今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

桜ちゃんの留学が間近

2020-08-31 07:21:46 | 家族

孫娘の留学が間近です。

留学試験に合格したのは半年以上前のこと。

ところが年初からの新型コロナ感染の拡大で、留学が延期。

今に至りました。

私はもう当分無理ではと思っていました。

桜ちゃんに同情を寄せるものの、大学生になってその機会を持てばいいのではないかと。

 

お盆に我が家を訪れた長女から、

「ビザが下り次第、アメリカのホストファミリーのもとへと飛び立つ」と聞き、度肝を抜かれるほど驚きました。

10か月の予定です。

このコロナ禍に留学するなんて、非常識ではと思いましたけれど。

本人も親たちも、できれば高校時代に体験したい、させたい、との思いが強いらしく、その意向通りになりました。

 

留学先はある州の片田舎の街、住民は五千人くらい。

ホストファミリーは、すでにお世話になった留学生の話によると、素晴らしいご家庭のようです。

 

この様なご時世でも、桜ちゃんの学校からは今、5名の学生さんが留学中とか。

桜ちゃんもとても明るくて逞しい性格なので、コロナのことはあまり心配していないらしくて。

アメリカ大使館の面接も無事に通過し、今はビザの発行を待つのみです。

 

 

今朝五時半前の寝室から仰いだ、南東の空の光景。
大空に羽ばたくような桜ちゃんの行動力に、心から拍手を贈りたいです。

 

そしてその壮行会が、週末に長女宅で行われることになりました。

ママのMちゃんの強い要望。

私と次女家族からも桜ちゃんに温かい励ましの言葉をかけてやってほしい、との親心がとても感じられ・・・。

何だか胸が熱くなりました。

コロナ禍で都心に住む娘達に会うのが怖いなんて言っていられません。

 

前回は予定していた家族の集まりを中止にしましたが。

私は家族の交流まで控える今の風潮に、多少疑問を抱いています。

この様な世相にあっても、一番信頼できるのは身内のはず。

どこかにお出かけしたり、娯楽を愉しむより、リスクははるかに低いのでは、と思うからです。

 

今でも電車に乗るのさえ怖くて、外出は控えている私だけれど・・・。

今回は次女家の車で会いに行きます。

その様な時は、心配するのはもう止そうと、心から思いました。

私が愛読しているブログでは、変わりなく家族間の交流を続けていらっしゃるご家庭が多いです。

 

インフルエンザは毎年はやるように、コロナ感染も無くなることは当分ないでしょうから。

正しく怖れ、どの様な暮らし方をするかは、人それぞれで宜しいのでは。

 

私の可愛い孫娘達
かれんちゃんは桜おねえちゃんが大好き♪
私のハンドルネームかれん桜は、孫娘たちの名前からとりました。

 

若い桜ちゃんが、コロナ禍を恐れず、夢実現のため、積極的に行動すること。

今は理解できるようになりました。

心からのエールを送りたいと思っています。

 

そのしばしのお別れ会が、昨日ありました。

私の記事は、気の向くまま下書きをしていますので、タイムラグがかなりありますこと、ご了承ください。

この会のことは、もう少し後で記事にさせていただきます。

 

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だんな様

2020-08-29 07:28:57 | 家族

私は、ブログ記事で夫のことを記すとき、いつからか「だんな様」と言う表現を使用するようになりました。

皆さんは、どの様な呼称で、ご主人様のことを綴られるのでしょうか。

正直なことを言いますと、「だんな様」の響きに、その頃の私は、慣れていたわけではありません。

 

でも憧れの言葉であったのは事実。

「だんな様」と言う歌謡曲が一時はやりましたよね。

私は一度聞いただけで、何だかとても感動。

心から離れなくなった曲です。

 

https://www.youtube.com/watch?v=9q0iTofJUgg

 

そしてある日、次女の携帯を目にした時、住所登録の宛名欄にある「旦那様」と言う文字が私の目に飛び込んできました。

私には、娘世代がこの言葉を使用していることに意外感がありましたが・・・。

それを見て、私はブログ上で今後は夫のことを、この呼称で呼ぼうと決めたのです。

響きがとても柔らかくて温かい。

愛情が感じられてきますもの。

 

 

ところが最近の新聞で、配偶者の呼び方が時代に応じて変わってきている、と言った内容の記事を目にすることに。

「女性の意識によって変化」と言った見出しでした。

その記事の内容では、十年ほど前までは、「主人」が大半だったようですが。

 

