少々情けない気持ちになりながら、妹に話しました。

 

 

今後も野球観戦を愉しめるかどうかわからない。

疲労が今日も抜けなくて、家事が全く捗らなかったの。

ここまでして、出かける値打ちがあるのか、少し疑問に感じたのよ。

テレビで十分愉しめるものね。

 

気のせいか妹がちょっとがっかりしているようにも感じられた私。

せめて数か月に一回ぐらいにしましょう。

自分の年齢と家計の事情も考え、人生の愉しみも賢く取捨選択していきたいものです。

 

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原爆の日に思いを寄せて

2019-08-06 07:47:33 | 人生

「広島原爆の日」が、また訪れました。

私の誕生とほぼ重なる年月。

原爆が広島に投下され、74年になります。

 

一歳になったばかりの乳飲み子を抱え被爆した両親の苦労を、改めて思わないではいられません。

爆心地から三キロの地点で被爆した、私たち家族です。

 

その日、両親は、信じられないような幸運に恵まれました。

父は前日出張から帰宅したばかり。

出張の翌日、原爆が投下された朝は、出勤を三十分遅らせて良いことになっていました。

母は、翌日の8月7日は、市内の中心部での勤労奉仕の日だったのです。

 

 

一日遅れの被爆でしたら、我が家は全員、亡くなっていました。

妹も、生を受けることはありませんでした。

おびただしい犠牲者の陰で、辛うじて助かった命。

 

そう思うと、命の重さに、改めて粛然となりますが。

私は75年間、被爆者の自覚をほとんど持つことなく暮らしてきました。

両親が、被爆の体験をほとんど語らなかったせいかもしれません。

ですから風評を意識したことも、全くありません。

敢えて言うなら、福島の原発事故の時、初めて被爆者として、風評に心を痛めました。

 

 

父は、八月六日の当日、会社と我が家を歩いて往復しています。

会社の状況を知りたかったのでしょうか。

まともな時間に出勤した社員は、全滅だったようです。

父が勤務していた中国電力は、爆心地から徒歩15分くらいの所にありましたから。

 

家と会社を往復する間に、父が目にした地獄図を、思わないでいられません。

途中で引き返すことなく、会社に辿り着いた父の気丈さに、今更ながら驚かされます。 

帰り道、黒い雨にも打たれたようです。

被爆したにもかかわらず、父は享年82歳、母は75歳まで生きられました。

 

 

 

原爆資料館を訪れたのは、私が小学生の高学年の頃です。

衝撃を受け、二度と訪問したくない、と思ったものでした。

再度訪ねておくべきだった、という気が今はしますが、もう無理。

せめて50代の頃、もう一度、その写真や遺品を脳裏に焼き付けて置くべきだったかももしれません。

いまさらその惨状を目にする気持ちには、どうしてもなれない私です。 

 

多くの犠牲者に思いを馳せ、当時の両親の苦労を思います。

幸運にも助かり、今も生きながらえ、幸せな日々を紡ぐことができる自分の命の重さを思わないではいられません。

今は、夫や両親へ、ひたすら感謝の気持ちを抱き、それを言葉に出して暮らしています。

 

 

被爆者として思うことは、もちろん核兵器の廃絶です。

核兵器の保持のバランスと驚異で、国力を誇示するなんて、本当に愚かしく、嘆かわしい。

最近、世界に不穏な空気が充満しているように思えて仕方ない私。

中国や北朝鮮の姿勢が、不気味で怖いです。

人間の賢さと愚かさは紙一重。

将来、戦争が起きないことを、ひたすら祈るばかりです。

 

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人生の大きな岐路でした

2019-08-04 07:17:17 | 人生

前回に続きます

私は、リーマンショックより、しばらく前のことです。

中目黒駅から、徒歩5~6分。。

目黒川沿いのマンションを購入する決心をし、手付金まで納めたことがあります。

春になると、川沿いには桜が満開となり、都内でも有名なお花見スポット。

沿道には、おしゃれなお店が立ち並んでいます。

 

一目惚れで、迷うことなく買う決心をしました。

その家賃を老後の副収入にしようと思ってのこと。

三十万ほどの家賃が入る物件でした。

耳にしたところでは、今はもっと家賃が上がっているようです。

 

ところが、ちょうどそのころ、長女夫婦の結婚が迫っていました。

ある日、婚約者のHさんが、ぜひそのマンションを見せてほしいと言われ、案内しました。

ところが、そのマンションを彼が大層気に入り、結局婚約中の二人に譲ることにしたのです。

 

 

いったん払った手付金は、通常は戻りません。

私は嘘も方便と思い、買えない偽りの理由を話し、娘に譲りたい、と言いました。

身内への譲渡だからということで、特別に手付金は返済して下さいました。

もちろん、購入したのは娘と婚約者の資金でです。

マンション購入における贈与の限度額まで、私も援助をしました。

 

その後、私は、しばらく他の物件のマンションを探しました。

けれど、良い物件がなかなか見つからず、そのうちに気が変わり、投資に専念することに。

魔が差したとしか言いようがない、私の突然の変心です。

なぜ急に気が変わったのか、今となってはその理由さえ思い出せません。

そして、とんでもない大きなお金を失うことに。

  

でもこの投資とその失敗を経験したが故に、大きな社会勉強ができました。

莫大な高い授業料を払いましたが、この時期の苦労のお陰で、成長できたこともたくさんあります。

もし、マンションを購入していたら、その家賃の副収入で、今の暮らしは悠々自適だったでしょう。

でも悔やんでも今更どうにもならないこと。

友人に話すと、譲ったのは他人でなくて、娘さんだから良かったじゃないの、と言われました。

本当にそうですね。

私も娘の幸せを願うあまりの決断でしたから。

でもその後があまりにお粗末。

 

