今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

みっともないハプニング 

2016-05-15 07:31:24 | 旅行

今日の記事は連続投稿をスタートして七編目、最終回(?)に当たります。

いつも思いのままに綴るだけで、いよいよ投稿となってからの推敲と画像のアップの作業が、結構大変な私。

ですから最終日ともなると、とてもホッとして・・・・・・。

毎日連続投稿していらっしゃる方々の努力に、頭が下がります。

気力が余程充実しておられるのでしょう。

 

一人身になって以降も、相変わらずまだ忙しくて、落ち着かない日々が続いています。

最近は銀行の方の出入りもあり、少ない資産ながら、いかにそれを分散するか、いろいろ頭を悩ましたり、と。

一方、相続の申告書の記述は、いよいよ終盤に。

銀行の方に尋ねたところ、税理士などに依頼すると、約百万ほどかかるといわれビックリ!

結局妹の大きな力を頼って、わたし達だけで何とかなりそうなところまでこぎつけました。

娘たちにも、妹ほどではありませんが、週末などに、手伝ってもらっています。

この大仕事が終われば、精神的に随分楽になれることでしょう。

その日が待ち遠しくてならない私です。

 

広島の宇品港

 

さて、今日の記事は、このたびの旅行記の最終章になります。

書くのが憚れる程、恥ずかしいドタバタ劇と、二度目のお墓参りなど、新幹線に乗車するまでの行動を、私事に過ぎませんが、また綴らせていただきますね。

 

宮島観光は、いい加減な所も多々ある私にしては、上出来な内容でした。

雨のため、弥山の展望台に上るのは諦めたものの、私のイメージ通りに行動がとれたと言っていいでしょう。

 

また同じ高速船に乗車し、ホテルへ予定より一時間程早く戻った私。

今日こそは、旅における私の楽しみの一つ、優雅なホテルライフを満喫するはずでしたのに。

ところがです。

戻って1時間足らずで、私の不注意から、狼狽甚だしい恥ずかしい出来事に見舞われる羽目に。

 

客室に戻り一服したものの、まだお食事処、「なだ万」の予約時間までには数時間ありました。

それで、このホテルの温泉で、夕食前に温泉浴を愉しんで来ようと思った私です。

 

宮島とホテル間を往復したときに乗船した高速船

 

私が生まれ育った実家は、広島の中心街とこのホテルのある港のちょうど中間あたりに位置しました。

どちらにも、タクシーですと10分足らずで着きます。

ですから、こんな場所で温泉が湧くなんて、私には意外ででちょっとした驚きでした。

海辺のため、塩分の強い泉質のようでしたが、私は久し振りに心ゆくまで温泉浴を満喫できました。

まだ日が暮れる前の事ゆえ、入浴者は私を入れて三名ほど。

たった一人の時もあり、普通風呂、ジャグジー風呂、露天風呂を一人じめにし、気ままに移動。

夫のことを思い出しながら、の~びり、「いい湯だな~」の至福のひと時でした。

 

 宮島の風景です

 

ところが、お風呂から上がり脱衣場のロッカーの鍵を開けようとしたところ、その鍵が見当たりません。

鍵の着いたゴムバンドを腕に回して温泉に向かったのは確かです。

恐らく湯につかる時、手持ちのタオルと一緒に、そばに置いたのでしょう。。

置き忘れただけの事、と安易に考えたのが大間違い。

心当たりを、いくら探しても見当たらず・・・・・・。

湯船の底まで、目を凝らしてキョロキョロ、キョロキョロ。

でも、それらしきものは目に留まりませんでした。

 

「これは大変!洋服が着られない!」とすっかり狼狽した私は、温泉の出入り口に立つ係りの人に事情を話しました。

けれど、期待通りにはすぐ動いてもらえません。

また浴場に引き返し、思い当たる場所をすべて見て回りましたが、見つかりません。

私の格好は、タオルを一枚体に巻き付けただけ。

幸いにも、その場に居合わせたのは、後半は私一人だけでした。

自分の憐れな姿を他人に晒さずに済んだだけでも、幾分は助けられた私ですが。

 

4~50分経過した頃になって、受付の人が、やっと合鍵でロッカーを開けてくれました。

責任者が外出中で、そのスーパーキイが手に入らなかったとの事。

裸のままで、それを待つ間の私の惨めさは、どなたでもご理解いただけるのではないかしら。

それまでの楽しい旅の思い出は、吹っ飛んでしまう程の情けなさでした。

 

宮島の豊国神社から臨んだ厳島神社と反対側の景観です。

 

探す間、私が一番心配したのは盗難です。

「開いたものの、中の貴重品や衣類がなくなっていた、なんてことにならないかしら」と心配し、胸のドキドキ感が次第に高まっていきました。

開いてよかった!

