今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

許せない痛ましい報道

2011-03-25 06:06:13 | 日記

作業員が三名被爆。

こんな痛ましいおぞましい報道など、絶対目にしたくありませんでした。
国を救うために、危険を顧みず、身を犠牲にして原子炉建屋に入り、作業する人たちです。
たとえ、無事終了しても、その体内への影響を多少ともおびえて暮らさなければなりません。
せめて被爆による火傷といった最悪の事態は、絶対避けてほしかった。

防御服をまとっていたとはいえ、短靴だったため足が汚染された水で濡れてしまったなんて、あまりに信じられないこと。
電力会社の管理の不徹底さに、さすがに腹が立ちました。

被爆という言葉は、実際に被爆した私にはトラウマのようです。
昨夜は、自分でも思いがけないほど落ち込んで、気分が悪くなりました。

私は、被爆したとはいえ、一歳の時ですから、何も覚えていません。
両親も、そのことについて語ることはほとんどありませんでしたし、アメリカを憎む言葉も聞いた事は一度もありません。
ただ我が家には、被爆直後の写真が、何故か数枚ありました。
それを見せられた時の、少女の頃のショックは相当のものでした。
その写真の映像は、今も私の胸に焼き付いて離れません。

記憶はないながら、私は、結構、真に迫った疑似体験もしています。

実は原爆の映画に、ひょんなことからスカウト(?)され、出演したことがあるからです。
その映画を撮るにあたって、爆心地に近いある小学校に、現地の子を採用するために、監督がやってきました。
学校公認の下に、オウディションがあり、妹と男児二名が選ばれました。
その演技の練習風景を見学していた私が、なぜか監督の目に留まり、あなたも出演して下さい、ということになったのです。

妹は原爆投下前のシーンでしたが、私は投下直後。
ボロボロの服をまとい、火傷を負った足を引きずりながら歩く少女の役でした。 
入道雲が現われた天気でないと撮影できないとかで、撮影場に出かけても、中止になることがありました。
その度に、学校に車が迎えに来て、撮影場まで母と出かけたことを思い出します。

その撮影場のセットは、まさに被爆後の惨憺たる光景が映し出されたものでしたから、私の疑似体験は、真に迫ったものだったわけです。
その体験があるからでしょうか。その光景を見て知っているかのような錯覚を、いまでも覚えます。

原子力は今後見直されて当然です。
しかし、福島原発の電力はすべて関東地域に供給するためのものとのこと。
今後、そこに居住する私達は、不便を覚悟で、克服しなけれなならない多くの課題がありそうですね~

制御室の明りが付き、今後のさらなる進展を、一瞬期待した私でしたが・・・・
果たしで、良い方向に向かっているのでしょうか?

原発の修復作業は、一進一退のようですね~。
放射能汚染が大変心配される上に、この度の作業員の痛ましい被爆。
福島原発に関しては、常に楽観論と悲観論の両方が渦巻いているようです。
今後の見通しは、なおグレイゾーンといったことかもしれません。

このような状態を、二律背反の真理の世界というそうです。

これらはどれも大切で、必要で、どちらかを早々に決めつけて選び取るわけにはいかない。刻々と変化する状況の中で、たんたんとその
都度受けとめ直し、取り組んでいくしかない。二律背反の真理の世界である。今日も、明日も、二律背反の世界を手放さずに生きていくし
かない、とある方が述べておられました。

しかし東北の復興は、二律背反の世界ではありません。
必ずや、神戸のように多くの方々の支援と協力のもとに、希望を膨らませ、逞しく、力強く復興を成し遂げるでしょう。
そして、美しい街へと変貌すると、私は、固く信じて疑いません。

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