女性も働くようになり、夫婦の関係性を見つめ直す人が多くなり、よりカジュアルな旦那が増えたのだそうです。

ここで、私は自分の大きな勘違いに気付きました。

旦那様は主人よりはるかに対等で、カジュアルな呼び方なのですね。

私は逆だと思っていましたから。

だんな様の方が丁寧な呼び方だと。

 

そしてここ五年間で更なる変化が生まれ、夫と呼ぶ人が多くなっているのだそうです。

けれど、今でも丁寧語の範囲で、「主人」を使う人も多いとのこと。

 

テロ事件で襲われたニューヨークのワールドトレードセンターで半年間の出張業務を終え、
8キロも肥えて帰国して間もない時の主人です。
その後余り時を置かず、主人と、某商社のホーチミン支店で働いていた次女が
同時に香港出張となり、再会した時の貴重な写真です。
Yさんの顔が、本当に嬉しそうで穏やか。
娘の活躍が嬉しかったのでしょう。

 

この記事を読んで、私のブログ上における夫の呼び方は間違っていたのかもしれない、と思うようになりました。

実生活では、他人に夫の話をするときは、いつも主人としか、私は言ったことがなかったのです。

ですから、それが自分には一番ふさわしい呼び方だったのでは。

 

私はずっと専業主婦で、夫に養ってもらっていたわけですから。

働いている娘達のように夫婦平等とは言えないところがありました。

それを甘受し特別嫌と思わないで過ごしてきた半生です。

ですからよく私が使用する夫も、力関係から言ってチョッとYさんんには失礼だったのかも。

 

これからは、Yさんのことを私の日常遣いだった「主人」と呼ぶことにしましょうかしら。

私は実生活において、Yさんに声をかける時の呼び方は「あなた」でした。

時々、「Yさん」とも言いました。

でもだんな様も、相変わらず好き。

その時の文章の雰囲気で、臨機応変に替えればいい事なのかもしれません。

 

だんな様の歌。

何度聞いても、主人を思い出し、胸が熱くなります。

今の幸せも、Yさんのお陰。

いくら感謝しても感謝しきれない思いでいます。

 

追記

 

安倍首相の辞任会見

予想はしてはいたものの、とてもショックでした。

日本のコロナ対策は世界では高く評価されているのに。

マスコミ、特にテレビワイドショーの影響でしょうか。

散々ひどく言う国民が多く、私は耳にするのも目にするのも堪えられないものがありました。

その精神的ストレスは総理といえども、相当なものだったことでしょう。

それが原因の持病の再発では、と気の毒でなりません。

今は

「ありがとうございました。お疲れ様でした」

と心から申し上げたい気持ちで一杯です。

 

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私の髪が驚くほど生まれ変わったお話~酸熱トリートメント

2020-08-27 07:24:22 | おしゃれ

皆様は「酸熱トリートメント」或いは「酸熱ストレート」と言う言葉を耳にされたことがおありでしょうか。

私は最近、美容院で初めてこの言葉を知りました。

そして、このトリートメントを勧められるままに挑戦したのです。

とてもとても勇気の要ることでした。

 

ストレートパーマは以前からあり、どなたでもご存じですよね。

私はこのパーマをかける気持ちなど、さらさらなくて。

とても個性的な若々しい髪型で、イメージは悪くありませんでしたが、私は絶対に似合わないと確信していましたから。

多少ボリューム感のあるエレガントな髪型が、自分の顔には映ると思い込んでいたのです。

 

ですから酸熱ストレートトリートメントと言った耳慣れない髪のケアを勧められた時は、とんでもないと思いました。

ストレートの言葉に、私は少々アレルギーでしたから。

 


 

左の画像は前々回美容院から戻った時のものです。

右の画像は、今回美容院に行き翌日の朝ひと櫛だけして撮影したものです。

一見同じに見えますがその後のケアが、今回の方がはるかに楽で、ナチュラルな雰囲気です。

 

実は二週間程前にも、私は同じお店の他の支店で、カットとカラー、トリートメントのフルコースで、髪を整えてもらったばかりでした。

この時は写真を撮りませんでした。

ところがどうしたことか。

しばらく経過すると、髪は相変わらずぱさぱさし、変なボリュームが出て一向に落ち着いてくれません。

フルコースのヘヤケアをしていただいたにもかかわらずです。

 