中のものも、すべて無事でした。

 

一流のホテルで、盗難なんてめったにあり得ませんよね。

自分の落ち度を棚に上げ、すぐ他人を疑うなんて。

これもボケの兆候では。

恥ずかしくなりました。

 

お騒がせしたことを受け付けの人に詫びて、温泉を後にしたものの、鍵は見つからないままです。

部屋に戻り、身支度を整え直し、上階の食事処「なだ万」に行きました。

フルコースの懐石御膳を奮発していただいたものの、鍵の行方が頭から離れず、全く美味しく感じられません。

カメラも忘れてしまった私です。

夕食を済ませその足で、また温泉に寄りました。

けれど、まだ鍵は行方不明のまま。

 

翌朝、ホテルを立つ前にまた寄った時に、鍵が見付かった事を、やっと知らせてもらいました。

ジャグジー風呂の底に落ちていたそうです。

私が推測するに、おそらく強い水流に押され、細い腕にぶかぶかの状態でかけていたゴムバンドが、鍵もろとも、腕から外れ落ちてしまったのではないでしょうか。

身体の他は、どこも太い私なのに、なぜか手首だけはとても細いです。(笑)

やっと安心!納得でき、ホテルを心置きなく後にすることができました。

 

 

カメラ騒動で振り回され、鍵騒動では冷や汗をかき、楽しいながら少々情けない一人旅になってしまいました。

けれど、旅の目的のお墓参りは十分時間を取り果たすことができましたから、良しとしましょう。

旅の最終日、ホテルを早く出て、二度目の墓参をしました。

旦那さまにも、私の珍道中を包み隠さず報告しました。

「間が抜けたところは、相変わらずだなあ~」と苦笑いしていたに違いありません。

その後、駅へと。

 

 

 

わたしが乗車する新幹線、二時発の「のぞみ」までに、まだ時間は十分ありましたから、広島の名物のお好み焼きを駅の構内のお店で食べました。

「みっちゃん」と言う、お好み焼き屋さん。

郷里では、有名処のお店のようでした。

私はお好み焼きが好物といったわけではありませんでしたが、今回の旅はガイドブックに忠実に行動することがモットーでししたから。(笑)

やはり、量が多すぎて、半分しかいただけなかった私です。

でも、お腹がいっぱいに。

その満腹感と、失敗はいろいろあったものの、予定通りに墓参と観光を終えられた満足感を胸に、帰りの車中の人に。

次回の墓参は、お盆前の頃を予定しています。

 

 

住み慣れた郷里ゆえもありますが、今回の旅行で、一人旅に多少自信がついた私。

墓参以外でも、遠出を、今後再々愉しみたい、と願っている私ですが・・・・・・。

極端に少なくなってしまった遺族年金収入と相談しながら、になります。

出来れば遺族年金収入の範囲内で、身の丈に合った暮らしをしたいと、強く思っている私です。

貯金は努めて切り崩さないようにしましょう。

蓄えの一部は、海外旅行用と家屋の維持費に割り当てましたが、自分の今の体力では、、遠方の旅は何だかもう無理そう。

 

何はともあれ、「今日が一番素敵」の思いで、今後の余生を心豊かに過ごせるように努めてまいりたいと願っています。

夫への感謝の気持ちを、常に忘れないで・・・・・・。

 

この旅の一連の投稿でも、たくさんの応援を頂戴し、本当に有難うございました。

実に気ままな自己流の投稿の仕方で、少々恥ずかしくもありますが、この方法が、心の重荷にならず、ブログ綴りを一番私は楽しめるようです。

勝手ながら、今後ともご理解の程、宜しくお願い致します。

 

まだ記事にしたい話題がいくつかあります。

お花見の話題も、書き尽くせていませんし、孫息子の啓太君と恐竜展に出かけたこと等も。

一番大きな話題は、長女が、夜のニュース番組に出演。

コメンテーターと、数分間、対談したことでしょうか。

「谷根千散策」へ、親友のKさんと出かけたことも、とても楽しい想い出になっています。

 

本当は、感動が覚めやらない内に書きたいところですが、のんびりペースで綴っているので益々遅れがち。

我ながら残念ですが、これからも、思い出し思い出し、多少でも皆様に臨場感をもって愉しんでいただける記事になるように頑張りたい、と思っています。

 

 

新緑が瑞々しいしいさわやかな季節。

心に、緑の風と空気をいっぱい吸いこんで、お互いによき日々を紡いでまいりましょうね。

 

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充実した旅路二日目ながら・・・・・・

2016-05-14 07:44:33 | 旅行

旅行二日目の朝を迎え、早朝目を覚ました私。

昨日の疲労は消え、体調は悪くありません。

カーテンを開けると、瀬戸内の島々が点在する、静かな海が広がっています。

陽がかすかに差し、空は朝焼けでほのかに染まっていました。

旅情を掻き立ててくれるには、十分な景色です。

 

今日はホテル専用の桟橋から船に乗り、世界遺産の宮島に渡ります。

自ずと心は弾みましたが、頼れる人は誰もいない一人旅。

いろいろな不安が心をよぎります。

観光に時間を取られ過ぎ、万一最終の船に乗り遅れると、島ゆえホテルに戻れず大変なことに。

<時間厳守>と、心に刻みつけました。

 

宮島のホテルに宿泊することも検討しましたが、一人泊が可能な所は一か所だけ。

それでは、私の希望通りにはいきません。

荷物を運ぶ手間も省けるため、プリンスホテルに戻る選択をした私です。

片道乗船時間は25分足らずで、時間もかかりませんから。

 

 

朝六時過ぎに、早々と最上階のスカイラウンジでビュッフェの朝食を済ませました。

人影もまばらなホールの窓からの景色は、客室の眺望より、はるかに素晴らしいものでした。

 

 

多島美の穏やかな瀬戸内の海原と朝日が雲間に見え隠れする光景を、お食事をいただきながら見惚れぱなしだった私。

けれど、空の気配から察するに、お天気はあまり良くなさそうです。

 

 

心配した通りでした。

いよいよ心躍らせ桟橋に向かうためにホテルを出ると、なんと小雨模様。

雨だなんて、ちょっとショック。

妹の注意を守り、珍しく荷物は小さなポーチバッグとカメラだけの身軽さでしたが。

ホテルに戻り、ビニール傘を貸してもらい、高速船に乗り込んだ私です。

 

