今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

中学生最後の定期演奏会~孫への思い

2019-02-28 07:03:20 | 

先週の土曜日、中3になる孫娘桜ちゃんが所属する吹奏楽部の定期演奏会に、また出かけてきました。

娘からの誘いで足を運んだのは、これで何回目になるでしょう。

確か年に三回。

ということは、三年間で十回近く通ったことになります。

その定期演奏会も、今回をもって、中等部でのさっちゃんの活躍には終止符が打たれ、いよいよ高校生に。

 

 サクソホーンを束の間でしたが独奏するさっちゃん

 

新しい指導者のもと、今後もサクソホーンを演奏することに決めているようです。

ピアノも上級の腕前。

音楽を心から愛し、良き友、良き先輩後輩にも恵まれ、中学生活を謳歌したさっちゃんに、私は心からの拍手を贈りたいです。

その思いを込めて、小さなブーケもお祝いに手渡しました。

 

 オーデイションで選ばれ、クリスマス礼拝でピアノ独奏をしたときの中2のさっちゃんです。
曲目は、ショパンの「幻想即興曲」でした

 

 音楽のことはまるで詳しくない私です。

可愛い孫が参加するというだけで、奏でられる音楽は耳に心地よく、理屈抜きで、ただただ感動するばかりでした。

若さがみなぎり、清潔感溢れる演奏と言えばいいのでしょうか。

行くたびに、私は毎回、元気をいっぱい授けてもらいました。

 

 

いつもこの日は、長女と演奏会の前後に、喫茶やレストランでお茶や食事を共にしておしゃべりをするのを楽しみにしているのですが。

今回はそれが叶わなくて、とても残念でした。

演奏会の前後に、保護者会、打ち上げ会が催されることになっていたからです。

 

会場のエントランスで久しぶりに会った長女のMちゃんは、思わずハッとするほど素敵な装いと髪型でした。

写真に収めるのを忘れてしまった私。

ちょっと残念。

 

R君の受験も終わりました。

久しぶりに、会場ではR君とパパにも会えました。

決まった大学が第一志望ではなかったので、今一つ元気がないR君でしたが。

これからはさっちゃんのように、打ち込める趣味を絶対見つけてほしいなあ~、と願う私です。

小学校の図工の教科書に採用されたり、消防署で表彰されたり、と絵画の才能があるR君。

 

 この日、学園内で仰いだ抜けるような青空

 

きっと大学では本来の自分に返って、有意義な四年間を過ごしてくれることでしょう

さっちゃんも、高校生。

可愛い四人の孫たちの目を見張るような成長に、私はもう追い付いていけません。

体力は衰えていく一方だけれど、、温かなエールだけは送り続け、今後の孫たちの成長を見守って行くつもりです

 

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トラブルが解決近しの私のパソコン

2019-02-27 05:28:37 | ブログ

パソコンのトラブルが、やっとほぼ解決しました。

連続投稿は珍しい最近の私です。

今日に限ってのことです。

今回のトラブルがどのようにしてほぼ解決したか、早くお知らせしたく思いましたので。

ですけれど、ネットもパソコンも、専門的なことは私は全く分からず、そのために使用される専門用語も、無知と言っていいほど疎いです。

ですから説明も、しどろもどろになるでしょう。

用語が間違っていたら本当にごめんなさい。

 

 

昨日、電話したのは、富士通の問い合わせ先でした。

年配らしき人で、実に落ち着いた対応。

最初から頼りになりそう、と、とてもいい印象を受けました。

その期待通り、見事に解決してくださったのです。

けれど、すぐには原因が突き止められず、やはり究明には大変時間がかかりました。

 

ところが、まだ未解決のところが色々あることが、後で分かり、少々残念。

でも、これ以上、トラブルの対応で時間をとられるのは、今はもう嫌です。

しばらくたって、また富士通に修正をお願いすべく、電話をかけようと思っています。

 

 

にほんブログ村が、マイページ以外見られなくなった原因についての説明を致します。

マイページだけ、なぜ見ることができたのかは、今もって疑問のままですが。

他のブログ村のサイトが見られなくなった理由は、

私のインターネットエックスプローラーの保護モードが働き、にほんブログ村が信頼済みサイトではないと認識したようなんです。

(この表現は正確ではないかもしれません)、

そのために遮断されてしまいました。

なぜ突然このようなことが起きたのか?

その理由は、よく分からないままです。

 

私が前回の記事で書いたように、私のパソコンと、ブログ村の新しいシステムの相性が悪くて、保護モードが敏感に反応してしまったのかもしれませんね。

そのため、その保護モードを緩めたところ、見られるようになりました。

但し、保護モードを緩めたのは、今回は、シニアブログとライフスタイルのブログランキングサイトのみです。

それ以外のカテゴリーに属する方々のブログを応援クリックすると、またあの薄気味悪い英語の字が現れ、遮断されます

 

 

ブログのランキングバナーは相変わらず、すべてペケ印のままですが。

 にほんブログ村

こんな記しで表示されます

 

クリックすると、そのサイトに飛べるようになりました。

正常にポイントも反映されます。

 

恐らく、日本ブログ村全体を信頼済みサイトに設定してもらえば、すべて解決したのかもしれません。

その内、そのようにお願いするつもりです。

 

それにしても、突然このようなことが何故起きたのでしょう。

今もって、本当に不思議。

新システムの影響くらいしか、思い付かない私ですが。

もうこれ以上訳の分からないトラブルに遭遇したくありません。

 

新システムが落ち着き、にほんブログ村の運営が以前のように正常に行われるようになることを、ひたすら願っています。

と共に、ご尽力くださっている村長様はじめにほんブログ村の社員の皆様に、心より感謝申しあげ、今日の記事を終わりに致します。

 

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我が家のお雛様~パソコンのトラブルでヘトヘトの私

2019-02-26 07:39:50 | 暮らし

今日は、我が家のお雛様を見ながら、ひな祭りにまつわる私の思い出記事に、目を通していただければ、と思っていました。

ところが、パソコンのとトラブルに日中は時間を取られ、飾り付けどころではなくなってしまったのです。

ひな壇の組み立ては何とか完成しましたが。

泣きたいほどにまた苦労。

そのため、今日の記事には、昨日と今朝、撮り納めた一部の画像のみ、アップさせて頂きますね。

 

 

七段飾りのお雛様を郷里のデパートで購入した時のことを、今でも私はよく覚えています。

長女が生まれた翌年のことでした。

なかなか子供を授からず、心配し始めていた頃のこと。

夫が、郷里の支店に転勤となり、私の実家のすぐ近くに住むことになりました。

 

そのお陰で、心身ともに、リラックスできたのが良かったのかもしれません。

まるで、子供を産むために広島に帰ったかのように、娘二人を、この地で授かりました。

そして、次女が生まれた直後に、夫が東京にまた転勤に。

 

