今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

政界の激変に唯々びっくり~同窓生との楽しいひと時

2017-09-30 07:27:40 | 社会 政治

思いがけない政界の激変に、ただただビックリ。

正直言って、開いた口が塞がらない、と言いたくなるほど、私は呆れ返ってています。

日本人として恥ずかしい。

世界の物笑いにならなければいいのですけれど。

前原氏は、嫌いな政治家ではなかったので、今回の彼の裁量は、驚き以外の何物でもありません

 

一昨日会った、幼友達で同窓生でもあるH君は、郷里の市役所のいろいろな部署の局長として活躍し、将来の市長を期待された時期もあった人でした。

見識の高い彼が、前原さんの事を「いい格好をしたがる政治家」と言っていました。

表現が正確ではないかもしれません。うろ覚えなので。

 

この度の彼のスタンドプレー。

党員のために、彼はいい格好をしたつもりなのでしょうか?

私には、党員への裏切り行為にさえ見えてしまいます。

 

民進党員としての信念は、どこに行ってしまったのでしょう。

防衛大臣までしたことがある右翼色の強い小池氏が代表の希望の党に合流するなんて。

二大政党を樹立し安倍政権を倒すことがことが目標なのかもしれないけれど・・・・・・。

自分たちの主義主張は置き去りにした選挙に勝つためだけの行為は、私には目を覆いたくなるほど無様なことに思えます。

 

 

世界の主要国の流れは、ポピュリズムの台頭で、不安定な様相を呈していて、私は不穏なものを感じています。

けれど、この度の政界の激変は、それとは全く違って、選挙に勝ちたいがための、ただの混乱。

その端緒を切ったのが民主党の細川氏でしょうか。

涼しげな顔をされて、小池さんの横に立っている姿を見ると、なんだか悲しくなりました。

 

そういえば、小池氏も、色々な党を渡り歩いた人でしたね。

器用で選挙に強い人のイメージが拭えない私です。

民進党を支持し、応援してきた人たちは、今どんなお気持ちでいらっしゃることでしょう。

北朝鮮の常識を欠いた不穏な動きで、国民の命さえ危ぶまれる緊急事態の今のj時期に、一体何をしているのでしょう。

 

 

自民党は、この際、国民の信任を問い、もしそれを確認できたなら、北朝鮮問題と、二年後の消費税10パーセントアップに向けての本格的な準備に入りたいと思っているのでしょうか。

安倍総理の言動にも、いろいろ問題はあるのかもしれないけれど、今は大局を見据えての政策の良し悪しを見極めることが、一番大切な事に思えてならない私です。

ぶれない強い政治家が必要な時では。

 

それなのに、民進党は、理念や政策の一致が見られない党ととりあえず組んで、選挙に勝つことを優先する態度は、私はどうしても理解できません。

その後は、希望どころか内部の不一致の混乱が待っているだけに思えてならない私です。

 

 

同窓生のH君も、北朝鮮情勢の事はとても心配していました。

追い詰められて自暴自棄になるのが一番怖いと、私が話したところ、彼も同じ思いのようでした。

ヒットラーは、最後はパリの爆撃を決断をしたそうですが、それを思い留まらせたのは側近の人達だったようです。

北朝鮮には、そういう人が、そばにいないのだろうか、と首をかしげていました。

それに対し、私は、「反対意見を言えば、命が危うくなるのでは」と答えました。

 

伝統が立ち切れることなく続いているパリと京都をこよなく愛し、京都は毎年のように、パリは十数回ご夫婦で訪ねているとのこと。

京都の、是非訪問するといい寺院も、いろいろ教えてくれたH君です。

 

 

彼お薦めの須賀敦子さんの著書と、最近刊行された彼のお嬢さんの本をプレゼントまでして頂きました。。

「とても楽しかったよ。有難う」の彼の言葉に、ちょっと感激してしまった私。

世間知らずの主婦の私が、対等にお話ができるかしらと、たまに再会する時は、いつも心配する私だけれど。

H君の聞き上手な態度と気配りで、いつもお話が弾みます。

「私こそ、楽しいひと時を有難うございました」と言って、お別れしました。

 

最後に、日本の政治についてもう一言。

日本は素晴らしい伝統があり、世界に誇れる誠実で勤勉な良き国民性に恵まれた国です。

その信頼を壊すような振る舞いを国を代表する政治家にされては、本当に情けないだけ。

大局を見据え、ゆるぎない信念のもと、将来の日本の発展のために、もっともっと頑張ってほしいものです。

                                    9月29日記述

追記

政治の記事なんて、もう私には書けないと思っていたのですが、綴り始めると、一気に書いてしまいました。

気持ちの高揚感も現れていて、随分生意気な文章で恥ずかしいです。

今日は孫の運動会で、今、巻きずしが出来上がったところです。

推敲する時間がありませんでした。

このまま投稿して、今から出かけます。

 

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家族のために尽くし切ったような私の半生

2017-09-28 07:23:53 | 家族

昨日は、次女宅へ、孫に会いに行く日でした。

K君が五年生の秋から、始めたことです。

塾に通い始めた頃に重なります。

お婿さんの希望だったようですが、娘はママの体力では、日を指定して毎週来てもらうのはもう無理と思っていたようです。

遠慮がちに、その話をしたのを今でもよく覚えています。

 

けれど頼まれれば、私は断れない性分。

苦労と感じるどころか、そのことを生きがいにまで昇華して、頑張れる得な性格です。

事実、五年生の時は週に三回、六年になってからは、週に二回通い続けてきました。

孫のおやつの用意だけでなく、お洗濯ものをたたんだり、お部屋の整理整頓もしています。

お夕食も、孫の口に合うものは運ぶように心がけてもいます。

昨日は持って行くのを忘れ、次女とかれんちゃんがお料理を受け取るために、日が暮れた頃、我が家に来ました。

 

たらの甘酢あんかけ・卵とトマトの炒め物・きゅうりの甘酢しょうが炒め
料理ブログ用に撮った画像です。
この半量を娘宅へ。

 

K君は二番目に授かった孫。

初孫のR君が誕生したのは、私が50代の中頃。

そのころは、もっともっと私は元気でした。

孫に夢中で、娘にお守りを頼まれた時はむろん、私の方から積極的に孫の面倒を見たものです。

 

R君が保育園に通い始めたとき、最初のお迎えにも、私が行きました。

多くの子がそうであったように、R君も、ママ、パパに見捨てられたかのような恐怖だったのでしょう。

私が迎えに行くまでは泣き通しだったらしく、疲れ切って放心したような顔で、保育室から出てきたR君。

フラフラの足どりで、私のもとにきました。

そして私にしがみつき、いつまでもいつまでも泣きじゃくっていた姿が今でも忘れられません。

 

その後も保育園には、両親に代わり、一時間近くかけて、足繁く通いました。

お休み期間は、我が家で預かり面倒もよく見たものです。

夏休みなどは、一週間近くわが家に一人で滞在。

近くのスイミング教室や、他のお教室にも通わせたりもしました。

 

今では考えられない、私の気力の充実ぶり。

体力はもともとありませんでしたから、孫可愛さで、元気になれたのでしょう。

それまでにも、過労で入院したことが二度会った身です。

油断はなりませんでしたが。

 

時には、こんなにボリュームのあるおやつも。
育ち盛りのK君ですから。 

 

ところが案の定、60代になった年の冬、ついに過労でまたダウン。

一週間、入院する羽目に陥りました。

この時は人生の大きな転機だったのかもしれません。

 

家族の世話と孫の世話に明け暮れ、夢中で過ごした50代。

前半は親の介護もありましたから。

諸々の疲れが、一気に噴き出したのでしょうか。

 その病気を契機に、体力に一層自信を無くしてしまった私。

孫の面倒はそれまでのように見られなくなりました。

長女夫婦も遠慮して、私に孫の世話を頼まなくなり、

この後の数年間は、海外旅行や国内旅行に度々出かけ、余暇を楽しんだ時期に当たります。

 

そしてしばらく経過後、次女のお婿さんが単身で他県の研究所勤務となり、娘とK君との数年間の同居も経験しました。

K君が一番かわいい時期で、保育園のお迎えとママが帰宅するまでの面倒はすべて私と夫がみたものです。

私はまた元気復活。

そんな感じだったでしょうか。

数年間の同居の後は、最寄り駅一分のところにあるマンションを購入。

そして今の私は、そこに週二回通い、週末は一緒に夕食を共にしています。

 

小学校一年生の孫娘の部屋の点景です。

 

このように五十代の後半は、孫の世話で、忙しい日々でしたが、50代の前半には、両親の介護もありました。

父はしばらく一人暮らしをしていましたので、期間にずれがありますが、約五年間、一緒に同居。

成長していく孫の世話と違って、衰えが日増しに進む親の介護に希望は見えず、大変なものがありました。

母は認知症も患っていましたから。

でも最後まで可愛くて、我儘一つ言わないで、亡くなった母です。

  

子育と夫の介護もいれて振り返ると、私の半生は家族のためにだけ尽くしてきたようにも。

きっと、この仕事が私の天職だったのでしょう。

不満に感じたことは、ほとんどありませんでしたから。

 