懐かしい宮島に、いよいよ到着です。

朱色の鳥居が最初目に入り、目的地に着いた実感が胸に迫りました。

 

 

 

数十年ぶりの再訪でしたが、過去に幾度、この場所に来たか、とても数え切れないほどです。

小学校入学後、高校を卒業するまで、遠足で十数回は訪れているでしょう。

中高時代は、遠足のみならず、宮島の裏の海辺で、夏休みにキャンプを愉しんだことも数度。

結婚後は、毎夏帰省し、ひと月程度、実家に滞在することが常だった私です。

その時は、幼い子供たちを連れ、母も一緒に、二泊三日の宮島行きを、毎年の恒例にしていました。

シカのいる海辺や、水族館、お山の頂上ではおさる見物に興じたものです。

そんなゆったりした帰省を、一人暮しに甘んじて、文句ひとつ言わず許してくれた旦那さまでした。

 

 

また文章が、テーマから外れてしまいました。

観光のお話に戻しますね。

でも私は、立ち寄った観光名所を、丁寧に説明する記述は苦手のようです。

と言うより、そのような綴り方を余り楽しく思えません。

後で、その作業をしなければならない、と思うだけで、旅行中の気分に何がしかのストレスが。(笑)

困った、不勉強極まりない横着ブロガーです。

 

その説明は極力簡単に済ませ、私が感じたことのみを書き記す程度にとどめさせていただきますね。

不親切な記述で申し訳ありませんが、お許しください。

 

 

海上の優雅な社殿、厳島神社と弥山(みせん)が、世界遺産に早々となったことは、どなたでもご存じでしょう。

平清盛がこの地を選び、厳島神社を造営したことも。

詳しく述べると、推古天皇の時代に創建されたものが、平清盛によって、現在の形になったようです

その周りにも、由緒ある寺院や神社が点在しています。

 

 

私にしては珍しく、ガイドブックの案内に忠実に従い、厳島神社を主に、その他の観光スポットも丁寧に見て回りました。

何故かと言うと、夫の四十九日法要後、妹と二人で尾道・倉敷の旅を愉しんだ時の事。

妹の緻密な旅の行程表に感銘を受けたからです。

そのような表までは作りませんでしたが、ガイドブックは読み込み、頭の中では、計画がある程度練られていました。

私にしては、その行程通りに回れた、上出来の一人旅だったのです。

 

 

あいにくにも、宮島を散策中はずっと雨。

已む無くこの度は、神が宿るといわれる弥山(みせん)にケーブルで上り、瀬戸内の景観を眼下に見下ろす楽しみは中止に。

雨模様では、おそらく何も見えないでしょうから。

 

弘法大師の開創以来、山岳信仰の霊峰として崇められてきた弥山。

お天気がよくないため、その山は、うっすらと靄がかかり、幽玄さを一層湛え、神々しくそびえたっていました。

 

海、山、朱塗りの鳥居と神社のしっとりとした落ち着いた景観。

それらが、私の目に一体となって映り込み、言いようのない感動に打たれた私です

雨でよかったのかもしれない。

悲しみが抜けきらず、涙しがちな私の心には、雨の情景は実にしっくりと馴染みました。

 

 

寺院の多い尾道を観光したときも同様な思いになったものですが、宮島は、旦那さまを偲び、冥福を祈るには最適な場所でした。

厳島神社以外にも、それと関連した古刹や由緒ある建物ををいくつか観て回った私です。

厳島神社~宝物館~大願寺~歴史民族資料館など。。

その度に、賽銭を入れ、手を合わせ、夫の冥福を祈りました。

 

 

大願寺(高野山真言宗の古刹)では、思いがけない親切も受けました。

恭しく参拝後、その場を去りかけたとき、お守りなどを販売する店先にいらっしゃる若いお坊さまに声をかけられました。

何事、と近寄ると、「背中に白いものが付いていますよ」と。

言われて羽織った黒のカーデガンを脱いで見ると、どこかでこすったのでしょうか。

目立つほどでもありませんでしたが、確かに白くなり汚れていました。

こんな小さなことでも気にかけ、声をかけてお知らせくださったお坊さまに、感謝溢れる思いがした私です。

心からお礼を言って、その場を去りました。

寂しい私の心が、ほんのり温められたかのよう。

忘れられない思い出の一コマになりました。

 

 

 

お昼食は、厳島神社を出て、徒歩5~6分で辿りつける老舗のお食事処「藤田屋」で、あなごどんぶりをいただきました。

有名処のせいでしょう。

待ち時間も長く、しびれを切らしそうでしたが、その甲斐はありました。

とてもとても美味しくて、お腹いっぱいに。

 

 

 

その後訪れたのは、豊国神社(千畳閣)。

気付かず通り過ぎてしまいそうな場所にありますが、見ごたえ十分です。

秀吉が1587年に建立した大経堂で、857畳もある広さから、千畳閣と呼ばれているそうです。

 

 

体力が持つかなと心配になるほどの長い階段を登り切ったところに、そのお寺があります。

大広間の廊下からは、厳島神社の全景と海が一望でき、その眺望は絶句するほどの素晴らしさでした。

カメラの被写体としても申し分なくて・・・・・。

撮影の腕がもう少しよければ、よい写真がたくさん撮れたのですけれどね~

 

豊国神社の傍に立つ五重塔
千畳閣の廊下から間近かに見た五重塔は、圧巻でした。

 

