今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

昨日に続いてもう二組の素敵なご夫婦~新幹線の車中にて

2017-08-31 06:52:10 | 旅行

お盆時の旅行の話は、そろそろ皆さん飽きていらしたでしょうね~

話題の乏しい私は、一つの出来事から色々テーマを見付けて、タイトルにしては、綴ってごまかしているような。

そんな感じがしないでもありませんが。

丁寧に書いているということにして、大目に見て下さいね。

 

さて今日こそ、お盆の旅の最終章です。

昨日で終わりにしても良かったのですが、とりとめもない話題ながら、私の心にほのぼのとした余韻を残す、印象的なエピソードがありましたので。

それについて、二件綴ります。

仲睦まじいご夫婦のお話。

昨日も、親戚の素敵なご夫婦の事を話題にしましたので、三件になるでしょうか。

 

いよいよ画像が少なくなってきました。
またこんな写真で失礼します。

 

帰りの新幹線の席でも、二組の素敵なご夫婦と隣り合わせになりました。

夫を失って、まだ二年足らずの私には、羨ましくもあり、心にチョッピリ影を落とすひと時でもありましたが。

そのご夫婦たちの幸せのおすそ分けをさせてもらったような、温かな気持ちにもなりました。

 

広島駅で帰りの新幹線に乗車し、自分の席番号の前に来た時は、一瞬戸惑ったのですけれどね。

私の席にご婦人がすでに座っておられたからです。

私が困った顔で立ちすくんでいると、そのご婦人は、

「席を間違えました」と言われました。

そして荷物と共に、前のテーブルに乱雑に広げられた小物を抱きかかえるようにして、後ろの席に移られました。

不愛想な方で、笑顔もすみませんの一言もなく、いやに不機嫌そうな態度。

変わった方だわ、との印象を受けましたが。

それ以上気に留めることもなく、無事に空いたシートに腰かけることができた私です。

 

 

ところが、その人とは打って変わって、私の隣席は、とても柔らかな雰囲気の優しそうなご婦人でした。

私とさほど年齢が変わらない方のように見えました。

私が荷物を、足元に置こうとした時の事。

自分の前にも置いてください、と実に気さくな態度と笑顔で、優しいお言葉をかけて下さったのです。

ご親切な態度に感激しましたが、丁寧にお礼を申し上げ、自分の前に置くことにしました。

 

余りに第一印象が素敵なかたでしたので、お互いに初対面ながら、30分くらいおしゃべりに花をを咲かせました。

福岡にお住いのご長男家族のところに遊びに行かれた帰りとのこと。

その後も、ご夫婦の会話のやりとりが耳に入りましたが。

仲の良さが、すぐ私には見て取れました。

ご主人様は、温厚な雰囲気で口数が少なく、奥様がもっぱらお話を。

その話し方が、とてもお優しくてチャーミング。

素敵な奥様を持たれたご主人様の、幸せなお暮らしぶりが窺えるようでした。

神戸で下車されましたが、その余韻がいつまでも、私の心に残りました。

 

 そして次の停車駅、新大阪から私の隣席に、今度は若夫婦が着かれました。

まだ生活臭など全く感じられないような、清々しくて知的な雰囲気が漂う若々しいお二人。

ショートカットの横顔が美しく、お若いのに、とても落ち着いた佇まいでいらっしゃいました。

装いも、上品で。

ご主人様が、遠慮深げにそっと自分の手を奥様の手に重ねて、pcに向かっておられるのに、気が付いた私。

何だか見てはいけないものを見てしまったような・・・・・・。

つい、自分の新婚当時に思いを馳せました。

 

記事に関係ないですが、最近のお夕食
下のホテルのお料理を幾分意識して・・・。

 

 

優しそうな素敵な老夫婦と若夫婦が隣席され、リラックスできたせいでしょうか。

私は、新幹線に乗車中、時間の大半を、眠りこけて過ごしてしまいました。

余程、疲れていたのでしょう。

本当は、普段はかどらないデスクワークに、行きの車中の時と同様に集中したかったのですけれど。

 

最寄りの駅に着いたのが9時前。

夫のお墓参りと親戚のお宅のご挨拶を無事に済ますことができた安堵を胸に、家路を急ぎました。

 

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私の目標~敬愛して止まない高齢の御夫婦

2017-08-29 07:25:39 | 旅行

今日は、原爆慰霊碑を訪ねホテルに戻り、チェックアウト後、束の間の時間でしたがお邪魔した、夫の親戚宅のお話を致します。

既に、前の記事で、このご夫婦への私の敬愛の情については触れましたが。

今日は、もう少し詳しく語りたいと思います。

 

旅行の荷物をすべて携え、タクシーでそのお宅に向かいました。

もちろん、すでにご挨拶に伺う旨、ご連絡がしてあります。

到着すると、N先生が、夫の一周忌の法要でお会いしたときと全く変わりない、お元気そうな姿と笑顔で、私を迎えてくださいました。

92歳になられますのに、お顔に皺が全くなくて、色つやも私より良く、羨ましくなるほど。

 

 

以前伺ったお話では、健康管理が徹底しておられるようでした。

感心することばかりだったのです。

ローヤルゼリーをワンスプーン、毎日飲んでいらっしゃるとも伺いました。

たしか普通のはちみつと混ぜて(?)

そうしないと飲みにくいようです。

うろ覚えですので、はちみつではなかったかもしれません。

私も、そろそろ試したいと思っていることなので、その内、もう一度伺ってみますね。

散歩も、もちろんなさっておられます。

他にもいろいろお聞きしたのですが、数年前の事ですので、よく覚えていません。

 

この記事の画像は、すべて平和記念公園で撮ったものです。

 

健康管理の知識がお詳しいのには、訳があります。

実は、親戚なのに、私が先生とお呼びするのは、80過ぎまで産婦人科の医師として活躍されたからです。

医学の専門知識に基づいたご自身の管理ゆえ、それは盤石でいらっしゃることでしょう。

 

とても美しい奥様は、度々の大病を乗り越えて、今に至っておられます。

九死に一生を得るようないきさつが数度おありでした。

そのたびに、N先生が、担当医とご相談しながら、渾身の治療にもあたり、手術室でも立ち会われたとのこと。

その努力の甲斐が実って、86のお歳になられても、とてもお元気そうです。

お優しい医師の旦那さまを持たれた奥様の境遇を、お話を伺うたびに、羨ましく思ったものでした。

 

久し振りにお目にかかったお二方様は、90歳近いご高齢にもかかわらず、かくしゃくとなさり、芯の通った明るい言動や態度に、私は唯々感心し、尊敬の念を懐くばかりです。

 

原爆の子の像

 

ところが、このN先生が、お目にかかるたびに口にされるのは、義父への感謝の言葉です。

更に、夫が幼かった頃、相手をした時の思い出話の数々を。

 

その理由は、先生から、幾度も伺ったお話から、わたしは知ったことでした。

N先生が医師の資格を得て、産科医の道を順調に歩むための環境を、義父が心を尽くして整え、面倒を見たようでした。

医学生の時は、開業医の義父の家に下宿させてもらい、まだ幼児だった夫の相手をよくしたとのこと。

夫が可愛くて利発だったことを、目を細めて話されます。

郷里の老舗の和菓子屋店のお嬢様であられた奥様を、N先生に紹介したのも、義父でした。

 

 

そのためでしょうか。

ご高齢にもかかわらず、長年にわたり、お盆、お彼岸には、 義父母のお墓参りを欠かさず、必ずして下さっているとのこと。

義父母も、N先生の律義な態度に、感謝していることでしょう。

 

夫が病に伏せるようになってからは、私達も、身に余る心遣いを色々受けました。

わざわざ、ご夫婦揃って、広島からお見舞いにも来てくださいました。

病状の事で、相談にも度々乗っていただいたものです。

 

義父が甥にあたるN先生をとてもかわいがったのは、N先生のお人柄の良さもあったことでしょう。

今でもお会いしてお話させていただくと、先生の温かなお人柄に抱かれるような心の安らぎを覚えますから。

 

いつまでもいつまでも、お元気でご長寿を全うされ、私の目標でいて下さい。

そして、励まし支え続けて頂きたく、心から願っています。

 

       

 

最後に、先生から伺った耳よりの情報をお知らせ致しますね。

皆様はパイオニアの「集音器」をご存じでいらっしゃいますか。

補聴器と同様の効力を発揮するもののようです。

但し補聴器より格安で、なんと一万円前後で求められます。

そのうえ、補聴器よりはるかに聞えがいいとのこと。

 

新聞でも、よく最近補聴器の広告を目にしますが。

安くても五万円以上。

数十万するのが一般的でしょうか

ドイツ製などとなると、五十万円くらいになるそうですが、決して聞こえ心地は良くないとの事。

 

安いパイオニアの集音器の方を、強くお勧めくださいました。

試しにネットの口コミを読むと、そこでもとても評判がいいようでした。

私は、会食のレストランで、席が少し離れた友人の声が聴き辛くて困ることがあります。

一万前後なら、一度試してみてもいいですね。

 

年を重ねると、いろいろ不自由なことがおき、人生の悲哀が一層身に沁みます。

耳の聞え云々だけでなく、私は最近、ちょとした爆弾宣告を医師から受けました。

その割には元気で、こうして淡々とブログも綴っています。

近いうちに、その話題にも触れたいと思いますが。

なるようにしかならない。

そんな気持ちで、割と冷静に受け止めていますが、元気かと思と急に不安になり、少し落ち込んだりと。

気持ちの揺れがいつになく大きいです。

 

皆さまも、くれぐれも、ご自分のお体をいたわって、良き日々をお過ごしくださいませ。

 

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美しい郷里の街~原爆慰霊碑を訪ねて

2017-08-27 07:12:17 | 旅行

広島滞在の二日目の朝を迎えました。

旅行先で迎える朝には、独特の解放感がありますね。

家事の心配なし。

のんびりゆったりと時間が流れていくのに身を任せ、ぼつぼつ荷物の整理と身支度をはじめます.

