今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

一年間、ありがうございました。

2017-12-31 10:31:17 | ブログ

今日で、今年が幕を閉じます。

皆様にとっては、どんなお年でいらっしゃいましたか。

人生ですもの、悲喜こもごも色々おありでしたでしょう。

私もそうでしたが、リアルな世界は穏やかそのものな一年であったように思います。

(追記、そういえば脊柱管狭窄症の診断は、大変なショックでした。でも書くのを忘れてしまうほど、今は元気です。)

家族や妹に心から感謝しましょう。

亡き夫にも。

 

ここ数日、御位牌の前で朝のあいさつをするとき、ありがとうの言葉が思わず涙声になってしまいました。

経済的にも不安を抱かないで暮らしていけるのも、すべて夫のお蔭ですから。

常に見守られて暮らしている安心感が、生前の時以上に、私にはあります。

今朝も、心を思い切り込めて、「ありがとう!」を言いました。

 

先日、最後の施術を受けに整骨院に出かけたとき、先生に、

「あなたは、とても意識が高いから、元気でいつまでもいられますよ」とおっしゃってくださいました。

私は応えました。

「そうでしょうか?意識は高くても、有言不実行の私ですから。体力がついていきません」と。

でも嬉しい言葉でした。

 

その数週間前、姿勢や歩き方の矯正を指導する方に、私の体をやはり整骨院で診て頂きました。

すると意外にも、特殊なカメラで写した画像の結果は、5の最高得点でした。

リラックスしている時、疲れているときは、そんなにいいはずはないのですが・・・・・・。

70歳を過ぎても、正しい姿勢が取れる体を維持できていることが分り、とても嬉しく、自信になりました。

 

この二つの良いお話も、来年の暮らしのスタートのばねにしたいと願っています。

姿勢を正し、意識を高く持って、前を向き、大地をしっかり踏みしめて歩みたいものです。

 

その暮らしの支えと励みに、ブログがどんなにになってくれたことでしょう。

そのブログの記事をもう一回くらい更新する予定でしたが、何だか取り込んでしまって。

お正月準備の予定が少々狂い、ブログを綴る時間がなくなってしまいました。

 

その時間帯は、年賀状書きに当ててもしまいましたので。

今年の年賀状は、宛名を書く表書きの下半分に、それぞれの懐かしいお顔を思い浮かべ、細かい字で、すべての方々にお手紙を認めました。

そのため、とても時間がかかり、今日までブログ綴りは一切していませんでした。

 

何も書かないで失礼しようかしら、とも思いましたが、それではあまりにお訪ね下さる方々への礼儀を欠くと思いました。

それで、若夫婦家族が来る前に慌てて、いま書いています。

 

プライベート色の強い日記で、私の勝手な思いを綴っているに過ぎませんでしたのに、大勢の方々がお訪ね下さり、温かな応援のクリックまでして下さいまして、本当にありがとうございました。

こんな私ですが、来年も変わらないお付き合いの程、宜しくお願い申し上げます。

 

どうぞ皆様、良いお年をお迎えになられますように、心よりお祈り申し上げます。

 

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次女宅でのささやかなクリスマスイブ~私のチョッピリ自慢のお料理二品

2017-12-26 06:45:14 | 家族

昨日のクリスマスイブ、皆様は如何お過ごしでしたでしょうか。

クリスマスだからと言って、特別な感慨もなく、いつもと変わりない穏やかな日を送られた方。

また一方、お孫さんたちとにぎやかに過ごされ、クリスマス気分を十二分に味わられた方。

どちらが幸せと比較するような事ではなく、人生いろいろ、暮らし方もいろいろですね。

 

私はおばあちゃんの年齢になっても、クリスマスシーズンになると、チョッピリ気持ちが高揚します。

簡易階段を上り、屋根裏からクリスマスツリー、オ-ナメント、その他クリスマス関連の物を一式持ち出し、お部屋の至る所に飾り付けます。

今回は、かなり省略しましたが

ほとんどすべて、アメリカ在住時に購入したり、プレゼントでいただいたものばかり。

数十年の年代物です。

 

 

アメリカから持ち帰ったツリーは、細工が丁寧で、本物のモミの木のように、とても良くできたものでした。

ところが、幹が折れてしまい、使用不能に。

仕方なく、新しいものに買い換えました。

 

ところがそのツリーは、持ち運ぶたびに、葉が大量に落下し、茶色の幹の部分が露わになり、次第に哀れな姿に。

イルミネーションでごまかしていますが、かなりのおんぼろです。

また、買い換えたい気持ちは、年ごとに募る一方ですが・・・・・・・。

今更新しくしても、ツリーを飾る気力がいつまで続くか、疑問。

そう思うと、それももったいない買い物に思えてしまう私です。

 

 

昨日は、ささやかなクリスマスイブを,次女宅で迎えた私ですが、次女宅のツリーは、小さくてもなんだかとても素敵。

色も統一していて、飾り付けのセンスも良く、しばし、私は感心して見惚れてしまいました。

昨年までは、小さな本物のモミの木を育て、それを使用していましたが。

それは枯れてしまい、今年は初めて、ツリーを購入し、クリスマスを迎えた次女家。

毎年、少しずつオーナメントを増やして、ツリーの飾り付けに手を加えていきたいとのこと。

でも、私は十分素敵と思いました。

 

 

両家とも、クリスマスの準備は整いましたが、今年は残念ながら、家族一同が集まるクリスマス会は、若夫婦家の事情で中止。

ここ数年は、ずっと長女家宅で、長女の手料理をご馳走になりながら愉しんできたクリスマス会でしたが。

それならせめて、近くに住む次女宅でささやかなクリスマスイブのお祝いを、と願っていた私です。

ところが前日の23日に、お婿さんの実家でターキーを焼き、クリスマスを祝った若夫婦と孫たち。

もうそれで十分。

今年のクリスマスは、何も特別変わったことはしない、と次女のMちゃんに言われてしまいました。

 

 

いくら年を重ねても、クリスマス好きの私。

それでは、なんだか物足りなくて、突然、思い付き、私が二品だけですが、クリスマス料理を作って持っていくことにしました。

朝から調理台に向かい、頑張った私。

クリスマスらしい雰囲気の美味しいお料理が二品出来上がりました。

次女宅の食卓に置いた時、自分の作ったお料理にしばし見惚れてしまった私です。

 

 

私のささやかな努力も報われ、クリスマスらしいイブの宵を過ごせ良かった。

来年は、家族全員揃って、元気にクリスマスを迎えましょう。

 

 

ママが用意してくれた、私からのクリスマスプレゼント。
他のプレゼント交換は、家族が全員揃うお正月まで持ち越しです。

取り外しのできる白いボアの襟が付いたコート。
私からの七五三のお祝い金で購入したそうです。可愛い!
そういえば、娘達と広島へ出かけたとき、ユニクロのコートを着ていたかれんちゃん。

こだわりが強い娘の選択に意外感がありましたが、良いコートを物色中だったのですね。

 

次は、いよいよお正月。

年末年始は、家族全員が我が家に集まります。

お節の準備に、そろそろ取り掛かりましょう。

 

25日朝からの記述

 

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一病息災、そして幸運な出逢い

2017-12-24 06:47:13 | 健康

最近は、当ブログ記事に頻繁に出てくる言葉、「脊柱管狭窄症」。

この話題に触れる時、私は、いつもちょっぴり悲しい気分になります。

余りに思いがけない事で、私にとっては今年一番ショックな出来事だったかもしれません。

我が身の健康寿命が、もう然程長くないのでは?

