今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

カルチャーショック

2011-03-28 07:34:28 | 日記

日記でまず最初に書きたいことは、被爆したとされた作業員三人の無事退院です。
テレビやPCの報道を見る限り、本当におぞましいニュースと受け止め、先日のブログにも私の感想を述べました。

内部被ばくの可能性とまで、言われていたため、ご当人は無論、ご家族の皆さまの悲痛な気持ちも察し、やりきれなさでいっぱいになりましたが、
誤報で本当に良かった、と胸をなでおろしています。

何故、根拠もなく、このような誤報がまかり通るのかと、不思議でなりませんが、未曾有の災害に見舞われ、混乱した社会では、色々な情報が
錯綜し仕方ないことなのかもしれません。
東電も放射能の物質の濃度を間違えて発表したようですし。

悪い内容が、それ程の結果ではなく、良い方向へと進展したのですから、救われる気持ちは致しますが・・・・・・
すべての人が悲観的な感情に陥ってしまうゆえの現象かもしれませんね~。

チェルノブイリ原発事故のように、共産圏ではひた隠しにされるようなことが、日本では、ことごとく国民に開示される事に、安心感を覚えます。
しかし、情報開示を急ぐあまり、各報道機関の勝手な想像力も相働き、間違った報道になるのでしょう。
が、政府だけは、誤報は絶対あってはなりません。
その意味からも、断定できないあいまいな報道も止むを得ない気も致します

色々な情報に振り回されることなく、真実を常に見極めたいものですが、今のように混乱した世の中では、一個人では、到底無理な事。
情報リテラシ―の重要性を改めて痛感します。

さて、昨日は、本当に久しぶりに、私は二子玉川の高島屋へ。
まだなお、地震に怯えて暮らしていますから、外出は控えたかったのですが、止むを得ない用事があり、勇気を出して出かけました。

そして私は、自分の国ながら、大変なカルチャーショック(?)に。

私の常識とはかけ離れた光景を、至る所で見ることとなりました。
薄暗いスーパーはすでに経験済みとはいえ・・・・・・

急行の止まる広々とした駅の構内は、スーパー同様薄暗く、乗車券の販売機も改札機も半分は使用中止となっていました。
乗車した電車も薄暗く、心なしか肌寒い。
二子玉川の駅も同様でした。
その上、さらに驚いたのは、普段は人がほとんど使用しない見上げるように長い階段に隣接したエスカレーターまでもが稼働していません。
てくてく一歩一歩階段を上ることとなりました。
デパートも、むろん同様薄暗く、一部乗車口に鎖が掛けられ、止まったエスカレーターも見かけました。

そして何よりも印象深かったのは、いつもですと行楽を楽しむ家族連れの笑顔を見かける、それなりに混み合った電車が、行きも帰りも車内は
ガラ空き。そしてみんなの顔も沈みがちに見えたのは、少々私の考えすぎでしょうか。

いつも見慣れた光景とはあまりに異なり、私はまるで違う文化圏に突入したかのようでした。
そして、言い知れぬ不安と、寂しさ、侘びしさに襲われました。
この状態が、いつまで続くことになるのかしら、と。

しかしすぐ思い直すことができました。私は、何と我儘な思いを巡らしているのだろう、と。
震災地の方々のご苦労を思えば、この程度のことで不安になるなんて、あまりに恥ずかしい、と。

更に、今までの私達は、不必要に煌々と照らされた社会で、無駄を享受し、それを当たり前のことと受け留め、贅沢に慣れきった生活を送って
来たのかもしれない、と。

若い時に一人暮らしで、二年間ベトナムの駐在生活を送った次女が言っていました。
ベトナムなんて、大停電なんて日常茶飯事だったわよ、と。

しかし、帰る頃には、薄暗さにも慣れ、さほどの不便も味わうことなく我が家に辿り着きました。
この薄暗さもなれれば、なんのその。これほど環境汚染に役立つ対処はは他にあり得ないのでは、と。
温暖化、環境汚染防止と、声高に叫ぶ世の中だったけれど、結局快適な生活を決して私達は手放そうとしなかったのですね~。

私達は、東北の方々の避難生活のご苦労を思い、多少の不便を受け入れるのは当然です。
何時まででも忍びましょう。
そしてほんの、ほんの僅かでも、痛みを共有できるのであれば嬉しく思います。

それに代わり、被災地の方々には、一刻も早く、明るい照明と、十分な暖を、と心から願います。

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