今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

続 チョッピリ悩ましい同窓会~補聴器について 

2019-06-30 07:10:19 | 暮らし

日常の暮らしでは、自分の耳で困ることは、私はほとんどありません。

テレビの音声も、普通に聞こえます。

恐らくボリュームは、普通の音量より大きいのでしょうが。

夫に幾度か、注意されたことがありますから。

電話の声は、聞き取りにくくて、受話器を幾度も耳に当て直すなんてことは、しょっちゅうですが

割と最近のこと、長女と少し離れて会話をしているとき、Mちゃんが驚いたように言いましたけれどね。

「私の話が聞き取れないの?」と.

 

一番困るのは、騒々しい環境の中にいるときです。

同窓会、ママ友達のお食事会などがそれに当たります。

レストランですと、周りの雑音が色々耳に入りますから。

 

 

この度のミニ同窓会は、楽しいはずですのに、とても疲れました。

その後、二日間くらい、疲労で体調が思わしくなくて。

風邪気味だったということもあるでしょうが

昼食後の仮眠は、いつもより多めに取り、疲労が蓄積しないように努めました。

 

やっと元気になり、整骨院と内科クリニックに出かけるときのことです。

大手スーパーのエリアの一角にある、眼鏡店の広告が目に留まりました。

補聴器のセールのようです。

そこに、聴覚の検査を無料でします。

補聴器も無料で試せます、と記されていました。

思わず心惹かれ、お店の中へと。

今の私の聴覚の状況を説明し、無料コースの検査と補聴器のお試しをさせてもらいました。

 

 

検査の結果は。

「多少難聴の気がありますが、ひどくはありません。

中間の音の聞こえが、一番悪いようです。

中間の音とは、人が会話するときの声量です」

との店員さんの説明。

 

ごもっとも。

私は心から納得しました。

その通りだからです。

会話が聞き取りにくい。

 

随分前のことですが、妹と観劇にに出かけた事があります。

その時、役者さんのセリフが良く聞こえなくて、その時間を、とても虚しく感じたことがありました。

集中力が、私は異常に欠けているのかもしれない、とさえ、思ったものです。

 

さて、補聴器を試した感想はどうだったでしょう。

店内はお客さんは私一人だけ。

とても静かでした。

ですから、その状況では、聞こえが良くなったのかどうか、判りませんでした。

但し、違和感はなく、しいて言えば、自分の声が美しく反響してくること。

自分の声がいつもよりきれいに響き、相手の人の耳元にしっかり届いているのでは、といった安心感が持てそうでした。

 

ところが、その補聴器の価格を聞いてびっくり。

二十数万。

店頭で宣伝されていた安い補聴器を念頭に入店した私でしたので、驚きましたが。

ある程度は承知していた私です。

 

 

ママ友さんのお食事会後の電車内でのこと。

途中までご一緒だった方に、席の前の奥様Mさんの話が、ほとんど聞き取れなかったことを話したところ、

その友がさりげなく耳に手を当て、手のひらの上に、小さな物体を置かれました。

何と、小さな補聴器だったのです。

 

彼女が、補聴器を使用しているなんて、とても意外な事でしたが。

利用し始めるまでの経緯や価格を、詳しくお話しして下さいました。

何と何と、価格は、60万。

びっくり!

今の私には、あまりに高すぎる値段。

夫が居てくれれば、さほど気にしないで、飛びついたかもしれませんが。

彼女の奨めなら、心から信用できると思ったからです。

 

でも私は、そのように高額な補聴器を買うことには、疑問を抱いています。

何故なら、夫の従兄弟にあたり、郷里に在住する元医師のN先生のお話では

「数十万もする補聴器を求める必要はない。

パイオニアの集音器は、数万で買え、非常に性能が良いので奨めます」

とのことでした。

 

もう90歳になられる方ですが、毎年お盆で帰広の際は、ご挨拶に伺っています。

その時、再度ご相談してみますね。

 

今後、この事は、私には悩ましい課題になりそう。

ベストの対処方法が、どうか見つかりますように。

 

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続 チョッピリ悩ましい同窓会 

2019-06-28 07:19:33 | 

同窓会がとても疲れる理由について、今日は記します。

疲れると言いながら、毎年、東京のミニ同窓会には、常連の一人として、ほとんど出席している私。

この同窓会が発足した理由は、7年前、私が高校時代、親友だったIさんの突然の死です。

ある日、彼女を交えて、7~8人の同窓生が、お食事会をしたそうです。

私はその会には出席していませんでした

 

ところが、その時はとてもお元気だった彼女が、その二日後に急死なさったのです。

会食ののメンバーだったお一人から、訃報の連絡がありました。

私は、彼女とはとても親しかったので、大変なショックを受けたまま、葬儀に参列したのですが・・・・・・。

その葬儀直後に、彼女を偲ぶ会をすることとなり、葬儀場に隣接する会席料理店に、十数人の同窓生が集まりました。

 

亡くなったIさんは、ふくよかで華やか。心優しくて上品。
そんな雰囲気のする、とても美しい人でした。

 

京都で同窓会があった時の、Iさんとの写真です。

 その時、いつも世話好きで明るいH君が、

「いつ僕たちにも、あの世からお迎えが来るか分からない。

今後は一期一会のつもりで、年に一回会いませんか」

との提案がありました。

同席した人たちは、みんな賛成。

この時のメンバーが中心となり、他の同窓生にも声をかけ、ミニ同窓会がその後、東京でも年に二回行われるようになりました。

 

本当は少しぼかしを入れたいのだけれど、今のパソコンには、その機能がありません。

 

私がこの会に毎年参加する理由は、大好きだったIさんの面影や思い出を大切に思うあまりかもしれません。

私は、賑やかな集団は苦手な方。

積極的にしゃべることができません。

今の年齢になっても、男性は特に。

身内は、別ですけれどね。(笑)

 

そうは言いましたが・・・・・・。 

今春、同窓生のN君のお別れ会に参列するために、帰省することになった時のこと。

小学生時代、亡くなったN君同様に、母子ともにとても仲良しだったH君から、帰広の前日、声がかかりました。

前の夜、一緒に食事をしませんか、と。

喜んで承諾しました。

 

このブログでも、以前ご紹介したことがありますが。

郷里の市政の局長として、いろいろな部署で大変活躍された人です。

大学も、夫や娘たちの後輩、先輩に当たられます。

とても教養豊かで、社会経験も豊富。

お話し相手として、こんなに素晴らしく、身のためにもなる方は、そんなにいません。

H君も、私との会話を、とても愉しんでくれているのが、何となく雰囲気から分かります。

静かな環境で、人数が少なければ、男性の方でも私は饒舌になれます。

  

でも集団になると、静かになってしまう私。

女性の集まりでも、その傾向があります。

本来、私は内気なのかもしれません?