ホテルでも早起きの私。

4時過ぎには起床しました。

6時過ぎに、階下に降りて、バイキングの朝食。

窓辺の眺めの良い席に誘導していただき、昨日抱いたお部屋の不満が少々解消されました。

 

 

大好きな朝のバイキングを愉しんで、お部屋に戻ると、まだ七時半過ぎ。

帰りの新幹線は、午後一時前発です。

多少ゆとりが持てる時間の過ごし方は、前夜から考えていました。

平和記念公園を久し振りに散策すること。

久しく訪れていませんでしたから。

とは言っても、あまりのんびりはできません。

11時には、夫の親戚のお宅に、短時間の予定でご挨拶に伺う予定にしていましたから。

 

お盆シーズンで、立つ間際に、私の希望にかなうホテルの予約を取れたのは幸運といってよいほどの事でしたが。

この度の客室の不満はさておいて、立地条件は、これ以上は望めないほど、私にとっては、適切な所でした。

平和記念公園までは、徒歩で7~8分。

親戚のお宅も、タクシーでワンメーターそこそこの距離でしたから。

 

 

よく歩きました。(多分これが災いしたのでしょう。帰宅の翌日から、とんでもない事になってしまいました。)

久し振りの平和記念公園にたどり着くまでの、川の景観の何と美しい事。

周りには優しい稜線の山並みが遠方にに霞んで見えます。

瀬戸内の海は、ここからはむろん望むべくもありませんが、頭の中ではイメージができ、山の幸、海の幸に恵まれた広島の豊かさを改めて思いました。

 

この広島が、72年前、一瞬にして、地獄のような惨禍に見舞われたのですね。

その後の目覚ましい復興にも、思いが至り・・・・・・。

久し振りにゆったりと歩く広島の街。

感慨もひとしおでした。

 

 

平和記念公園に入ると、原爆の犠牲になった人たちを悼む、ドーム状の慰霊碑が目に入ってきました。

その前の広場を通り抜ける時、私の頭に最初に浮かんだシーンは、毎年執り行われる、8月6日の慰霊式典でした。

この式典を、犠牲になった方々は、どんな気持ちで受け止めてこられたのでしょう。

形式に走りすぎず、純粋な祈りの場であってほしいものです。

今は、被爆した私の両親の名前も、死没者の名簿に記されているはずです。

私の氏名も、将来この過去帳に載るのでしょうが、何だか、しっくりしないものがあります。

 

 

この記事を書くにあたって、いろいろ調べ、新たな知識も身に付きました。

このドームの設計は、丹下健三氏が手掛けたこと。

 

「安らかに眠ってください

過ちを繰り返しませんから」

 

慰霊碑に刻まれたこの言葉は

「碑の前にぬかずく1人1人が過失の責任の一端をにない、犠牲者にわび、再び過ちを繰返さぬように深く心に誓うことのみが、ただ1つの平和への道であり、犠牲者へのこよなき手向けとなる」

に準じたものであったとのことだそうです。

私は素直にに受け入れられる、素晴らしい思いだと感じました。

 

アメリカを責めても始まらない。

戦争は、人類すべてが背負う責任。

人間の愚かさを表す最もたるものでしょう。

私は、そんな思いでいましたから、広島で生まれ育っても、アメリカ憎しなどと思ったことは一度もありません。

碑に刻まれた言葉の深い意味を知り、一人ひとりが責任を負う、といった気持ちを一層強くしました。

 

 

色々な思いが去来する中、朝のまだ清々しい空気に包まれて、私も、慰霊碑の前で黙とうを捧げました。

その後、原爆ドームにも立ち寄り、ホテルに戻ったのが、10時過ぎでした。

 

時間的に無理ということもありましたが、私は今後もおそらく原爆資料館を訪れることはもうないでしょう

オバマ大統領が折った折り鶴が見てみたい気もしますが。

小学生の頃、見学した資料館の壮絶な写真の数々や遺品が、今も胸に焼き付いています。

その時、二度と見たくない、と思いました。

 

 

父も母も、私もその渦中にいた人間でしたから。

資料館を訪れなくても、私には肌身で感じられる重たい事実があります。

タクシーの運転手さんのお話では、父の勤めていた会社は、爆心地から距離にして1キロ足らずとの事。

出張から戻った翌日で、出勤を三十分遅らせてよかったために助かった父の命。

通常通り出勤した方々の犠牲者の陰で、命拾いした父です。

 

前にも書きましたので、説明は省きますが、母も私も、似た強運で、命が助かりました。

多くの人たちの犠牲の上に、今の幸せな私の暮らしがあることを、改めて思わないわけにはまいりません。

今この記事を書くことにより、そんな殊勝な気持ちになりました。

 

平和記念公園に通じる美しい街路

 

今も、紛争やテロが絶えない世界の様相ですが、その原因は、貧困、不平等、その他色々な悲しい現実もあるようですね。

そのことにまで思いを致し、同じ過ちが繰り返されないように、世界の隅々まで、平和が浸透するよう、祈って止みません。

 

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広島滞在の二日間~墓参の日

2017-08-25 07:25:51 | 旅行

体調不良もあり、色々迷たうえでの郷里、広島への旅立ちでしたが、無事に広島駅に到着。

心配した足の痛みも皆無。

体調も悪くありませんでした。

久し振りの広島駅で、目に留まったのは、いたるところに目立って存在するカープのポスターや、赤ヘルのユニホームを装った人たち。

気のせいか、とても明るく活気に満ちた特別の雰囲気が漂っているようにさえ感じられました。

それはそうでしょう。

カープの快進撃は止まりそうにありませんものね~

一昨日、広陵は、大敗し、優勝を逃してしまいましたが。

高校野球まで、広島勢が優勝しては、あまりに、広島県民は恵まれ過ぎ。

準優勝でも、心から喜びたいと思います

 

カープの快進撃を見て、いつも残念に思うことは、優勝した前年に,夫が亡くなった事。

いつも物静かに応援する人でしたが、心の中は熱狂的なカープファンでした。

カープが試合に勝つと、明らかに顔が緩んで機嫌がよくなった旦那さまです。

 

優勝の歓喜を、冥土のお土産にしてあげられなかったことが、返す返す残念ですが。

恐らく今は、風となって、毎試合を観戦していることでしょう。

 

こんな威勢のいいことを書きましたが、昨日、病院に付き添ってくれた妹の話では、四番打者の鈴木選手が骨折、連敗しているとのこと。

四番打者の休場は大打撃でしょうが、きっと、その難関をばねにして、さらなる健闘をしてくれるに違いありません。

頑張れカープ!

 

 

カープの善戦で、赤色が目立ち、特別なムード漂う広島駅を後にして、目の前に立つ、デパートに入りました。

複雑な駅の構内を歩き、地下道も利用して、このデパートにたどり着くまで、最初の頃は苦労しました。

何だか迷路のように感じられてしまうほど複雑なルート。

 

今回は、夫が亡くなってから7度目の帰広のため、さすがに順路が、大体把握できたようです。

スムーズに、デパートの花屋さんに着きました。

そこで、夫のお墓と、親戚のお墓に手向ける供花を、買い揃えました。

更に、お寺さんと、立ち寄る予定にしている親戚へのお土産も、デパートの地下の売り場で購入。

この度は、立つ前日まで忙しく、用意できていませんでしたから。

 

キャリーバッグ、お花や他の紙袋と、大荷物を身に携え、タクシーでお寺に向かいました。

墓前に着くと、胸がいっぱいに。

日頃、いつも夫と両親のお位牌は、私が過ごすファミリールームに置き、常に話しかけている私です。

私は、傍でいつも見守られているとの思いで暮らしていますが、お墓の前に立つと、また別の感情が湧いてきます。

素直に嬉しくなりました。

夫も喜んでくれているに違いない、と思って。

 

 

昼下がりのひと時。

お日様も傾き初め、西日が、私の身に容赦なく当たります。

墓石を洗ったり、草取りをしていると、あまりの暑さで、疲労がただ事ではありません。

時々、お寺の建物を背に置かれたベンチに腰掛け、水分を補給し、休む休み、その作業に取り組みました。

既に親戚の方々がお墓参りに見えて下さっていて、お塔婆がたくさん墓石の周りに立てかけてありました。

私も、自分以外に娘たちのお塔婆と、親戚用のも二枚買い求めました。

それも立て、お水で最後に墓石を清め、お線香もたて、心静かに頭を下げて、私の感謝の思いを精一杯夫とご先祖様に伝えました。

今回も無事に墓参を済ませ、ほっとする瞬間でもあります。

 

お寺を去る前に、お玄関先までご挨拶に伺う予定でしたが、ご住職の奥様が、お線香売り場におられました。

御結婚前は、広島テレビのアナウサーとして活躍もされたようです。

とても美しくてチャーミングなお方。

輝いた笑顔で、奥様の方から声がかかりました。

「~さん、お久しぶりです。遠方からわざわざ、ありがとうございます」と。

その後、「年賀状がとても素敵でした」と思いがけないお言葉があり、なんだか照れくさくなってしまいました。

そういえば、今年は、婚約時代の二人のスナップを小さな画像として取り入れたデザインの年賀状でした。

住職の奥様の若々しい感想が、素直に嬉しくて、一層の親近感を覚えました。

その場で失礼かと思いましたが、お布施とお土産を手渡し、ご住職様によろしくお伝えください、と申しました。

 

