今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

長女の大学受験  ~  わが目を疑った模試結果 追記あり

2023-03-06 07:20:32 | 教育

長女と次女の中学受験に至るまでの思い出話を綴ってきた私ですが、最後に大学受験の話題も取り上げます。

長女の中学受験の時は、特殊な事情から、私も精一杯協力しましたが、教育ママとは程遠い性格の私でした。

中学生になってからは、学習は子供任せ。

成績表にもあまり関心がなくて。

子供達を信頼していたので、ほどほどの成績はとってくれていると、安心していたのかもしれません。

元気に通い、充実した学生生活を送ってくれればそれで十分でした。

 

次女が我が家に置いたままの大学の卒業アルバムから、画像を広い集め、アップしました。

 

将来は、良き人に巡り合い、専業主婦になって幸せな結婚生活を送ってほしい。

私の願いは、その一つだけ。

女性が働くなんてとんでもない、と言った古い伝統的価値観に縛られたままの私でしたから。

その事で長女とは言い争ったこともありました。

 

長女はテニス部で思い切り学生生活を謳歌
政治家の木原誠二氏は娘と同期で、キャプテンとして活躍されました。

次女はアメフトのマネージャーとして活躍

 

その思いに、突然変化が起きたのは、長女が高校二年生の時に受けた駿台の全国模試です。

確か長女は、大学の受験準備のために、高2の夏頃から塾に通い始めたと思います。

次女は高一からでしたが。

 

まだ熟生になって間もなかった頃の事。

駿台で全国模試が実施されました。

その結果がとんでもなく良い成績だったのです。

確か全国で、50番以内だったと思います。

わが目を疑い、腰が抜けそうなくらい私は驚きました。

この時からです。

私が思ったのは。

この子はもしかしたら、国立のT大学も目指せるのでは、と。

 

 

その後も、何時勉強に打ち込んでいるのか分からないような態度と暮らし方のMちゃんでした。

これではいくら才能に恵まれても、合格は無理だろうと何度思ったかしれません。

いわゆる短期集中型の典型のような娘でした。

 

次女も同様にT大学に合格できたのですが・・・。

お姉ちゃんの数倍努力し、その姿は痛々しく見える程の頑張り屋さんでした。

私は中学受験の時の様に協力することは出来ず、全て本人任せ。

 

卒業アルバムの次女。
今よりふっくらして可愛い。

 

娘達が受験勉強に励んでいるんだから、私も何かに一つくらい打ち込みたいと思い、

読み始めたのが、中央公論出版の日本の歴史24巻と、世界の歴史16巻でした。

私が結婚したころ、夫が単行本で読んでいたのを想い出し、私は手軽に読める文庫本にしました。

これは協力とは言えませんんけれど。

私も多少は学究的な暮らしをしないと娘に申し訳ない。

そんな気持ちだったのかもしれません。

 

娘達がT大学生になった時点で、専業主婦になり幸せな家庭を築いてほしい、と言った私の夢は消滅しました。

でもその頃になると、時代の流れの変化を、私もはっきり感じ取れるようになっていました。

私の古い価値観を娘に押し付けなくて本当に良かった、今更ながら思います。

 

娘二人は銀行と商社から転職。

今は自分たちに相応しい外資の会社で、英語を生かして、生き生きと働いています。

努力家の次女のMちゃんは、英語とフランス語が流暢に話せます。

ベトナム語も。

 

「鳶が鷹を生む」の諺は、正に私達母娘にピッタリです。

 

追記あり

度々変更して申し訳ありませんが、ランキング参加はやはり取り止める事に致しました。

もう二度と参加しないつもりです。

のびのびと気ままに綴り、更新も不定期といたします。

今後共、気が向かれましたら、私の日々の思いに目を通していただけると嬉しいです。

沢山の応援、とても心の励みになりました。

本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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娘達の受験の四方山話 ついに私もダウン 追々記あり

2023-03-04 07:25:42 | 教育

次女の中学受験も無事に終わり、ホッとしたのも束の間。

数日経つと、今度は私までダウン。

恐らくMちゃんの風邪がうつったのでしょう。

年が明け、次女の受験シーズンを迎える前の半年は、私にとっては色々な事に心を砕き、

気が休まらない日々が続きました。

 

いよいよ、マイホームの竣工に向けて、図面の作成が追い込みに掛かっていましたし、

他にも色々あって、私は心身共に疲弊しきっていました。

そう言えば、天ぷら油が燃え上がり、消火器を使用し,火事にになる一歩手前で消し止めたのも、

前の年の夏頃の事です。

いつかこの事も、話題で取り上げさせていただきますね。

義父の介護のお手伝いで、受験生の次女を母に預けて、二週間帰広したのも、秋の事。

 

 

昨日届いたお花です。Mちゃん、見てますか。
本当にありがとう。

 

母の援助と、いつも冷静な夫の支えがあったからこそ、乗り越えられた一年数か月でした。

但し、中学受験に打ち込む娘には、何時も平常心で臨み、私が協力できる精一杯の事はしたつもりです。

 

その疲れ切った体には、娘の受験当日のハプニングは、立ち直れないような一撃だったのでしょう。

その時は、母も上京し、滞在していました。

ですから私が寝込んでいる時も、母が三度の食事を作り家族の世話をしてくれたのですが・・・。

私の症状は、一向に回復に向かいませんでした。

クリニックで処方してもらった薬を服用すると、熱は一旦下がるのですが、しばらく経つとまた40度近くまで上がる。

その繰り返し。

 

そしてある日の夕刻頃からの事。

急に元気が蘇ったように食欲もわき、やっと回復できる、と喜んだ日の真夜中でした。

とんでもない出来事に見舞われました。

この続きは次回で。

 

二週間前に届いた花(四週間前の花もあります)をこのようにアレンジしました。

 

追記

私はうそつき何て言った覚えはありません。

「麦が嘘をついた 娘を侮辱した」と私が言ったとMさんはおっしゃいますが、

そんなきつい言葉、どこに書かれていますか???

「若しその記事が、麦さんが仰るように、失礼な物言いでしたらお詫びしますから、その記事を教えてください」

と何度もお願いしているだけです。

1月25日前後の記事を読んで確認してください。

 

その記事を読んだところ、親子の他愛無い会話に過ぎませんでした。

母娘を蔑むと言われたことは、私には辛い中傷にしか感じられなくて・・・。

ですから謝罪はしませんでした。

 

Mさんとお仲間が再々追及されるので、お応えしました。

何時もあなたは、私が言った言葉を、妄想でもって、激しい別の表現に変えて、伝えられます。

その行為は二度となさらないでくださいね。

長年に亘り、私が一番、辛い事でしたから。

よろしくお願いします。

追々記

その前の記事までは確認済みでしたが、外野さんが指摘された記事は見落としていました。

この時の嘘は、娘が私に気を遣ったさりげない会話に過ぎなかったでしょうに・・・。

蔑むと言われ、真実と違う事をおっしゃっている、との確信がありましたから。

嘘という表現を使用しました。

でもその言葉に傷つかれたのでしたら、心よりお詫びします。

でもその後からは、その記事を教えてください。

本当に失礼があったのなら、お詫びしますと何度も申し上げています。

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次女の中学受験 とんでもないことが起き大慌て

2023-03-02 07:08:58 | 教育

次女のMちゃんの中学受験の時は、長女の時と違い準備に余裕期間が十分ありました。

その上、お姉ちゃんが頑張る姿を見続けてきたMちゃんです。

自分も同じ喜びに浸りたい、との強い思いがあったのでしょう。

自分から進んで、それはそれはよく頑張りました。

大学受験も然りです。

 

長女は短期集中型、次女はお姉ちゃんの数倍、ひたすら努力を積んで目標を目指す。

この余りにタイプの違う勉強法で受験に臨む、娘二人の姿を大学入試までずっと見守り続けた私です。

 

 

次女も中学受験に当たっては、塾通いはせず、長女と同じ家庭教師の指導に頼ることにしました。

しかし長女と異なり、週末の四谷大塚の試験は毎週受けに中野の教室に通いました。

試験の後、暫く授業もありました。

 

我が家の場合、家庭教師の指導は、私が立てた計画に従い子供達には勉強してもらい、

どうしても理解できない所だけ搔い摘んで先生の教えを乞う。

それ以上の事は、家庭教師に頼りませんでした。

その頃は、私も勉強に励み、四教科とも多少は教えることが出来ましたから。

今思い出すと、嘘のような話なんですけれどね。

 

そして受験当日の日が訪れました。

前の日まで、学校にはいつもと変わらず、元気に登校。

お夕食を済ませ、明日の準備を整え、早くからMちゃんは床に就きました。

 

二週間前に長女が届けてくれたHitoHanaの定期便のお花が、昨日になってもとても元気。
今日は新しいお花が届きます。待ち遠しいです。

 

ところがです。

早朝目を覚まし、娘の枕元に行くと、Mちゃんの息遣いが荒い。

顔が紅潮し、只事でないことがすぐ察せられました。

熱を測ると、何と39℃8分。

私は仰天!狼狽!