そんな覚悟を迫られるようなできごとでしたから。

 

けれど、「一病息災」と言った慣用句を、最近しみじみかみしめています。

この病のお蔭で、お医者嫌いの私が、夏の終わりからずっと、週に一回、整骨院に通うようになったからです。

整骨院で施術を受ける自分の姿など、想像したことさえありませんでしたのに。

このおかげで、病は急速に快方に向かいました。

その後の体調はすこぶる良好とまでは言えませんが、健康管理に気を配るようになりました。

老化で固くなった体です。

それを、色々な機器や手技療法で揉むほぐしていただけるのは、今の私には、何にも替え難い貴重なこと。

先生のお人柄も素晴らしいです。

整骨院で私が受けている施術については、また日を改めて、詳しくお話させていただきますね。

今日は何故整骨院に通うようになったか。

ある幸運な出逢いのお話です。

 

幸運な出逢いの女性から贈られた紙細工の作品です。

 

夏の終わり頃の事。

痛い足をやっとの思いで一歩一歩運び、バス停に辿りつき、ベンチに腰掛けてバスを待っているときの事です。

向かうは、むろん整形外科クリニック。

その医院の先生のおっしゃる病名は、くるくる変わり、要領を得ず。

鎮痛剤を服用し続けることへの不安も私は抱いていました。

 

その時、私が腰かけているベンチの前を、とても小柄なご近所の奥様が通りかかられました。

顔が会い、お互いににこやかにご挨拶。

ブロックは違うため、お付き合いはほとんどありませんでしたが、お互いに四つ角の角地。

何とその方のご主人様は、夫の会社のOB。

亡き夫より二回り位お歳が上で、奥様も、88歳になられます。

 

でも、とてもお元気そう。

品性が匂い漂う、素敵な女性でいらっしゃいます。

90歳近いご年齢なのに、しわのない張りのある輝いたお肌に、驚嘆するほど。

 

 

バス停でのこの方との出逢いが、私に思いがけない幸運をもたらしてくれたのです。

実は、この再会の一年以上前の事。

わが家に弔問に来てくださった事がありました。

ご主人様が、夫の訃報を、会社の季刊誌で目にされたようです。

 

その時、わが家にお上がりいただき、一時間近くお話させていただきました。

私は、とてもとても良い印象を受けました。

心温まるような手作りの可愛い紙細工まで賜り、感激したものです。

 

可愛い和人形が、棒の先につるされていたのですが、なんと私は乱暴に扱い、壊してしまいました。
心を込めて作って下さったでしょうに、申し訳なくて仕方ありません、 

 

その方と、バス停で久し振りにお会いし、話題になったのが駅前の或る整骨院。

実は、同じ病を抱え、その整骨院で施術を受け、とても体の調子が良くなっているとお話されました。

90歳近くになられますのに、バス利用で医者通いをしておられるNさん。

お元気そうなそのご様子からも、奥様のお話がとても納得できました。

でも整骨院について無知な私は、その時は、まだ半信半疑でいましたが。

わらにもすがるような気持ちで、アポイントを取っていた整形外科で診察を受けた直後、その足で整骨院に出かけた私です。

この幸運が、私の体調にもたらした効果は、はかり知れません。

 

今では、この方は、私にとって恩人。

90代まで、もし年を重ねることができるなら、Nさんのような心美人で、麗しい品性の女性になりたい。

整骨院でも、Iさんの事に折々で触れている私です。

 

この方のお姿を、私の80代の目標にしましょう。

このような方に逢え、整骨院に通うようになった幸運を、神さまに感謝しながら。

きっと、この出来事は、気の早い神さまからのクリスマスプレゼントだったかもしれません。

12月23日からの記述

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空調がフル回転~光熱費が心配

2017-12-22 07:37:45 | 暮らし

お天気は毎日快晴。

冬の凛とした空気を感じて、心まで引き締まり、背筋がピンとなりそう。

と書きたいところだけれど、実際はその逆。

寒さが今年はことさら身に応え、寒い寒いと心の中でつぶやき、体を縮こまらせ.丸くなって暮らしているのが現実です。

冷え性で、人一倍寒さが応える私は、夏より冬の方が遥かに苦手です。

 

その苦手意識が、Yさんが亡くなり、一層強くなったみたい。

無口なYさんでしたけれど、夫の存在そのものが、私の心も身も温めてくれていたことに、今更ながら気付かされます。

 

 

 

夫の生前のころに比べると、懐の寂しさが際立った暮らしとなり、それも寒さが応える原因の一つかしら。(笑)

去年は、光熱費も節約したくて、暖房費にも注意を払い、この項目費が予算をオーバーすることはほとんどなかった我が家でしたが。

今年は、その節約意識が、ここ最近すっかり失せ、お部屋は十分暖めて、快適に暮らそう、と思うようになりました。

そうしないと、一人暮らしの侘しさに堪えられないような気持ちになってきました。

狭窄症の診断を下され、動作が以前より鈍くなっている事も、寒さがいつになく応える原因かもしれません。

 

 

暖房機は、初冬の頃は、遠赤外線のパネルヒーターを利用しています。

空気も汚さず太陽の温かさに似て、とても快適。

たいへん気に入っています。

去年は、この暖房機と電気座布団で、冬の大半を過ごせたのだけれど、今年はこれだけでは、とても無理。

床置き式の空調機を20度に設定し、朝から夜まで、今はフル運転しています。

 

わが家は以前、東京ガスが販売していた冷暖房機器を使用していましたが、数年前、その空調機の販売が中止となりました。

数年たつと、部品交換の修理も不可能になりそうでしたので、しぶしぶでしたが、思い切ってすべての部屋の空調機を、ダイキンと日立の電氣使用の製品に取り替えました。

百万以上の多額の出費となりましたが、今思えば、夫が生前中の事で良かったと、思っています。

家の維持費のための大きな出費は、遺族年金暮らしとなった今では、考えるだけで辛いことですから。

 

 

節約を心がけ、無駄な出費ははしないように努力してきたつもりだけれど、この冬は、その努力のタガが外れてしまっているわたし。

余りに寒さが身に応え、時には、空調機、遠赤外線、電気座布団すべて使用する暮らしも、時たましています。

空調機の、もあ~とした生暖かい空気感は、どうしても好きになれないのですけれどね。

 

これまでは、光熱費のお知らせは、15日でしたから、今月の請求額はもう分っているはずなのですが。

数か月前、東京ガスの電氣、ガス両方をまとめて同時支払いするやり方に切り替えました。

年間で、数千円節約でき、付くポイントもいろいろな場所で還元できるようです。

 

果たして月末にくる、今月の請求書はいくらになっていることでしょう。

何だか、想像するだけで心配。

 

 ブログ用のため気取って、来客用の今右衛門の茶器で一服。

 

でもいいです。

お部屋は思い切り温かくする贅沢は、今の一人暮らしの我が身には、精神衛生上、とても大切なことだから。

昨日は、ガラス拭きに没頭しましたが、暖かいお部屋に戻ると、友人が送って下さった鶴屋吉信の和菓子をお伴に一服しました。

そのひと時、心から寛げ、一人暮らしながら、幸せをかみしめました。

 

