今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

今更ですが、運動会の想い出~最高に素晴らしい運動会でした

2019-11-30 07:14:09 | 

11月1日記述

 

今日もまた、孫と一緒に過ごしたイベントの想い出です。

それは、かれんちゃんの小学校の運動会。

九月の終わり頃のことですから、もう一月以上が経過してしまいました。

毎年、余り変わりない内容ながら、とても素晴らしい運動会でしたから、

今更ですが、備忘録として書き留めておこうと思います。

 

朝、三時頃起床し、私も運動会用のお弁当作りに精を出しました。

次女のMちゃんは、

「無理しなくていいから」

と言いましたけれど、お料理は大変ながら、私の趣味の領域。

つい頑張りたくなります。

とは言っても、いつもと同じ巻きずしとお煮しめで、変わり映えしません。

 

 

何とか間に合うように作り上げ、お重箱に詰めて重い荷物を提げて、小学校に向かいました。

ところが、ほんの少し遅れてしまった私です。

そのため、残念ながら、かれんちゃんも隊員になっている、楽隊の行進の演奏は見ることが叶いませんでした。

大好きなお兄ちゃんも小学生時代、この楽隊のメンバーの一人でしたから、かれんちゃんも同様のことをしたかったのでしょう。

 

 

お兄ちゃんは、さらに5年生の運動会では司会を、六年生の時は、イベントの実行委員長として、開会式の挨拶までして大活躍でした。

お兄ちゃんと少し性格が異なるかれんちゃんには、さすがにこの役は無理かもしれませんね。

お兄ちゃんの名挨拶は、結構評判になったのですよ。

私も、校長先生より上手だと思いましたもの。

 

プログラムは、毎年ほとんど変わらず、似たり寄ったりの内容でした。

けれど、今年の運動会の盛り上がりは凄くて、私が観たこれまでの運動会の中で、一番素晴らしかった、と言えるかもしれません。

こんなことを言っては、実行委員長として頑張ったK君に、申し訳ないかしら。

生徒の頑張りもさることながら、恐らく、企画の先頭に立たれた先生が、とてもセンスの良い方だったのではないでしょうか。

運動会場に溢れる色遣いが、実に爽やか。

センス抜群に思えました。

音楽の選択も素晴らしくて、演技の種目にはいつもより経費も掛かっている印象を受けました。

 

 ボケの機能が今のパソコンにはなくて、困っていましたが 明瞭度をマイナスにすると、多少ボケの効果が出たようです。

 

私は、5、6年生のソーラン節と、3、4年生が踊る沖縄民謡の演技に、いつも心打たれて胸が熱くなるのだけれど。

今年は、例年より衣装も豪華。

演出された諸先生方の情熱が、私の身にも伝わってくるような素晴らしい運動会でした。

 

 

生徒たちも、その思いにこたえるかのように、どの競技も白熱。

一番運動会で盛り上がる、前半と後半の最後に催されるリレーも、凄い接戦。

そして最後に発表された赤白の点差は、数点。

こんな接戦の運動会は初めてです。

 

 

次女の義母様と、敬老席の最前列に並んで腰かけ、応援した私達。

多くの児童の中から、かれんちゃんの姿を目に入れるのは一苦労でしたが、二人で見つけては、頑張れ頑張れの声援と拍手。

 

向かって右から二番目が孫です。

 

後半は、校庭の隅の土手に上がって、お弁当をいただいたところのシートに、二人とも交代で横になり、しばらく目を閉じて休憩。

午前中より柔らかになった日差しを浴び、子供たちの歓声に耳を傾けながら、青空の下で休めるなんて。

至福のひと時でしたでした。

 

 

 

義母様に笑顔を向ける次女
何だか楽しそう

 

 私の日傘とエトロのトートバッグ
携帯用の保冷温ジャーは娘のものですが、軽くてとてもお洒落。

 

運動会終了後は、次女家でお茶を一服。

楽しいおしゃべり後、義母様より一足先に次女宅を後にした私です。

お兄ちゃんは、土曜日は授業があり。午後からは野球部の活動があるため、運動会場に姿を見せることは叶いませんでした。

さぞ残念でしたでしょうが、私と義母様とで、去年のK君の活躍を懐かしみながら、かれんちゃんに精一杯の声援を送った運動会でした。

 

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次女と孫娘、三人での楽しいお買い物

2019-11-28 07:18:37 | 家族

カメさん騒動あり。

その翌週の週末は、かれんちゃんが熱を出したりと、延び延びになっていたお誕生日プレゼントのお買い物が、やっと叶いました。

10月27日のことです。

その日曜日、午前中はかれんちゃんはバレーのお稽古。

私は午後の4時より、補聴器の専門販売店と予約していて、その合間を利用して三人でのお買い物でした。

 

補聴器を買うほど、私の聴力が衰えているとは思えないのだけれど。

長女と大学生になった孫息子のR君に強く勧められ、最近の私は、このことで頭がいっぱい。

ダイヤモンドの指輪を買うほどに高額ですから、迷いに迷って、まだ結論が出ていません。

このお話は、近い内にさせていただきますね。

 

 服装がお揃いのグレーで、とても素敵な親子に見えました。 親バカの一言です。

 

そのため、次女とかれんちゃんとは、数時間しか一緒に行動できませんでしたが、何と楽しかったこと。

若い人たちのショッピングセンスは、何だか私とは違う。

素敵なお店にも案内してもらい、私はめったにしない衝動買いまでしてしまいました。

 

 

 

余談ですが、長女と次女と三人で、楽しいお出かけやショッピングをするのが、私のささやかな夢かな。

でも今は、まだちょっと無理でしょうね~

二人とも、管理職でバリバリ働くキャリアウーマン。

週末は、育ち盛りや思春期の子供たちの相手もあり忙しく、私は余り構ってもらえそうにはありません。

子供たちの手が離れ、お仕事も第一線から退いたら、今は敬遠している旅行も、三人でしたいなあ~、と。

娘たちに頼り切れば、体力がなく脚を患ってしまった私でも、何とかなるでしょう。

もう少し、仕事と育児が楽になったら、実現してね。

私がヨボヨボの老体にならない内に。

 