いろいろ大変な思いもしましたが、私の唯一の取柄は、あまり愚痴を言わないことかもしれません。

 子育てから始まり、最後は夫の介護と看取り。

考えると、ずっと家族の世話ばかりしてきました。

けれどその最中にいる時は、当たり前のこととして受け留め、辛いとは全く思わなかった私です。

 

両親二人の介護で、睡眠不足の日々が続いていたころも、近所の方や友人によく同情されたものでしたが。

私は本当に苦労とはあまり思っていなくて。

その言葉かけに、愚痴で返すような事はほとんどありませんでした。

 

恐らく言いたい泣き言や苦労話は、もしかしたらたくさんあったのかもしれませんが。

負の感情を抱くと、苦労が倍加してしまうようで怖かったのでしょう。

日々に抱く思いは、かけがえのない毎日を如何に充実させ、悔いなく過ごすか、そんなことばかり考えている私ですから。

その前向きの心が、常に私を支えてくれているのだと思います。

 

かれんちゃんのベッドの枕元
可愛い!
パッチワークのベッドカバーはママのお手製です。

 

子育ても入れるなら、家族のためにつくし続けてきた私の半生も、ついに彩りが変わりつつあり、なんだかとても不安です。

今でも、わずかながら、娘達の役にも立ててはいますが、すでにもう随分前から、力関係は逆転。

親の威厳は維持しているつもりですが・・・・・・。

娘から見ると、心配が多くなってきた親であるに違いありません。

 

でもまだ、子供たちのお荷物にはなりたくないなあ~。

80歳、90歳になっても、自立した気力の充実したおばあちゃんでいたい。

体力には自信がないので、今後は一層気力に重点をおいていこうと思います。

素敵な余生を過ごせるように、これからも頑張ります。

  

今日は広島から上京した同窓生から電話があり、久しぶりのデート。

病気になって以来初めての遠出になりますから、お誘いを受けるかどうかとても迷いましたが・・・・・・。

脚の悪い事も話してありますので。

同窓生ながらいつも私を温かく見守っていてくださっていた、幼友達で同窓生のH君。

お会いしないわけにもいかず、OKのお返事をしました。

このお話は次回にでもさせて頂きますね。

 

前回の記事では、1000ポイント以上の温かな応援をいただき、有難くもびっくり。
何だか緊張してしまいました。
でもとても嬉しく感謝でした。
有難うございます。                                    

9月27日朝からの記述

 

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徒然なるままに~お墓参りと娘達との楽しいおしゃべり

2017-09-26 07:19:41 | 家族

秋のお彼岸を迎えたものの、夫のお墓参りは、体調不全で叶わなかった私です。

ですけれど、我が家を訪れた長女のMちゃんと一緒に、昨日の昼下がり、私の両親の菩提寺に行ってきました。

その前に、娘持参のちらし寿司で、お昼食を済ませ、おはぎもいただきました。

一週間前の、ハルピン旅行の話や孫たちの近況を色々聞かせてもらった私です。

 

実は前日は、次女のところの孫娘、かれんちゃんのバレエの発表会でした。

私の今の体調では、遠方へのお出かけはまだ無理な状況ですから諦めましたが。

出かけた長女に、その時の様子を聞き、あまりに可愛いかれんちゃんのスマホの画像にうっとり。

楽しいおしゃべりに一段落ついた後、外掃除と浴室のバスを洗ってくれたMちゃんです。

 

 

何か手伝うわよ、と言ってくれた時、一番お願いしたかったのは、夫の遺品や、娘達の学生時代の書籍などの処分について相談に乗ってもらうことでしたが。

束の間の時間で話し合って、済むことではありません。

若夫婦がお正月休みに、我が家に来る時まで待たなくてはいけないかしら。

なんだか名残り惜しくて、夫の遺品は、自分で処理する勇気が未だに湧かなくて。

幸いにも、使用していない部屋はいくつかあるので、置き場所には困らない我が家。

このまま想い出品として据え置いても一向に差し支えないのだけれど、そうはいきませんものね~。

私より、ドライで合理性を重んじる娘達なら、手際よく処分してくれるのではないでしょうか。

 

 

今後は重いものは自分の今の体の状況を思うと、持てそうにありません。

色々行動に制約を受ける身となり、娘達の手助けを必要とするのかもしれませんが。

娘達は二人とも、子育ての真っ最中。

管理職の立場で、国内外の出張もこなしながら、責任ある仕事に日々没頭しています。

その多忙な暮らしを慮ると、いくら親でも頼みづらくて。

お願いするどころか、私が手助けしてやらなければ、と思っているほどですのに。

こんな体になってしまって、少々残念です。

でも、これまで行ってきた程度の協力なら、何とか続けられそうで、ほっとしています。

 

一方では無理をしないように、自分の体をいたわる暮らしを心がけなければなりません。

杖は、まだまだ先の事であってほしいですから。

 

 

菩提寺まで出かけ、お墓参りを済ませた後は、最寄りのバス停で、それぞれ良い便のバスに乗り長女と別れました。

夕刻までには家に帰って、明日から一週間の夕食の下ごしらえをある程度しておかないと、大変なことになるから、と言いながら。

きっと、私の想像を超えた忙しい日々を頑張って過ごしているのでしょう。

あまり無理をしないで、お仕事はほどほどにと言いたいところだけれど。

真面目な娘達は、頑張るだけなのでしょうね~

専業主婦で、マイペース暮らしを何よりも愛する私とは大違いです。

 

ダリアとミニバラ
ささやかな贈り物でした。

 

長女と別れた後は、次女宅によりいつも通り、週末の夕食を共にしました。

その前に最寄り駅前の小さなお花屋さんで、花の苗と、バレエの発表会を終えたかれんちゃんへささやかなプレゼントと思い、お花の小さなブーケを求めました。

まだ発表会の興奮が完全には冷めやらない雰囲気で、折々でバレエのポーズをしてくれるかれんちゃん。

将来はバレリーナになりたいとのこと。

バアバの妹のおばちゃんは、子供のプリマドンナで、バレエがとても上手だったのよ、とお話もしました。

どんな小さなことでも夢は大切。

バレリーナーになる夢を大切にして、楽しい毎日を元気いっぱいに過ごしてほしいものです。

 

 次女は片時の暇を見つけて刺繍を愉しんでいるようです。
いつか作品を披露させていただきますね。

 

娘達と過ごした午後からのひと時。

至福以外の何物でもありませんでした。

脚と腰の痛みも忘れてしまうほど。

けれど翌日は、無理が少々たたり,腰がイタタ、イタタの日になりましたけれどね。

 

とりとめのない雑談で終始した今日の記事。

最後までお付き合いくださいまして有難うございました。

今日もお健やかで良き一日をお過ごしになられますように♪

 

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Yさんがが引き留めてくれのでは?

2017-09-24 07:16:07 | 人生

いそいそと、帰広の準備を始めていました。

今回は旅行は取りやめ、初めての日帰りによる墓参。

荷物も軽くて済み、行動量も最小限に食い止められる。

患っている脚への負担をできるだけなくすには、日帰りの往復の方がベストかもしれないと考えた上でのことです。

 

大好きな新幹線の中では、最大限、体を休めたいと思い、ホテル代をグリーン車の乗車券に替えました。

左脚は痺れたままでしたから、大きな不安を抱えての旅立ちになりそうでしたが。

心は、弾んでいました。

いよいよ、明後日は出発と思い。

 

ところが、その日を翌々日に控えた朝、とんでもない事が起きたのです。

いつも通り、早朝に目を覚まし、元気に朝の日課をこなしていました。

朝の読書とブログ綴りが一段落つき、朝食を済ませた後の事です。

ちょっと気分転換に、花壇の草花に会って来ようと、勝手口から庭に出ました

一部だけでしたが花がら摘みと落ち葉拾いをして、部屋に戻った私です。

 

足のしびれは相変わらずでしたが、気分は悪くなく、家事も次第に順調にはかどるようになっていました。

今日も1日頑張ろうと、気持ちは前向きで、元気一杯だったのです。

 

ハンギングバスケットにお花がない。水遣りの苦労が思いやられて。
踏み台にする椅子からの落下が怖い。
肋骨を折ったことがある私です。 

 

ところが、庭から戻った、その直後のこと。

腰に違和感が・・・・・・。

途端に立っていられなくなり、その場にへたり込んでしまいました。

立とうとすると、激痛が走り、身動きがまったくできません。

 

実は、あまりのショックで自失呆然としてしまったからでしょうか。

その後の記憶が、ぼんやりしたままなんですよね。

うまく、当時の状況を説明する自信がありませんが・・・・・・。

覚えている範囲内で、書き留めますね。

 

困った時、すぐ頼りになるのは、妹。

八時は過ぎていたと思います。

娘達は、子供たちを送り出し、出勤の途上でしょう。

仕事中も、緊急の用件でもない限り、電話はかけたくありませんから。

 

その点、妹はいちばん気楽に電話ができ、娘以上に頼りにしています。

(妹のブログ 世界で一つだけの姥花日記)

昨日から、夫婦でカナダへトレッキング旅行に出かけ、今は留守ですが。

携帯を手にするのさえ、大変な苦労でしたが、その時も、Aちゃんに電話をかけました。

そして、今の状況を伝え、相談に乗ってもらった私です。

 

「腰が腑抜けになってしまったみたい。

足も体も支えてくれないの。

どうしよう。

一歩も動けなくなってしまったわ」

と話しました。

 

 

 

私がその瞬時に心配したことは、脊柱管狭窄症の症状が腰にまで及んだのかもしれない、ということ。

ところが妹の返事は、幾分気を楽にしてくれるものでした。

「多分、ぎっくり腰じゃない?