気候の影響も多分にあるのかもしれません。

この頃、我が家の湿度計はいつも70を超えていましたから。

湿度にはとても弱い私の髪の毛なんです。

 

でも髪が整ってくれないと、どうにも情けなくて気分が落ち着きません。

それで仕方なく、またその相談をするために美容院に行くことに。

 

もしかするとカットの仕方に問題ありかもしれないと思った私。

ですから、この時は元の美容師さんに相談を持ち掛けました。

交通の便が悪いとの理由だけで、美容室を変えたのは半年前。

久しぶりにお目にかかった美容師さんは、前と変わりなく、快く対応してくださいました。

 

 

以前ご紹介させていただいたところ、二十名の方がお買い求めくださいました。
お気に召していただけましたでしょうか。
そうだと嬉しいのですが。
私は今でも日々愛用し、お出かけ時は必ずバッグに潜めています。
荷物に全くならず大変重宝しています。

 

その方は下記のようにおっしゃいました。

「髪の質が年齢のせいで、以前とはかなり変わってますねえ~。

酸熱トリートメントをしてみませんか。

髪が生まれ変わりますよ。

ストレートパーマと違い、髪は全く傷みません。

トリートメントですから、とても艶が出てきれいになります」

 

艶のあるきれいな髪は、今の私の憧れ。

美容師さんの言葉に惑わされ、しばらく悩みましたが、勇気を出してOKの返事をしてしまいました。

出来上がったスタイルはそれなりに素敵でしたが、明らかに今までの私のヘアースタイルとは違っていて、多少不安に。

 

でもその心配は、翌日にはすっかり解消。

一晩、横と頭頂部だけカラーを巻いて休みました。

するとすっかり元のヘヤースタイルに戻りました。

 

 

それからの経過が、期待以上の素晴らしさ。

夢ではないかと思うほど、髪の調子が良くて。

入浴時だけは以前と同様にカラーを巻きますが、休むときは外して寝ます。

朝はコムでとかすだけ。

実にきれいにまとまってくれるのです。

艶もあり癖もなくなり、まるで自分の髪ではないように調子がいいです。

 

私は髪で苦労し続けた人生と言ってもいいほど、髪のケアには時間をかけてきました。

妹は、私よりもっと癖が強いようだけれど、少々はねていても全く気にならない性格で羨ましい。

私は気になります。

 

その努力のお陰か、一度だけ、超一流と評判のK美容室の方に、ヘヤ―モデルになってほしいなんて声をかけられたことも。

今でも信じられないような、一瞬の出来事でした。

こんな事、幾度も書くと、嬉し気と言われそう。

髪にまるで自信がない私は、本当に嬉しかったのです。(笑)

この方は大いなる勘違いをしている、と思い、恥ずかしくて、逃げるようにその場を私は去りました。

 

今、妹にも強く酸熱トリートメントの施術を受けるように奨めています。

但し、少し残念なこともありました。

洗髪すると、元の髪質に多少戻ります。

でも以前よりはるかに髪が整い、自分がイメージするヘヤースタイルに簡単になってくれます。

髪に艶も出てきました。

 

この幸運な出来事は、今後の私の余生への影響が大きそう。

朝の髪の手入れに時間をかけなくて済むのですもの。

今は酸熱トリートメントに感謝一杯の私です。

 

今日の早朝の南東の空の光景
早朝の庭は最近いつも涼しいのだけれど、今朝は違いました。
蒸し暑くて、今日は暑くなりそう。
残暑に負けないで、良き日に致しましょう

 

 

 

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庭の活用~至福のひと時

2020-08-25 06:58:19 | 住まい インテリア

私は時々睡魔に見舞われ、私の暮らしのリズムと計画が狂わされることがよくあります。

そういう時は、とても情けない。

頑張りたくても、睡魔による倦怠感には打ち勝てません。

そういえば、大学の講義中も、よくうとうとしていました。(笑)

その様な時、私はどのように対処すればいいのか分からなくて・・・。

いやいや横になることが多いです。

眠たいのを我慢して何かに取り組んでも、能率が上がらないし苦痛ですから。

 

就寝時間が、一人暮らしになってからはとても速い私。

大体、20時~21時の間には床に就きます

平均起床時間は3時から4時の間。

2時に起床なんてことも、時々あります。

ですから午前中の早くから、眠くなるのはやむを得ない事なのかもしれないけれど。

 