耳の聞こえが怪しくなり始めてからは、益々大勢の方がいる場所は、苦手になってきました。

話が聞き取れません。

話しかけられると、全神経を集中して、それを聴き取ろうとするため、異常に疲れてしまいます。

 

 女性の参加者は、前回とは、かなり異なりますね

 

ですから、私は同窓会や十数人の集まりの時は、会話に加わらず、にこにこ笑って、聞き役に徹するのが一番気楽。

楽しい雰囲気に浸らせていただいているだけで、出かけた甲斐がある、というもの。 

いつもそう思っているのですが、今回は、男性の同窓生が、私のもとにわざわざ寄ってきて、数十分話しかけられました。

聴き取るのが、わたしはやっと。

私も努めて話すようにしましたが、同窓会が終わり、帰宅すると疲労が半端ではなくて。

二日間くらい、体調がすぐれませんでした。

 恐らく静かな場所で、このS君とも話せたなら、心から愉しめたでしょうに。

 

小学校時代、同じクラスだったMさんは、以前はこの同窓会の常連でいらっしゃいましたのに。

最近は欠席がちです。

彼女がおっしゃるには、「相手の人の話が聞こえなくて、最近は苦痛になってきたの」と。

彼女の気持ち、とても、とても理解できます。

 

次回は、この流れで、補聴器のお話を少しさせていただきますね。

 

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チョット悩ましい同窓会

2019-06-26 06:57:11 | 

六月の初旬に、小中高のミニ同窓会に出かけてきました。

私の母校は、某国立大学の付属校でした。

小学校から入学すると、高校までエスカレーター式に進級できます。

ですから受験勉強らしきことは、私は、全くと言っていいほどしていません。

大学も推薦入学でしたから、本当に安易な道に甘んじて学生生活を終えました。

 

そのせいか、中高時代は、根無し草のように自我の弱い、意志薄弱な学生でした。

思春期特有の不安定さで、悩んでばかりいたようにも。

自分に根拠などまるでない自信があり、のびのびと学園生活を送れたのは、小学生時代だけ。

小学生の時だけは、成績も優秀で、トップクラスにいられました。

 

 

けれど、中学になると、次第に急下降。

英語だけは、自宅前にお住いの、ドイツ文学の大学講師でいらしたK先生の指導のお陰で、常に良い成績を収められました。

でも他の科目は、だめ。

とても疲れやすい体質の上、情緒不安定も相まって、下がっていく一方。

高校生になると、一時期学校に通えなくなったこともあります。

 

自信が無くなった理由は、色々ありますが、中高校が西日本で屈指の進学校だったこと。

クラスの半数以上が、その優秀な学生で占められ、自分の愚かさを痛感したからだと思います。

 

小学校との環境ののギャップが、私にはひどすぎて。

どんどん委縮していく一方でした。

 

 

結婚して年数を経てのことですが。

夫のYさんが、下記のようなことを言い放ったことがあります。

ちなみに夫は、同じ中高で、外部生。

難関の中学受験を突破し、同窓生の話では、いつも学年でトップの成績だったようです。

 

夫の放った言葉とは、

「内部性など、まったく眼中になかった」

 

皆さん、余りに失礼な物言いだと思いませんか。(笑)

私、言い返しました。

「じゃあ、なぜ私と結婚したの???」

 

 

自信喪失甚だしく、私には少々暗かった中高時代。

その同窓会です。

小学校の同窓生も、もちろんいます。

中高は、クラスは五組ありましたから、おとなしかった私は、まったく記憶にない人も。

でも、今となっては、内部性も外部性もありません。

とても和やかでくつろいだ雰囲気なのですが、私は今一つリラックスできないものがあります。

 

その理由は、長くなるので次回に回させていただきます。

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紫陽花の想い出

2019-06-24 07:12:18 | 想い出

数年前、鎌倉の長谷寺を訪れた時の紫陽花の画像です。

 

しっとり濡れた風情が美しいアジサイ。

正に梅雨の風物詩。

道行く庭先の至る所で、鮮やかなアジサイを目にする頃となりました。

長雨の季節ながら、清涼感漂うアジサイを見ると、雨のうっとうしさも蒸し暑さも癒されます。

 

我が家の庭にも、アジサイが一つだけですが、植えられています。

真っ白な、カシワバアジサイです。

純和風というより、西洋的な趣がする花姿ゆえでしょうか。

我が家の庭に、とてもよくマッチしています。

 

 

実はこのアジサイをあと数本植えたくて仕方ない場所があります。

その場所は、和室の前の坪庭。

ここに、鮮やかなブルーやピンクのアジサイを植えたら、障子越しに映るお庭の風景が、どんなに明るくなるでしょう。

ガクアジサイも植えたいです。

この気持ちを抱く時、想い出す懐かしい場所が私にはあります。

 

 

夫の実家です。

郷里は、同じ広島でした。

その実家は、市の中心の繁華街から7~8分の、とても便利なところにありました。

開業医だった義父です。

玄関の扉を開けると、そこは患者さんの待合室。

目の前に受付の窓口がありました。

左側に診察室。

右側の廊下を通り抜けると、二部屋の和室の奥に、北向きの少し薄暗い、やはり和室がありました。

お邪魔した時の夕食のひと時は、いつも、その北向きの部屋で持たれました。

床の間もあり、掛け軸がかけられていましたから、その部屋が客間だったのでしょう。

 

 

義父は医師でしたが、文学への造詣が深くて、とても博学。

夫と違い、話し好きでなかなかの社交家でした。

その人柄のせいでしょう。

広島の医師会でも、とても活躍をした人のようです。

 

北向きの和室での団欒のひと時。

義父の教養豊かなお話は、とても勉強になりました。

 

 ガクアジサイ

 

その和室の先に、小さな坪庭がありましたが。

繁華街に近い場所でしたから、その庭の周りは高いビルの建物で囲まれ、日当たりは良くありませんでした。

一方、南側に面した庭は、目の前は広い公園。

日がとても良く当たり、藤棚がありました。

 

梅雨の時期になると、薄暗い方の庭には、ガクアジサイが、鮮やかな色の花をつけたのです。

何だかはかなげで、だけど凛とした花姿は、私の目をいつも引きつけて離しませんでした。

今も忘れられない思い出です。

 

アジサイの想い出は、人それぞれおありでしょうが、私にとって一番印象的だったのは、夫の実家のこの紫陽花かもしれません。

 

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一眼レフのカメラだけれど・・・・・・ 

2019-06-22 07:13:35 | 暮らし

この度の新潟・山形地震で被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。

お見舞いの言葉が、遅くなり誠に申し訳ありません。

令和の時代は、災害の少ない時代になってほしいと願いましたが、自然は容赦ありませんね。

いつ我が身かと思うと、とても怖くてなりますが。

そのような状況にあられる方達が、皆さん冷静に逞しく、その厳しさに臨んでおられる姿を見て、私はいつも励まされます。

自分もそうありたい、と。

くれぐれもお体にはお気をつけて、頑張ってください。

穏やかな日常が一日も早く戻られますようにと、ひたすら祈っております。

 