 

母の可愛がり様は、それはそれは献身的。

全身全霊で、初孫に接してくれました。

そのため、子供たちは、大変なおばあちゃま子に。

母の喜ぶ姿を見て、私は何よりの親孝行ができていると感じ、心から嬉しく思ったものです。

子供たちには「おばあちゃまを大切にするよう」に、と口癖のように言い聞かせました。

 

 

 

そんな母が、長女のために買ってくれたお雛様。

デパートの壁際に、七段飾りのお雛様が、ずらっと陳列されていた光景を、今でもよく覚えています。

それも驚くほど鮮明に。

 

お雛様のお顔立ちも、実にいろいろ。

お召し物の、色合いも柄も全く違いましたが。

私は今、手元にあるお雛様に迷うことなく目が行き、一目惚れしてしまいました。

 

 

わたしも、次女家の孫娘、かれんちゃんが初節句を迎えた時にも、お雛様を贈っています。

選んだのは、娘ですが。

お袖のあたりの造作が、それはそれは丁寧。

雅ながら、どことなく愛らしいお顔立ちです。

その内に、このお雛様もご紹介させていただきますね。

 

母が買ってくれたお雛様は、長女Mちゃんの物ですが、今も我が家にあります。

折角ですから、私が毎年飾りましょう。

そう願うものの、準備の大変さを思うと、腰が引けてしまう私。

歳を重ねるにつれ、一層その傾向が強くなってきました。

 

 

でも、日本の伝統行事の奥ゆかしさと美しさには、心惹かれる私です。

毎年、新鮮な気持ちで、お雛様をお迎えしたい。

そう願って止みません。

 

追記

にほんブログ村のサイトが見られない、私が自他ともにブログをクリック応援しても、それが反映されない。

遮断されてしまう。

このようなパソコンのトラブルについてのご報告を、前記事で致しました。

その後、NTTリモートセンターであらゆる方向から修正を試みていただきましたが、残念ながら、それでも改善は不可能でした

 

にほんブログ村の新システム移行による、弊害なのでしょうか。

 

昨日の午前中は、インターネットエックスプローラーをマイクロソフトエッジに変更し、ヤフーで検索するとみられました。

応援クリックもできるように。

しかし、このような手間はあまりに面倒と思い、パソコン画面を、今日は操作が苦手なマイクロソフトエッジに設定し直してもらいました。

ところが、その後からは、マイクロソフトエッジ、インターネットエックスプローラー共に、にほんブログ村のサイトが観られなくなり、応援クリックもできなくなってしまいましたた。

 

NTTリモートセンターのスタッフの方たちが、あらゆることを試みてくださいましたが、解決できません。

パソコンの根幹が何か支障をきたしているのかもしれない、とまで言われてしまって、どうしましょう。

 

もうお手上げ。

でも、ブログ記事は書けます。

にほんブログ村もマイページだけは見られます。

この二つに感謝して、ブログライフを愉しむしかないのかもしれませんね。

 

もしかすると、私のパソコンとにほんブログ村の新しいシステムとの相性が悪いのかもしれません。

相性が良くなるまでひたすら待つことにいたします。

 

このような訳から、皆様のブログをお訪ねしても、残念ながら、応援クリックができなくなりました。

自らのブログのクリックも、私はできませんので、何卒ご了承くださいませ。

 

パソコンのトラブルは、神経が本当に疲れます。

今日は製造元の富士通に問い合わせするつもりでいますが、それでも解決できなければ、もう諦めようと思っています。

 

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桃の節句がもうすぐ~1昨日から日本ブログ村のサイトが見られない(涙)

2019-02-24 06:57:04 | 暮らし

桃の節句がもうすぐですのに・・・・・・。

私は、今年もお雛様を飾らないで、この日をやり過ごそうとしているのでしょうか?

去年も、飾り付けはスルー。

情けない事。

お雛様に申し訳ない。

箱の中ですすり泣く声が聞こえてくるかのようで、心が痛みます。

 

 昨日は長女家の孫娘桜ちゃんのクラブの行事に出かけ、一日外出。
そのため、まだおひな様を飾っていません。
今日の記事の画像は、帰宅後、疲れた体を押して、夜、慌てて撮りました。

 

夫が元気な頃は、ひな壇の組み立てはYさん任せだった私でしたが。

頼れる人が居なくなり、一昨年は止む無く、すべて一人で頑張りました。

ところが、その苦労は想像以上に大変。

 

組み立ての説明書が見当たらず、完成図を頭に描き、適当に臨むしかなかったからです。

ところが、全然ダメ。

ひな壇が安定してくれません。

苦労に苦労を重ね、私にはもう無理、と諦めかけた時に思いついたのが、筋交いの原理。

ひな壇の背の側に、スチールの長い機材を筋交いにすると、たちまち安定し、完成。

 

そのことは、しっかり頭に叩き込んでいるので、同じ苦労はもうしないで今年は済みそうですが。

脚の悪い私が、ひな壇の入った重い段ボールを階下に運ぶことができるかなあ~。

悩ましい~。

 

 

箱ごと階下に持ち運ぶのは、とても無理でしたから、バラにして少しずつ、運びました。
上手に組み立てられるかしら?
自信がありません。

 

若夫婦に手伝ってもらってもいいのだけれど、多少無理をしてでも、自分でできることは自分でしたい。

自分にいつもそのように言い聞かせ、若夫婦たちに甘えないようにしています。

 

 

飾るとなると、一日がかりの作業になることでしょう。

今年も止そうかな、といった弱気の声が、まだ耳元でささやいていますが・・・・・・。

 

次回の記事を投稿するときには、無事に組み立てが終わっていますように。

ひな壇の赤い毛氈の上に鎮座おわしますお雛様と内裏雛さまをを、皆様にお目にかけたいです。

 

 

追記

パソコンの調子が、一昨日の午後からよくありません。

私のブログのにほんブログ村のバナーがペケ印になってしまいました。

 

そこをクリックすると、下記の言葉が表示されます。

HTTP Status 500 – Internal Server Error

他の方のブログのバナーもほとんどがペケ印。

ペケ印でも、そこをクリックさせていただくと、やはり太い黒字で、上の言葉が現れます。

シニアや丁寧な暮らしのサイトを見ようとしても、同様な表示が出てきて、見ることができません。

 

いやだなあ~

パソコンのトラブル程、無駄な時間が流れ、疲れることはありませんから。

昨日は、朝から出かけたので、そのまままま放置でした。

今朝も、その異常が続いています。

新システムへの移行による弊害でしょうか。

早く正常な状態に戻ってほしいです。

 

