今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

七五三は思いがけない顛末~振り返れば、良き思い出に~追記あり

2017-11-26 07:37:39 | 

最後に追記があります。

 

前回は、長女のところの孫娘の行事の思い出を綴りました。

今日は、次女の孫娘の華やかな行事、七五三についてです。

実際は、華やかとはいかない顛末があり、次女のMちゃんは、かれんちゃんに気付かれないように、そっと涙を拭う場面もありました。

娘も私も思いがけないかれんちゃんの態度に、一時的に大変なショックを受けましたが、タイトルにも書いたように、終わってみれば、それも良き思い出に。

その顛末は、書いている途中で、お知らせしますね。

 

 

待ちに待った七五三。

次女にとっては、とても思い入れの強い行事のようでした。

何故なら、そのために支払った金額が、私には到底理解できないようなもの。

それもレンタル料です。

三越・伊勢丹のお店に支払った料金は、お着物のレンタル料のほか、着付け、小物、髪結い、写真、すべてが含まれていますが。

何とその額は、シャネルのバッグが一つ買えるほど。

 

その金額を聞いた時は、私は目を丸くして驚きました。

レンタルでそんなに支払うのであれば、私が買ってあげる。

その方が、長い目で見れば無駄にならず得だから、と言ったものです。

ですけれど、既に、その数日前に、契約済み。

キャンセルすると、数十パーセントのキャンセル料が取られます。

 

 レンタルしたお着物です。至る所に刺繍の入った素晴らしいものでした

 

私には、よく理解できなかったけれど、こだわりの強いところがある次女のMちゃんには、特別な思いが、七五三にはあったのでしょう。

それにその料金が、本当に高いのかどうかも、私にはよく分りません。

物品のレンタルは、全く経験のない私ですから。

海外旅行や豪華な国内旅行よりは、はるかに意義ある、一生に一度の貴重な親子体験です。

そう思えば、決して高くないのかもしれませんね~。

ですから、私も、次女の気持ちを受け入れて、気持ちよくかれんちゃんの七五三のお祝いの日を迎えました。

 

予定では、朝、三越に向かった次女家族が、午後の一時過ぎに、着付けなどすべての支度を終え、戻ってくることになっていました。

かれんちゃんが三歳の七五三の時は、ママはお着物を着ました。

とても良く似合って素敵だったので、又着るように私は勧めたのですけれどね。

自分の着付けのために別室に入れられて、かれんちゃんの髪結いや、その他のお支度が見届けられなかった三歳の七五三。

そうなるのはとても残念だから、と言って、今回は着ませんでした。

いくら親でも、それ以上は言えません。

七五三に当たって、私の思いはいろいろあり、意見や要望は率直に伝えたけれど、決めるのは娘とパパ。

何事も、余り干渉はせず、見守るのが一番賢明と思っています。

 

 

順不同ですが、かれんちゃんの写真をアップしていきます。
残念ですが、すべての画像に、多少のぼかしを入れています。

 

義母様と、塾が早く終わり帰宅したK君と三人で、かれんちゃんの着物姿を想像しながら、首を長くして帰りを待ちました。

これまで、孫たちの七五三のお詣りは、いずれもすべて、明治神宮でした。

今回、それでは、K君が一人ぼっちでお留守番することになってしまいます。

それは忍びないと思った娘は、今回は住む町の神社を選びました。

 

ところが、約束の午後一時過ぎになっても、戻ってきません。

電話の連絡では、写真撮影に時間がかかっているとのこと。

戻ってきたのは、三時前でしたでしょうか。

 

 

チャイムが鳴った時、私の心は期待で膨らみ、はち切れそうに。

さぞかし可愛い事でしょう。

「おかえりなさい」と言って、笑顔いっぱいでドアを開けました。

 

ところが、ところが、そこに現れたかれんちゃんは、ピンクのきれいなお着物をを身に纏ってはいるものの、涙一杯の顔で不機嫌そのもの。

まるでお着物まで大泣きしているかのような形無し状態でした。

お腹が痛いと言って、泣き続けるかれんちゃん。

ママの話では、写真撮影を終え、車に乗り込むまでは上機嫌だったとのこと。

帰る途中の車の中で、次第に不機嫌になったようです。

 

締め付けている帯で、かれんちゃんの身体に、強い違和感が生まれ、それが痛い、になってしまったのかもしれませんね。

「痛い!痛い!」と言って泣き続けるかれんちゃんに、手の施しようもなく、娘は戸惑うばかり。

まだこれから神社参拝の行事が待っていましたから。

何とか、かれんちゃんが気を取りなをしてくれますように。

みんなで揃って元気に神社に出かけましょう。

娘も私も祈るような気持ちでした。

 

今も、大学で講義を持たれている教育者のご義母様.
私も娘も心から尊敬しています。
七五三における神様へのお祈りの仕方を、教えていらっしゃいました。

 

それに、口にするのも、なんだか恥ずかしい事ですが、云十万のレンタル料が、儀式を完結しなくては、水の泡になってしまう。

そのような残念さ、もったいなさが、私の心を占めていたのも事実です。

娘も、おそらく似たような思いに駆られていたのでは。

何とかならないものかと、途方に暮れている時の事。

私たちの浅ましい気持ちを見透かしたかのように、パパの大きな声の一言が、爆弾のごとく、私たちの心を一撃しました。

「かれんがお腹が痛がっているのだから、脱がせてやればいいじゃないか」

 

そのパパの一声で、目が覚めた私たちでした。

娘も着物を脱がせる決心をしたようです。

けれど、ぐずり続けるかれんを、決して叱ったりしません。

やさしい態度で終始接し続けたママにも、私はとても心打たれました。

私でしたら、そんな子供の言動をわがままと感じ、叱ったかもしれませんもの。

 

残念極まりない心境でしょうに、終始優しい笑顔で

 

帯をほどき始めたとき、娘はこれで、自分の夢や思いが意外な結末になる、と思って残念だったのでしょう。

そっと涙をぬぐう姿が、なんとも痛々しく、娘の心中を察して、私ももらい泣きしそうになりました。

(このシーンは最初に載せた画像です)

 

着物を脱がせたところ、たちまち元気になったかれんちゃん。

ちょっと複雑な心境になりましたが、いろいろその後、話を聞くにつれ、かれんちゃんの疲れがピークに差し掛かっていたのでは、と思えました。

もし家に帰らず、神社に直接向かっていたなら、何とか機嫌を保つことができたのかもしれません。

家に戻ったことで、緊張が一気に緩み、帯の締め付けが苦痛になってしまったのでは。

 

 

日頃はしっかり者で分別もあり、とてもよく気が付く心優しいかれんちゃんです。

担任の先生の評価もとても高くて、信頼されているようです。

そのかれんちゃんが、我慢できなくなったのはよほどのことでしょう。

 

着物を脱ぎ、洋服に着替えたかれんちゃん。

ついさっきまでの騒動は嘘のように、元気になりました。

私も娘も気持ちの入れ替えは早い方。

着物への未練はすぐ立ちきれて、お茶のひと時に、撮影した写真のプリントを5~6枚見せてもらい、心から愉しみました。

かれんちゃんの何と可愛い事。

 

 

帰宅したときの総崩れのような姿のかれんちゃんからは想像できないような可愛さでした。

カメラマンさんも大満足でいらしたようで、~に掲載したいので親の承諾書が欲しいと言われたとか。

笑顔を一杯に振りまき、カメラマンの要求通り何十回もいろいろなポーズをとり続ければ、疲れるのは当然ですね。

かれんちゃん本当にお疲れさま。

その労をねぎらって上げたいような気持にさえなりました。

ママには、

「こんな可愛い写真が残ったのだから、貴女の願いは叶ったでしょう」

と言って慰めた私です。

 

 

義父母様は、敬虔なクリスチャンでいらっしゃるので、神社に行けなかったのは、もしかすると神様の思し召しかもしれません。

かれんちゃんに、七五三における神様へのお祈りの仕方を、優しく語りかけながら教えておられました。

 

私は前日の長女家の孫娘の学園祭に引き続いての行事で、夜は疲労が濃くて。
余りの姿勢の悪さを反省の画像です。

微笑ましい情景 

洋服に着替えたものの、髪型はそのままの可愛いかれんちゃん

 

夕方からは、車では数分の梅の花でお祝いの晩餐の始りです。

お仕事を終えた義父さまも見え、和やかな談笑で、時が過ぎました。

またまた夫の御位牌と写真をバッグに忍ばせていた私。

夫もかれんちゃんの健やかな成長を、心から喜んでくれたことでしょう。

 

追記

体調が芳しくないので、またしばらくお休みいたします。

一日おきでも、今の私の暮らしと体力では、少々無理のよう。

更新日を決めず、ゆっくりペースでのんびり、色々な記事を書く。

そして一週間分くらい書き上げたなら、また投稿を始める。

このスタンスが、私には一番向いていているようです。

ストレスも感じないで、心からブログ綴りを愉しめる、と再度しみじみ思いました。

 

明日は、内科のクリニックに再度行き、少々疲れている体と、風邪気味の体調の回復に努めます。

また以前の様に、ある程度書き溜めましたら、更新させていただきますので、その節は、よろしくお願い致します。

大勢の方がご訪問下さいまして、たくさんの応援までいただき、本当に有難うございました。

いよいよ師走も間近かですね。

年末年始に向けて、充実した良き日々をお過ごしになられますように 

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学園祭に出かけて~友人Aでなくなったさくらちゃん

2017-11-23 07:51:53 | 

ずっと気になって仕方なかった孫たちの大切な行事の想い出綴りに、やっと入ります。

早く書きませんと、記憶力がおぼつかなくなってきている私のこと。

ますます書く自信がなくなってしまいますから。

既に、細かなことは、忘れていそう。

思い出記事は、まだ記憶が旬の時に書いてこそ、良い記事がかけるのでしょうが。

私がブログに臨む姿勢では、なかなかそうはいきません。

連日書く気力はなくて、お休みがちになるからです。

 