      

 

私のカメラは、キャノンの一眼レフです。

私は、明らかに右脳人間。

左脳は芳しくありません。(笑)

ですから、芸術性が関係あるカメラ撮影は、努力すれば、多少腕が上がるのでは、と思っているのですが・・・・・。

努力らしい努力もせず、一眼レフのカメラを持つようになって、もう十年近くになります。

カメラ教室に通ったこともなく、もちろん個人的なレッスンを受けたこともありません。

カメラ撮影の雑誌を数冊持っているだけです。

 

 

でも右脳人間の私ゆえでしょう。

構図が良くて雰囲気のある写真を撮りたい、との願いはいつも心の隅にあります。

でも思うようにはいかず、進歩も余りありません。

最初の頃よりは、多少上手になったでしょうか。

その程度にすぎません。

 

一眼レフのカメラを買った理由は、妹の影響で、ブログに興味を持ち始め、ついに開設することになったからでした。

妹は、

「一眼レフのカメラなんて必要ないわよ。

ブログは、コンテジで十分間に合うわよ」

と言いましたけれど・・・・・・。

左脳人間の典型のような妹と、私ではおのずと考え方にも違いがあります。

私は、少々こだわりが強い方。

どうせ持つなら、いいカメラを買って、いい写真を撮りたい、と願いました。

 

レンズをいくつか揃えましたが、ほとんど活用していません。
奥の大きなレンズを利用することが一番多いですが。
外出の際は、重たすぎて、今の私は、持ち運びは無理です。

 

でも購入した頃と、今ではほとんど進歩は見られないなんて、何だか悲しい。

勉強らしい勉強は何もしていないので当然なのですが。

個人レッスンを数回でいいから受けようかしら、と思ったこともあるけれど、支払う授業料が、何だかもったいなくて。

カメラへの思いは、きっとその程度なのでしょう。

 

とは言っても、公開ブログに載せる写真です。

拙文への後ろめたさを美しい画像で補いたい、との気持ちはあります。

そのために、満足からほど遠い写真でも、掲載してしまう私。

 

こんないい加減な私ながら、最近、友人の一言で、とても参考になったことがありました。

「目からうろこが落ちた」と言ってももいいかもしれません。

 

チキンのハーブ焼き・ニース風サラダ・アスパラガスのベーコン巻き・いんげん豆と野菜のスープ

 料理ブログの画像がボケることが多くて、悩ましかった私だけれど。
手がぶれないように気を付けたところ、以前より画像の輪郭がはっきりし、鮮明になった気がしています。

 

中高のミニ同窓会があった時のことです。

カメラ撮影が学生の頃から趣味だった、という方に、私は言いました。

「カメラのピントは合いましたのサインが出たから、シャッターを押したつもりなのに、よくピンボケになるのよ」と。

すると、その方がおっしゃいました。

「恐らく手がぶれているんじゃないの」と。

 

 

すとんと、その言葉が胃の腑に落ちました。

当たり前のことなのだけれど、私は疎かにしていたことだ、と。

それ以来、脇を締め、息を止めるほど、体を固定して、シャッターを押すように心がけたところ。

 明らかに画像が前より鮮明に。

何だか、写真を撮るのが今までより楽しく、心が弾むようになりました。

 

 

専門的なな知識は何も身に付いていない私だけれど、ちょっとした心がけで、画像の写りは幾分でもよくなるものなのでしょうね。

良い写真を撮りたいとの思いを忘れることなく、気づきを大切にして、少しでも上達できると嬉しいです。。

 

カメラもそろそろ買い換えたいのだけれど、他にもっと欲しいものがある私。

いつのことになるか、見当もつきません。

 

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お誕生日と母の日の娘達からの贈り物 

2019-06-20 07:09:33 | 家族

その後、随分日が経過し、過去のことになりましたが、母の日、皆様は如何お過ごしでしたか。

私が小学生時代の頃は、胸に赤いカーネーションを付けた、と記憶していますが。

最近では.カーネンションを母に贈るのが主流のようですね。

花屋さんの店頭には、母の日が近づくと、カーネーションの鉢植えやブーケがたくさん置かれています。

胸に飾る慣習は、今ではもうないのでしょうか?

 

私はなぜか、カーネンションは、若い頃から、余り心惹かれる花ではありませんでした。

ですから、母に贈った覚えはありません。

でも母の日とお誕生日を、妹と、とても大切にしていました。

結婚後は、郷里を離れ、めったに両親には会えませんでしたから。

感謝の気持ちを形にして表すことができる掛け替えのない日、と妹と共に強く思っていたのです。

 

 次女から贈られたお花のブーケ
色合いがとてもとても素敵!

 

母の日やお誕生日が近づくと、都心のデパートのお店を長い時間かけてみて回り、物色。

選択の主導権は、何となく、私が握っていました。

姉の立場ゆえでしょうか。

プレゼント代も、私の方が進んで、多く払っていました。

 

母に喜んでもらえそうなものが見つかると、心から安堵。

その後はランチ、お茶を一服と、心行くまで午後のひと時を二人で愉しんだものです。

子供たちが幼い頃は、そうも、なかなかまいりませんでしたけれどね。

 

 

さてこの度の母の日は。

長女からは、毎年と同じく、スターバックスのコーヒーセット。

次女は、イタリアンレストランで夕食をご馳走してくれました。

お花のブーケも。(上の画像)

 

スターバックスは、主人が存命中は、日常の買い物に出ると、必ず寄って一服するほど好きお店でしたが。

一人暮らしとなった今は、気楽には、なかなか入れません。

ですから、節約生活を心がけている身には、一層有難い贈り物です。

母の日の数日前、我が家を訪ねてもくれました。

そして、ランチもご馳走になりました。

 

私は、お誕生日と母の日が近いです。

娘たちに負担をかけるようで申し訳なく思う一方、何だか、いつもとても愉しみ。

ついつい心待ちにして、期待してしまいます。(笑)

 

 次女家族と出かけたイタリアンレストラン

 

この度のお誕生日のプレゼントは、素晴らしいものを娘たちから戴きました。

とは言っても、予算を聞き、選んだのは私ですが。

キナリのコットンのベッドカバーです。(前の記事と重複で、ごめんなさい)

正に私が理想に描いた色調のベッドカバー。

嬉しくて、嬉しくて、ご満悦。

死ぬまで、大切に大切にしようと思っています。

これを機に、観葉植物を置いたり、素敵な絵画を壁にかけたりして、もっと雰囲気のあるお部屋にしたいのですが。

 

私が言ったことを可愛い声でオウム返しするくまさん。
私のマスコットです。

 