投資顧問にお願いした時期が大半でしたが、投資は自己責任。

このことはよく承知しているので、私にとっては巨額の損失でしたが、あまり愚痴を言ったことはありません。

この失敗は、娘家族も、よく知っています。

ですからブログにも書けるのです。

 

 

そのお金は元からなかったものと思い、今の暮らしを精いっぱい充実させ、愉しむことのみを考えて暮らしています。

最近は老後のための貯蓄2000万円問題で、投資が、改めて注目されているようですが。

くれぐれもご注意くださいね。

お金のみならず、心の平安までも失う恐れがあるからです。

私は自分の苦い経験から、投資はお薦めしたくありません。

  

次女は、私が反面教師になってくれたから、絶対投資には手を染めないと言っています。

今のマンションを購入する前、三十代の中頃に差し掛かる頃のことです。

頭金が三千万あると次女が言った時は、本当に本当にびっくり。

高給取りではありませんでしたが、コツコツ貯めたようでした。

 

投資と違い、日ごろの努力で積み立て、貯えた財産は、消えることがありません。

心強い暮らしの土台になってくれます。

過去の失敗を糧にして、私も今は、地道な資産作りに励んでいます。

 

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我が家の家計

2019-08-02 07:23:20 | 暮らし

夫が他界し、遺族年金収入のみの暮らしになってからは、以前と同等レベルの暮らしはできなくなりました。

覚悟していたことですが、前から、割と堅実な暮らしをモットーにしてきた私です。

ですから、そのギャップに、思ったほど悩まないで、淡々と、今も暮らすことができています。

とは言っても、家計簿記帳は怠らず、節約生活を一生懸命心がけている私。

時々、節約疲れしてしまいますけれどね。

 

 

まだ私のような状況に身を置いたことがない方達は、遺族年金の収入の内訳を、ご存じない方もいらっしゃるでしょう。

参考までに、簡単に説明させていただきますね。

 

まず企業年金は、夫の年齢が75歳になった時に無くなりました。

夫が勤めた会社の場合です。

夫の死後、ほぼ半年後のこと。

夫の場合、企業年金は、他の収入より多かったため、この影響は多大なものでした。

夫の国民年金もなくなります。

夫の厚生年金の四分の三と私の国民年金が私の遺族年金にあたります。

 

私も誤解していましたが、夫の年金収入全額の四分の三ではありません

それ以外に加給年金、といったものがあります。

ここまでは自営業でない限り、皆さん同じではないでしょうか。

 

 

更に私は、夫のアメリカ年金と被爆者保健手当てが数万ずつ、毎月いただけ、とても助かっています

この二つの収入が、私の今の暮らしの余裕費にになっている、と言っても過言ではありません。

純粋な遺族年金だけでは、かなり厳しい生活を余儀なくされたことでしょう。

 これは余談になりますが、他に、豪ドル建ての終身保険の利益が、毎年20万くらい入ります。

今より円安の時に購入したので、元本は少し割れていますが。

私が死んだとき、まだ円高だったら、買値より円安になるまで、ずっと売らないで、ドル貯金をしていなさい、と次女には言っています。

 

年金は後払い、ということ、皆様はご存じですか。

私は、夫が亡くなるまで知りませんでした。

前月の支出金にそれが当てられます。

 

夫が亡くなる数年前、外壁の塗装と空調の全て入れ替え、二階のカーテンの取り換え等をしておいて本当に良かったです。

そのころは、夫が亡くなるなんて、想像もしていない時のことです。

百万単位の家の補修をいろいろ手掛けたのも、「今のうちにしなさい」との神様のお告げだったのかもしれません。

今の私でしたら貯金を大きく切り崩さないと対応できませんから。

 

 

今も、ドル建て保険の利息や生活費の余裕費の残高を、貯金するように心がけています。

墓参のための帰省費用、衣類の購入、その他の臨時出費を、この余裕費で賄っています。

前々回の記事で、余裕費が先月やっと黒字になったと申し上げましたが、このことです。

 

一年の貯蓄目標額も決めていて、昨年までは、やっとの思いで実現できました。

でも恐らく、涙ぐましい努力で毎月の収入から貯えたものは、今後、住宅関連の維持費で消えていくのではないか、と思っています。

そう思うと何だか空しいですが、仕方ありません。

 

最近、床下換気扇が動かなくなり、購入したダスキンに問い合わせたところ、二十万以上かかると言われ、とてもショックでしたが。

何と、命拾い。(表現がオーバーですね。笑)

また動き出しました。

 

築三十三年の我が家。

そろそろ、問題が生じる頃。

何も起きませんように、と祈りながら、手入れに専念しています。

 

 

但し、風水害や地震の被害は、住宅総合保険で対応できるようにしているので、全く心配はしていません。

年払いで、18万円くらいですが、新築時からの契約ですから、恵まれた補償にもかかわらず、割安なのかもしれません。

とは言っても、私の今の収入では、大きな固定支出になります。

でもこれは欠かせません。

この恩恵を、どんなに受けてきたか計り知れませんから。

本当に有難い保険だと思っています。

 

これまでにも、幾度か触れてきましたが、私は投資において、バブル崩壊時、リーマンショック時の数年間で、大損失を被っています。

実は、リーマンショックのしばらく前に、将来の副収入にしようと思い、マンションをいったん購入しましたが。

その後、私は人生の道の選択を誤り、とんでもない愚行を重ねることに。

この続きは次回に回させていただきます。

 

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