秋色に染まった学園内のこの道を通り抜けて中高の講堂へ。

 

まずは、長女家の孫娘、さくらちゃんの所属する吹奏クラブの演奏会について。

この度の演奏会は学園祭の行事の一環でした。

この演奏会が開かれる中高の講堂に足を運んだのは、もう四回目になります。

 

或るコンクールに参加し、金賞までに一点足りなかったとの事。
なかなかの実力のようです。

各教室では、色々な催し物が開かれ、若さと輝きに溢れていました。

 

学園祭は二度目。

その他の行事も二回。

初めて中高生の吹奏楽部の演奏を聴いた時は、その清々しい雰囲気のボリュームある生の音楽にとても感動した私でしたが。

何と言っても一番記憶が鮮明で、聴く私も少々緊張したのが、母の日の合同礼拝の日のこの講堂での出来事。

ピアノ独奏を、さくらちゃんが、全校生徒と父兄と言った、大勢の聴衆の前でしたことでした。

曲は、ショパンのピアノ幻想即興曲。

学校のオーデイションで選ばれた上でのことです。

素晴らしい演奏で、クラシック通のパパも、満足した様子。

音楽に詳しくない私の問いかけに、「上出来の演奏だったよ」と言って頷いていました。

https://search.yahoo.co.jp/video/search?p=%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%91%E3%83%B3+%E5%B9%BB%E6%83%B3%E5%8D%B3%E8%88%88%E6%9B%B2&tid=e90ab0827eb57406355d4ca77b6496c7&ei=UTF-8&rkf=2&dd=1

 

この度の学園祭で長女に会った時、ピアノ演奏の反響はその後どうだった、と尋ねてみました。

親子はなんとも思っていなかったようですけれど、私には楽しい目論見がありました。

その目論見とは、さくらちゃんが格上げされることです。(笑)

だって、学内で、超美人で有名な人と、とても親しいさっちゃん。

その人は人気が高く、いつも注目の的。

そのため、さっちゃんちゃんのことは全く眼中にないらしくて。

「超美人の~ちゃんの友人A」と呼ばれているとのことでした。

 

それを聞いて、バアバは、ちょっと内心憤慨。

そのままでは、さっちゃんが可哀想過ぎ、と思いました。

ですからピアノ演奏を全校生徒の前でして、いっぺんにさっちゃんの名前が知れ渡らないかと、期待したわけです。

 

「その後の反響はどうだった?」の私の問いかけに対し、娘とさっちゃんの答えは、

「とても良かったよ」と言われ、なんだか嬉しくなってしまいました。

個人面接の時、担任の先生にも、「意外な才能を知って驚きました」とお褒めの言葉を頂いたようです。

 

吹奏楽部では、サクソホーンを演奏しているさっちゃんです。

音楽を心から愛し、良き友人達にも恵まれ、充実した中学生活を送っているさっちゃんに、心からの拍手を送ります。

 

新校舎が完成し、階段下のホールに場所を変え、二回目のミニ演奏会もありました。

終了後に、一枚記念撮影

 

さっちゃんのレポートが、展示場の教室の入り口に掲示されていました。

 

       

 

風邪気味で、昨日は気分が悪く、午後の大半は横になって過ごしました。

そのため、今日の記事はこれで終わりにします。

インフルエンザの予防注射の接種を、皆さんはもうお済みですか。

ワクチンが品薄と今年は度々ニュースなどで報道されていましたが、本当のようです。

先日、その接種のため医院に行ったところ、在庫が無く、一週間待ち。

行列ができるとの事でした。

まだの方は、早めの接種をお勧めします。

 

 

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リズムが狂った暮らしの立て直し記事

2017-11-21 07:44:14 | 暮らし

十月の中頃から昨日までの週末は、割と内向きの私の暮らしにしては、イベント続きで、素敵な思い出がたくさんできました。

近所のとても親しい隣人の友達を我が家にお招きしたこと。

長女家の孫娘、さくらちゃんの学校の学園祭に、母親のMちゃんと出かけたこと。

次女家の孫娘、かれんちゃんの七五三。

そして、この週末は、夫の三回忌法要で、菩提寺のある郷里へ娘達と妹、孫娘たちで帰省しました。

受験生の孫息子たちは、パパとお留守番です。

広島のホテルに一泊し、翌日は朝早く京都へ。

半日でしたが京都のお寺の紅葉を心行くまで愛でることができました。

 

京都の天龍寺の境内
鮮やかな紅葉にうっとりのひと時でした。  

 

上に挙げた四つの行事が続き、終わるたびに、その想い出を振り返り、噛みしめ過ごした一月間でした。

ですから幸せで元気いっぱいの暮らしが日々送れて当然ですのに。

体力のない私は、必ずしもそうとはなりません。

 

次第に疲労が蓄積されていくらしく、体調が今一つ。

体が重くなっていきました。

私が若い頃から名付けていた「魔の時間」のぐったり感が、家事の途中で度々襲ってきて、情けない思いをしています。

そのような気分の時、今の暮らしを立て直したいと思い、書いたのが下の記事です。

夫の三回忌法要の前に、ほとんど書き上げていました。

ブログを書いて心の整理をし、疲れやすくなった体をリフレッシュして、元気な気持ちで広島に出かけようと、思ったからです。

ですから帰省する前に投稿するつもりだったのですが、推敲が残念ながら間に合いませんでした。

 

でも下書きをしただけでも、心の整理が幾分できたような気分になれました。

そして、夫の三回忌法要のために広島へと向かった私です。

体調は相変らずだったため、途中で、みんなと一緒に行動ができなくなったり、めまいがしてグラッとしたりで、娘達や妹に心配もかけてしまいました。

荷物持ちなどのエスコートの細やかな心配りを受け、そのやさしさに甘えながら、なんと無事に夫の三回忌と、京都旅行を済ませることができました。

体調はは今一つながら、夫への思いをいつも以上に強くして、とても楽しめた二日間でした、

今のところ、一番心配だった脊柱管狭窄症の痛みの再発も見られません。

 

イベントの想い出綴りの方が気になって仕方ないのですが、先に私の気分立て直し記事を投稿することに致します。

出かける前、慌てて綴ったため、恥ずかしくなるような内容ですが、私が元気に暮らすための模索記事と思って、笑って読み流してくださいね。

旅行からから帰宅後もまだ迷っていますけれど。

色々思い巡らし、やっと、今の自分の体調に合った良い暮らし方のベストリズムが見付けられたかもしれません。

 

                 

宿泊した広島のホテルのクリスマスの飾り付けの前で撮った一枚。

 

ここからが、旅行前に綴った文章です。

 

最近、多忙過ぎるのか、生活のリズムが狂いっ放しの私の暮らしです。

私にとって、良いリズムを刻むことが、精神衛生上、何よりも大切。

それが整った暮らしだと、日々のストレスをあまり感じないで済みます。

何故、狂ってしまったのでしょうか。

その理由は、自分の暮らし方への迷いがまたふつふつと湧いてきたからです。

 

何を私は迷っているのでしょう。

例えば、自分の日々の過ごし方がは、少し生真面目過ぎるのではないか。

もう若くないのだから、もっとのんびり適当に暮らしてもいいのかもしれない。

何となく優先順位を決め、一つ一つそれをこなし、その日にできるだけの事をやってそれで満足すればいいのかもしれない。

日課を決め、それをすべてこなそうと堅苦しく考えすぎるとかえって疲れてしまうのでは。

杓子定規な決め方をしているわけでもないのですけれどね~。

 

ところが、そう思って少し気楽に家事をすると、自分がその日にこなしたい日課の半分も出来なくて、落ち込んでばかり。

私にとって、達成感は、とても嬉しい事ですから。

それが十分味わえないこの方法ではダメ、と思い、また試行錯誤を始め、家事の迷路に迷い込んでしまいました。

妹に、いつかこんな話題を持ち掛けると、

「お姉さまって、真面目ね~。私はいつも適当よ」

と言われてしまいました。

  

この言葉、私には結構インパクトが強いのです。

妹の言う通り、確かに私は真面目過ぎるんだわ、って思ってしまいます。

 

けれどやっぱり私は生真面目といわれようとも、細かな計画を5分、時には2分刻みで組み立て、目先の作業をくるくる変えてこなしていく方が家事がはかどり、気持ちも弾むことがよく分りました。

そうすると心が落ち着くのは、やりたい家事をすべて同時並行でこなしている安心感からくるのかもしれません。

私って、やはりちょっと変わりものですよね。

こんな事、書くのさえ恥ずかしい気持ちがしています。

 

何故か一つの事に長く集中すると、疲労感に見舞われるのが早くて、それを避けたいがための、わたし独特の働き方です。

最近は、週末行事が続き蓄積疲労状態に体があるのでしょう。

ぐったり感にすぐ襲われます。

けれどこの方法だと、目先の家事がくるくる変わるため、そのメリハリが私の体を多少軽やかにしてくれるようです。

 

23階のホテルのお部屋からの広島の市街地の早朝の眺望
遠くに見える中央の島が、世界遺産の宮島です。

 

実はここまで書いて、広島へと旅立ちました。

この後は、その旅から帰宅後に思ったことです。

迷っていた家事のリズムの結論が出た、と言っていいのかもしれません。

もう少し、日々をのんびり暮らすための方法と言ったところです。

ブログ綴りを止めれば、途端に私の暮らしの時間に余裕が生まれるのでしょうが。

今の私には、ブログ綴りの暮らしへの効用は捨てがたいので、続けることを前提にしてのお話です。

何だかすでに長文の域に突入しているこの度の記事。

簡潔に書いて終わりにします。

 

一日の家事での優先事項を一つにする。(今までの暮らし方との大きな相違です)