幸いにもブログ村のマイページは見られます。

私がブログ村のペケ印のバナーを押しても、自他共にポイントとして反映されませんが。

マイページに表示されているポイント数は、いつもとあまり変わりないようです。

と言うことは、おそらく異常を来しているのは、私のパソコンだけなのかもしれません。

 

きょう、NTTのリモートセンターにご相談してみようと思っています。

私にとっては、ネットの神様なんです。

トラブルのほとんどを、解決してくださいます。

通信料以外に、500円、毎月、NTTに納めていますが、相談の通話料は一切かかりません。

感激するほど、皆様ご親切です、

 

でも新システム移行による障害でしたら、ネットの神様の腕をもってしても、修正は無理かも、

にほんブログ村にご相談しても、新システムが落ち着くまでは、個別の回答はご無理のようですし。

どうしましょう、どうしましょう。

愚痴をもって、今日の記事は終わりにします。

 

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私の投稿文について

2019-02-22 07:03:04 | ブログ

文章を綴ることへの苦手意識は相変わらず。

書くことが好きとは、とても言えない私です。

ですのに、拙文の私のブログを、日々多くの方達がお訪ね下さいます。

素直に喜び、綴る励みにさせていただいています。

皆様、本当にありがとうございます。

 

私は、いつも七時前後、或いは、もっと早く投稿することがほとんどですが。

その時間帯にも、ご訪問下さる方が結構いらっしゃいます。

その方々に、一言お断りしたくて、今日の記事を書くことに致しました。

 

今日投函するつもりの、葉書きの絵柄です。
春を待つ今の時節にふさわしいので、記事の画像にもしてしまいました。
画像不足ゆえ、窮余の策です。(笑)

 

 早朝の7時前後に投稿するとき、拙いながら、記事の文章を完成したつもりに私はなっています。

ところが、一旦パソコンを離れ、朝の家事をしながら、時々読み直すと、アラが次々に見えてしまって。

恥ずかしさで一杯によくなります。

 

誤字、脱字はむろんですが、私がよくすることは、同じ文章を、少し間をおいてまた綴ってしまうこと。

他では、同じ言葉を幾度も繰り返すこと。

語尾がいつも同じ助動詞で終わること等々。

このようだと、間が抜けたリズム感のない文章になってしまいますね。

でも投稿の時点では、なかなか気が付きません。

 

公開することは、私の手元から一旦文章が離れることを意味するのでしょう。

気持ちに、客観的な視点が生まれるようです。

 

それまで幾度読み直しても目に留まらなかった、文章作法における私の欠点がいろいろ見えてきます。

誤字を訂正したり、同じ言葉は違う表現に置き換えたり、似た内容の文章は、片方を削除したりと。

大慌てな推敲を投稿後も、私は時折します。

文法的な間違いまで見抜くのは、私の国語力では無理。

ボキャブラリーと教養の貧弱さは、今更どうすることもできません

諦めています。

 

 

毎日、私のブログを読んでいる娘たちが間違いを指摘してくれると、ためになるのだけれど。

その点は、実におおらか。

そのような忠告は、一切してくれません。

妹も同様です。

今後も恥のかき捨てで、ブログライフを愉しむしかない、と思っています。

 

こんな具合ですから、早朝に投稿した記事は、まだ完成したものではない、と思っていただきたく、今日の記事を書きました。

推敲しても、推敲しなくても、さして変わりない拙い文章の私のブログ記事です。

こんなお断りをすると、恥をかくだけかもしれません。

 

私の憧れの文体は、村上春樹氏の文章かな。

実に分かり易くて、無駄な表現がありません。

難しい言葉は皆無と言っていい。

淡々とした情景描写は臨場感に溢れ、まるでそこに居合わせているような気持ちにさせてくれます。

読んでいて心地よく、疲れない。

 

私も、読者の方がすぐ理解できるような記事を、下手な文章ながら、めざしたいもの、と願っています。

またまたおこがましいことを書きました。

失礼を重ね、ごめんなさい。

簡単ですが、今日がこれで終わりにします。

 

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これって心霊現象?~そう思いたい♪~私のシニアファッションも

2019-02-20 06:31:31 | 家族

今日は心霊現象では?、と思えるようなエピソードのお話です。

笑われてしまいそうなタイトルで、恥ずかしいですが。

(更に画像において、私の古臭いシニアファッションも。(笑))

 

私が咄嗟にそう思ったのではなく、整骨院の若い先生が、そのようにおっしゃったのです。

「ご主人がお正月に戻ってきて、~さんの心にまだ宿っているのではないですか」と。

私は笑いながら、素直にそのジョークを受け止め、

「そうだといいですね~」

と応えました。

 

なぜそのような印象を先生が抱かれたかと申しますと、次のような経緯がありました。

年明け早々、不思議な出来事が、束の間のことながら起きたのです。

 

年初、家族とともにお正月を過ごした後、元の静かな日常に戻りました。

そして、一息つき、私が最初に出かけたのが、整骨院です。

その日は、とても寒さが厳し日でした。

私は防寒の目的も十分果たしてくれる、タートルネックの厚手のセータを着て出かけました。

 

 

輸入物で、とても上等なカシミヤ製です。

恐らく、身を温かく包んでくれる衣類としては、これに勝るものは、防寒用のコート以外ではないでしょう。

私の大のお気に入りセーターなんですが、実は男物。

袖丈は長すぎるため、袖口を折りたたんで使用しています。

着丈も長いのですが、それはさほど気になりません。

 

ネックレスをかけると優しい雰囲気に。

 

男物といえば、皆さんはすぐお分かりでしょう。

実は、このセーターは、夫の遺品です。

それだけに愛着がひとしお。

もう一枚、やはりカシミヤでベージュのセーターの遺品もあります。

 

私の洋服と重ね着をして、気になるところは、カモフラージュ。
マックスマーラーのベスト。三十年位前に購入した物です。

 

これもとても暖かなのですが、ほころびたところや、シミもあるため、外出用にはなりません。

他の衣類と合わせて、普段によく愛用しています。

 

 

更に夫の厚手のソックスまでも。

男物のソックスは、なぜか履き心地がよくて、とても暖か。

私のやはりお気に入りなんです。

 

 

年が明けて整骨院に出かける日は、厳しい寒さが半端ではありませんでした。

ですから、一番暖かく身を包んでくれるブルーの夫のカシミヤのセータとソックスを着用して、整骨院に出かけました。

 

 直輸入のクリッチアのコートですが、
セールの時、半額で数十年前に購入し、それ以来、普段用として愛用してきました。
衣類計画のモートーは、上質のものを求め、長く使用するです。
もう十分、元は取り返しました。(笑)
私の外出用の衣類は、そんなものばかりです。

 