ここを見学後に、懐かしさ一杯のもみじ谷公園へ。

中高での遠足の時は、弥山の山登りを終えた後、ここで、母手作りのお弁当で昼食を摂りました。

その後、せせらぎに足を浸けたりして学友と遊びに興じたものです。

秋の紅葉時の美しさ格別です。

 

 

この公園からほど近い所に、山の展望台行きのロープウェイの発着場所があります。

今回は先に挙げた理由で、登るのは、残念ながら中止。

 

そのため、時間はまだ十分有り余っていましたが、私が回りたい観光スポットはほぼクリヤーできた私です。

後残すは、桟橋に向かう帰路に沿ってある町屋通り。

それに並行するように、お土産やさんが軒を連ねる表参道商店街がありますが、そこには関心がなかった私。

記憶が割と鮮明で、新鮮味を感じませんでしたから。

年齢にふさわしく、ひなびたイメージのする町屋通りに惹かれた私です。

予定通り、そこの入り口あたりに辿りつき、カメラを構えてシャッターを押そうとしたところ、反応がなくて。

何と、またまた電池切れでした。

新しい充電器を買い求めたものの、充電に十分な時間をかけなかったようです。

このあたりの注意力の欠如は、悲しいかな年のせい。

まだまだこの後、大きな失敗が待っているのですけれどね。

 

町屋通りは、期待したほどではなく、古い建物より、立て直された真新しい家のお店の方が多くて。

倉敷のように、歴史ある建物を保存することに、もっと力が入れられなかったものでしょうか。

世界遺産にまでなった観光地ですのに、とても残念に思いました。

 

但し、私が何となく心惹かれて入った町屋通りの喫茶店は、とても落ち着いた風情で、町屋の趣を十分に感じさせてくれました。

ガイドブックにその店のひと隅が載り、紹介されていることに、後で気が付いた私です。

喫茶の店名は、「ぎゃらりぃ宮郷」。

 

私にしては、実にスムーズに予定の観光スポットを観終わりました。

予約の乗船時間までには、まだ十分時間があります。

そのため、乗船を一時間ほど早めた私です。

 

その分を、ホテルで心ゆくまで寛ぎましょう。

昨日は、私の不注意による予定外の浪費を埋めるべく、デパートで購入した酔心の850円の幕の内弁当で夕食を済ませた私でしたが。

今日は、朝から予約しておいた和食処、なだ万での夕食が待っています。

船の車窓から、海を眺めながら、ホテルライフで紡ぐ優雅な時間に期待した私でしたのに・・・・・。

とてつもないドタバタ劇が待っていようとは、みじんも思わなかった私です。

明日はその憐れな出来事も、話題の一つとして取り上げますね。

 

今日は、いつも以上の長文になってしまいました。

貴重なお時間を割き、最後までお読みくださった皆様に、恐縮の至りです。

有難うございました。

 

 

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ホテルの印象は・・・・・・

2016-05-13 07:21:10 | 旅行

十分とは言えなかったお墓参りでしたから、少々心残りのままお寺を後にしました。

お寺さんが呼んでくださったタクシーを、いつまでも待たせるわけにはいきません。

急ぎ足で、寺院の門を出て、タクシーに乗り込んだ私。

「お待たせしてすみません」と運転手さんに一言声を掛けました。

タクシーに乗る度に、懐かしい広島弁が、耳に心地よく響きます。

向かうは広島駅。

そこから広島グランドプリンスホテルの送迎シャトルバスに乗り、ホテルへと。

 

旅行の際、ホテルライフは私にとっては、観光に勝るとも劣らないといっていいほど楽しみな事の一つ。

今回も非日常の空間で寛ぐことへの期待は大きなものでした。

その期待感が、タクシーの運転手さんの一言でますます高まっていった私です。

このホテルが、4月11日から開かれるG7外相会議で利用されると聞いたからなのですが。

 

けれど、実際に到着するとどうだったでしょう。

海岸の岬に立地するホテルゆえ、自ずと私のイメージは膨らみました。

美しい海岸線と緑を望みながらのしばらくのドライブを・・・・・・。

しかし、その期待は見事に裏切られ、普通の住宅地を抜けると、あっという間にホテルに到着。

目に飛び込んできたホテルのエントラス周辺の一部は衣料品の商店街になっていて、ホテルらしい格調さに欠けた雰囲気でした。

でも、中に入ると、圧巻!

 

 

吹き抜けのそれはそれはゴージャスなホールが私を迎え入れてくれました。

ホールの中央には噴水まであります。

けれど、余りに豪華すぎ、ほっと一息つけるような落ち着きさではなくて・・・・・・。

 

フロントで受付を済ませ、客室に到着。

 部屋に通された時の第一印象も今一つ。

ちょっとがっかりした私です。

何故だろう?自分でもその理由がよく分からず、帰宅して思ったことは。

ベッドカバーが白で統一されていたからかもしれません。

調度品も、北欧的で軽い印象でした。

カーテンもホテルらしくない柄。

次女にその感想を述べると、白で統一したホテルは、最近は良く見かけるわよ、と。

 

でも私は初めて目にしたことでしたし、おそらく白から病室を思い出し、一瞬拒否反応が心に影を落としたのかもしれません。

前面のガラスの窓からの瀬戸内の海の眺望も、半分小山で遮られていました。

格安の料金で、パックにしてもらったこのたびの広島往復の旅。

止むを得ないことだったのでしょうけれど。

 

 ツインベッドルームで広さは十分でしたが

 