主人にすぐ告げましたが、Yさんは出勤の日。

私一人で、この緊急事態に臨むしかありません。

迷惑を顧みず、我が家から徒歩で十分くらいで行ける小児科に、早朝ながら電話を掛けました。

すると幸いにも、すぐ電話が通じました。

私が事情を話すと、

「診察しますから来てください」

との有難いお言葉。

 

早朝でしたが、Mちゃんの手を引き、夢中で小児科クリニックに向かいました。

そこで注射を打ってもらい、熱冷ましの頓服の薬を頂いて帰宅。

薬を飲むと、意外にも早く熱は下がり始めました。

 

その後は、只々夢中で出かける準備をしたことでしょう。

面接もあるので、ファミリアで購入した紺色のワンピースを装い、

今日一日さえ乗り切ればとの思いで、家を出た親子でした。

 

 

ところが電車に乗り、Mちゃんがとんでもないミスをしている事に気が付いた私です。

足元を見ると、履いている靴が薄汚い運動靴。

面接用に黒の革靴が玄関に置かれていたのに。

それを見て、二人とも一瞬、仰天。

そして、思わず、あらまあ~!と言って、その失態に、笑い合えた私たちでした。

そのお陰で、それまでの極度に張り詰めた緊張感が一気にほぐれました。

恐らく、神様が施して下さった緩和剤だったのでしょう。

 

翌日、私一人で学校に行き、掲示板を見ると、無事合格。

お姉ちゃんと同じ学校に通えるようになり、万々歳。

それからも次女は、色々と私に心配をかけ、私は幾度もそのしりぬぐいに追われたものです。

 

その天然ボケは私譲りなのかもしれないけれど・・・。

常にお姉ちゃんという目標があったので、

幾たびかの天然ボケの失敗は潜り抜け、お姉ちゃんの数倍努力して、

Mちゃんも、国立の最高学府を極めることが出来ました。

 

追記

相変わらず、目を覆いたくなるような酷い言葉で、私の中傷が続いているようです。

私の批判をされるのは勝手ですが、その様な方達は、一度私のブログにおけるMさん関連の記事に

すべて目を通して下さい。

そのような記事は僅かですから、読むのにさほど時間はかからないと思います。

カテゴリーの最初に載せた、「麦さんへのお返事」にも。

 

彼女のブログのコメント欄に、彼女の嘘に耐えられず書かせていただいた私のコメントも読んでください。

その上で批判をして下さいますように。

 

最近よく取り上げられる「病的な虚言性」の言葉は、確かに私は使用しました。

長年、彼女の余りに事実と違う説明に、私は悩まされ続けてきましたから。

今もそうです。

 

記事を更新するたびに、その内容まで揶揄され、堪らないものがありますが・・・。

暮らし方を変えたところ、別人の体の様に、体調はすこぶる良好で、とても嬉しく思っています。

この変化の理由は、またいつか記事にさせていただきますね。

 

一番素敵な日の意気込みで、今日も頑張りたいと思います。

皆様も、良き日をお過ごしください。

 

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娘達の受験の四方山話 合否判定模試

2023-02-28 07:17:33 | 教育

何故気楽に受験勉強に臨めたかというと、合格は余りに非現実的に思えたからでしょう。

娘が真剣な眼差しで受けたいと言ったので、私も精一杯協力することにしたまでの事でした。

ですから、毎日校庭で下校ベルが鳴るまで遊び、帰宅した娘です。

その姿が担任の先生にも印象的だったのか、秋の個人面談の時、

「Mさんは、毎日下校ベルが鳴るまで、元気に遊んでいます」と仰られたものでした。

 

私は日々、おやつを用意し、夕食の準備も済ませ、娘の帰りを待ちました。

帰宅したら、親子ですぐ勉強に取り掛かれるようにするためです。

とは言え、夜は十時前には就寝。

そんな毎日で月日は経過し、秋も深まってきた11月の初旬の頃でなかったでしょうか。

四谷大塚主催の合否判定テストが実施されることに。

娘が受ける初めての模試でした、

 

ところが思いがけず、その結果は悪くありませんでした。

この時、初めてMちゃんの合格が必ずしも夢ではない、と気づかされた私です。

目ざした御三家の中学の合格圏内の順位だったからです。

わが目を疑うほどの驚きでしたが。

 

その長女も、今は50代。
良き伴侶に恵まれ、キャリアも積み、幸せに暮らしています。
記事にあった画像が無くて、過去に撮った長女宅のものにしました。

 

但し理科と社会の成績は、惨憺たるもの。

確か50点にも到達していませんでした。

それからは、この二科目にかなり力を入れ、最後の追い込みの学習に母娘二人三脚で頑張りました、

反復演習に力を入れ、間違た問題には必ず印をつけ、繰り返し繰り返し解かせたたものです。

国語の問題集だけは、家庭教師の先生が提供して下さった教材を使用しました。

 

そして、思いがけず無事に合格。

同じクラスのお母様が大層驚かれたのでしょう。

コネで裏入学したと思われたようでした。

ところが、その娘さんも受験された国立の学芸大附属にMちゃんも合格。

そのとき、はじめて我が子が実力で合格できたことを認めてくださいました。

そんなエピソードもありました。

そのお友達は学芸大に。

大学も同じで、大の仲良しさんでした。

 

何故か、長女の試験当日の事はほとんど記憶にありません。

一方、次女のその日の朝の光景は、今でも、昨日の事のように鮮明に覚えている私です。

その想い出は、余りに強烈でしたから。

少し前の記事に、次女が共通一次テストで信じられないような大きなケアレスミスをしたこと。

Mちゃんの落ち込みが只事でなかった事を話しましたが、

お姉ちゃんと違い、実にいいろいろと私に心配を掛けてくれました。

 

良き伴侶を見付け、喧嘩したことは一度もない仲良し次女夫婦
幸せな若夫婦達を見つめていると、もう私はいつ死んでもいい。
そんな心境になります。

 

今、娘達の受験を振り返ると結構ドラマチック!

だからいつまでたっても感慨深く、この年月の事を私は思い起こすのでしょう。

次女の受援当日のまさかの出来事は、次回でお話しします。

 

肩こりが劇的に解消した、キューピーコーワールドと共に、
今の私の暮らしには欠かせないサプリメントです。
目が疲れて視力が低下しても、これを服用すると視界がクリヤーに。
でもこのような錠剤の効用は個人差があるでしょうから、お薦めはするものの、自信はありません。。

 

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娘達の受験の四方山話 ~ アクシデントに見舞われて

2023-02-26 07:35:32 | 教育

前回でお話ししたアクシデントとは。

頭の大怪我です。

私は結婚後、頭の怪我を5~6回経験しています。

いつか新聞で、頭の単発的事故を繰り返すと認知症が早まる、と言った記事を目にしたことがありました。

今のところ、まだ何とか正常を保てていますが

その記事を読んだときは、末恐ろしく感じたものです。

 

夫が亡くなって数年後に負った怪我も、出血が酷くて、とても心配になりましたが。

怪我で一番打撃が大きかったのは、海外から帰国後間もない時に見舞われた事故だったでしょう。

数針縫いましたから。

 

我が家の家財道具その他諸々の日用品は、海外に送った物以外は、すべて私の実家で預かってもらっていました。

その両方の荷物が届きてんやわんやの暮らしの中で、娘の受験準備を進めなくてはならなかった私です。

そんなバイタリテイーが自分にあったなんて、今では信じられませんが。

 

梱包されたその荷物をほどき、整理している時の事です。。

頭に凄い衝撃を受けました。

手を当てると鮮血がべっとりつきました。

何と、壁に掛けたつもりだった木製の重い柱時計が落下し、私の頭を直撃したのです。

すぐ近所の整形外科へと。

すると、数針縫う処置がなされました。

 

こんな感じです。
包帯の巻き方の説明記事における、モデルさんの画像を拝借しました。

 

頭から顔の周りに至るまで包帯をぐるぐる巻きにされ、何とも惨めな姿に。

この時点で、娘の受験を諦めて当然なのに。

合格するなんて、まるで思わないで気楽に臨んだ受験でしたから。

 

それを思い止まらせてくれたのは、娘の健気な気持ちでした。

それが愛おしくて、私は諦めるのを踏みとどまることができました。

白い包帯を顔にぐるぐる巻きにしたまま、家庭教師の面接をした私です。

初対面の時、さぞさぞ先生は、驚かれたことでしょう。

 

その面接でお目にかかった中年の女性の方に、早速お願いすることになりました。

週に一回だったと思います。

 

Mちゃんが隔週で届けてくれるHitoHanaの定期便のお花です。
昨日撮ったのですが、まだこんなに元気。
今週のお花が今からとても楽しみです。

 

 

勉強は飽くまでMちゃんが、私が立てた計画に沿ってこなしていきました。

娘が理解できないところがあると、四教科とも私も一緒になって勉強し、教えるように努めました。

そして、親子で頑張ってもどうしても解けない所だけ、先生の指導をうける。

その様な家庭教師の利用法で受験勉強を進めていった私達です。

 