あらっ!お話が脱線。

本題に戻します。

数時間の短い時間でしたけれど、三世代による久しぶりのショッピングは、心から愉しめました。

約束の時間にデパートの前で落ち合い、まずはランチ。

このお店は、私がお気に入りの和食処にしてもらいました。

注文したのは私がいつもお願いするランチセット。

 

 この日は写真を撮るのを忘れてしまいました。
画像は妹と一週間後に会い、食べた時のものです。

 

そこで、思いがけない心温まる出来事があったのです。

 

昼食を済ませ席を立つとき、かれんちゃんの前に、紙で折られたものが数点置いてありました。

よく見ると、お店の人に当てた、お礼の言葉が記されていました。

何と微笑ましい、孫の心遣いでしょう。

感激してしまったバァバです。

 

お店の人が気付いてくれるかしら。

ごみとして処分されてしまうのでは、と気に掛けながら席を離れた私達。

 ところが、レジで支払いを娘がしている時、店員さんが、小さなお盆にその折り紙を載せて近寄ってこられました。

深々と頭を下げて、温かな言葉をありがとうございました、とお礼を述べられたのです。

 

かれんちゃんが嬉しそうだったこと。

気が付いてもらえて良かった!

私と次女は安堵し、ほのぼのとした心情に浸りました。

 

 

その後は、今日のお買い物の一番の目的、お誕生日プレゼントの物色です。

買うものはすでに決めていた、かれんちゃん。

でも、さらに絞り込むために、結構時間がかかりましたが、私は見守るだけ。

ママと二人で色々見て、やっと決定。

ニコニコ大満足のかれんちゃんでした。

 

選んだものは、本とリカちゃんのドレスです。

去年は、リカちゃんのお洋服以外に、ラルフローレンのスカートを大奮発したけれど、今年は安上がりのプレゼントで済みました。

 

その後は喫茶店で一休み。

お昼食は次女が奢ってくれたので、今回は私のおごり。

 

こんな楽しい体験もしました。

 

その後、私は悩ましい補聴器店へと。

始めて、ドイツ製のシーメンス補聴器の説明をいろいろ伺いました。

二週間お試し期間があり、それをはじめて耳に取り付けて、次女宅でお夕食。

補聴器の調子は、今一つ・・・。

 

心の半分は、補聴器を買うかどうかの悩み事で占められていた私でしたが、

次女とかれんちゃんとの久しぶりのお買い物は、心から楽しく、優しいそよ風が心を吹き抜けたような気持ちになりました。

 

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最終回 私が患った脊柱管狭窄症

2019-11-26 06:59:48 | 病気

一時は歩行も困難なほど、ひどかった私の脊柱管狭窄症の症状でしたが、

今はすっかり回復し、暮らしに支障をきたすよなことは全くありません。

完治したと言っていいでしょう。

 

整骨院に通い始めて以降、みるみる快方に向かったものの、完治するまでには一進一退もありました。

間欠性跛行になることは二度とありませんでしたが、痛みは相変わらず残りましたし、

階段を両足で軽やかに上ることはできなくて、

バスの昇降口のステップも、やっとの思いで上がれました。

夜中に痛むこともよくあり、辛い思いもしました。

 

 

ところが今は、それらしき症状はすべてなくなり、数年前と全く変わりない暮らしをしています。

手術をするか、生活の質を六割まで落とすしかないと言われた脚です。

医師の言うことを鵜呑みにしなくて、本当に良かったです。

 

その後、整形外科医院に通い続けていたらどうだったでしょう。

強い鎮痛剤を飲まされるだけの対症療法で、その副作用が何がしかあったかもしれません。

薬には一切頼らず、自然療法と言っていい整骨院の施術のみで治せたことに、言いようのない嬉しさを私は感じています。

 

先生は、

「あなたの体に回復力があったからです」とおっしゃっいましたが・・・。

私に、もしそのような力があるとしたなら、楽観的な性格によるものかもしれません。

脚の痛みでほとんど歩けなくなった時も、あまりくよくよしませんでした。

なるようにしかならないとの思いとは裏腹に、私の好きな言葉、「自己治癒力」を信じる気持ちが常にありましたから。

妹も、娘たちも割と前向きの対応をしてくれ、助けられもしました。

 

 

そして何よりも力になって下さったのが、整骨院の先生です。

施術がお上手なのは言うまでもありませんが、お人柄も素晴らしいです。

今では、私のかかりつけ医とさえ思っているほど。

脚の痛み以外のことでも、いろいろご相談に乗ってもらっています。

 

更に思う事は、良き人との巡り合わせです。

バスの停留所での運命的な出逢いがなければ、思いつかなかった治療でした。

今の私にとって、その方は恩人。

 

今から迎える厳しい冬も、脚が今の良好な状態を維持できるか、少々不安ですが・・・。

心配しても、どうにもならないこと。

なるようにしかならない、との気持ちで、掛け替えのない毎日を大切に紡いで行こうと思っています。

 

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続 私が患った脊柱管狭窄症~幸運な出逢い

2019-11-24 07:08:51 | 病気

前回の記事の続きです。

 

あまり気が乗らないまま、整形外科医院に行くために、バス停に向かいました。

しばらく歩くと痛みが片足に襲い、全く歩けなくなり、少し立ち止まって休むと、また前に進める。

その繰り返しでした。

我が家から、速足だと五分足らずのバス停に、数倍の時間を要し、自力で辿り着いた時のことです。

  

ご近所の奥様にばったり出会いました。

我が家は角地なのですが、十字路を挟んで斜め真向いにお住いの方です。

ご主人様は、夫が勤めていた会社の先輩に当たられ、ご夫婦とも、80代後半のご高齢。

違うブロックの方でしたから、ご挨拶程度でお付き合いはほとんどありませんでしたが、

優しい笑顔と落ち着いた上品な物腰に、お人柄の素晴らしさがにじみ出ておられました。

 

 その方から折に触れ可愛い千代紙細工の小物をいただきました。
奥様が贈られたのでしょう。 整骨院の受付にも、同様の物が置かれています。
何だかほっとする優しさと温かみです。

 

