今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

天寿を全うされた叔母の葬儀に参列して

2018-01-31 07:51:28 | 日記

ここ一両日は、私の暮らしにはめったにないような、強硬なお出かけでした。

二日目の儀式が終わり、妹と帰途に就いた時は、もうフラフラ。

体力があり、日頃私の疲労感が今一つ理解できないと言っている妹は、チョッと呆れた様子でしたが。

前日の睡眠時間が、三時間少々。

ですから、当然の事でした。

 

その儀式とは、私の叔母の葬儀です。

もう、二十数年前に81歳で亡くなった父のすぐ下の妹。

 

最後に会ったのは、7年前。

その後、妹と毎年のように、

「おばさまはその後、お元気かしら。今年は、必ずお訪ねしようね」

が私達の合言葉のようになっていました。

ところが、我が身にも、夫の闘病生活と介護、夫が亡くなるなど、いろいろ大変なことがあり、心ならずも、ご無沙汰を重ねてしまいました。

それを、心苦しく思っていた時の突然の訃報です。

後悔先に立たず。

訃報が入った時は、お訪ねしなかったことが悔やまれ、とてもショック受けました。

 

ですから、体調は今一つでしたが、如何に無理をしてでも、我が家から一時間半以上かかる、斎場に向かわないわけにはいきません。

お通夜から帰宅したのは夜の十一時過ぎ。

翌朝は、6時過ぎに家を出て、9時から始まる葬儀に遠方まで出かけました。

そして、妹と、最後のお別れをしてきました。

 

 

その席で、喪主の私より三つ年下の従兄弟、Hさんや、唯一まだ生存され、お元気な叔母様の妹、Hさんから、亡くなる前の近況を詳しく知ることができました。

享年98歳でいらっしゃいましたが、介護で身内がご苦労されたのは、一月足らずとのこと。

それまで、ずっと一人暮らしをなっていました。

入退院を繰り返されたものの、最後まで気丈に明るく振る舞われ、、天寿を全うされた叔母様。

 

名の知れた或る知的な主婦サークルに長年所属し、活躍もしておられたので、友人も多く、その方達の励ましや支えもあったようです。

その友人の方々数名がお別れの言葉を述べられました。

その友人の弔辞や、家族のお話によると、最後まで世の中への好奇心を失わず、暮らしやすい良き社会にになる事をひたすら願っておられたとのこと。

亡くなられる前まで、社会問題の話題が大好きで、義憤から、色々語られる事も多かったようです。

妹のHさんが、今の時代で若ければ、おそらく政治家になっていたのでは、と半ば冗談を交えておっしゃっていました。

私の知らなかった叔母さまの人柄の一面を知り、私もお話をもっといろいろ伺えば良かった、と残念にも思いました。

 

最後まで、認知症の気は全くなく、入退院を繰り返された最後の一年間も、明るいご性格には変わりがなかったようですが。

叔母さまの半生は、波乱万丈だったと言っていいのかもしれません。

妹と、葬儀の帰り道、その話題にしばし浸り、叔母様の御苦労も偲び、感慨を新たにしました。。

 

 

喪主を務められたHさんは、東大在学の頃は、安保闘争の真っ最中。

何と彼は、最前線の学生グループの主要な一人として、闘争に明け暮れました。

そのため、しばらく刑務所生活も経験。

その後、研究者になられ、大学でも教鞭をとられ、今は悠々自適のお暮らしですが。

 

とても愛情深い叔母さまの心配は、相当なものだったようです・

さらに、大手建設会社の管理職でいらした叔父様は、まだ50代の頃に、急性白血病で亡くなられました・

その後しばらく経過して、今度はまだ三十代の娘さん、Tちゃんとの悲しい別れが待っていました。

早稲田を卒業され、フリーライターとして、雑誌などにエッセイを載せ、活躍しておられました。

都会人らしいセンスの良いお洒落をした溌剌としたTちゃんの姿が、今も私の目に焼き付いています。

二人で、山口の秋芳洞に旅したこともありました。

 

大変な数々の苦労を乗り越えながらも、最後まで明るく気丈に振る舞われ、天寿を全うされた叔母さま。

そのためか、葬儀は、惜別の儀式ながら、、どこか明るさが漂う、とてもいい雰囲気でした。

 

私は、この度の叔母様の御逝去と葬儀で、しみじみとした思いになったことが二つあります。

一つは、葬儀は永遠のお別れのの悲しい儀式であるとともに、亡くなった人の人生を讃歌する儀式でもある、ということ。

 

もちろん、若い頃、突然襲った家族の死をその様に受け止めることはなかなかできないでしょうが。

長寿を全うされた場合は、そのように言っていいのではないでしょうか。

 

もう一つ思ったことは、理想の死に方とは、最後まで認知症にはかからないで、老衰で自然死を迎えること。

できれば一人暮らしを全うして。

叔母さまは、亡くなる数日前まで、意識はしっかりして、お元気だった様ですが・・・・・・。

老衰による臓器の機能不全は著しく、医師から数日の命と言われ、その通りになられました。

ほとんど苦しまずに、眠るように亡くなられたようです。

 

私は、今年の年賀状に、

おばさまの暮らしが私の目標です。

いつまでもお元気で、わたしの励みになってください、

といったようなことを書きましたが、亡くなられた今も、その気持ちに変わりありません。

 

T叔母様のように、好奇心を元気の素にして、一人暮らしを続け、家族に迷惑をかけないで、私も天寿を全うしたいものです。

 

 

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お薬のお話

2018-01-29 07:19:46 | 健康

今日は、お薬の話をしたいと思います。

なぁ~んて書くと、医療関係者みたいですね。(笑)

いえ、もちろん専業主婦の私の事ですから、主観を交えた単純なお話です。

 

短い文章を心がけたいので、三回位に分けて更新してもいいかな、と思っていまが・・・・・・。

文章が、どんな筋道を辿るのか、自分でも想像が付きません。

私は、いつも頭に思い浮かぶことを、行きあたりばったりで文章にしていきますから。

 

できれば、要領よくまとめ、一回で終わるのが理想なんですが。

お薬に関して思うことは、体験上、いっぱいある私です。

ですから、また長文の懸念が……。(笑)

 

私はお薬とかサプリメントは、これまで、ほとんど服用しない暮らしを送ってきたと言っていいでしょう。

利用したのはビタミン剤くらい。

インフルエンザなど、高熱でダウンしてしまった時はむろん例外ですけれど。

幸いにも、重い内臓疾患を患ったことがない事もその理由に挙げられると思います。

 

睡眠の質も、私は決して良くありませんが、睡眠導入剤のような類のお薬を利用した事はありません。

心を動かされることは今でもよくありますが、それを拒む自分がいます。

 

薬局でいただく外用薬の白い紙袋は、何だか目障りなので、長女家族のスイス旅行のお土産の白い容器を
最近は薬入れにしています。
後のクマさんは、私のマスコットぬいぐるみ。
オウム返しでおしゃべりをしてくれます。
私は、「頑張れ~!」としょっちゅう言わせています。(笑)

 

何事も、自己治癒力で解決するのが私の理想。

でも、これも問題ありですね~。

手遅れとなり、取り返しのつかないことになる可能性がありますから。

その時は、仕方がない、と潔く諦められるといいのですが。

精神的に弱い所もあるので、慌てて、後悔しきりになるやもしれません。

 

こんな私ですから、クリニックに足を運ぶこともめったにありませんが。

数年前、強度の自律神経失調症(この病名は、私の自己診断によるものです)となり、息苦しさや首の痛みを患い、食欲不振に陥った時はさすがに心配で、幾度か医師の診断を受けました。

私の意思ではなかったのですが、娘達がとても心配し、大病院にも無理やりに連れていかれもしました。

私のお医者嫌いは徹底していて、長い人生、医師の診察を受けたのは、すべて思い出せるほどです。

広島の被爆者で原爆手帳を持っているため、保険診療代は無料の私ですのに。

医療費に関しては、税金を無駄に使わない優等生だったかもしれません。

 

このように書くと、私がとても健康体の持ち主のような印象を受けられるかもしれません。

そんなことは全くありません。

どちらかと言えば、虚弱体質。

子供のころは、運動会のような大きな行事があると、翌日は発熱し学校はいつもお休み。

下校すると、ぐったりしてしまい、しばらく横になっていました。

 

その体質は、一生私に付きまとい、、日中何度も襲う疲労感と闘いながら、気力で頑張ってきた人生、と言っても過言ではないほどです。

疲れ切ってしまい、働きたくても働けなくなる時間を、私は若い頃から、「魔の時間」と、称していました

その疲労が過剰に度を超すと、突然ダウン。

緊急入院したことが、結婚後、数回あります。

 

 

妹には、私のこの疲労感がまったく理解できないようでした。

「お姉さまが感じるような疲労に、私は見舞われたことがない」と。

私には、豪語と思えるこの言葉が、本当に羨ましくて、羨ましくて仕方ありません。

年を重ねた今、妹も、さすがに時々疲れを感じるらしく、私のその気持ちが多少分るようになったと言っています。

 