カーテンの上が気になっているのだけれど・・・。
我が家は天井が高くて、手がやっとこさ、届くところ。
恥ずかしい画像ですが、自分では対応が難しくて、そのままになっています。

 

私の前のお宅の奥様は、夜型の暮らしの上、お昼寝をしたことが全くない、とおっしゃいます。

そういえば、急に思い立ち真夜中に階下に降りて、前のお宅を見るとまだ煌々と電気がついています。

そのせいでしょう。

夜はぐっすりお休みになれ一度も目が覚めないとのことでした。

その話を聞くと、羨ましくて仕方ない私。

早寝早起きが一番健康には良いと言われるけれど、必ずしもそうではないのかもしれませんね。

 

日中の眠気を覚ますには、しばらく動くこと。

その様に次女婿のHさんから聞いたことがありました。

ですからそれを実行するように心がけていますが、最近新たな対処法に気が付きました。

外に出て新鮮な空気をいっぱい体に取り入れると、目が覚めるようです。

 

恐らく眠くなるのは脳内の酸素が欠乏しているせいもあるのでは?

余りに間違った考えでしたら、本当に恥ずかしいですが。

 

庭で過ごすとき、蚊の襲来は悩ましい事。
最近懐かしい金鳥の蚊取り線香と、おしゃれな蚊取り線香立てを購入しました。
レトロっぽくて素敵。移動も簡単です。
お部屋においても、良い雰囲気で、とてもとても気に入っています

 

 

私はそのように思い、庭で過ごす時間をもっと多くするように、心がけるようになりました。

真夏の日中は陽射しが強すぎて無理ですが、明け方と夕暮れ時はそれが可能。

起床時、外はまだ夜の帳でも、私はしばらく庭に出て、夜空の星を眺めたりしています。

寝起きのまだすっきりしない頭が、たちまちクリヤーになります。

 

 

 

 

明け方、庭木の緑や広々とした空に時々目を遊ばせながら、読書やパソコンの作業をする。

それは正に至福のひと時

心が充たされ、あらたな活力が湧いてくる思いがします。

空調が効いた閉じられた空間で過ごすより、はるかに健康的で気持ちも良くて。

 

長女宅は広いオープンキッチンの部屋と、やはり同じ広さの居間がL字型に繋がっていて、前面はガラス張り。

緑の芝生を敷き詰めた庭がそこにはあります。

次女宅はマンションですが、角地の一階で、子供用の自転車でしたら乗り回せるほどに広い庭に恵まれています。

この庭を、もっと有効利用すればいいのに、といつも思う私です。

庭はガーデニングや緑を愉しむ場所だけでなく、居室感覚でもって、もっといろいろ活用できますよね。

 

 

裏のお宅のお庭は全面、腰丈になるほどに草がぼうぼうと茂っていて、それを見るとといつも「もったいないなあ~」と思ってしまう私ですが。

体力も衰えていく一方の私達の年齢では、放置もやむを得ない事情もあることでしょう。

私は見て見ぬふりをしていますが・・・。

そのせいで、裏の庭に近い玄関にやぶ蚊が多くて、それがちょっと悩ましいです。

でも、雑草を抜いてください何て、言う勇気は私にはとてもありません。

 

生き方は人それぞれ。

自分は自分の価値観を大切にして、良き余生を過ごしたい。

そう願うだけです。

 

今日の日の出です。
今日も、弱い心に負けないで、充実した良き日を過ごせますように。
カープも勝ちますように。

 

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娘の部屋が今は私の寝室

2020-08-23 06:59:00 | 暮らし

今日は階下に寝室を移動した理由を書きたいと思います。

何故なら、私の寝室(元は子供部屋)には、新築当初からクーラーが取り付けられていないからです。

私がある面、如何に子供たちに厳しい親であったかを物語っているかのよう。

私は、子供達には暖房は必要だけれど、冷房は不要との考えを持っていました。

そんなに甘やかしたくありませんでした。

 

厳しい寒さには、耐えるのに限界があるけれど、暑さは我慢できないはずはない。

子供達は、その程度の気候変動には耐えて暮らすことで、逞しくなれる。

私が幼い頃の暮らしは、それが当たり前だったのだから

この様な教育観を持っていたのです。

 