この方と、バス停で偶然お会いし、数言交わした会話が、私には運命的な幸運をもたらしてくれたのです。

親しい方ではありませんでしたのに、私は余りに辛く、話さないでおられなかったのでしょうか。

脊柱管狭窄症を患い、バス停まで来るのも一苦労だったお話をしてしまいました。

 

すると奥様が、単刀直入に、最寄り駅前の整骨院を心から勧めてくださったのです。

私には全く馴染のない所。

でもあまりに強く推奨されたので、藁にもすがる心境で、予約していた整形外科の診察を受けた後、整骨院に直行しました。

  

その後からです。

みるみる快方に向かったのは。

一進一退の時もありましたが、今年の春ごろから、完治したと言っていいほど調子が良くなりました。

 

 

以前にも同じようなことを綴った覚えがあります。

書く話題が乏しくなり、再度お話しさせていただいています。

何だか恥ずかしいですけれど、新しい読者の方達もいらっしゃるでしょうから。

その後の経過は、まだ詳しくお伝えしていなかったようにも。

宜しければ、もう少しお付き合いくださいませ。

 

続く

 

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私が患った脊柱管狭窄症について

2019-11-22 07:08:12 | 病気

数年前に、私が患った脊柱管狭窄症。

このことについて、今の私の思いを、また語らせていただきます。

前と同じような内容ですので、興味のない方は、スルーしてくださいね。

せめて、私が旅した時に撮った写真だけでも、目にしていただけると嬉しいです。

 

脊柱管狭窄症の診断を受けてから、もう二年以上が経過。

最近の新聞広告の健康雑誌の見出しには、この病名が再々出るようになりました。

高齢者の典型的な病の一つなのでしょう。

 

このような雑誌を買い求めて、今後のために少しくらい勉強すればいいのに・・・。

私はこの類のものに目を通すことは、全くと言っていいほどありません。

この病名の診断を受けた時、ネットの記事は、参考のために少し読みましたが。

励ましてくれるような明るい記事はなくて、途中でやめてしまった私です。

過多の情報入手は、ストレスをためるだけとの思いがありますから。

いえいえ面倒臭いだけかもしれません、

私は、なるようにしかならない、と思ってしまうようです。

 

 

 今の季節に訪れた紅葉が盛りの京都の天竜寺

 

脊柱管狭窄症の症状に見舞われる前、お出かけ嫌いの私にしては、よく旅行をしました。

夫が亡くなって以降、一人暮らしが侘しくて、気持ちを入れ替えたいがための気晴らし旅行にすぎなかったのかもしれませんが。

憧れていた一人旅が多く、ツアーでは三越伊勢丹旅行をよく利用したものです。

このツアー旅行は、旅費は多少高めでしたが、時間に十分ゆとりがあり、一流のお料理が頂けます。

私のような体力に欠ける高齢者には、とても向いていました。

夫の墓参のための広島行きも年に三回、と。

脚を実によく使い、数年間が過ぎました。

 

小諸城址でのお花見

 

そしてある年の、お盆のお墓参りから帰って数日後のこと。

突然、脚の異変に見舞われたのです。

歩くことがままならなくなり、炊事でシンクの前に立つことにさえ支障をきたすように。

片足を台の上にのせると楽になりましたので、いつもそのようにして調理をしていました。

 

日頃、速足なら5分足らずで行けるバス停に辿り着くのも一苦労。

しばらく歩くと足の痛みに見舞われ、一歩も前に進めなくなります。

立ち止まって数分休憩すると、歩けるようになりますがまた痛みが襲う。

このような症状がずっと続きました。

間欠性跛行」と言うようです。

 

 

 足の異変に見舞われたのは、久しぶりに平和公園周辺ををひたすら散策し、
旅行から帰宅した数日後のことでした。

 

整形外科医院にしばらく通いましたが、坐骨神経痛、ヘル二ヤなどと病名がくるくる変わり、幾種もの痛み止めを下さる対症療法ばかり。

これでは、とても信用できないと思いました。

それで紹介状を書いていただき、大病院の診察を、妹や次女の付き添いのもとに受けました。

このころには、介添えがないと、歩けないほどになっていました。

 

その時の診断結果は、思いもよらない厳しいもの。

レントゲンの画像を見ながら、

「脊柱管狭窄症です。

手術をしない限り直りません。

手術をして、必ず回復するとは限りません。

手術をしないなら、生活量を六割くらい落とすしかありません」

と。

 

帰りは、しばし放心状態のようになりました。

今後どうすればいいのでしょう。

杖の暮らしが目に浮かびました

 

軽井沢の雲場池 

医師の、他の一言も気になって仕方ありませんでした。

「随分強い薬を飲まされているね~」というもの。

薬嫌いの私には、胸に突き刺さる言葉でした。

その薬は鎮痛剤で、対症療法にすぎません。

 

その話を伺い、通っていた整形外科に行くのが嫌になってしまった私です。

でも大病院は、手術の決意をしなければ、これ以上の診察は受け付けてもらえそうにありません。

已む無く、元の医院に行くことにしましたが。

それからしばらく経過した時のこと。

 近所にお住いの私より遥かに高齢のご婦人から、思いもよらない朗報を耳にすることになったのです。

運命的な出会い、と言っていいのかもしれません。

 

この続きは、次回で。

 

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牧場は若い時からの憧憬の地~素敵な日常をアンダンテのリズムで

2019-11-20 07:11:00 | 人生

11月1日の記述

 

先日、妹がブログ記事に、那須旅行で寄った歴史的に由緒ある牧場の写真を載せていました。

https://blog.goo.ne.jp/yumeji_2014/e/c1cddfcdb496cce6ac9610cbdbb1bdf4

牧場というだけで、私の心はときめきます。

少女時代から、牧場は私の憧憬の地。

将来は、牧場の経営主の奥さんになるというのが、その頃の私の夢でした。

実際は、想像以上に大変なお仕事なのかもしれません。

私が夢見た暮らしは、雇人もたくさんいる大牧場経営主の奥さんの日常。

さもないと叶わないような、甘ったれた夢だったのでしょう。

 

 六甲山牧場

 