その疲労感が、最近またひどくなってきた感じの私です。

脊柱管狭窄症を患い、気が弱くなったことも原因しているかもしれません。

去年の秋ごろは整形外科医院に頻繁に通い、お薬をたくさん手渡される日々でした。

強い痛み止めばかりで、私の心は不安で一杯に。

お薬嫌いの私は、ほとんど服用せず、整骨院の施術に頼り、回復することができました。

整骨院通いなど、私には、思いも及ばない事でしたが。

近くにお住いの90代近い奥様との出逢いのお蔭です。

その方のお導きによるものでした。

 

施術のお蔭で、狭窄症の症状は回復し、今のところ完治したと言ってもいいほど良好です。

肩こりも、首の痛みも、以前に比べると、その悩ましさも激減しています。

 

でも年のせいでしょうか。

夫が亡くなり,尽くす人がいない気ままな暮らしとなって、2年以上経過したせいかもしれません。

気の緩みが出るころ。

気力の充実度に最近は欠け、疲れやすくて仕方ありません。

毎日、やりたいことはたくさんあるのに、体が付いて行かない。

そのもどかしさと情けなさは、相当なもので、お医者嫌いの私が、珍しく、医師に相談することにしました。

昨年の末のことです。

その結果、いただいたのが、下の画像のお薬。

ビタミン剤と漢方薬です。

 

                       アリナミン糖衣錠 ツムラ 当帰芍薬散エキス瀏粒
                         服用を続けるか、まだ迷い中です。

 

 整骨院の先生のお勧めで、初めて出かけた医院。

実は、私はいまだにかかりつけ医を決めていません。

 

わが家からバス利用だと5分も掛らないところに、この地域で評判の医院があります。

先生のお人柄も素晴らしく、患者の身になって、とても丁寧に対応してくださいます。

けれど、私はしばらく通い、この先生に見切りを付けました。

何故なら、診察後、窓口で手渡されるお薬は、いつも抗生物質ばかり。

 

かなり前になりますが、疲労感がやはりひどくて、この先生の診察を受けました。

ところがその時、手渡されたお薬も抗生物質。

その時点で、この先生への信頼が一気になくなりました。

抗生物質が好きな先生にはついていけない、と私は思ったのです。

この判断は、間違っていなかったかもしれません。

最近の新聞で、抗生物質が効かない、悪魔の耐性菌の記事を読んだからです。

 

私の母も夫も、院内感染による耐性菌MRSAのせいで、死がが早まった、と私は確信しています。

次回はお薬の話と、この耐性菌についての私の思いを、もう少し詳しくお話させていただきたい、と思っています。

追記

一昨日は、たくさんの応援をいただき、ありがとうございました。
余りに多く、我が目を疑い、何だかとても緊張してしまいました。
一言、簡単ですがお礼を申し上げます。

 

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多忙ながら良き日

2018-01-27 07:12:39 | 家族

いよいよブログ綴りの息切れがひどくなってきた感じです。

こういう時はしばらくお休みすればいいだけなのに・・・・・・。

応援してくださる方が、長く書き続けていると次第に多くなりました。

その人数は、私にとっては思いがけないほど。

こんなに多くの方々が閲覧し、応援までしてくださるのだから、できるだけ続けようと思う自分が、一方でいます。

でも息切れがひどいと、そうもいきません。

無理をすると、ブログ綴りが心から愉しめなくなってしまいそうで、それでは本末転倒ですものね~。

 

書くことに疲れたなら、極力、短文を心がけて、記事の長さにメリハリを付ける。

そんな対応をすれがいいのかしら。

その時は、数百字で文章をまとめる。

 

言うのは簡単だけれど、私にとっては容易な事ではありません。

かえって、難しい作文になってしまいそうです。

 

でも今日は、自信がなくても、できるだけその様に心がけてみようと思いました。

 

昨日次女宅に出かけるとき撮った、真っ青な冬空。
朝夕は異常な寒さですが、日中は然程ではありませんでした。

 

昨日の事。

日が暮れて、厳しい寒さの中、スーパで購入した、二回分の食料品をキャリーバッグに一杯詰め、それを引き引き、家に辿り着きました。

最近は、いつも行きは徒歩、帰りはバス利用です。

戻った時は、すでに19時を過ぎていました。

 

一昨日から、また服用を開始したビタミン剤と漢方が効いているのか、いつになく夜になっても体が軽い。

本当に有難い事と思いながら、ポーチの階段を上りかけると、携帯のメロデイー鳴り始めました。

長女のMちゃんからです。

 

「ブログ読んで知ったのだけれど、かれんちゃん、インフルエンザにかかったのね。

受験が目前だけれど、K君大丈夫?

ママはどう?元気にしている?」

 

「潜伏していたら怖いけれど、今のところは、K君はとても元気よ。

ママは、寒さストレスもあって、一人暮らしが少々つらいわ。

今一つ元気が出ないの。

約束してくれた春の旅行、三人(次女も一緒で)で、本当に出かけようね。

今から楽しみにしているから」

そう、私は言いました。

 

 テレビ出演したときのMちゃん

 

この後、私の落ちの一言が。(笑)

「ママ、今日のブログ、何を書いたかしら。思い出せないわ~」

「大雪の話よ」

「そうだった!いよいよ、ママの頭はおかしくなってきたかもしれないわね」

と言って、私は笑いました。

 

長女は、最寄りの駅前に住んでいる次女と違い、都心で暮らしているため、なかなか会えません。。

ですから、電話をもらうと、なんだかとても嬉しくて。

落ち着いたMちゃんの優しい声に、私はいつも元気づけられます。

 

 この日は、孫宅へ行き、整骨院で一時間半施術を受けたあと、スーパーでお買い物。

そういえば、その店内で、次女のお婿さんとかれんにも偶然出会ええました。

話が突然変わりますが、義弟が順調に回復し、退院する日でもありました。

いろいろ盛りだくさんで、忙しい日でしたが、最後は長女の電話が締めとなり、とてもとても充実した良い日だったと思います。

 

1昨日の朝食
一日元気に過ごせるように願って、朝は、お野菜のほか色々、たくさんいただきます。

 

そういえば、1つだけ結構気になる心配事がありました。

それは、長女が、私のブログ記事に触れたとき、朝、自分が綴ったブログ内容が思い出せなかったこと。

何だか不安になり、昨日の夕食の献立を覚えているか、試してみました。

すると、すらすらと、口にできた私です。

私の脳は、まだ大丈夫そう。(笑)

恐らく、かれんのインフルエンザの話題で、Mちゃんが、私のブログ記事に触れたため、一瞬、頭が混乱しただけのようです。

 

今日は数百字で終わるつもりでしたのに、いつもほどではありませんが、それなりの長さになってしまいました。

これからも短い文章を心がけたい。

私の強い願いが、私の心がけで叶いますように。

26日朝からの記述

 

追記

もしかして、私達姉妹へかけて下さったお言葉でしょうか。
ブログ名も書かせていただきたいところですが、間違っていたら、余りに恥ずかしいのでよしますね。
温かな励ましのお言葉、本当に有難うございます。とても嬉しく思いました。
私も、貴女のブログのファンです。
端正な文章で、内容は一気に読みたくなる面白さ。
ありのままの暮らしを素直に綴っていらっしゃり、とても素敵です。

 

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四年ぶりの大雪

2018-01-25 06:55:41 | 暮らし

ここ数年、雪を見なかった当地でしたが、22日の午後から降り始めた雪は、あっという間に、外の景色を銀世界に変えてしまいました。

関東地方は、雪に因る交通機関の乱れと、道路の渋滞。

その混雑ぶりは、相当なものだったようです。

事故も多発したようで、巻き込まれた方々の厳しい寒さの中でのご苦労を、思わないではいられませんでした。

22日の早朝、私の寝室から撮影

 

次女は電車に乗れず、降りる乗客が多い次の駅まで、一時間かけて雪道を歩いたとのこと。

早めに退社予定だったのですが、インフルエンザにかかり学校をお休みしている娘のかれんを、明日はパパと交代で自分が看る日になっていました。

そのため、仕事量が多く、早い帰宅は無理だったようです。

長女は自転車でも通勤できるほどですから、おそらく歩いて帰宅したのでしょう。

 

お勤めの方々は、本当に大変。

雪かき作業が辛いなどと文句を言っては、ばちが当たりますね。

しかしこの作業、高齢化が急速に進んでいる今。

今後における、悩ましい社会問題にならないでしょうか。

雪国の人達はどのように対処されているのでしょう?