但し、お部屋の整理と身支度(おしゃれをする)は毎日の優先事項のトップに。

後の家事の優先事項は、一日一つだけに。

優先事項には、特別力を入れ、時間もかける。

残りの家事は、5分~10位にとどめ、連続性を大切にする。

 

今日の火曜日は、割と早く済む水回りにしています。

何故なら、今日は午後から孫宅と整体に行く日だからです。

明日の優先事項は料理の予定。

孫たちのためにも、気合を入れてご馳走を作りましょう。

他に家事も、もちろんしますが。連続性を維持する程度に、少しだけ行えばそれでよしにするつもりです。

 

整理整頓。

綺麗に身を装う。

今日が一番素敵の思いで暮らすためには、この二つは絶対疎かににしないようにしようと、改めて心に誓いました。

いよいよ、今日からまた心を新たにしてスタート。

頑張ります。

自分との対話の独り言の記事でした。

笑って読み流していただけたでしょうか。

 

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私のボーイフレンドたち

2017-11-17 07:07:38 | 

11月16日からの記述

頑張って一日置きに綴ってきた日記ですが、また少々疲れてきた感じです。

昨日は、デパートに用事があって出かけ、今日は夕方美容院を予約しています。

デパートに出かける前に、パソコンに下書きしてあった手紙を、便箋に清書もしました。

宛先は、幼友達のボーイフレンドのN君。

先日会ったH君と似た関係で、異性ながら、私にとっては大切な友です。

 

そういえば、七五三のイベントがある前日の夜は、U君からも、兄が突然亡くなった、との報告がありました。

私はただの同窓生に過ぎないので、その話を、まだその出来事が起きて間もない時に、聞く立場の人間ではないと思うのですけれど。

私に聞いてほしかったのでしょうか。

割と聞き上手な方なので、心が少しでも安らいでくれたのなら、友人として、とても嬉しい事です。

 

N君からは、お手紙を出した当日、電話がありました。

お手紙をした件についてのお知らせでしたが。

私にしては珍しく、デパートのとんかつ屋さんで外食しているときのことです。

私達が中学生の時、お世話になった英語の家庭教師の先生の納骨に立ち会うとのお知らせでした。

その恩師の訃報にについては、またそのうち詳しく日記に綴りたいと思います。

来春のお彼岸には、二人でお墓参りに行く約束も交わしました。

 

 

今、私には、H君、N君、U君と言った男友達の親友にも恵まれていると言っていいでしょう。

U君とは、最近急速に親しくなりましたが、H君とN君とは心の深い絆を感じている人達です。

 

少し前、日記でもご紹介したH君は、郷里の市役所で、いろいろな部署の局長として活躍された方。

一時は市長候補として嘱望された人でした。

けれど、不祥事に巻き込まれ、それがとん挫したのではないか、と私は思っています。

上京したから、との電話があり、御一緒に昼食を共に、最近したばかりです。

大学は娘達の先輩で、私とは付属の小学校時代からの幼友達。

ずっと優等生で、お母様似でハンサム。

風格の実にある方です

 

N君も、H君と同じ経緯で知り合った幼友達のよしみ。

母同士も、とても仲良しでした。

中小企業の社長さんとして、地域のために活躍しておられ、人望のとても厚い、人柄の温かい方。

 

 

その点、U君は親しくなった経緯は少し違います。

孫の家庭教師をお願いして以来の事なのですが。

実を言うと、今は、彼は首になってしまい、数か月が経ちます

無断のお休みが多くて、若夫婦が信頼できなくなったようです。

 

高校時代、クラスでの成績はトップ。

慶応の工学部教授として、活躍されました。

でも愛嬌のとてもある人。

一見、学者風には見えません。

私の娘夫婦が首にしてしまった(笑)にもかかわらず、その後も親しい気の置けない友達関係が、孫のお蔭でずっと続いています。

成績が振るわず、浪人はもう確実な孫ですが。

「理解力は早くて、頭はとてもいい。ずっと指導させてもらえれば、R君の成績を上げる自信はあるのだけれどな~」と言って残念がっています。

U君が、孫にとても温かい眼差しを注いでいるのが、私にはよく分ります、

ですから私も残念でなりませんが、娘夫婦の判断に、とやかく口を挟むことは、祖母とはいえ、できませんから。

でもU君との良い関係は、今後も続いていきそうです。

 

この齢になっても、心から信頼できる男友達にも恵まれているのは、小、中、高が共学だったお蔭でしょう。

男友達とのお付き合いは、余生のスパイスとなって、私の心を、今後も潤おしてくれそう。

男の人の話は、社会経験が豊かなだけに、専業主婦の私には、とても新鮮で楽しくて。

掛け替えのない有意義な時間を過ごすことができます。

夫が元気な時からそう感じていました。

H君とU君の事は、夫も良く知っていました。

たまに会ってひと時を過ごしても、文句を言ったりする人ではありませんでしたから。

今も、天国から温かく見守ってくれているに違いありません。

 

今後も、女友達同様に大切にして、良き友情を紡いでいきたい、と願っています。

 

 

 

 

この週末は、またイベントがあり、三連続の週末の行事。

少々疲労気味ですが、控えているこの度の行事が一番大切なことですので、頑張ります。

 

孫の行事を綴る予定でしたが、写真のアップなど手間と時間がかかりそうでしたので、記事の話題を急きょ変えました。

そういえば、まだ柿の木の写真も撮っていませんでした。

遅れていてごめんなさい。

今日も忙しいので、推敲も丁寧にしないで、更新させていただきます。

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続 ご近所付き合い~御縁は大切に

2017-11-16 07:10:19 | 暮らし

今日も昨日のエゴノキ騒動の続きです。

騒動なんて、大袈裟なものでは全然ありませんでしたけれどね。

心が、チョッと、ざわついただけ。

その気持ちを投げつけたのは、当時まだ嫁いでいない娘と夫でした。

もしかすると、妹に、一番多く愚痴ったかもしれませんが、今となっては、よく覚えていません。

 

隣人の方には、内心、納得できないものがあっても、、平静を装い、いつもと変わらない態度で私は接しました。

私は、余程のことがない限り、心から信頼していない人には、悪い感情を露わにするような事はしない性格ですから。

 

エゴノキの時もそうでした。

境界線の植栽スペースに何を植えるかを話し合って決めましょうと、隣人のKさんに申しあげました。

ところが、そのお返事は、実に素っ気なく、表現を言い換えるなら無責任極まりないものでした。

 

「そちらさんで勝手にして下さい」の一言だけ。

何かお気に召さない事でもあるのかしら、と思い、私は、その意外な返事にとても困惑したものです。

植栽をお願いするとき、帯状スペースの自分の敷地半分だけに植えるなんていったみっともないことはできませんから。

結局隙間なくつつじと、5本株立ちのエゴノキ、その樹の下に灌木を植えてもらいました。

支払いもすべて私が済ませ、その半額をKさんにお願いすることもできませんでした。

Kさんがその後、申し出られるかしらと、一縷の期待を懐きましたが、そのようなことは一切なくて。

Kさんの敷地の植栽まで、私の負担になってしまいました。

 

エゴノキのすぐ傍にある、我が家のアプローチの天使のオブジェ

 

そのころは、夫も働き盛りで、家計も一番潤っているときでしたから、今、思うほどには気ににならなかったのでしょう。

もし、この出来事が遺族年金で暮らす今の我が身に起きたなら、黙ってはいられなかったでしょうね~。(笑)

 

こんな経緯がありましたから、エゴノキの伐採を植木屋さんに言われた時は、一時的にとても私は傷つきました。

植栽の時は、まるで権利を放棄したかのような態度で、植栽の支払いを逃れられたKさんです。

それから十数年経過して、自分の敷地だからと、突然権利意識を露わにして、文句を言われる態度が、どうしても納得いきませんでした。

 

結局は、翌年の年末に、泣く泣く伐採することに。

植木屋さんが、また来られた時に、隣人のKさんが、同様のクレームを、今度は娘にされたのです、

長女のMちゃんに、私は説得されてしまいました。

「ママの気持ちは十分理解はできるけれど、我慢すれば。相手の敷地なのだから」

過去の経緯を思い出し、ぶつぶつ言ってなかなか気が治まらない私でしたが。

娘に説得されては折れるしかなく、しぶしぶ承知しました。

 

門扉の前にある寄せ植え パンジーでも添えたいです。

 

でも私は、いつまでもいつまでも根に持って、くよくよする性格ではありません。

このようなつらい想い出は、忘れることは決してありませんが。

私とは肌の合わない、変わった人との印象は、未だに拭えませんし。

噂好きのグループのお一人ですから、気は絶対に許してはいませんが。

 

Kさんは、80代の後半の年齢ながら、お一人暮らしで頑張っておられます。

脚もお悪いようです。

今はいつも、いたわりの気持ちで接している私です。

 

三十年以上にわたる隣人とのお付き合いでは、波風が立つ事もたまにはありましたが、ほとんどが小さなさざ波。

にこやかに挨拶を交わせる、穏やかな人間関係の近所づきあいが、今日に至るまで続いてきたと言っていいでしょう。

前記事でもご紹介した、心から信頼できるFさんとIさんという友人に恵まれている私。

それだけで、とても心強く、安らいだ気持ちで、この地に住むことができます。

同じ場所に住む、ご近所の方々すべてとの御縁を大切にする気持ちを、今後も忘れないようにしようと思っています。

 

わが家のシンボルフラワーのコバノランタナ。
今もまだ、可憐なピンクの小花が咲き続けてくれています

 

最後に落ち葉の受け止め方は、人それぞれである実例をお話させていただきますね。

或る時、似たような問題が連想させられる出来事が、わが家の裏のお宅の庭の柿の樹で起きました。

今年の夏の終わりころでしたでしょうか。

その大きな樹が、ほとんど半分近く、バッサリと剪定されてしまったのです。

それに気が付いた時は、目を丸くして驚き、私は、がっかりしたものです。

 