そんな夢を心の片隅に忍ばせていた高校生の頃、クラスの友人5~6人で、近郊の牧場に出かけたことがあります。

感動したのは言うまでもありません。

牧場の入り口近くにどこまでも続く人影のない一本道があり、両側は、新緑の葉が眩しく輝いていました。

思春期だった当時の私が思ったことは、

「この一本道を恋人と、どこまでも歩き続けてみたい」でした。

 

 

これは箱根旅行した時の湿生花園の画像ですが、これにとてもよく似た雰囲気の道でした。

 

 

今でもその道の風景を鮮やかに想い出すことができます。

それから60年以上経過していますのにね。

その時抱いた想いは、思春期の憧れ、そのものだったのでしょう。

 

その後、牧場の風景に出逢うことはめったにありませんでしたが・・・。

長女夫婦が結婚して間もない頃、一緒に那須旅行に出かけた時寄った牧場。

次女の義父母様の別荘に招かれ、蓼科に旅行した時、次女夫婦に案内してもらった蓼科牧場。

この時は「地平線に向かって歩き続ける」といった夢が叶いました

後方では、次女夫婦が見守ってくれているといった安心感があったから、できたことでしょう。

広い空を仰ぎながら、緑滴る牧草の大地を踏みしめて、私は一人でテクテク、テクテク、とどこまでも、どこまでも・・・。

すると突然、何の趣もない崖っぷちに。

私の夢は、そこで空しく果てました。(笑)

 

これからの画像はすべて、六甲山牧場で撮ったものです。

 

 

 

そして一番近い良き想い出は、夫が亡くなって数年後、神戸の六甲山牧場に立ち寄った時のもの。

この時は一人旅でしたので、思う存分、牧場の景色を堪能し、大感動しました。

台風が来る前で、怪しい空模様。

時に霧がかかり、まるで幻想の世界。

すっかり心を奪われた私は、人影もほとんどない美しい牧場を独り占め。

私の若い頃からの憧憬が、十分満たされたひと時でした。

 

 

 

そういえば、もう一つありました。

主人と初孫のR君を連れ立って出かけた、北海道旅行の時、訪れた富良野。

町全体が牧場のような景色で、地平線が望めるのどかな平原のなんと美しかったこと。

そこに二重の虹がかかるといった幸運にも恵まれました。

六甲山牧場とともに、できる事なら、再度訪れてみたいところですが・・・。

 

 

でも、もう旅行はいいかな。

体力は落ちていく一方ですし、脊柱管狭窄症で歩行が困難になり、数か月間味わった苦労の辛酸が今も忘れられません。

生活を六割に落とすか、手術しかない、と大病院の整形外科医に診断を下された私の脚でしたが。

今は奇跡的に回復しています。

 

無理をしてまた再発すると、今度こそ杖の暮らしになるに違いありません。

ですから、足を労わり労わり、適度の運動を心がけて暮らす。

今の私の気持ちです。

牧場の美しい風景は、今でも折に触れ懐かしく想い出し、心の潤いになっています。

それで十分。

平凡ながら素敵な日常を、アンダンテのリズムで、体をいたわりながら丁寧に紡ぐ。

今の私は、それを一番望んでいます。

 

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悲喜こもごもの報道で心の振幅が激しかった数週間

2019-11-18 07:01:40 | 暮らし

10月27日記述

 

ここしばらく、新聞やテレビは、悲喜こもごもの報道で明け暮れ、喜んだり、辛くなったりと、

私の心は振幅が激しい数週間でした。

何と言っても、心に大きな衝撃を与えたのは、水害や土砂災害による被災地の様子.

惨状が映し出されるテレビの画面を、息を殺して見入り、ため息ばかりついていました。

被災された方々のご苦労を思い、一日も早い復旧を祈ることしかできない私ですが。

私は、治水政策を怠ってきた、行政の長年の怠慢を思わないではいられません。

 

 

もう一つの大きな報道は、ラグビーのワールドカップで、日本が予想もしない大健闘をしたことでしょう。

ルールはよく分からないままですけれど・・・。

このスポーツの魅力に、惚れ込んでしまった私です。

サモア戦からでしたが、毎回夢中で観戦しています。

昨日放映された、ニュージーランドとイギリスの試合も、最後まで観ました。

 

ラグビーは、格闘技の如くで、荒々しい印象しかありませんでしたが・・・。

それは私の大誤解。

とても紳士的な競技であることが、よく分かりました。

 

このスポーツで使用される、「ノーサイド」の言葉に惹かれてやまない私です。

いつか世界中が、ノーサイドになる日が訪れてくれないものでしょうか。

叶わぬ夢なのかもしれません。

親友のKさんは、二日前に、ボランティアを終了されたとのこと。

裏話のエピソードを、いつか聞かせてもらおうと思っています。

 

 

もう一つの大きな報道は、言うまでもなく、皇室の即位礼の儀式でした。

私は、五月の時と同じような儀式の進行に、今一つ興味が持てなくて。

ところどころしか観ませんでしたが。

一番喜ばしく思ったのは、雅子様がお元気になられたお姿を、拝見できたことだったかもしれません。

日本の象徴としての天皇、皇后両陛下が、上皇ご夫婦と同様に、国民に寄り添われ、特に厳しい状況下にある人たちの心を励まし支えてくださいますように。

皇室が身近になったためか、心ないバッシングもあるようですが、私には理解できません。

今後の皇室の在り方は、政府と識者の判断に任せて良いのではないでしょうか。

 

 

そんな大きな報道に浸り、悲喜こもごもの日々でしたが、私の暮らしは、平穏に過ぎていきました。

とは言え、今一つ元気が出ない毎日だったようにも。

日々の暮らしに心地よいリズムが刻めなくて、試行錯誤の繰り返しばかり。

今年は、一年中そんな感じでした。

もしかして、これは歳のせい。

もともと要領の良くない私が、益々悪くなってきたと言っていいのかもしれません。

でも、前向きの気持ちだけは健在な私です。

  

昨日妹と電話で長話した時、私は言いました。

「後五年で80歳になるなんて、とてもとても信じられないわ。

体力は年相応かもしれないけれど、気持ちはまだ60台前半くらいのつもりよ。

外見も、そんな歳には見えないでしょ」

と強気発言。(笑)

 