私が50代のころ経験した症状にそっくりだから。

とにかく絶対安静で様子を見ることが大切よ」

と言いました。

 

その後、その日、どのように過ごしたのか余り覚えていませんが。

次第に少しずつ動けるようになっていったように思います。

夕食は、次女が運んでくれました。

 

そして、ぎっくり腰に見舞われた翌々日、また妹の付き添いで、かかりつけ医の整骨院へと。

まだ歩行は困難を極め、やっとの思いでしたが。

整形外科と思ったのですが、整骨院に電話をかけると、「まず私が診ましょう」と言われましたので。

整体師の方の診断は、恐らくぎっくり腰でしょうとのこと。

狭窄症が原因だとやっかいなことになると、とても心配していたので、まずは一安心でした。

 

この状況では、楽しみにしていた広島行きは、もう不可能。

キャンセルせざるを得なくなりました。

次女のMちゃんが疲れているでしょうに、退社後、わが家により、乗車券を手に、JRのみどりの窓口がある駅へ出向いて、キャンセルの手続きをしてくれました。

幸いにも、取られたのは手数料の数百円だけ。

前日キャンセルだと、三十パーセント、支払った代金から差し引かれるところでした。

 

身内の手助けで、何とか突然の出来事を乗り越えられた私でしたが・・・・・・。

余りに間が悪く、不運なタイミング。

一体どういうことでしょう。

 

お墓参りができなかったのは、とても残念だったけれど・・・・・・。

この度のことは亡き夫のYさんの気持ちが働いたと、前向きにとらえて、納得することにしました。

「今無理すると、取り返しがつかなくなるよ。養生しないとだめだ。

また元気になったらくればいい」と言って、私にブレーキをかけたのに違いありません。

 

元気になって、家事を愉しみます♪

 

そう思うと、不運なことが、とても有難い事に思え、心にまた元気が湧いてきました。

足の痺れの上に、腰の痛みまで抱えてしまった私。

杖を突いて腰を曲げ、不自由そうに歩かれている痛々しいお年寄りが目に留まると、自分の数年後の姿のように感じられてしまいますが。

 いえいえ、きっと元気を取り戻せることでしょう。

あと十年くらいは、溌剌と過ごさなくては。

「病は気から」を、かなり信じている私です。

 

整体師の方には、数日は絶対安静と言われましたが、働かないでぼんやり過ごすと、心の元気が保てません。

自分自身一番つらいのは、心の元気がなくなる事。

ですから、私はどんなに体が不自由でも、それなりに働きました。

その方が病気の回復も早い気がして。

 

事実、私の回復の早さを驚かれた整体師さんです。

「体に回復力がまだ十分ありますね」とのお言葉。

整形外科の医師にも、以前同様の事を言われました。

とても嬉しいお話で、悪い体調で失いかけていた自信を、チョッピリ取り戻すことができました。

 

今日は長女が、我が家に来てくれます。

大変忙しい身のMちゃんです。

「もう元気になったから、大丈夫よ」と言って、無理しないでほしいと願ったのですが。

やっぱり楽しみ。

 

まだ脚はしびれたままですが、爽やかな時候の秋を、「今日が一番素敵」の思いで、丁寧に暮らしたいものです。

 

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9月25日ののお料理ブログは、レシピ付き献立です。

多少でも日々の献立の参考になれば幸いです。

http://blog.goo.ne.jp/karensakura0403

 

 

    

 

 

 


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人生はいろいろ

2017-09-22 07:16:42 | 人生

この度見舞われた不運な出来事で、秋のお彼岸の夫の墓参が叶わなくなりました。

けれど、お盆時の墓参は、この逆で幸運に恵まれた私です。

人生はいろいろ。

良い時もあれば、悪い時もある。

それを改めて実感した出来事でした。

 

今回の病(?病と言えるのかどうか)について詳述する前に、腰部脊柱管狭窄症にかかり始めの頃に、一度遡っておきたいと思います。

その症状が現れ始めたのは、七月の中旬の事でした。

突然左脚が痛み始めたのです。

初めの内は、筋肉痛程度に思って、さほど気にかけていませんでした。

ところが、一向に回復の兆しが見えず、次第に痛みが強くなっていきました。

連夜、真夜中にこむら返りがおきました。

夜中に、脚の痛みで、目が覚めることも度々ありました。

 

これはただ事ではない、と思い始めた私です。

痛む足を我慢して孫宅には週二度ほど通っていましたが、ついに我慢できなくなって整形外科医院に。

幸いにも、孫のマンションのすぐそばに、その医院がありました。

 

 私の骨量は私の年代の平均値より少し上。
これでも、先生は、十分な数値ですよ、とほめて下さいました。
それにしても、女性と男性の骨量の差にびっくりです。

 

診察を受け、レントゲンも撮りました。

その結果は、圧迫骨折が原因です、との診断。

私は数年前にも、同じ症状で、火柱が体を突き抜けるような激痛に幾度も襲われた事があります。

また圧迫骨折と言われ、なんだかぞっとしてしまいました。

脊柱の骨がぽきぽき折れて行く自分の体をイメージしたからです。

 

先生に尋ねました。

「前に骨折したところと、同じ個所でしょうか?」と。

ところが、先生の答えは、何だか曖昧。

その三日後に、この医院の紹介で、MRI専門のクリニックに出かけました。

届いたMRIの画像を見ながらの、先生の診断は、「かなり強度のヘルニアです」と変わりました。

私の頭の中は、クエッションマークがいっぱい。

「圧迫骨折?」「ヘルニア?」

どちらが本当なの?、と。

 

原因はぼやけたままでしたが、幸いにも服薬のお蔭か、症状はみるみるよくなりました。

すっかり完治したのでは、と思われるほどに。

その喜ばしい状態で、お盆を迎えた私です。

今回と違い、なんという幸運でしょう。

人生いろいろの冒頭の実感は、このことを指します。

この時は、幸運に恵まれました。

 

体に自信を取り戻した私は、心弾ませて、夫の菩提寺がある広島へ、と一泊二日の旅行に出かけました。

脚の痛みに見舞われることも、その間一度もありませんでした。

夫の墓参を無事済ませ、平和公園の近くのホテルに宿泊。

翌朝は、早朝に食事を済ませ、数時間かけて平和公園を散策しました。

そして、午後過ぎの新幹線で、元気に帰京した私です。

 

 

ところがその翌日からでしたでしょうか。

また急に左脚が痛み始めました。

真夜中のこむら返りも頻繁に起き、ただ事ではない、と又思い始めた私です。

いつもの整形外科医院に行きましたが、症状の原因が幾度も変わる医師の診断に不信感を抱き始めていた私です。

そのため、大病院の診察を受けたい旨伝え、紹介状を書いていただきました。

 

その病院に行く頃には、歩行が困難な状態になるまで症状が悪化していました。

妹に付き添ってもらい受けた診察の結果は、レントゲンの画像から、腰部脊柱管狭窄症と判明しました。

個人の医院の先生の診断によるヘルニアではありません、とのこと。

圧迫骨折の痕も過去のものでした。

 

大病院の診察を受けてよかった、と心から思った私です。

個人の医院と大病院では、レントゲン機器一つとっても、まるで規模が違います。

私が最初に診察を受けた医院は、次女のお婿さんの話では、評判が良くないと、言っていました。

お人柄はとてもいい先生なのですけれどね。

これまでの経緯を思い起こすと、彼の言っていることは本当かもしれません。

 

もう一つ言えることは、医療機器のスケールの相違です。

個人医院の簡易なレントゲン機器の画像では、三か所近くあった狭窄は見抜けないのかもしれません。

MRIの画像はどうだったのでしょうね?