その上、その日のお夕食も、私の計画とは大違い。

デパートで求めた酔心の幕の内弁当でした。(笑)

旅行の間は、ホテルのレストランで食事をする予定だったのですけれどね~。

カメラ騒動で、予定外の出費となり、無駄なお金を一万円近く支払ってしまいましたから。

それを埋めるべく、倹約することにしました。

 

時間には十分ゆとりを設け、のんびりと旅を愉しみたい、と願っていた私です。

けれど、一日目は慌ただしく過ぎ、疲労も濃く、ホテルの印象も今一つ。

温泉施設の浴場もありましたが、そこへいく元気もなく、部屋のバスで入浴を済ませ、早々に就寝。

旅の初日から、思いがけない失敗で神経を遣い、疲れ果てていたのでしょうか。

夜はぐっすり眠り、翌朝を迎えることができました。

 

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夫のお墓参り

2016-05-12 07:16:08 | 旅行

広島駅に到着後、タクシーで夫の菩提寺に直行予定でしが、私の頓馬で、すっかり計画が狂ってしまった旅行の初日。

数点のお店を駆け巡り、カメラの充電器とお花を買い求め、お寺にたどり着いた頃には陽がすでに傾きかけていました。

まずは、お墓に行き、旦那さまに声をかけましょう。

とは言っても、私は毎日、家でも語りかけているのですけれどね。

墓前では、改まった気持ちになれます。

 

次第に嬉しさが込み上げてきましたが、そのお墓がなかなか見当たらない。 

長い間、広島の墓参は夫の役目で、私はご無沙汰続きでしたから。

お墓が立ち並ぶ細い道を、キャリーバッグを引きながら、右往左往して幾度も通り抜けるうちに、やっと見付けることができました。

念入りに汚れた墓石をたわしで磨き、お花を手向けた私です。

両隣の親戚のお墓にも。

 

墓前では、まだどこか半信半疑だった夫の死を改めて受け止めながら、感謝の思いを深くしました。

けれど、ここに辿り着くまでの慌ただしい行動で、少々疲れ気味だった私。

果たして、心静かに落ち着いた心境で、お墓を参ることができたでしょうか?

 

 

墓参を済ませ、その後お寺さんにご挨拶に行きました。

住職様の御母堂様が玄関先に出ていらっしゃいました。

一昨年までの前住職様でいらっしゃいます。

夫が逝ったあと、その後の事について、色々ご相談に乗っていただいたのですが・・・・・・。

その時の電話のやりとりの印象は、あまり良いものではありませんでした。

娘たちも同様の思いだったようです。

金銭的なお話が多過ぎましたもの。

私は、四十九日の法要の際、一体いくらお寺さんにお納めしたのでしょう。

院号代も入れると、大きな額になりました。

 

更にお彼岸の前には、寄付の要請もあり、一口10万以上でしたが、遺族年金で暮らす身の私です。

「もうそんなに払いたくない」との不謹慎な気持ちから、今回は、5万円包んで用意していました。

去年の春ごろからの要請だったようですが、私は介護が大変で、それを気に掛ける心のゆとりもなくて・・・・・・。

ゆとりがあっても、無視したかもしれません。

 

けれど今回は、今後、夫の供養でもいろいろお世話になると思うと、そのような態度はさすがに取りづらくて。

心ばかりの寄付に、お彼岸の法要のお布施とお茶菓子を添えてお渡ししました。

 

 バラの世話が苦手な私ながら、今年はアイスバークが清らかな純白のお花をたくさんつけてくれました。
わたしには、まるで夫の死を悼んでくれているかのように見えます。

 

ところが、少々印象が悪かった前住職様が、私を心から歓迎してくださり、遠方からの来訪の労をねぎらう温かなお言葉をたくさんかけて下さいました。

「お上がり下さい」と言われましたが、ホテルの送迎バスの最終時刻が迫っていましたから、丁寧にご辞退して、またお墓に戻りました。

そこで、まだ多少余裕ある時間を過ごしていると、先ほどの前住職様がお見えになり、簡単なお経をあげて下さいました。

感謝の気持ち一杯に。

電話のやりとりで受けた悪い印象は、そのころにはすっかり消えていました。。

 

実は、開業医だった義父は、医院は遠いのに、このお寺さんのかかりつけ医だったようです。

~先生と呼んで、思い出話までしてくださいました。

 

今後、私が元気なうちは、お寺さんとの長いお付き合いが続くのでしょう。

私達は長男長女の結婚でしたから、守らなければならないお墓が二つあります。

余り義理堅くお寺さんとのお付き合いをしていると、経費がかさみ、大変なことに。

ほどほどに義理を果たしたいところですが、そんな器用な振る舞いが私にできるでしょうか。

何だか、今後のことがちょっと心配です。

 

昨日の私の画像の眼付きの何と暗い事。
数か月前までは、あんな寂しげな眼付きの日が多かったです。
でも今は、ずいぶん元気になり、夫に日々声をかけながら前向きの暮らしをしています。
誤解を招くといけないので、そんな明るい表情の私の画像でもう一度御対面。(笑)

この写真を見て、母に似ていると、しみじみ思いました。

 

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さぁ~出発 !

