私の人生は、運動にまるで縁のない暮らしだった。
運動神経は鈍い。
恐らく娘達はそう思っている事でしょう。
ところがです。
実際は、そうでもなかったのですよ。
幼稚園生の時、その地域で催された運動会では、幼稚園代表のリレー選手になりました。
小学校時代は、とても活発で運動神経もそれなりのもの(?)
鉄棒でやりたい動作が上手く出来ないと、放課後、下校ベルが鳴るまで黙々と頑張る。
そんなところもありました
その時は高い鉄棒から落下。
首を痛めてしまいました。
ソフトボールのピッチャーに一度だけなったのですが、体育の先生に素質があるなんて言われたことも。
けれど体は丈夫でなかったので、すぐ息切れ。
下校するとぐったり。
何時もしばらく横にならないと、元気が戻らない
そんな子供でした。
小学生の頃の私です。
その手前に居るのは妹です。友の親戚の別荘宅で。
前は瀬戸内の海岸で,、私は母手製の海浜着を羽織っています。
この友の話は、後日の記事でまた致します。
中学生になると、クラブは最初テニス部に入部。
父は、スポーツが万能で、大学時代はテニス部のキャプテンを務めた人。
その影響で、テニスに惹かれたのかもしれません。
けれど、半年もすると息切れ。
広いコートを駆け回るのは、私の体力では所詮無理な事でした。
テニス部を辞めて、次に入部したのが卓球部。
このスポーツは私には合っていたようです。
2年間くらいだったかな。
真面目に練習に励むことが出来ました。
その上達のために、ひと役買ってくれたのが父です。
家から徒歩十数分先にある卓球場で、何度か特訓を受け、私はみるみる腕が上がりました。
父は楽しむだけでなく、プレーのフォームもとても気に掛ける人でした。
正統派の指導のお蔭で、それなりのフォームで、いっぱしのスマッシュを打ち返すこともできるように。
バックハンドも同様に。
自信も多少は付きました。
そしてなんと、郷里の中高連の体育祭に、わが校代表の卓球選手として出場したのです。
その時のときめきは相当なものでした。
そんな経験ができるなんて、夢にも思っていませんでしたから。
さぞかし、嬉しく誇らしかったことでしょう。
ところが試合結果は散々。
相手の女子チームも、私の学校と同様に、有名な進学校の女子学生さん達でしたが。
サーブを打ち返しても、思いがけない方向に飛んで台から飛び出してしまう。
サーブに捻り(回転)を入れて、相手が打てないようにしてくるのです。
私は、素直なフォームで打ち返すことしか父から指導を受けていませんでした。
ですから、全く相手になりません。
スマッシュのラリーの時だけは、互角に打てましたが。
惨めな結果で終了。
とてもがっかりし、その内に練習する気力も失い、そのクラブも退部してしまいました。
今思い返すとと、クラブの想い出以上に、父と卓球場に出かけ特訓を受けた時のことが、たまらなく懐かしいです。
私には掛け替えのない、本当に良き想い出に今はなっています。。
お父さま、ありがとう。
今更ながら、もう一度、伝えられるものなら感謝の気持ちを伝えたい。
この記事を書きながら、しみじみそう思いました。
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