ところが、整骨院で施術が終わり、受付で立っている時のこと、

不思議なことが起きました。

「不思議なんかではない。あなたが間の抜けたことをしただけでしょう」

と言われますと、返す言葉がありませんが(笑)

その通りですから。

 

 次女のお下がりのマフラー

寒い日は、上のマフラーと同様に、首にグルグル巻いて出かけます。

 

いつも月初には、支払いの後、必ず健康保険の手続きの用紙が差し出されます。

住所を書き留め、サインをして終わり。

それだけのことなのですが、なぜかその日は、間違えて夫の名前を書いてしまったのです。

 

 

私は夫が亡くなって以降、このような失敗をしたことは、一度もありませんでした。

書き損じてしまったことをお詫びして、新しい用紙をもう一枚いただきました。

そのとき先生が、冗談ぽく、おっしゃったのです。

「ご主人がお正月に戻ってきて、まだ~さん心に住み着いているのですよ」と

その時は、私も冗談として軽く受け止めたのですが。

 

何と二枚目の新しい用紙にも、私は夫の名前をまた書きつけてしまったのです。

さすがに私も、先生がおっしゃたことは、本当かもしれない、と思うようになりました。

 

 

その先生の嬉しい言葉を、心に抱きしめるようにして、私は整骨院を後にしました。

北風も、出かけるときほど冷たく感じないで済んだのは、もしかすると、そばに寄り添っていてくれた夫ののお陰かもしれません。

 

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R君おめでとう!

2019-02-18 07:30:30 | 

R君から、合格の最初の一報があった時、飛び上がらんばかりに喜んでしまった祖母の私です。

模試の結果が思わしくない、とママから聞いていたので、最悪の場合は二浪もあり得るのでは、と心配していました。

私の同窓生の慶応の工学部の教授だったU君に、数か月、数学の家庭教師をしてもらった時のU君の印象は、

「理解力は早い。とても頭がいい。ちょっと勉強頑張れば、KやW大学には簡単に入れるよ」

なんて言われ、とても喜び安心した私でしたが。

 

実際は、その後も、勉強に身が入らず、苦労していたR君。

授業中に、意識に関係なく眠ってしまうのは、R君の責任だけではない気がしていました。

そのせいで集中力も続かず、学力も伸び悩み、R君の心の葛藤には計り知れないものがあったことと思います。

 

身の回りは、みんなT大卒といった環境。

叔父さんは、T大で教鞭もとっています。

天然ボケも甚だしく、頭がよくないのは私だけ。

パパは背も高くて、威風堂々としているので、かなり威圧的な雰囲気のする人ですが。

ママも、叔父さん叔母さんも、学歴を鼻にかけるような人では全然ありません。

みんな、実に気さくで、優しい人たちなのだけれど。

でもやっぱり、そのプレッシャーは相当なものだったのかもしれませんね。

 

 

そのような苦労も乗り越えて、この度手に入れた合格。

超一流とまでは言えない大学かもしれないけれど、R君にはとても向いた所だと、私は思っています。

この学校をよく知る妹も、そのように言っていました。

 

明治創立以来の伝統を感じさせる、趣のある美しい建物と緑豊かなキャンパス。

その画像を初めてネットで目にしたときの私の感動は、相当なものでした。

本当に美しい大学。

立地条件も素晴らしいです。

こんな所で、四年間の大学生活を過ごせるR君の幸せを思わないではいられませんでした。

 

専攻が、教育学なんて、何だかとても素敵。

人が一番大切な人格形成にとって、教育学ほど、良き学問はないでしょうから。

パパは、公認会計士の資格を持つ、経営のスペシャリストですが、R君の好む全く違う進路を尊重した所は、さすが。

感心してしまいました。

 

今朝(2月18日)、私の寝室から見た朝焼けです

 

365日、一日も欠かすことなく、夫のお位牌を前にして、私は祈り続けてきました。

R君の希望を叶えてください。

R君に一番ふさわしい大学に合格させてください、と。

あなたは、私の祈りをしっかり受け止めて下さいました。

感謝の気持ちで一杯です。

 

まるで、この大学に入学が決まったかのような書きっぷりの、私の今日のブログ記事ですが。

まだしばらく受験は続きます。

でも、私はこの度合格した大学で、もう十分。

 

R君、本当におめでとう!!!

 

追記

 

昨日、もう一校、合格発表がありました。

R君の本命だったようですが、なんと補欠。

本人とママの落ち込み様は想像以上で、私はとてもとても拍子抜け。

受かった前の大学で、私はもう十分、大満足していましたから。

 

ママにすると、ほとんど努力らしい努力もしないで、難関大学の補欠にまでこぎつけた我が息子を見て。

じくたる思いを抑えがたいようです。

もう少し頑張れば、簡単に合格できたのに、と。

 

もし、どうしても満足できないなら、仮面浪人をして、今度こそ本気で勉強し、再チャレンジする方法だってあります。

早慶の学生さんにはいるとのこと。

そのようなことをしても、まったく問題はないようです。

飽くまで入学した大学の学業と友人関係を大切にする心構えが備わっていれば、の話でしょうが。

長い人生。

焦らず、自分が一番納得できる道を選択することは、とても大切なことでしょう。

 

でも私は、この度合格した大学でもう十分嬉しくて。

心からおめでとうと言いたいです。

 

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続 医学博士N先生の失敗談~年賀状への私の思い

2019-02-16 07:44:51 | 暮らし

N先生の二月になって届いた年賀状には、次のように書かれていました。

 

「年末にこのハガキを書き、他のと一緒に箱に入れて多忙で出すのを忘れていました。御免なさい」

 

私は、それに気付かれた時のご高齢のN先生の驚きのお顔が思わず目に浮かびました。

何だか、とても微笑ましく、心温まる思いに。

その年賀状を抱き締めたい気持ちになりました。

90代になれば年賀状を認めるのは、精神的にも体力的にも、決して楽なことではないでしょうに。

 

今は、終活の一環として、年賀状書きを辞める方が多いようです。

ですから、年賀状がN先生から届かなかった時、私がまず思ったことは、そのことでした。

それを理解できる私です。

 

でもその賀状が、最近届きました。

上でご紹介したような先生の失敗談が添えられて。

 

 

 

私は終活の一環として、年賀状を取り止める事に、何の不服もありませんが。

私は、手が動く限り、この作業を続けるかもしれない、と思っています。

遺された家族に迷惑をかけないように、物品の断捨離をすることは。とても大事なことでしょう。

けれど、長年心にかけ、大切に思ってきた友や身内の人たちまで、断捨離するがごとく交信を断ち切るのが、本当にいいことでしょうか。

私には、あまりに寂しすぎる所作に思えてなりません。

 

 写真入りの年賀状を出すことがほとんどですが、今年は雰囲気を変えてみました。

 