私が毎日過ごすファミリールームの室温が起床時、10度を下回ることは、ずっとありませんでしたのに。

昨日は7度。

今年の冬の寒さは、ラニーニャ現象のせいもあって例年よりことさら厳しいようですが、暖かくしたお部屋で素敵な時を、精いっぱい紡ぎましょう。

今日は孫宅と、整体の施術を受けに行く日です。

北風をものともせず、出かけてきます。

皆さまも、お元気で良き一日をお過ごしください。 21日朝記述

                                                                                                                        

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マイペースで楽しく乗り越えたい年末ですが・・・・・・

2017-12-20 06:50:29 | 暮らし

今年も残りわずかとなりました。

気持ちが焦りますね~。

こんなはずではなかったのだけれど。

お盆までは家事がとても順調で、収納や水回り、床磨き、その他あらゆる家事を毎日、短い時間でも継続してやることを心がけていました。

すると見る見るうちに、家の中がきれいになっていきました。

焦る必要もなく、気持ちにゆとりをもって臨める、私にはベストの家事への対応法でした。

 

ところが、お盆の墓参で帰省、ホテルで一泊し帰宅した翌々日から、体に急激な変調が。

個人の整形外科クリニックで診察を受けたものの、要領を得ず、大病院に行くことに。

その頃には、足の痛みがますます激化し、妹や娘の手を借りて、やっと歩けるといった状態でした。

 

医師の診断は、脊柱管狭窄症。

初めて耳にする病名でした。

先生のお話を伺う内に、毎日の暮らしに変化をもたらすような深刻なものであることが分りました。

その時は、杖の暮らしも覚悟したほどでしたが、意外にも、奇跡的に回復。

今では、以前と全く変わりない暮らしを送っています。

 

玄関ドアーは丁寧に汚れを落とし、ドア用のクリームを塗りました。

 

とは言っても、心の元気は、以前ほどなくて、気力の減退が顕著。

反省の日々が多い、チョッと情けない暮らしです。

最近は家事も空回りばかりしていて、予定通りになかなか運んでくれません。

暮らしののリズムが完全に狂ってしまいました。

 

体が余りに疲れやすいので、お医者嫌いの私が、最近は数度、内科のクリニックにも行く始末。

皮膚科にも。

老化現象でしょうか。

皮膚のトラブルも最近多くて。

そういえば、ヘルスメーターの体年齢が、最近63歳に。

夏頃までは58~59歳を維持していましたのに、一気に4歳も年取ってしまいました。

 

脊柱管狭窄症のショックを引きずったまま、年末を迎えてしまった私です。

とは言え、暗い気分と言うわけでは全然ありませんけれど。

自分の思い通りに暮らせないのが、情けないだけ。

夏頃、快調に家事が進んでいた時は、この調子なら、年末に特別慌てて大掃除をしなくても、良さそうと思っていたのですけれどね。

狭窄症の悪化が怖くて、もともとスローテンポの私の行動が益々のろくなり、結局、いつも通りの慌ただしい年末を迎えることになりました。

 

勝手口のドア

 

食器戸棚や、クローゼット、納戸などの掃除や整理は、夏頃まで、時間を決め、日々ぼつぼつ手がけ、終了したつもりでいます。

その後、日が経過し、また気になってしまいますが、今年はもう手を付けないでおきましょう。

ガラス拭きも、五分の一位は、夏までにやりました。

その後の汚れはもう気にしな~い、

今年はその五枚はもうOK。

でも、残りのガラスがまだ三十枚くらい残っています。

窓の多い我が家なんです。

内窓もありますから。

年内にすべてやるのは、もう無理そう。

お正月までに限らないで、一枚、一枚、ぼつぼつの取り組んでいきたいと思っています。

 

最上段を磨いている最中に撮った画像です。

 

最近一番大変だったのは、玄関ポーチの階段と、庭のテラスのタイル磨き。

毎年柄のついたブラシで磨いて、水で汚れを流して終わりでしたのに。

今年は、一枚一枚、スコッチブライトで磨き、ぞの後、金たわしで軽くこすり、さらに雑巾で拭きました。

金たわしを使用すると、凹凸のある表面のくぼみの汚れがきれいになることに、気が付きました。

 

体調が万全とは言えないのに、私の無謀なお掃除への取り組み。

心配した通り、階段のお掃除とテラスのお掃除を、二回に分けて数時間かけて臨んだ後はもうぐったり。

しばらく寝込んでしまい、後に予定していた家事が台無し。

もっと早く始め、時間をかけてやるべきでした。

73歳にもなって、こんな無茶なことをするのは、今後はよしたいものです。

 

来年からは、毎日が大掃除だと思い、お料理以外の家事項目を決め、一項目につき15分程度を割り当て、継続して日々おこなう。

この方針を徹底して貫くように心掛けよう、と改めて今、心に誓っています。

無理をせず、いつもきれいな家で暮らせる、私にとっては一番良い方法だと思いした。

 

昨日撮った庭の花壇の点景

 

今年は狭窄症のショックで、その良いリズムが切れてしまいましたが。

来年は、また頑張りますね。

 

今日はガラス拭きの日です。

そして、明日からは、いよいよ年賀はがきに、心を込めて数言添える作業を始めるつもりでいます。

懐かしい人達のお顔を思い浮かべながら、良い時間を持ちたいと願っています。

 

毎年の事ですが、年末特有の気ぜわしさで、気持ちが落ち着きませんが。

無理をして、体を壊すと、元も子もありません。

年末に過労で倒れ、入院したことがある我が身。

健康第一を心がけて、頑張りすぎないように。

脚にも注意を払いながら、焦らず、マイペースで楽しくをモットーにしましょう。

皆さまも、お体にはくれぐれもお気を付けて、お励みくださいね。 

 

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可愛くて憎めない親子の化かし合い

2017-12-18 08:05:35 | 

クリスマスが近づいてきましたね。

幼い頃から、クリスマスは、一年で一番好きな行事でした。

お正月も、同じくらい好きだったかもしれませんが。

クリスマス前くらいになると、両親が必ず買い物に出かけ、袋を一杯提げて帰ってきたときの光景を、懐かしく今でも想い出します。

私がサンタを信じていた時代は、郷里が被爆してまだ年月がさほど経過していない頃。

豊かな暮らしとは程遠く、両親はいろいろ苦労しながらの、サンタさんのプレゼント選びだったことでしょう。

 

 

そんな時代だったからこそ、クリスマスとお正月の行事は、一層掛け替えのない大切なことだったのかもしれません。

今とは比較にならないほど、地味だったツリーの飾り付けやイルミネーションでしたが。

その頃から、西洋の香りを感じて、憧憬に近い心情を抱いていたのでしょうか。

でも、そのときめきも、成長するにつれ、次第に失せていった時期もありました。

けれど、クリスマスへの思いが一層高まるような出来事が、私の人生に起きました。

結婚後、憧れの西洋の国に、本当に住むことになったからです。

 

 

そこで見たクリスマスは、、キリスト教の国らしく、本格的な盛り上がりで、華やかそのものでした。

どこの家も、軒下にはイルミネーションを飾り付け、窓辺からは豪華なツリーが垣間見えました。

前庭にも、キリスト生誕時の光景をを表した模型人形などが置かれていたりと。

趣向を凝らした飾り付けをするお宅がありました。

そりに乗ったサンタさんが住宅地にやってきたりもしたものです。

 

 

当時は、教会にも通っていましたので、娘達と一緒にクリスマス礼拝にも出てキリストの生誕を祝いました。。

クリスマスイブには、娘達はサンタさんへのお手紙を用意し、枕元に置いて寝床に就いたものです。

渡米したのは、長女が小学校二年生になったばかり、次女はまだ幼稚園の年長さんになる年頃。

ですからもちろんサンタさんを信じていていました。

クリスマスの朝、主人が書いたサンタさんよりの英語で綴られた手紙を手にし、大感激していました。

娘達は、何歳になるまで、サンタの事を信じていたのでしょう?