先日、90代のお年寄りが除雪中に転落し亡くなられたとの痛ましいニュースを耳にしました。

 

 

私も、色々我が身の事が心配にもなりましたが、多少出遅れたものの、一時間かけて、家の前の雪かきに精を出しました。

出遅れたのは、体調が今一つだったので、二度寝のような仮眠を、階下のファミリールームで取っていました。

15分くらい取るつもりでしたのに、寝込んでしまったようです。

雪かき作業の気配に気が付き、慌てて身支度をし、外に飛び出した私です。

とても親しくしている一回り若い奥様が、「~さん。私達が雪かきはしますから・・・・・」と、優しいお言葉をかけて下さり、なんだか感激。

でもその奥様も、60代でお孫さんもいらっしゃいます。

雪かきをされていた前のお宅のご主人様は、80代でいらっしゃいます。

その親切なお言葉に甘えていては、あまりに申し訳なくて・・・・・・。

まだまだ当分頑張れそう、と思っている私ですが。

 

 

ただ一つ、心配なのは、脊柱管狭窄症を患っている私の左脚の事。

前回の記事で、デパートにお買い物に出かけたことを書きましたが、園芸店の外の売り場に長くいたせいでしょうか。

狭窄症を患っている左脚の感覚がなくなってしまうといった症状に見舞われてしまいました。

帰宅まで、その状態が続き、改めて、私が抱える脚の病の重大さを思ったものです。

ですから深い雪に、足を突っ込み、冷えすぎると、何とか食い止めている狭窄症の症状が再発しないかしら、とちょっと心配に。

歩行困難な生活が早まるのは、なんとしても避けたい私ですから。

 

その気がかりを、雪が深々と降り続く、窓の外の様子を見ながら、前日の夜、次女のMちゃんに、電話で話しました。

するとMちゃんが、語気を強めて言いました。

「ママはもう無理をしたらだめよ。私が明日は会社をお休みするつもりなので雪かきに、家事が一段落ついたら行くから」

と。

それに対して、私は次のように応えました。

「まず、積雪がひどいと、私の家に来るのは無理だし、Mちゃんが来るころには雪かきは終わっているわよ。

それに、私だけが具合が悪いわけではないと思うわ。

高齢化で、私の近所も、お年寄りが多いの。

みんな何がしかの病気をきっと抱えていらっしゃると思うの。

だから、自分だけそれを理由に、協力しないのはなんだか申し訳ない気がしてしまって。

だから多少は無理してでも頑張らなくてはね。」

 

わが家の雪の被害は草花が二本折れたこと。
とても悲しくなりましたが、雪の重みで雨樋が被害を受け、すべて取り替えたときのことを思い出し、
この程度で済み、ほっとしました。

 

娘は黙って聞いていましたが、翌日の午後過ぎ、

「今から雪かきに行くからね」

と電話がありました。

積雪で交通渋滞が甚だしい日でしたのに、午前はお婿さんがまだ休めたので、娘は午前出勤したようです。

かれんちゃんは熱が下がって、もう心配はいらないから、と言いました。

 

その言葉だけで、私は感謝一杯。

「雪かきは、もう終わったから、心配しなくて大丈夫よ。いろいろ大変だったでしょう。ゆっくり体を休めてね」

と私は応えました。

 

心配した雪かきは、思ったほど大変ではなく、適度な運動をしてひと汗かいたような爽快感を味わうことができました。

恐らく、お天気がとても良かったのが幸いしたのでしょう。

雲一つない澄んだ青空で、日差しがとても暖かだったからです。

 

ところが、24日の昨夜のニュースで、30数年ぶりとかの、異常低温予報。

草津の白根山の噴火もあり、不穏な報道ばかり。

心が何だか緊張してしまって、何事にも冷静だった旦那さまが、とても恋しくなりました。

こんな時、一人暮らしは、ちょっと辛いです。

また愚痴を言ってしまいました。(笑)

 

23日の早朝の朝焼けの空
萌えるようなオレンジ色のグラデーション。
自然の造形美にうっとりです。

 

昨日は、元気のない自分を力づけるために、12月の始めに、クリニックで頂いたお薬の漢方とビタミン剤を服用しました。

薬にできるだけ頼りたくない私は、ほとんど飲むことも無く年末年始も過ごしたのですが、最近の疲れやすい自分の体に、少々手を焼いてしまって。

しばらく、この薬に頼ってみようか、と思っています。

次回は、私の最近の体調と、また服用を始めたお薬のお話をしてもいいですね。

その時の気分次第で、タイトルが決まるので、違った内容の記事になるかもしれませんが。

 

今日は、最近、日に数度襲ってくる疲労感を、横になることなく乗り越えましょう。

そして、一日元気に暮らし、充実度せめて85くらいになるように頑張ります。

 

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徒然なるままに~何だか愚痴のオンパレード

2018-01-23 07:37:10 | 暮らし

いよいよ書く記事の話題に事欠いてきた私。

こういう状況に陥ると、ブログ綴りがストレスになってきます。

そして弱気に。

長い時間をかけて文章を書く日々に、疑問を感じてしまって。

苦手意識は相変らずですから。

 

ブログを辞めると、朝から家事に専念でき、自由時間がいっぱいできるでしょう。

その時間を、友人達への手紙やメールに当てることもできるし。

家事と仕事の両立で大変な娘達に、もっと協力して上げられそうです。

等々、色々なことを思って、心が揺れます。

 

このような迷いは、周期的に必ず訪れ、わが心を悩まします。

でもその度に、その悩みを何とかクリアし、時々お休みを入れながらも、6年間以上。ブログを書き続けてこられました。

拙いブログにもかかわらず、多くの方々が閲覧下さっていることも、継続できる原動力になっています。

改めてお礼を申し上げます。

 

ごめんなさい。
前々回、載せた同じ画像です。

 

載せる画像も、いよいよなくなり、もう一つのストレスに。

近くの里山風の公園にまで出かけ、写真を撮りたいところですが、冬は寒さに負けて、その気力がわいてきません。

週末もいれると、週に三回、次女宅に出かけ、整骨院の施術も受けている私です。

その時に、日常品の買い物は済ませます。

それでもう、外出は十分な私。

 

でも先日、久しぶりにデパートまで足を運びました。

一番の目的は、いつもと同様に、デパートでしか求められない化粧品を買うため。

もう一つは、草花の購入。

両方合わせると、5万以上の支出。

培養土や肥料も買ったため、ガーデニングにも、一万五千円もかかりました。

遺族年金暮らしにとっては、ガーデニングはかなり贅沢な趣味ですが、体力が続く限りは止められそうにありません。

私の心の安らぎと潤いに、一番貢献してくれていますから。

 

 

化粧品の年間経費は、もっともっと高くて、妹とも、いつも愚痴の言い合いですが・・・・・・。

これも気休めかもしれないけれど、いつまでも若くありたい願望を多少でも叶えてくれていると思うと、一人暮らしになってからも、質を落とせなくて。

最近節約対策として、価格にかなり差のある栄養クリームを二つ買い、夜と朝で使い分けるように。

化粧水は、同じメーカーのもっと安いものにしました。

 

昨日は美容院にも。

私が利用しているのは、都内では一番大手のTAYAです。

妹も同じお店で、この支払の高い事も、二人でよく交わす愚痴の一つ。

 

今月は、出費がとても多くて、毎日こわごわと家計簿とにらめっこ。

でも予算の範囲内で何とか収まりそうで、ほっとしています。

孫たちのお年玉は、昨年の12月の支出にしましたから。

 

貯金は切り崩さない暮らしをすること。

ささやかでも、貯蓄は継続すること。

この目標を、今年も去年と同様にやり遂げられるように、頑張ろうと思います。

 

先日のお出かけでは、お花を選ぶのに時間がかかってしまい、新しい年に当たって買おうと思ったささやかな記念品は、次回までお預けに。

楽しみが先に延びて良かったかしら。

 

高級な栄養クリームと普通のクリーム
節約するために、朝晩交互に使用するようにしました。

 

今日は徒然なるままのブログ書き。

体調は今一つ。

恐らく寒さストレスが原因かもしれませんね。

一人暮らしになって二年が過ぎると、頑張らなければとのどこか張りつめていた気持ちが、緩んでしまう頃。

自己管理が、結構大変です。

尽くす人がいなくなった生活は、気楽かもしれないけれど、気力の充実を維持するのは大変。

弱い自分に負けてしまいそうです。

 

少しでも元気に明るく暮らせるように、心映えのする日々を送りたい、と家計簿同様に、計画ノートとも、日々にらめっこ。

暮らし方にも迷いがいろいろ出てきて、手さぐり状態です。

そのために、良いリズムが取れなくて、体調にも影響していそう。

 

今日のブログ記事は、愚痴のオンパレードですね。

愚痴はめったに言わない私ですが、こんな日も時にはあります。(笑)

愚痴を吐き出してしまったので、今日は心機一転、素敵な日々になるように精一杯心がけることに致します。

 

投稿日の今朝は、外は純白の銀世界。
次女宅に行く日だけれど、婿に、
「転んだら大変ですよ!出かけるのは、とんでもないですよ」と言って、笑われてしまいました。
受験が目前なので、この肉じゃがとおやつをもって、行きたいところですが。

 

昨日は、入院中の義弟のお見舞いに行く予定だったのですが、午後から雪との予報なので、取りやめになりました。

妹夫婦に会えるのを楽しみにしていたので、とても残念ですが。

義弟は、日一日と元気を回復。

心配は何も要らないようです。

詳しい事は、そのうちに妹がご報告するでしょうから、私は書くのを控えます。

 

今日の記事は、徒然も、徒然!