今年は年初から出費が多く、買い物が今はままならないです。

春からこんなに余裕がないのは、夫が亡くなって初めてのこと。

年の後半になると、もっと楽になるでしょう。

年間計画はしっかり立て、私は予算生活を送っています。

ですから、先のことまで見通しは立てられます。

 

年金収入だけで、今の身の程に合った暮らしをする。

これを、私はモットーにしています。

そのため、今は緊急事態で(笑)、ささやかな買い物さえためらってしまい、少々節約疲れしています。

 ですから、娘達からの贈り物は、ますます嬉しくて。

いつもいつも、本当に有難う。

 

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風邪を軽んじてはいけない~三途の川を渡りかけたことがある私 

2019-06-18 07:06:00 | 病気

今日の記事は、しばらく前に書いた内容と、多分重複していると思います。

実はすでに7~8記事、下書きをしています。

投稿の順番が適当になってしまって。

お読み苦しいかと思いますが、ご容赦ください。

 

今年の春は、今一つお天気が安定せず、気温差も激しい日々が続きました。

春うららとは、行かなかったのではなかったでしょうか。

私はそのせいか、体調が今一つ。

その内に、風邪の症状があらわれ、鼻水と咳が出始めました。

風邪をひくのは数年ぶり。

夫の49日の法要後、妹と尾道の小旅行に出かけている途上でダウンした時以来のことです。

 

体力には全く自信のない私ながら、大きな病気はむろん、風邪もめったに引きません。

本格的に体調を崩すのは、珍しい事。

ぐったりの疲労感は、日常茶飯事のことなんですけれどね。

 

 

 載せる画像が乏しくなってきて悩みます。
最近の献立写真で凌ぐことに。

金目鯛の煮つけ・冬瓜のえびそぼろあんかけ・かぼちゃの含め煮・焼きナス・きゅうりとカニの酢の物・五目御飯

一人暮らしですから、毎日こんなご馳走を食べているわけではありません。
でも週に1~2度は、料理に力を入れています。

 

いえいえ、そんなことは言えない、私の体でした。

脊柱管狭窄症という病名の症状と付き合い始めて、もう二年近くになりますもの。

いつ歩けなくなるかと不安におびえながらも、楽天的な性分の私。

あまりくよくよせず、上手に付き合ってきたつもりです。

これは外科的なことで、老化現象の病と割り切っているところもあり、あきらめの達観と言えばいいでしょうか。

 

しかし、風邪は決して軽んじてはいけません。

極度に体が疲労している時に、インフルエンザに見舞われたりすると、思いがけない重症になることもありますから。

私は次女が中学受験で合格発表があって間もなくのこと。

風邪をこじらせ、三途の川を渡りかけたことがあります。

 

次女の受験、マイホームの新築、義父の介護のため、郷里に度々出かけたり、と人生の縮図のような様相を呈した暮らしの時がありました。

その疲労困憊しきった体に、インフルエンザが感染。

或る晩突然、呼吸が虫の息に。

そのまま誰も気づかず、昏睡状態に陥っていたら、私は冷たくなっていたかもしれません。

 

 

何と気づいたのは、私自身。

真夜中に目が覚めると、呼吸が深くできない。

心電図が、波動を作らず直線になる。

そんな雰囲気でした。

大きな重しが胸に乗っかっているように感じられました。

でも不思議と苦しくなかった私です。

 

やっとの思いでささやき、隣に寝ていた夫に、救急車を呼んでほしいと、自らお願いしました。

その時点で、血圧は40まで下降し、手足は冷たくなりました。

その後、数日間、酸素吸入器を付けたまま入院。

蚊の鳴くような弱々しい声しか出せませんでした。

 

他でも過労で倒れ、数回入院しましたが、強運が幸いしたのでしょうか。

今は、割と元気です。

75歳ながら、タニタのヘルスメーターでは、体年齢は60歳から62歳あたりを行ったり来たり。

強運が、このまま続いて、私は長生き?

 

 

ほどほどの年齢で、睡眠中に、突然亡くなる。

それが、私の理想なんですが。

そのために、最近寝室の模様替えを始めています。

「こんな寝室で死ねるのなら本望」と言えるような場所にしたい、と目論んでいるのですよ。(笑)

そのきっかけは、後期高齢者突入の記念すべきお誕生日に、娘たちから貰った素敵なベッドカバーでした。

 

でも、遺族年金の身で慎ましい暮らしの今。

実にささやかな模様替えですが、その内、ご披露させていただきますね。

 

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駅の景観~渋谷駅

2019-06-16 07:21:14 | 文化

駅は人々が行き交い、出逢い、別離、様々なドラマがある場所。

一昔前までは、その代表が、上野駅だったのかもしれませんね。

哀愁を帯びた歌が、この駅を題材にして、よく口ずさまれたのではなかったでしょうか。

人生劇場に一番似合った駅でした。

 

今、私が一番憧れる駅は、東京駅。

きれいに改装されて以降、観たくて仕方ないのに、結構遠いため、出不精の私はまだ出かけていません。

カメラの素晴らしい被写体にもなりそう。

そろそろ実現したいです。

観光好きのAちゃん(妹のブログ https://blog.goo.ne.jp/yumeji_2014)はこの界隈に詳しそう。

その内、案内してね。

 

 

横浜に転居するまでは、帰省の時は、東京駅と羽田空港をよく利用していました。

広島空港が、山中の不便なところに移転してからは、飛行機は数度利用しただけ。

マイホーム新築後は新横浜駅が割と近くなったので、飛行機を利用する気は全くおきなくなりました。

 

東京駅と新横浜の駅はさておいて、今日の記事で、私が触れたいのは、品川駅と渋谷駅。

先日あったママ友さん達のお食事会の待ち合わせ場所が、品川駅の中央改札口でした。

品川駅は、すでに亡き母方の叔母が住んでいたところです。

若い頃、母と一緒に出かけたことが幾度かありました。

 

その後、再開発されましたが、それ以降、一度も訪ねていない品川駅。

久しぶりでしたので、楽しみにしていました。

でも、降りた駅の印象は、私は今一つで、ちょっとがっかり。

結構期待していたのだけれど・・・・・・。

雑然としていて、一貫したコンセプトのようなものが感じられなくて、心惹かれるところではありませんでした。

なんて、少々生意気な物言いで、ごめんなさい。

全体像を把握しているわけではないので、間違った印象かもしれません。

期待が大きすぎたために、失望したのでしょう。

 

 

 渋谷駅の画像のようですが、この場所はどこ?
記憶にないです。

まだこれから完成?

 

その時、すぐ比較してしまった駅が、私にとって一番馴染深い渋谷駅。

まだ改修の途上で、いたるところ工事中ですが、品川駅より、はるかにスタイリッシュ。

天井が低いのがなんとも残念ですが、これからの進捗が楽しみ。

さすがに私が尊敬する安藤忠雄氏の設計。

(後で調べたところ、安藤氏が設計にかかわったのは、東京急行の管轄のところだけのようです。)

 

今後への期待は大きいもの、まだ迷路のようで、苦手な渋谷駅。

ところが、この度のママ友さんのお食事会に行くとき、とても良いことに気が付きました。

これまで、気付かなかったのは私だけ?