取付場所の電源だけは設置されている子供部屋
でも使用しないまま、今日に至ります。

 

ですから娘達は大学受験勉強も、真夏の太陽が燦燦と照り付ける二階の部屋でずっと頑張り続け、志望の国立大学に合格しました。

時にあまりに暑くて、我慢できなかったのでしょう。

週末の日中は、クーラーの効いた主人の書斎がある夫婦の寝室で、勉強をしている長女の姿を幾度か見かけたことはありますが。

それは、たまのこと。

二人共、結婚するまで、クーラーのない部屋で過ごしました。

 

子供たちが長年使用していたベッドで今は寝ています。
夫婦の寝室のシモンズのベッドより、はるかにマットレスは心地よくて、
私は大変気に入っています。

 

冷房機を取り付けて、などとねだられたことも一度もない私です。

その生活が当たり前となり、娘達には文句を言う発想がなかったようでした。

それにしても我慢強い子供達だったと、今更ながら感心します。

 

 

娘達は就学時から大学を卒業するまで、学校を休んだことがほとんどありません。

幸いにも、とても丈夫な体に恵まれました。

就職後もそうです、

「可愛げがないくらい丈夫。

時には風邪でも引いて会社を休みたい」と、よくぼやいていました。

もしかすると、娘達の辛抱強さ、丈夫な体は、真夏を自然換気の部屋で過ごしたことが一因しているのかもしれません。

 

その点、今の子供たちはすべての面で恵まれすぎ。

今後その影響が、どのような形で表れてくるか少し心配な私です。

娘達が結婚する前と比べ、気候の著しい変化で、今は夏の気温は5~6℃高そう。

ですから、クーラーのない暮らしを強要するのは、もう無理でしょうけれど。

 

昨年までは、夏の夜を、その子供部屋で私は寝て過ごしてきました。

アイスノンを抱きしめて。(笑)

それで、私は暑さを十分凌げたのですが。

今年の夏の気温は異常で、そうもいかなくなりました。

眠っている間に、熱中症になっては大変。

今は階下に避難、

ファミリールームや和室で寝ていますが。

将来的には、空調の取り付けを検討しないといけない時期がきそうです。

 

 

空調が効いた部屋で寝るのも過ごすのも、今でも私は苦手。

最初は快適と思っても、しばらくすると嫌な倦怠感が襲ってきます。

冷房の効いた部屋で目覚めると、気持ちが爽やかではありません。

 

新鮮な空気を出来るだけ取り入れて暮らしたい。

そのための工夫を多少なりとも私は思い付きました。

そして、今はそれを時々実行するように心がけています。

いつまで続けられるか怪しいけれど、思い立ったらすぐ試してみる。

このアイデイアは次回の記事でご紹介させていただきますね。

 

早く涼しくなってほしいけれど、私はどんなに暑くても、真冬より夏の方が楽。

この程度の辛さは、いろいろ工夫して軽やかに乗り越えたい。

その様に思っています。

 

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猛暑~寝室から避難 

2020-08-21 06:47:47 | 暮らし

長い梅雨が明けたと思うと、稀にみるような厳しい酷暑の今夏。

梅雨が長かったためか、たちまち残暑のシーズンに。

目まぐるしい季節の移り変わりと気候の変化は、恐らく日本特有なものなのでしょう。

 

長雨の梅雨にも、猛暑の真夏にも、独特の風物詩なるものが幾つかあり、

その四季の移ろいを心から堪能することができる日本人。

他の国にも四季はあるでしょうが、日本の季節毎の美しさと情趣は格別なものがあるようです。

そんな美しい国で暮らせる私達は、幸せな民族だと思わないではいられません。

 

鳩居堂でずっと前に買った団扇と次女家からの蓼科のお土産

 

今年の夏も、暑い暑いと愚痴ばかり言うのではなく、夏の良さを愉しむ。

そんな心の余裕を持ちたかったのだけれど・・・。

コロナ禍で余裕どころか、不安とストレスの夏になってしまいました。

 

暑さも、歳を重ねる毎に、益々身に堪えていく一方。

今夏のあまりの酷暑に耐えられず、頻繁に襲うぐったり感に辟易しています。

でもこの数日、朝晩は、心なしか秋の気配が感じられるようになってきましたね。

早朝は割と涼しいです。

 

冷茶に甘いお菓子

一服すると、心がほっとして、元気がいつも蘇ります。

 

いつもは空調の滞ったような重たい空気感が好きになれなくて、我慢できなくなるぎりぎりまで冷房も暖房も使用しない私だけれど。

今年の異常な暑さには耐えられず、割と早くからクーラーを利用していました。

そして、毎年の夏との大きな違いは、寝る場所。

夜寝ている間に熱中症になり死亡した人のニュースをしばしば耳にする今夏。

それを聞くと不安になり、今は階下で休むようにしています。

妹にまで、その様に注意されてしまいました。

 

何故なら、私の今の寝室(元は子供部屋)には、新築当初からクーラーが取り付けられていません。

何故でしょう?