私は毎年50枚くらい年賀状を認めます。

その一枚一枚、いずれも綴る時に、懐かしいお顔が浮かびます。

形式的なものは一枚もありません。

その多くの方は、年賀状のやり取りだけのつながりですが、それでも、忘れ得ぬ想い出が色々ある方ばかりです。

綴りながら、感謝の気持ちが湧いてきます。

 

 

 夫の喪が明けた翌年の年賀状です。
二通り作りました。

 

そうはいっても、年賀状を書くシーズンを迎えると、それをとても苦労に感じるのですけれどね。

賀状を作成し書き上げるまでには、結構な時間がかかりますから。

 

形式的な年賀状では、書く楽しみが半減してしまいます。

ですから、私は葉書きの選択にも時間をかけます。

受け取る方に、私らしさを感じ取っていただけるように、と。

 

 O君に同窓会で会った時、今年受け取った年賀状の中でピカイチだったと褒められたものです。

 

孫達と夫婦が揃ったこの年賀状が、私は一番好きです。

この年賀状は、カメラ屋さんにとても褒められました。

 

人間関係まで断捨離すると、何だか認知症が早まってしまいそう。

そんな懸念も抱いてしまう私です。

 

もし、90代まで生きながらえることができたなら、

N先生のように、私も年賀状を綴る気力を失わないでいたいもの、と願ってやみません。。

 

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医学博士N先生の失敗談

2019-02-14 07:23:09 | 家族

昨日の記事の続きになりますが、できるだけ手短に、と思っています。

このブログにも数度登場していただいている、夫の従兄弟にあたるN先生のお話です。

80歳過ぎまで開業医としてご活躍されたので、私は退職された今でも、先生とお呼びしています。

 

タイトルに医学博士と書いたのは、訳があります。

去年のことです。

お盆で帰郷した時、お寄りした先生のお宅で、電話番号の載った名刺をいただきました。

メモした番号にお電話をしても、通じなかったお話をしたときのことです。

その名刺にに書かれていた、「医学博士」の肩書が、とても印象的で、先生の矜持を見る思いがしました。

その矜持を感じさせる、微笑ましいエピソードも伺っています。

とても感動したのですが、このお話は、またいつかさせていただきますね。

 

 

奥様も、80代後半になられます。

長い間、いろいろな病を患われ、一つ一つ気丈に乗り越えてこられた奥様。

今も喉頭がんが完治したばかりでいらっしゃいます。

N先生の至れり尽くせりの手厚い看護があればこそのこと。

 

私は美しい夫婦愛に感心するとともに、お医者様が夫の奥様が羨ましい。

心からそう思っています。

ご高齢のお二人暮らし、いろいろご苦労もおありでしょうに。

いつお会いしても、ご両人とも明るく、凛としていらして、その清々しいお人柄は変わることがありません。

私が敬慕してやまないご夫婦です。

 

お盆に夫の墓参で帰郷した時は、お宅訪問を私は恒例にしています。

今年もお会いするのがとても楽しみ。

旦那様がそのようにしていましたから、夫の遺志を私が受け継いだ感じです。

 

 

むろん私は毎年、年始のご挨拶状は必ず出します。

ところがどうしたことか、N先生から年賀状が、今年は届きませんでした。

ご年齢のことも考え、とても心配した私です。

お具合でも悪いのかしら?、と。

 

けれど、すぐ思い直しました。

きっと終活の一環として、年賀状書きをお辞めになったのに違いない、と。

ところが何と、昨日(2月11日)になって、年賀状が届きました。

どういうことでしょう。

この続きは次回に回します。

 

すみません。

また中途半端な終わり方ですね。

ブログつづりに疲れを感じ、息切れ寸前です。

一人暮らしで、お出かけもあまりしない私。

話題が乏しくて困ります。

ですから、適当なところで切って、短い文を心がけ、更新を続けられるように努力しています。

ご理解いただけると幸いです。

 

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まずは二通お手紙を認めて~追記あり

2019-02-12 06:55:57 | 想い出

最近の若い方たちは、便せんや葉書きによる手紙のやり取りはめったにしないのでしょう。

通信機器で、気軽に速やかにコミュニケーションが取れる世の中です。

そういう私も同様。

親しい人や家族には、メールや電話で連絡しますが。

携帯メールは大の苦手です。

 

でもそれがふさわしくない場合も、多々ありますね。

そのような時は、久し振りの便せんや葉書きの出番です。

文箱から、書きたいと思っている文面やお相手の人柄に合った絵柄の便せんや葉書きを選んだり。

切手も、いろいろ迷います。

 

母はとても筆まめで、達筆な人でした。
文箱は両親の遺品です。

 

そして手紙を綴るわけですが、初めから終わりまでの行程は結構大変。

私は、時間がかかります。

ですから書き終わると、大仕事を終えたような気持ちに。

何だか、とてもほっとします。

 

このような感じですから、手紙を書くのが得意とは、とても言えない私。

ところが最近は、お手紙を認めなければならない人が多くて、気になって仕方がありません。

五通のうちの二通をやっと書き上げました。

 

 

一通は昨年の春に奥様を亡くされた、夫が勤めていた会社の取引先の方。

私はお目にかかったことは一度もないのですが、夫が亡くなった後も、季節の挨拶状には、必ず温かな励ましの言葉を添えてくださいます。

夫が病床中にも、この方のお気遣いの温かさに感動したものでした。

 

ですから、何かささやかでも、お慰めしたいと思った私です。

それで、供花とともにお悔やみのお手紙を、遅ればせながら認めることに。

お会いしたことが一度もない方ですから、綴るのも緊張して、時間がかかりました。

お花の手配はもう済ませ、今日はその手紙を投函します。

 

 

もう一通は私の従兄弟で、私より一回り年上のSさんへのお手紙です。

がんを患い、膀胱を摘出する手術を受けられたと、年賀状に一言添え書きされていました。

私はびっくりし、とても心が痛みました。

 

夫と婚約時代、東京でデートをする時は、Sさんが居る伯母さまのお宅にいつも泊めていただいたものです。

田中角栄や徳川家の住まいが近くにある目白の閑静な高級住宅地の一角に、お宅がありました。

そのころ、Sさんは、学習院を卒業されて会社員に。

婚約中でした。

理想的な体形、言葉遣いもソフト、お人柄も優しく温かで、非の打ち所がない青年だったSさんです。

まさに私の理想の男性像。

憧れの人でした。

 

 手紙の用途やお相手の人柄に合わせて、便せんやはがき。切手を私は選びます。
目上の方には、真っ白な便せんを使用することが多いですが。
可愛い絵葉書は、本の栞としてもよく使用します。

 

ですから、ショックは、相当なもの。

お見舞いのお手紙と共に千疋屋の果物、お花を妹との連名でお届けすることに。

妹もすぐ同意してくれ、お手紙は私が認めました。

夫の知人と違い、緊張することもなく、この手紙はすらすら綴れた私です。。

 

 

まだあと、三通、書かなければ、と心にかかってならない手紙があります。

二通は、お悔やみですが。

もう一通の手紙は、なんと最近届いた年賀状。

昨日のことです。

余りに微笑ましいことが書かれていて、思わずにっこり。

 

高齢になると、だれもがおかしそうな、医学博士、N先生の失敗を、次回ではお話しさせていただきます。

年賀状へ寄せる私の思いとともに。

 2月8日から記述

 

追記

Sさんは私より一回り年上なのに、とんでもなく時系列が間違った記述がありました。

妹に指摘され訂正しました。

お気づきの方、いらっしゃいましたか?