 

私は今まで迷うはずです。

自分の直感で、目当てのところに行こうとしたからです。

今回は違いました。

ホームの柱のいたるところ、案内表示が貼ってあるではありませんか。

どの入り口を目指せばよいか、その案内表示を一目見れば分かるように。

JRは8番ゲートといった具合です。

以前から、こんな表示、ホームの至る所にあったかしら。

もちろん、全くなかったわけではないでしょうが。

 

今も相変わらず、複雑な経路で地上にすぐ出ることができない渋谷駅ですけれど。

構内が次第にすっきりしつつあり、オリンピック開会の頃になると、如何に変貌しているか、とても楽しみになってきました。

恐らく、安藤氏のセンスが随所に感じられる駅構内になるのでは、と、渋谷駅にとても期待しています。

 

https://www.shibuyabunka.com/keyperson/?id=63

 

開発するには、莫大な経費が掛かるのでしょう。

それが無駄にならないように、街ゆく人が感動し、心が安らぎ、明るくなるような場所と景観に、どこもなってほしいものと願います。

都市開発の一番の目的は、そこにあるのではないでしょうか

古い歴史的建造物を保存することも、ぜひ重要視して・・・・・・。

我が国の街並みは、国民の財産ですもの。

いずこも、絵になるような素敵な風景になっていくことを、ひたすら願います。

 

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またぎっくり腰に(涙)~一日即一生 

2019-06-14 07:13:55 | 暮らし

五月の爽やか陽気のせいか、体調は万全ではないのに、家事は驚くほど順調に捗っています。

この調子、この調子、と気分を良くしているところに、また「魔女の一撃」が襲いました。

「魔女の一撃」、と言えば、お分かりの方がほとんどでしょう。

そうです。

ぎっくり腰です。

 

お風呂上がりで、就寝の準備をしているときのことでした。

床の上にあるものを、取り上げようと腰を曲げた瞬間、キィ~ンと鋭い鈍痛が腰あたりで。

その後、途端に動くことができないほどに、体が不自由に。

 

この場所で起きました。

 

数年前、夫の墓参で、帰広する前々日の朝、同じ症状に見舞われて以来のことです。

その時は、泣く思いで、準備した新幹線の往復切符をキャンセル。

次女が緑の窓口まで足を運んでくれました。

 

ぎっくり腰は、年寄りにかかわらず、若い人も、突然見舞われることがあるようですね。

ですから、魔の一撃などといった名称が付くのでしょうか。

 

妹は過去に重症のぎっくり腰となり、玄関のところで、旦那様が帰宅するまで一歩も動けなくなったとのこと。

倒れたままの状態でいたそうです。

帰宅し、それを見た義弟は、仰天。

死んでいるように見えたのでは、とその時のことを思い出し、笑っていました。

 

私も前回は、かなりひどい症状で、通い始めたばかりの整骨院まで、妹に車で送り迎えしてもらいました。

今回は幸いにも軽く、私の処置が良かったのでしょうか。

回復も早く、数日後には、すっかり痛みが無くなりました。

折角良いリズムで働けているのに、ぎっくり腰で中断してしまうのはあまりに情けない事。

ですから、恐る恐る入浴して、腰を温め、鎮痛剤のシップをペタペタ張りました。

そして、「早く良くなりますように」と祈りながら、そっと床に就いた私です。

 

 

このような症状に陥ると、夫がいるときは、クリニックまでの往復タクシー利用は当たり前のことでしたが。

今はそれさえ無駄な支払いと思ってしまう私です。

今回は妹にも頼らず、バスで、整骨院まで往復しました。

随分逞しくなったものだ、と変な関心を自らにしています。

 

今では腰痛もすっかり治り、脊柱管狭窄症の症状も軽くて済んでいます。

快方が速いのは、恐らく整骨院の施術のお陰でしょう。

先生、さまさまの私。

もうすぐ通い始めて二年になりますが、一週間に一度の通院は、休んだことがほとんどありません。

体調を壊しでもして、通えなくならない限り、この施術は受け続けようと思っています。

 

 お花が無くなり、緑ばかり。
色と質感が違うので、
それでも雰囲気が良い花壇になってきました。

 

 

いつまで自力で歩行できるか、常に心の片隅で不安に思っている私ですが。

でもこれは、神様のみぞ知る領域。

くよくよ先のことを心配しても、良いことは何もないので、今日を精いっぱい誠実に生きることのみ考えて過ごすつもりです。

 

最近、「一日即一生」という言葉が目に留まりました。

「今日一日を生きることが、一生を生きることと同じことだ」という意味だそうです。

 

年老いた身には、本当に身に染みる箴言だと思いました。

このような気持ちで日々を過ごしたいもの、と願います。

 

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ママ友さん達とのお食事会 

2019-06-12 07:24:10 | 

5月24日のこと。

前日の天気予報では、熱中症危険レベルに気温が上昇、と度々予告されていました。

本当かしら、と少々疑心暗鬼の私。

春先から今日まで、気温が目まぐるしく変化し、私はその気温差に順応できず、ついに風邪を引いてしまったからです。

五月ももうすぐ終わりを告げようとしているのに、こんな時に引くなんて、ちょっと驚き。

風邪を引いたのは、4年前、夫の四十九日の法要後の旅先において、インフルエンザにかかりダウンして以来のことです。

 

 

その風邪を押して、この日、私はお出かけをしました。

熱中症の注意予報で、半袖の洋服を着ることも考えましたが、風邪気味の自分の体調を考慮して、長袖を着用。

でもそれが正解だったようです。

湿度が低かったせいか、暑苦しさは感じることは、全くありませんでした。

揃た皆さんも、全員長袖。

高齢者の集いですのに、集合場所の品川駅改札口の一角は、花が咲いたように明るくて、華やか。

とてもいい雰囲気で、友人たちの素敵さに改めて感嘆する私でした。

 

私には珍しい加賀料理のお店。
窓越しに映る緑の、なんとみずみずしい事。
「大志満」

 

お食事会のメンバーは、次女の中学時代のママ友さんたち。

体調が少々悪くても、出かけたくなるほどに、心和む会です。

 

この集いは、かれこれ三十年以上続いています。

私がその方たちの中でも、特に親しくお付き合いしていた友がいました。

住まいも、みんな同じ沿線。

ママ友さんの集まり以外に、年に数回、お食事を必ず共にしていたのですが。

哀しいことに、その友二人は、数年前に他界されました。

一人ぼっちになってしまった私は、信じられなくて・・・・・・。

想い出すと懐かしさのあまり、こみ上げてくるものが、未だにあります。

本当に麗しいご人格で、いつも優しい気遣いのできる、明るい人達でした。

  