その典型のような内容で、まとまりが何もなく、気持ちを発散しただけとなりました。

失礼お許しください。

 

少々疲労気味なので.ブログ綴りをしばらくお休みしようかどうか、迷い中です。

もし更新がしばらくなかった場合は、そのように私が決めたと思ってくださいね。

 

お出かけの方は、転ばないように足元にくれぐれもお気を付けて

雪道は、歩幅を小さくして歩くといいようですよ。

今日も、素敵な日となられますように♪

 

1月21日朝からの記述

 

 

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私の子育て~動機付け

2018-01-21 07:02:09 | 家族

私が子育てで一番大切にした言葉に、「動機付け」があります。

大学三年生の時だったでしょうか。

受講した児童心理学の講義で、教わったものです。

講義の内容はすっかり忘れてしまいましたが、この言葉だけは、私の胸に深く刻まれました。

 

「子育て大切なことは、動機付けです」

 

教授(助教授でいらしたかもしれません)のお名前は深田先生。

お顔はむろん、語り口、声まで今も、よく思い出せます。

 

私は、この言葉を大切に胸に秘め、大学を卒業した秋に、結婚しました

そして、母親になった時、その教えを実践するように、できるだけ心がけたのです。

「~しなさ」と命令するのではなく、何故そうしなければならないか。

その理由を、子供たちが幼い時から、できるだけ説明するようにしました。

 

母には、

「あなたのの子供への語りかけは、少しくどい」

なんて、良く注意されましたけれどね。(笑)

でも、私の信念は揺るぎませんでした。

 

次女宅のお花

 

勉強を頑張りなさい、お友達と仲良く元気に遊びなさい。

その一つ一つが何故大切かを、丁寧によく話したものです。

勉強に関しては、私は反省がいっぱいある親でした。

ですから、同じ後悔をしないように話して聞かせました。

ですから、とても説得力があったのではないかと思います。(笑)

 

頑張らなければならない理由が、子供の心にしっかりと根付くとと、親がいろいろ注意しなくても、子供は、自主的に励むようになりますから。

私は、就学前のまだ幼い時から、お勉強の大切さを教えていました。

けれど実際は、アメリカ在住時も、帰国後も、日が暮れるまで遊んでばかりいましたけれどね。

でも、授業中や、折々の要では頑張っていたようです。

 

長女が帰国後、中学受験を目指した時も、5時の下校ベルが鳴るまで校庭でお友達と遊ぶ毎日でした。

六年生ともなると、塾通いで、早く帰宅する子が、当時も多かったのでしょう。

担任の先生の目には我が子の姿が、とても印象的に映られたようです。。

親との面談の際に感心したように、その事を話されました。

 

親の私は早めに夕食の準備は済ませ、5時を過ぎると、おやつの用意もして、Mちゃんの帰宅を今か今かと、待ち構えていました。(笑)

心残りなく遊んだ後だったからでしょう。

その後は、Mちゃんは集中して、とてもよく受験勉強に励んでくれました。

 

一昨日こしらえた大人向けの本格的なナポリタン
ケチャップ、トマトソース、ワインを使用しています。

 

 

その受験勉強を始めたのが、米国から戻った六月の初め頃。

正確にいうなら、夫の帰国が決まった春頃からです。

長女の中学受験勉強のの動機付けに成功し、教材が曲がりなりにも揃った時から、その勉強がスタートしました。

母に早速、数冊の分厚い問題集を兼ねた参考書を送ってもらい、解き始めていましたから。

それは、「応用自在」という問題集でした。

 

帰国の辞令が夫に下りるまでは、9時から3時まではアメリカンスクールに通い、4時半から7時までは日本人学校通いの日々でした。

アメリカンスクールは、帰国が決まったため、四月からは通わなくなり、余裕時間が多少持てるようになっていました。

でも親の私は、帰国準備で目が回るように忙しく、Mちゃんの勉強を見るどころではなかったのですけれど。

 

こんなドサクサの多忙な暮らしの中で、私が中学受験の動機づけをいかにしたか、説明させていただきますね。

親友のKさんの一言に、心を動かされたことに因るものでしたが。

余りに、他愛もないやり方で、お話するのが恥ずかしくて仕方ありませんが・・・・・・。

 

このポテトサラダは、シンプルながらとても好評です。
レシピ付き献立で料理ブログに載せますので、宜しければ、是非お試しくださいね。

 

アメリカ暮らしながら、たまたま我が家に有った、日本の週刊誌。

その中の写真を、私はMちゃんの中学受験の動機付けに使用したのです。

合格発表の当日、掲示板に張り出された合格番号を見入る親子たちの群れ。

その写真は、合格が分り、その掲示板の前で抱き合い、歓喜する親子の姿でした。

 

その写真を娘に見せ、言いました。

「日本には、受験という制度があってね。その受験に合格すると、この写真のように親子で抱き合って喜んだりするの。

この喜びを味わうためには、かなり一生懸命、勉強しないといけないのよ」

「Mちゃん、中学受験したい?」

 すると、意外にも、その場で、「したい1」と言って、大きく頷いたMちゃんでした。

 

私は、東京で既に過熱していた中学受験の状況を、全く知る由もなく。

有名塾の名前も同様です。

まだ小学生の娘は尚更のこと。

恐らく受験という言葉すら、初耳だったことでしょう。

 

野菜スープ

 

それがかえって、新鮮で良かったのかもしれません。

親子で合格を喜びあう週刊誌の写真は、私の期待以上に、Mちゃんの心を動かしたのでした。

まずは、受験の現実的なイメージを、Mちゃんに持たせることに成功した私。

 

中学受験の知識は皆無からの親子のスタート。

手探りしながらの受験勉強対策でしたが、御三家の有名進学校に、6ヶ月少々の受験勉強で、無事合格することができました。

 

この成功は、海外にいながらにして、Mちゃんが自分から頑張りたいと思う、「動機付け」に成功したこと。

すべてこれに尽きると、今でも思っています。

 

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私の子育て~娘達の受験

2018-01-19 07:18:26 | 家族

センター試験が終わり、受験生たちは本試験に向け、一層気を引き締め、その準備の勉強に余念がない事でしょう。

確かこの試験の名称が、共通一次試験と言われた時代が、ありましたよね。

本試験は二次、と。

数十年前の事ですが。

この名称だと、とても分りやすいですが、「センター」にはどのような意味があるのでしょうか。

センター試験で、合格が決まることもあると、最近妹に聞き、少々驚いた私でした。

私はいまだに、センター試験と本試験との関連性がまったく理解できていません。

 

偏差値のことも、最近、やっと少し分るようになりました。

近くに住む、次女の孫が塾に通い始め、娘が時々、K君の成績の話しをてくれるようになったからです。

ですから、私の娘達が受験生だった頃は、この数値には、全く無関心でした。

四谷大塚と言う塾の週末テストに、週一回、通うだけでしたから。

塾との関わりは、親の私には全くなくて。

大学受験の時は、本人任せでしたし。

 

次女宅で撮った画像です。

 

但し、勉強に専念できる環境づくりには、とても気を配りましたし。

励ましの言葉も、いろいろかけた覚えがあります。

どちらかといえば、鷹揚な母親で、教育ママではありませんでしたが。

中学入試の受験勉強では、塾の指導はほとんど受けていませんでしたので、教材を選んだり、計画を立てる協力を私は惜しみませんでした。

私も、わかる範囲で、娘達の勉強も見ました。

週一回の家庭教師は、親子共に解けない問題だけ、指導してもらうといった利用の仕方でした。

 

長女も次女も、同様の勉強のやり方で、中学受験に臨みましたが、6年生だった長女が、米国から帰国したのは、6月。

受験までには半年しかないといった特殊な事情がありました。

その上、帰国子女枠ではなく、普通受験を目指しましたから、私もかなり頑張りました。

 

この受験を目指すきっかけとなったのが、私が心から信頼している親友、Kさんの、次の一言だったのです。

「Mちゃんは、~中学が向いていると思うわ。きっと楽しい学校生活が送れるわよ」

夫の帰国が決まって間もない時のことです。

それまでは、私は私立に通わせる気持ちは皆無でした。

区立志向が強い母親だったのです。

 

 

自分が通った学校は、大学の付属で、小学校から高校まで一貫教育。

ある意味、温室育ちの学生生活だった私です。

そのためか、精神的にとても弱いところがあって・・・・・・。

但し、一貫とはいえ、中学からは、屈指の有名な進学校。

受験勉強らしきことはなにもしないで中学生になった私は、その落差に悩み、次第に自信喪失。

かなり暗い中高生活を過ごしてしまいました。

ですから、娘達は逞しく育てたい。

そのためには、家庭環境はさまざまな子供たちのいる学校でもまれ、心の強い子になってほしいと願っていたのです。

 