2016-05-11 07:14:39 | 旅行

いよいよ、郷里の広島に出かける朝になりました。

旅慣れない私は、数日前から準備を始め、用意は周到のはずでしたが・・・・・・。

自分に自信が持てなくて、早々に家を出ました。

駅には、何と4~50分前に到着。

待合室で、長い時間待つ間、宮島観光のガイドブックを見たり、新聞の切り抜きを読んだり・・・・・・。

お寺さんに納めなければならないお布施や寄付金、諸会費などを入れた袋の中身をもう一度確認したり、と。

 

ゆったりした旅行スケジュールを立てているので、日ごろ気になりながら手が付けられないこともしたいと、相変わらず欲張りの私。

書物をはじめ、いろいろスーツケースに詰め込んで、結構な荷物になりました。

旅行では、非日常を愉しむのが一番の醍醐味のはずですのにね~。

日常を引きずったまま旅立とうとする私は、なんだか矛盾していますよね。

 

旅慣れた妹に(ブログ名 世界に一つだけの姥花日記)、

「旅に出るときは、できるだけ身を軽くすることが一番大切。

欲張っていろいろ持っていっても、観光以外何もできないものよ」

と言われました。

今回の旅行では、それをまた思い知った私です。

 

この画像は、広島駅のホームです。

 

いよいよ新幹線「のぞみ」の発着時間が近づき、早めにホームへと。

すると、しばらく経過後、携帯のメロディーが鳴り出しました。

長女Mちゃんの声です。

今日は大阪に日帰りの出張のようでした。

けれど、周りの騒音に掻き消され、話す内容がよく聞き取れません。

「何番ホームにいるの?」と尋ねられ、「四番ホームよ」と答えた私ですが・・・・・。

 

車中の人となり、「のぞみ」が発車してから、私はMちゃんに電話を掛け直しました。

先ほどは良く聞こえなかったので、聞き直すためです。

何と同時間帯に、Mちゃんも同駅にいたとの事。

私に会いたくて、私がいるホームに駆けつけてくれたようでしたが、見付けられないうちに、新幹線が発車してしまったとか。

それを聞き、とても残念に思いましたが、そんな行動をとってくれたMちゃんの思いが嬉しくて、私は何だか感激。

チョッピリ胸がキュ~となりました。

それなりにお洒落をしていた私の出で立ち姿を、見てほしかったなぁ~。

 

    

                                                       旅立つ時と帰りの服装です。         二日目の服装です。

一人旅のため、自分の写真が撮れず、やむなく自撮りをしました。

 

この日は次女のMちゃんも留守で、既に数日前から、スイスに出張中。

夫が逝ってしまった後も、遺された家族は、みんなそれぞれ自分の立場で活躍しています。

このブログのテンプレートの図柄の三本のローソク。

これは、私達のつもりでいます。

夫の命を継ぎ、三人でしっかり灯をともし輝いていましょう、との私の思いを、このローソクに込めました。

私達の活躍ぶりを見て、旦那さまは喜んでくれているでしょうか。

 

いろんな感慨を胸に、乗車した「のぞみ」でしたが、静岡あたりに来たとき、冠雪の富士山の全容が、秀麗な美しい姿で私の目に飛び込んできました。

しばし見惚れてしまった私ですが、すぐ我に返りました。

急いで写真に収めないと、一瞬で通り過ぎ、シャッターチャンスを逃してしまいます。

慌ててカメラをバッグから取り出し、撮影の構えをし、シャッターを半押し。

ところが、何としたことでしょう。

全く反応がありません。

一体どうしたこと?と慌てたものの、すぐにその理由が分りました。

電池を使い果たし、充電しなければいけない状態になっていたのです。

 

ネットより拝借しました。
わたしが目にした富士山は、この画像通りでした

 

念入りに旅行の準備はしたつもりでしたのに、またこの有様。

相変わらず頓馬な自分に、呆れ返ってしまいました。

写真をたくさん撮る旅行中は、充電器は必須の持ち物のはずです。

それも忘れてしまうなんて。

 

広島駅に到着したなら、供花を求め、最初にお墓参りをする予定でした。

菩提寺は、駅からほど近い所にあります。

その後、駅発の送迎シャトルバスに乗り込み、瀬戸内海を望むホテルに向かうつもりだったのですが。

 

四十九日の法要以来のお墓参り。

それを済ますと、遠方ゆえ、今後しばらくは夫の菩提寺にはこれません。

そのため、お花を供えたお墓を、想い出の記念に、是非写真に収めたかった私です。

 

電池とお花をどこかで買い求めなければ・・・・・・。

お昼下がりに広島駅に到着した私は、焦る気持ちを静めるようにして、予定になかった行動に出ました。

駅前のデパートを教えてもらい、そこに足を運びましたが、カメラは扱っていないとの事。

仕方なく、タクシーで市内の中心街まで出かけることにしました。

郷里ゆえ、地理に詳しくてその点は大助かりです。

広島の名物と言っていい「ちんちん電車」が目に留まりました。

乗りたくなりましたが、そんな悠長な行動をとっていては、お墓参りが遅くなる一方です。

止むを得ずタクシー利用で往復することに。

 

これも、ネットから拝借した画像です。
広島電鉄の路面電車
先に原爆ドームも見えます。

 

ところが、広島市内で一番大きなデパート「そごう」でも、カメラを扱っていませんでした。

尋ねたデパートの案内係の人が、「目の前のお店エディオンで恐らく販売していると思いますよ」との事。

言われた通り、その家電量販店にありました。

ホッと胸をなでおろした私です。

 

最初、私は電池を購入予定でしたが、新しい電池は充電しないと使用できない、と言われ、充電器を買うことに。

その後、慌てて駅近くのお寺へとタクシーで向かいました。

ホテルの送迎バスの最終は5時過ぎです。

それまでに駅に戻らなければなりません。

時間に追われるようにして夫の墓参を済まさなければならなくなった私。

こんなつもりではなかったのに・・・・・・。

 