 

他の人たちも、本当にいい方達ばかり。

皆さん、同じ価値観を共有し、雰囲気も似通っています。

ですから三十年にも及ぶ長い期間、親睦を深めることができたのでしょう。

80歳過ぎても、みんなが健やかで、同じように集えますように。

 

 

この日、私は体調が今一つなのに出かけた無理が祟ったのでしょうか。

次第に気分が悪くなっていきました。

帰路に就き、最寄り駅にたどり着くなり、内科のクリニックに直行。

咳と鼻水が次第にひどくなり、これ以上放置しては良くないと思ったからです。

発熱はありませんでしたから、自己治癒力で乗り切れる、と思ったのですが。

 

 

帰宅すると、入浴もせず、軽い夕食後、薬を服用してすぐ床に就きました。 

その後、風邪は次第に回復に向かいましたが、何と翌々日、嫌な出来事に見舞われてしまった私です。

このお話は次回に回します。

 

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ホームセキュリティーは苦手な私

2019-06-10 06:56:31 | 暮らし

ホームセキュリテイを取り付けたお宅を、よく目にするこの頃となりました。

門扉や玄関の扉近くに、「セコム」のマークがあるので、それに気が付きます。

せコムに限らず、大手のセキュリテー会社は、他にも色々あるのでしょう。

今の時代の新築マンションは、この設備を完備しているのは当たり前。

次女宅のマンションも、そのようです。

 

長女宅は一戸建てですが、このシステムが備えられています。

実は我が家も、新築時から、旧式の防犯設備を取り付けました。

今果たして機能するかどうか、全く疑わしいですが。

 

 我が家のホームセキュリティーの大元のスイッチ

 

しかし私は、このセキュリティーが大の苦手。

一戸建てを新築するまでは、私は長女宅のマンションに気楽に出入りしていました。

新婚当時のマンションには、セキュリティーの設備は確かなかったと思います。

青山のマンションは、二名の受付嬢が常駐していたせいか、セキュリテイーのことは気にしないで、中に入ることができました。

 

ところがその後新築した長女宅は、自分でセキュリテーを解除しないといけません。

操作を間違うと、警報が鳴り響きます。

メカに弱い私は、間違えそうで、それ以来、長女宅はとても敷居が高くなってしまったのです。

 

 我が家の窓についているセキュリティーの部品

 

それでも、R君が受験勉強中は、時々夕食を運ぶため、留守中に長女宅を訪問するようになりました。

ドアを開けるなり、暗証番号ボタンを押して、セキュリティーを解除。

その時点で、私は、何だかいつもほっとします。

 

ところがある日、失敗をしでかしまった私。

暗証番号を押すのを忘れて、二階に上がってしまったのです。

すると間もなく、ピポー、ピポーと(違う音色だったかもしれません)、警報音が鳴り始めました。

私は緊張がマックス。

事なきを得て、その音を消すことができましたが、しばらくすると、セコムの会社から電話がかかってきました。

色々質問を受け、応えた時点で、私が身内であることが分かったようです。

警報音でショックを被った気弱い私。

手伝いに来たつもりでしたのに、しばらく放心状態で家事をする気になれませんでした。

 

 次女宅

このような失敗を、凝りもせず、もう一度、私は犯すことに、

今度は次女宅で。

 次女宅に、夕食のお惣菜を持って出かけた時のことです。

週末から、四泊5日で、大学時代の友人家族と合流して、フィリピンんのセブ島に旅行に出かけることは知っていました。

でも、金曜日から、成田のホテルに一泊することを耳にしていたのに、すっかり失念。

 

 

いつも通りに、鍵を開けて中に入ろうとしたところ、コロンコロン、コロンコロンと聞き慣れない音がします。

警報音らしくない優しい音でしたので、何事、としばらく戸惑う私。

実にきれいに整理整頓された部屋を見て、やっと状況が理解できました。

 

我が家のインターホン機器
テレビ画像で、訪問者の姿や外の様子を確認できます。
多少のセキュリテイー機能を有している、と言えるのかもしれません。

 

もう旅行に出かけたのだわ。

今鳴っている音は、もしかしてセキュリティーの警報音?

次女宅の解除方法は知らない私です。

私は、またまたショック!

まるで盗人が逃げ出すかのように、大慌てで家を飛び出し、鍵をかけて娘宅を後にしてしまいました。

 

その後、冷静になると、心配が押し寄せてきたのです。

恐らく、セコムから、娘のもとに連絡がいくでしょう。

 折角の海外旅行を、私は台無しにしてしまうのでは、と気を揉み続けることに。

 

後日、分かったことですが、セコムの警備員が訪れ、室内をチェックしたようです。

特別迷惑も受けなかったような涼しい顔で説明する娘を見て、とてもとても安心しました。

 

今回のように、警報音が鳴った時には慌てず、家にそのままいて、警備会社から電話が来るのを待つ。

名前を名乗り、身内であることを話せば、それで収まることでした。

解除の暗証番号を控えておくことが何よりも大切なのは言うまでもありません。

恐らく、私が入った時、鳴り始めた警報音は、警備員の人が訪れるまで鳴り続けたにちがいありません。

 

便利なメカが実に多く出揃っている、今の世の中。

でも操作を間違えたり、そのシステムににうっかり操られると、とんでもないショックを私のように受けることになってしまいます。

年寄りはメカに弱い人が多いでしょう。

便利なようで、何だか住みにくい世の中でもありますね。

 

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五月の日記~念願叶った孫息子R君とのデート

2019-06-08 07:14:12 | 

私がまだ50代の頃だったでしょうか。

某デパート前の商業ビルの上階に素敵なレストランがありました。

今はそのビルは取り壊され、新しい高層ビルに生まれ変わってしまいましたが。

そのレストランは、ちょっと格式のあるおしゃれな雰囲気。

私のお気に入りのお店で、時々利用していました。

 

初孫のR君が生まれて間もない頃ではなかったかと思います。

お昼食時、そこを一人で訪れた時のことです。

 

デパートの入り口の窓際に立ち、R君を待ちました。
まるで恋人を待つような心境でした。(笑)

 

通路を挟んだ隣の窓際の席に、とても上品な年配の女性が腰かけておられました。

私には、その方が心待ち顔に見え、どんな方が見えるのかしら、と多少の関心を寄せていました。

すると、そこに現れたのは、いかにも体育系といった爽やかな若者。

初老の女性の前のテーブル席に就くと、サーブされるご馳走を黙々と食べていました。

それを目を細めて見入る、初老の奥様。

私はすぐ、状況が理解できました。

その若者は、お孫さんだ、と。

 

 

そのシチュエーションに、すっかろ魅せられてしまった私。

私も、R君が成長したら、同様のことをしよう。

素敵なレストランで、R君にご馳走をしてあげよう、とその日を夢見たのでした。

 

そして、ついにその長年の夢が、最近実現。

私はある日、ママを通してでしたが、電話でR君にお食事のお誘いの声を掛けました。

大学に入学して間もないR君です。

慣れるのに精いっぱいで、おばあちゃんの相手をする心の余裕なんて、ないのかもしれない。

自分の心が落胆しないように、と断られてもともと、と思うようにしていました。

 

 

ところが翌日の夜、次女宅にいるところに、R君から電話が入りました。

思いがけずのOK.