でも心から敬愛していたKさんの勧めの一言は、私の心を大きく動かしました。

けれど、まだ小学生とはいえ、親が勝手に決めることではない、と思った私。

中学受験をするかどうかは、長女のMちゃんの気持次第。

そのために、私はどんな行動をとったでしょうか。

 

おそらく皆さんは、その時、私が思い付いたことを知って、お笑いになることでしょう。

それほどに、他愛なくも、ユニークなことなんです。

このことについては、次回で述べることに致しますね。

 

 

思わぬ方向に文章が流れてしまいました。

本当は、次女のセンター試験におけるとんでもないケアレスミスについて、語るつもりだったのですが。

 

センター試験の昼休みに、泣きじゃくりながら電話を私のもとにかけてきた時の、私の驚き。

全部問題を解き終わったつもりだったのに、解答欄の枠が数個残ってしまったからです。

どこかで、記入する回答枠を間違えたのでしょう。

それに気が付いた時のMちゃんのショック。

それは、顔が青ざめてしまうほどのことだったに違いありません。 

 

センター試験終了後しばらくは、立ち直れないほどに、Mちゃんが辛い精神状態だったこと。

その後は、記述重視の国立から、私立大学対策向けの勉強に切り替えたこと。

けれど、無事に目指す第一志望の国立大学に合格できたこと。

このようなことを綴るつもりでしたが、内容を突然変更してしまった私です。

 

帰国子女ながら、その後の受験は、実に順調だった娘達の事。

手前みその話になって、自慢話のようにに受け取られてしまうかもしれません。

それは、私の本意ではなく、誤解が心配でした。

 

 

事実、一昨日妹のコメント欄に、誤解甚だしい中傷めいたコメントが入り、びっくりしてした私です。

先程も触れましたように、センター試験の事は、私はまったくの無知です。

コメントをいただく前に、この文章の下書きは終えていました。

この制度の云々について語るつもりなど、私には毛頭ありませんでした。

 

次女が、センター試験でどんな失敗をしたか。

その失敗からのショックを、どのようにして乗り越えたか。

そのことを具体的に少し詳しく語るだけのつもりでした。

 

この話題に触れた過去記事では、その大学で教鞭をとっていた叔父の話も紹介したはずです。

センター試験の結果は、その大学はほとんど関係ない。

本試験の結果が重要視される、といったことも。

 

受験生を惑わすような事は、私は何もしていないと思うのですが。

かなり皮肉たっぷりの辛らつな言葉で、少々身に応えましたが、私の本意を、何卒ご理解下さいませ。

 

何だか変なコメントに出遭い、子育てについて書く気持ちがしぼんでしまいました。

「娘達の受験~私の子育て」の連続タイトルで、しばらく更新を続けたかったのですが。

またいつか機会があれば、お話させていただきますね。

 

海外にまだ在住していた長女に対して、私が中学受験の動機づけを如何ににしたか。

この話題だけ、次回では触れ、終わりにしようと思います。

その方法が、なかなか面白い発想でしたから・・・・・・。

皆さん、お楽しみに。

 

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センター試験への私の徒然なる思い~追記あり

2018-01-17 07:15:06 | ブログ

センター試験が終わりましたね。

私の住む地域は、厳しい寒さながら、お天気にはとても恵まれました。

一方、豪雪地帯の学生さんたちは、さぞ大変でいらしたことでしょう。

数日前のニュースで、新潟が例年の十倍の雪と報道されていて、大変驚いた私です。

雪には慣れていらっしゃるとはいえ、試験場に通う学生さんたちのご苦労、親御さんたちの心配を思わないではいられませんでした。

孫のR君も、ベストを尽くせたでしょうか。

 

私のブログには、もう数年前までの事ですが、今のシーズンになると、興味深い事が起こりました。

昨日、gooブログの解析のページを久し振りに覗いたところ、そのような検索の跡は全く見られませんでしたが。

 

一時期、センター試験のシーズンがおとずれると、私が綴った次女の失敗談の記事が、過去の物にもかかわらず、閲覧する方がおられるのが分ったのです。

 

 ブログに載せる写真も、新しい画像切れ寸前。
またK君の部屋の画像をアップします。
大学受験勉強をする頃のK君を想像しながら・・・・・。

 

試験を目前にした学生さん達が、検索で、私のブログ記事のタイトルに出合い、興味を惹かれ、参考までにと、読んで下さったのかもしれません。

それを読み、娘の失敗の轍を二度と踏まないように、一層注意を払って下さったのでしょうか。

 

拙い記事でも、世の中の役に多少でも立てば、書き甲斐があり、ブロガーの喜びにもなるのでしょうが。

私の記事は、プライベート色の強い個人日記に過ぎません。

普遍的な高尚な話題を取り上げるのは、どちらかと言えば苦手。

暮らし方の知恵のような役に立つ、情報発信も。同様。

研究熱心ではありませんから。

 

でもその様な話題を取り上げた記事を読むのは、嫌いでは全くありません。

頷きながら拝読し、心に刻み付けることも、よくあります。

  

センター試験の私のの過去記事も、ほんの一握りの受験生たちの目に留まり、多少は役立てて頂けたと思いましょう。

そう思うなら、今から、再度綴ろうとしている記事も、センター試験が始まる前に、投稿すべきでした。

今更、もう遅すぎる反省ですが。

この試験における次女の失敗談を、これから再度書くつもりです。

 

次女宅の点景

 

けれど、今日は一旦、ここで打ち切りに・・・・・・。

ブログ綴りに、少々また疲れてきた私。

息切れ寸前です。

文章も長いですから。

 

文をもう少し短くするように心がけたいのですが・・・・・・。

そうすれば、ブログ綴りの負担が、もっと軽くなることでしょう。

けれど、私のブログには、その変化が一向に見られない。。

 

含蓄のある文章を書いて、間を大切にする。

余韻を残す。

けれど、独りよがりではなく、具体性もあり、読む人が分りやすい。

 

こんな文章が書けないかな~。

でも私には、絶対無理そうです。

 

いつも長文ですのに、私の拙いブログに日々目を通して下さる皆様に、改めてお礼を申し上げます。

 

追記

マイページが閉じられていて、昨日はPing送信をするのを諦めてしまいました。

そのため、今朝させて頂きます。

ところが妹はじめ、他の方のブログを見ると、タイトルが、昨日の午前中から、ブログ村のランキング上にあり、不思議に感じ、妹に尋ねました。

そして初めて、自分がPing送信しなくても、、ある程度時間が経過すると、自動的ににほんブログ村へ送る方法があることを知りました。

私と同様に、ご存じない方は、その設定をされては如何でしょう。

自分のブログの設定画面にあるようです。

まだ設定していないので、ここにその方法を詳しく書けません事、お詫びします。

今見ると、昨日の日付で載っていました。

何故?頭が混乱(笑)

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孫達の受験

2018-01-14 07:13:10 | 

ブログに書くべきかどうか、かなり迷いましたが、思い切って話題として取り上げることにします。

今までも、記事の中で全く触れなかったわけではありませんが。

実は、私には、今、受験目前の孫が二人います。

目前どころか、今日からセンター試験が始まりますね。

 

センター試験と言えば、次女にまつわる今も忘れられない事があります。

その出来事は、とてもショッキングなことでした。

センター試験の日には、必ずその思い出が、私の脳裏に蘇えります。

このことについては、次回の記事ででも、再度触れることに致しますね。

今は、長女の子がそのセンター試験を受ける年齢に。

歳月の流れを改めて思います。

 

長女のMちゃんが大学受験の勉強に励んだ学習机

 

私が特別目をかけた初孫のR君は、大学受験。

次女のところの孫息子K君は、中学受験です。

 

さて、今後の合否の結果が心配でならないところですが、大学受験のR君は、浪人が確実のよう。

中学受験は、無事、超難関の進学校に入学できたものの、スタートからつまずき、自信喪失甚だしいR君の姿を、ずっと観てきた私です。

けれど、祖母にできることは何もなくて、ただそっと遠くから見守るだけ。

自らの体験を語り、親には時々助言を与えてきましたが、教育観は世代の相違で、同じとは言えません。

 

パパも認めるように、頭はとても賢いのに、学習意欲が、受験目前になっても、本気になれないR君です。

思い当たる原因は、いろいろありそう。

 

一昨日、今日の記事用に撮った、次女家の孫息子、R君の部屋です。

 

専業主婦だった私と違い、娘達は二人とも、朝早くから、時には夜遅くまで働くキャリアウーマン。

女性ながら、二人とも管理職の身。

国内外の出張もあり、家を留守にすることもしばしばです。

そのため、私が行ってきたような、きめ細やかな子育てができないのは、止むを得ない事でしょう。

 

そのうえ、長女は、お婿さんの家事協力がほとんど望めませんから。

その点は次女の方が恵まれています。

お婿さんは,主夫ができるほど、家事にも育児にも協力的。

子育ても、とても上手です。

 

山のような塾のドリル帳
娘達が中学受験の時は、間違った問題をしらみつぶしに反復し、できない問題をなくすように、
徹底的に心がけたものでした。
塾は週末、四谷大塚に、一回通うだけでしたが。
週に一回、家庭教師の指導を受けました。

 

それなら、次女家の長男のK君は、第一志望合格は確実でしょうと言われれば、そんなこと全くありません。

試験は水物のところがあるので、万が一の吉報もあり得るでしょうけれど・・・・・。

期待感は。その程度。

 

昨日、一校、合格しました。

試験会場に慣れるためだけに受験した学校です。

吉報が入った午後の三時半頃、私は傍にいました。

とても嬉しそうだったK君。

喜びに輝く純真な笑顔が本当に可愛いです。

このお試し受験。

今では、受験生の多くが当たり前にすることのようです。

 

かれんちゃんの学習机も、ついでに掲載。
孫の中ではかれんちゃんが、もしかすると一番優秀では?