その頃は四谷大塚の塾に通う生徒が多い時代でしたから、その塾の教材四冊も取り寄せ、応用自在の問題も

並行してこなし、受験勉強を進めていきました。

けれど、意外にもあまり緊張感は抱かず、限られた時間の中で、親子愉しんで勉強することができました。

受験に臨むからにはベストを尽くしたいとの気持ちでしたが・・・。

合格は二の次。

今後のMちゃんにとって、いい人生体験になる。

そんな気持ちでいましたから。

 

まだもうしばらく続くのですが、何だかちょっと恥ずかしくなってきました。

受験シーズンなので、また、記事の話題に取り上げましたが・・・。

50年前の我が子の受験体験など、皆さん関心などありませんよね。

今後も、時々違う話題も織り込んでいくつもりですけれど。

読み流して下さいますよう、お願い致します。

この後は続くとまたさせていただきます。

 

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続 娘達の受験の四方山話 

2023-02-24 07:31:21 | 教育

いよいよ、本格的な受験勉強体制に突入する寸前までこぎつけた親子でしたが・・・。

3LDKの社宅の家の中は、海外から届いた荷物で、まだごった返していました

その荷物の整理をしながら、今後の対策を私は練りました。

そんなある日、電車内で,ふと私の目に留まったのが「富士学院」と言う塾の広告。

今思うと、余りに軽率な感じがしますが、家にもとても近かったので、Mちゃんをこの塾に通わせようと一瞬で決めてしまった私です。

 

孫達は、小5の秋から全員サピックスに通い大変お世話になったのですが。

その頃の私は、塾には、割と批判的な母親でした。

それなのに、塾に通わせたいと思った理由が、今となっては分らないのですが。

単なる思い付きだったのでしょうか。

 

そしてMちゃんと一緒に入塾テストを受けに行きました。

無事に合格。

 

今は菜の花の季節♪
春が待ち遠しいです。

記事に相応しい画像が無くて、適当にアップしていきます。
今の季節、私は帰国の準備を始めた頃でした。

 

その数日後、入塾料を納めに塾に行くと、何とその日はお休み。

このお休みは、きっと神様が、私に再考を促すために与えて下さったチャンスだったにに違いありません。

 

私はもう一度立ち止まって考えることが出来ました。

半年と言った短い期間で、受験準備をしないといけないのに・・・。

塾に通うことが、この子の今の状況に叶った、良い勉強の仕方になるのだろうか、と。

そこで考えを改めた私です。

家庭教師にお願いし、今のMちゃんに相応しい指導をしてもらう事にしようと。

そして、家庭教師斡旋の大手の業者に電話をかけ、いよいよ面接を我が家ですることになりました。

 

ところがその前に、とんでもないアクシデントに見舞われた私です。

続く

 

私の体には驚異的な効果を発揮した錠剤です。
今は日々三錠服用するだけですが、去年の10月頃から、肩と首の懲りに悩まされることが全くなくなりました。

 

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いよいよ受験勉強のスタート~子育てにおける動機づけ

2023-02-23 07:37:11 | 教育

敬愛して止まず、我が子達を自分の子供の様に可愛がって下さったKさんの一言に動かされはしたものの・・・。

受験するかどうかは、本人の気持ち次第。

ロサンゼルスの澄んだ青空の下、何の屈託もなく伸び伸びと育ち成長してきたMちゃんは、

小学校6年生になったばかり。

午後3時まではアメリカンスクールに通い、午後の5時から7時まで日本人学校で学ぶ毎日でした。

ですから恐らく、「受験」という言葉すら知らなかったでしょう。

 

そのMちゃんに、その様な体験ができる事を、どの様に説明すればいいのか、しばらく考え込みました。

そんな時に、ふと私の目に留まったのは、夫が持ち帰った週刊誌の写真。

そこに、合格番号が表示された掲示板の前で、抱き合って喜び合う親子の姿が映っていました、

咄嗟に、この写真で、Mちゃんの動機づけを図ってみようと思った私です。

 

帰国二年前の想い出写真です。
ロスまで一人で頑張って訪れてくれた母も一緒に。
グランドキャニオンにて

 

動機づけ。

子育てでは、この言葉をとても私は重要視しました。

大学時代、児童心理学の授業の時、教授が子供には動機づけがとても大切、と言われたからです。

学生の身ながら、その言葉が私の心を強くとらえ・・・。

母親になったら必ず実践しようと、その時、心に誓いました。

 

長女の受験では、私のちょっとした思い付きで、この動機付けに見事に成功した母親だったのかもしれません。

幼い頃、パパのお仕事に憧れの眼差しを向けているような子供達でしたので・・・。

私は言いました。

「パパのお仕事は、あなた達のお勉強に当たるのよ。

お勉強があなた達のお仕事よ。

だから、パパと同じようにお勉強頑張ってね」と。

 

この動機付けも上手くいったようでした。

日本人学校から帰宅すると宿題するのが精一杯。

そんな日々でしたが。

成績は、二人共、とても優秀でしたから。

 

 

ぼやけていますが、奥に飾ってある小さな家の置物は
恩人のKさんから贈られたものです。

 

話が逸れてしまいましたので、元に戻します。

合格発表の写真を、早速Mちゃんに見せて、

「日本は今受験シーズンなのよ。

合格したくて一生懸命勉強し、行きたい学校の試験に臨むの。

そして合格すると、この写真の様に親子で抱き合って大喜びするの。

Mちゃん、この写真を見てどう思う。

自分も受験してみたいと思う?」

と私は尋ねました。

 

するとMちゃんは、真剣な眼差しで、大きく頷き、「受験したい」と応えました。

私の苦肉の策の動機付けが、見事に成功した一瞬でした。

 

帰国までにまだ2か月くらいありましたから、母に頼んで、「応用自在」或いは「力の5000題」でしたでしょうか。

そんな名前の問題集を送ってもらい、いよいよ受験勉強のスタート」

帰国したのは、6月。

受験するまでに半年少々しかありせん。

本人が受けたいというので、あくまでチャレンジ。

合格は夢のまた夢。

余りに非現実的な事でした。

 

でもMちゃんの気持ちはその後もぶれることはなく、結構真剣な眼差しでした、

ですから、私もあらゆる協力を惜しまず、Mちゃんと共に頑張ることにしました。

続く

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娘達の受験の四方山話

2023-02-22 07:38:41 | 教育

今回、娘の受験話をまた書くのは、

私はT大へ入れる気持ちなどさらさらなく、子育てをしたことを伝えたかったからです。

その願いの下、一生懸命教育をしたのであれば、多少自慢したい気持ちになったかもしれませんけれどね。

棚から牡丹餅、そんな心境で、びっくりした或ることが、T大を受験する契機になったにすぎません。

 

また同じ思い出の繰り返しですので、またこの話題、と思われる方もいらっしゃることでしょう。

その様な方は、スルーでお願いします。

多少新しい事も織り込むつもりでいますが。

 

もう随分前の話しになりますが、次女の共通テストの失敗談を書いた時の事です。

4~5日の間、閲覧者が驚くほど突然多くなったことがありました。

わたしの勝手な想像ですが・・・。

言葉の検索で、受験生やその親御さんが関心を持たれたのかもしれない。

もしかすると、私のブログが多少でもお役にたっているのかもしれないと、その時は、嬉しくなりました。

 

私にとっては幾度噛みしめても忘れる事の出来ないインパクトの強い想い出ですから。

受験シーズンゆえ、また書かせていただきますね。

話題欠乏症の私ゆえ、繰り返しのお話をすること、ご理解ください。

 

      

 

海外駐在を終え、帰国を数か月後に控えたある日のこと。

我が子たちを自分の子供の様に可愛がって下さり、私が敬愛して止まなかったKさんに次のように言われました。

「Mちゃんは、~中学に進学すると、きっと楽しい学校生活が送れると思うわ」と。

もともと地方出身の私は、その学校の名前すら知りませんでした。

後で御三家の一つの難関校だと分かったのですが。

 

彼女のその言葉かけがあるまで、私は娘達を私立の学校に入れる気は全くありませんでした。

何故なら、自分が小学校から名門の学校に受験で合格し、そのまま高校までエスカレーター進学。

苦労をまるでしませんでした。

 

その為かどうかわかりませんが、体が虚弱なだけでなく、精神的にも逞しさに欠ける情けない所がある学生でした。

小学生時代は何時もトップクラスで優秀だったのですが・・・。

意思が薄弱で体力にも欠けたためか、中学になり成績も急降下。

その後は激しいアップダウンの繰り返し。

親友とまでは言えないかもしれないけれど、とても親しい友人は数名いましたが。

情緒が安定せず、親にも心配をかけ通しでした。

 

でも学校の推薦で、中堅の女子大に私は入学することが出来ました。

その時、出逢えた友二人が、大親友となり、私を支えてくれました。

結婚後も、友には恵まれ続け、その薫陶を受けながら、充実した幸せな人生を送ることが出来た私です。

 