夫の墓参で、帰省旅行を誘った時以来の快諾です。

私は飛び上がらんばかりに喜びました。

それを見て、次女が笑っていましたけれどね。

 

 

前置きが長くなってしまいましたので、実際にデートした時のお話は手短に。

もちろん、とても楽しいひと時でした。

デパートの階上にある、割と高級感のあるレストランへ。

K君には、5000円のステーキコース。

私は3500円のコース料理を注文。

 

お料理の画像は、すべて私が頂いたものです。

 

期待以上に、一品、一品、とても美味しくて、思わずR君のステーキを一切れ、私も賞味。

まるで口の中で溶けるような柔らかさ。

このおいしさを味わってしまうと、もう固いステーキなんて、絶対食べられそうにありません。

R君も、美味しそうに味わっているように見え、私はまず一安心。

 

 

ランチを共にして、入学後の近況を、スマホの写真を見せてもらいながら聞きました。

とても楽しそう。

何だか、すっかり安心した私です。

 

 

大学生といえば、もう大人。

私は話すとき、子ども扱いにしないように、亮の人格を尊重する語りかけを心がけました

ただ一つ、「姿勢をもう少しよくするように努力した方がいいわよ」とだけは言わせてもらいましたけれどね。

 

最後に、心優しいR君が私に言った、ここ数年の語録で、とても嬉しかったことを書かせていただきますね。

信じてなど全くいないけれど、嘘でもうれしい温かな言葉でした。

 

 

もうずいぶん前のことです。

購入したばかりのタニタのヘルスメータで測定した時、体年齢の表示が実年齢より15歳ほど若く表示されました。

信じられなくて、驚きの表情で傍にいたR君に告げると、

「おばあちゃんは、とても若く見えるよ。その年齢を言っても、疑われないよ」、と。

 

 またある日の二人の会話

「長生きしすぎると、ママたちが先に亡くなることだってあるでしょ。

それは余りに辛いから、長生きするのも考えものね~」

「その様なことになれば、僕が世話をしてあげるよ」

 

「おじいちゃんとおばあちゃんとの思い出は、楽しい事ばっかりだなあ~」

 

春の墓参旅行の時の会話

「おばあちゃんはボケてなんかいないよ。とても元気でしっかりしているよ」

 

お世辞と分かっていても、温かい言葉は、年老いた身にはひとしを有難く嬉しいものですね

 

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五月の日記~娘たちが感動してくれた庭 

2019-06-06 07:19:24 | ガーデニング

日頃は、娘たちが実家に戻った時、庭に出て草花を見て愉しむ、といったことはめったにありません。

おしゃべりに夢中になってしまうからでしょうか。

でも私としては、丹精を込めた庭の様子を、時にはじっくり見てもらいたい。

特に春の花壇は、私が一番力を入れる時期。

みずみずしい緑が、お庭の美しさを一層引き立て、その空間はちょっとしたオアシスになっているからです。

今年は特にきれい。

そんな喜びに浸っていました。

(とは言っても、専門的知識はゼロに近く、実にいい加減なところがある庭主です)

 

十連休の頃、写した庭の画像です。

 

ですから、その願いが、十連休の時に叶い、私は大満足しました。

とても感動したようで、次女も長女も、過分な褒め言葉を私に贈ってくれました。

「専門のガーデナーさんより、ママの方が上手」と、まで。

 嬉しい言葉でしたが、それは少々ほめ過ぎ。

 

 

もう7~8年前のことになりますが、首の痛みがひどく、庭仕事が思うようにできなくなった時期がありました。

東日本大震災後、間もなくの頃からのことです。

その後数年間、年に四回、ガーデナーさんのお世話になりました。

費用は一回5万円。

とてもチャーミングな優しい人柄の方でした。

私は何もかも任せきりで、ガーデニングの指導を受けたわけではありませんが。

作業を眺めているうちに、多少ですが、ノウハウが身に付いたように思います。

 

その頃のガーデナーさん。
三越のチェルシーガーデンでお願いしました。

 

けれど、ガーデニングさんのすることには、限界がありますよね。

庭の手入れ四回ののタイミングに合った、お店の商品しか選べないからです。

ですから今一つ、物足りないものがありました。

 

お断りした一番の理由は、首の症状が回復に向かったこと、

夫の医療費もかかり始め、ガーデナーさんを雇うのは、贅沢なことと感じるようになったからかもしれませんが。

 

 

今後、いくら頑張りたくても、もっと高齢になり、庭仕事が体力的に不可能になってしまう時が、必ず訪れます。

その時、荒れ放題に庭がなってしまうなんて、余りに忍びない。

どうすれば、いいのでしょう。

娘たちに、にわかガーデナーになって、手入れを時々してもらおうかしら。

仕事をしている限り、それは無理でしょうね~。

 

 

もうしばらく先のことかもしれないけれど。

或いは、思いがけない早さで訪れるかもしれません。

 

 

そんな日に備えて、草花はこれ以上もう増やさないようにしなければ。

体力的にも経済的にも助かる、常緑のリーフ物が多い、しっとりした庭を目指すつもりでいます。

 

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五月の日記~孫娘ののバレエの発表会 

2019-06-04 07:25:25 | 

最近は、何かとイベントが多い私の暮らしです。

今日は、また孫の行事について。

十連休もいよいよ終わりといった週末のこと。

次女娘、かれんちゃんのバレエの発表会に、また出かけてきました。

 

私が提げてるバッグは、40代の頃購入した、骨とう品です。(笑)
またブランド好き、と批判を浴びそうで、何だかちょっとこわぁいなぁ~!。

 

どんなに楽しみな催し物でも、夕刻に開演と聞いただけで、少々、躊躇してしまう私。

年を重ねた今、夜の外出は辛い。

体力が持つかしら、と案じられましたが、どんな無理をしてでも、行きたい孫たちの行事です。

老後の、掛け替えのない楽しみの一つ、と言っていいでしょう。

 

その日、お婿さんにつぃて、会場に向かいました。

構内いたるところで工事中の渋谷駅。

若いころから馴染みのある駅のはずなのに、今はこの界隈は、私は大の苦手。

迷路のような駅を、迷うことなく通り抜け、バレエの公演があるビルに向かう彼に、ただただ感心するばかり、

居住地は横浜と言っても、東京に近く、急行に乗れば、数十分のところにある渋谷、

私はいつも横浜都民、といった感覚で暮らしてきました。

でも、お出かけ好きではないため、一向に東京の街に慣れません。

 