この理由については、長くなるので次回の記事で説明させていただきますね。

私がある一面、とても厳しい親であったことを物語るようなお話です。

 

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ネット通販で初めて衣類を購入した私。

2020-08-20 06:53:53 | 買い物

私はつい最近まで、ネット通販で物を購入することは、めったにありませんでした。

自分の目で確認しないと、不安で自信が持てない。

日々使用する消耗品なら、時々ネットを利用しましたが。

衣類をはじめ長く使用するものは、慎重に慎重を期しませんと買うことができません。

 

以前、クリスマスリースをネットで購入し、大失敗したことがあります。

その価格は、万単位に近く、安くはありませんでした。

届いた商品は、余りに画像のイメージと違い過ぎて・・・。

ネット通販はもう懲り懲りと思ったものです。

 

ところがコロナ禍で外出もままならなくなり、そうも言っていられなくなってきました。

最近は、日用の消耗品は、時々ネット通販で買い求め、外出する機会をできるだけ少なくするように心がけています。

でも衣類はまだ一度もネットで購入したことがなかった私でしたが。

最近、ついに一枚注文。

かなり慎重に選んだつもりでしたが、届くまでは不安で仕方なかった私です。

価格は二千円台でしたから、万一失敗しても、諦めがつきそう。

それに寝具類のネグリジェ。

イメージと違い気に入らなくても、寝具なら我慢して着用することも可能。

その様に思ったのです。

 

届いたアマゾン通販の小包

 

少々贅沢なお金の使い方だったかもしれないけれど、これまでの私は、そのような衣類でも、すべてデパートで万単位のものを購入していたのです。

ですから、二千円台の衣類を買うのは、とても勇気がいりました。

ところが届いたそのネグリジェは、私の期待以上。

本当に素敵で、寝具として使用するのは何だかもったいない。

部屋着としても十分通用しそうでした。

 

二千円台でこんな素敵な商品が、どうして出来上がるのだろう。

材料費、縫製の手間など考えると信じられないような価格でした。

働いたことが一度もない私だから、販売経路のからくりが全く想像できなくて。

このような驚きに浸ってしまうのかもしれせん。

そのネグリジェの画像をアップさせていただきますね。

 

 

アフイリエイトを利用してご紹介したかったのだけれど、この商品はLサイズしか残っていないせいか、アマゾンのアフィリエイトでは検索できませんでした。

一週間前はできたのですけれどね。

 

ゆえに、その通販サイトのみお知らせいたします。

会社名はニシキです。

 

このお店、私にはなかなか魅力的に感じました。

冬のパジャマやネグリジェにも、今後注目したいです。

他にエプロンドレスなども素敵なものがありそうですよ。

 

https://www.amazon.co.jp/gp/product/B07R8CT46P/ref%3Dppx_yo_dt_b_asin_title_o05_s00?ie=UTF8&psc=1

 

私が購入した物と同じ商品ですが、Lサイズだけまだあるようです。

私はMサイズでぴったりでした。

正面から見ても横から見てもシルエットがとても素敵です。

 

よく調べると、同じ商品のMサイズで、色違いのものがありました。

一応載せておきますね。

でも色が違うだけで、皆様にご紹介することに、私は自信が持てません。

その点は、ご了承くださいますように。

 

 

これからは、何だか通販のお買い物が病みつきになりそう。

要注意です。

高価なものは、やはり自分の目で確かめた上でないと買わないつもりですが。

安いからと言ってすぐ飛びつくと、それは無駄遣いになってしまいそう。

私は日ごろ食材と切らした化粧品、文具、草花以外、めったに物を買いません。

 

私の年齢になると、物は一応揃っていて、物欲は枯れていくようです。

この方針を今後もできるだけ貫きたいと思っているのですが、何だか少し怪しくなってきました。

通販の買い物の気軽さに、はまってしまわないように、気を付けようと思います。

 