私の広島行きの一番の目的は、夫に会うためのお墓参り。

墓前で夫に語りかけ、心行くまで過ごすつもりでした。

その目的を果たすことができたでしょうか。

この続きは明日に回します。

 

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一人旅への思い 

2016-05-10 06:53:59 | 旅行

今日は、既に一月半以上前の事になってしまった、一人旅の思い出を綴ります。

けれど、記憶力が心もとなくて、霞がかかったよう。

キーを打つ手に、勢いが出そうにありません。

書く内に、その思い出が次第に鮮明となり、どうか言葉が溢れてきますように。

 

私にとって、一人旅は本当に久しぶり。

夫が亡くなる半年前、小学校時代の恩師のお墓参りと伊勢参りを兼ねた同窓会に参加したときの事。

目的地に到着するまでの新幹線利用の行程が、一人旅(?)と言えないでもないけれど・・・・・・。

それ以来の事です。

その時も、目的地に着くまでに失敗を数度重ね、自分のボケを改めて認識。

とても心配になったものでしたが・・・・・・。

 

情けない事に、今回も同様のあり様だったのです。

でも、何とかその件は無事に収めて帰宅できたのですから、良しとしましょう。

その失敗については、追々綴ってまいりますね。

 

旅先の宮島で撮った写真です。

 

旅の目的は、お彼岸時の夫のお墓参り。

菩提寺は、夫婦の郷里の広島にあります。

2月の初旬に、そのお寺で四十九日の法要を済ませ、納骨をしました。

その時、私は心の中で固く誓ったのです。

「春と秋のお彼岸とお盆には、できるだけ帰省して、お墓参りをしよう」と。

「夫のことを思うだけでなく、そのように行動することで、私の感謝の思いを精一杯伝えよう」と。

その気持ちを早速実行に移したのが、この度の一人旅でした。

 

旅慣れていて、カープ応援目的のために広島にもよく出かけたりする次女家族に、乗車券の往復運賃を尋ねたところ、約四万円と。

その運賃は、私の想像よりはるかに高く、びっくりしてしまいました。

折角の旅だから、行き先方面で二泊程度はして、墓参のみならず旅行気分も味わいたい、と願っている私。

新幹線の往復代にそんなにかかるようでは、ホテル代、その他の雑費を入れると、一体いくらになるのでしょう。

 

遠出は、他に、年に数度の旅行も愉しみたい、と考えている私です。

お墓参りの経費がそんなにかかっては、私の他の夢はしぼんでしまいそう。

 

次女に、その胸の内を語ると、

「それならビジネスホテルを利用すればいいんじゃない。ビジネスホテルも、それなりに快適よ」

と言いました。

けれど、「それはいやだなあ~」と、つい応えてしまった私。

素敵なホテルで非日常の空間に浸る事が、私にとっては、旅の大きな目的の一つだからです。

とは言っても、経済的なことも考慮しなければならない、遺族年金暮らしになったわが身。

ビジネスホテル利用も検討課題になりそうですが。

 

私が宿泊したホテルの最上階のホール

 

日々の暮らしに疲れたなら、時々気分転換を図るために、近場の素敵なホテルに泊まりたいなあ~

そんな願いを、私は常に抱き続けてきました。

都内や横浜のホテル巡りもしてみたい、と。

その優雅な雰囲気の空間は、私が心惹かれて止まないところの一つだからです

 

そういえば、名古屋在住の大学時代の親友やっこちゃんは、それを実行しているとのことでした。

開業医のご主人様の医院で共に働き、手伝っておられる彼女ですが。

あまりに疲れた時、夫婦で他愛ない揉め事があった時など。

気分転換を図るために、一人でホテルによく滞在するそうです。

「簡単に気持ちがリフレッシュできていいわよ」

と言っていました。

 

が入院中に、何度かそれを実行しよう、と本気で思ったこともありました。

けれど、悲しいかな、倹約生活の心がけが、しっかりと身についていたその頃の私です。

それは、とても贅沢なことのように感じられ、実行に移すことができませんでした。

病気と闘っている旦那さまに申し訳ない、との気持ちもありました。

 

ホテルの窓からの眺望

 

少々話が逸れましたね。

元に戻します。

墓参の経費が意外に高く、戸惑ってしまった件について。

 

ところが、広島行きの費用が意外なほど安くつくことが、後で分りました。

JTBの窓口に足を運び、相談したところ、時間をかけて一番安いパック旅行を探して下さったのです。

広島の宇品港の先に立つ、人気の高い広島グランドプリンスホテル。

そのホテルの宿泊を、私は希望しましたが。

そこに二泊して、新幹線の往復代も込みで、旅行代金が何とジャスト5万円。

驚きでした。

なぜこんなに安くなるのでしょう。

 

お部屋の眺望は、窓ガラスの全面がすべてて海と言うわけにはまいりませんでしたが・・・・・。

でも、私はホテルライフを心行くまで満喫できました。

 

今回の旅行で感じたことは、旅の経費は、旅行代理店にも相談し、色々検討すれば、かなり安くしてもらえるということです。

旅行慣れした方は、当然ご存知なことなのでしょうね~

「私も旅慣れて、無駄なお金は使わず、軽いフットワークで全国各地を旅行したいな~」と思うこのごろです。

夫のお墓参りを、何よりも優先することには変わりありませんが。

 