夫の欧州への海外出張の時のお土産です。
当時、私の家族はテレビ番組の「アルプスの少女ハイジ」に夢中の時期でした。
登園する前は、この音楽をいつも流していたほどです。
ですから、この小物は、今でも我が家の大切な宝物なんです。

 

こんな私でしたから、子供たちは逞しく育てたい。

それが私の強い願いでした。

そのためには、私立の学校より区立の学校の方が望ましい。

当時、私は、そのような育児観だったのですが・・・。

 

ところが、前述の重複になりますが、私が住んでいた町の日本人社会ではリーダー格のような存在でいらした、心優しいKさんの一言。

それが、突然、私の心を捉えました。

その後からです。

急に私立の中学受験を考えるように、私がなったのは。

この先は次回に続くとさせていただきます。

 

私には驚異的な効果を発揮してくれた医薬品です。
これを服用し始めてもうすぐ数か月になりますが、肩懲りに去年から全く悩まされなくなりました。
肩こりに比べると時間がかかりましたが、脊柱管狭窄症の再発では、と心配していた足の痛みもすっかり回復。
私には本当に有難い錠剤です。
今では指定の数ではなく三錠服用するだけ。
使用しない日もよくありますが、肩と首の懲りがおきていません

 

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子供の気持ちが何よりも大切 

2022-10-25 07:11:37 | 教育

今日は、二週間くらい前に書いた記事の続きを綴ります。

ロスアンゼルスからの帰国が決まり、急に六年生の長女の受験を考え始めた時の、その後について。

敬愛して止まないKさんの思いがけない言葉かけがあるまで、受験は全く考えていなかった私でした。

私立より、区立の中学校で揉まれて育った方が、逞しい子に育ってくれる。

そう思っていたからです。

 

 

最終的には夫の母校に娘達も入学できました。
私には信じられないような思いがけない事でしたが、
Kさんの言葉かけのお蔭。そしてその後の折々の選択が良かったようです。
続く画像も夫が母校の大学病院に長期入院した時に撮ったものです。
自慢話のように受け止められるかもしれないと、心配でしたが
私には、忘れられない思い出とともに今もある貴重な写真ですから載せる事にしました。

 

ところが、夫の海外赴任が終了し、帰国が決まった時、Kさんの一言で、突然娘の中学受験が浮上しました。

しかし、親が勧めたところで、それがうまく軌道に乗るはずがありません。

本人が受験したいと思わない限りそれは無理な話。

ですから私は強制するつもりは全くなくて、Mちゃんの気持ち次第、と思っていました。

そんな気持ちがMちゃんにさらさらなければ、私は尊敬するKさんの一言であっても、中学受験はさせないつもりでした。

もともとそんな気は全くなかった私ですから。

 

 

では、その言葉かけを如何に行ったか。

私の奇抜な発想をお話しします。

二月、三月と言えば、正に中高、大学の受験合格発表シーズン。

この頃はまだ掲示板に合格者の受験番号が張り出される時代でした。

親子が抱き合って、掲示板を指し、合格を喜ぶシーンがどの週刊誌にも載っていました。

夫がたまたま持ってかえた週刊誌にも同様の写真がありました

そこに目を付けた私です。

 

 

Mちゃんにそれを見せて、私は言いました。

まず受験の説明から始め、

「一生懸命頑張って勉強し、望みの学校に合格すると、親子で抱き合って喜んだりするの。

Mちゃんも頑張ってみる?

合格すると、ママと抱き合って喜びあえるわよ」と。

「受験」の言葉すら知らないMちゃんに、視覚で訴えてみる作戦を取った私でした。

これが見事に的中。

Mちゃんは大きくうなずいて、「受験したい!」と、その場で即答したのです。

 

 

これで、動機付けは大成功。

それまで宿題以外ほとんど勉強をしなかったMちゃんが、母に送ってもらった教材で、一生懸命勉強をするように。

確か「応用自在」(「力の五千題」だったかしら?)という問題集でした。

このお話を日本人学校の先生にすると、ではしばらく私も算数の個人指導をしましょうとおっしゃって下さり、2か月くらいお世話になりました。

 

 

私も半年で課題をこなすための計画表を作るなど、精いっぱいの協力をしましたが・・・。

落ちて当然。

この経験も無駄にはならないと思う程度でしたから、気持ちはとても楽でした。

最初、塾には行かせるつもりでしたが、授業料を払いに行くと、その日が何とお休み。

この事で、私は又再考。

そして、熟慮の末、家庭教師の指導に替えました。

6月からスタートする娘には、この子に合った指導をしてもらえる家庭教師の方が向いている、と思ったからです。

 

 

このお陰で娘は時間に制約を受けずに済み、毎日下校ベルが鳴るまで思い切り、校庭で遊び、帰宅後から勉強するように。

秋の個人面談の時の事。

先生が、

「いつも校庭で、下校ベルが鳴るまでMさんは元気に遊んでいますよ」と仰られ・・・。

担任の先生の視線の細やかさに感心した私です。

 

この門をいつも通り抜けて、夫が待つ病院に私は向いました。

 

塾にはできるだけ通わさない、私のその方針は、次女の時までずっと貫き、自主性を何よりも大切にしました。

長女は高2の夏から、次女は高1から通い始めました。

子どもの能力にあった選択をする。

これはとても大切な事でしょう。

 

私は良い選択ができたと思いますが、時代の流れで、対応も色々変ってわってきますね。

孫達は皆、受験準備のために5年生の後半から塾通いを始めました。

 

懐かしい大学の附属病院です。
半年くらい、往復3時間かけてこの病院に日参しました。
私の唯一の心の慰めは、夫と娘達が過ごした足跡の軌跡を辿るように
撮影しながら散策することだったかもしれません。
載せた画像は、すべてその頃撮ったものです。

 

孫の中で有名塾に最初の入塾テストですぐ合格できたのはR君だけ。

そう言えば、かれんちゃんもそうだったかしら?

その後、屈指の進学校に合格し、大学に入学したR君でしたが、今は思いがけない試練に遭っています。

私がまだ若くて元気な時に産まれた初孫のR君には特別の思いがありありますから。

この試練を乗り越えて、逞しく飛翔してくれるように、ひたすら祈っています。

 

最後までお読みくださいましてありがとうございました。
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有難い友人たち~子供の教育

2020-05-16 07:18:52 | 教育

友は本当に有難い。

辛い今の時期、しばらくご無沙汰していた友人の懐かしい声を聞くと、とても元気が湧いてきます。

最近、二人の友人から電話を貰い、一人の友人には私から電話を掛けました。

 

電話を貰ったのは、名古屋に在住の大学時代の親友、やっこちゃん。

開業医のご主人様の片腕となり医療事務に日々励む彼女。

ご主人様の地域の患者さん達への献身的な診療には頭が下がります。

大変な時でしょうに、元気そうな彼女の声が聞け、とても安心した私です。

 

もう一方は、近所にお住まいだったFさん。

去年の春、都心のマンションに転居されました。

私より一回りお若いのに、精神的には私の方が頼っている、お姉様的存在の彼女。

彼女が今もそばにいてくれたらどんなに心強かったかと思い、返す返す残念でなりませんが・・・。

それだけに電話をいただくと堪らなく嬉しくて。

「コロナが終息したら必ず会おうね」と固い約束を交わしました。

 

大学時代の親友やっこちゃんは、今の苦労を察すると心が痛むほどでしたが、

話の途中で、意外な問いかけを私にしてきました。

「~ちゃんは、子供さんの勉強でどんな指導をしたの。

どういう教育をしたら、~ちゃんの所のような優秀な子供に育つの?」と。

 

いずこのご家庭でも、想定外の長期休校を余儀なくされた今、親御さんは子供たちへの対応に苦慮されてでおられるに違いありません。

やっこちゃんは、最近のお孫さんの日々の姿に不安を覚えての質問だったようでした。

医療従事者として大変な時に、そんな心配をする心の余裕がある友に少しホッとした私です。

 

母の日にもらったお花が今もまだ元気です。

 

私とて抱く心配は同様。

次女の所の四月に中三になった孫息子K君の姿を見ていても、祖母として少し不安になりますから。

オンライン授業が始まったようですが。

私が目にいつもするのは、スマホに釘付けのK君の姿ばかり。

 

娘に、「いい機会だから、読書に励むように言えばいいのに」と言ったところ、

「何度も、そう勧めたのよ。でもダメ。もうあきらめの境地」

と言っていました。

 

私の孫さえ、こんな状況で、私は何も言えず見守るだけですから。

友にに良いアドバイスなどできるわけがありません。

それに子育てを一生懸命したのは、4~50年前のこと。

おぼろな記憶を辿るぐらいのことしかできない私です

 

私は教育ママと言えるほど、子供の教育に熱心だったわけではありません。

大学受験の時も、塾に通い始めたのは高校二年生になってからでした。

但し、長女が中学受験勉強に臨んだ時だけは、私は一生懸命指導しました。

計画も立て、

何故なら、アメリカから帰国したのは六月で、受験まで半年足らずしかなかったからです。

 