 

 

実はこの件で最近、次女のMちゃんが、私にはとても思い付かないような想像力でもって、面白い話をしてくれました。

内容は、とても微笑ましくて愛くるしい事なので、ちょっと例えの表現が、ふさわしくないかもしれないけれど。

まるで、タヌキときつねの化かし合いみたいなことです。(笑)

 

 

 

長女家の孫息子R君は、小学校六年生の時、まだサンタさんを信じていると、娘から聞き、私は大変驚いたものです。

もう七年前の事になります。

そのことを思い出し、次女にも尋ねてみました。

「K君は、まだサンタさんを信じているの?」と。

 

今受験勉強に余念がなく、国語力は塾でもトップクラスのようです。

ですから想像力もあるでしょう。

何とそのK君も、サンタさんをまだ信じているとのこと。

本当かしら?本当かしら?

クエッションマークがいっぱい、私の頭の中で点灯しました。

 

 

すると、実にユニークなことを次女のMちゃんが言いました。

「もしかすると、もう信じていないのかもしれない。信じているふりをしているだけかもよ。

そうしないとサンタさんからのクリスマスプレゼントがなくなってしまうでしょ。

信じたふりをしていれば、親とサンタさんの両方から贈り物をもらえるから」

 

この話には、とても納得。

笑が込み上げて、なるほどなあ~、とK君の可愛い下心に感心してしまいました。

まるで親子の化かし合い。(笑) 

もしかすると、R君のときは、長女はまんまと騙されただけかもしれませんね。

いえいえ、これは親の邪推。

本当に信じているのかもしれません。(笑)

 

 

 

 

なんとも可愛い、憎めないエピソードのご披露でした。

お孫さんがいらっしゃるお宅では、如何でしょうか。

お孫さんたちは、おじいちゃま、おばあちゃまからのプレゼントも、楽しみに心待ちしておられることでしょう。

 

私の夫からの孫たちへのプレゼントは、いつも千円前後の安価なものでしたが、とてもユニークで、孫たちはいつも大喜び。

私も若夫婦たちも、その着眼点の素晴らしさにに感心したものです。

 

今年は受験生がいる若家族たち。

塾通いが休日もあり、恒例のクリスマス会はないのかもしれませんが。

私は最近は、孫たちのクリスマスプレゼントは、親に選んでもらうことが多いです。

今の子供たちの趣向は、全くわかりませんから。

 

 

毎年クリスマスシーズンになると、心当たりがない大きな荷物が数個、アマゾンから我が家に届きます。

マンションには隠せるような置き場がないからと、我が家を隠し場所にしている次女夫婦。

何が入っているのでしょう。

私も楽しみ。

 

皆さまも、良きクリスマスをお迎えくださいませ。

 

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パソコンのトラブルに見舞われて~記事は雑感綴りに変更

2017-12-17 06:12:54 | 日記

今日も更新予定でしたが・・・・・・。

昨日はパソコントラブルに見舞われ、午前中も午後もその修理の対応に追われてしまいました。

無線の電波がオフ状態で、全く画面が見られなくなりました。

そのため、記事の更新も、その記事に見合った写真の撮影も全くできていません。

 

年末の大掃除も予定していたのに、全く手が付けられなくて。

パソコンが正常な状態に戻った時は、もうぐったり。

3~4時間を要しましたから。

 

NTTのリモートセンターの方の指示で、有線用のケーブル(この言葉の使い方、自信がありません。間違っていたらごめんなさい)をつなぐと見られるれるようにはなりましたが。

けれど、すべての過去のトラブルは解決してくださったNTTの方の対応でも、修理が今回はできなくて、販売元の富士通の相談窓口に電話をかけました。

その方も、結構苦労されている様子でしたが、やっと正常な状態に回復し、いつものように、無線ランで見られるようになりました。

 

原因をお尋ねしたところ、よく分らないないけれど、再起動の更新をすると、時々トラブルが発生すると言われました。

そういえば、一昨日の夜でしたか、パソコンを閉じようとしたところ、更新の再起動の指示があり、その通りにして、パソコンを閉じました。

妹がいつか、再起動の指示があっても、私は、ほとんど更新はしないと言っていたようにも。

トラブルが起きやすいから、との理由でした。

 

私も今後は、再起動はしないでおこうかしら、と今思っています。

パソコントラブルは、時間を取られ、精神的にもぐったりさせられますものね。

 

 クリスマスの飾り付けも、少し前からぼつぼつ始めています。
画像のツリーはまだ未完成です。
すべてアメリカ在住の頃、使用したものばかりです。
画像が暗すぎますね。明日、撮り直します。 

 

今日は、昨日の台無しになってしまった年末の大掃除の計画分を取り戻すために、ひたすら働こうと思っています。

庭のテラスとポーチの階段のタイルは、大半を磨き終えました。

床のワックスかけも、一階ははほぼ終了です。

ワックスがけと言っても、私がする事は本格的なものではありません。

濡れ雑巾で拭き、から拭きし、ワックスの付いた、ダスキンのウェットモップで拭くだけです。

 

今日は一日、パソコンは閉じたままで、年末大掃除に集中することにしますね。

体調は、必ずしも良くないので、ぐったりしてしまわないように、体力の分散を心がけようと思っています。

私が名付けている「魔の時間」(ぐったりして、何もできなくなる事)が訪れないことを祈りながら、頑張ります。

 

早く年末の大掃除を終えて、安心した落ち着いた気持ちになりたくて。

その喜びが味わえるように、今日は精一杯、大掃除に励みます。

皆さまも、お忙しい日々でいらっしゃることでしょう。

良きお正月が迎えられるように、お互いに頑張りましょうね。

 

今日の記事は一気に綴り、推敲をほとんどしていませんが、このまま投稿します。

お読み苦しい点は、お許しください。

 

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悲しかった日馬富士の引退

2017-12-16 07:07:49 | スポーツ

12月3日からの記述

日馬富士のこの度の引退は、私は今一つ納得がいかず、悲しくて悲しくて仕方ありません。

最近、二度も日馬富士の夢を見ました。

それほどに、彼の今後のことが心配で、彼の胸中を察して余りあるものがあります。

 

私は相撲ファンと言えるほど、相撲の番組を観てきたわけではありません。

ですから、お相撲取りの名前すら、よく知りません。

 

けれど、稀勢の里、日馬富士、白鵬くらいは知っています。

その中で、日馬富士には特別な思いがあり、彼が優勝すると、心から嬉しく思いました。

 

 

余談ですが、次女はまだ平幕の力士の頃から、稀勢の里の大ファンです。

稀勢の里も、負の連鎖の苦境の中にあり、なかなか立ち直れず、本当に気の毒ですね。

娘と同じくファンですので、今後のことが心配でなりません。

 