まだ時間は四時過ぎ、予約しておいたホテルの和食処の時間までには十分間がありましたが、とにかく体を休めたい一心で、タクシーを拾い、ホテルへと直行。

いろいろ変更し、立つ直前にやっと取れたホテルは、ANAクラウンプラザホテル。

 

 

このホテルには前にも宿泊したことがあり、雰囲気は、とても気に入っていました。

ですから、ホテルライフを重視する私の旅行ゆえ、おおいに期待していたのですが、お部屋には失望。

大き目のシングルベッドが一つで、腰かける椅子もテーブルも無く、とても狭い部屋でした。

二万七千円前後の室料にしては、あまりのお粗末さ。

なんだかちょっと騙された気分。

恐らくお盆シーズンなのに、間際に申し込んだため、空いたお部屋がほとんどなかったのでしょう。

その事情は、十分理解できる私ですが、こんなお部屋なら、室料はもっとお安くするべきでは。

でもその不平を申し出るほどの元気も勇気も私にはなく、淡々と受け入れました。

 

  

 

  

 

 けれど、期待した会席料理は、見事なものでした。

正に芸術作品。

日本人の美意識にいつも思いを致し、誇りに思います。

真似はとてもできませんが、何か学べれば。

そんな思いで、いただくようにしています。

目の前に日本庭園のある落ち着いた佇まいお店の雰囲気も、疲れた心身を十分安らがせてくれました。

 

 

無事に夫のお墓参りを済ませた事。

美味なる夕食を戴けこと。

私の大好きな新幹線に乗車できたこと。(まるで小学生のような感想。笑)

この三点で、十分満足。

これ以上を臨むのは我儘ですね~。

感謝の気持ちでベッドに身を横たえ、あっと言う間に、深い眠りに就いた私です。

 

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色々迷いぬいた広島行き

2017-08-23 07:08:13 | 旅行

旅行に出かけるとなると、思いが色々巡って、すぐに決められないのはどなたも同じでしょう。

経費も掛かるゆえ、できるだけ内容を充実させ、無駄をなくし悔いのない旅をしたいと思いますよね。

私とて、同様です。

 

但しこの度の帰広の一番の目的は、夫の墓参。

というより、お盆ゆえ、我が家に戻ってくれる旦那様をお迎えに行くと、いった気持での帰広でした。

ところが、その日程の決め方と、交通機関の利用のし方に、色々迷いが生じてしまって・・・・・。

変更もあり、最終的な決定は、4~5日前の事でした。

 

夫が亡くなってからは、お盆の他に、春と秋のお彼岸にも帰広してきました。

そして必ず、京都や神戸などに途中下車をして一泊旅行も楽しんできた私です。

けれど、今年は脊椎の圧迫骨折に見舞われ、体調が今一つ。

順調に回復し、痛みはすっかり取れていましたが、体力に自信が持てなくて、旅行は早くから諦めました。

それに、炎天下の旅はもう無理とも、今の私は思っています。

去年は一人暮らしとなり、その寂しさを埋めるべく、無理やり、自分を旅行へと駆り立てるものがありました。

 

余りにスマートな車両の新幹線を観ると、童心に返り、私の心は今でもワクワクします。

 

さて旅行をしないとなると、日帰りも十分可能です。

一層の事、そうしてしまおうかしら。

ホテルライフの非日常性には惹かれるけれど、もっとよい季節の旅行のために、その経費は取っておいた方がいいのでは。

日帰りだと、荷物も最小限で身軽に出かけられます。

新幹線に乗車し、車窓からの流れる景色を見つめながら、読書をしたり、諸々の事に気ままに取り組むのが大好きな私。

それだけでも十分旅情に浸れます。

そうだ日帰りをしてみよう。

娘にも相談したところ、

「確かに荷物の準備をしないでふらっと気楽に出かけられるのはいいわね~」と言って、賛同してくれました。

それを聞き、迷いが解消。

日帰りが決定でした。

 

広島のホテルにて。二日目の朝。
腰には、医療用のコルセットを巻いていますが、この時は体調も良好でした。

 

でも体調が良好と言えないのが、チョッピリ不安。

その不安を解消するために、車両はグリーン車を選びました。

ところが、その代金が片道たしか7400円。

往復だと、15000円もかかります。

一応申し込みを済ませ、帰宅しましたが・・・・・・。

 

また迷いが生じてきました。

グリーン車の代金に、あと1万少々上乗せすれば、一流のホテルにも泊まれます。

果たして、日帰りするのと、一泊するのと、どちらが私の体調不良の体をいたわることになるかしら?、と。

その後また迷いぬき・・・・・・。

 

結局、旅行に発つ一週間前に、旅行代理店に切符を取りに行った際、やはりホテルに一泊する日程に変更してもらいました。

日帰りに、自信が持てなくなってしまったのです。

発つ一週間前で、お盆のシーズン。

私の希望通りにはまいりませんでしたが、新幹線の普通車輌の乗車券も入手でき、ホテルも何とか予約が取れました。

けれど、新幹線の席は、窓際でなく、三列の通路側。

何だかとてもショック!

その席の窮屈さを思い、不安で仕方なくなりました。

窓際以外、座ったことがなかった気がしたからです。

車窓の景色がゆったりした姿勢で眺められないのも、とても悲しい事でした。

その気がかりを残したまま、8月13日に旅だった私です。

 

ホテルの和食処で、会席料理を目の前にした時は、一泊してよかったと思った一瞬でした。

 

体調不良の体で、通路側の席に4時間以上縛られる懸念がどうしても拭い去れなくて、

なんと出発の日、駅に着くと、切符売り場の窓口に直行。

グリーン車に空席があるようなら、手持ちの乗車券を取り替えたい、と申し出ました。

ところがそれは不可能なことだったのです。

旅行代理店で、ホテル込でパックで申し込んだものだったからです。

 

このように、年寄りの頭を色々巡らして、悩み抜いた上での、今回の広島行きでした。

体調がよければ、もっとスッキリと決められた事なのでしょうが。

 

ところが、実際は通路側の席でも、心配したほどの窮屈さはなくて、結構快適に寛いで過ごせました。

痛み止めの服用で、お腹の調子が良くなかったので、化粧室にも気兼ねなく行ける席はかえって私には、向いていたのかもしれません。

 

心配した体の調子も、旅行中はすこぶる良好でした。

夫がその間だけ、私を守っていてくれたのかもしれません。

元気いっぱい、広島の滞在を、私は愉しめました。

その後の絶不調の自分の体を思い、夫の墓参を無事に済ますことがきたのが、奇跡に近いことのように思えました。

その後、今日に至るまでお医者通いばかりしている私。

さてさて、どうなることでしょう。

 

 

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続 お棚経の日~娘たちの心強い手助け

2017-08-21 07:20:57 | 暮らし

お棚経でお坊さまが見えた12日の出来事について、今日も、もう少しお話し致します。

毎年、その日は前日から何となくそわそわとして、私は落ち着きません。

妹にも、10日の施食会後、わが家に寄ってもらい、精霊棚をこしらえるのを手伝ってもらいました。

 

お坊さまに振る舞うお茶菓子も、いつも私の悩みどころ。

ご住職様の時は、よく氷を落とした冷たいお抹茶を立てて、和菓子と共にお出ししたものです。

とても喜んで召し上がって下さいました。

今年は私にしては珍しく、手作りの抹茶ゼリーを作りました。

 

 写真を撮ってませんので、料理ブログ2011年8月6日の記事の画像を載せます。
栗原はるみさんのレシピです。宜しければ参考にして下さい。

 

お棚経が終わった後、お礼の言葉を述べ、封に収めたお布施とお車代をお渡しします。

そして、3~40分、和室を離れて居間で談笑。

いつも愉しく、色々な話題で盛り上がります。

 

お寺さんをお車の前までお送りした後は、身内の水入らずとなり、ホッとする瞬間です。

ところが、妹は、お盆で遊びに来た孫息子がおうちでお留守番中。

そのため、慌てて帰りました。

次女のMちゃんも、午後から夏季講習に出かけるK君のお昼の準備のために、予定より遅く見えたお寺さんにご挨拶だけして、帰宅。

みんな、それぞれ忙しく、お棚経も何だか形式をこなして終わりといった感じでした。

でも古来から脈々と伝承されてきたこの形式を大切にすることで、私たちの心が奥床しくなり、気持ちが安らいでいるのかもしれません。

 

結局、残ったのは長女のMちゃんだけ。

お昼食には、おソーメンを頂きながらしばらくおしゃべり。

私は明日の帰広の準備が気になるものの、まずは、習慣化しているお昼寝を20分ほど取ることに。

長女は、その間に、お買い物に出かけたり、その他の雑用を、いろいろこなしてくれました。

 

ファミリールームの左側の蛍光灯が切れていますが
電気代の節約にもなるからと、一本の光でしのいで暮らしていました。

 

そういえば、お坊さんが見える前に、娘二人で、私には手が負えなくて放置していたことを、かなり苦労しながら、やり遂げてもくれました

蛍光灯や電球の取り換えです。

浴室、脱衣場、ファミリールームの三か所。

夫が健在な時は、夫の役目。

或は、手数料がかかっても、電気屋さんに、安易に頼んでいた私。

 

 

 