病状が思わしくない時は、早めに大病院の診断を仰ぐことの大切さを痛感した私です。

 

しかし、そのあと言われたことが少々深刻で問題。

この症状の解決方法は手術しかない、と。

或は生活の質を落として、10割だったところを6割にして、保存療法の選択をする。

二つの道しかないようでした。

 

 

 手術をしない人の方が圧倒的に多いようでしたので、私もむろん、その選択をしました。

薬は飲んでも気休めにしかならないし、痛み止めは痛みが酷い時だけの服用を勧められました。

体にはあまり良くないようです。

 

私はその点は、言われるまでもなく承知していましたから、鎮静剤は診察を受ける前も、ほとんど使用しませんでした。

さてさて、その後、私の体は、どうなったでしょうか。

思いがけず、順調に回復していきました。

困難だった歩行も、次第にスムーズに歩けるように。

実は、このころからある方の勧めで、整骨院のお世話にもなるようになっていました。

そのおかげもあってか、しびれは相変らず続いていましたが、日常の生活の差し障りはほとんどありませんでした。

すっかり気を良くした私は、秋のお彼岸の墓参のための広島行きを決行することにしたのです。

 

ところが、帰広を目の前にした18日の朝、たいへんショッキングなハプニングに見舞われました、

明日に続きます。

 

 

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またまた不運なことに見舞われて・・・・・・

2017-09-20 07:33:15 | 病気

これでもか、と言わんばかりに、、不運な出来事に見舞われる最近の私です。

私の人生は、いつもそうでした。

嫌なことがあると、立て続けに連続して起きるようです。

その様な逆境に陥った時、しばらくは気が落ち込むのはやむを得ないことでしょう。

逆境なんて、少々大袈裟。

些細なことだったようにも。

私も、最初の一日目は、ショックのあまり、自失呆然。

大好きな家事にも、前向きに臨めなくなってしまいます。

 

けれど、私の一番の長所は、気分の入れ替えが早いところかもしれません。

すぐに解決ができることでなくても、気分だけは平常心に戻して、いつもの暮らしのリズムを取り戻そうと頑張ります。

夫が亡くなった時は、その入れ替えに時間がかかりましたが、それは仕方がない事ですね。

 

以前にも触れたことがありますが、計画的な日々の暮らしが、それを後押ししてくれているように思います

とは言え、今回の出来事は、ちょっと状況が異なり、困り果てていますが。

でも頑張らなくては、と、今、自分の気持ちを鼓舞することに努めています。

実は、明日から夫の墓参で、帰広する予定でしたが、突然の中止になりました。

止むを得ない事情から、物理的に不可能になってしまいました。

とても楽しみにしていたので、残念でなりませんが。

 

 

腰部脊柱管狭窄症は患ったままで、足のしびれは相変わらず続いていました。

ですから、足の疲労は最小限に食い止められるようにと、いろいろ考えた末、日帰りの往復切符を入手。

ホテル代に変えて、新幹線の車両はグリーン車にしました。

駅やお寺までは、できるだけタクシー利用をすれば、歩くところはほとんどありません。

 

むろんこれまでのような途中下車による観光も中止。

目的は夫のお墓参りのみ。

夫が喜んでくれるに違いない。

私の感謝の気持ちをストレートに伝えることができる一番良い方法。

と思っているからです。

 

ところが、このお墓参りさえ、無理な状況に陥ってしまいました。

いつもより小型のキャリーバッグに、荷物を詰めはじめていた矢先のことです。

神様のいたずら、と思いたくもなりましたが、その逆かもしれません。

 

神様や夫が、広島行きは無謀過ぎると思い、阻止したのでしょうか。

帰広できなくなったのは残念でなりませんが、そう思うことにしました。

気分を入れ替え、いま気持ちを奮い立たせているところです。

私らしく、昨日よりは、ずいぶん元気になってきました。

不自由な体ながら、いつも通りの暮らしのリズムを取り戻して、今日も一日素敵に過ごしたい、と願っています。

 

最近作った献立です。半分は娘宅へ。
肉団子のトマト煮は母の代からのお料理で、私の大好物です。
料理ブログに三品のレシピを載せていますので宜しければ、お試しください。

 

今の自分の気持ちを整理しながら、ブログを綴っていると、ますます元気がわいてきました。

これぞブログの効用。

ブログに感謝です。

 

次回は、これでもかとばかりに、私の身に降りかかった出来事のお話をします。

私の想像では病名は判断できています。

その通りなら、だれでも起きうることで、さほど心配いらないのですが。

狭窄症が原因だと、厄介なことになってしまいます。

そうでないことを祈るばかりです。

                  9月19日朝の記述

 

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娘達が中国のハルピンへ

2017-09-18 07:20:12 | 日記

連休の期間、娘達は、中国へ旅行に出かけています。

夫が幼児の頃過ごした、当時満州国の一都市だったハルピンへ、と。

アメリカ在住の義姉と甥が一緒です。

 

義父は、第二次大戦前、満州に移り、彼の地で病院を経営していました。

引揚げで大変な苦労をしたであろうことは、想像に難くありません。

けれど、ハルピンの暮らしは、とても恵まれて優雅なものだったようです。

ですから、姉上にとっては、懐かしい地でもあられるのでしょう。

亡き弟の娘達と自分の息子が同行しての、この度の思い出の地を巡る旅行。

姉上にとって、この上なく、幸せなことであったに違いありません。

Yさんも、天国でさぞ喜んでいたことでしょう。

 

私は行きたくても、今の足ではどうすることもできません。

たとえ、健康体でも、遠慮したと思いますが。。

四人の微笑ましい三泊四日の旅の様子が目に映り、それだけで胸がいっぱいになってきます。

今はお土産話を楽しみにしているところです。

 

 

次女は、今のシーズン、イベントも多く、広報の仕事は多忙を極める時。

受験生も抱えているため、この提案があった時は、ためらいも大きかったようです。

でも出かける数日前に会った時には、とても楽しみにしている、と話していました。

 

商社に勤務していたころ、中国の大連に出張したことがあるようです。

その時、祖父のハルピン暮らしの話をすると、駐在員の方が、その当時日本人が住んでいた住宅街に案内してくださったとのこと。

とても閑静な住宅地で、私の実家のような洋館が付いた日本家屋が建ち並んでいたそうです。

実家に似た家と言われた途端、私の目には、その光景がはっきりと浮かんできました。

 

ハルピンの街
yahooの画像を拝借しました。 

 

義父は、ハルピンから引き揚げ時の苦労を語ることはありませんでした。

私の両親が被爆した当時の話をほとんどしなかったように、

三歳と七歳になる幼子たちのの手を引き、中国大陸を横断し、日本にたどり着いた時の辛酸は想像を絶するものだったはずです。

その後、廃墟となった広島に戻り、開業した父。

郷里の医師会の会長にもなり、大変活躍した人でした。

 

恐らく娘達は、お姉さまから、私が知らない、当時の夫の家族の思い出話を色々聞かせてもらっていることでしょう。

掛け替えのない、良き時間を過ごしてしているに違いありません。

想像するだけで、心温まる思いがしてきます。

 

実を言うと、義姉は、私はちょっと苦手な人。

聡明で、とても美しい方。

夫の葬儀の日に妹の娘のKちゃんが、「きれい!」と言って、その美しさに感嘆したほどです。

婚されて間もなく、米国の研究所の仕事に就かれたご主人さまと共に、シカゴに居を構え、今はハワイで老後を悠々自適にお暮らしです。

 

何故私が苦手かと申しますと、若い頃、善意で一生懸命やったことが誤解され、一悶着ありました。

実は、私たち家族は帰省すると、私の実家に泊まるのが常でした。。

夫のYさんもそうでした。

Yさんは、私の実家は余程居心地が良かったのでしょうか。

或る日、「養子になってもいい」と冗談で言ったようです。

それを、半ば真に受け留められた事が発端。

そのあたりから、義姉さまの雲行きが怪しくなっていきました。

夫は、本当に冗談で言っただけだったのですけれどね。

 

義父の病院は街の中心地にあり、この教会が近かったようです。

 

帰省時の滞在場所が、いつも私の実家だったのには、訳がありました。

夫が大学入学前に亡くなった義母様に代わって一緒に暮らし、薬剤師として、家事と医療事務を一手に引き受けていた叔母様(義父の妹)の要望だったからです。

開業医として、日々多忙を極めた家で、孫と私に気を遣うお暮らしは無理だったのでしょう。

 

叔母の気持ちや義父の叔母への心配りは、とても理解できることでした。

正直のところ、私も母も、帰省時の実家の滞在を手放しで喜んでいました。

けれど姉上は、少々不満だったのかもしれません。

 

夫が養子になってもいい、と冗談で話した事と、私が善意で一生懸命姉のためにつくした或る事が、大誤解され、大変な怒りを買うことに。

相続の争いなどは皆無でしたのに、父と叔母がなくなってからは、ほとんどお付き合いがありませんでした。

それ以降は、お互いに嫌な思いはしていませんが。

義姉は、私に会うのを避け続けられました。

遠すぎるといった物理的要因もありましたけれど。

 

この度の微笑ましい旅行で、数十年のお姉さまとのブランクを、娘達が一気に埋めてくれたようような気がしています 

お姉さまの、弟の子供たちを見つめる、優しさに満ちた眼差しが想像され、私も幸せな気持ちで満たされています。

 

オードリー・ヘプバーンに似ているとまで、若い頃、言われたことがある義姉さま。

この度の良き思い出を胸に、いつまでも美しくお健やかで。

ますます充実したお幸せな余生をお暮らしになられますよう、祈って止みません。

 

       

 

台風の通過地点にお住いの方々は、御無事でいらっしゃいましたでしょうか。

被害がないことを祈るばかりです。

当地も昨夜は激しい風が荒れ狂っていましたが、朝が明けた今は、日差しも差し始めています。

これから、台風を迎える方々は、くれぐれもご注意くださいませ。

 

墓参の帰広などが控えていますので、しばらくブログの更新はお休みさせていただきます。

 

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PCのトラブルは悩ましい事だけれど

2017-09-16 07:18:36 | ブログ

一昨日は、蒸し暑い一日でした。

夏と秋が同居しているようなこの頃。

日中はまだ陽射しが強くても、窓を抜ける夜風などはもう冷たくて。

秋が確実に忍び寄っているのがわかります。

夏の光が秋の柔らかい光線へと推移する今の時季。

巡る季節の日本の良さを、改めて実感します。

 