何故、日馬富士が、私は好きだったのでしょう。

相撲の観戦に熱心ではなかった私は、特別な理由を、具体的に挙げることはできません。

ただなんとなく、と言った無責任なものですが。

彼の雰囲気から、誠実な優しいお人柄がにじみ出ている気がしたからです。

妹のブログも読むと、私の想像する通り、土俵態度も、とても立派な方だったようですね。

 

 

 

実は、私も一時期、相撲を熱心に観戦した事もありました。

その時は、益々日馬富士が好きになり、彼のブログを度々読んでいました。

確か大関の頃だった、と思います。

子供やお年寄りの施設を訪問するといったボランテイアも熱心になさっていて、とても清々しい内容のブログでした。

途中で読まなくなってしまいましたが。

そのくらい好きなお相撲さんでしたから、この度の突然の引退は残念で残念で・・・・・・。

 

暴力はどんな理由があろうと許されるべきことではありませんが。

行きすぎたこととはいえ、愛の鞭であったことは、確かのようですね。

早くから父親を失った日馬富士は、両親のいない似た境遇の貴乃岩には目をかけていたとのこと。

彼の礼節をわきまえない態度に、親ごころの怒りが、お酒の勢いで、度が過ぎてしまった。

不純ななものなど、何もない怒りだったでしょうに。

 

引退発表の席で
目がうつろで疲れ切ったような表情の日馬富士

 

それに対する貴乃花の態度は、私にはどうしても解せません。

個人的な感情にとらわれた、不純なものを感じるからです。

僅差で理事長になれなかった悔しさが、ずっとくすぶり続けていたのではないでしょうか。

それを、角界の慣れあい等の問題のせいと勝手に思い込み、その鬱憤を、八角理事長を追い詰めることで晴らそうとしているかのようにさえ、私には見えてきます。

相撲道を逸脱したかのような白鵬の取り組みの態度云々へのの貴乃花の反感も、とやかく噂にされていますが。

今回の事とは、全く関係がない事ですよね。

 

相撲協会を無視した、一連の行動を何故とっているのか?

貴乃花は全く説明もせず、日馬富士を引退に追い込み、弟子の貴ノ岩まで幽閉の身にしています。

時折、発する言葉は、「騙された」など感情的な意味不明の物言いばかり。

あまりに大人げない態度に、私は呆れ返っています。

 

言いたいことがあるのなら、正しい手順を踏んで、堂々と意見すればいいのに。

この人の身勝手な態度で、将来がある二人のお相撲さんの今後を台無しにしてしまったのではないか。

国民的スポーツである、相撲界の印象まで悪くしてしまう。

そんな気持ちになってしまいました。

 

長女は、近くで貴乃花を見たことがあるようですが、普通の人には見えず、印象がとても悪かった、と言っていました。

現役の頃の貴乃花は嫌いではありませんでしたから、彼の変わりようと、この度の不可解な言動は残念でなりません。

 

モンゴルの方のようですが、素敵な奥様と、可愛いお子様たち

 

日馬富士は、お相撲取りとして活躍しただけでなく、ボランテイア活動はむろん、大変な勉強家で、モンゴルの弁護士の資格も取得しておられるようです。

一時期、法政大学の講義も受講されていたとのこと、

絵画の腕前も、相当なものでいらっしゃるようです。。

 

見識の高い、立派なお相撲さんが、一瞬、魔が差しとった行動で、これまでの長年の努力を水の泡にしてしまわれた。

自ら悔やむお気持ちも相当なものでしょう。

 

この挫折を、新たな世界へ飛び立つためのの踏み台にして、今後、益々ご活躍下さい。

日本とモンゴルの架け橋となるようなお仕事でも頑張っていただきたいものです。

お相撲さんがよく転身の職業として選ぶ、プロレスラーにはなってほしくないあ~

これは私の個人的な希望です。(笑)

何だか日馬富士さんには向いていない気がします。

 

色々な温情を期待しないではいられない私ですが、今後はどうなることでしょう。

祈るような気持ちで、日々見守っています。

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私独自のこだわり年賀状 

2017-12-15 07:25:10 | 暮らし

皆様は、もう年賀状の用意をなさいましたか。

のんびり屋の私にしては、今年は珍しく速い注文で、12月1日にはもう出来上がり、我が家に届きました。

でもまだ、したためる気持ちには、なれない私です。

できれば、早めに大掃除を済ませ、

年末年始の準備がある程度整い、

落ち着いた気持ちになれた時、心を込めて認めるのが理想ですが。

そう思っている内に、時はあっと言う間に経過し、結局慌てて書く羽目になってしまうのが、いつもの常なのですけれどね。

 

上の孫の写真の年賀状は、同窓生に、今年貰った中でナンバーワンだった、と褒められました。

 

私は、形式的な普通の年賀はがきを頂くだけで、十分嬉しいです。

年に一回でも、私を心に掛け、新年のご挨拶をしようと思って下さったのですから。

一言、私信が添えてあれば、尚更嬉しいのは言うまでもありません。

  

では、私の年賀状はどうでしょうか。

年賀状作成には、いつもの私のこだわりが如何なく発揮され、平凡を良しとしません。

私の個性溢れた年賀状が、毎年出来上がります。

年甲斐のない自分の遊び心が、気恥ずかしくさえなりますが。

少々派手かしら?もっとさりげない年賀状の方が、気品があっていいいかしら?

と思ったりもします。

 

今年のお正月に差し上げた年賀状です。
喪が明けてすぐでした。
デザインは二種類選びました。

 

でもいくら年を重ねても、この年賀状作成の私のスタンスは、今のところまだ、変わりそうにありません。

もっと若い頃は、自分で版画をこしらえて、それを年賀の図案にしたり。

毛筆で、墨絵に似た絵を書いたり、

富士フィルムのデザイナーズ年賀状が好きで使用した時期もありました。

 

 

けれど、その年賀状シリーズが、ある年、中止になりました。

困った私は、ネットで調べるうちに、ここ数年利用し続けている「年賀家族」に出合うことができたのです。 

富士フィルムのデザイナーズ年賀状の時より、内容ははるかに充実していて、素晴らしいです。

デザインがあまりに豊富過ぎて、選ぶのが一苦労。

葉書の用紙、タイトル、台紙の色もいろいろ選べます。

注文価格は、それなりにしますが、二回目以降は割引も大きくて、この度頼んだ60枚の年賀はがきの代金は11868円でした。

高いと思うか、安いと思うかは、人それぞれでしょうが。

私は今回も注文した年賀状がとても素敵に仕上がり、その価格は妥当だと思っています。

 

年賀家族のデザインを使用した過去の年賀状

 

75歳になっても、80歳になっても、私は相変らずこだわりを捨てないで、個性的な年賀状を送り続けているでしょうか。

若さを保つためには、このような遊び心とこだわりは大切と思っています。

できれば今後も、私にしか出せないような年賀状を準備したい、と願っています。

 

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錦秋の京都の旅 ~お天気の幸運にも恵まれて

2017-12-14 07:12:43 | 旅行

この度の法要では、その後広島に一泊し、翌日は京都に立ち寄る計画を立てた私達です。

理想は、京都の観光を半日思う存分楽しみ、その日は京都泊。

翌日の朝、広島に出かけるのが理想でしたが、お寺さんと娘の仕事の都合上、それは叶いませんでした。。

私が、これまでの墓参帰りで、いつも採ったコースです.