夢を追うだけで、そんな再々の旅行が実現できるかどうかは別問題ですけれどね。

出不精で、腰の思い私の事ですから。

 

今日は旅行前の準備段階のお話に終始してしまいました。

明日は家を出てホテルに到着までの行程で起きた、思いがけない出来事とお墓参りについて書きたいと思います。

 

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恐ろしい天災地変

2016-05-09 06:52:33 | 備え

冬が去り、春たけなわの季節を迎えた頃。

日本中の多くの人たちが、気持ちを浮き立たせ、暮らしに弾みをつけたいと思ったその時に・・・・・・。

その心を裏切るかのように、熊本と大分で、天災地変がまた起きました。

せめても、寒さ厳しい冬の季節でなくて良かった、と言えるかもしれないけれど、虚しい慰めの言葉でしかありません。

 

それにしても、相変わらず受難続きのわが国。

熊本城の無残な姿を見て、しばし呆然となった私です。

学生時代、修学旅行で訪れたときの感動が忘れられず、その後、「大好きなお城」と言って私は憚りませんでした。

十数年前、初孫のR君、夫と三人で、四泊五日の九州旅行に出かけたときに再訪を果たし、感慨に浸ったものです。

 

熊本城のみならず、倒壊した家は数知れず・・・・・・。

命を落とした方々の無念さ、被災した方々の悲しみや不安を思うと、慰めの言葉も見つかりません。

 

遅れ馳せながら、心よりお見舞いとお悔やみを申し上げます。

 

いつもは穏やかで美しい自然ですのに・・・・・・。

宿泊したホテルより見た、郷里の瀬戸内の風景

 

それにしても、TV画面に映る被災者の皆様の落ち着いた冷静な態度には、東日本大震災の時と同様に、私は感銘を受けています。

被害を受けられた方々のショック、恐怖、悲嘆は想像を絶するものでしたでしょうに。

私には、同様の態度で臨む自信など全くなくて。

恐らく腰が抜けて、一歩も動けなくなってしまうのではないでしょうか。

夫がいなくなった今、一人ぼっちの恐怖は、相当なものかもしれません。

 

東日本大震災の時は、我が家も激しい揺れに見舞われました。

けれど、被害を受けるほどではなく、私は二階に駆け上がる心の余裕がまだありました。

夫の書斎へと一目散。

そこには、いつもとさして変わらない表情の旦那さまの姿がありました。

その平静な夫の様子を見て、どんなに私の気持ちは落ち着いた事でしょう。

今また、このような地震が起きても、私が救いを求めたくなるような場所は、この家にはもうありません。

 

 

我が事はさておき、このたびの地震で驚いたのは強い余震の多さ。

本震と思っていたマグニチュード7の地震が、そうではなく、その翌々日に襲った地震が本震であったこと。

その地震が、広域にさらに広がり始めたこと。

かってこのような事があったでしょうか。

 

大地震が来ても、それが収まると、私たちは、ひとまず安堵し心を落ち着かせることができましたね。

もっと大きな地震がわが身を襲うなんて、考えないことでしょう。

 

ところがこのたびの地震で、その思考は、今後通用しないことが分りました。

「再度、大きな地震に見舞われるかもしれない」という恐怖を、抱き続けて暮らさなくてはならないなんて。

心の疲弊は、限りないものになってしまいそうです。

 

 

天災地変が襲うたびに、私は思い、慄然となります。

自然の猛威の前では、人が営々として築き上げた文明も、尊い人命すらも、いかにもろいものであるか、と。

 

私が住む地域も、娘たちが幼い頃から、大地震の予兆があると、一番言われ続けてきたところです。

ですから、このたびの天災も、とても他人事とは思えません。

 

熊本地震が起きる数日前にあった友人とのお食事会の席で、私は地震について触れたばかりでした。

「大地震に遭う前に死んでしまいたいわ。

私は地震で命を落としても、さほどの無念さをもう感じないかもしれないけれど・・・・・・。

万一の事があって、若夫婦家族の不幸を見るのは堪えられないから」と。

 

わが家からほど近い所に住む次女のMちゃんとは、東日本大震災後、その対策を、いろいろ話し合ったことがあります。

交通インフラが遮断され、共働きの夫婦が我が子の許にすぐ帰れなかった時の事です。

私が、小学校と保育園で待機している孫たちを迎えに行き、娘のマンションを避難場所として、そこで若夫婦の帰宅を待つ、というものでした。

マンションの庭の隅に、備蓄倉庫まで用意してあるようです。

 

 

その話を聞いたころは、まだ夫の体調はさほど悪くありませんでした。

けれどその後、病がますます重くなり、夫のマンションへの移動は困難に。

そのため、どうしたらよいものかと、わたしは途方に暮れているところがありました。

 

けれど、今は夫がいません。

如何に臆病な私でも、「火事場の馬鹿力」に似たエネルギーを発揮して、余震が続く不安な状況でも、きっと孫を迎えに必死で学校や保育園に向かうことでしょう。

そしてマンションで、娘夫婦の帰宅を待つことになるのかもしれませんけれど。

 

その後、待てど暮らせど若夫婦が戻ってこない。

音信も不通・・・・・・

そんなことを想像するだけで、気持ちが滅入ってしまいそうです。

 

受難続きのわが国を見ていると、もうあまり長生きはしたくないなあ~

早く旦那さまのところに行きたいなあ~

そんな気持ちになることも、時にはあるけれど・・・・・・。

孫たちを守るために、この老体でも役立つときが来るのかもしれません。

そう思って、もう少し頑張りましょう。

 

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