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久しぶりに長女のMちゃんと再会

2020-08-18 07:10:47 | 家族

お盆の15日には、久しぶりに娘が二人揃って我が家に訪れてくれました。

長女には、

一人で来ても、家族全員が訪れても、感染リスクは変わらないのでは。

恐らく誰か一人でも無症状の陽性者がいたら、家族全員に恐らく移っているでしょ?」

と私はMちゃんに言い・・・。

「孫達やHさんにも会いたいから、全員でくれば」

と声をかけましたが。

「やはり、それでは密になり過ぎるから一人で行くわ」

とのMちゃんの返事。

 

妹にその話をすると、

「お姉様の家は広いから、そんな心配はしなくても大丈夫よ」

と言われてしまいました。

そうでしょうか。

微妙な所。

ソーシャルデイスタンスの距離の解釈も難しいですね。

 

この日の夕食

皆が持ち寄りのご馳走でした。

 

長女のMちゃんとこの話をしている時、私には仰天と言っていいようなお知らせがありました。

何と次女娘の桜ちゃんが、ビザが下り次第、いよいよアメリカに留学するとのこと。

留学試験には合格したものの、今のコロナ禍の世相では、当分無理では、と私は思っていたのですが。

近々、渡米するようです。

 

本当に大丈夫なのでしょうか?

私はとてもとても不安。

「自分の娘だったら私は行かせない」

とまで言いましたが、決心に変わりはないようです。

000人ぐらいしか住民がいない田舎町で、そのホストファミリーは素晴らしいご家庭とのこと。

高2の今行かないと、留学のチャンスを逃してしまうからと。

桜ちゃんの高校から、すでに4人の学生が留学しているようです。

 

二品とも長女の手作りの料理

 

私と違い賢明な両親ですから、当然いろいろ下調べしてのことでしょう。

それに桜ちゃんはとても明るくて逞しい性格。

ですから、祖母の私は心配するのを止すことにしました。

 

次女家と長女が揃い、お夕食を共にした時も、その話題が出ました。

長女が言うに、その前に一度是非みんなで我が家に来てね。

もちろん行きます。

楽しく温かい壮行会をして、桜ちゃんを送り出しましょう。

 

 

夕食の席では、次女夫婦とMちゃんで色々な話題が沸騰。

大盛り上がりでした。

若夫婦全員、母校の大学は同じ。

その上、長女と次女のお婿さんは、テニスクラブでは先輩(長女)と後輩の仲。

次女はクラブは異なりましたが、お婿さんとは学生時代から顔見知りの間柄。

いつもそうですが、全員揃うと盛り上がらないはずがありません。

 

次女家が用意してくれた手巻き寿司
の料理は、私が家にある食材だけで作りました。

 

オンライン授業の話にもなり、母校の様子も具体的にお婿さんが語ってくれました。

次女婿のHさんは、某研究所で働いていますが、時々母校でも教鞭をとっています。

ですから、私も興味津々だったのだけれど、いつも8時には就寝する超朝型人間になってしまった私。

準備にも、それなりに時間をかけたので、夕食時はもう疲労困憊。

頭がぼおーとして集中力がなく、耳も多少遠いとあって、余り聞き取れない。

途中で聞くのを諦めて、調理後の洗い物に精を出しました。

 

このケーキも長女のお土産

 

そのせいで、益々疲れ果ててしまった私ですが・・・。

若夫婦達が楽しそうにおしゃべりするのを眺めているだけで、私はとても幸せ。

その合間に、孫娘のかれんちゃんが、時々ひょうきんなことをして皆を笑わせてくれました。

木魚を叩いて、念仏を唱え始めた時は、みんなで感心し切り。

どこで覚えたのでしょう。

お寺さんが唱える念仏に音調がそっくり。

おじいちゃまと曽祖父母達への何よりの供養になったに違いありません。

 

バレエを披露するかれんちゃん

 

 皆が我が家を立ち去ると、余韻の楽しさを噛みしめる心のゆとりもないほどに疲労困憊。

やっとの思いで入浴し床に就きましたが、翌日も厳しい暑さと残った前日の疲労で、家事が手に就かず、寝たり起きたりの生活。

 