帰宅後の疲労が、一番軽くて済む行程と言えばいいでしょうか。

年を重ねた上、体力もない私の事。

旅行の予定を立てる時は、無理をし過ぎないように、と注意を払います。

 

けれど、今後は、果たしてこのような楽しみ方さえできるかのどうか、とてもおぼつかなくなってきました。

この度の旅行では、重い荷物はすべて娘や孫が代わりに持ってくれ、私は実に身軽でいられたので、助かりましたが。

また狭窄症が再発するようなことになれば、今度こそ杖の暮らしになるのでは、と言った怖さが、いまだに付きまとっています。

この度の旅行は、皆のお蔭で、無事に終えられ、感謝一杯でした。

 

 

さて、とても楽しかった半日の京都の旅の行く先は、どこだったでしょう。

一月ほど前になるでしょうか。

男友達の親友と言ってもいいような、H君が郷里から上京した際、私にお誘いの電話がありました。

お昼食を共にし、数時間ご一緒したとき、京都のお気に入りスポットを訪ねたところ、その一つに天龍寺を挙げられたのです。

京都やパリのような伝統のある街並みが大好きで、この両都市には、幾度も訪れているH君。

その彼が勧めてくれたので、間違いないでしょう。

その話をし、私の希望が天龍寺であることをみんなに伝えました。

快く了解してくれた娘達と妹、

 

嵐山界隈となると、京都の郊外のような印象で、そこにたどり着くまでの時間が気になりますが・・・・・・。

彼の言う通り、京都駅からJRの電車に乗ると、数十分といった近さでした。

紅葉シーズンゆえ、予想に違わず、電車も、天龍寺に通じる道も、大変な混み様。

そのうえ、その日は一段と冷え込み、京都の底冷えが身に沁みました。

長女が突然思いつき、ホカロンを購入し、みんなに手渡してくれ、大助かりでした。

 

厚かましくも、妹の画像を拝借

 

駅からは、娘達に何も考えないでついていくだけの気楽さ。

スマホで道順を既に調べているようでしたから。

沿道には、お土産屋さんや、食べ物屋さんが軒下を連ねています。

有名な神社や寺院の通りでは、よく見かける光景ですね。

少々残念。

静かな佇まいの町家や林を抜けると、忽然とお寺が現れる。

そんな風雅な情景こそ、なんといっても京都らしくて、一番素敵。

気持ちが落ち着きますもの。

 

大変混雑した道をそぞろ歩きで進むうちに、天龍寺に到着。

曹洞宗天龍寺総本山のこのお寺は、足利将軍家、後醍醐天皇ゆかりの禅寺として京都五山第一位にされてきたそうです。

古都京都文化財として、世界文化遺産にも登録されています。

 

 

参道を進み、辿りついた方丈の玄関先は、よく見かける佇まい。

同じ様式の建物を、私は、これまでにもいくつか見てきました。

豊臣の寧々様の御住い、高台院や竜安寺も、入り口はそっくり。

 

方丈に入り、廊下を抜けると、目に広々とした素晴らしい庭園が飛びこんできました。

深紅に染まった紅葉の樹木とそれを映す大きな池(曹原池)。

池泉回遊式の庭の何と美しい事。

遠くに見渡せる亀山と嵐山の山並みが借景となり、その庭の美しさを一層引き立てています。

H君が、縁側に座って、庭を眺めているだけで、とても心が落ち着くよ、と言っていましたが、まさにその通りの光景です。

今年初めて観たと言っていい,本格的な錦繍の秋の景色。

私は、大感激、大満足と言ったところでした。

 

 

ところが、その頃から、急に雲行きが怪しくなり、時に強い雨が、地面に打ち付けます。

まさかのお天気で、私達は雨具を、コインロッカーに預けた旅行バッグの中に入れたままです。

さて困りました。

 

厚い雨雲に強い雨脚
こんなお天気にも、一時的に遭いました 。

 

ところがその雨は降ったりやんだりで、薄日も幾度か差す気まぐれなもの。

私達が移動中の時は、雨に遭わないといった幸運に恵まれ、ほとんど濡れないで済みました。

残念ながら、時間的余裕もあまりなく、お天気が心配で、庭園散策は諦めましたが。

突然、陽が差し始めたときの、雨に洗われた紅葉の艶やかさは、特別な美しさでした。

 

 

 

天龍寺観光の後、向かったのは、かの有名な嵐山の渡月橋。

最初、目にした橋は通行路として仕切られた人工的な白い柵が目立っていて、実に情けないもの。

とてもがっかりした私です。

その細い通路が、人、人で溢れています。

橋の上に身を置けば、きっと新しい風景が開けることでしょう。

その期待から渡り切りたい気持ちに駆られましたが、他の皆は、混雑に少々うんざしている様子。

眺めるだけでいいと言って、譲りません。

 

でもそれは正解でした。

少し離れた河岸から望むと、人工的な内側に設置された白い柵が通行人の蔭になり全く目立ちません。

絵葉書や写真で見る渡月橋の風景そのままでした。

 

山の紅葉はまだこれからでしょうか。
くすんだレンガ色の山容でした。

 

私には決して忘れることのできない、印象的なこの風景。

貴重な一枚の両親の新婚旅行の写真が、ここで撮られているからで

両親が何て初々しい事。

美男美女?(笑)

この時を経て、私は生を授かったのかもしれません。

そう思うと、素晴らしい景色が、一層愛おしく、大切な物に思えてきます。

 

 

とても印象的な楽しい旅も、いよいよ終わりです。

長女親子は、もう少し回りたいところがあるからとかで、駅で別れ、私と妹、次女家族は先に新幹線に乗車しました。

かれんちゃんは、長女の娘、さくらちゃんと別れる時に涙が溢れ、しばらく泣き止みませんでした。

 

新幹線の車中で、次女のMちゃんは、感激した面持ちで言いました。

朝、早い出発で、かれんの御機嫌が少々心配だったけれど、とても元気で、本当に楽しい二日間だった、と

良かった!。

私も、Mちゃんの言葉をかみしめ、同じ思いに浸っていました。

妹も同様の気持ちのようでした。

お天気の幸運にも恵まれた私達。

旦那さまも、みんなの元気な姿を見て、さぞ喜び、安心したことでしょう。。

 

おじいちゃまが大好きだった、孫娘たち。
おじいちゃまとは、特別な睦まじさがありました。

 

次は七回忌。

まだ、大分あります。

その頃には、孫たちは、見違えるように成長していることでしょうね。

法要忌に限らず、毎年お墓参りで帰郷したい、と強く願っている私ですが。

今後の体調次第です。

 

七回忌ともなると、私は老け込んで、益々おばあさんに。

そうは、なりたくありません。(笑)

杖を突かずに闊歩できるほどの、健康寿命が保たれているでしょうか。

そう願っていますが、こればかりは、神さまのみぞ知るの領域。

先々の事を心配しても仕方ありません。

今日が一番素敵の思いで、毎日を丁寧に紡ぐことだけを心がけてまいります。

 

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三回忌法要のための女子旅

2017-12-13 07:17:49 | 旅行

11月の下旬、夫の三回忌の法要を、郷里の菩提寺にて無事に済ませました。

脊柱管狭窄症、そのあとぎっくり腰と立て続けに災難に見舞われ、秋のお彼岸の帰郷は、急遽、キャンセルせざるを得なかった私です。

ですから、今回は、無事に終えられたことが、殊更嬉しく、心から安堵しました。

 