蒸し暑かった14日は、いつも通り孫宅へ行き、整骨院の施術を受け、帰宅したのが夕刻の6時過ぎ。

夜は、カープの優勝が懸かった放送をNHKで観戦。

この話題は、優勝が決まった時にでも、記事にしたいと思います。

 

実は、その野球観戦をする前、朝、投稿したブログ記事で、外出中に気になった箇所を修正しようとパソコンに向かいました。

その個所とは、タイトルに付けた「笑」です。

私が靴を家の中で履いた行為は、真剣そのものだったのですが、皆さんはきっとお笑いになるに違いない、と想像しての言葉でした。

 

でもしばらく経って、タイトルに「笑」を付けたことが、とても不自然な事に感じられてしまって。

私のブログにわざわざお立ち寄りくださる方々にも、失礼ではないか、と気になり始めました。

 

画像はすべて我が家の庭の点景です。

 

すぐにでも取り消したかったのですが、家を留守にしていた私。

帰宅直後に、朝投稿した記事のタイトルの「笑」を消して、更新し直しました。

編集画面の記事のタイトルからは、「笑」の言葉はすぐ消えました。

 

ところが私のブログを見ると、「笑」はついたまま。

なぜ?なぜ?と不思議に思いながら、同じことを何度も何度も繰り返しましたが、消えてくれません。

記事は変更できても、タイトルは変更できなかったのかもしれない、と思った私。

今更、そんなことに気が付くなんて。

今後はタイトルは、慎重に考えなければ、と早合点までしてしまいました。

 

ところが翌日の朝、料理ブログを綴っている時、記事の文面で、同様のトラブルが。

文を編集しても、ブログ上に、それが反映されません。

下書き記事の文は、手直しした文に変わっているにもかかわらずです。

 

 

その後しばらくして判りました。

編集した個所は、すぐには反映されないけれど、しばらく経過すると、改められていることに。

 

でもこんなに遅くては、今後困ります。

それでパソコンのトラブルに見舞われた時の私のお助けマン、NTTのリモートサービスに、翌日の午前中に電話をかけました。

無事に正常機能が復活しました。

というか、電話をかけたときには、既に正常になっていたのでしょう。

その原因は、私のパソコンに因るものではなく、プロバイダーのシステムの不具合のようでした。

良かった!一安心。

 

パソコンのトラブルだと思い込んでしまった私。

その様な状況に見舞われると、いつも私の気持ちは、ブルーに。

電子機器に滅法弱い私は、お手上げなるからです。

しばらくは一人で悪戦苦闘し、時には、数時間の浪費を余儀なくされ、疲れ切ってしまうこともあります。

すぐに電話をかけて、修復をしてもらえばいいことなのかもしれませんが。

嫌な思い出が脳裏に蘇えり、ついそれを思い出してしまいます。

 

 

ネットトラブルで、少々つらい思いをしているときの事。

相手の仲間らしき人から、とても激しい口調で注意を受けました。

「あなたのように身勝手な相談をする人がいるから、NTTの社員は迷惑するのよ」といったような内容でした。

載ったのは、妹のコメント欄。

 

そのあたりの事は、よく理解できていない私の事です。

感情的な注意勧告で、何だか、とても心配になってしまいました。

慌てて、NTTに問い合わせをしました。

すると中年らしき、実に落ち着いた口調の方が、答えて下さいました。

「迷惑などしていません。そのための料金を私達は徴収させてもらっていますから。どんなに小さなことでも、相談してください」と。

翌日、コメントされた方に、その返事の内容を知らせた私です。

 

その後も、パソコンのトラブルや、画面上で操作が分らなくなった時など、時々ご指導を賜ってきました。

皆さんとても親切で、その真心と誠実さに、感激してしまうほどです。

 

パソコントラブルに見舞われないことを祈りながらも、一方ではこのお助けマンが私のブログ生活を支えてくれています。

本当にありがたい存在で、感謝に堪えません。

 

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靴のお話~私の奇想天外な行動

2017-09-14 07:15:49 | 病気

一昨日は、とても多忙な日でした。

あいにくの雨模様で、ちょっとがっかりでしたが、思いがけない病を患ってから、二度目の遠出。

差し迫った用事が二件ありましたので。

脚を気にしながら、電車に乗りました。

妹とデパートで落ち合い、ともに数時間を一緒に過ごすこともできました。

調子が良いとは言えない、今の私の体。

妹が傍にいてくれるだけでも、心強いです。

 

用事を済ませた後、昼食を共にし、久しぶりにデパートの園芸店にも。

二時過ぎには、妹と別れ、孫宅へと急ぎました。

孫におやつを用意し、塾に送り出すと、整骨院で、一時間ほど施術を受けて帰宅した私です。

 

あぁ~忙しかった!

時間通り、孫宅に行くまでに、何とか用事を済ませ、一安心

こんなに目まぐるしく目的が変わるお出かけは、私にしては珍しい事。

この話題は、また近日中に、詳述したいと思っています。

 

我が家の庭の点景

 

今日は、「奇想天外な私の行動」についてお話しなくては。

これ以上、先延ばしにしては、お読みいただく方に失礼になりますもの。

あなたの奇想天外な行動について早く知りたいわ、と関心を寄せて下さっている方々も、いらっしゃるかもしれませんから。

 

そのこととは、靴にまつわるお話です。

一昨日は、病を患って以来の二度目の外出。

最初のデパートへのお出かけは、次女の付き添いで、病院の診察を受けた後でした。

その時の事は9月2日の記事に書いています。

やっと少し、回復の兆しが見えてきたばかりの頃。

かなりの勇気が要りました。

何度もためらい、やはり家に戻ることに決め、娘の車で送ってもらっている途中、また気持ちを翻し、デパートへ出かけた私です。

 

体調がすぐれないとはいえ、気になっていることに手を付けず我慢をしていると、かえってストレスが高じて、心身のためになりませんもの。

反対する娘にも、そのように話しました。

 

パンツ用の左の靴もヨシノヤで購入したものです。
今の私の足に合うのはこの二足だけ。
ちょっと辛い現実。
前の靴ベラは、我が家で数十年使用しているものです。

 

その勇気ある行動は、後で振り返ると、私の体に好結果をもたらしたようです。

途中で腰かける場所を見つけては、何度も足を休め休め、デパートの売り場を回り、最後に寄ったのが、靴屋のヨシノヤ。

痺れと痛みで不健全になってしまった左脚を、いたわり保護してくれる靴を履きたい、と強く願っての買い物でした。

ベテランらしき女店員さんが、数足の靴を選んでくださいました。

私が目に留まった靴は、今の私の体調では無理、と言われてばかりでがっかり。

止むを得ず選んだのが、上の画像の黒い靴。

数度、過去記事にも載せました。

  

この靴をお店で早速履き、家路に就いた私です。

さすがに疲れ、足の調子も今一つでしたが、無事に家にたどり着きました。

 

わが家の玄関
外出して戻り、最初にホッとする空間です。 

 

翌日の朝が怖くて、覚悟を決めたほど。

恐らく、昨日の外出が災いして、また歩行が困難になっているに違いない、と思いました。

ところが、あにはからんや。

脚の調子は、今までで、最高に良い朝でした。

何故?なぜ?と自問自答しましたが、自分で判ろうはずがりません。

 

突然、私の頭にひらめいたことがありました。

家路に就くとき、買い求めたヨシノヤの新しい靴を履いたのが良かったのでは、と。

科学的な根拠なんて、まるでありません。

自分勝手な思い込みの理由はありましたけれどね。

  

ヨシノヤの靴が、私の体重をバランスよく吸収し、足への負荷を極端に軽くしてくれたのかもしれない、と。

思い込むと、苦境の私には、それが信仰化してしまいました。

何と、私はそれから三日間、、家の中でも、その靴を履いて過ごしたのです。

奇想天外な行動とはこのことです。(笑)

その間、足の調子がとても良くて、しびれも痛みもほとんどありませんでした。

気のせいか、脱いで素足になると、脚の調子が悪くなる感じがしてしまって。

 

今の私には、益々必需品となったショッピングカート。
デザインは気に入っているのだけれど、枠組みが弱くて、いろいろ問題ありです。
スカーフで大きくなりすぎないように止めています。

  

妹に、この話をしたところ、チョッピリ呆れた様子ながら、言いました。

「靴は健康にはとても大切よ。登山しているときも、靴の良し悪しで、疲労がまるで違うもの」と。

 

妹の話は、とてもよく分ります。

けれど、これまでは履き心地より、おしゃれを優先して選んでいた私です。

そのためでしょう。

何度靴に裏切られてきたことか。

履き心地がよくなくても、もったいなくて、無理してしばらくはいた靴もありましたが。

履き込まないうちにギブアップ。

 

履き心地が最高によくて、耐用も抜群。

数十年吐き続けたのが、下のフェラガモの黒い靴。

旅行時に履いても、全く疲れません。

値が張りましたが、こんなに素晴らしい靴に出合ったことはありません。

 

右側がフェラガモのヒールです。
最近一番愛用していたのが左側の靴。
この靴はもう履けないと思うと、なんだか悲しい。

 

でも、もちろん家の中でまで、履きませんでしたけれどね。(笑)