アプローチの階段を登り切ると、目の前の塀越しに、裏のお宅の大きな柿の木が見えました。

その木は、四季の移ろいを、とてもよく伝えてくれました。

特に青空をバックに、鮮やかなオレンジ色の柿の実がたくさんなった時の姿は、正に日本の秋の光景で見応えがありました。

私の目を、いつも愉しませてくれたのです。

 

ところがある日の事。

そのお宅にお住いの奥様がおっしゃいました。

 「お宅の玄関に落ち葉が落ちているようで、ご迷惑をかけ申し訳ありません」と。

私は、迷惑なんてとんでもないと思い、その謝罪の言葉に恐縮してしまいました。

借景で、心から愉しませてもらい、暮らしの潤いになっていたからです。

 

(柿の木の画像を、後ほどここにアップします)

 

わが家に気を遣って切られたのでしたら、それはあまりの誤解で、本当に残念なことですが。

借景として愉しませてもらっていることを、強く申しあげたことがある私ですから。

恐らくそうではなく、柿の木の健康維持のために、幹ごと、大胆に剪定されたのでしょう。

今は、早く大きくなあ~れと言いながら、いつもその柿の木を眺めて暮らしています。

 

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続 ご近所付き合い~エゴノキの辛い思い出

2017-11-14 07:15:15 | 暮らし

11月13日記

最近は、やっと爽やかな秋晴れに恵まれた日が多くなってきました。

その青空の下、この週末には、二日続けて長女家と次女家の孫たちのイベントがありました。

忙しいながら、共に心から愉しませてもらった祖母の私です。

一つのイベントには、夫のお位牌を、そっとバッグに忍ばせて出かけました。

 

この週明けは、中高の同窓会がありましたが、これ以上の外出は、今の私の体力と足の状況ではもう無理。

残念ながらお断りしました。

でも年に一回の植木屋さんが、入ります。

お茶出しなどで、なんだか落ち着かない一日になりそうです。

 

イベントにおける孫たちの画像は、その記事を書くときに載せます。
今日は、私の娘達の姿の一こまを。

 

今日は、早速に今回の孫たちのイベントについて綴りたいところですが。

昨日のブログ記事を綴っているときに、近所付き合いにおける過去のつらい経験が思い出されてしまいました。

今日見える植木屋さんにも関係あることですので、昨日の記事の「続」として、先に書いてしまいます。

 

何故か涙を拭っている次女のMちゃん。
この母親にとってはつらい出来事も、かれんちゃんとっては、子供らしい正直な言動だったのでしょう。
七五三のこの日の顛末は、この記事を書くときにお知らせしますね。

エゴの樹のトラブルにおいては、二人の娘たちの意見に渋々従いました。
まだ娘達が嫁ぐ前のお話しです。

 

エゴノキを、皆さんご存じでしょうか。

落葉樹ですが、春先から豊かな緑が茂り始め、五月ごろ芳香のある真っ白な小花が数珠なり咲きます。

株立ちにすると樹形がとても美しく、雰囲気のとても良い樹です。

わが家のエゴの樹は、お隣の家との境界縁にある植栽スペースに植えられています。

この地にマイホームを構えたとき、すぐに植えたものでした。

年々大きく成長し、一時は見惚れてしまうほど美しい株立ちの樹となりました。

 

ところが、その樹が、今は、なんとも寂しい姿に。

確か5本の株立ちでしたのに、2本に減ってしまっているからです。

樹の姿のバランスの悪さは、隠しようがなくて。

私はいまだに、この樹を見ると、つらい思い出が蘇えることがあります。

 

右端の二本の背丈の高い樹木がエゴノキです。

 

今日見える植木屋さんが、随分前の過去に私に言われたことです。

「エゴの樹を数本切ってもいいでしょうか?」

深く考えず、私は一瞬快諾しました。

恐らくかなり短くする剪定の事を想像したのでしょう。

ところがさらに詳しくお話を聞いて、とてもとてもビックリ。

Kさん宅側のエゴノキを、株元からすべて伐採する、ということだったからです。

 

お隣のKさんが、落ち葉が落ちて迷惑だからとの理由による要望のようでした。

私は、とんでもないと思いました。

法的には、そのクレームは問題のない事だったのですが・・・・・・。

その時は心情的に許せない、勝手な言い分に、私は感じられてしまいました。

そのまま無視を通して、一件落着の趣で、その年は終わりにさせてもらったのです。

  

余りに身勝手と言いたくなる理由が、私には他にもありました。

この地に、マイホームを建て、入居し間もない時のことです。

庭の植栽がはじまりました。

アプローチの両家の階段の中央にある帯状の植栽スペースにも、緑を植えこむことになりました。

どこのお宅も、そこにはつつじと、大きな樹木を一本植えつけておられます。

ですから、私も当然、そのようにしたいと願いました。

 

つつじが植栽されているところ

けれど、そこは燐家との共有地のようなものです。

お隣さんと相談して決めなければなりません。

わが家より、数か月前に入居されたばかりのKさんのお宅。

高校生と社会人のお子様がおいでのようでした。

その当時は、自家用車はベンツで、裕福なお暮らしぶりが窺えたものです。

 

まだお付き合いはこれからの私で、この相談が引っ越した翌日のご挨拶以来、初めての個人的な接触だったかもしれません。

ところが、私が持ちかけた相談へのお返事は、私の常識では考えられないような、不愛想なものだったのです。

この続きは、明日に回します。

 

どうしても長文になってしまう私のブログ綴りの負担を少しでも軽くするための苦肉の策と言ったところでしょうか。

今後は、「続」が多くなるかもしれません。

気を持たせるような終わり方で、失礼とは存じますが、ご理解いただき、変わらぬお付き合いの程を、これからも宜しくお願い致します。

 

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ご近所付き合い

2017-11-12 07:00:16 | 暮らし

前記事で、少し触れていますが、今日はご近所で親しくして頂いている隣人、お二人をお招きしたときのことを書きたいと思います。

正に隣人と言っていいほど、お宅が近いです。

そのおうちの気配が感じられてくるほど。

大きな声で呼ぶと届きそう。

さすがにこれはちょっとオーバーな表現です。

我が家の前は、路地ではなく、4~5メートル(?)道路ですし、庭もありますから

でもIさんは、真向いのお宅の方。

Fさんのお宅は 斜め前です。

そんなに近い隣人同士として、数十年といった長い間、親しくお付き合いしている私達。

 

Fさんがいつかおっしゃいました。

心から信頼し合っている私達の間柄を、他の友人に話すと、驚かれ、羨ましがられ、

隣人同士では、珍しいケースと、言われたそうです。。

一方、Iさんは、ご近所の方とのお付き合いは深入りしないことが賢明よ、と言われたことがあるとのこと。

一般論として、この説は確かに定着していますね。

 

 

けれど、私達はご近所同士の長いお付き合いながら、お互いに気分を害したり、いざこざめいたことがあったことも一度もありません。

とても親しいですから、かなり立ち入ったお話でも、心を許してできます。

気が合うのは、境遇や価値観が、とても似ているせいもあるでしょう。

いつお会いしても、快い会話が成り立ちます。

 

でも私が、親しくし、心から信頼しているのは、ご近所ではこのお二方だけです。

とても雰囲気の良い方は、他にも数名いらっしゃいますが、お会いしたときにごあいさつを交わす程度

また一方では、率直に言って、たとえ誘われても、お付き合いは絶対したくないグループの人達も数名いらっしゃいます。

その方達を何て表現すればいいのかしら。

立ち居振る舞いや雰囲気からして、私達とはあまりに違いすぎるとの印象を抱いてしまうのです。

 

さらにグループの中心的な方は、噂好きでいらっしゃるのが、とてもよく分りますから。

私はますます敬遠してしまいます。

或るとき、私のもとにも寄っていらっしゃって。

「~さん、~のお宅のご主人が、浮気しているの知ってる?」なんて言われた事もありました。

そんなことを言われると、私は呆れ返ってしまい、返す言葉がありません。

「他家の内情が、どうしてわかるの???単なる噂でしょう」と言って、私は終わりにします。

 

 

恐らく私の事も、色々噂されているのかもしれません。

一度ブログにも書いたことがありますが、夫の具合が悪くなり救急車を呼んだ数日後だった、と思います。

門扉の前に立つ私の前に寄っていらして、

「お宅のご主人どうしたの?」

と訊かれました。

私は、お騒がせしてごめんなさいで終わりにしました。

 

ところが、帰りかけていらしたのに、踵を返し、また私のもとに。

「ねえ~ご主人どこが悪いの?」

と再度、尋ねられたのです。

そんな浅ましい態度を見て、私は絶対教えたくないと、ますます強く思ったものでした。(笑)

 

自治会のブロック長をしているときには、このグループの人達の身勝手な言い分に、少々気分を害したこともありました。

けれど、今は会えばにこやかにご挨拶をする間柄です。

この方達は、毎日のように井戸端会議らしき立ち話をしておられるのを見かけますが。

 

 

私が仲良くしている方達とは、そのような関係ではありません。

いくら信頼し合っているとはいえ、馴れ馴れしくお相手の方を訪問したりはしません。

立ち話をする事も、めったにありません。

お土産一つ届けて下さるときも、チョッと伺ってもいいですか、と前もって気遣いのお電話が、必ずあります。

そんなけじめを大切にしてきた間柄だからこそ、親しいお付き合いが長く続けられたのでしょう。

ご近所とは言え、良い距離感は常にキープしてきた私達です。

 

この度のわが家の昼食会でも、もちろん人の噂話など一切ありませんでした。

実はもう一方、お招きする予定でしたが、参加されませんでした。

Fさんがお電話されたところによると、ご主人さまが体調を崩されている様子だった、とのこと。

その方は,同じ町内ながら、引っ越され、少し離れたところにお住いです。

とても、心配はしましたが、ご主人様の病状について、それ以上の詮索などは私達はしません。

 