なるようにしかなりませんから、先々のことは心配し過ぎないようにしています。

今後も、「今日が一番素敵」の気持ちで、私らしい暮らしを日々紡いで行くことができますように。

 

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gooブログのリアクションサービスにつて

2019-11-16 09:59:35 | ブログ

今日から勝手ですが、最近gooブログの最後に付加されたイイネなどのマーク(リアクションサービス)を私は取り消すことにいたしました。

goo事務局にお尋ねし、教えていただいた取り消し方は、最後に載せますので、宜しけれがご参考になさってくださいね。

折角温かな応援を下さいましたのに、誠に申し訳ありません。

 

押してくださった方のブログ名も分かるので、素敵なブログに巡り合え、とても嬉しいことでしたが、私はすべての方達に対応しきれなくて、心身ともに疲れていく自分が分かりました、

日記ブログと料理ブログを綴るだけで目いっぱいの私です。

今もスマホを所有しないアナログ人間の私。

携帯も、ヤフーの画面はキッズ用にして、ネットは見られないようにしています。

 

できるだけネットから離れた生活を心がけませんと、高齢者の私は、日々の暮らしに心地よいリズムを刻むことができません。

歳を重ねるごとに、要領も悪くなっていく一方ですから。

今後も日記ブログは細く長くつづけたいと願っていますが、パソコンに向き合う時間は、できるだけ減らして行こうと思います。

 

とてもお若い方が応援して下さったり、

元気いっぱいの活動的な優しいお母さんだったり、

漫画家になれるのでは、と感心する、ほのぼのイラストを描かれるブロガーさんだったり、

お菓子作りが専門家のようにお上手な方だったり、

思索的で、情緒豊かな美しい文章を綴られる方だったり、その他、感心するようなブログにたくさん巡り逢えました。

 

私は性格的に、温かな応援をしてくださる方達を目にした以上、無視できないところがあります。

でも、お応えしていては、私の身が持ちません。

一日中、パソコンに向き合わなくてはいけなくなってしまいます。

 

そのため、応援して下さる方々に申し訳ないのですが、この度、gooブログに付与されたイイネのサービスは取り消すことにいたしました。

勝手ですが、どうか私の性格や事情をお察しくださいまして、今後とも変わりないお付き合いの程、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

下記はgoo事務局から頂いたお返事です。

 

リアクションボタンは、編集ページの「ブログ・ユーザー設定」をクリックしていただき、

「ブログ記事・画像表示」の中にある「記事下のリアクションボタン」を

「表示しない」に設定していただくと非表示にできますので、

お試しいただけますでしょうか。

 

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外商の方にまつわる二つの想い出

2019-11-15 07:11:46 | 買い物

10月23日記述

 

前回の記事の続きです。

夫が働き盛りの頃、外商の方が時々ご挨拶に見えましたが、今でもとても良く覚えている状況シーンがあります。

リングを購入した時のことです。

サイズの調整が終わったその商品を、外商の方が我が家に届けて下さいました。

 

つめの手入れもしないまま、今の手をパチリ 第二関節が太くなっているのがお分かりいただけますか。

 

指の関節が太くなり、過去にはめていた指輪がすべて全く使用できなくなりました。

それから長い年月が経過した頃のこと。

散財はやむを得ない、と思い、今風のファッションリングを二つ購入しました。

これすらはめられなくなり、また数年経過。

最近少し痩せたせいか、時々使用できるようになっています。

 

私は宝石にはあまり関心がなく、わずかしか持っていませんが、何故か、このときはチョット奮発。

とは言ってもデザイン重視のリングで、ものすごく高価というわけではありません。

 

上の画像のリングとイヤリングはエルメス、下のリングはグッチで求めました。

 

このリングを、外商の方が届けて下さった時の、苦い想い出です。

娘が言う通り、わざわざご足労頂いたのだから、と、お茶とお茶菓子を準備してお迎えしました。

その時、我が家は、外壁塗装の真っ最中。

脚下駄が組まれ、養生のブルーシートで家は覆われていましたが、衝撃的なことが、その場で起きたのです。

チョッとオーバな表現に思えますが、その時受けた心の傷は、いまだに癒えていない私。

ですから、誇張とは言えないかもしれません。

 

塗装職人の方が、居間の窓腰に見えるハナミズキの太い枝を、無造作にバサバサと切られていくのを目の当たりにして、私は仰天。

「やめてください!」と叫びたい心境でしたが、接待をしている最中でしたから、席を立つことができませんでした。

恐らく塗装の邪魔になったのでしょう。

  

そのハナミズキは、母が亡き後、記念樹として植えたものでした。

凛と咲く純白の花姿が、母の雰囲気にピッタリだと思ったからです。

私が心配した通り、その時切られた太い枝は、その後再生することはなく、美しい樹形は、今も損なわれたままです。

 

 載せる画像がなくて苦労している私です。 遊び心で、ティーセットも置いて、写真を撮ってみました。
窓越しに見えるぼやけた樹が、ハナミズキです。

  

外商の方にまつわるもう一つの想い出は、その母が関係したことです。

郷里の広島には、福屋という老舗のデパートがあります。

その外商の方が、私が娘時代のある時期、実家に出入りされていました。

 

あまりに感じの良い方でしたので、今でも、その方のお顔や物腰、声まで思い出すことができます。

お宅も、我が家に割と近く、私が通学時、電車の停留所に向かうバス道路に面してありました。

立派な邸宅で、広い庭はバラシーズンになると、まるでバラ園のように色とりどりのバラが咲き乱れ、人目を引く美しさでした。

たまたま、門の前に立っておられ、私の姿を見かけると、優しい笑顔でいつも会釈して下さったものです。

 

外商は、サービス業の第一線で活躍する人達が集まる部署でしょう。

感じが良くないと、務まらないお仕事ですよね。

それにしては、最近私が電話を掛けた時に出られた方は、少し無愛想だったようにも。

真っ正直に、遺族年金で暮らす我が身の事情をお知らせしてしまったので、当てが外れたと思われたのかもしれません。

 

こういう打算的な人は、ちょっと好きになれないタイプ。

ですから、会員にならなくて本当に良かった、と心から思いました。

とは言え、どんなに感じのいい方でも、今の私には、ふさわしくない勧誘です。

単なる繰り言でした。

 