孫息子たちは受験生のため、パパとお留守番で、唯一残念なことでしたが、それを除けば、とても充実した良い旅でした。

お天気は不安定な時もありました。

けれど幸いにも、雨には濡れず、うまく切り抜けられた私達。

その幸運は、きっと夫の見守りがあったお蔭でしょう。

 

出発の日は、早朝6時半過ぎの新幹線に乗車。

お寺さんの事情、娘達の仕事の都合で、18日の土曜日、午前11時から、法要が営まれることに決まったからです。

早朝とは言え、家を出る時から次女が一緒でしたから、一人旅の時よりも、気分的には随分楽。

長女のMちゃんとは同駅で落ち合いました。

のぞみに乗車した時、東京からの妹は既に席に着いていて、これで女性ばかり6名が勢ぞろい。

私と妹、娘達、二人の孫娘達です・

 

法要のお出かけながら、三回忌ともなると、私達は、すっかり旅行気分。

とはいうものの、喪主として落ち度が無いように、準備するものを車中で、再確認したり。

妹に、お布施を渡すときのご挨拶の言葉を、スマホでもう一度調べてもらったり、と緊張感は多少ありました。

朝が早いため、墓参の供花は、次女が前日、会社の帰りに用意してくれたものを持参しての里帰りです。

 

 

広島に到着したのは、10時半頃。

もうあまり時間がありません。

ひと休みするゆとりもないまま、全員タクシーに乗り込み、お寺に向かいました。

広島の親戚は、私がよく存じ上げている二名の方だけ。

11時から始まった法要は、滞りなく終わり、ご住職様に私と娘達でご挨拶。

その後、本堂の裏の墓地で、お墓参りも済ませました。

 

秋のお彼岸は体調を崩し、急きょ、墓参が中止になりましたから、お盆以来の久々のお墓参りです。

自己満足かもしれませんが、遠方ながらお墓まで足を運ぶと、夫への御恩返しが少しできたよう充足感に私は浸れます。

娘達は、久し振り振りのお墓参り。

どんな感慨を抱いたことでしょう。

 

おじいちゃまの墓前にお線香をあげる孫たち

 

この後は、広島市の中心街に構えるリーガーロイヤルホテルに向かいました。

法要後の粗餐と宿泊の予約がしてあります。

 

クリスマスツリーが素敵!

 

50代の頃、帰広するたびに利用していたお気に入りのホテルでしたので、懐かしさで一杯に。

そのころから随分年月が経過し、古びた箇所が目に付くホテルになっていました。

入館するなり、そんな感想を家族に述べた私でしたが、25階の客室は落ち着いたインテリアで、眺望も素晴らしかったです。

 

予約をしてくれた次女がチェックインの手続きを。
後に立っているのは妹と、長女。
長女のMちゃんは、いつも私の荷物持ち。 

 

会食の席は、身内だけで、実に寛いだ時間になりました。

親戚の方々は、90近いご高齢だったㇼ、体調が思わしくなく御辞退なさったからです。

婿もいなくて女性ばかり。

余りにㇼッラックスした会食のひと時だったからでしょうか。

夫の思い出話以外、何を話題にしたのか全く思い出せません。

恐らくとりとめもない話しで、終始したのでしょう。

 

お料理は、お昼食なので、多少軽めにしました。

次女は、とても美味しい、と言って、満足のの面持ち。

昼食には、ちょうどよい量だったように思います。

参考になるので、お品書きも載せたいところですが、見当たらなくて残念です。

 

 

 

 

 

 

 お昼は、軽くて正解。

夕食の広島名物、お好み焼きがとても美味しく感じられ、お腹いっぱい頂けましたから。

その前に、娘達と妹、孫たちは、ライトアップした縮景園に出かけましたが。

私は、とても、みんなの元気な動きについていけず、一人、ホテルで寂しくお留守番。

朝も早かったせいでしょう。

もうぐったりしてしまい、客室のベッドに体を投げ出すようにして、寝入ってしまいました。

 

早朝起きたかれんちゃんはさすがにオネム。
でもとても良い子で、よく頑張りました、

 

そのお蔭で、私は元気復活。

一方、小学校一年生のかれんちゃんは、さすがにお疲れ気味。

3~40分待たされましたが、ホテルの隣のそごーデパートの階上のレストラン街にあるみっちゃんで食べたお好み焼きの、何と美味しかったこと。

以前、お彼岸のお墓参りで帰郷したとき、一人で、駅のレストラン街にあるみっちゃんで、お好み焼きを注文したことがありました。

久し振りに口にした時の印象は、やはり私は、苦手と思ったものです。

半分も食べられなくて。

 

でも今回は、違いました。

お好み焼きは、大勢でおしゃべりに花を咲かせ、賑やかん雰囲気の中でいただくものですね。

一人で食べたときとは、別のお料理のようにに美味しく感じられましたから。

 

  

 

これは長女の驕り。

Mちゃんご馳走さまでした♪

明日は京都に向かいます。

墓参の時、途中下車して数度訪れたことはありますが、紅葉シーズンの京都は久しぶり。

夕方仮眠をとったにもかかわらず、お腹いっぱいの私は、明日を楽しみに、入浴後、あっという間に眠りに就きました。

 

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亡き夫を偲んで

2017-12-12 06:57:33 | 家族

風邪と疲労による体調不良、その他、思うところがあり、しばらくお休みしたため、夫の三回忌法要の記事が遅くなってしまいました。

妹は、とっくにその記事を書いていますのにね。

何事もスローテンポの私ゆえ、とても妹の早さにはついていけません。(笑)

妹のブログのhttpは下記の通りです。

http://blog.goo.ne.jp/yumeji_2014

私より、何事も研究熱心で文章力もあります。

是非こちらの応援もよろしくお願いします。 

 

私の今日の記事は、三回忌法要の序章と言ったところから始めます。

夫が亡くなってもうすぐ、早二年。

Yさんが亡くなった時の事は、私の脳裏に今なお、鮮明に焼き付いています。

ですから、二年も経過したことが信じられなくて・・・・・・。

一方では、もっと前の出来事のようにも感じられてきます。

時の流れに救われて、私が今では嘘のように元気になっているからです。

 

無くなる前の最後の半年の事。

究極の照れ屋さんで寡黙だったYさんが、素直に自分の気持ちを、いろいろ言葉にしてくれました。

具体的にここに書くことは控えますが、辛い病床の身ながら、Yさんが、私に話してくれた幾つかの言葉は、今の私の宝物。

一人暮らしを支えてくれる元気の素になっています。

 

私の寝室のカーテンを開けると、毎日美しい朝焼けが望めます。
朝焼けを見て、一日がスタート。
本格的なスタートは、夫と両家の両親に朝食を供え、感謝の言葉を述べてからです。 

 

もう一つ、夫が亡くなって間もない、或る日のお茶のひと時の事が、忘れられません。

一年半近くお世話になった二名の訪問看護士さん達が弔問下さったときこのこと。

その時、大粒の涙が溢れて仕方なかった私でした。

 

私には、ありがとうの一言もかけてくれたことがないのに、訪問看護士さんたちには、私への感謝の言葉を度々述べていたと聞いたからです。

料理もおいしい、と。

皿数が多すぎると、文句ばかり言っていたのに。(笑)