 

K君は、いつも明るくて元気いっぱい。

区立の学校の成績は、とても優秀なようです。

けれど、大手有名塾では、その程度の学力では、トップクラスには、なかなか入れません。

組み分けテストでそのクラスになったのは、一回限り。

入塾したのも遅く、確か5年生の秋からでした。

六年生の夏まで、土日は野球の練習に明け暮れていたK君です。

 

塾の成績は、超難関の学校を目指すには、もう一頑張りと言ったところですが。

でもK君は、5年生の時は運動会の司会、6年生の時は開会の挨拶を述べるほどにリーダーシップもあります。

小学生ながら、人間力も備えていて、今のところ、心配なことは何もありません。

 

超難関校に合格し、自信を失うより、中堅の学校に入って、今の長所をますます伸ばし、学生生活を思い切り愉しむ。

その方が、もしかすると、ベストの道かもしれません

長女が、R君を難関の学校に入学させたのが間違いだったとの反省の弁を聞くにつけ、益々そのようにも思えてきます。

 

 

長女家のR君の事は、焦らず、温かくも見守っていくことが賢明でしょう。

娘に、最近、私は言いました。

思春期の子供は、親より友人の影響を一番よく受けるときだから、その点に注意を払いなさいね、と。

近所に、お互いの家で寝泊まりするほど、親しい友人がR君にはいました。

とても優秀なお子さんで、その人は麻布中学に入学。

母親同士も、とても親しかったのですが、息子さんが中学生になられた翌年だったでしょうか。

突然、出先でお亡くなりになりました。

 

私にも信じられないような出来事でしたが、それ以来、学校も異なったため、友人関係も次第に疎遠になっていったようです。

家はすぐ近く。

そのお友達との交友関係も元に戻るといいのですけれどね~。

そしてR君が、目を輝かして、生き生き活動する日が来ることを、心から願って止まない祖母です。

 

受験が終わったら、R君とK君に声をかけ、雰囲気のいいレストランでの美味しい食事をご馳走してあげたいなぁ~。

R君とK君は、私の大切な大切な、永遠の恋人です。(笑)

1月13日朝の記述

 

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私は時間泥棒

2018-01-12 07:00:50 | 暮らし

時間泥棒と言う言葉がありますが・・・・・・。

私は、自分自身が、自らの暮らしの時間泥棒の張本人だ、と痛感する日々です。

そう思い、しょっちゅう反省はするのですが・・・・・・。

長年、極端にいえば子供のころから身についてしまったスローテンポの動作は、そう簡単には改められません。

妹と比べると、それは一目瞭然。

妹の動作の早い事、早い事

私の目には、時にがさつに映ることもありますけれどね。

そのスピードも、年を重ねた今、一時ほどの勢いは感じられなくなってきたようにも。

歩き方もそう。

一緒に旅行に出かけ、スタート地点は同じなのに、みるみる妹が遠のいていくような状況にも、度々なります。

 

 

妹と、去年箱根旅行をした時の写真です。
妹に遅れないように、一生懸命歩きましたが。
脚の病で、今年はもうそんなに歩くのは無理そう。

 

でもこのスピード感は、羨ましくもあり、真似たいことの一つ。

妹の長所だと思っています。

このせいで、妹は時間の使用効率を、最大限に上げられていることでしょう。

それに比べ、動作の遅い私はどうでしょうか。

自分で自らの時間泥棒を繰り返し、その使い方の効率は、最低かもしれません

 

毎日計画ノートとタイマーを傍に置き、暮らしの充実を図りたいと、一生懸命努力をしているのに、予定はどんどんずれ込んでしまう。

目標の半分もかなえられない日がよくあります。

 

新年用に買った新しい計画ノート

 

そうだ! 時間泥棒をするのは、今年はもう絶対やめよう。

昨日、新年にあたって、激しく猛省。

今の二倍の速さで家事を行えば、同じことに臨んでも、二分の一の時間でできるはず。

そうすれば、今の倍の余裕時間が生まれる計算に。

 

家事のみならずデスクワークでも、読書を始め、やりたいことが私には山ほどあります。

「退屈」と言う言葉は、私にとっては死語。

日々、時間欠乏症にかかり、悩んでばかりいます。

 

この解決は、私の場合、簡単!。

動作を今の二倍に速めれば、時間のゆとりが十分生まれてくるはず。

しみじみ、そう思いました。

今年は、家事その他諸々の事すべて、スピードを上げる事を、モットーの一つにしましょう。

 

私が愛用している無印のタイマー

 

この効果は、時間にゆとりが生まれるだけではありません。

動作をきびきびとし早めると、体内の血液の循環がよくなり、元気が湧き、体調がよくなります。

これは、私が度々実感し、実証済みの事。

 

さらに冬のシーズンですと、暖房費の節約にもなります。

早い動作で、体が自然に温まり、寒さが身にあまり応えなくなりますから。

今すぐには思い付かないけれど、他にもいろいろメリットがありそう。

 

けれど忘れてはならないのは、そのスピードある動作を、いかに美しく優雅に振る舞うか。

なかなか難しい事かもしれないけれど、その意識は忘れたくありません。

と、恰好を付けた文章を書きましたが・・・・・・。

実際はそんな心掛けをして暮らしてなんていません。

これは、飽くまで理想です。

悪しからず。

 

ブログに綴ることで、上に書いたいくつかの目標が、一層心に刻まれました。

今年こそは、頑張ります。

 

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年末年始のささやかな買い物~私の予算生活

2018-01-10 07:11:54 | 暮らし

年末になると、新しい年を迎えるに当たって、何か真新しいものを一つ二つ、買いたくなる私ですが。

昨年末も、私は週二回、下校後、塾に通う孫のおやつ準備のために次女宅に行き、さらに整骨院にも通っていました。

そのため、なんだか忙しく、ゆっくりお買い物をする時間のゆとりが持てなくて、購入したのは、新年用の必需品だけ。

その楽しみが年明けまで持ち越しとなり、それはそれで、嬉しいことのようにも、今は思えます。

 

けれど、さて何を買いましょう。

断捨離を意識して暮らす今、無駄になるようなものは、もう一切買いたくない私。

バカラの小型グラスを毎年2個ずつでも買い集めたくて、数年前からデパートに行くと、売り場でよく眺めてている私です。

でも今の身には、少々贅沢品かしら、と思い、買う勇気がなかなか湧いてきません。

プレートでも、とても気に入ったものが一つあります。

けれど、結局、もっと実用的なものばかり、私は買ってしまいます。

 

一昨年の年の瀬に購入したのは、お正月用品と普段用の急須、お菓子用の楊枝、木製のスプーン。

他に何を買ったかしら?

何とささやかな買い物だったことでしょう。(笑)

 

 

昨年の年末に購入したものも、似た感じ。

必需品ばかりでした。

お正月用品、家計簿、当座帳、カレンダー、計画ノート五冊。

それにちょっと買って嬉しかった、一人ご飯用の土鍋。

 

 

そういえば、秋口にドーンと大きな買い物を一つしてしまいました。

私の一番お気に入りのブランド店で、秋口から冬に着用できるお出かけ用のワンピースです。

 

夫を失い、明けた翌年の初めの頃の事。

まだ悲しさばかりが募り、私は立ち直れないでいました。

もっとおしゃれをして気持ちを入れ替えなくては、と突如思い立ち、春用の洋服を同じお店で二枚も購入。

そのせいで、もともとすでに赤字だった年間予算の衣類費の赤字額が一気に膨らみました。

その後の二年間は、毎月のクリニング代を差し引いた衣類費すべてを、その赤字の埋め合わせに当ててきました。

この間、購入したのは、下着とストッキング類、脊柱間狭窄症になった時に買った靴ぐらい。

昨年の年末、その赤字がついにほとんど埋まったのです。

 

赤字解消の暁が目前の頃、購入したのが、秋口から冬着用できる新しいワンピース。

このために、また一気に衣類費は赤字。(笑)

私の計算では、七か月で埋められる予定です。

上質のものを買って、長く着る。

これが私の衣類計画のスタンスなので、これからも赤字の繰り返しになりそう。

家計が潤っている頃は、赤字にならなくて何とか済んだのですけれど。

 

 