ヨシノヤでは、この靴を履いていたのですが、奨めて下さった靴は、もっともっと楽ですとのことでした。

履いてみて、さほど変わらない感じでしたが、その後の私の絶対的信頼からすると、店員さんの言われる通りなのでしょう。

 

とは言っても、家の中で履いていたのは三日間。

孫宅に出かける日には、また土足にしましたから、さすがに衛生面からも、底をいくら拭いても部屋履きにする気にはなれませんでした。

 

苦境に陥っているときは、わらにもすがりたい心境になるとのことですが・・・・・・。

この度の私の奇想天外な行為も、それに当てはまるのかもしれませんね。

根拠がなければ、そのばからしさに気が付いて見限ることも大切なことでしょうが。

一時的な気休めでも、前向きになれるなら、精神衛生面では、いっときの思い込みも悪くないかもしれません。

 

度々横道にそれ、また長くなりましたが、私の奇想天外のお話は、これで終わりです。

 

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家事の本で、新しい風が暮らしに

2017-09-12 06:53:12 | 暮らし

一日おきの更新で、連続投稿しているわけでもないのに、何だか息切れがしてきた私。

長年にわたり、毎日、投稿している方々の気力と努力に、改めて頭が下がります。

おそらく肩に力を入れず、あっという間に文章を綴られるのでしょうね。

私は、相変わらず書く前は、うまくまとめられるか不安で、自分の語彙不足と教養の貧しさを嘆いてばかり。

長い人生、もっと勉学に励み、読書もすべきだった、と悔やまれます。

そうすれば、感性も語彙も豊かで、ブログ記事なんて、お茶の子さいさいで何か書けたかもしれません。

 

でも今更、この年になって後悔しても、始まらない。

恥ずかしくても、今の自分を飾らないで、正直に綴ることが、唯一の私のブログの良さ?

そう思うことにして、あるがままの心情と暮らしを、今後も綴ってまいります。

 

 

ブログを書く時間帯も、色々試行錯誤を繰り返してきたけれど、やはり起きて間もない早朝が、私は一番集中して綴れます、

でも最近は、目が覚めて一時間くらいは、色々な書物と新聞の切り抜きに目を通す時間に当てています。

私の読書の仕方も、変わっていて、好きな作家の本を何度も繰り返して読むのが好き。

最近は特にその傾向が強くて、村上春樹の本を最後に、古い本ばかり読んでいます。

松下幸之助の「道開くは」は私の座右の書。

毎朝、必ず読まないと、一日が始められないほどの愛読書です。

 

最近、私の読書に、新しい風を吹き込んでくれたのが、「家事の本」。

今までは、この類の知識は私が毎月購入し読んでいる雑誌、「ミセス」と「家庭画報」から得ることが多かったです。

お洒落なインテリアの住まいや食卓風景に憧れ、もっともっと素敵な暮らしを心がけようと、少々背伸びした生活をしていたようにも。

 

 

ところが家事の本は、少々趣が違いました。

もっとシンプルで、内容が実に堅実ながら、清々しい。

丁寧な暮らしぶりが、優しい言葉で分りやすく綴られています。

センスのいい気の利いた写真も、私の心に響きます。

今は二冊、家事の本を必ず早朝に数ページ目を通しています。

 

 

当たり前のことが書かれているようにも思うのだけれど・・・・・・。

当たり前のことがつい疎かになってしまうのも、私の暮らしに見られがちな欠点。

ですから、家事の本を目にすると、とてもよい風が、毎朝、私の心に心地よくそよぎ、今日も頑張ろうとの意気込みにつながっています。

 

 

 実は、今読んでいる二冊の書物を紹介してくれたのは、娘。

或る日の事、私が次女のMちゃんに、言いました。

「私ね、最近、磨くという作業がとても楽しく思えてきたの。少しずつだけれど、毎日、いろんなところをせっせと磨いているのよ。

カトラリーやシルバー製品など、しょっちゅう磨いているわよ。

光沢がますと、自分の心まで磨かれているような快感に浸れて、ストレスの解消にもなるの」

と話しました。

 

するとMちゃんが言いました。

「磨くことは、今の掃除の主流よ」と言って、二冊の家事の本を見せてくれました。

それが家事の本に出合ったきっかけです。

 

 

苦労も多い家事。

或る意味、エンドレスな仕事。

でも専業主婦にとっては、まさに暮らしのすべてと言ってもいいよな日々の作業。

幸いにも、私はこの家事が大好き。

時に逃げ出したくなることもあるけれど、やっぱり日々の家仕事は私の生きがい。

思い切り楽しまなくては、時間の無駄となり、人生の大損になってしまいます。

今後もいろいろ工夫し、新しいキッチン用品も、時には取り入れ、今まで以上に日々の暮らしを充実させたいと思いました。

 

シルバークリーナー用品

 

このような気持ちを一層掻き立てる要因になったのは、私の体の変化も大きいです。

腰部脊柱管狭窄症で、無理がきかなくなってしまったから。

 

一昨日、この病気のお話で、「奇想天外」の言葉を使用しました。

またまたオーバーな表現を使ってしまって、少々後悔したけれど。

適切な言葉ではなかったのでは、と心配しながら、恐る恐る、辞書で引いてみました。

 

考えが普通では思いもよらぬほど奇抜である・こと(さま)。 「 -な計画」

 

この説明を見て、少し安堵した私です。

次回こそ、奇想天外な行動に出た私の事についてお話します。

正にこれぞ、笑い話なのですけれどね。

書くのがなんだか恥ずかしくなり、他の話題で、またワンクッション置きたくなりました。

次回はまた病気の話に戻ります。

 

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自己治癒力

2017-09-10 07:04:45 | 病気

「私の健康年齢の終わり」のタイトルで始まった、私の病の記事。

今思うと、少し大げさな感が致しますが。

症状がひどかった時は、決して誇張に思えないほど、今後の暮らしを深刻に受け止めたものでした。

歩行が、数十歩で困難になってしまうほど、日々の生活の支障が大きかったからです。

最寄りの大きな病院で検査や診察を受けた際も、手術以外、回復の見込みはない。

或は、生活の量を元気な時を10とすれば、6に落とさなければいけない、と言われたほどでした。

 

ところが、その後、意外にも回復は早く、今では以前と余り変わない生活を送っています。

個人医院の医師や鍼灸整骨院の先生のお話では、私の体に回復力がまだあったからでしょう、とのこと。

自己治癒力という言葉が、とても好きな私には、有難いお話しでした。

処方していただいた痛み止めの薬は、私はほとんど服用していませんでしたから、確かに自己治癒力のお蔭かもしれません。

 

家事が普通にできるのが、何よりも安心で、嬉しい事です。

 

娘に付き添ってもらい、二度目の大病院への通院のときは、まだ症状の回復は、安心するほどではありませんでしたが。

その前夜から、痛みもずいぶん治まり、回復の兆しを感じることができていました。

 

その一週間前、個人医院の紹介状をもって妹の付き添いで、この病院に初めて出かけたとき。

数歩歩くと立ちどまって休まないと、辛くて我慢できないほどでした。

 

その回復ぶりに、気を良くした私は、次女の反対を押し切って、病院の診察後、遅れて出勤する娘と一緒の電車に乗りました。

そして、一人でデパートへと。

その様子は、数日前記事にした通りです。

途中で休憩を度々しながら、化粧品、その他の必需品の買い物を済ませ、最後に靴屋さんへと、

デザインは、今一つですけれど、裏切られたことが一度もないお店、ヨシノヤ。

いつも、履き心地は満点です。

 

買い求めた靴を履いて次女宅へ。
最寄りのバス停を通り過ぎ、次のバス停まで試しに、恐る恐るでしたが歩いてみました。
割と元気に歩けたときの感激は、とてつもなく大きかったです。

真夏以外は、徒歩20分かけて娘宅に行っていた私ですが、今後はもう無理でしょうか?

 

ベテランらしき店員さんに、私の症状を詳しく話しました。

そのうえで、病を抱えた私の足に、一番向いた靴を選んでもらいました。

ヨシノヤのパンツ用の紐靴はもっているので、エレガントなスーツにも着用できるようにと、選んだ物が上の画像の靴。

私好みのデザインではなかったけれど、私の今の体に一番ふさわしいものを優先し、妥協の上での買い物でした。

 

帰りは早速その靴を履いて、家路を急ぎました。

急ぐと言っても、それは気持ちだけ。

さすがに疲れ、休み休みの歩行を繰り返し、やっと家に辿りついた私です。

 

翌日の朝が、大変思いやられながらの就寝。

おそらく無理が祟って、歩行が困難になっているに違いないと、思いました。

 

ところが翌日の私の足は、意外にとても元気。

痛みもしびれも、さほどひどくありません。

かすかに感じる程度。

 

最近の私の夕食
ポン酢風味の豆腐ハンバーグ・かぼちゃの含め煮・焼きナス

 

そして私が直感的に思ったことは、ヨシノヤの靴のお蔭かもしれない、と。

この靴が、私の体重をバランスよく受け止め、私の足の負担を最小限に食い止めてくれたのではないだろうか。

素人の訳も分からない理論づけで、自分自身を納得させてしまった私。

そしてそう信じることで、自分の苦境を乗り切ろうとした私が、その日に実行したことは、誠に奇想天外なことでした。

この続きは、明日に回します。

 