今は、遺族年金の身となり、経済観念が、とても私はシビアになっています。

娘達に頼んで、無料で済むならそうしたい。

でも日ごろは、とても忙しそう。

むやみには頼めませんから、この日を待ってお願い。

 

笑わないでくださいね。

実は、二か月ほど、浴室の電気は切れたままの状態で、私は入浴していました。

その明かりは、脱衣場の電氣の明かりを頼りにして。

或は時に、ローソクを灯して・・・・・・。

ですから、電氣が点かなくても、さほど不便はしませんでした。

 

 

切れた電球も、今の若い人たちは、すべてネット注文するのですね。

電気屋さんに行く手間や、持ち運ぶことも面倒臭いと思っていた私には驚きでした。

長女が、すべてカードで支払ってくれ、私は大助かり。

 

さてこの日の夕食の事で、ちょっとした私の心の変化がありました。

夜は孫たちも若夫婦も揃い、一緒に外食をすることになっていたのですが。

私には多少の迷いがありました。

翌日は、朝8時過ぎの新幹線で、夫の墓参のため帰広します。

準備はほぼ完了していましたが、体調が良好とはいえなくて。

前日の夜の外出は、体力的に不安がありました。

 

そのため、いつもは七時前後から始めることが多い食事の時間を、この日は2時間も早めて5時にしてもらいました。

ところが、長女の話で、次女は来れないとのこと。

その理由を尋ねると、K君の塾の授業が七時過ぎに終わるからだそうです。

それは可哀想。

K君にも、Mちゃんにも、外食先のご馳走にありつかせてあげたいと思った私。

そのため、自分の体の無理は承知で、5時を、いつも通りの7時に変えてもらいました。

でも、それからしばらくして、翌日3時過ぎに起きて身支度をし、元気に発つためには、前日の夜のお出かけは無理と悟った私。

それで已む無く、私だけ辞退し、早く床に就くことにしました。

K君とMちゃんが愉しんでくれれば、私はその方が遥かに嬉しい事でしたから。

 

ここは無理をしないのが正解でした。

その様に自分の体に気を配ったつもりでも、、広島から戻ると、私の体は不調のドン底に・・・・・・。

 このお話は、順を追ってお盆の事を語り、最後に記述したいと思っています。

 

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お棚経の日~優しさについて

2017-08-19 07:16:05 | 暮らし

毎年、お盆にはお寺さんをお迎えするわが家です。

今年も、恒例通り、見えたのは8月12日でした。

父母が亡くなりしばらくは、ご住職様がおいでになり、お棚経を上げて下さいました。

けれど、最近はもっぱら、跡取りの息子さんがいらっしゃいます。

 

何時の事でしたか、住職様が、興味深い事を言われました。

「住職が何故来ないのか?、と文句を言う檀家さんが、結構いるのですよ。

~さんのところは、皆さん優しいから、息子でも気持ちよく受け入れてもらえうると思って、私は失礼しています」

この言葉を伺った時は、なんだかちょっと嬉しくなった私です。

御身分上、人を見る目が深くていらっしゃるでしょうご住職様。

そのお方の目に、我が家族の印象がそのように映っていることに。

 

でもそのあと、私は、人の優しさにについて、考えさせられたものでした。

「優しい」の言葉は奥が深くて、なかなか具体的に説明するのは難しいのではないでしょうか。

 

そう思って辞書で、今この言葉を引いてみました。

すると下記のような説明がありました。

 

  ① 穏やかで好ましい。おとなしくて好感がもてる。 「気立ての-・い女の子」 ② 思いやりがあって親切だ。心が温かい。 「 - ・い心づかい」 ③ 上品で美しい。優美だ。 「 - ・い物腰の婦人」  大辞林 第三版

 1 姿・ようすなどが優美である。上品で美しい。「―・い顔かたち」「声が―・い」2 他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである。「―・く慰める」「―・い言葉をかける」 ...デジタル大辞泉
 
さてあえて、住職様が言われたやさしさの意味に、一番近いものを辞書の言葉から選ぶとしたら、どれが我が家には当てはまるでしょう。
大辞林の①かしら?
 
 
 
 
 
私が本当に望む優しさは、大辞林の②。
でもその優しさが、自分に備わっているかと、自問自答すると、クエッションマークがいっぱい???
まるで自信がなくて、反省することばかりです。
見かけだけでなく、この優しさを身に付けてこそ、本当に心優しい人と言えるのでしょう。
 
優しい気持ちを抱くだけではだめ。
それを行動に移して、相手の気持ちにそっと近づき、ひと時、その人の心を温めてあげる。
それは手紙(メール)でもいいし、お花一本といったささやかな贈り物でもいいのでは。
 
私は、思う気持ちはいっぱいあっても、心のゆとりに欠けて、なかなかそれを行動に移せません。
言葉だけのやさしさなら、何も言わない方がいいのかもしれませんね~
 
優しさについて、考えさせられることがよくある私ですが。
ご住職様の言葉以上に嬉しかったのが、次女婿、Hさんの言葉でした。
半年くらい前の事でしたでしょうか。
次女家の長男K君のとても優しい性格が、二人の間で話題になりました。
 
その優しさと穏やかさは、本当に際立っていて、物心ついてからも、我儘を言うのを聞いたことがないほど。
数年間同居したこともありますが、K君に手を焼いたことは一度もなかった私。
いつも穏やかで機嫌がいい。
妹のかれんちゃんにも、実に優しく接するお兄ちゃんです。
 
そのK君の優しさについて、婿のHさんが言いました。
「kの優しさは、お母さんの家の人たちの性格を受け継いだのだと思いますよ。
M子も、お姉さんも、お母さんもみんなとても優しい人たちだから」と。
 
大変嬉しい言葉でしたが、穴があれば入りたいほど恥ずかしくなりました。
そんなに優しい人間だとは、自分の事を思っていませんから。
孫たちや子供たちのためなら、自分の命を犠牲にしてもいいと思うほどの愛情はあります。
けれど、それは私に限らず、多くの人たちが当たり前に持っている感情ですよね。
 
家族はむろん、友人や他人に、思いやりのある態度を示せてこそ、本当に優しい人と言えるのではないでしょうか。
ほんのささやかな心配りでいい。
それが、常々できる人でありたい、と願う私です。
 
 
 
そのためには、日ごろ、心に十分なゆとりをもって暮らすことが大切なのかもしれません。
そのゆとりに欠ける私。
今一番反省することで、今後の課題です。
ブログを辞めれば、もっともっとゆとりができると思うこともありますけれどね。
常に心に抱く、複雑な心境です。
 
 
お盆の話をする予定でいましたのに、話題がまったく逸れてしまいました。
最後に、お盆の話で締めくくりましょう。
跡取りの若いお坊さまは、お母様に似て、とても目が優しくて、聞き上手なお方。
きっと将来、立派なご住職様になられることでしょう。
 

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お盆を迎えて~多忙な日々

2017-08-17 06:58:06 | 暮らし

皆様は、お盆をいかがお過ごしでしたでしょうか。

私は多忙なお盆が過ぎ、ほっとしたところです。

夫や父母のために精一杯の供養はしたつもりですけれど。

途中でぐったり疲れてしまい、我が家への夫や先祖のお迎えが、いつもいい加減になってしまう私。

でも、私の体力では、これが限界かな。

 

今年のお盆は体調も良くなくて、乗り切るのが、少々大変でした。

整形外科で診察も受けたのですが、もう数週間になるのに、左足の痛みとしびれが未だに抜けません。

毎晩のようにこむら返りが起きて、イタタ、イタタなんです。

息苦しさも、数年前ほどひどくはありませんが、結構つらいものがあります。

多少でもよくなれば、と腹式呼吸に日々努めています。

 

 

今日はお盆前と、その期間中に私が行ったことを、ざっと綴らせていただきますね。

詳しい事は、また後日にぼつぼつと。

 

まず最初に取り掛かったことは、私の両親のお墓のお掃除。

11日の菩提寺で執り行われる施食会の前日の事でした。

日中は、あまりの炎天で、怖くて外出がためらわれ、日が暮れかけるのを待って家を出ました。

それは正解だったようです。

嘘のように凌ぎやすくなっていきましたから。

 

菩提寺は、我が家から徒歩、乗り継ぎ一回のバス利用で三十分足らずのところにあります、

その前に整形外科の診察も受けました。

痛み止めにより胃の調子が悪くなってしまったことを伝え、新しい薬を処方してもらいました。

 

 

翌日の午後は、施食会。

迎えに来てくれた妹の車で13時前に菩提寺に到着。

Aちゃんがお花を手向けてくれている間に、私は受付で、お塔婆料と供養料を納めました。

1時半から一時間近く法話があり、そのあとお盆供養が始まりました。

山吹色の袈裟をまとった僧侶が数十人、一堂に会して、儀式に臨む光景は、時代が一昔前に戻ったかのよう。

きっと、今も昔も変わらない光景なのでしょう。

 

 

 待ち時間の時に撮影した堂内です。

 

翌日の11日は、私にとってはちょっとした中休み。

そして迎えた12日は、お寺さんがお棚経で我が家に見える日です。

その日は雨予報でしたので、前日、時折小雨がぱらつく夕刻、傘を差して道路と、ポーチの階段を掃き清めました。

どうもその無理な姿勢が、身に応えたようです。

翌日は足の痛みがひどくて、少々難儀をしました。

 

お寺さんが戻られた後、長女がひと働きし、私には手が負えない箇所をいろいろ見てくれました。

お買い物にも行ってくれました。

この日の様子も、また後日に詳細を。

 