恥ずかしいです。

ごめんなさい。

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久しぶりにコンサート鑑賞

2019-02-10 07:08:57 | 文化

1月のとてつもなく厳しい寒さの日。

一時間以上かけて、錦糸町の隅田トリフォニーホールで催されたオーケストラのコンサートに出かけてきました。

妹に誘われてのことです。

 

脚の調子があまり良くなかったので、とても迷いましたが・・・・・・。

コンサートへの期待以上に、年初以来まだ会っていなかった妹に会いたい。

そんな気持ちでした。

2~3日に一回は必ず電話でおしゃべりしている、恐らく世にもまれな仲良し姉妹かもしれません。

https://blog.goo.ne.jp/yumeji_2014  妹のブログです。

冒頭から文章が脱線。

コンサートの話題に戻しますね。

 

 

妹は、旦那様の影響もあり、音楽にはかなり詳しいです。

私は音楽を語る資格なんてまるでないほど、知識が浅くて、何も知りません。

若い頃は、クラシック音楽にとても憧れ、CDの全集も求め、日々その心地よい旋律を耳にしながら学生生活を過ごしたり、家事をしたものです。

 

  

居間とファミリールームの天井にはボースのスピーカーが埋め込まれています。

 

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、メンデルスゾーンとチャイコフスキーの有名なバイオリン協奏曲、ドボルザークの新世界、シューベルトの未完成等などは、特によく聴いた覚えがあります。

 

ところが、7~8年前に、ステレオ機器が故障すると、そのまま放置。

私の音楽への関心は、その程度なのでしょう。

 

私が買い求めた三度目のステレオ。
ビクターの商品で、高価ではありませんが、音の良さが新聞でも取り上げられ、一時評判に。
修理に出すか、新しいものを買い求めるか迷っているうちに、歳月が流れてしまいました。

 

でも、さすがに最近は音楽に飢えていました。

ですからこの度の妹の誘いは、絶好のタイミング。

痛む足を引きずってでも出かけた私です。

 

妹は前に出かけたことがあるホールでしたので、一番良い席に狙いを定めていました。

開場三十分前に到着し並んだ私達は、素晴らしい席に就くことができました。

 

演奏するのは、ある企業の社員達。

夫の後輩或いはOB、OGにあたる人たちです。

ですから、親しみも覚え、一層興味が湧きました。

 

 すみだトリフォニーホール

会場は、内装材はがすべて木が使用され、実に落ち着いた優雅な雰囲気。
思わず目を見張る素晴らしさ。
一階も二階も三階も満席の大盛況でした。

 

三曲、演奏がありましたが、メインはブラームスの交響曲第一番。

さすがに巨匠の名曲。

格調の高い壮麗な旋律に聞きほれてしまいました。

しばらく眠っていた感覚が目覚めたような感じ。

クラシック音楽はいいなあ~と、私は改めて心から思いました。

 

長女の孫娘は、中学校の管弦楽部でサクソホーンを演奏しています。

その定期演奏会でも、いつも感動する私でしたから、この度のの演奏は言うまでもありません。

 

長女家の孫娘が部員として活躍する吹奏楽部の定期演奏会

 

ここでお断りもなく、お名前をまた出させていただきます。

申し訳ありません。

私が愛読させていただいているデ某様のブログでは、更新の度に、心の琴線に触れるような素晴らしい音楽が紹介されています。

お陰様で、記事とともに、その音楽を心から愉しませていただいている私ですが。

その一つ、2019年のニューイヤーコンサートが私の心を引き付けてやみませんでした。

見慣れた企業の元社長さんのお顔もありました。

こんな会場に身を置いて、一生に一度でもいいから名曲のクラシックを聴いてみたい、と見果てぬ夢を心に描いた私です。

来年は絶対、NHKのニューイヤーコンサートの番組を見落とさないようにしましょう。

 

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節分の日 久しぶりの次女宅と インテリア

2019-02-08 06:55:11 | 家族

最近の週末は、しばらく次女宅に行きませんでした。

と言っても、二回のご無沙汰かな。

脚の調子が余りよくなくて。

最寄り駅前の娘家族が住むマンションまで、私の足で20分ほどかかります。

その道を歩くのが、私にとっては、とても良い運動に。

それができないのも、何だかつまらなくて。

 

その上、出かける頃になると、外は闇のように真っ暗。

余りに寒々としていて、出かける気分が一気にそがれました。

孫逢への会いたさより、暖かな部屋でぬくぬくのんびりしていたい、と思ってしまう私。

「車で迎えに行くわよ」

と言われても、

「今日はよすわ」と返事。

 

 次女宅の節分用の飾り付け

 

けれど、週末だった節分

その日の外の様子は、今までと、少し違いました。

かすかに明るさが感じられるほの暗さ。

日脚が日ごとに長くなり、春の本格的な到来も、もうすぐ。

 

そんな外の様子に、夕暮れ時の少々疲れ気味の心が復活。

アクティブな気持ちにり、今日は次女宅に出かけよう、と私は思いました。

会った次女とも、

「何だか久しぶりねえ~」

とご挨拶。

カメラを持って出かけたのも、久しぶり。

それで、ぱちぱち写真も撮りました。

 

 家事と仕事の両立で、忙しい日々ながら、時々刺繍を愉しむ次女

 

いつも次女宅に行く前は、隣のスーパーで一週間分の食材を買い求め、帰りは車で我が家まで送ってもらっています。

食材をいっぱい詰めた数個の袋もすべて、次女が運んでくれるので、私は大助かり。

スーパーでは、恵方巻の大セール中でした。

売りさばくのに、必死なのでしょう。

新聞では、この恵方巻ロスが問題になっていましたね。

年十億以上が廃棄されるとのこと。

 

 

その無駄をなくす事への貢献になればと思い、娘に、

「恵方巻買っていこうかしら?」

と尋ねたところ、

「手巻きずしで間に合わせたからいいわ」

とのこと。

後で、「来年はママが作ってあげるわね」と約束しました。

 

 