少し遠いけれど、一番好きなところは、今でも銀座かな。

鳩居堂や、子供が幼い時はファミリアの本店に、よく出かけたものです。

横浜市民なのに、横浜の繁華街に足を向けたことはほとんどない私です。

 

 愛用しているオペラグラス

 

余談の前置きが長くなりましたが、渋谷の一角にある高層ビルの上階の会場で、いよいよ孫が登場するバレエの発表会が始まりました。

とかく忘れがちな、小さなオペラグラスを手にしっかり握りしめ、孫が踊る姿を最後まで見届けた私です。

同じコスチュームを装った子供たちの中からかれんの姿を確認するのは、そう簡単なことではありません。

次女のMちゃんに教えてもらいながら、目を凝らして、孫の可愛い舞姿を追い続けました。

 

まじめで努力家のかれんちゃん。

先生の教えをしっかり守って、丁寧に舞う姿に、私はとても感心。

指先にまで神経を払っているのが、よく分かり、一つ一つのポーズが、美しく決まっていました。

 

 

 残念ながら、舞台の撮影は禁止でした。

 

ママは私に言いました。

「才能のある子は、踊り方が全然違うの。

そろそろかれんちゃんは限界かもしれない。

本人も、それが分かってきたらしく、以前ほどバレエのお稽古が楽しそうではなくて・・・云々。」

 

私は言い返しました。

「そんなことないわよ。

とても上手だと思ったわ」

 

子供の教育は、お勉強でもお稽古事でも、褒めつくし、やる気を起こさせることが一番肝心。

親の自信のなさは、言葉に出さなくても、子供は敏感に感じ取るものです。

私は、未熟なところがいっぱいある親だったけれど、子供のやる気に火をつける名人だったと、今でも自負しています。

やる気があれば、いかなる行事でも、子供たちは目を輝かし、心から愉しもうとします。

それが功を奏したのか、私は子供の勉強や進学で苦労したことは一度もありませんでした。

 

かれんちゃんも、折角習い始めたバレエですもの。

もうしばらくは、心から愉しんで、お稽古に励めるといいですね。

 

 設定を間違えたのか、ピントもあっていないうえに、色調も変。

 

私は子供たちの公演が主の前半だけ観て、お婿さんと一緒に八時前に、会場を後にしました。

大人たちの公演が始まる前に、会場前のホールで交流のひと時が設けられていました。

その場で、ささやかなお祝いのブーケを贈った私です。

「とても上手だったわ」と私は手放しで、心からほめちぎり、かれんちゃんの努力を称えました。

 

次回の発表会では、一回り大きくなり、一層美しく舞う姿を見られることでしょう。

お稽古ごとの発表会は、その都度、子供の一段の成長を見届けられる良い機会です、

かれんちゃんは、ほかにバイオリンもお兄ちゃんと一緒に習っています。

水泳教室も。

すべて本人の強い希望のようです。

 

 

興味が湧き、頑張ってみたいと思うことに、どんどんチャレンジするのは、良いことだと思うけれど・・・・・・。

親も大変でしょう。

レッスン料を払い続けるのは。

親子で頑張る姿に、心打たれます。

陰ながら、温かなエールを精いっぱい送り続けましょう。

 

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五月の日記~皇室の報道を余りに身近に感じたほのぼの話題 

2019-06-02 06:54:55 | ちょっと一服の記事

世間のの報道を、とても身近に感じたもう一つの話題について、今日もお話しします。

その話題とは、天皇陛下ご退位の儀式にまつわること。

 

十連休のある日、長女が我が家に来ました。

そして最寄り駅前のイタリアンレストランでランチを共にしたときのことです。

母の日を目前に控え、娘がおごってくれました。

 

話題は、大学に入学したばかりの孫息子、R君のことが多かったのですが。

ランチが終わりかけたころ、Mちゃんが、余りに思いがけない話を、二つ聞かせてくれました。

内容は前回取り上げた次女の痛ましい話とは異なり、実に明るい内容です。

一つは、孫娘の桜ちゃんの留学話。

一年間の予定のようです。

本当に実現するのかしら。

最近は、銃発砲事件が多いアメリカ。

ちょっと不安なばあばだけれど、治安のいい英語圏を選ぶとのことでした。

 

 

今日は、その話はさておき、皇室に関連した愉快なお話を致します。

Mちゃんは、専業主婦の私と異なり、第一線でバリバリ働くキャリアウーマンですが。

週末は近所のテニススクールに通い、大学時代から趣味だったテニスを愉しんでいます。

そのクラブで、今とても親しく交流している方のお一人が、なんと、平成天皇の侍従長でいらしたとのこと。

数十年間、天皇陛下にお仕えになられたようでした。

娘と同じ大学を卒業され、先輩にも当たられます。

 

そんなお方と練習後には、自転車を並走して、帰路に就く間柄と娘から聞き、大層びっくり。

この度の天皇陛下御退位の報道番組にも、たびたび登場されたようです。

 この話題の途中で、娘がジョークぽく取り上げた一つ話に、私は声をたてて笑ってしまいました。

 

 

その話とは・・・・・・。

そのテニススクールに、超上流のお嬢様育ちと言ったタイプの奥様がいらっしゃるとのこと。

ある日、イギリス旅行の話になり、話題は宿泊したホテルにまで及んだそうです。

その奥様が、元侍従長だったお方に、ホテルはどちらにお泊りでしたか、と質問。

Mちゃん曰く。

「その奥様は、泊まったホテルのレベルで、旅行のランク付けをするような感じの人なの」と。

それは少々穿った娘の見方では、と、私はその時思いましたけれどね。

 

元侍従長だった品のいいおじいさまの答えは、「バッキンガム宮殿」

尋ねた奥様は、返す言葉もないほど、びっくりされたとのことでした。

 

私は大笑いしてしまいました。

それ以上、豪華な宿泊所はありませんものね。

 

 お話に夢中になり、サラダと前菜しか写真を撮りませんでした。

 

 

妹の桜ちゃんの留学話。

天皇陛下の元侍従長が娘のテニスのお仲間とは。

思いがけない新鮮な話題で、ランチのひと時を思い切り楽しませてもらった私です。

 

 我が家の寄せ植え

 

明日からの連休最後の二日間は、家族でキャンプに出かけるようです。

そして翌週明けからは、海外に出張とのこと。

 

細身の体で、よく頑張る娘たち。

スローテンポでマイペースの暮らしが大好きな私とは大違い。

健康第一をいつも念頭に、令和の新時代も、益々充実させ、幸せな日々を紡いでね。

天国でいつもあなた達を見守ってくれているパパへの感謝の気持ちを、決して忘れることがないように。

そう願って已まない私です。

 

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