そして翌日は、いよいよ夫の墓参で広島行き。

墓参と言うより、夫を迎えに行くといった感じでしょうか。

この帰広に当たって、今回ほど色々迷ったことはありません。

何を迷ったかは、これもまた別の日に詳しく述べさせて頂きます。

 

お盆の日程は、ざっと上に述べたとおりです。

体が健康でしたら、何とか気力で元気に乗り切れることなのですが。

足の痛みとお腹の調子が良くなかったため、、いつもより苦労に感じました。

年齢も73歳になり、今後、更に年を重ねると、お盆の諸事を無事にこなせるかしら、と色々不安にもなりましたが。

 

 

広島から戻る日、新幹線に乗車する数時間前に、夫の親戚宅を訪ねました。

92歳と86歳のご夫婦、お二人暮らしです。

品格漂うかくしゃくとしたご夫婦のお姿には、老人の暗さはまるでなく、華さえ感じられ。

神々しく、私の目に映りました。

そのお姿は、正に私の理想と目標です。

大いに励まされ、元気づけられました。

このご夫妻を見倣って、私も、まだまだ頑張らなければ、と思いを新たにして、帰途に就いた次第です。

 

次回の更新は、いつになるか分りませんが、記事を書き終える毎に随時投稿する方針に,しばらく変えてみます。

無理は絶対にせず、気ままにのんびり、と思っています。

今後とも、宜しくお願い申し上げます。

 

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美術館巡り~心は彷徨中

2017-08-12 06:23:09 | 旅行

ぐっすり休んで、旅行二日目の朝を迎えた私。

私は家より、ホテルの方が寝付きがいいようです。

非日常の雰囲気が、私の心を思い切り解放してくれるのかもしれません。

妹は、反対で、場所が変わると眠れないとか。

そのため、時々睡眠導入剤も利用すると言っていました。

 

清々しい気持ちで身支度を整え、まず朝食を摂りに階下のレストランへと。

朝のホテルのバイキングは、大好きな私。

目移りするほどの、色とりどりの新鮮な食材を眺めているだけでも幸せです。

バイキングだからといって、多くとりすぎないように、お皿にきれいに盛り付けることを心がけながら、一巡します。

妹と、今日の予定を話ながらの、楽しい優雅な朝食のひと時でした。

 

 

あいにく、今日は本降りの雨。

でもそれは、覚悟の上で迎えた朝です。

予定はすべて美術館巡りで組れていましたから、特別がっかりすることもなく、心弾ませての出発でした。

最初に向かったのは、ポーラー美術館。

実は妹の計画表には載っていない事でした。

1日目、ホテルに向かう途中の駅で、そのポスターが目に入り、思わずくぎ付け。

これは見逃がせないと思った私。

偶然の好機を喜び、妹に予定の変更をお願いしました。

 

 

 期待通り素晴らしかったです。

ピカソとシャガールの絵画が、予想以上にたくさん展示されていて、心ゆくまでその素晴らしさを堪能できました。

そのうえ、展示会場のどこのブースも人影がまばら。

都会の催し物のように、混雑していません。

お気に入りの絵画に対峙して、いつまでも時間を過ごすことも可能な雰囲気。

正にこれぞ、美術鑑賞にとって理想的な環境と思いました。

 

 

ピカソ展は、学生時代京都の美術館で鑑賞したのを皮切りに、他の展覧会場でも幾度も出逢ってきましたが。

馴染めない何かがあり、理解するのが、私はいまだに難しくて。

シャガールの作品の方が、私の心に響きやすいです。

やはり大学生の時に観たシャガール展が、最初の出逢いでした。

その時の感動は、今も思い起こせるほどです。

 

 

 

二人の大家の作品を同時に、これほどたくさん一挙公開した場に、旅先で巡り合えるなんて。

私達は幸運でした。

ここでちょっと余談ですが、私が一番好きな画家はルノアールです。

 

わたしは幼い時、数年間、絵画を習った事があります。

朝日新聞の全国コンクールで賞を頂いたことも。

母に連れられて、展覧会にも数度足を運びました。

就学前の事です。

展覧会場から戻ると、すぐ絵筆を握って絵を描き始めるような子供でした。

(このことに触れるのは何度目でしょう。自慢話に聞こえますか?ごめんなさい。話の筋の流れで、また取り上げたくなりました。お読み苦しい点は、お許し下さいね。)

 

そういった幼い頃の体験は、自分の人生に何がしかの影響を与え、彩ってくれるものなのかもしれません。

著名な画家の展覧会が開かれるたびに、出かけたいと、いつも心から願う私でしたが・・・・・・・。

行動力にに乏しい、私の日々の生活。

見過ごしててしまう事の方が多かったです。

でも、数少ない機会だったとはいえ、そのひと時には、いつも至福の時が流れました。

印象的な出来事として、いつまでもいつまでも心に残っています。

鑑賞力なんてまるでない私ですが、絵画の前に立つと、つい時を忘れてしまう私。

 

斬新なポーラーー美術館の管内

 

さてその様な至福のひとときを満喫し、会場を出ると、妹が、長椅子に腰かけていました。

チョッピリ呆れたような表情で、言いました。

「一時間以上待たされたわよ。

私達より後から入った人たちは、みんな出てきたのに、お姉さまだけ、いつまでたっても現れないんだもの。

もうこれからは、お姉さまとは展覧会には行かなあ~い。

いつも待たされてばかりだから」

「ごめんね、ごめんね。絵を見ているとつい時が経つのを忘れてしまうの」と言って平謝りの私でした。

 

そのあと、美術館内のレストランで窓越しの鮮やかな緑に目をやりながら、サンドイッチのお昼食。

ポーラ美術館は、いくつもの賞を受賞しているだけあって、林の緑と一体となった、実に印象的な素晴らしい建物です

清々しい透明感が溢れる空間の、何と心地よい事

妹とは、昨年の秋にも訪れていて、二度目でしたが、見飽きることがありませんでした。

 

 

そのあと、バスに乗りガラスの森美術館に向かいましたが、この時もちょっと楽しいエピソードが。

そちら方面に向かうバスが、私達がいた場所から、かなり離れた停留所に既に停車していました。

それを見た妹は、乗るのを諦めてしまいましたが、私は言いました。

「大丈夫。きっと運転手さん、待っててくれるわよ」と言って、ひろい車道を横切り駆け足でバス停に向かった私達です。

願い通り、二人が到着するのを待って、そのバスは発進してくれました。

 

「こういう時、二人の性格が如実に表れるわね。

私の方が楽観的」

と言うと妹に言葉を返されました。

「お姉さまの方が厚かましいだけよ」と。(笑)

 

 ガラスの森美術館の入り口

 

待ち時間の無駄をせず、バスに乗車でき、十数分で、次の目的地、ガラスの森美術館に着きました。

入り口から通路を抜け庭に出ると、そこは別世界。

異国情緒たっぷりの、それはそれは美しい庭園が、私達を迎え入れてくれました。

園内を散策するだけでも、もう十分満足できましたが。

 

 

そこは美術館。

展示品を観なくては、目的を果たしたとは言えません。

広い庭園に点在する館に幾つか入館しました。

ちょうど「ベェネチアングラス 二千年の旅展」といったテーマでイベントがも催されていました。

豪華絢爛な、極彩色のグラスや花瓶、その他の工芸品を見て回った私達です

 

 

わびさびを重んじる日本人の感覚では、今一つなじめないものばかりでしたが。

いろいろ目にできることは、幸せなこと。

それだけで、心が豊かな気分になれますものね。

 

この美術館の観光を最後に、姉妹旅行はいよいよ終盤です。

ホテルに戻りチェックアウトしたものの、まだバスの時刻まで十分時間がありました。

広大なホテルの庭園に面したテラスチェアーに腰かけて、リラックス。

私の心は、楽しい旅行の計画を立ててくれた妹への感謝の気持ちで一杯でした。

 

妹は登山中心の夫婦旅行が多いです。

そのために毎年海外にまで出かけるほどの山好き。

私はのんびりゆったり、優雅なホテルに滞在し、自分の体力に合った観光を無理しない程度に愉しみたい。

それぞれ旅行に求めるものが違います。

 

 

でも言いました。妹に。

「とても楽しかったわ。年に一回くらいは一緒に旅行を楽しもうね」と。

今後、毎年、実現するといいのだけれど。

 

でも最近、私は本当に旅行好きなのかどうか、疑問を抱くことが度々あります。

おうち大好きな私のことです。

余裕資金は、日々の暮らしの潤いのために使用した方が、私の心はもっと満たされるのかもしれない、と

今は、限られた余裕資金が、旅費で花火のごとき消費です。

 

もっとおしゃれをしたい、素敵なガーデングッズやキッチン用品をそろえたい、生花を常にお部屋に飾りたい、音楽会や観劇に行きたい等々。

自分を一番幸せにしてくれることに、使用したい。

そう考えると、真剣に迷い、悩みます。

余裕資金の使い道は、人それぞれですね。

ささやかな金額でも,使い道次第で、その人の幸福度には大きな差が生まれるでしょうから。

 

年三度の夫のお墓参りだけは、欠かしたくありません。

今回、旅行代理店に支払った金額は、61800円。

夕食代、お布施代、もろもろその他経費は、別途です。

私の収入予算の旅費(娯楽費)は、ほとんどそれで消えています。

他の娯楽費は、節約を心がけて残った毎月の生活費を充ててきました。

 

ですから無駄はしないで節約に心がけることが、今後もとても重要。

暮らしを愉しむための節約、そう思うと頑張り甲斐があります。

以前との収入の落差は相当なものですが、愚痴を言っても始まりません。

今の収入の範囲内で、一番自分を幸せにしてくれるお金の使い道を常に考えながら、暮らしていきたいと願っています。

 