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数日前の朝刊の二大ニュース

2017-09-08 07:17:20 | 社会 政治

眞子さまが、ご婚約なさいましたね。

お相手の方の生い立ちや経歴を知ると、眞子さまにふさわしい人なのかしら?と多少の疑問を抱かないでもありませんでしたが。

本人の意思を尊重する、秋篠宮ご夫婦の開かれた態度に、感心もする私です。

眞子さまにプロポーズしたお相手の方の勇気にも。

どうかお幸せな家庭生活を築かれますように、と心からお祈り申し上げたい気持ちで一杯です。

追記

この記事を書いたのちに、この件での情報を色々耳に致しました。

お慶び申し上げていいのでしょうか。

何だかちょっと心配になってきました。

私の今の気持ちを、一言、お伝えしておきます。

 

 

この婚約会見の記事が新聞の一面を飾った9月4日、同時にもう一つ、大きな報道が同じ紙面のトップに載りました。

北朝鮮の水爆実験の成功(?)。

これでもかと言わんばかりの、この国の無謀な政策に、ただただ驚くばかりで、戦慄さえ覚えますが。

一体何を考えているのでしょう。

米国はじめ、世界を相手にして、どんなに国威を示そうと無駄な抵抗をしても、虚しい事であることは金正恩氏が分らないはずはないと思うのですが。

私には、国家の首領たる人の幼児性を思い、なんだか末恐ろしい。

国民の幸せを願うのではなく、ゲーム感覚で、米国をイラつかせ翻弄することを愉しんでいるようにさえ、思えてきます。

このような人の心を入れ替えることは、おそらく不可能か至難の業でしょう。

 

一番恐ろしいのは、完全に自制心を失い、狂気の沙汰に出る事。

余り追い詰めすぎると、何をしでかすかわからない恐怖を感じます。

 

 

「どんなに複雑な状況であっても、戦争は対話で解決できる」

 

昨年、平和ノーベル賞を授与された、コロンビア サントス大統領の言葉です。

対話が、平和への一番の近道だと、私も思いますが・・・・・・。

歴史を振り返ると、なかなかむつかしい事に思え、暗澹とした気持ちにもなります。

 

苦労人の今の韓国大統領 文在寅氏には、少し期待を寄せている私ですが・・・・・・。

反日色はとても強い政治家のようですから、警戒心も必要なのでしょう。

北への彼の努力も、今のところ完全に裏切られていますね。

 

北朝鮮の首領を説得する天才的交渉能力を身に付けた大統領が、韓国にいつか現れてほしいものです。

そうすれば平和ノーベル賞は間違いないでしょう。

同じ血を分けた同胞同士の争いは、余りに痛々しすぎます。

中国の動きも、とても気になるところ。

 

 

喜ばしい変化が、私が生きている間に起きますように。

そうすれば、私も孫たちの将来を心配しないで、安心してあのように旅立てますから。

 

希望は捨てないつもりですが、トランプ大統領ではね~

最悪の事態にならないことを、ひたすら祈るばかりです。

 

私の体の話をする予定でしたが、また別の話題に。

時事は勉強不足で、詳しくありません。

主婦感覚で思い付いた、単純な感想に過ぎません。

間違っているかもしれませんが、ご看過下さいますように。

 

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逞しい娘たちは、私の心の支え

2017-09-06 07:16:38 | 家族

一気に秋が訪れたかののような涼しさ。

短い残暑で、今年の夏は、終わりを告げるのでしょうか。

何だかそれも寂しい。

秋の爽やかな気候は大好きだけれど、意外と短く、その後に長い冬が待っています。

冷え性の私は、夏よりも冬の方が遥かに苦手。

 

今夏も、就寝中に、クーラーをつけたことは一度もありませんでした。

つけたことがないのではなく、元子供部屋だった、今の私の寝室には、クーラーがありません。

窓側の壁の上部には、いつでもクーラーが取り付けられるように、電源は設置されているのですけれどね。

築三十年以上のわが家ながら、いまだに冷房機は取り付けないまま。

 

子供部屋の空調用の電源

 

私は、真夏は、寝る時、首に巻くアイスノンと、手を載せるアイスノン二つで、暑さをしのいで就寝。

それで十分、休むことができます。

 

 

空調をつけたときの、何だかよどんだような空気感が、私はとても苦手。

冬も、空調ではなく、輻射熱でお部屋を暖める、パネルヒーターを使用しますが。

真冬になると、それでは耐えられず、空調の暖房を使うことに。

 

 

娘さんたちは、真夏、クーラーの効かない部屋で過ごしたのですか?、とびっくりされそうですね。

ハイ、その通りです、と答えるしかありません。

熱中症が、夏が訪れる度に、大きな話題となって注目される昨今。

私の子供部屋への対応は、非常識としか言えませんが。

 

私は、硬軟を使い分けた親でしたから、、子供部屋にクーラーを設置することは、子供を甘やかすだけと、その当時は思っていました。

今思うと、厳しさのはき違えだったのかもしれませんが。

娘たちは、そのことで、私に不平不満を言ったことは一度もありませんでした。

大学の受験勉強も、日光が燦々と差し込む、クーラーのない部屋で,汗を流しながら、夜遅くまで勉強に励んでいました。

 

長女の勉強机。

 

そのせいで逞しい体になったのでしょうか。

娘達は二人とも、細身ながら、とても丈夫。

社会人になってからも、風邪一つ引かなくて、可愛げがない体と嘆いているほどです。

 

初孫のR君の事で、忘れられない夏の思い出があります。

夫とR君を連れて、三泊四日の九州旅行に出かけたときの事。

そのころは、よくタクシー観光をしていたのですが。

タクシーの運転手さんの案内で、観光を終え、車に戻った時、孫が言った第一声が、「クーラーをつけて!」でした。

私の教育観では、ちょっと許せないような孫の態度で、ビックリ!

恥ずかしく思いましたが。

その時、R君に、その言葉をたしなめたかどうかは、記憶にありません。

可愛い孫の事ですから、おそらく見過ごしたのでは。

今の恵まれた子供たちにとっては、真夏をクーラーのない部屋で過ごすことなんて、考えられない事なのでしょう。

 

 

私が厳しさ、優しさを使い分けて育てた娘達は、私の期待以上に、心身共に逞しい女性に成長してくれました。

今では力関係も逆転。

私はかろうじて、親の威厳を保っている、といたところでしょうか。

 

年を重ね、頼りにしていた夫にも先立たれた今、娘たちの存在は、私の心の大きな支えです。

とは言っても、二人とも、国内、海外の出張も頻繁にこなすバリバリのキャリアウーマン。

そして子育ての真っ最中で多忙を極めています。

手伝ってなんて、とても言える立場ではありません。

私が、少しでも協力し、手助けをしてあげなければ、と思うほど。

 

今はそんな状況ですが、先週の週末の土曜日には、長女が手伝いに来てくれました。

その旨、朝、電話があった時は、

「家事は順調に捗っているから、心配しなくても大丈夫よ。

脚の調子も割といいから。でもよかっらた遊びに来て。

おしゃべりできるだけで嬉しいから」

と答えました。

 

次女は、徒歩圏内に住んでいて、毎週末は共に夕食をしていますが、長女の住まいは都心にあり、めったに会えません。

ですから、時々長女のMちゃんと孫恋しさに私は陥りますが、たまの電話のやりとりで、その寂しさを補っています。

 

結局、なんだかんだと色々手伝ってもらい、大助かりの私でした。

Mちゃん、ありがとう。

また遊びに来てね。

 

 

私の今の夢は、孫たちが成長し、親の手を離れ始めたなら、娘と三人で、デパートのショッピングを愉しんだり、旅行にに出かける事。

その様な余裕時間を娘たちが持てるようになるのは、まだ十年くらい先の事でしょうか。

それまで、心身ともに健康でいたいと思っていましたが。

一時は、そのうち、杖、車いすの生活も懸念されるほどでした。

ところが今、左脚は、多少の一進一退はあるものの、着実に快方に向かっている感じがしています。

でも、無理をすると、すぐ壊れてしまいそうな現状の体

腰部の神経を苛立たせないように、注意を払いながら、暮らしていくしかありません。

 

病気の話が続くと、辛気臭くなってしまうので、今日は話題を少し変えてみました。

次回の記事は、また腰部脊柱管狭窄症の話しに戻ります。

 

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今の病も、元気に乗り越えなくては

2017-09-04 07:31:16 | 病気

足が痛み始めた当初から、きょうに至るまでの経過を大まかに振り返ってみたいと思いましたが・・・・・・。

その前に、今、私がこの病気に抱く思いについて、いろいろ気の赴くままに書くことに致します。

 

知人の話や、身内の話では、この病を患っている方は、結構おられるようでした。

ですから、シニアーの方々が、私のブログを読んで、幾分でも参考にして頂ければ幸いです。

老化現象の一つのようですので、お若い方々には余り関係のないことかもしれません。

50代あたりから、特に女性に多いとのこと。

私が耳にしたのは、皆さん70代の男性でしたが。

 

病院の整形外科の医師のお話によると、とても行動的な人、スポーツ好きの人などは、手術を希望されるとのことでした。

幸いにも、私はおうち大好き人間。

家の中で、こつこつ家事に励み、後は自分の好きなことをマイペースで愉しむのが何よりも幸せ。

と言った、安上がりな暮らしで、大満足できる人。

ですから、思ったほど大きなショックは受けていません。

 