ですから友から質問を受けた時は、次のような内容の話しかできませんでした。

「幼い時から、勉強をすることの大切さをよく教えていたかもしれない。

勉強へのモチベーションを、幼いときから高めておくことが大切かもしれないわね」と。

 

私は勉強を「お仕事」と言い換えてよく話しました。

小学校に入学すると、Mちゃんたちはお勉強が大切なお仕事になるのよ、と言った具合です。

幼いながら、お仕事を頑張っているパパをとても偉いと思っていましたから。

お仕事と言う表現は、幼い子供たちの心にとても快く響いたようでした。

 

 

何事にも一生懸命臨みベストを尽くす。

それも幼い時から私がよく言い続けたことです。

「人事を尽くして天命を待つ」

この言葉が私は大好きでした。

ですから中学受験の時も、この言葉を使用して、娘たちを励ましました。

一生懸命頑張れば、神様があなたに一番ふさわしい学校を選んでくださるから、と言たものです。

 

挨拶、言葉遣いのしつけも、私は怠らない方だったかもしれません。

私は形から整えることにより、心も整うとの思いが強かったので。

服装にも割と気を配り、子供部屋のインテリアにも気を遣いました。

(長女には、子供部屋をリフォームすることを強く勧めているのだけれど実行してくれません)

 

他には、そういえば、新聞の切り抜きを読んで感動した時、それを子供達にもよく読ませました。

心の成長を願ったからです。

親がくどくど言うより、良い文章を目にした方が、素直に何かを感じてくれるのでは、と思ってのことでした。

子供たちも読書はよくしたと思います。

物心ついたころから、子供達に私は惜しみなく本を買い与えていましたから。

 

友から相談を受けた時は、上記の内容を話したわけではありません。

幼い時の教育が大切くらいしか言えなくて・・・。

彼女には、「何が良かったのか過去を振り返って思い出す努力をしてみるわね。

お返事は必ずするから、しばらく待ってくれる」

と私は話しています。

 

友に良い助言がしてあげたくて・・・。

その後は炊事をしながら、自分の子育てを思いかえし、進学がスムーズだった理由を考えてばかりいました。

そして思い出した事が、上記程度の内容です。

役に立ててもらえるかどうか自信はないけれど、そろそろ彼女に電話をかけなくては。

娘たちも、この記事を読んで、多少でも子供の教育の参考にしてくれるなら嬉しいです。

 

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娘達の子育て苦労話

2013-07-21 08:49:15 | 教育

今日は、いよいよ参議院選挙の投票日。

気候は涼やかで、お天気にも恵まれそうですので、投票率が上がると宜しいですね~

私は、いずれの党に投票すべきか、今回ほど迷うこともあまりありません。

私は、ここ十数年、しがらみのないある小党を応援し、その党は選挙毎に順調に勢力を伸ばしてきました。

今回も政治家としては大物といっていい方が、この党に移籍し、私の選挙区から立候補しています。

ゆえに清き一票を又M党にと願う一方、ただ一つ気がかりなのは、この党が憲法改正に賛成していること。

どう致しましょう・・・・・・

わが国の憲法は、国の誇りと信じて止まない私にとって、憲法改正なんて信じられない事ですから。

選挙のお話をもっと語りたいところですが、このくらいで留め、前回の記事の続きを、また書きたいと思います。

 

次女宅のお庭の紫陽花、アナベル

 

昨日は急に思い立ち、自らの育児体験談を語ってしまいました。

かなりうろ覚えのところもあり、実際より多少理想化して綴ってしまったような気がしています

実際は、もっとちゃらんぽらんで適当に子供に対応した母親だったようにも。(笑)

 

一つ前回の記事で言い忘れたことがありました。

子供に勉強の大切さを説き動機づけの努力をした際、恐らく私の話し方にはかなり説得力があったのではないかと思っています。

何故なら、自らの反省に立ち、話して聞かせたからなのです。

私は学生の頃、とても満足できる勉強をしたとは言えません。。

頑張りたい気持ちは人一倍あったようにも思うのですが、すぐ疲れてしまい、集中力が途切れてしまうような学生でした。

ゆえにもっと勉学に励めば良かった、との後悔の念は、この年になっても殊更強く、心にくすぶリ続けています。

今からでも遅くない、毎日勉強に明け暮れたいほどですが。

でも夫の三度の食事と、その他の主婦業に追われていては、そんなこと絶対無理な事ですものね~

 

ですから、私は子供達に勉強をするよう励ます際、幾度も話して聞かせたことは。

もっと勉強を頑張るべきだった、と常々如何に自分が反省しているかということでした。

 

恐らく実感のこもった私のその言葉は、子供達の心に徐々に染み入り、やる気を起こす動機づけには十分だったに違いありません。。

でもそのせいで、私の親の威厳は次第に失墜していき、娘達はとても優秀だった夫にばかり畏敬の念を注ぐようになってしまいました。

旦那様は、子育てには無関心で、一切関わらなかった人ですのにね~

何だかちょっと割に合わない気がしますけれど。

私のその後の子育ては、期待以上に順調でしたから、良しとしましょう(笑)

 

 

さて、娘達の子育てですが、その点が私とは大きく異なります。

娘達は最高学府を卒業し、とても優秀な母親です。

パパも無論同様で、勉強で苦労をほとんどしていません。

ですから、ヘルマンヘッセの車輪の下ではありませんが、親の重圧は意識していなくても孫達の上には相当かかって来るでしょう。。

娘達は世間一般の母親以上に優しい方だと思いますが、子供に向かって謙虚にはなかなかなれないでしょうね~

こんなことがどうして分からないの?とすぐ思ってしまう傾向があるのでは。

 

その点、私は小学生の頃から、良く子供にさえ頼る可愛い母親(?笑)でしたから、かえって子供の精神の自立を促した気がします。

その方が子供の成長によい影響を与えると感じ、演技をしていたふしも多分にありました。

「ですから、よく娘には、親が賢こくて強過ぎると、子供はいつまでたっても自立できないかもしれないわよ。

演技でもいいから、時に弱い母親のそぶりをして、子供に頼りなさいよ」

と私はよく言っています。

 

親が賢すぎるせいでしょう。

長女家の長男のR君は、かなりの奥手で、私が見ていて少々心配になる程。

ママの努力の甲斐もあって、志望のトップクラスの中学に無事合格はしたものの、学業成績は今一つ振るわず、赤点を貰うこともあるとか。

夏休み前の試験は、このままでは大変な事になると、さすがにママは心配になり、仕事から帰って必死で勉強を見たようです。

すると一気に平均点まで上昇。

恐らく潜在能力はあるのでしょうが、性格が幼すぎ、年齢相応に向上心、向学心が育っておらず、勉強の要領も全く分かっていないのでは?

その話を聞いていた次女は、中学になってまで親が勉強を観るのは如何なものかしら、と疑問を投げかけていました。

長女も、この度は担任の先生のお話から緊急事態と感じ、臨んだことのようで、次女の話に納得していました。

 

お昼食とおしゃべりが終わり、少し遠方の公園に出発です。

 

次女家の長男のK君は、まだ小学校二年生。

お勉強はそれなりに頑張っていて、問題はないようですが・・・・・・

やはり親ほどではなく、あれ~と思うようなことも度々あるようです。

最近は地域の少年野球チームの一員となり、とても頑張っている様子。

次女曰く、「私は子供に期待し過ぎないように心がけているの」と。

「もし、小六になっても野球をずっと続けたいと言うのであれば、無理に受験をさせる必要もないかな、とさえ思う」

と言っていました。

 

更に子供達の将来の話しに話題が発展。

次女が

「出来れば子供達には世の中のためになる仕事に就いてほしいと願っているのだけれど。

Kが国連で働きたい、などと言ってくれると私は最高に嬉しいわ」

と言いました。

その後、長女に向かって、私は問いかけました・

「R君は医師になることを貴方達は望んでいるのでしょ。

子供が好きだから、小児科の先生になればいい、とパパの口癖だものね。

本人も望んでいるのであれば、それが一番良い選択の道では?