話題は、親の介護の事、自分たちの行く末の身の振り方、今の社会情勢についてなど。

有意義なお話ばかりで、私はお二方の弁舌爽やかなお話に聞き入るばかり。

一番年上ですのにね~。

Fさんは、60歳になられたばかり。

Iさんは71歳で、私より二つ年下です。

この日も、いろいろ勉強させてもらい、聡明な良き友人に恵まれた幸せをかみしめるひと時でした。

 

 

私が突然体調を悪くして、助けてほしいと思っても、娘達は仕事中で、おそらく留守電だわ。

一人寂しく死んでいくのかもしれない、と笑いながら話すと、

「飛んでいくから、まず私達に電話をかけてね」とおっしゃってくださるFさんとIさん。

そういえば、東日本大震災の時には、品薄で成城石井のスーパーの前に長蛇の列ができた頃、Fさんは、我が家によく電話をかけて下さいました。

お買い物があれば、買って帰ります、と。

そのような優しいお心遣いを、Fさんは、折々で幾度も示してくださいますが、いくら親しく私が年上と言っても、甘え過ぎは良い事とは思いません。

自分でできることは、自分で頑張り、そんな年寄りの姿を温かく見守って応援してもらえるのが何よりもうれしい事です。

 

いつまでも私達の良き関係が続きますように。

続く自信もあります。

この間柄を大切にして、益々親交を温め、支え合い、励まし合って、日々を送っていこうと思っています。

 

載せた画像だと、一見豪華な料理に見えますが、テーブルセッティングが華やかに見えるだけ。

料理はミンチとスペアリブ以外は、すべてお野菜。

健康的でかつ質素な献立です。

友人達にも、負担に感じられるといけないと思い、よくよく説明した私でした。

 

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楽観視はできない脊柱管狭窄症

2017-11-10 07:34:18 | 病気

今年の夏は、脊柱管狭窄症といった思いがけない病に見舞われ、一時は、杖の購入も考えた時期がありました。

ところが、今は驚くほど回復し、痛みはむろん、最近は痺れまでなくなり、元の健康な体に戻ってしまいました。

健康寿命がついに終わってしまったと、不自由な生活を覚悟した頃が嘘のようです。

整骨院の先生からは、私の体に、回復力がまだ十分あるのでしょう、と嬉しいお言葉まで頂戴しました。

 

いつかネットで、この病の詳しい解説を読みかけたのですが、なんだか怖くなってやめてしまった私です。

ネットの情報は、必ずしも当てにならないですから。

清濁混合とよく言われますものね。

 

もう私のような年齢になると、余分な知識(怪しげな情報、と言えばいいかしら)は増やさないで、できるだけシンプルに生きたい。

なるようにしかならないので、医師の言うことだけを信じて、病に臨んでいこうと思っている私です。

ですから健康食品とかサプリメントも、私はあまり好みません。

そのような商品が溢れていて、何を一番信じていいのかもよく分りませんから。

 

最近買った草花です。
庭作業の姿勢は、腰によくありませんね~
気を付けなくては。

 

ところが、一番頼りにしていた、整形外科医院の先生のお話が、二転三転して、一時期本当に困り果てました。

最初は、圧迫骨折と、また言われ、前と同じところでしょうかと訊くと、なんだか曖昧な返事。

その後しばらく、数種の薬の服用で、すっかり回復した時期がありました。

 

それで気を良くした私は、お盆の墓参で、四時間半、新幹線に乗車し夫の菩提寺へと。

お墓参りの後、久し振りに平和公園界隈を散策しました。

数時間の事です。

 

翌日は、夫の親せきのN先生御夫妻を訪問。

ご年齢は、90歳近くになられ、もちろんお仕事は引退なさっていますが、産婦人科医として、長い間活躍された方です。

そのため、私は今でも先生と言っています。

この先生のお手紙が、最近私の心境に大きな変化をもたらした。

少々落ち込んだと言ってもいいのかもしれませんけれど。

このことについては、後で触れたいと思います。

お会いしたときは、足の激痛が治まり元気になった時でしたが、それまでの症状をお伝えし、色々アドバイスも頂きました。

脚に塗る軟膏のお薬まで頂戴して。

 

 

先生のお宅のご挨拶を終え、その足で駅へと向かい新幹線に乗車。

横浜に戻りました。

その日まで脚に痛みが再発するような事は一切なく、健康そのものだった私です。

ところが、その翌日当たりからでしたでしょうか。

脚が、また痛み始めたのは。

日に日にひどくなり、また整形外科医院に。

 

すると、前回の診断名、圧迫骨折が、強度のヘルニアに変わりました。

次女のお婿さんから、あまり評判が良くないと聞いていた医院でしたので、さすがに不安になり、見切りをつけることに私はしました。

その場で、大きな病院への紹介状を書いていただきました。

一週間前に撮った、MRIの画像も持参して、総合病院に、翌々日でしたか出かけることに。

妹に連れ添ってもらいました。

その時は、歩くのもやっと。

病院へ向かう車の中での妹との話は、杖の話でもちきりだったようにも。

 

ハンギングバスケットに植えるつもりだけれど、水遣りが怖い。

 

でもどこか呑気で、楽観的性分の私の事です。

然程くよくよすることもなく、必ず良くなるとの思いもありました。

一度よくなった病状でしたから。

一度あることは、二度あるあるとの思いで・・・・・・。

 

ところがレントゲン撮影をし、MRIの画像も見ての医師の診断は、脊柱管狭窄症。

初めて耳にする病名でしたが。

予想外に、厳しいお話。

手術か、或は対症療法で凌ぎ、これまでの生活を10割とするなら、6割に落とさないといけません、と。

手術をしても必ずしもう良くなるとは限らない。

手術の選択をする人は、よほど行動的な人、スポーツ好きの人のようです、とのお話。

 

私はほとんど迷いもなく、保存して暮らす道を選びました。

それは正解だったようです。

その後、一進一退の一時期もありましたが、秋を迎えた中頃から、みるみる回復。

今では痺れも、すっかり消えてしまいました。

もとの元気な体に戻ったと言っていいでしょう

 

脊柱管狭窄症の診断を受けてからは、整骨院に週二回通うようになりました。

この通院も、私の頭の中では思いも浮かばない事でしたが、お歳が86歳になられるご近所の奥様とのバス停での出会いがもたらしてくれたものです。

長くなりますから、神さまのお恵みのようなこの出会いについて、と整骨院の施術の詳しいお話は、また何時かお話したいと思います。

 

この奥様の紹介で通い始めた整骨院の施術のお蔭かもしれません。

しばらく一進一退を繰り返していた脚が、ある日突然完治したかのように良くなりました。

 

まだ、どこかに不安な気持ちが少しだけくすぶってはいたものの、この調子なら、今まで通りの暮らしが送れる。

時には、また旅行も楽しみたい、と思うようになっていました。

ところが、それはぬか喜びだったのでしょうか。

最近、怖~いお話を伺い(ちょっとオーバーな表現のようにも)、数日間、少々気分が滅入りました。

 

ヒューケラ

ベンチの両脇に置くつもりです。
元気で大きく育ってくれますように。

 

中高時代の友人から電話があった時のことです。

ご主人様は、今はもう退職されましたが、整形外科病院を経営し、医療で地域に貢献された外科医でいらっしゃいました。

そのご主人様が、脊柱管狭窄症を患われ、二度手術をされたのに、経過が思わしくなく、今は車イス生活になられたとのこと。

 

もう一つのお話は、前述で触れた夫の親せきの元産婦人科医院の先生から最近届いたお手紙の内容です。

私が差し上げた手紙で、手術でなく、対症療法の道を選択したことをお伝えしました。

それに対して、

「その選択は正解です。

腰の手術をして、良くなったという話を聞いたことはほとんどありません」

と書かれていました。

この二つのお話を伺い、楽観的に受け止めていた自分の病気が、軽んじると、今度こそ健康寿命が終わりを告げるような不自由な生活になるかもしれない、と、私は痛感することとなりました。

 

でも最悪の事態になる前に、色々なことがぼつぼつ分り始め、私はやはり運がいい人間なのかもしれません。

自分は、研究熱心とはいえず、色々な情報を取り入れることを、敢えて避けているようなところもありますが。

整骨院の施術のお話にしても、この度のお話にしても、実に良いタイミングで私の耳に入り、今後の暮らしの最適な助言になってくれています。

健康寿命が少しでも長引くように、無理はし過ぎず、だからと言って、活動を落とし過ぎずないようにしましょう。

そして、わたしの今の体に合ったほど良い暮らしをしっかりと身に付け、「今が一番素敵」の思いで、夫への感謝の日々を紡げるように努力したいと願っています。

 

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来年こそは、カープが日本一になりますように

2017-11-08 07:27:51 | スポーツ

日本シリーズが終わり、ソフトバンクホークスが日本一になりましたね。

その日の試合を、私にしては珍しく、最後まで見届け、野球の面白さと醍醐味を満喫することができました。

白熱した接戦に、気持ちが高揚してしまって。

ハラハラドキドキし通し。

カープ以外の試合で、こんなに夢中になったことは、今までにはありません

他のチームの試合は、全く興味がなかった、と言ってもいいほどでしたから。

 

この度の日本シリーズの最終戦は、あまりに面白かったので、ブログ記事に、是非したいと思ったのですが。

野球用語はストライク、ボウル、アウトくらいしか知らない私です。

これは、少々誇張、事実とは違いました。

ホームラン、牽制、ショートゴロ、フライ、他には・・・・・

すぐに思い出せませんね~。

ですから上手くまとめる自信がまるでなくて、この話題に触れることへのためらいもありました。

 

優勝おめでとう!