 節分とは言え、いつもと変わらない食卓風景です。

K君が、正確な北東の位置を調べ、そちらをむいて、私も手巻きずしを頬張りました。

豆まきも、大きな声を出して孫たちと一緒にした私です。

福をいっぱい取り込めたでしょうか。

今年もみんな元気に過ごせますように。

 

 

今のところ、インフルエンザの感染者は、我が家の家族には誰もいません。

次女家族は、インフルエンザの予防接種をしていないとのこと。

それは、親の怠慢よ、と一言注意をしておきました。

 

次女宅に出かけても、九時前には必ず家に戻ります。

早寝早起きがすっかり身に付き、このリズムは狂わせたくないからです。

数時間の団欒ながら、私の一人暮らしの清涼剤。

元気をたくさん授けてもらって、新しい一週間が始まりました。

 

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草花は私の日々の暮らしの潤い

2019-02-06 07:40:37 | ガーデニング

個人的な私の病気の話に長い間お付き合いくださいまして、ありがとうございました。

いつも記事が長すぎて・・・・・・。

お読みくださる方が貴重な時間を、そのために割いてくださると思うと、恐縮の至りです。

ためになる情報ではまったくない、私の記事ですから。

短く、短く、と今後も自分に言い聞かせていくつもりです。

 

今日は一息付くために、お庭の優しい草花に目を向けようと思います

短く、簡潔に、を心がけて。

 

 

昨日は立春。

その言葉にふさわしいポカポカ陽気で、庭作業にもそろそろ打ち込みたいところですが。

今年は、ガーデニングにかける経費は、できる限り縮小したい.と願う私。

いつもですと、今頃、草花の大人買いをするのですが、まだほとんど何も購入していません。

 

 

私が一番好きなマーガレットだけは求めました。

緑ばかりのお庭が、ぱっと明るくなったよう。

華やかながら、野趣の香りも漂う、清楚なこの花姿が、私はたまらなく好きです。

花壇を全部、この花で埋め尽くしたいほど。

 

 

でも意外に育てるのは難しいですね~

耐寒性はあまりないようですから、今年も、植木鉢に植えました。

天候により、軒下に避難させるようにしていますが。

我が家の家族になってくれるほどの逞しさは見られなくて・・・・・・。

多分、怠け者の私の責任でしょう。

 

年毎に、我が家の庭の環境に馴染み、家族のように私と付き合ってくれる植物が理想です。

コバノランタナ、ツルニチニチソウは、まさに私の願い通りの逞しさ。

もう植え付けて20年近くが経過します。

 

 

花が付く植物は、半日蔭の時間が多い我が家の庭に植えても、私の理想は叶わない、と最近は諦めの心境です。

イメージばかり先行で適性のない植物を植えては、草花には酷なだけ。

そのような植物は、すべてプランターやテラコッタの植木鉢にだけ植えることにしました。

花壇は、色やテクスチャーが変化にとんだ緑のプランツのみにしようと思っています。

 

でも、これが、私にとってはなかなかの難題。

そういった植物を、雰囲気のある配置に仕上げるのは並大抵なことではありません。

奥行きのない小さな花壇に、今はごちゃごちゃ植え付けているだけ。

その花壇を眺めて、私の理想のイメージとは違うなあ~、と時々ため息をつきます。

もっと素敵な花壇にしたいなあ~と、思うのだけれど、なかなか難しくて。

 

 

ガーデニングは、長いスパンで考え、焦ってはだめ。

とは言え、根気も体力もなくなっていく一方の私。

適当に愉しめれば、それで良いのかもしれません。

 

ガーデニングを余生の趣味にして、本当に良かった。

夫のいなくなった一人暮らしの生活を、草花がどんなに励まし、私を元気づけてくれているか分かりません。

 

 

孫が修学旅行のお土産で手渡してくれた一枚の絵葉書をご紹介して、今日の記事を終わりにします。

星野富弘の美術館で買ったようです。

お土産は、絵葉書セットでなく、私がその中で選んだ一枚だけ。

このささやかさが、なんとも愛くるしくて、印象的でした。

とてもとても大切にして、身近に置いています。

 

 

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最終回 手ごわい脚の症状~私の実感 心と体は別の生き物

2019-02-04 07:03:54 | 病気

今日の記事では、過去のある出来事の時と同様に抱いた、私の或る実感について語ります。

その実感とは、自分の心と体は一心同体ながら、全く別の生き物だということです。

 

亡き夫が、肝臓がんを発病した頃のこと。

心配は尽きませんでしたが、私は前向きの気持ちで元気に、入退院を繰り返す夫の看護に明け暮れていました。

その頃、ネット上では、あるトラブルに出遭い、辛い思いをすることに。

福島の原発事故による風評被害が心配でたまらず、ある方のブログに、広島の被爆者としての思いを、誠心誠意、言葉を選んでコメントをしたつもりだったのですが。

私のコメントが言葉足らずだったのか、誤解を招き、怒りを買い、その後数名の方により、激しい非難の言葉を数年にわたって浴びることになりました。

私を個人攻撃する目的だけの掲示板のようなブログまで、立ち上げられました。

ひたすら誤解を解きたくて、私もしばらく言葉を返し続けましたが、虚しいことでした。

 

 

でも心はいつも前向きで元気。

平常心で暮らしているつもりでいました。

このトラブルには、妹は最初、無関心。(そのように装っていただけかもしれませんが)

二人の会話もいつもと変わらない話題のほうが多かったです。

 

私はネット上のお付き合いの仕方を、そのころはまだよく心得ていなくて。

問いかけられると丁寧に応えるのが礼儀だ、と思い込んでいるところがありました。

一方、私への非難が、いかに激しくなっても、くだらない出来事と自分ではどこかで達観していたつもりです。

ですから、いつもと変わらない日常を淡々と送っていました。

そのころ、私のそのような態度が、相手の方々の怒りを益々買うことになったようですが。

 

 

このように、心は平常心で、元気に過ごしているつもりでしたのに・・・・・・。

体が、突然悲鳴を上げ始めました。

四六時中の息苦しさに見舞われ、顔の表情が変わってしまうほどに。

数年、この症状が続き、その時はこの息苦しさに、私は一生悩まされ続けるにちがいない、と覚悟をしたほどです。

 

でも私にはその理由もわからず、ひたすら元気を装って、夫の看護をし続けました。

そのころ、妹が私のあまりに弱々しい声にびっくりして、心配のあまり、我が家に飛んできたことがありました。

娘も心配して、付き添い、私に無理やり大病院の診察を受けさせました。

でも体内の酸素量は正常。

血液検査の結果も、まったく異常はありませんでした。

 