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不思議な勧誘の理由 

2019-11-13 07:00:38 | 買い物

10月22日記述

 

デパートに、こんな質問をするのは少々厚かましいかしら、と思いながら、電話をしました。

すると、ダイレクトメールに載っていた、我が家担当らしきお名前の女性が、電話口で応対してくださいました。

私は率直に、我が家の経済状況を簡単に説明。

こんな暮らしなのに、外商のお客になるように奨めてくださる理由がよく分かりません、と言いました。

すると、意外な答えが返ってきました。

「使用している化粧品を基準にして、選ばせていただきました」と。

 

私が想像すらしなかった返答でしたが、理由が分かって何だかすっきり。

私が今の暮らしで一番贅沢に感じているのが、化粧品ですから。

シャネルとクレドポーを使用している人だから、外商の対象になる裕福な家庭と思われたのでしょうか。

随分、安易な判断では。

少々呆れもしました。

 

最初チョット惹かれたものの、もちろん加入するつもりは全くありません。

年間の会員費は、1万円と、とても高い。

二年間はその会員費を無料にしてくださるようでしたが。

100万以上買い物をすると、カードの値引き率が、8%から10%になります。

 

そんなお買い物をするわけもないのに、

その勧誘のダイレクトメールを手にしたときは、一瞬惹かれた私です。

詳しくその内容を理解した今、今の私には、考えられない事。

今後、外商の会員になることなど、絶対ありえないでしょう。

 

 

当初、次女にも相談しました。

すると猛反対されました。

外商の方が定期的に挨拶に見えるわよ。

その度にお茶を出して、相手をしなければならなくなるのよ。

その上、余分なものを買わされるのが落ち。

デパートの経営事情は今はとても厳しいから、お得意さんを増やそうと必死だと思うわ。

でも絶対、その誘いに乗ってはだめよ、と言われました。

 

娘のお茶の話は、確かにその通りです。

外商の方にまつわることで、鮮明に覚えている思い出話が二つあります。

そのお話を、次回ではさせていただきますね

 

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私は一人でデパートへ~とても不思議な勧誘

2019-11-11 07:08:01 | 買い物

10月21日記述

 

亀騒動があった日、私は次女のMちゃんとかれちゃんを連れ、三人でデパートに出かける心づもりでいました。

その前に道路掃除を、と思い、外に出たところ、思わぬ亀さんとの邂逅。

私が、そのことを連絡したばかりに、Mちゃんは、その対応に追われ、出かけるどころではなくなってしまったのです。

それで、かれんちゃんのお誕生日プレゼント購入は一週間先に延期。

 一方、私はせっかく準備したからと、一人でデパートに行くことにしました。

 

ライフスタイルのカテゴリーにふさわしい画像を、時にはと思い、
 私のこの日の服装です
黒のニットのラメ入りのカーデガンは、珍しくコシノ・ジュンコさんのお店で、5~6年前に購入しました
インナーは、十数年前にジュンアシダのお店で買ったものです。

 

デパートでした買い物は、化粧品三点だけ。

電車に乗ってまで買い物に行く時の私の目的は、ほとんど化粧品と言って、今はいいでしょう、

年を重ねた今、他の買い物は、めったにしなくなりました。

他では、ストッキングを買うくらいかしら。

カルバンクラインの弾圧ストッキングが、私のお気に入りです。

そういえば、年に数回別館で、季節の草花も購入します。

 

 履き古したストッキングの画像で失礼します。
弾圧と言っても、おしゃれ用の薄いストッキングで、割と丈夫です。

 

今日は、化粧品に関連したお話をいくつかさせていただきますね。

化粧品は、販売員の方の話によると、使用期間は、大体二か月のようですね。

二か月で使い切る。

その量が、肌にベストなのかもしれません

でも、私は、三か月以上かけています。

ですから、指に載せるクリームはいつも米粒程度。

余りに高いので、もったいなくて、たっぷりは使用できません。

  

その化粧品の価格が、小瓶ながら、今回は4点だけで38830円。

遺族年金で暮らす身には、化粧品でこの価格は、余りに贅沢過ぎ。

いつもそう思い、気分が少々滅入ります。

でも、長い間使用してきた化粧品を変える勇気がいまだになくて。

しぶしぶ、シャネルと資生堂のクレドポーの商品を購入し続けています。

 

 今回購入した化粧品

 

今年の春頃のことです。

デパートから、外商加入お誘いのダイレクトメールが、我が家に突然届きました。

外商のメンバーになると、その人たちのための特別サロンがあり、そこで休息が取れます。

私は夫が働き盛りの頃、西武の外商の会員になっていた時期がありました。

購入した物を、わざわざ自宅に届けて下さったり、数か月に一回くらい、我が家担当の方が挨拶にも見えました。

そのころは、確かにお買い物も、それなりにしていたのかもしれません。

 

でも今は涙ぐましいほど節約していて、めったに買い物はしません。

デパートに行くのは化粧品が切れた時だけ、と先ほど書きましたけれど、決してオーバーな表現ではありません。

そういえば、私が好きなブランドの服を時たま購入しますけれど。

 

そんな少ない支払しかデパートにはしていないのに、なぜ外商の客になるための勧誘ダイレクトメールが我が家に届いたのでしょう。

不思議で不思議でなりませんでした。

一方では、ちょっと引かれた情けない私です。

見栄っ張りもいい所。

カードもゴールドになって、特別サロンも利用できる。

会員料が無料の二年間だけでも、外商のお客にさせていただこうかしら、と。

 

でもでも、やはりとても不思議。

夫が居るときでしたら、年金暮らしとは言え、企業年金もあり、今とは収入が格段に違いました。

ですから、その様なメールが届いても、今回ほど、不思議に思わなかったかもしれませんが。

遺族年金の身で、慎ましい生活を送っている今の私に、なぜなぜ???

疑問でいっぱいに。

そのため、思い切って外商に電話をかけ、その理由を問い合わせてみることにしたのです。

その理由は?