そして自分の死後の私の事を、とても気にかけていた、とのお話でした。

 

最近の或る日の夕食
サーモンと大根の混ぜ寿司・鶏と里芋の含め煮・柿の白和え、茶碗蒸し

 

[美しい夫婦愛を見せてもらって、本当に有難うございます]とまで言われてしまった私。

美しい夫婦愛は、私たち夫婦には、あまりに不似合で、穴があれば入りたい心境でしたが。

夫の言葉は、切なく愛おしく、ただただ涙が溢れたものです。。

 

先程も述べましたが、照れ屋さんの夫から、ありがとうなどの言葉をかけてもらったことは、ほとんどなかったし、

優しい言葉をかけてもらった記憶もありませんね~。

でもいざっと言うときは、行動で示してくれる人でした。

 

私が数度入院した時は、いつも毎晩、必ず見舞いに来てくれました。

ほとんど何もしゃべらず、病室を出ていくだけでしたけれどね。

私の両親を我が家に引き取った時も、文句は一切言わず、私の介護を見守ってくれました。

力仕事などお願いすると、気持ちよく手助けしてくれたものです。

 

無口で不愛想な夫が物足りなくて、愚痴を母や娘に、時に述べたこともあります。

けれど、母も娘も、私の愚痴は適当に聞き流し、婿やパパの悪口は絶対に言いませんでしたね~。

私の気持ちは、理解してくれてはいるようでしたが。

愚痴を言うと、益々ストレスが高じて、何も言わなければよかった、といつも後悔したものです。(笑)

 

 

でも、本当は私は、心からYさんに感謝していたのでしょう。

Yさんがが臨終前、私には溢れるような感謝の気持ち以外、何もありませんでしたから。

ありがとうを、旦那さまの耳元で、息を引き取るまで言い続けた私です。

 

そのありがとうの気持ちは、その後も変わることなくずっと続いています。

毎朝、夫と両親の御位牌の前で、感謝の言葉を心を込めて述べて、一日がスタートします。

 

今日も、一番素敵の思いで、良き日を紡ぎましょう。

この記事を書いているうちに、とても元気が出てきました。

今日は午後から、孫宅におやつを置き(風邪がうつるといけないので、留守の間に、と思っています)、内科クリニックと整体の施術を受けに行ってきます。

まだ風邪の症状は残っているのですが、顔つきに元の元気が戻りました。

 

次回は法要のための帰郷の記事に入ります。

 

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孫たちからの音楽の贈り物

2017-12-11 06:47:13 | 

11月26日記

昨日(25日)は、また孫の学校行事に参加するためのお出かけ日でしたが、上を仰ぐと、雲一つない澄んだ青空が広がっていました。

不順なお天気が続く昨今、こんな空、久し振りに見た気が致します。

私の体調は、その空の色とは裏腹で、どちらかと言えば、不順な気候に似ているでしょうか。

夫の三回忌で帰郷する前から、暮らしのリズムが快調とはいかず、気力の充実に今一つ欠ける日々でしたが。 

法要のための一泊二日の旅行を兼ねた帰郷は、何とか元気に乗り超えることができました。

 

広島のホテルの客室からの眺望

 

とても充実した良い旅だったと思っています。

法要も無事に終わり、心から安堵しました。

途中、あまりに疲れがひどく、皆と同様の行動がとれなくて、ホテルでしばらく休んだり。

脊柱管狭窄症のことが気がかりで、当たり前のように、娘達や孫に私の荷物を持ってもらったり、と。

皆の優しい気遣いに、甘えっ放しの旅でもありました。

 

このことについては、もう少し元気になってから書くつもりでいます。

前回の孫娘のかれんちゃんの七五三のイベント記事に続いて、すぐ書くのは、ちょっと疲れてしまいそうですから。

一休みして書きたい気分と言えばいいでしょうか。

イベントを話題にした記事は、画像の整理がとても大変。

そのためか、思い入れは強いのに、苦手意識があります。

 

この記事は、前回の最後の記事を更新した時、書き始めたので、このような表現になりました。
リアルな文章ではないので、時差が多くて申し訳ありません)

 

 

 

旅行記においては、自分には横着な一面もあるため、背景の史実を調べ、確認しながら丁寧に書く作業は省略することが多くて。

いつも貧弱な感性のみで綴っているだけですのに、何故長くなってしまうのでしょうね~?

やはり、そのイベントへの思い入れが強いとしか、その理由の説明のしようがありません。

長文にもかかわらず、多くの方がお立ち寄り下さり、恐縮する一方、有難い気持ちで一杯です。

 

孫の行事は、かれんの七五三で、今年は終わりと思っていたところ、もう一つ催し物が、次女家の子供たちが通う小学校でありました。

そのことについて、今日は簡単に触れることに致します。

その行事とは、孫の小学校で催される、年に一度の音楽会です。

 

音楽の贈り物

この曲を、1・2年、3・4年、5・6年と言った組に分かれ、すべての学年が歌ってくれました。
心が洗われるような良い歌詞ですね。
しみじみとした気持ちになりました。

最後の歌詞が、人の頭で切れてしまいましたが、「おくりもの」です。

 

先述した良くない体調が、その前日はピークに達し、風邪の症状がでてきて、発熱。

身の置き所が無いようなだるさでした。

でもできれば元気になって、音楽会を観に行ってやりたい。

孫たちは、個人的にも活躍する場があり、私にも観てもらいたいようでしたから。

 

そのため、私はつらい体を鞭打つようにして着替え、クリニックに行く準備をしました。

歩く元気はなく、タクシーをを呼び、往復利用で診察を受けた私です。

そのお陰でしょう。

翌日は、何とか元気復活。

でも、顔つきは、明らかにまだ変。

あまり外には出たくない気分でしたが、孫たちのためなら、無理を承知で、時には行動的なります。

インフルエンザではありませんでしたから。

 

 

けれど無理して出かけた甲斐がありました。

子供たちが奏でる元気いっぱいの清らかな音楽の、なんと素晴らしい事。

強く心打たれました。

さくらちゃんの中学の管弦楽のクラブ発表会を鑑賞したときと似た感動、と言えばいいでしょうか。

今回はもちろん、中学生の管弦楽のような本格的なものではありませんでしたが。

 

音楽には迫力があり、心を一つにして頑張った、日ごろの練習の成果がとてもよく出ていました。

オーデイションで選ばれ、K君が縦笛で独走する部分も一瞬でしたがありました。

かれんちゃんも大きな声で台詞を言う場面があり、二人とも大活躍。

私は、学童たち全員に精一杯の拍手を送りました。

 

昭和の時代に卒業した生徒たちの作品のようです。
希望に満ちた明るい絵に、しばしば見惚れてしまいました。

 

この子たちが今後の日本を背負ってくれるのだとしみじみ思い、世代の交代を実感する私。

そんな感慨に浸る年齢になってしまった自分に、一抹の寂しさも覚えましたけれどね。

体の調子が今一つ良くないと、感傷的な気分に陥りがちになってしまいます。

それは必ずしも良い事ではないでしょうから、気を付けて、老け込まないように注意しなければ。

 

でも、空回りが最近は多いものの、気持ちは常に前向きです。

子供たちの歌や演奏にも、大いに励まされました。

計画ノートに、目先の目標を立てて、タイマーを片手に頑張っています。

夏頃のように、良いリズムを刻みながら、元気に日々働けるように、一日も早くなりますように。

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