画像を間違えました。ホームグランドでの優勝だからユニホームは白ですね。
ご注意くださったお方さま、本当に有難うございます。

 

 

一方、妹の何と詳しい事。

熱狂的なカープファンに、いつの間にかなっていて、ブログに、野球の記事が多いのにもビックリ。

そのうえ、書く内容も詳細。

選手の特徴や活躍振りを、実によく、把握しているようです。

私は、山本浩二が活躍した頃のカープの事でしたら、個々の選手の顔も思い浮かびますけれど。

その後は野球から離れていたのか、今は知らない事ばかり。

 

でも去年からは、妹と、家族ぐるみ熱心なカープファンの次女家族の影響も受け、カープの勝敗が、私もとても気になるようになりました。

期待通り、今年も、カープは大活躍でした。

独走と言ってもいいほどでしたのに、日本シリーズのファイナル戦では、DeNAに負けてしまいました。

とてもとても、がっかりしたものです。

妹は会うのも憚れるほどに、意気消沈していました。

 

この度の試合におけるDeNAの善戦ぶりを見て、私が感じたことは。

カープが負けたのは、仕方がない、ということ。

最初の試合、ソフトバンクに大差で負けたときは、先が思いやられましたけれど。

勢いづいたDeNAの力は、本物でしたね。

応援していたDeNAが負けはしたものの、見応えのある試合を展開してくれた両チームに、私は心からの拍手を送りたい気持ちで一杯になりました。

特に最後の試合の面白さは、観る者の心を打つほどに、素晴らしいものでした。

 

工藤監督は、割と好きな監督かも。
広島の監督に、雰囲気が似ていませんか? 

私は最近、九時には床に就くことを厳守した暮らしをしています。

そして三時には起床。

でもこの日は、試合を最後まで観たくなり、どうすればよいのか、途方に暮れました。

入浴で、観戦を一時的中断もしましたが、その後も、終わりまで見届けなくてはいられない心境に。

とは言っても、夜遅くまで、ずっとテレビの前に座っているのも何だか苦痛。

テレビ好きではない私は、体を休めることの方を優先したくなりました。

でも、こんな面白い試合を最後まで観ないのは、なんだか余りにもったいなくて・・・・・。

 

このように悩んでいるときに、急に思い付いたことがありました。

そうだ!携帯電話のテレビ画面で見よう。

これなら枕元で、観戦できると。

でも、BSは映らないのでは、と思って、がっかり。

ところが期待はほとんどせず、何となくチャンネルを移動していると、その試合の画面が、目に飛び込んできました。

やってる!嬉しい!私は大喜び。

 

早速床に就き、横になったまま、観戦。

睡魔に勝てず、一瞬うつらうつらしたものの・・・・・・。

ソフトバンクが日本一になった瞬間は、携帯の小さな画面で、しっかりと観ることができました。

 

私は横浜市民ですから、DNAを応援はしましたが、最後はどちらが優勝しても、心から祝い、ありがとうと言いたいような心境になっていました。

野球の醍醐味を、これほどまでに感動的に味合わせててもらったことは、ほとんどありませんでしたから。

カープの優勝は、横に置いてのお話です。

 

 

来年は日本一になった、こんなシーンを見られますように。

 

それに工藤監督の、試合を見つめる人間味あふれる表情に、私は微笑ましささえ覚え、好感を持っていましたから。

勝利した直後、ベンチに戻ってくる選手一人ひとりを抱きしめる監督の姿にも感動しました。

 

日本シリーズが終わった数日後の事。

新聞に10年間ソフトバンクに籍を置き活躍したことがある選手に戦力外通告があった、との記事が載っていました。

それを目にした時は、とても複雑な心境に。

日本一なって、まだ僅かしか日が経過していませんのに。

その通告を受けた選手の気持ちが察せられて、忍びない思いになりました。

 

自分から野球人生に終止符を打ちたいと思って辞めていく人は、ごく一部の有名選手だけなのでしょう。

厳しいスポーツ界の一端を垣間見た思いがしました。

そういえば、松坂選手も、ソフトバンクを去るとの報道が・・・・・。

私が心配しても、どうにもならない事ですが、彼らの再スタートの野球人生に幸あれ、と心から祈るばかりです。

 

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料理ブログへの私の思い

2017-11-06 07:34:00 | 料理

10月18日記

皆さんにも、お得意料理が、いくつかおありでしょう。

私にもあります。

味に割と自信が持て、皆さんにも心からお薦めしたい料理が。

それを挙げて下さい、と言われたなら、下記の様な料理になるでしょうか。

お煮しめ、肉じゃが、和風ピクルス・・・・・

ええ~と、後何にしましょう。

意外にも、思いつかない。

絶対的自信に裏打ちされた料理なんて、あまりありません。

 

 

けれど、適当な目分量で、我流で料理を作ることはほとんどしませんから。

正統派の料理ということにしておきますね。(笑)

表現を変えるなら、無難な料理といったところでしょうか。

 

でも、お気に入りの料理はたくさんあります。

肉団子のトマト煮などは、母の思い出と重なり、娘時代からの大好物。

毎週一回は食べたいほど好きですが、料理ブログを綴っていると、そうもいかなくて。

 

 

気合を入れてご馳走を作る日は(週に2~3回位かしら)、できるだけ新しい料理に挑戦してみたい。

料理は新しいものではなくても、せめて献立は変えなければ、と思っています。

何故なら、私が料理ブログを綴る目的は・・・・・・。

将来、孫たちが家庭を持った時に、役立ててもらうことだからです。

そのための料理ノート作成といったところでしょうか。

 

私がこの世から消えても、料理ブログが、多少でも孫たちの役に立ち、バアバの事を偲んでもらえるなら、こんな冥利に尽きる事はありません。

そのためには、もっとスッキリした見やすい内容にしなければ、と思っていますが。

なかなか、その整理ができなくて。

ぼつぼつは手がけていますが、一向にはかどってくれません。

 

2011~2013年頃の過去記事は、画像が小さすぎるのか、美味しそうに全く見えなくて。

全部入れ替えたいほどです。

同じ料理が繰り返し載ってもいて、少々恥ずかしい。

日々の料理日記なら、それでも一向に構わないことなのでしょうけれど。

  

 麻婆なす・青梗菜の中華風酢の物。卵ともやしの炒め物

 

記事として唯一自信が持てるのは、カテゴリーのレシピ付き献立でしょうか。

料理ブログ開設後、数年して新たに設けたカテゴリーです。

http://blog.goo.ne.jp/karensakura0403/c/c2309495a4712501ef61fbfedabebf5d

 

 新しい料理、新しい献立と思っても、、もう尽きかけていて、最近は大変な苦労を伴います。

料理なんて、無限にありますから、尽きたというのは、誠に変な表現ですけれど。

私が心から作りたい、或は新しい料理にチャレンジする意欲が無くなってきただけかもしれません。

 

献立を立てるのには、若い時からとても時間がかかった私、

メインが中華なら、すべて中華で揃えないと気が済まなくて。

形状も、同じようなお料理が並ぶのは、気になります。

味も同様で、似過ぎないように、味のメリハリを付けようと努力します。

色にも割とこだわります。

食器にも・・・・・。

 

 サンマの塩焼き・茄子の煮物・切り干し大根・和風ピクルス・しめじご飯

 

美味しければ、何でも構わないのに、私は美意識のこだわりが料理にまで付きまとってしまうようです。

大した美意識でもないのに、なんと大それたことを言っているのでしょう。(苦笑)

ですから苦労するのは当然。

でも、その苦労を愉しんでいるところがあるのも事実。

 

けれど、一人暮らしになってからは、食材も節約しないといけないので、以前の様に、のびのびと愉しめなくなってしまいました。

スーパーで買い物をしているとき、夫がいた頃の暮らしとの落差を、一番よく実感します。 

yさんが元気な頃は、ショッピングカートの上下のかごに、いつも溢れるように買っていましたから。

 

状況の変化で、料理に臨む姿勢も変わらざるを得ませんが、料理は、相変わらず好きな私です

侘しい一人暮らしだからこそ、ますます食卓に幸せを紡いで、潤いのある暮らしがしたい。

何よりも健康のために、疎かにできない食生活ですから。

育ち盛りの孫たちのところにも、美味しいものをこしらえて、今後も、せっせと運び続けましょう。

 

追記

更新の仕方に、色々迷いがありますが。

恐らくまた、しばらくお休みさせていただくことになると思います。

大勢の方々のご訪問、温かな応援、本当に有難うございました。 

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もっと気楽に友人達をお招きしましょう♪ 

2017-11-05 07:30:03 | 

10月16日から綴り始めた日記

 

私がいつもいつも、心で思い続け、願っていることがあります。

それは、我が家に定期的に友人を招き、皆さんと一緒に、おしゃべりに興じ、楽しい素敵なひと時を過ごす事。

もちろん、料理は私の手料理で。

 

わが家は、ホームパーテイーをするのには、とても向いた間取りになっています。

でも私は、そのようなパーテイーを開けるような柄ではありません。

下戸で、ワインの知識もゼロ。

 

母の実家は造り酒屋でしたが、母もアルコール類は一滴も飲めない人でした。

体が受け付けないのは、母の体質を受け継いでいるのかもしれません。

ワイン通の人には、羨望の眼差しを、私はいつも向けています。

 

 ワイン用のグラスは一応揃えてあるのですが。夫は、悪酔いする(?表現が違ったかもしれません)と言って、あまり好みませんでした。
あくまで来客用のワインセットです。
そういえば、いただき物のワインが床下収納庫に収めているのを忘れていました。画像の一本です。

 

パーテイーにに相応しいお洒落な料理も苦手。

お招きするとなると、普段と余り変わりない手料理を作ることになるでしょう。

それは全然かまわないことなのでしょうけれど。

そうしたほうが、皆さん気楽に来られていいのかもしれません。

 