今日をもってまたしばらく、ブログの更新はお休みさせていただきます。

体調が良好とはいえない中でのブログ綴りは、少々荷が重いものがありました。

けれど、たくさんの応援に励まされ、元気づけられた私です。

本当に有難うございました。

 

左足のしびれと痛み。

久し振りに再発した息苦しさに、ここずっと悩まされていますが、家事はとても順調に捗っています。

それだけで、とても幸せ。

私はつくづく、典型的な専業主婦気質だ、と思いました。(笑)

尽くす人がいなくなった今、虚しさはありますが、頑張るしかありません。

今日はお寺さんを我が家にお迎えします。

墓参の帰広も控えています。

 

体調を整え、元気になったころ、ブログをまた更新したいと思いますが。

少し長いお休みになるかもしれません。

ブログ綴りに、以前ほどの熱意がなくなってしまいました。

ランキングから外れることにも、時々思いを致すこの頃。

突然消えるような事があった時には、その失礼をお許しくださいね。

一週間に一回の頻度で更新するのもいいかもしれませんね~

 

色々迷うことが多くて、忙しい心の私。

恥ずかしい限りですが、マイペースで頑張ります。

 

ここ数日凌ぎやすい天候ですが、残暑が厳しい事でしょう。

お体くれぐれもご大切になさってくださいませ。

皆様の、お健やかな良き日々を、お祈り申し上げます。

 

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大桶谷~自然界の優しさと厳しさ

2017-08-11 07:12:54 | 旅行

湿性花園を後にして、大桶谷にバスで向かった私たち姉妹。

今日は、その時の思い出を綴ります。

私の頭の中は、地理的感覚はゼロ

申し訳ないけれど、妹についていくだけの気楽さです。

 

ところが、妹もこれまでの箱根旅行は、私と全く同様だったとのこと。

それを聞き、多少後ろめたさが私は拭われました。

箱根にとても詳しいご主人のAさんに、いつも付いていくだけだったようです。

もっぱら夫婦揃ってのゴルフでのお出かけが多いようですが。

この度初めて、すべての計画を自分で立て旅行をしたことにより、箱根の地理がとてもよく把握できたと、喜んでいました。

 

他人を頼らない旅の良さは、確かにこんなところにもありますね~

京都を最近数回一人で訪れ、私も、妹と同様の思いがしています。

苦労した分、旅の印象が濃く、想い出が深くなるのかもしれません。

今話した事は、旅行からの帰り道での妹の感想でした。

 

話をもとに戻します。

バスが大桶谷のケーブル乗り場の入り口に着きました。

大桶谷を見学後、違うケーブルに乗り、火口を見下ろしながら反対側の駅、強羅に下りる予定でした。

けれど、お天気が悪く見晴らしが期待できそうにありません。

そのため、同じケーブルで往復することに

頷いて、素直に妹に従う私です。(笑)

 

追記 妹から今電話があり、ケーブルは定期点検で運行が休止だったのよ。それでバスに乗ったのよと、私の間違いの指摘がありました。どうでもいいことだけれど、と笑っていましたが、追記にて訂正させていただきます。

 

 

 

火口に到着。

景観が、今までとは一変。

ここを訪ねるのは二度目でしたから、その様相は想像できた私ですが、それ以上の凄ごさ、不気味さでした。

噴火の兆候らしき振動が続き、箱根の観光地が一時立ち入り禁止になったのは、割と最近の事でしたね。

その後も、しばらくは観光客が激減したようでしたが。

木曽御嶽山の噴火もあったことですし。

そのせいか、以前訪れたときより、遥かに怖いものを観る思いがしました。

 

展望台から見下ろすだけ。

以前、通ったであろう遊歩道は閉鎖されていて、周辺の近くに行くことはできませんでした

 

 

硫黄臭が立ち込め、鼻を突きます。

特有の黄味を帯びた褐色の山肌から、幾つもの噴煙が立ち上がっています。

先ほどまでの、緑一色の湿性花園とは別世界。

自然界の優しさと厳しさをほとんど同時に目にし、何だかとても複雑な思いに.

 

湿性花園の緑豊かな自然界
上の画像との比較のために載せます。

 娘時代から林の小路が大好きな私でした。
ロマンを夢見てしまうのですよね。今はそんなお年頃ではなくなってしまいましたが。

 

次第に雲が厚くなっていく中、雨にもほとんど遭わず、メリハリのきいた観光ができた事を妹と心から喜びあいました。

気持ちがとても豊かになれる旅、と言えばいいでしょうか。

明日は、その思いを一層強くしてくれる、美術館巡りが控えています。

 

帰りのケーブルに乗る前に、なんだか押し売り如きの態度で、箱根名物の黒卵を買わされてしまった私達。

お行儀が少々悪いですが、ケーブルの席で、それをを食べようとしたところ。

妹が、その卵を下に、ポトンと落としてしまいました。

「なんだか縁起が悪いわね~。七年命が伸びるどころか、これじゃあ、きっと縮んだわ」と言って苦笑いするAちゃん。

私も一緒にクスクス。

楽しい一日が暮れていきました。

 

 

妹のゴルフ友達のご厚意で、安く泊まれることになった会員制のリゾートホテルに戻った私達。

そこで賞味した会席料理の感動的な美しさは、前の記事で述べたとおりです。。

心のこもった一品一品に舌鼓を打ちながら、姉妹で寛ぎ、その後温泉に浸りました。

Aちゃん、一日お世話になりました。

本当にありがとう。

明日の美術館巡りに期待を寄せながら・・・・・・。

床に就くと、心地よい疲れで、あっという間に寝付いてしまった私です。

 

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続 姉妹箱根旅行~雨上がりの湿性花園

2017-08-10 07:07:21 | 旅行

昨日は、私が初めて宿泊した会員制のリゾートホテルの印象と、そこに着くまでのチョッとしたエピソードを語りました。

そのホテルに荷物を預け、いよいよ箱根巡りの開始です。

その前にまずは、お昼食。

妹がすでに、その場所まで決め案内してくれました。

ホテルから徒歩で行ける、箱根ㇼラック美術館の館内にあるレストランです。

大きなガラス窓とオープンテラスがあり、そこから仙石が原の自然が一望できます。

そこで頂いたのは、軽めのフレンチ。

その主菜の色鮮やかな美しい盛り付けに、私はうっとり。

お味も、たいへん美味でした。

 

 

 

昼食を済ませ、いよいよ観光のスタート。

まず最初に出かけたのは、湿性花園。

ここ十数年ほどの間に、私は二度訪れています。

二度とも秋で、次女家族と一緒の時は確か晩秋でした。

同窓会の時は、秋たけなわの紅葉シーズン。

とてもきれいだったとの印象が、今でも胸に焼き付いていますが。

やはり一番美しいのは新緑の季節かもしれません。

そう思えるほどの、この度の感動でした。

 

 

予報により、天気は雨降りを覚悟しての旅行でしたが。

幸いにも、私達が湿性花園を散策したときは、時に薄日も差す空模様。

前夜降った雨に洗われたせいでしょう。

新緑がその精彩を一層放ち、輝いていました

目にまぶしいほどにキラキラと。

森林浴を心から愉しめた私達です。

その緑の陰に咲く色とりどりの花も、何と美しかったことでしょう。

 

 

多様な植物が自生する広大なこの園で、私が一番印象に残ったのは「みずばしょう」かもしれません。

その理由は?後記します。

「みずばしょう」と言えば、尾瀬が有名では。

二人で木道を歩きながら、妹に「尾瀬もこんな感じなの?」と尋ねました。

「似ているところはあるわね~」と妹。

「尾瀬に行ってみたいとは思うけれど、細い木道から足を踏み外して、湿原に落ちてしまいそうで、何だか怖いわ」と私。

「全然大丈夫よ。ここの木道より細いけれどね」と妹が応えて笑いました。

 

 スマホで撮影する妹

 

他愛ないおしゃべりをしながら、景色に見とれて歩を進めていると、何とお化けみずばしょうに出合いました。

私のイメージするこの植物は、蓼科のホテルの玄関前の道端に咲いていた白い花を付けた可憐なみずばしょうのまま。

まさかこんなに大きくなるとは、思いも寄らない事でしたので、びっくり仰天!

 

 大きな葉の植物がみずばしょうです

 

夫婦仲良く頻繁に登山旅行を愉しんでいる妹は、私よりはるかに植物名に詳しいです。

みずばしょう、その他の植物についてもいろいろ、説明を受けたのだけれど、今は、ほとんど思い出せません。

しきりに、これはあやめ?カキツバタ?しょうぶ?と質問攻めにあったことは。よく覚えていますけれどね。

 

 

ほぼ一周し終わった時、心は満足感と充足感でいっぱい。

雨上がり直後の湿性花園はその美しさが際立ち、観光には最適なタイミングだったように思いました。

 

心が疲れた時など、日帰りで一人で訪ねるのもいいかもしれない。

我が家からの交通の便は悪くありませんから。

この環境に身を置いて、緑の活力を体に一杯取り入れて帰宅する。

こんなに素晴らしい気分転換は他にはないかもしれないけれど。

そんな行動力が私にあるかしら?