このように私の暮らしは、予算生活が徹底しています。

この堅実な暮らし方ができるようになったのは、すべて羽仁もと子案の家計簿のお蔭。

この家計簿のお世話になる前は、大学ノートに自己流の収支の記帳をしていました。

30数年、家計簿の記帳を一度も怠ったことが、私はありません。

 

それなのに、魔がさしたかのように一時期、株式投資にはまり、大損失。

いくら悔やんでも、悔やみきれませんが・・・・・・。

今はいい人生勉強、社会勉強になった、と思うようにしています。

巨額の授業料を支払うこととなりましたが 。

 

 

昨年は、予定額より、十数万多く貯蓄ができたので、それは今年の余裕費に回すつもりでいます。

遺族年金だけでは、貯蓄なんて、とてもとても無理でしたが。

幸いにも、私は、生前の夫のアメリカ年金が八割方いただけるといった幸運に恵まれました。

本当に思いがけない事でしたが。

妹は、ほとんど同時期に、ドイツに滞在していましたが、ドイツにはそのような遺族年金制度はないようです。

他にも多少手当てがあるため、その幾らかが貯蓄に回せます。

 

 

予算生活を徹底している私ですが、今年は大きな出費がありそうです。

一階のカーテンを総入れ替えすること。

白アリ予防の散布も、そろそろしないといけない年ですが、これは来年に回しましょう。

今と同様のギャザーたっぷりのカーテンやデザインカーテンを依頼するとなると、私の年間の娯楽費は、ほとんど吹っ飛んでしまいますが。

足を痛めてしまった今、屋内の充実を図る方針に替えるのは、賢い対応かもしれません。

 

遺族年金の収入のみとなった今、カーテンとシロアリ、両方とも叶えるのは、貯蓄を切り崩さない限り、もう無理。

けれど、私のモットーは、収入の範囲内で、身の丈に合った暮らしをする事。

その目標が、心と暮らしの張り合いに、今はなっていますから。

 

二年前、北側の洗面所のカーテンを、腫物を触るように、そっと手で押し洗いしたのですが、
まるで溶けるが如く、破れてしまいました。
それ以来、カーテンのお洗濯は厳禁。
二階は、夫が亡くなる前すでに打ち合わせ中でしたので、その翌年、取り替えています。

 

今後も、予算生活の範囲内で慎ましく暮らせば、経済的不安は抱かなくてすみそうです。

風水害に因る被害損失は、保険で賄えるように、しっかり備えもしてありますから。

 

改めて、羽仁もと子さんの家計簿に感謝、感謝です。

 

そういえば、新年用に買った書物が二冊ありました。
妹曰く。ツバキ文具店は、私にピッタリの本だそうです。(笑)

 

さて、今年は新年記念のささやかな買い物は何にしましょう。

デパートに行くのが今から楽しみ。

優柔不断な私は、ささやかでも、なかなか決められそうにありません

遺族年金になってから、買い物は益々慎重になりました。

 

年金暮らしは、決して楽ではありませんが・・・・・・。

だからこそ、最大限にお金を生かした使い道を考え、、心豊かな充実し余生を送りたい、と心から願っています。

1月9日朝の記述

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信じられないような出来事~義弟の骨折

2018-01-08 07:10:37 | 家族

昨日、妹の花水木が更新した記事を読み、義弟のAさんが被った怪我の重大さを改めて認識。

本当に驚きました。

http://blog.goo.ne.jp/yumeji_2014

電話で、その怪我の様子のおよそは、連絡を受けていましたが。

お互いに年末年始は忙しく、いつものように頻繁に電話はかけられなくて、詳細までは聞いていませんでした。

妹あての年賀状にも、とても心配している旨、記しましたが。

 

アウトドア派で、行動的。

登山が大好きでスポーツマン。

そんな人柄のAさんのこと。

身動きがほとんどとれない屋内の数か月の暮らしが、どんなに苦痛で、ストレスが溜まることか。

その苦労は想像して余るものがあり、本当にお気の毒としか言いようがありません。

 

今日の記事にふさわしくない画像かな、と思ったけれど。
わが家のお正月花を見て、元気を出してね!

 

妹が、ボケてしまうのでは、と記事に冗談ぽく書いていましたが、それはないですよ。(笑)

頭がとても賢いAさんの事。

そのうえ、音楽鑑賞と言った、インドアの趣味もお持ちだから。

私だったら、十分あり得ることだけれど。(笑)

 

それに、とても温厚な性格ですものね~。

亡き夫と同様に、子供たちを叱ったことは一度もないのでは。

ですから、ストレスが溜まって、妹にあたり散らすような事もされないでしょう。

 

元気な元の体になるまでは、Aちゃんもお世話が大変でしょうが、大切な大切な旦那さまですものね。

これまでの御恩返しをするつもりで、精いっぱい面倒をみてあげて下さい。

 

私の整骨院の先生に尋ねても、厄介な骨折で、リハビリに相当時間がかかるとおっしゃっていました。

でもおそらく夏頃には、すっかり回復し、予定の海外旅行も楽しめますよ。

それを目標に、Aさんも、十分療養して、リハビリ頑張ってください。

 

私がお花屋さんで求め、適当にアレンジしたお正月花です。

 

お正月用の豊富な食材も、そろそろ無くなってきたころでしょうから。

そのうち、Aさんの好物でも、お見舞いに送りますね。

 

エスカレータと言えば、過去の新聞でも、思いがけない事故記事を目にして、びっくりする事が度々ありました。

私達は、注意をほとんど払うことなく乗っている乗り物ですけれど。

時々、恐ろしく長いエスカレータで下るとき、谷底を見るような怖さを、一瞬覚えます。

高所恐怖症の気がある私だから、一層、そう感じるのでしょう。

高齢者は特に気を付けなければならない乗り物だと、義弟の事故で改めて思いました。

 

実は身近な事故は、Aさんだけではありません。

数か月前、私が記事の中で触れた友人のNさん。

私の紹介で、それはそれは美しいピアニストのお嬢様が、長女婿の弟さんのもとに、嫁がれた話をしたことがありますが。

そのNさんが、一昨年の暮れ、デパートのエスカレータで信じられないような事故に遭われたのです。

エスカレータに足を踏み入れた途端、強度の目眩に襲われ、そのまま体が宙に浮いたような状態になり、階下のフロアーに転落。

 

私にはとても信じられないようなお話でしたが、本当の事。

宙に浮いたままだと、落下の衝撃はすごいものだったでしょうに。

奇跡的に、命は助かり、数週間の入院ですっかりお元気になられたようでした。

 

 

左の鶴屋吉信の年始用の羊羹は、Nさんから年末に戴いたお菓子折りの一部です。
右の大福茶は長女のNちゃんから。

 

私も夫を介護しているころ、駅前のスクランブル交差点で、強度の目眩に見舞われ、倒れ込み、救急車のお世話になったことがあります。

平地だったから良かったものの、エスカレーや階段上で、このような目眩に襲われたなら・・・・・・。

とても不安になります

 

階段と言えば、同居している母が、わが家のポーチの階段の上から下まで転落したこともありました。

私が玄関ドアの施錠をしている最中の事。

母の傍にいた娘達が一瞬目を離した時のことです。

けれど、奇跡的に母は、怪我一つ負わなくて、助かりました。

季節は真冬の事でしたから。

厚手のオーバーが、身を守ってくれたようでした。

 

家事の合間に、前の画像のお茶とお菓子で一服
ブログ用に気取って。(笑)
すべて、私が好きな、今右衛門の茶器です。 

 

Aさんの事故の他にも、身近な転落事故を知っている私。

高齢者は、特に注意して行動をしなければならないことを、改めて思い知らされます。

 

私は、最近は手すりを必ず使用するように心がけていますが、ちょっと気持ちが悪い感情は否めません。

インフレエンザ流行期は、特にそう。

けれど最近は、抗菌手すりも多く見かけるようになってきました。

 

団塊世代が、高齢者になる2025年問題がささやかれている昨今ですが・・・・・・。

そのころまでには、バリアフリーがもっと徹底し、事故が多発しないような住みやすい世の中になっていてほしいものです。

 

皆さまも、くれぐれもお気を付けになってくださいね。

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わが家のお節料理

2018-01-06 06:29:31 | 家族

今日は、わが家のおせち料理の画像を載せながら、このお料理への私の思いや想い出を語りたいと思います。

おせち料理を最初にこしらえ、いただいたのは、10月15日に結婚し、迎えた翌年のお正月でした。

母から手渡されたNHkの「今日の料理」のテキストを見ながらです。

分らないことは母に何度も何度も遠距離電話をかけ、教えてもらいながら作り上げたのですが。

風邪気味の熱のある体を押し、無理して作ったので、そのあとはダウン。

新婚最初の新年は、ずっと寝正月だったことを、懐かしく今でも思い出します。

 

 

住まいは大阪の千里山。

買い出しに出かけた駅前の商店街の年末の雑踏の雰囲気さえ、新婚時代だったせいか、いまでも鮮明に思い出します。

夫のことを、大将!大将!と呼ぶ、大阪人の物言いが、耳新しくて。

大将と言う響きは、夫のYさんにはまったく似つかわしくありませんでしたけれどね。

貴公子然とした雰囲気の人でしたから。おのろけ。(笑)