事実、今までにお招きいただき、お昼食をご馳走になった時は、そんな雰囲気のお食事もよくありました。

タイカレーとサラダあるいはおうどんだけ。

それで私はもう十分。

おしゃべりがご馳走となって、思い切り楽しいひと時が過ごせたものです。

感謝の気持ち一杯でした。

 

曽野綾子さんが、お客を招くのが好きで、普段の食卓と変わりない料理を出される、といった内容の文を目にした事があります。

それなのに、それなのに・・・・・・。

私は、親しい友人でも招くとなると、仰々しく構え、緊張し、準備で大変な苦労をしてしまいます。

献立を考えるだけでも、並大抵なことではありません。

ですから、お招きしたい気持ちは人一倍強くても、準備の大変さを思って、気楽に声がなかなかかけられなくなります。

 

昨日の記事でものせた画像ですが。

スープ以外の料理は、一週間ほど前に、すべて自分の夕食のために作ったものばかりです。
お肉はミンチだけで、とても安上がり。でも豪華に見えて、味も悪くありません。
これなら気楽にお招きできると思い、お茶のお誘いを受けた友人達を、我が家にお招きしました。
手早くできて経済的なこの度の献立は、私にとっては、理想的なおもてなしの仕方かもしれません。

 

今、お声をかけたい方達が、思い浮かべるだけで、5~6組いらっしゃいます。

まず、随分前からお約束している、次女の中高時代のママ友達のAさん。

何と、この友のお嬢様のお婿さんは、私の長女婿の弟さんです。

私がご紹介し、お見合い後、半年で結婚に至りました。

音大を卒業された、それはそれは美しいピアニストさん。

今は、かの有名な広尾ヒルズにお住まいで、とても幸せな結婚生活の日々を送っていらっしゃいます。

 

ところが、まだその友人と娘達の義母様三人で、席を設けて、ゆっくりお話したことがありません。

友人のAさんとは、ママ友達のお食事会が年に一回必ずあるので、お会いしていますが。

今年の会は、妹との箱根旅行と重なり、残念ながら出席できませんでしたけれど。

 

娘達のご義父母様は、とても心優しいお方。

若夫婦家族を温かく見守って下さり、友人と共に、心から感謝しています。

そのご義母様と友人と三人で、娘家族の思い出や現状などを語り、心行くまでお喋りができたなら、どんなに楽しいことでしょう。

我が家で、それを実現しましょう、と友人には、常々話してきました。

いつまでも実現できないでいると、口先だけの人、と思われても仕方ありません。

ブログに綴ることで、積極的に具体化の方向に動けるように、自らを励ますことにします。

 

 

ずっと気にかけながら、まだお招きができていない友人達が他にもいます。

米国から帰国後、過ごした社宅で、とても親しくなった友。

わが家に二度ほどお招きしたことがありますが、もうずいぶん長い間のご無沙汰。

夫が亡くなってお悔やみの言葉を頂いた際、是非お遊びにいらしてください、と言ったままです。

それがまだ、実現できていません。

 

ご家族そろって敬虔なクリスチャンで、私が敬愛して止まない友です。

次女の中学受験の時、娘の家庭教師をご紹介し、共に頑張った母親同士。

めったにお会いできないけれど、私の大切な大切な心の友です

 

もう一方は、長女のお蔭で知り合いになれたIさん。

長女が大学時代、家庭教師をしていたお子さんのお母様です。

私が車で、お宅の前まで娘を迎えに行くたびに、お話を交わし、すっかり親しくなりました。

その後ずっと、かけがえのない友人と思いながら、お電話と年賀状のみの交流で、ご無沙汰しています。

 

その他に、浦和にお住いのAさん。

ロス時代の長女のママ友達でいらっしゃいます。

このブログの前回の記事で登場いただいた、Kさんと同じくらいの絆の固さを感じている人。

kさんご夫婦は、割と最近お招きしました。

 

 

更に、やっこちゃん。

大学時代の親友。

言うまでもなく、あまりに親しい心の友なので、最後になってしまいました。

他に、学生時代の親友が二人いましたが、もう亡くなられました。

未だに信じられない思いでいるほど、良き思い出が鮮烈です。

 

更にご近所の心から信頼している友人、お二人。

真向いと斜め前のお宅の奥様。

この方達は、軽食や昼下がりのお茶のひと時に毎月でもお招きしたい人達。

 

まだまだ、他にもいらっしゃいます。

何故か私が親しくしている方々には、共通点があります。

皆さん、とても明るくて行動的。

前向きの良妻賢母タイプの女性ばかりです。

私が心から尊敬して止まない人達。

この方達のお蔭で、私は成長し、心豊かな人生を送ることができた、と言っても過言ではありません。

 

その中では、私が一番消極的。

一昨日(11月3日)の我が家での昼食会で、私はますますそれを実感。

私はもっぱら聞き役で、友人達の豊かな体験に感心するばかりでしたもの。

 

 

こんな私に目を留め、友人となり、親交を深めて下さった皆さんの優しさを思い、感謝の気持ち一杯でいます。

その気持ちを、これからは行動で示さなければ、と思うこのごろ。

 

7~8年前、井上靖の書物を読んでいる時、真の友人とは、数十年来の再会でも、信頼の絆がすぐ取り戻せる人、といったような事が書かれていましたが。

(その書物を探したのですが、見当たらなくて。星と祭と言う題名の本だったかしら???)

たしかに、私には、そういう友が大勢います。

男友達もいますよ。(笑)

最近あった、H君もそうですが。

こんなに素敵な友人に恵まれているのに、宝の持ち腐れをして、おうち大好きの内向きの暮らしばかりしている私は、あまりに情けない。

 

いつ我が身に、身動きが取れないような病が襲うかしれない年齢です。

脊柱管狭窄症を患ってからは、一層その気持ちが強くなりました。

元気なうちに、一期一会の思いで、会う機会を、できるだけ多く持つように心掛けたいものです。

 

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共同通信社からのアンケート調査~我が家での昼食会の画像も添えて

2017-11-04 07:43:32 | 社会 政治

10月15日からの記述

 

電話が我が家にもかかってきました。

共同通信社より、衆議院選挙のアンケート調査で。

私は、勧誘はもちろん、アンケート調査であろうとも、すぐにお断りしてノーコメントで対応することがほとんどです。

今、出かける直前ですとか、料理中で手が離せません、来客中ですから等、色々理由を付けます。

即、切ってもかまわないのかもしれないけれど、それではちょっと失礼な対応のような気がしてしまって。

音声でのアンケート調査は、余りいい気分がしませんよね。

電話口まで呼び立てて、自動音声で質問するのは、ちょっと失礼ではないかしら。

ですから、もちろん協力なんてしません。

 

 

この度の共同通信社からの電話は、丁寧な言葉遣いの質問で、とても感じが良かったです。

さすが新聞社ですね~

どんな質問の仕方だったか、もう正確には思い出せませんが。

 

最初は、今回行われる衆議院選挙に関心がありますか?

投票に行かれますか?

もう投票は誰にするか決めておられますか?

どなたですか?

比例区ではどこの党に投票されますか?

こんな感じだったでしょうか。

 

もちろん、最初の質問には、「とても関心があります」と答えました。

各新聞社の最初の調査結果によると、自民党が優勢のようですね。

自民党の印象も、今はあまりいいとは言えないのでしょうが、民主党の保身とエゴが丸見えの振る舞いは、もっと情けなく思えてきます。

それが前原氏の意向だけではなく、最大の支持母体である連合も前向きだったと知り、私はびっくりしました。

小池さんに、うまく騙されてしまったのでしょうか.

 

一番気の毒なのは、民進党をこれまで支持し、応援してきた有権者の人達ですね。

私の思いは、9月30日に記事にした時の内容とほとんど変わりありません。

 

 

お話ががらっと変わりますが、私の好きな政治家の一人に、最近亡くなられた与謝野馨氏がいます。

与謝野氏は、一時自民党を離れ、民主党に在籍されましたね。

恐らくその当時、かなりひどいバッシングを受けられたのではないでしょうか。

けれど、私は、今の議員の右往左往とは、志しに天と地ほどの差を感じないではいられません。

 

与謝野氏の視点は政党を超越した、もっと高いところにあり、日本の事を真剣に考えておられたような気がします。

もしかすると、日本の財政を民主党にまかせる危うさを思っての決断だったのかもしれません。

首相になってほしい方でしたが・・・・・・。

何と、初当選の頃から、がんを幾度も患われ、その病を克服しながらの議員生活でいらしたと、最近、私は知り、驚きました。

 

それにもかかわらず、いつも穏やかで、冷静な佇まいでいらした与謝野馨氏。

どこか茶目っ気もある方のようにも見えました。

温厚で誠実な語り口が、今も懐かしく思い出されます。

 

 

いつか、ぜひお墓参りを果たしたいと思うほどに、好きな人でした。

祖父母に当たられる与謝野晶子と与謝野鉄幹と同じお墓に入られたのでしょうか。

(調べたところ、違いました)

与謝野氏や加藤紘一氏、福田康夫氏のような政治家に、もっと活躍して欲しかったです。

私が好きな理由には、深い意味はありません。

彼らの理念や政策で、私の好みを語っているわけでないことを、ご承知おきくださいませ。

 

徒然なるままの今日の記事、余りの時間差から間の抜けた内容で、本当に恥ずかしいですが。

思い切って、投稿します。

 

 

ケーキとパンは、友人達が用意してくださいました。
手の込んだ可愛いケーキ。しばらく見惚れてしまいました。
とても美味しかったです。

 

上の画像は、昨日、近所のとても親しい友人をお二人を、昼食にお招きしたときの写真です。

準備に追われ、昨日は更新をおやすみしてしまいました.