次回に続きます

 

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幸せな亀さん 

2019-11-09 07:02:42 | 家族

10月20日記述

 

カメさんを娘に預け、まずは一安心した私ですが・・・。

次女のMちゃんは、かれんちゃんと私と一緒に出かける予定が頓挫。

突然舞い込んできたカメさんの対応に、半日、追われたようでした。

 

私が一人でデパートへ出かけた頃、娘家族が向かったのは、ペットショップ。

そこには、爬虫類のコーナーもあり、店員さんが、亀さんの生態や扱い方を、色々教えてくれたようです。

 

私は買い物を済ませ、次女宅の玄関に入るなり、発した第一声は、もちろんカメさんのこと。

「カメさん、どうなったの?」

「結局、飼うことにしたの。奥の部屋を見て」とMちゃん。

 

 

娘のマンションは、4LDKの間取りですが、その一部屋はキッチンにつながった小部屋で、お婿さんの書斎になっています。

その先にはマンションにしてはとても広い庭の一角があり、洗濯物の干場に。

リビングの前の庭には、植栽コーナーもあり、四季の変化も十分愉しめます。

そのそばに大きな陶器の甕が二つ置かれています。

その甕の水槽の中で、メダカを飼っているMちゃん。

石と水草を美しく配置。

コケまだ育てていて、次女の思い入れが伝わってきます。

前回と同じ事書いている。(笑)

 

 

その光景が、亀を手にした時、すぐ浮かんだ私でした。

確か水槽の甕が、もう一つ並んでいた。

そこで甕を飼えるのでは、と思った私ですが、それは小さすぎました。

 

 

ところが、私が見たカメさんの居場所は、想像さえしなかった室内。

お婿さんの書斎の壁際に、大きな水槽が置かれ、そこにカメさんがいたのです。

電気装置がいっぱいつき、滝のように水が流れるコーナーも。

昇りやすいように傾斜のついた岩までありました。

水も十分張られ、亀さんは、泳いだり陸にあがったり、滝のような水に当たったりしていたのです。

餌も浮かべてありました。

 

 

娘家族が、本格的に飼うと決めたことが、一目で分かった私です。

ここまで一気に取り揃えるとは、想像もしていなかったので、私はびっくり!

準備のために、数万の出費だったとか。

水槽を温める温熱器は、終始つけていないといけないらしく、維持費も掛かることでしょう。

 

今の時季、カメはそろそろ冬眠を始めるようですが、水槽を温かくすると、年中普通の暮らしを続けるとのこと。

環境に慣れないまま冬眠させると、死んでしまう可能性が高いのだそうです。

水も二日に一度取り替えないといけないそうです。

 

 

家事、育児、仕事と、超多忙な日々を送るMちゃんに大変なお荷物を抱えさせてしまった私。

何だか申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

でも、この亀さんは、夫の化身に違いないとの思いがますます強くなり・・・。

その様に、また話すと、

「死ぬと辛くなるから、そんなこと言うのはやめて」

と、Mちゃん

 

そういえば、鶴亀はめでたい時にも使用される言葉でもありますね。

福が、さらにたくさん、娘宅に招かれるにちがいありません。

 

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カメさんのその後

2019-11-08 07:06:17 | 家族

10月19日記述の日記

 

前回の記事の続きです。

カメさんの行き処をどうするか決めかねて、次女のMちゃんに相談を持ち掛けた私です。

Mちゃんも、とても驚いていました。

「どこかのおうちで飼っていたカメが、この度の大雨で水槽が溢れ、逃げ出したのかもしれないわね」と。

警察に届けることや、張り紙を電柱に貼って、心当たりの方に取りに来てもらう。

等々、いろいろと思いを巡らしましたが、張り紙をむやみに張るのは、何だか物騒。

警察に届けると、殺されてしまうこともあるらしいことが分かりました。

 

私はMちゃんにお願いしました。

「一層のこと、あなたの家で飼えば」と。

「庭もあるし、今飼っているメダカさんの隣に、もう一つ水槽があったでしょ」

 

 

「そうね~」とMちゃんは迷った風の返事。

それからしばらく経過し、Mちゃんから電話がかかってきました。

 

「調べて、色々分かったわよ。カメは成長してかなり大きくなるみたいよ。

30年以上生きるんだって。

その頃には、私は死んでるかもしれないでしょ。

どうしよう、困った!

爬虫類専門の動物園があって、警察に渡せば、そこに届けてくれることもあるみたい。

とりあえず、今から、かれんとカメさんを貰いに行くわね。

ペットショップにも行って相談してくるわ。

今日のデパート行きは、中止にしていい?

もうそれどころではなくなってしまったから。

今日一日、亀さんに振り回されそう」

 

コケや水草までMちゃんのこだわりで美しく配置し、メダカを飼っている次女家族。
きっとカメさんもこの家族の一員になれば、幸せになれるでしょう。

 

 

それでなくても多忙な次女に、亀さんを押し付けて、申し訳ない気持ちにもなりましたが・・・。

私は、この出会いが、何だか運命的なことにさえ思えてしまって。

「夫の化身では?」と。

ふとよぎったその気持ちが、心から離れなくなりました。

 

私はバケツから多少広い洗い桶にかめを移しました。水を張り、陸のつもりでタイルも置きました。
バタバタもがいて怯えていたカメさんが、少し落ち着いてくれ、ホッとした私です。

 

まずは、娘宅にカメさんは行くことになり、私は一安心。

かれんちゃんと一緒に我が家に来た次女に、カメさんを渡しました。

 

外の掃除をする前に、お出かけの準備がほぼ完了していた私です。

折角だから、一人でデパートに行くことにしました。

本来の目的は、次女とかれんちゃんと一緒に出掛け、孫娘のお誕生日プレゼントを、買うことだったのですけれどね。

 

私は、外出中も、カメさんの筝が、頭から離れなくなりました。

その後カメさんは、どうなったでしょう。

化粧品だけ数点買い、日が暮れた頃、次女宅へと。

いつも週末は、Mちゃん宅で夕食を共にしている私ですが、その日の一番の関心事は、もちろん亀さん。

ところが、想像もしない展開が待っていました。

続く

 

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我が家に訪れた珍事 

2019-11-06 07:16:54 | 家族

10月19日記述

 

嵐が治まり、我が家の前面道路は、吹き荒れた風で、落葉が散乱し、目も当てられないような状態でした。

いつかお隣の奥様が、おっしゃっていました。

私達の所は、吹き溜まり場所になっていて、周りの落ち葉が、みんな集まってくる、と。

確かに、私もそう思います。

 

本当は毎日掃き清めるといいのだけれど、そうすると朝の貴重な時間がもったいなくて。

ですから、適当にお掃除を心がけるように、私はしています。

嵐が過ぎ去った翌日は、今日は大変な作業になりそう、と心を引き締めて取り掛かりはじめました。

家の隅から、門扉のある方向に向かって掃いていきました。

そして、門に近づいた時のことです。

 

 

物珍しい物体が、目に留まりました。

すぐそれが何であるか、私は認識。

何と、それは亀さん!!!