妹が、「自分が同じ病を患ったなら、お姉さまの数倍打撃を受けそう。

だから、今なら手術を受けるかもしれないけれど、お姉さまの年齢だったら、非常に迷うと思うわ。

恐らく保存療法の道を選択する気がする」

と言っていました。

 私は、数年前に圧迫骨折したときも、驚きでしたが、今回も戸惑いは隠せず、色々不安になりました。

 

目地があまりきれいでなくて恥ずかしい。お掃除もしないで、撮りました。
築30数年のわが家ですから何て。見苦しい弁解。(笑)

 

人の体は、非常に繊細。

色々な要因で、色々な病気に見舞われるのは、人間の宿命。

老いると、ますますその傾向が強くなるのでしょう。

 

改めて自分の体の内なる声に耳を澄ませ、もっともっと、自分をいたわってやらなければ、なんて殊勝なことを思いました。

なぁ~んて良いことを言ってみたものの、ずぼらでいい加減な所もある私の事。

暮らしは、恐らく今までと余り変わりない、と思います。

遠出を避け、益々スローな暮らしになるのかもしれませんが。

今まで通り、計画的な暮らしを送れば、それなりに充実した毎日を過ごすことができるのでは

 

二年前でしたか、圧迫骨折したときは骨密度を測ってもらいました。

その時の結果は、私の年齢の平均値より、ほんの少しだけでしたか、高く、骨粗しょう症とは言われませんでした。

タニタの体重計によると、体年齢は58歳。

その数値は下の通りです。

 

体重・BMI

 

体脂肪(やせ)・筋肉量(標準の真ん中)

 

   

内臓脂肪(非常に低い)基礎代謝量(標準の上限)

体年齢(実年齢は73歳です)

ブログに載せようと思って測った入浴前の昨夜に限って59歳になりました。
いつもは、ほとんど58歳です。

 

 数年前、息苦しさや、食欲不振、異常な首のだるさなどに見舞われ、個人の医院や大病院でも度々診察を受け、そのたびに血液検査もしてもらいました。

その結果は、幾分貧血気味なだけで、すべての数値が正常、問題なし、と言われたものでした。

ですから疲れやすい体質を持て余し、事実過労で、緊急入院も数回している私ながら、私は健康なのだと思っていたのですけれどね~。

 

ところが、骨がぽきぽき折れる(笑)、この4~5年の現象。

何故なのでしょう?

圧迫骨折の前には、肋骨の骨を折ったこともありました。

腰部脊柱管狭窄症は、骨折とは少々ニュアンスが異なるようにも思いましたが。

 

思い起こすと、最近、玄関ポーチの外階段で、何度も転んだ私。

肋骨を折った時は、水のたっぷり入ったじょろを持ち、ガーデンチェアーの上に立ち、ハンギングのお花に水をかけようとしたとき、体のバランスを崩し、タイル敷きの庭に叩きつけられるように落下。

他で思い当たることは、出かけるときの私のバッグの重さ。

妹がいつも呆れ返っていました。

 

自分の不注意な行動と、年齢を考えず、体に負担をかけすぎの暮らし方ゆえんの病かもしれない、と思えてきます。

今後は、もっと気を付けましょう。

 

 

けれど、私は意外と逞しい。

いつも心配になる事態に見舞われても、毎日の暮らしはいつも通り。

痛い痛いと言いながらも、日々の過ごし方はほとんど変えません。

落ち込むこともあんまりありません。

心配し過ぎて、神経質な暗い気分になると、苦労がますます大きくなって、何もいいことがありませんから。

 

この精神で、今の病気も乗り越えられるといいのですが。

今回は、長いお付き合いになりそうなので、今までの事とは少々趣が異なりそう。

色々対策を練らないといけないかもしれませんが。

私の精神力で完治できないでしょうか?

余りに非合理な期待かも知れませんけれど。

 

今後は、整体院だけは通い続けようかと思っています。

病院の医師のお話では、鎮痛剤は体に良い薬ではない。

飲んでも気休めに過ぎないかもしれない、と言われています。

先生に言われるまでもなく、私はこれまでも極力、薬は飲まないようにしてきました。

その点、整体は安心ですね。

どこまで効果があるのか分かりませんが。

今後も週に二回、孫宅に通うつもりですので、そのついでに整体を受けようと思っています。

 

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私の健康年齢もついに終わり?

2017-09-02 07:59:42 | 病気

きょうは、私にしては、結構深刻なお話を致します。

私の健康年齢の終焉について。

なぁ~んて、ちょっと大袈裟かもしれませんが。

一進一退の今。

まだ今後の回復に、一縷の望みを託している私です

 

でもやっぱり、いよいよ老化へとまっしぐらなのかしら?

心配と不安で、時々気分が落ち込みますけれど、立ち直りも早い私。

少しでも前向きに捉えて、今後の暮らしを築きたい。

そのために、突然降りかかった身体的なハンディと、いまからどのように付き合っていこうかと、真剣に模索中です。

 

 

その乗りこえるべき課題とは、私の身に突然起きた脊柱管狭窄症という病。

この病気については、きわめて簡単な説明にとどめますね。

余り丁寧に書く気になれませんから。

腰部脊柱管が数か所、何らかの原因(ほとんどが高齢化に因るもののようです)で狭くなり、その中を通っている神経に障り、そのせいで、足がしびれ、痛み、歩行に支障を来たします。

事実今の私は、数十メートル歩くと、左脚が痛みだし、まともな姿勢では前に進めなくなってしまいました。

前屈姿勢だと歩けるのですが、そんな姿勢になってまで、外を歩きたくない私。

ちょっと困りました。どうしましょう。

外出だけが不自由。

 

不思議で、家では、普通の姿勢で家事ができます。

ガーデニングも浴室の掃除も、多少の痛みを我慢すれば平気。

けれど、炊事で、長い間立ち通しだと、左足の痛みが辛くなってきます。

ですから傍に椅子を置いて、その上に足を片方だけ載せて、洗い物をしたり、野菜を刻んだりと。

何とも無様な格好で、淑女らしからぬ、人には絶対お目にかけたくない姿(笑)

わたし淑女だったかしら?(笑)

そうすると、楽なんですもの。

仕方ありません。

旅行なんて、とんでもない、といった感じになってきました。

 

 

けれども、一昨日は、次女に同行してもらい、大病院の診察を受けた後は、デパートへ何とか電車で出かけることができました。

その前日から、少し調子が良かったので。

次女には止められましたけれど。

化粧品等の必需品がいくつか切れ、どうしても買い物に出かけたくて。

無理を承知で、無謀ともいえる遠出の外出を、勇気を出して決行しました。

どうしてもつらくなったなら、遠距離ですが、タクシーを利用して帰るつもりでした。

 

休み休みのショッピングでしたが、無事に目的が果たせた私です。

結構浪費してしまいましたけれど。

いえ必需品でしたから浪費ではありません。

 

化粧品~エスティローダーのクリーム 数万円、シャネルの口紅とペンシル、7688円、ワコールの下着一式、23436円、カルバンクラインのストッキング三足、2160円、昼食、とんかつ定食、1550円、スターバックス 884円。

まるで武田百合子の「富士日記」みたいな記述ですね。

無駄遣いは、外食と喫茶代くらいかしら。

 

ワコールの下着は、今後毎週整体に通うつもりなので、そのために下着を一式新調することにしました。

そういえば、もう一つありました。

靴を一足買いました。

これが、選ぶのに大変苦労し、一番悩ましい買い物でしたが、今の私にはとても大切な物。

デザインのセンスが今一つのお店ですが、一昨年あたりから、愛用しているヨシノヤに迷うことなく直行。

お店の人に、症状を話して、私の体に合う靴を選んでもらいました。

 

最近は、左の紐靴ばかり履いていました。

 

私の心が動いたデザインの靴は、すべてっ私の今の足には向かないといわれ、悲しい妥協の末、購入したのが上の画像の黒い靴。

29000円+消費税。

私はその店に登録しているので、ここから5パーセント割引してもらえました。

 

着圧のストッキング。
伝線しにくくて、足のむくみも取れるため、ここ数年間、私は愛用しています。

 

その後、その靴を履き、すっかり疲れた脚をかばいかばい、帰宅した私です。

帰宅してからも、デザインが今一つ気に入らない靴の事が気になって仕方ありませんでしたが。

その靴の素晴らしさに翌日、気付くことに。

 

次回はこの靴のことと、なぜ私が回復にまだ望みをかけているかについて、これまでの症状の経過をお話しながら語らせていただきます。

整形外科の先生には、手術以外回復の見込みはないと言われていますが。 

私は、現状維持で、保存療法を続けることになりそうです。

手術はできるだけしたくありません。

 

昨日は、とても調子が良くて、回復の希望を一層抱きました。

妹が記事にしている、31日のカープ・巨人戦。

http://blog.goo.ne.jp/yumeji_2014

一緒に行くつもりでとても楽しみにしていたのに、上記の事情で行けなくなってしまいました。

今回は残念だったけれど、またの機会には、元気になって、是非観戦したいです。

 

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