 喧騒からはほど遠く、清澄な空気に包まれた、異次元と言ってもいいような本当に素晴らしい場所でした。

 

 咲き乱れる山吹色の花は、ニッコウキスゲ。黄色の花が大好きな私。
その可憐な花たちを背景に記念撮影

 

雨にもほとんど遭わず、心潤う散策を姉妹で楽しみ、次に向かったのが、大桶谷。

箱根の3000年前の最後の噴火による火口跡が見られる場所です。

最初の予定では美術館に行く予定になっていましたが、明日は本格的な雨模様のよう。

そのため、美術鑑賞は後回しに。

駒ケ岳にケーブルで上る案も、お天気があまり良くないために取り消し。

急遽、妹の提案で、大桶谷へと変更になりました。

 

明日はこの観光のお話を致します。

 

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続 姉妹箱根旅行~宿泊先はリゾートホテル

2017-08-09 07:06:20 | 旅行

この度の姉妹旅行、年相応のボケ行動のような事もいろいろあり、そのたびに 顔をを見合わせて苦笑いの私達でしたが。

そのエピソードも今となっては忘れてしまって、具体的に語れるものはほとんどありません。

ボケ勝負は互角と言ったところでしたでしょうか。

 

ただ一つ、印象が強烈だったため、覚えていることがあります。

旅行の出鼻だったせいもあるでしょう

 

待ち合わせた新宿駅でのこと。

私は、三十分前には駅に到着、改札口前に来たときの事です。

緊張した面持ちで足早にどこかに向かおうとしている妹の姿が、偶然目に入りました。

もちろん大きな声で、妹を呼び止めた私です。

 

慌てた行動の理由は、Aちゃんが決めてくれた待合場所が、ロマンスカーの発着場ではなかったからでした。

そのため、急いで移動しようとしていた所に、私はタイミングよく遭遇。

もし出会わなければ、携帯で連絡が取りあえるとはいえ、お互いにうろうろして、困ったことになっていたかもしれません。

私が思うに、このような時はとりあえず、指定された場所にいて動かないこと。

それが賢明かもしれませんね。

でも責任感の強い妹のこと。

焦った気持ちはとても良く理解でき、有難い事でした。

 

箱根登山鉄道の途中の駅での光景
変な影が映ってしまって、ちょっと恥ずかしい画像ですが、のどかな雰囲気がよく出ていて好きな一枚です。

 

それからはひたすら、妹についていくだけの私。

ロマンスカーの車中では、楽しい語らいに終始しました。

しばらく経過し、車窓の景色が緑一色になると、旅行気分が一気に盛り上がりました。

10時36分に湯元到着。

登山電車に乗り、強羅駅で降車。

宿泊先のホテルへと、送迎バスで向かいました。

そこは東急のリゾートホテル。

妹のゴルフ友達が譲ってくれた会員権に私も与り、とても安い宿泊料で泊まることができました。

 

こんな事を言っては失礼かもしれませんけれどね。

送迎バスが駅に到着したとき、降車した7~8人の友人らしき奥様方。

余りに華やかでびっくり!

有閑マダム風で、大手のリゾートホテルの会員になる人たちの豊かな暮らし振りを、垣間見る思いがしました。

 

そういえば、妹は過去に、似たホテルの会員になり、その業者が倒産するといった憂き目に遭っています。

それを思い出し、多少高くても、大手の会員になるべきだったわね、と話しました。

 

私達が宿泊した会員制のホテル

 

そのリゾートホテルは、大手の観光ホテルほどの優雅さやきめ細やかなサービスは感じられませんでしたが。

落ち着いたしっとりした佇まいで、心から寛ぐことができました。

窓から望める景色も素晴らしく、何より感動したのは夕食の会席料理。

妹がゴルフ仲間と利用するときは、夕食も朝食もバイキング利用とのこと。

それがこのホテル客の主流のようでしたが、料理好きの私。

めったに出かけない旅先では、一流のお料理にありつくのを楽しみにしています。

ですからこの時も、私の希望を叶えてもらいました。

 

 

 

 

 

 ところがそのお料理が素晴らしくて、期待以上。

こんな美しいお料理に出合ったのは初めて、と言ってもいいほどのものだったのです。

旅行記の順序が前後しますが、先にその画像を載せました。

 

明日からいよいよ観光の想い出を、具体的に綴ります。

 


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姉妹箱根旅行~いつも妹を頼ってばかりの私

2017-08-08 08:00:28 | 旅行

妹がとっくに記事にしている(ブログ名 世界に一つだけの姥花日記)、姉妹二人で出かけた箱根旅行。

今日はこの想い出について、語りたいと思います。

けれど、残念ながら記憶がもう曖昧。

色々愉快なエピソードがあったのですけれどね~。

鮮明に思い出せなくなってしまいました。

その旅行から2か月以上経過してしまったことが、一番大きな理由かもしれませんが。

もう一つあります。

私は年上なのに、姉妹旅行となると、いつも妹に頼り切ってしまうからです。

私が特別、お願いしたというわけではないのですけれどね。

 

妹がさっさと企画を立て、切符の手配もし、日程表までプリントアップして渡してくれると言った用意周到さ。

そのため、私は、いつも妹に付いていくだけとなります。

頭をあまり使用せず、気楽に観光を楽しんでしまうと、細かな記憶がたちまち薄れていくのは当然のことでしょう。

或る意味では、妹との旅行は、ツアー旅行以上に気楽ですから。

昨年、夫の法事や墓参で帰広した際、帰り道に三度愉しんだ旅行の時も、同様でした。

 

  倉敷の大原美術館の前での妹と私
妹は痛めた脚に包帯を巻いての旅行でした。

 

けれど十数年前に出かけた沖縄旅行では、私の身勝手さに起因する面白いエピソードがありました。

何故か、今でもとてもよく覚えています。

 いよいよ旅行最終日の前日の事でした。

この日は自由行動だったのでしょう。

ところが、妹と私の観光したいところが異なりました。

妹は、観光船に乗ってサンゴ礁が観たい。

私は激戦地となった南方方面を観光したい。

 

いつもの妹なら、ガイドブックを調べ、そのあたりの調整をして予定を立ててくれるのですが。

この日は違いました。

疲れてもいたのでしょうか。

なんだか、ちょっと不機嫌。

「別行動をとる。お姉さまも、時には考えてよ。」

確かこんな言い方でした。

 

私は、多少後ろめたさも感じていたので、胸がどきどき。

別行動なんてとんでもない。

気持ちが急に引き締まりました。

今日の観光は妹に頼らないで、私が企画をすべて立てる決心をした一瞬です。

 

一人でホテルのフロントに行き、サンゴ礁の観光船や南方方面のバスの時刻表を調べ、両方とも観られる工夫を凝らしました。

その日、私が立てた計画は見事に成就。

妹に頼り切ってばかりいた自分を心から反省した日だったのです。

 

 沖縄をイメージする色は、と尋ねられたなら、私は迷わずブルーと答えます。

 

 でも反省したのは、この日だけだったかもしれません。

その後、ベトナムやイギリスに二人出かけたときは、やはりまた、妹を頼ってばかりだったようにも。

 

最後に余談になりますが、私の旅行の思い出の中で、一番記憶が鮮明な所。

忘れることができない、印象的な場所をご紹介します。

それは、日本海と太平洋の境界線に当たる大海原が見下ろせる沖縄の喜屋武岬。

沖縄のほぼ最南端に位置するところです。

 

そのころは、まだ観光整備がされていなくて、その方面に行くバスもありませんでした。

 タクシーで、舗装されていない細いがたがた道を抜けて、到着した覚えがあります。

私達以外、人影も全くありませんでした。

 

沖縄戦の時、追い詰められた住民たちが大勢、身を投じた所です。

その断崖絶壁の岬から見下ろす景色は、まさに絶景。

私は、その余りの美しさに心を奪われてしまいました

それと同時に、この場所で起こった悲劇を思い、、切なさで胸がいっぱいに。

6月23日の慰霊の日には,この岬の深いコバルトブルーの海と岸辺に打ち寄せる白波を、必ず想い出します。

 

 

訪れた地にまつわる出来事が報道されるたびに、実感がわくのも、旅行の得難い恩恵かもしれません。

 

今日は余談めいたことに終始しましたが、明日からは箱根旅行の思い出記に入ります。

 

前日、記事にさせて頂いたKさんから、また絵手紙が届きました。
胸に沁みる言葉でしたので、またブログにアップ致します。

水彩画は、、もっと本格的な絵で、とてもお上手です。
今度いつかブログでもご紹介させていただきますね。

昨日は孫宅に着くと気分が悪くなって、しばらくソファーで休んでいました。
軽い熱中症のように感じました。
皆さまもお気を付けください。

 


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親友のKさんご夫婦をお招きして

2017-08-07 07:48:12 | 

親友のKさんにお会いしたのは、数か月前。

梅の花でお昼食を共にして以来の再会でした。

場所は我が家。

Kさんのみならず、ご主人様もお招きし、ささやかな手作りの昼食を振る舞いました。

 

Kさんには、私のブログに幾度も登場していただいています。

夫の転勤で、ロスアンゼルスに在住した時からのお付き合いです。

次女は幼稚園児、長女は、小2になる直前の頃の事でした。

彼女から声をかけて頂き、アメリカンスクール下校後、夕暮れ時から通っていた日本人学校の送り迎えを一緒にすることに。

既に海外暮らしを経験済みで、英語が現地人並みに堪能でいらっしゃいました。

行動力のある、とても心優しい知性的な方です。

 

ロス在住時、そのご家族と、まるで親戚のようなお付き合いができ、娘たちは我が子のように可愛がっていただきました。

Kさんに巡り逢えたことで、私のロス暮らしが、如何に彩られ楽しいものになった事でしょう。

その感謝の思いは、帰国後も決して忘れることはありませんでした。

 

 筍とふきのバラ寿司・新じゃがの肉じゃが・ささみのわさび巻き・野菜ピクルス・そら豆の甘辛煮・茶わん蒸し

 

彼女の帰国は、私よりずっと後の事でした。

その後も堪能な英語を生かし、国際機関の職場でキャリアを積まれ、60代の半ばに退職されました。

今も留学生のお世話などのボランテイアで忙しい日々をお送りです。

一方では、ご義母様のお世話に、精一杯の気遣いをもって、心を尽くされました。

 

わが家にお招きしたのは、その母上様の一周忌が過ぎてまだ日の浅い頃の事です。

ご主人様は会社の製品が世界的に使用されている大手企業の副社長が最後のお務めでいらっしゃいましたが。

とても気さくで、どこかほのぼのとした雰囲気が漂うお方。

でも久し振りでしたし、殿方とお話する機会はめったにない最近の私。

お迎えする前は、ちょっと緊張しましたが、それは取り越し苦労だったようです。

心からリラックスして、昼食をご一緒に。

夕暮れまで、楽しいおしゃべりに花を咲かせました。

 

頂いたお土産の一部 前日お出かけになられたところの、地元の新鮮なお野菜の数々。
トマトの余りの美味しさに感動してしまいました。

 

ご主人様の趣味は仏像を彫る事。

ご趣味からしても、Kさん同様に、お人柄の素晴らしさが伝わってきます.