人のためにもなるとても崇高なお仕事だもの」と

するとNちゃんが、

「それはそうだけれど、医学部に合格できなければ、実現できないことだから、それが問題よ」と。

こんな感じで夢と現実のギャップに多少悩む娘達の子育て苦労話に、私は耳を傾け、お昼の時間が穏やかに流れていきました。

 

子供の話題意外で、とても印象的な話が、昼食時の席で、もう一つありました。

次女が話したことですが、

「私は今最高に幸せな状況に自分達がいると思っている」

と語ったことです。

両家の両親も、曲りなりにもとても元気だし、子供達も健やかに成長しているからのようです。

そして今後起こるかもしれないことへの心の備えもしっかりできている、とまで言い切り、その言葉に私は少々驚きました。

私も、このブログで、私の好きな言葉として、「覚悟と諦め」を二度ほど紹介したことがありますが、まだ娘は40代になったばかりですからね~

もしかして、私のブログの影響?それはないでしょう。

震災の影響は多分にあるのかもしれませんが。

 

スマホの子供達の可愛い動画を観てとても幸せそうな娘達

 

「我が家の危機は、パパが手術に臨み、K君もその数日前に、山の家で急に容態が悪くなり救急車で搬送されたころではなかったかしら、」と。

その言葉に同意しながら、私は次のように応えました。

「確かにその通りね~私の心も、二重の心配で張り裂けそうだったけれど、何とか皆、体を壊すこともなく平静に対処して、乗り越えてきたじゃない。

恐らく我が家族全員、楽観的人種なのかもしれないわね~

然程の悲壮感はなく、必ず回復すると信じていた向きがあった、と思わない」

といって笑った私です。

 次女が言うように、如何に幸せな状況にあっても、心の備えと覚悟はいつでもして暮らすことは、とても大切なことかもしれない、と私も思います。

まだ40代になったかりの娘ながら、そのような心の備えをして暮らしている事に、少々驚きつつも感心してしまいました。

 

さてこれまでの話は我が家での昼食時のこと。

1~2時間のおしゃべりに過ぎませんでしたが、何と考えさせられることの多い有意義な時間だった事でしょう

夜は次女宅で、次女手作りのお夕食を囲んで、又お昼のおしゃべりの続きになりました。

寡黙な旦那様は、女三人の話しを言葉一つ挟むことなく、黙って聞いていましたけれど。

 

 

 

 

その席で、私は娘達から思いがけない話を聞かされ、親冥利に尽きる様な感銘を受けました。

娘達が、今の仕事を辞めたなら、その仕事体験を生かし、その後は弱い立場の人達を支援できるようなボランティアの仕事に従事したい、と言ったことです

娘の頃から大変子供好きだった長女も、子供のためになるボランティアをしたいようです。

子供達のためにも、そういった母親の姿を見せておきたい、と。

素晴らしい志と、私も心から賛同はしたものの、私がその足手まといにならない様、いつまでも元気でいなければなりませんね~

 

娘達の話を聞き、私は子供達に誇れるものが何かあるかしら、と何だか恥ずかしくなりました。

ママが多少なりとも自慢できることがあるとすれば、子育てを成し遂げたこと、マイホームと庭といった大きな作品を、自分のセンスで作り上げた事ぐらいかしら、と言って笑いました。

すると娘達が、それで充分じゃない、と応えてくれ、何だかちょっとホッとした私です。

 

  

 

またまた個人的な事を取りとめもなく長々と綴ってしまいました。

それにもかかわらず、最後までお読み下さいました皆様には、恐縮の至りでおります

貴重なお時間を割いてまでお付き合いくださいまして、本当に有難うございました。

選挙に出かけ清き一票を投じてきましょうね

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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私の子育て経験談

2013-07-19 18:01:43 | 教育

雨でしっとりぬれた庭の緑が優しい風に揺れ、とても涼しい朝を迎えた一昨日でしたが、

昨日は次第に気温がうなぎ登り。

でも少し前に比べると、多少は凌ぎやすかったようにも、

真夏に、こんな一休みの気候がありますと、本当に嬉しくてほっとしますね。

今日も陽射しは正に真夏日の輝きですが、湿度が高くなく、風も抜け、クーラーのお世話にならないで過ごすことができています。

七時間厳守の睡眠も、三日間実行し、体調もすこぶる良好です。

睡眠の効果が思いがけないところにいろいろ現れ、驚いていますが、このお話は日を改めて述べさせていただきます。

 

 

さて今日は、三連休の最終日、娘家族と共に過ごした時の事について綴ります。

次女のお婿さんは、今モントリオールに出張中。

長女家のお婿さんとR君も都合が悪く、この度の集まりには不在で、少々残念でした。

私の永遠の恋人の一人、R君に(もう一人はK君です)会えませんと、恐らく娘達の想像以上にがっかりしてしまうばぁばなんですけれどね。

ママの話しでは、R君はさらに身長が伸びているようです。

毎日会っている仲の良いクラスメートに、「お前、いやにでかくなっていない?」と言われたとか。(笑)

娘からその話を聞き、笑ってしまいましたが、健やかな成長の凄まじさが想像でき、嬉しい限りです。

 

男性は我が家の旦那様一人でしたが、いつもの集まりとはひと味違った充実感を味わえたお昼と夜のおしゃべりのひと時でした。

そういえば、私、失言!

K君も男性でしたね~(笑)

このK君、さっちゃんと会える日をとてもとても楽しみにしていたらしく、その願いが又かない、さぞや嬉しかったことでしょう。

 

我が家で昼食後、幾分遠方の水遊びができる公園に出かけた娘と孫たちでしたが、昼食時は女三人寄れば何とやらで、話しが盛り上がりました。

でも私は、ほとんど聞き役だったかしら。

お昼の話題は、孫達の学業成績や、育児観などが中心で、私は、少々心配したり、安心したり、感心したり、と急がしく心が揺れ動いた感じでした。(笑)

 

 

 

娘達の話しをする前に、時には私の子育ての経験談、それに思い出話でも先にご披露させていただきましょうかしら。

今回の席で、娘達に聞かせたことも入っていますから。

最近ブログ記事のネタ切れの心配が常に付きまとっている私。

同じ日時に起きたことも、話題を広げ、テーマを分散すれば、数タイトルで書けそうとの苦肉の策の様な気がしないでもありません。(笑)

 

少々手前みその自慢話のように聞こえてしまうかもしれませんね~

お聞き苦しいと思われる方は、どうかパスして下さいね。

人の受け止め方は様々ですから、そのような印象を受けられる方がいても当然と思います。

私は淡々と事実を語り、お読み下さる方々の子育て、孫育ての多少でも参考にして頂ければ、との思いだけです。

私の育児観の良かれ悪しかれは、皆様のご判断にお任せして・・・・・・

これから書く記事を読むでしょう娘達には、大いにそれを期待しています。

 

もって生まれた資質もあったのでしょうが、私は娘達の勉強で苦労をしたことは全くといってよいほどありませんでした。

全くは、多少語弊があるようにも。

長女の中学受験は、突然思い立ったことで、そのスタートは小六の春からでした。

夫の赴任先のアメリカからの帰国発令が出たのに合わせての開始だったのです。

本人が受けたいと望んだから始めた受験勉強でしたが、受験まで八カ月しかありません。

如何に娘の願いをかなえてやるか、私も計画を立てたり、勉強も見てやったり、必死で協力しました。

塾では間に合わないとの私の判断で、家庭教師もお願いしましたけれど。

親子で取り組んだ受験勉強。

その甲斐があり、志望校に無事合格できた長女です。

 

 

 

さて、私が子育で、一番心がけたことは、動機づけ。

大学の児童心理学の講義で、動機づけの大切さを教えられ、それが胸に深く刻まれたからなのですが。

母親になったなら、必ず実践しよう、と心に誓っていました。

 

頑張りなさいと言う前に、頑張るための動機づけをしっかり心に植え付けてやる事。

何故、思いやりの心が大切か?

何故勉強をすることが大切か?

何故本をたくさん読むことが大切か?

そんな感じです。

ですから、私の子供たちへの語りかけは、説得調になりがちで、親には、くど過ぎるなんて言われたこともありましたっけ。(笑)

 

幼い時は、「遊ぶことが子供のお仕事」なんていう事も、よく言っていましたね~、

パディントンの絵本の影響ではなかったかしら?

お仕事、という言葉に子供たちがとても関心がありましたから。

無論、私も、心底、子供のお仕事は、のびのび日々、元気に遊ぶこと、と思っていましたので、そのような環境を整える配慮をしました・。

 

そして努力の大切さを、折りある毎に言い聞かせました。、

誠心誠意、何事にも、一生懸命取り組んでほしい、と願ったからです。

う一つ私の口癖だったのが、頑張る過程が大切であって、結果は気にしなくて良いと言うこと。

受験が迫ってきた時など、これ以上の励ましの言葉はない、と思ったほどです。

「神様が貴女に一番ふさわしい学校を選んで下さるから、何も心配せず頑張りなさいね」

何ても言ったものでした。

 

 

 

お話しが前後してしまいましたが、就学後、私が心掛けたことは、落ち着いて勉強ができる環境を整えてやること。。

読書好きになってほしいと思いましたから、子供が喜びそうな本をさりげなくソファーの上に置いたり、食後の三十分は読書タイムにしたり、と。

アメリカ在住時は、アメリカンスクール終了後に一息つくと、日本人学校に出かけ、二時間半程度の授業を毎夕受け、帰宅は七時頃でした。

宿題が結構多く、それをこなすのみでしたしたが、そのお陰で基礎がしっかり身に付いたようです。

アメリカ在住の頃の日本人学校の教育は良い先生たちに恵まれ、短時間ながら、とて充実した内容でした。

素晴らしい教育を受けさせてもらった事を、今なお感謝しています。

週末には、親子で日本人学校付属の教会に通い、大変良い影響を受けました。

子供達の人格の基礎をこの教会で築かれた、と言っても過言ではないかもしれません。

私もその頃は、とても信心深かったのですけれどね~

その後の私は、といいますと・・・・・・

ご想像にお任せします。(笑)