亡くなった夫のことゆえ、許してください。

 

 

閑静な住宅地を抜けると、私達が済む2DKのアパートが、やはり立派な住まいの裏にありました。

社宅にはすぐは入れませんでしたから。

夫は就職してまだ二年経過したばかりの時。

義父が、しばらく毎月家賃を送ってくれていました。

 

 

その大阪在住の新婚時代から、おせち料理を、今日に至るまでずっと作り続けてきた私です。

けれど一度だけ、残念ながらお休みしたことがありました。

60代に入った年ではなかったでしょうか。

クリスマス前、過労でダウン。

即入院の事態となり、年末に退院。

迎えた新しい年は、長女宅のマンションで、寝たり起きたりの生活を二週間くらい続ける羽目になりました。

 

それを除けば、お節作りを欠かしたことは一度も私はありません。

多少の変化はあるものの、お重の中身も、数十年間、ほとんど変わらないわが家のお節です。

 

 

子供たちが結婚するまでは、そのお節をすべて私が一人でこしらえていたなんて、今では、信じられないような事。

年を多く重ね、動作ものろくなってしまいました。

今年、私が作ったのは、おなま酢の類とお煮しめ、里芋の白煮,鶏の野菜巻きくらい。

後はすべて娘達が、会社がお休みに入ってからこしらえてくれました。

 

 

わが家のお節作りの伝統は、しっかり娘達に受け継がれています。

それは、母親の冥利に尽きるような、嬉しい事の一つです。

 

 

昨年の年末の頃だったでしょうか。

次女のMちゃんとそのお節を詰めるお重箱の話題で盛り上がったことがあります。

わが家には、実家の遺品の大変高価な輪島塗のお屠蘇器があるのですが。

それに比べ、お重箱は少々貧相。

 

去年の画像です

 

以前、二人でお金を出し合って、お屠蘇器に釣り合う、もっと上等なお重箱を買いましょうよ、と言いあった事がありました。

そして昨年の暮、次女はとても惹かれるお重箱に三越デパートの食器売り場で出逢ったのでしたが・・・・・・。

正札の価格は、何と何と、500万円台!

Mちゃんが大きな目をますます見開き、びっくりした様子が想像できて、私は可笑しくなりました。

そんなお重箱を購入する方も、この世の中にはいらっしゃるのでしょうね~。

わが家のお節をそこに詰めたなら、恐縮して消え入ってしまうことでしょう。(笑)

 

 

おせち料理は年神様に捧げ、家族で楽しむ、というもののようですね。

今日に至るまで、ずっとお節を作り続けてきた我が家は、年神さまを大切にしてきた、と言っていいのでしょうか。

夫の死は別にして、大きな不幸にも遭遇しないで、穏やかな人生を送れたのも、縁起物のお節作ㇼを大切にしてきたからかしら?

 

 

但し、我が家のお節が完成するのは元旦です。

その朝、お重箱に詰めますから。

本当は大晦日に詰めて完成し、年神さまにお供えをする。

そして、年が明けた元旦に、神様からのおさがりを頂くものなのだそうです。

 

私は年神さまに捧げるとの気持ちは抱かないで、お節をこしらえてきました。

ですから年神さまの御利やくを戴けるはずはないのですが・・・・・。

反省や後悔は山ほどあるけれど、波穏やかな良き人生だった、としみじみ思います。

 

 

これからの人生、老いが進むとともに、病など、色々不幸な出来事に見舞われる確率が、毎年高くなっていくでしょうから。

年神さまに、お節もきちんとお供えし、一年の健康と幸福を祈る気持ちを一層強く持ちたいものです。

そして、毎日を、ひと時ひと時を大切に・・・・・。

 

でも、これはあくまで私の理想。

実際は、疲れ易い体を如何に乗り越えて、良いリズムで毎日を暮らすかが、いつも私の日々の課題、

 

家族の幸せを願う縁起物のお節を、今後もずっと作り続けたいものです。

幸いにも、孫たちも大好き。

来年は、今より格段と成長した孫たちと一緒にお節を囲み、元気にお正月を迎える自分をイメージしています。

その時は、後期高齢者の年齢が目前。

お節が作れる健康な体でいられますように、と祈るばかりです。

 

今年も、良き年となられますように。

皆様のご多幸とご健康を心よりお祈り申し上げます。

 

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新しい年を迎えて

2018-01-04 07:00:22 | 家族

謹んで新春のお慶びを申し上げます。

 

皆様お揃いで、清々しいお正月をお過ごしになられましたことでしょう。

本年もどうぞ宜しく願い申し上げます。

 

私の寝室から見た初日の出

 

新しい年の幕が開け、すでに数日が経ちました。

幾つになっても、お正月は嬉しいものですね。

今年も良い年にしたいとの思いが募り、心が凛とした佇まいになります。

 

けれど、この気持ちがすぐ、ふにゃっ!となってしまうのも、毎年の事。

日常の雑事に追われ疲れてしまったり、心配事があったりすると、尚更の当然の成り行きです。

哀しいけれど、これは人間の性(さが)でしょうか。

清々しい気持ちは、いつまでも維持はできません。

 

松下幸之助氏の書物、「道開く」には、下記のような箴言が載っています。

少し長いですが、ご紹介させていただきますね。

タイトルは、「日々是新」です。

 年があらたまれば心も改まる。心が改まればおめでたい。
正月だけがめでたいのではない。心があらたまったとき、それはいつでもおめでたい。
きのうもきょうも。自然の動きには何ら変わりはない。照る陽も、吹く風も、みな同じ。それでも心があらたまれば、見るもの聞くものが、
みな新しい。
年の始めは元旦で、1日の始めは朝起きたとき。年の始めがおめでたければ、朝起きたときも同じである。毎朝、心があらたまれば、毎日が
お正月。あらたまった心には、すべてのものが新しく、すべてのものがおめでたい。
機能は昨日、今日は今日。きのうの苦労をきょうまで持ち越すことはない。「1日の苦労は1日にて足れり」と言うように、きょうはまたきょうのの運命が開ける。きのうの分まで背負っていられない。毎日が新しく、毎日が門出である。
日々是新(ひびこれあらた)なれば、日々是好日。素直で謙虚で、しかも創意工夫に富む人は、毎日が明るく、毎日が元気。
さあ、みんな元気で、新しい日々を迎えよう。

 今年は、こんな気持ちで、是非、毎日を過ごしたいものです。

 

 母の実家のお酒です。

江戸時代から続く造り酒屋で、今は観光ルートになっていると長女夫婦に聞き、びっくり。
年末に、夫婦で訪ねたとのこと。
母は、初孫のMちゃんは溺愛と言っていいほど可愛がりました。
そのお酒を年初の祝い酒にしました。

もうすぐ二十三回忌を迎える母ですが、こんな素晴らしい供養はない事でしょう。

 

実は私は、今年の年末は、日頃心配していたことが、一層大きな不安となって心に膨らみ、切ない気持ちで一杯になりました。

そのまま新年迎えてしまった私ですが、一晩寝ると、心が改まるのは、私の取柄。

とても清々しいお正月の朝を迎えることができました。

けれど午後からのある出来事で、その心配がいっそう現実味を帯びてしまった私です。

 

でもそれは良かった。

母親としての娘の苦労が、一層よく察せられてきましたから。

今後はその苦労を十分に理解して、私も共に、その解決策の道を手探りながら見付けていけたらいいなあ~、と思っています。

 

でも、心配とは言え、私の子供ではありません。

意見はほどほどにしないと、嫌われて敬遠されてしまいそう。

でも聞くだけでもいいから、時には私の助言も聞いてほしい。

そんな気持ちでいます。

時々、メールを送るわね、Mちゃん。

 

 

長女の苦労が心から理解できるようになったせいか、夕食の頃には気持ちがすっかり吹っ切れていました。

祝膳の食卓を囲んで、とてもとても楽しい団欒ののひと時を皆で持つことができました。

 

四人家族の時は、夫はとても無口な人でしたから、割と静かなお正月でしたが、今はそれはそれは賑やか。

お喋りが尽きません。

私には耳新しい話題も多く、興味津々。

でも大晦日の晩は、十時前には入浴を済ませ、さっさと床に就いてしまった私です。。

申し訳ないとは思いつつ、体力が続かないので、仕方ありません。

 

年初早々背が丸い!(笑)

今年の目標の一つは、姿勢を正すです。
私が来ているカシミヤのセーターは夫の遺品です。 

 

この体と上手に付き合い、脊柱管狭窄症の再発を何とか食い止め、素敵な日々紡いでいけるように、今年も精いっぱい心掛けようと思っています。

本年も変わらぬお付き合いの程、何とぞ宜しくお願い申し上げます。

 

次回の記事では、結婚以来、ほとんど内容の変わらない、母から伝授した我が家のおせち料理をご紹介します。

 

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