事実、感心、感嘆するようなお話やエピソードを折々で伺ってきました。

数駅先の介護施設に入居されたお母様のもとに、雨の日も風の日も日参。

お休みされたことは、余程の事情がない限りなかったようです。

私も夫の入院先の病院に、体調を崩した時以外は毎日通いましたが、

Kさんのご主人様は、その日参が7~8年に及びます。

もっと長かったのかもしれません。

 

確かお節句を前にしてのことでした。

鯉のぼりをお母さまの部屋の壁に飾り付けようとなさった際、踏み台から足を滑らせて落下。

足首を骨折し、一週間入院と言った憂き目にお遭いになりました。

お気の毒と思いましたが、その温かなお母様への心配りに、唯々感激したものです。

ご家族の絆が強く、他にも微笑ましいエピソードを、私はいろいろ知っています。

 

Kさんは、今もボランテイアなどでお忙しくて頻繁には会えませんが、一月に一回くらいは近況報告のメールを下さいます。

絵手紙も度々届けて頂いています。

敬愛して止まない彼女との巡り会いは偶然そのもの。

神さまの私の人生への、最大の贈り物の一つだと思っています。

 

Kさんから最近届いた絵手紙

 

ロス時代に知り合い、とても親しくなった友人が他にも三人います。

お一方は、主人が大変親しくしていた同僚の奥様。

今は徳島にお住いです。

5~6年前になりますが、夫と一緒に徳島まで行き、懐かしい再会を果たしました。

 

他の二名のお一人、Aさんとは、長女の日本人学校の送り迎えを一緒にしました。

上のお嬢様は中学生で、私より一回り年上の方でしたが、Kさん同様、敬愛して止まない素敵な女性です。

ご主人様は、T社のロス支店の所長さんでいらっしゃいました。

お住いも、わが家とは違い、プール付きの豪邸。

私より数年前に、ご主人様を失くされていますが、会社の苦境を今どんなお気持ちでみつめていらっしゃるのでしょう。

お気持ちを察しして、余りあるものがあります

今春には会いましょうね、と電話では約束を交わした私達ですが、まだ実現していません。

 

もう十年くらい前になるでしょうか。

静岡にお住いの、親しかった友人、Iさんもご一緒に、我が家で四人、二十数年ぶりの再会を同時に果たした事がありました。

異国の地ながら、私達が一番輝いて夢いっぱいだったころのことを語り合いました。

皆で助け合い、支え合って、頑張ったものです。

 

まだ未熟で世間知らずだった私は、この方達の薫陶のお蔭で、一皮も二皮もむけるほどに成長できました。

その気持ちには今も全く変わりなく、思い出すたびに感謝の思いが溢れてきます。

 

Kさんから贈られたユリの花束

 

また我が家で、その再会を再度果たしたいものですが。

Aさんは、一時期重い心臓病を患われました。

Iさんも、今年は大病をされ、長期の入院を余儀なくされたようです。

遠方から、我が家に足を運ぶことさえ、ままならないのかもしれません。

 

輝いたロス時代のお暮らし振りとのギャップに複雑な思いが致しますが・・・・・・。

私とて同様。

年相応の苦労を皆さん前向きに捉え、明るくお過ごしの様子。

私は励まされる思いが致します。

友人達を見倣って、私も向日性の心で、元気に毎日を過ごしたい、と願っています。

 


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掛け替えのない想い出二つ~原爆記念日にあたっての私の思い

2017-08-06 07:16:49 | 想い出

長い間、ブログで触れることなく、気になって仕方がなかった話題が二つありました。

妹と一緒に出掛けた箱根旅行と、親友Kさんご夫婦を、我が家にお招きしたことです。

二つとも、私には忘れることのできない良き思い出。

ブログに特記しないわけにはまいりません。

 

ところが、ガーデニングと信州旅行の記事が、思いのほか長くかかってしまって。

その間に、次第に記憶が薄れ、具体的なことが何も思い出せないような気持ちになってしまいました。

そうすると、自分の文章力に自信が持てない私は、ますます書きづらくなります。

できるだけ具体的に書くことを旨としている私なので、なおさらです。

 

たまに文章読本を読むと、良文の条件に「具体的につづる」があります。

具体的に書くことは、観念的な文章よりはるかに書きやすいし、読者もわかりやすい事でしょう。

村上春樹氏の文章は正にその通りですね。

彼の旅行記は、実に細やかな具体的描写が多いです。

そのため、臨場感がたっぷり味わえ、自分がまるでそこに居合わせているよう。

言葉も文章も、とても易しい。

私が理想とするところですが、こんなことを言うことさえおこがましくて、恥ずかしい限りです。

 

「遠い太鼓」の2ページ目。
昨年あたりから、村上氏の本を読むことが多くなりました。
と言っても読むのが遅い上に、同時に多読する私のこと。
去年から今年にかけて読んだ春樹氏の書物は数冊。
すべて古いエッセイばかりです。

 

 

6月に珍しく、長い連続投稿を心掛けたのも、何事も記憶の鮮度が高いうちに書いてこそ、多少は良い文章が綴れる.

書くのも楽.

そう思ったからでした。

確かに、それが実感できた私でしたが・・・・・・。

体力、気力の点で、無理なところがあり、ギブアップしてしまいました。

 

上記の理由から、少々不安ですが、、二つの思い出を、一生懸命たぐりよせながら、明日から綴ることに致します。

 

 

 

今日は原爆記念日。

72年前の午前8時15分、B29により、広島に原爆が投下され、一瞬にして14万人の命が奪われた日です。

父の命日でもあります。

父母は、一歳の私を抱え、広島で暮らしていました。

爆心地から3キロの地点に住まいがあり、そこで被爆した私達です。

閃光で、窓のガラス戸がすべて砕け散ったとのこと。

 

父は、その前日出張から帰宅したばかりでしたので、通常より、出勤を30分遅らせることができました。

この悲劇と紙一重の奇跡的な幸運で助かった父の命です。

 

父が務める会社の所在地は、爆心地から数キロの徒歩圏内。

そのため、いつも通りに出勤した人たちはほとんどん亡くなられたことでしょう。

母も、勤労奉仕の順番が1日早ければ、私を背負ったまま亡くなっていたとのことです。

一つ前の通りの主婦の方々は、全員被爆で命を落とされたと聞きました。

 

父は被爆後の当日、会社に出かけています。

三キロの道のりの、地獄図のような焼野原を通り抜けての事でした。

帰りには、黒い雨にも打たれたようです。

脳裏に焼き付いたその無残な光景は、とても口にできないほど、生々しく辛いものだったに違いありません。

だからでしょうか。

私と妹にその後、原爆の事を語ることはほとんどありませんでした。

 

 

そのお蔭と言いましょうか。

1歳と4か月で被爆した私にもかかわらず、その暗い運命を背負って生きるような思いをしないですみました。

風評も、なぜか私の耳に入ることは、その後まったなく、被爆者の負い目を感じたことも一度もありません。

幸せな結婚もできました。

あと二年で後期高齢者になりますが、今のところ、このように元気。

 

父は享年、81歳。

母は、75歳で亡くなりました。

死因は、被爆が疑われないわけでもありませんでしたが、生を全うしたと言えるでしょう。

 

 

被爆はとても恐ろしい事です。

けれど、被爆した事により、いたずらにそれを恐れ、委縮した人生を送るのはあまりに悲しい事ですね。

その後も元気で生きられた、生き証人がここにいます。

運が良かっただけかもしれません。

ずっと長年苦しまれてきた被爆者の方々も、大勢いらっしゃることでしょう。

その方々のご苦労は察して余りあるものがあります。

 

いずれにしても、ドームの碑に刻まれた、「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」の言葉を忘れないようにしましょう。

三度許すまじ原爆を、です。

 

 

原発の是非は、私にはよくわかりません。

原発事故は、怖い事ですが、地下資源が底をつく日もそう遠くない地球。

原発が利用できないと、人類は生き延びられないといったお話を、学者さんから直に聞いたことが私はあります。

 

但し、核兵器の使用は絶対反対!

もしかすると、正気と狂気が紙一重なのが人間かもしれません。

そう思うと、とても恐ろしくなりますが、人の英知と良心を信じるしかありません。

孫たちや子供たちの幸せな未来を祈りながら・・・・・・。

 


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