 

 私は子供のテストの結果に割と無関心でしたが、漢字テストの結果が悪い時だけは、厳しく叱りました。

何故なら努力すれば、誰でも必ず百点が採れるからです。

悪い結果が出れば、それは努力を怠ったに過ぎませんから、厳しく注意して、努力することの大切さを身に染みさせるようにしました。

他の科目は、努力だけでは結果が出ないときもありますものね~

 

苦労話の時に語った長女の受験の話にまた戻りますが、私の教育観の念頭には、最初、受験は全くない事でした。

私には独特の子育て論があり、子供達に受験をさせたいとは思っていなかったからです。

色々な境遇の子供達の中で、たくましく育つ事が、今後の人生によい影響を与えるとの信念がありましたから。

 

実は、夫の帰国は、義父の容態が芳しくないことから、急に決まったことで、心の準備はまだなにも出来ていない中、慌ただしく荷づくりを始めたものです。

その多忙な日々の暮らしの中で、娘達を我が子のように可愛がって下さったKさんの一言が、娘の進路を変えることに。

その一言がなければ、娘は区立の中学校に、当然のように通っていたことでしょう。。

その一言は、その後の娘の順調な学生生活を思いますと、、まさに天の啓示のように有難いことでした。。

Kさんには、ほかでも大変お世話になり、感謝しきれない思いでいます。

 

 

Kさんのその一言とは、

「J学院は、Mちゃんに向いた良い学校だと思うわよ。きっと楽しい中学生活が送れると思うわ」と。

実際の受験時には、私は、ミッションであることと制服に惹かれ、F中学を受験させたのですが・・・・・

その時からです。

振って湧いたように、受験を意識するようになったのは。

ここで私は一工夫し、6年生になったばかりの長女に、受験の動機づけをしたのですが・・・・・・

見事にそれが成功し、本人がやる気をとても起こしてくれました。

そして五月の帰国後から始まった我が家独特の受験奮闘記なるものは、、長くなりますので、またいつかの機会にでもお話しさせていただきます。

誠にとりとめもない文章ですが、子育ての経験談と私の育児観の一端のご紹介をさせていただきました。

娘達はむろん、ご覧下さった皆様も、孫育てで多少でもご参考にして頂ければ幸いに存じます。

 

 

         

最後までお読みくださいまして誠にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 


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私の願いが叶ったいじめ対策

2012-09-14 07:12:03 | 教育

政治を始め、その他さまざまな社会問題には、多様な意見があって当然、と言った思いでいつも暮らしています。

ですから、私も感じる事があれば、時に率直に、自分の意見もブログに語ってきました。

しかし、そのような事を話題にすると、なんだかブログの居心地が、1日悪くて仕方がありません。

生意気な事書いちゃったかしら?専業主婦の分際でなんて・・・・・・

分際は、批判されたこともある、問題ありの用語ですね~

謙遜のつもりですので、誤解なさらないで下さいね。

          

 

新聞で興味のある記事は、日々精読し、感性のアンテナが錆びないように努めてはいるつもりですが・・・・・・

自分の意見に、自信があるわけでは全くありません。

 

恐らく、一昨日の私の意見にも、異論を唱えたい方は大勢いらっしゃることでしょう。

当然ですね~

私は、そんな方々の厳しい視線が、少々気になり、1日中ドキドキでしたが・・・・・・(笑)

インポイント数は、私のおよその平均値より幾分多目で、ほっとしました。

コメントを受け付けていれば、多くのご意見を頂けたかもしれません。

しかし、私の今の暮らしのリズムと体力では、とてもそれにお応えするのは無理。

改めて、この非礼をお詫び申し上げます。

 

さて、こんな私ですが、社会問題について私が述べた提案に、思いがけない速やかな反応があり、大変嬉しかったことが、最近ありました。

大津のいじめ問題で世の中が騒然となった時、私がブログに綴ったいじめ対策への政府の反応です。

むろん、私の記事を読んでの回答ではないことは明らかですけれどね。(笑)

 

この時も、書き終えた後、当分ブログの居心地が悪くて仕方ありませんでした。

このような意見を書くべきでなかったかしら、と少々後悔もし、一時は削除も考えたほどでした。

インポイント数が少なかったので、ますます自信をなくしてしまったのかもしれません。(笑)

そんな安易な方法で解決できるような問題ではありませんよ、といった声が聞こえてくるような気がしてならなかった私です。

 

私が述べたいじめ対策は、7月13日、7月14日のブログ記事に載っています。

何と私のその願いを、政府が期待以上の内容で叶えて下さることと知った時は、少々驚きでした。

最近はすっかり信頼を失っている政府ですが・・・・・・

その迅速な対応が意外で、心から喜びました。

         

 

何とすべての、公立中にカウンセラーの設置を義務付け、その予算を組むとのこと。

政府が決めた、学校現場での具対策とは・・・・・・

 ①スクールカウンセラーの公立中への全校配置

 ②全国に約800人のいるソーシャルワーカーの倍増

 ③教員の研修の充実

 ④いじめ防止をテーマにした自動会、生徒会活動の促進

などが挙げられています。

他にも、総合的な方針として、命にかかわる恐れがある案件を国に報告させ、教育委員会を指導するなど、現場任せにせず、国が主導する姿勢を打ち出しています。

 

この記事に接し、よかったと思う一方、形式的なものにならなければよいが、、と幾分の不安も抱きました。

自発的に設けたものであるなら、学校は、その制度の生徒達への浸透と活用を、精一杯図ることでしょう。

しかし国の通達ですと、果たしてそれがどこまで生かされるか、多少心配です。

 

カウンセラーと言えば、私も妹の夢路と一緒に、一度だけ病院内で、利用したことがあります。

私の両親が揃っ入院している時のことでした。

その頃は、寝たきりの両親二人の自宅介護で、夜も熟睡できないほど大変でしたが。

苦労を感じる暇もないほど多忙な日々でした。

 

何故カウンセラーを訪ねたのか、今となってはその理由は思い出せません。

恐らく、何がしかの問題があり、その対処法を教えていただきたかったのでしょう。

日頃の疲れも、癒したかったのかもしれません。

お会いしたカウンセラーさんは、柔らかな雰囲気のする、とても素敵な女性でした。

しかし密室のような狭い部屋で話し合い後の、私の思いは、期待外れ。

その方は、意見は全くおっしゃらず、聞き役に徹しておられたからです。

 

それが、カウンセラーのマニュアルで、マニュアル通りに対応されたに過ぎない、と見抜いた私。

妹も、同様の感想でした。

相手が、自分よりはるかに年上の年配者だったため、遠慮もあったのかもしれませんが・・・・・・

虚しさだけが残り、二度と訪ねたい、と思いませんでした。

          

 

そんな経験があるため、今回の全校設置を心から嬉しく思う半面、きれいごとで終わってほしくないとの思いがあります。

真剣に取り組むと、カウンセラーの方にとっては、大変なお仕事と思います。

精神的負荷も、かなりのものとなられるに違いありません。

しかし、泥臭さを発揮する位の情熱でもって、この問題に取り組んでこそ、初めて効果が期待できるのではないでしょうか。

密室での話し合いだけでは、なかなか解決できる問題ではないように感じます。

友人関係、親子関係、本人の性格、その他実に多くの問題をはらんでいますもの。

 

生徒達に溶け込み、話しやすい親しみのもてるお姉さん、お兄さん、あるいはおじさん、おばさん、と言われるようになって頂きたいものです。

そして、日頃何かと雑ようにも追われ、生徒への目が行き届かない教師の補助役として、、子供達の指導に当たってほしい、と。

取り澄ました、存在感の薄いカウンセラーほど、役立たないもはありませんものね~

           

 

カウンセラーとして、これ以上の適役の方はいらっしゃらない、と思うブロガーさんのお名前を挙げましょう。

先日にも、失礼ながら勝手にご紹介させていただいた夢想花さんです。

今は、登下校の子供達のスクールガードをなさっておられます。

元教師でいらっしゃり、ブログで素晴らしい教育論をよく述べておられます。

 

他に思い浮かぶのは、正にそのお仕事に従事なさっておられる、ゴリさん。

私のブログのブックマークで夢想花さんとともに、ご紹介させて頂いています。

ブログ名は、「ワーキングマザーのシンプルライフ」です。

長女と同年代の方で、小さなお子様を抱えて、臨床心理士のお仕事に励んでおられます。

今後、ますます責任が重くなり、ご苦労が多くなられる事と思いますが、頑張って下さいね。

ネット上の娘のような思いで、日々陰ながら応援しています。

 

机上の話し合いで終わってほしくない、との願いを込めて・・・・・・・

この制度が今後生かされ、SOSを発信している子供達を支え、健全な精神の育成に大いに貢献することを期待して止みません。

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驚いた二つの報道記事の見出し

2012-07-14 07:05:12 | 教育

 

経験のないような大雨・・・・・・

死んでくれて嬉しい・・・・・・・・

どちらのフレーズも、恐らく、かって耳にしたことがない言葉です。

何だか、身震いしそうな、怖さを感じる表現ですね~

 

まず、「死んでくれて嬉しい」の言葉への、私の率直な感想を書きます.