息苦しさが多少治まりほっとしたころ、今度は異常なのどの渇きに襲われ、大量の水を毎日がぶがぶ飲み続けました。

更に味覚障害のような症状にも見舞われ、食欲不振にも。

ところがネットトラブルが下火になってきたころ、次第に私の心配な症状も回復に向かっていったのです。

 

 

そのころ、自己診断で私は心から納得したことがあります。

自分の症状は、自律神経失調症にちがいない、と。

ある病院で、一度だけ精神安定剤を処方されたことがありましたが・・・・・。

他のいくつかの病院やクリニックで、そのような診断を受けたことは一度もありませんでした。

でも自己診断で、心からそのように納得したのです。

そうすると、数年悩み続けた症状はみるみる回復し、夫が亡くなる数年前には、その症状ははすっかり治まっていました

 

心はどんなに平常心で前向きであろうとも、体は誠に正直。

私が平常心を装っているだけであることを、身体は正直に顕しはじめます。

悲鳴を上げ、赤信号を点し続けるように。

 

50代のころ、寝たきりの両親を介護していましたが、その時も同様でした。

近所の方には、大変でしょうと、よく同情されましたが。

私は娘として当たり前のことをやっているつもりで、苦労と思っていなかったのです。

でもこの時も、体が悲鳴を上げ始めました。

 

ストレスが原因になる病に、いくつか罹りました。

メニエル、帯状疱疹、頭皮が白いうろこのようになったり(病名を忘れました)。

娘たちに医者に行くように、その時も度々勧められましたが、楽観的(いい加減)な性分の私は、診察を受けたのは一回だけ。

適当に病気と付き合いながら、両親の介護を続け、いつの間にか回復しました。

病院に行く暇もないほど、昼夜を問わず多忙を極めてもいましたから。

夫の介護の時には、めまいに度々襲われ、一度駅前の交差点で倒れ、救急車で搬送されたこともあります。

 

 

心はいつも平常心で前向きのつもりでも、体は誠に正直です。

この過去の体験から、私は一心同体ながら、体と心は全く違う生き物、と思うゆえんです。

今の私の足の痛みも、多分にその気があるのかもしれませんが。

この症状は、脊柱管狭窄症といった正真正銘の病名がはっきりあります。

 

数日前に受けたMRIの画像でも、その症状は顕著でした。

ですから、今の痛みが精神的なものというのは、不自然かもしれませんが。

その痛みの強弱に波があるのは、精神が影響しているのかもしれません。

 

医師の説明によると、酷い狭窄症ではないようですが。

手術をしない限り回復は見込めません。

せめて心は明るく元気でいましょう。

とは言って心と体は、まったく別の生き物

体が、ご機嫌斜めになりませんように、と祈るばかりです。

 

私の足の痛みの記事に、長い間お付き合いくださいまして。本当にありがとうございました。

何か少しでも参考になれば幸いです。

 

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続 手ごわい脚の症状~多分に、もしや精神的な痛みでは?

2019-02-02 07:02:48 | 病気

昨日に続きます。

何としても、一番痛む個所を突き止めたいと思った私。

床の中での、自己診断を徹底的に試みました。

その良い方法として私が思いついたのは、両足で同じ個所を強く押してみること。

 

その結果は意外なものでした。

どこを押しても、両足とも、同様の痛みを感じたからです。

健康な身体でも、物理的な圧力を加えれば、ある程度の痛みを感じますよね。

症状が重い私の右足も、押さえた時の痛みはどうもその程度のもののようです。

 

実際は押さえつけなくても、就寝時や歩行の際に、じんじんとかキーンと痛むわけですから、別問題があるのは確かなことなのですが。

でも、両足とも圧迫した時の痛み方は同じと分かった時、私の心には、安堵感が、一気に広がりました。

肉腫では?と、と時々心配もしていましたから。

 

 MRIの検査を受けに予約日に出かけた時の画像です。
脚の症状が突然改善し、駅から10分くらいかかる区役所までの道を、
割と軽やかに歩くことができました。

 

次に私が行ったことは、右足を元気いっぱい前後左右に動かすことでした。

回してみたり、振ってみたり、たたいてみたり、思いつくことをすべてしました。

でも痛みは感じません。

但し、体を横向きにすると、腿あたりに相変わらず鈍痛が起きます。

 

これだけ元気に動かすことができるのだから、私の足は健康。

そう確信し、その後もしばらくの間、足の屈伸運動その他いろいろ試み続けました。

その内に、また深い眠りに、いつの間にか私は就きました。

 

数時間後に、携帯のアラーム音で目を覚ましました。

一度起床した時、何としたことでしょう。

脚がとても軽い。

いつもの痛みがなくなっていました。

 

階下の暖房をつけるため、階段の昇り降りをしました。

二階に戻った時、今の私には夢のような出来事に気が付きました。

両足で軽やかに、その時、階段を昇り切っていたからです。

 

余りの突然の変化が信じられなくて、もう一度下に降り、昇り直し。

この時は足を意識したため、多少の痛みはありましたが。、両足でしっかり昇れました。

 

 

突然の回復に、私がきつねにつままれたような思いに。

そして思ったこと、実感したことなど、色々ありました。

もしかする、ここ数か月の痛みは、精神的なことが非常に影響しているのかもしれない、と。

 

一人暮らしと寒さのストレスを、脚が訴えているのかしら???

脊柱管狭窄症の診断を受けている私は、その痛みが再発したと、去年は思い続けていました。

でも明らかに、痛み方が異なります。

一昨年の夏の頃は、歩くことさえできないほどで、間欠性跛行を行っていました。

しばらく休むと、また歩けるようになり、この繰り返しで前に進んでいきます。

炊事をするときも、痛い脚は踏み台の上に載せないと立っていられませんでした。

お風呂上りには、足がとてもしびれました。

 

今の私の足は、症状がまるで違います。

真夜中に、よく痛みます。

階段を両足で上がることができません。この症状は狭窄症の時も同様でしたが。

けれど、幸いにも、日常の家事には、一切支障がありません。

持続的な歩行も可能です。

痛みは常にあるので、さっそうと歩くことが出きないだけです。

これが、悲しくて堪らないことなのですが。

 

 

最近、一番ひどく痛んだのは大みそかを迎える前日の夜のことでした。

長女に、痛み止めのロキソニンを持ってきてもらうようにお願いしたほどのひどい痛みでした。

ところが、家族が全員揃うと、嘘のように、その痛みがケロリと解消。

 

今の痛みはもしかすると精神的なものが影響しているのかもしれない、と考えるわけが、過去にも私はあります。

心と体は全く別物。

心はどんなに前向きで元気なつもりでも、体は誠に正直。

私の潜在的な弱さを、体が表し訴えてくる。

 

これを実感した過去の思い出とMRIの検査結果を綴り、次回をもって、このお話の最終章にしたいと思っています。

 

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