  

友人達も喜んでくださり、和やかな談笑で、お昼過ぎから日が暮れるまでが過ぎました。

真向いと斜め前のお宅の方々ですが、近所に親友と言っていいほど信頼できる友がいる幸せを、三人で噛みしめ合ったひと時でした。

 

少々お料理に気合を入れ過ぎた感がありますが、ボケ予防の一環だと思っています。(笑)

 準備はそれなりに大変。

でも、私にとっては、心から楽しめる趣味のようなものです。

 

色々ボケ行動もあり、情けない思いもしましたが、それも笑い話の種に。

また何時か、記事にさせて頂きますね。

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その後のガーデニング 

2017-11-02 06:54:49 | ガーデニング

10月14日からの記述

 

「その後のガーデニング」とのタイトルを付けましたが、さて、どんな書き出しで始めましょうか。

取り立てて書くほどの話題もなく、細々と取り組んできたガーデニングでしたから。

夏には、足腰を痛めてしまったので、庭作業は中止すべきだったのかもしれませんが、そんな非情なこともできなくて。

相手は、人と変わりない生き物ですから。

 

もともと本格的なガーデニングなど、したことが一度もない私。

実にいい加減な対応ですけれど、それでもお花は大好きで。

リーフものも、大好き。

でも好きこそ物の上手なれ、とは単純にはいかないのがガーデニング。

 

 

私をずっと悩まし続けている、花壇の日照不足は、未解決のままでしたが・・・・・・。

最近、私が長年切望していた、夢の肥料(?)をやっと手に入れることができました。

半日陰でも、光合成を促してくれるというもの???

効用の説明を見る限り、これは、私の思い違いのようにも思えます。

そのような事は、一切書かれていませんから。

 

私は、、お花屋さんに行くたびに、店員さんによく尋ねたものです。

「お日様の役目を果たしてくれるような肥料って、ないのでしょうか」と。

その答えは

「あるといいですけれどね~。なかなか難しい事のようです」

と、いつも言われ続けてきました。

ですから、すっかり諦めていた私です。

 

七月の初旬の頃、東急本店の屋上にあるガーデンショップに、久しぶりに出かけました。

品揃えがとても充実していて、今、私が一番お気に入りのお店です。

もう一つのお気に入り店は、三越のチェルシーガーデンでしたが、屋上の改装のため、最近閉店。

今後、開店するかどうか未定とのことで、とても気になっています。

 

 

東急のお店で勧められた肥料が、半日陰でも草花が生き生きと育つというもの。

日照不足でも、きれいな花を元気に咲かせてくれるなら、夢のような事ですが。

まだ半信半疑の気持ちのままでいます。

大きなボトルもあったけれど、とても高価なので 、まずは小さい容器のものを求め、試してみることにしました。

 

それに環境が適していないのに、肥料で無理やり咲かせることが、草花にとって良い事なのかどうか?も

問われることですね。

この肥料を紹介されるまでは、我が家の花壇に、日照を必要とする草花を植えるのはもう諦めよう。

カラーリーフを中心にして、草花は、日光が割と当たる壁際のプランターにのみ植え、庭に華やかさを添えよう・

その様なことを、最近、私は真剣に考えていました。

 

千日紅は、我が家の花壇でも長く咲いてくれる、希少なお花です。
写真映りもとても良く、慎ましい野の花の雰囲気。
私は大好きです。

 

植えても植えても、太陽の恵みに欠け、咲く期間はとても短く、生彩を欠いたまま。

枯れてしまうものが、なんと多かったことでしょう。

宿根草の二年目の生長と花は、ほとんど期待できなくて。

まるで幻の如く、一瞬の輝きを見せて消えてしまう草花に、私はこれまで大変なお金をかけてしまいました。

その無駄を許容できるほどの境遇では、今はもうありません。

 

束の間でも、愉しませてもらったのだから、無駄と言っては、草花に失礼かもしれませんが。

一番嫌になったことは、環境が合わない草花を平気で植える、私の無慈悲さです。

イメージ先行で、植えたくなってしまうのですよね。

 

 

ルドべキアなんて、私が大好きな草花なんですけれどね~。

華やかだけれど、逞しい野生の香りがして、私の庭にも、なぜかとても良く映えます。

けれど、植えても、その花の生気が感じられるのはほんのわずかな期間。

その花姿を観ていて思ったことは、可哀想なことをしてしまった、とのやるせない気持ちだけ。

今後は、このような後悔はできるだけしないで済むガーデニングを目指したい、と、しみじみ思うこの頃です。

  

この度購入した肥料に、大いに期待している私だけれど・・・・・・。

これまでの反省から、環境にあった草花を植えることを、一番大切にしましょう。

 

 わが家のシンボルフラワーのハーブ系のコバノランタ
春、夏、秋の間、ずっと咲き続けてくれます。

 

ガーデニングの作業が、年を重ねた今のわが身の現状には、決して良い事ではないと分かっていますが。

夫が亡くなった今、私には掛け替えのない趣味との思いをますます強くしています。

我が子同然の様に、毎日語りかけて愛情を注ぐ様に心がけてはいるつもりですが。

いい加減なところがいっぱいある私。

草花には申し訳ないけれど、こんな庭主とわが家の環境に慣れて、逞しく生きて欲しいものです。

18年間も元気に咲き続けてくれている、コバノランタナ、モッコウバラ、ツルニチニチソウのように。

 

追記

ルドべキアの画像を載せたくて、ガーデニングのカテゴリーの記事を遡ってすべて見ました。

残念ながら、写真は見当たりませんでした。

でも楽しかったです。

今はもう、草花の大人買いができなくて、寂しいお庭だけれど、以前はもっと華やか。

私の理想には程遠いけれど、我ながら、お花に見とれてしまいました。

皆さまも、良かったらガーデニングのカテゴリーの画像を愉しんでくださいね。

私の好きなイメージが、なんとなくでも分っていただけるかもしれません。

 

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私の体調 

2017-11-01 07:04:25 | 健康

10月13日からの記述

 

今年も、余すところ二か月半。

夫が亡くなり、もうすぐ二年が経過します。

三回忌の準備に、そろそろ取り掛からなくてはなりません。

最初の半年は、折々で涙が溢れ、気持ちの入れ替えに苦労しましたが・・・・・・。

その後、大病もせず、色々な手続き、整理もつつがなくこなし、今日に至ります。

その間、仕事と育児で多忙を極める娘達に代わって、妹が惜しみない協力をしてくれました。

いくら感謝しても感謝しきれないほどです。

 

最近カナダにトレッキング旅行に出かけたときの妹夫婦の後姿。
私もとても気に入っている画像なので、勝手に私の記事にもアップしました。
Aちゃん!画像はもう少し大きくした方が臨場感が感じられていいのではないかしら。

妹のブログ 世界に一つだけの姥花日記

 

妹は、この度のカナダトレッキング旅行では、激しい気温差に見舞われ、すっかり体調を崩し、いまだにスッキリしない様子。

お互いに年を重ねた今、妹の不調も心配でなりません。

しっかり者のAちゃんに、大病などされたら、私はあまりにショック。

何かと、頼りにしてばかりいますから。

早く元気になってくださいね。

 

一方の私も、色々健康上の心配はありますが、体の調子は、心配したほど悪くありません。

 一人暮らしのリズムも整い、最近は、特に家事が順調です。

この調子だと、特別な大掃除はせず、今の生活のリズムを変えることなく暮らしていけばいいかな、とさえ思っているほど。

毎日、計画を立て、無理をしない程度に、コツコツ頑張ってきました。

 

この会社のお掃除用品を長年利用しています。

 

今の体調に落ち着くまでには、大変な思いもしましたが。

8月の終わりごろ、脊柱管狭窄症の診断を受けたときは、歩行も一苦労。

一時は、妹や娘に杖を勧められたほどです。

 

割と楽観的な性分で、くよくよしない私。

何とか歩けるようになると、日常の家事に、いつも通り、取り組むようになりました。

しばらく、痛む足は椅子の上に載せ、一本足で炊事に臨みました。

その逞しい生活ぶりが、かえって良かったのでしょうか。

薬もほとんど服用しないで、みるみる回復。

今では、いつもと変わりない暮らしをしています。

医師や整体師さんは、その回復ぶりの早さにちょっと驚かれている様子でした。

 

但し、足は今も痺れたまま。

入浴後は、特にひどいですし、多少遠くまで出かけると、翌日は痺れが強くなってしまいます。

ですから、もうあまり無理はできそうにありません。

その限界点がよく分らなくて、ちょっと困りものです。

 

今後は地味~な暮らしを強いられるのかもしれませんが、もともと地味な性格なので、それも良しと素直に受け入れられそう。(笑)

順応は、割と早い方です。

愚痴を言っても、どうにもなりませんから。

 

 

年が明けて、孫息子のK君の受験が終わるまでは、週二回の次女宅通いも続けましょう。

気候の良い時は、徒歩でいつも出かけていましたが、今はまだその勇気が湧かなくて。

バス利用です。

 

長女のところも、受験生がいます。

二人とも、パパ、ママとは違い、いろいろ苦労をしているようです。

いえいえ、本人は、苦労と思っていないらしく、そのおおらかさや呑気さが、親は心配の種らしくて。 

私は、新しい学生生活を、夢をもって思い切り愉しみ、有意義に過ごしてくれることを願うばかりです。

心優しくて、逞しい人間力を備えた人になってほしいなあ~。

ちょぴり不自由な体ですが、孫たちの健闘を祈りながら、年末年始の準備にもそろそろ取り掛かりましょう。

 

歩けなくなるあの苦労は、まだ当分、味わいたくありません。

杖を突くには、私は、まだ若すぎます。

痩せ我慢の自負。(笑)

狭窄の状況は、手術をしない限り、何一つ変わらないのでしょうから、油断大敵。

脚の御機嫌には、常に注意を払いながらも、日々を大切に過ごしていきたい、と願っています。

 

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