大津の中学生の事件での、いじめた生徒の発言のようです。

もちろん報道ゆえ、真偽のほどは明らかではありませんが。

この発言が真実なら、恐らく、世間やメデイアの受け止め方は、一層厳しくなるでしょう。

 

しかし昨日、私がこの日記で触れた臨床心理士の方でしたら、どんな感想を抱くのでしょうか。

あくまで私の推測に過ぎませんが・・・・・・

          

 

いじめた子の本心ではない。

怯えが、自虐的行為となって、このような投げやりな発言をさせる、といった具合にならないかしら。

もっと専門的な用語で分析されるのでしょうが。

 

私が学校にこのような方を常設し、積極的に、子供の問題にかかわってほしいと希望するのは、上に挙げたたように、一般の人とは、人の行為をとらえる視点が、多少異なると思うからです。

世間は、興味本位なところがあり、勝手に何でも言います。

警察は白か黒かで、裁くだけでしょう。

 

信じられないような行為に走り、どんなにひどい言葉を吐いても、まだ中学生のこと。

背景の荒んだ家庭の状況は(裕福であろうとも)、推して図られ、救いようのない気持ちになりますが、私は対応次第で更生の余地は、まだ十分残されていると思います。

 

加害者のご両親は、事件後、どのような態度を示し、子供にいかに接したのでしょうか?

私が今、一番関心を抱いていること。

報道で知る限りでは、知的水準の非常に高い家庭のようです。

恐らく、このような事件を引き起こすにいたった子供の心理を分析する能力のある方達でしょう。

その辺りの事情を、正直に公表し、今後のいじめ問題に役立てるべきではないでしょうか。

 

土下座してでも、親子で、被害者の家庭に謝罪をなさいましたか?

謝罪の言葉一つないのであれば、末恐ろしい事です。

 

学校と教育委員会の、この度の事件への対応と解決の仕方は、いくら非難されても仕方のないことでしょう。

誠実な取り組みができていれば、尊い命の灯が消えることはなかったでしょうに。

そう思うと、本当に残念で、私も怒り心頭です。

 

学校への、 警察の立ち入りが、今後は起きてほしくないけれど、今回は、良い結果を生むかもしれませんね~

学校は、聖域という言葉に、甘え過ぎていたように思うからです。

大津の学校に限らず、いじめの行為を繰り返してきた子供達には、この鞭は堪えるでしょう。

この事件を契機に、学校のいじめへの姿勢が厳しくなり、いじめ問題が激減。

二度と痛ましい犠牲者が出ないことを、ひたすら祈るばかりです。

 

この度のいじめは、確かにかってないほど、陰湿でひどいものでした。

しかし、如何に非情な行為を犯したにせよ、加害者の中2の子供達の人権は、守られるべき、と私は思います。

本名や写真が暴露されるなど、この子たちへの世間の風当たりの厳しさに、驚いています。

 

次に、もう一つのフレーズ。

経験のないような大雨。

このことについては、次回で述べさせていただきますね。

 

九州各地では、豪雨による犠牲者も出て、大変な事態になっているようですね~

心よりお見舞い申し上げます。

自然の猛威の牙は、今持ってむき出しのまま。

何故自然は、こんなに日本を傷めつけるのか?

地球の温暖化現象に起因するのでしょうが、

私は政治が生まれ変わってまともになれば、この荒れ狂う自然の魔物も影を潜めてくれるのでは。

そんな気がしてなりません。

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続編 いじめの問題について

2012-07-13 08:12:57 | 教育

続編を明日また、などと書いてしまいますと、途端に綴ることが義務化されたお仕事のようになってしまいました。

いつものように気楽にブログに臨めない。

何だかちょっと緊張しています。

              

                           ペチュニア 花言葉 心がなごむ 心が安らぐ

 

いじめ防止の提案なんて、大それたことを書きましたね。昨日は・・・・・・・

提案と言える程の内容のものか???

まして、私の見解が、きちんと整理されているわけでもなく、実に漠然としていますから、なんだかちょっと恥ずかしいです。

適当に読み流してくださいね。

弁解や言い訳は、みっともないのでこの位にし、本題に入ります。

 

私は、いじめの問題は、昨日もお伝えしたように、育児や教育の理想論をいくら謳っても、解決はしないと、思っています。

良識ある親なら、そのような事が綴られた書物には度々目を通し、当たり前のように愛情をかけた子育てをしているでしょうから。

 

問題は、厳しい家庭の事情から、夢を持てない両親の下で育てられた子供達の心の病と、その子たちのストレスの発散の的にされた子供の心の苦しみです。

そこまで的を絞って、この対処策を具体的に検討すべきことではないか、と思いました。

 

私は、はっきり申して、学校の先生には、過度の期待はしていません。

私は、学生時代、先生には大変恵まれた方だと思っています。

しかし担任の先生方と密接なつながりや十分なコミュニケーションがあったかと言えば、そんなことはありませんでした。

親が間に入り、尽力してくれたお陰で、先生から言い知れるぬ恩恵を授かったことはあります。

そのことを思い起こしますと、親の役割も非常に大切に思えてきます。

今回の事件では、ご両親が幾度も、警察や学校に訴えても、相手にして貰えなかった、と聞き、愕然。

信じられないことでした。

 

もし、学校も、教育委員会も余り頼れないとなると、一体どうすれば良いのでしょうか?

ここで私の提案です。

              

                                                         オレガノ   花言葉 輝き

第三者的な立場の人を雇い、学校に常設しては如何でしょうか。

その人の協力も得て、もっとクラスの実態を把握する努力を怠らないことです。

それを知る、一番手っ取り早い手段は、定期的にアンケートを取ることでしょう。

或いは、学級委員、その他の生徒から、定期的に、クラスの様子を聞くのも一法かも知れません。

 

そして問題があると分かれば、アンケート等の調査から浮き上がった生徒(特にいじめのリーダーやいじめられっ子)には、個人的に接触し、心のケア―におけるフォロー体制をしき、卒業まで見守り続けます。

多忙な親や教師がなかなかできない心理面での支援の手を第三者の協力の下に差し伸べ、その子の成長の手助けをしていくのです。

問題が生じた時、一番効果があるのは、やはりワンツーマンの指導体制でしょうから。

今回のような痛ましい事件が起きないために、細やかな教育を、学校が、心理面でも積極的に取り入れていくべき、と私は思うのです。

 

そのような働きをしてくれる第三者的立場の人には、どのような方が向いているでしょうか?

臨床心理士のようなカウンセラーのお仕事とをしている方は、適役でしょうね~

或いは、大変な子供好きで、青少年の育成に関心が深く、能力にたけた社会人や退職者を雇うのもいいかもしれませんね~

 

確か娘達が卒業した中高一貫教育の私立学校にも、カウンセラーは常設されていたように思います。

しかし、その様な方々が、学校でどの程度の役割と働きを担い、果たしているのか知る由もありません。

もし悩みを持つ子が訪れた時の対応のみに過ぎないのであれば、その能力が生かされず、余りにもったいなさすぎます。

 

もっともっと学校に積極的に関わり、クラスの実態を調査もし、心理面で問題のある子を支援すべきではないでしょうか。

そして先生とも、常に情報交換をし、共に手を組んで、子供の成長を気長に見守り育てていく。

その結果、すさんだ心が潤い、健やかな精神で卒業できたなら、教育の素晴らしい成果だと思うのですけれど。

そんなお仕事こそ、まさに聖職。

カウンセラーと教師の共同作業の下に、情熱を持って取り組んでほしい、と心から願います。

 

学校の財政は非常に厳しい、と、PTA問題を取り上げた新聞報道で読んだことがあります。

しかし、国の宝である子供達の成長の助けとなるのであれば、こういった方面での助成金は、惜しげもなく政府は学校へ提供すべきではないかと。

教育は、まさに国造りの礎。

青少年の心身の健やかな成長が、一番の国の重要課題であることを、言うまでもないでしょう。

 

この度、事件が起きた学校では、生徒たちが自主的にこの問題の解決策に取り組んでいるようです、

悩みを書いたカードを校内に掲示。

それを見た生徒が、自由に書き込むという「アドバイスカード」を取り入れたとのこと。

 

我が校の問題で、騒然となった社会現象に、生徒達の心は、どんなに動揺したことでしょう。

そんな中、子供達が必死で考えた提案に、心からの拍手を送りたい気持ちで一杯です。

子供達の努力で、現状が多少でも改善できれば、それが一番理想的ですもの。

心が熱くなるような、さわやかな嬉しい報道でした。

 

学校教育の問題を、警察沙汰にまでする必要が果たしてあったのか?

今回は、止もを得ないのでしょうが、当校の生徒の気持ちを察すると、複雑な思いがしています

 

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