わが目を疑いましたが、まさしくそれは亀。

きれいな模様が付いた10センチくらいの甲を背中に載せて、のっそりのっそりと歩みを進めていました。

 

 

 ペットになるような生き物以外は、臆病で触ることはなかなかできない私ですが、亀さんなら大丈夫。

そっと触ると、驚いて、頭を甲の中に引っ込めてしまいます。

その仕草がとても可愛くて、情が、すぐカメさんに移ってしまった私です。

恐らく、この度の大雨で、どこかの池の水が溢れ、陸地に上がってしまったのでしょうか。

そして放浪する内に、我が家に辿り着いたのかもしれません。

 

このまま放置していて、いいものだろうか。

池がある公園なんて、近くにありません。

沼池のある公園は、はるか遠くです。

 

 

このままだと、その内、車に曳かれて死んでしまうかもしれない。

とりあえず、我が家で預かろう。

そう思った私。

手で捕まえ、バケツに入れ、玄関の中に置きました。

 

驚いたカメは、手足をばたつかせ、落ち着きのない様子で、動き回っています。

バケツでは、せま過ぎて窮屈なのでしょう。

もう少し底の広い洗い桶に、亀を移し替えました。

幾分落ち着いてきたように見えます。

 

さてこの亀を、今後どのように扱えばいいのか。

私は困り果てました。

警察に届けることも一案かと思いましたが、次女にまず相談することに。

この続きは次回で

 

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非情な水害の報道に心は沈む一方でした 

2019-11-04 06:50:31 | 備え

10月19日記述の日記

 

思いがけない水害の夥しい被害で、報道機関のニュースはそれ一色。

夫が居るときは、テレビはまるで見なかった私でしたのに・・・。

最近は報道番組がほとんどながら、テレビに釘付けになることがよくあります、

 

この度の水害のニュースもそう。

息を殺してまで見入り、自然の非情な猛威に、茫然。

被害に遭った方々が、気の毒でなりません。

 

歳を重ね、心の耐性が弱くなってしまったのかもしれません、

報道を観ていると、鬱になってしまうのでは、と心配になるほど、心が沈んでいきます。

被害を受けた当事者でもありませんのに、なんて弱虫な私なんでしょう。

 

氾濫寸前のような、ネットから拝借したこの河川の画像。
本当に恐ろしい。

 

一方、被害を受けた当事者の方達の、何と逞しい事。

目の前の厳しい現実にも冷静に立ち向かい、泥水の処理や片付けに精を出しておられる。

記者の質問に、時に笑みさえ浮かべて応えられる。

弱虫の私には、その方たちの姿は、神々しくさえ映ります。

 

東日本大震災の時にも、日本人の克己心、忍耐力、礼儀正しさなどが、世界中で絶賛されたけれど・・・。

私は、そんなに強くなれそうにありません。

こんな私でも、その渦中の人になれば、別人のように逞しくなれるのでしょうか。

 

最大級と言われた台風が関東地方直撃の日、私が採った行動は、早く床に就くことでした。

夫もいない、一人暮らしの身。

怖くてなりませんでしたから、眠ってしまえばその恐怖から逃れられる、と思いました。

意外と、私は強心臓なのか・・・。

七時過ぎに床に就き、12時半に目を覚ますまで、一度も起きずぐっすリ熟睡。

 

真夜中に目覚め、すぐ居間の窓から外を見たところ、庭の樹木の葉一枚そよいでいませんでした。

その不自然な静寂に、台風の目を疑った程。

娘や妹の話によると、21時ごろが一番風雨がひどく、恐怖を覚えるほどだったとのこと。

 

私はよほど深く眠り込んでいたのでしょう。

身に覚えが全くなくて。

嵐の恐怖から逃れられたので、床に早く就いたのは正解だったのかもしれないけれど。

妹には、「それではいざというときに、逃げられないわよ」と。

確かにそうですね。

 

 

我が家は、水害の心配は全くない立地です。

ハザードマップの中に家があれば、当然、避難用具をすべて身近に置いて、いつでも逃げられる準備をしたのかもしれません。

ハザードマップは、実に正確にできているようですから。

それなのに、その地域の水害対策をほとんど何もしてこなかった、政府や行政の怠慢を思わないではいられません。

 

我が町にも大きな河川がありますが、氾濫はしませんでした。

嵐が過ぎ去った後、ほとんど間を置かず、その理由が、氾濫した多摩川と比較して述べられたレポートが、ネット上に掲載されました。

過去には幾度も水害を起こした河川とのこと。

そのたびに、遊水池を作るなどして、治水対策を講じてきた結果、この度は難を逃れられたようです。

利根川も、その様ですね。

このレポートを読んで、この度の水害は、自然の猛威に因ることとはいえ、人災でもある。と私は思いました。

 

旅先の小諸城址から眺めた、穏やかな千曲川の風景です。

 

前にもこのブログで主張したことがありますが、経済対策も外交政策もむろん大切です。

けれど、自然災害への対策はそれ以上に重要。

尊い人命にかかわることですから。

その課題に、叡智を結集して、もっともっと真剣に取り組んでもらいたい。

切にそう思います。

 

最後になりましたが、被災された方々と犠牲になられた方々のお見舞いとお悔やみを心より申し上げます。

復旧にこぎつけるまでのご苦労を思い、言葉がありません。

どうか、お体に気を付けて、頑張ってください。

 

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