50代から60代の前半までは、若夫婦達はお客様になり切り、私がすべて取り仕切れるほど元気だったのに・・・。

今は、その元気は見る影もなくて、体たらく。

情けなく思うものの、もう無理が利かない体になってしまったことを実感した私でした。

 

でも家族の集いの楽しさは、何にも替え難いもの。

コロナ禍が終息したら、気兼ねなくまた会いましょう。

 

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お盆を迎えるにあたって

2020-08-16 06:51:05 | 家族

13日の夕方にやっとお盆棚(精霊棚)を完成し、お位牌を飾ることができた我が家。

いつもは、12日の朝には出来上がり、この日にお寺さんがお棚経をあげに来て下さいます。

今年は、それがコロナ禍で中止になったため、迎え火を炊く前に、やっと完成。

道路とポーチ回りも掃き清め、お部屋の整理整頓も終了。

ご先祖様をお迎えする準備がすっかり整い、何だかとてもホッとした私です。

日が暮れて暗くなった庭で、迎え火も炊きました。

 

 

ご先祖様をお迎えするのがお盆だけれど、私が心の中で描くお迎えの対象は何と言っても、旦那様と私を育ててくれた両親。

そう思うと、準備に心が弾みます。

もちろん、基本はご先祖様すべてをお迎えする。

その気持ちに変わりはありませんけれどね。

 

私は、平日はいつもお位牌を仏壇から出し、身近に置いて暮らしています。

そして毎朝、声をかけ、感謝の気持ちと近況を伝えています。

ですから久しぶりに会うと言った感覚ではないのですが。

お盆には、やはり格別な情が湧いてきます。

 

 

 

実は、その前日までの三日間、毎日、私は外出。

恐ろしいほどの猛暑でしたのに、いつも出掛けたのは、昼下がりの一番気温が高い時。

十日はすでに記事にした盂蘭盆施食会の日。

十一日は、夫と両親の菩提寺にそれぞれお布施を納めに郵便局へ。

十二日は、急に思い立って美容院に。

 

鳩居堂の便せんと封筒を久しぶりにネット通販で買い求め、
認めたお手紙と共にお布施を両お寺にお送りしました。
今年はコロナ禍でお棚経もなく、お墓参りの広島行きも中止でしたから。
こんなことする必要はないのかもしれませんが、何かしないと気が済まない性格の私です。

 

 

 

今回、私が購入した便箋と封筒。

若い頃は、銀座の鳩居堂本店によく出かけたものですが、今はもう無理。

 

稀にみる猛暑の中、連日出かけた私に、妹は少々呆れかえているようでした。

「信じられない!」と言って。

美容院行きは、確かにちょっと無駄な行為に思えないでもありませんが。

後の二日間の外出は不要不急ではありませんでしたから。

 

こんな多忙な毎日でしたから、十三日にお盆棚が完成し準備がすべて整った時は、本当にホッとしました。

そのせいか、13日の夜はぐっすり6時間熟睡。

翌日は、清々しい朝を迎えることができました。

 

 

次女家はお盆休みの前から一週間、義父母様の蓼科の別荘へ。

コロナ禍で、都心に住む長女家も今年は我が家に来るのは無理そう。

だから今年のお盆はひとりで過ごす予定だったのだけれど。

声をかけてみたところ、15日なら大丈夫とのこと。

長女家は、密になり過ぎるのを避けて、Mちゃんだけがお墓参りも兼ねて、我が家に来ることになりました。

久しぶりなので、本当に嬉しい!

 

それなら、と一人ご飯のために準備した食材をできるだけ使用し、私の腕を振るうことにしました。

夫も両親も、子供達や孫たちに会え、どんなに喜ぶことでしょう。

みんなで、コロナ禍の暗い世相を吹き飛ばすような明るいひと時にしたい、と願っています。

 

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お墓参り~両親への何よりの供養と思う事

2020-08-14 07:02:04 | 家族

8月10日は両親の菩提寺の盂蘭盆大施食会が執り行われる日。

毎年妹と一緒に参列している私ですが、今年はコロナ禍で、いつもとは様子が違いました。

法話はなく、法要も無客席で行われることに。

受付で、施食会供養料、付け届志納金、塔婆料を支払い、お墓参りをして終わりです。

 

 

まるでタイムスリップし、時代絵巻を観るような盂蘭盆施食会の光景にいつも神妙な面持ちになったものですが・・・。

それが今年は見られなくて、何だか少し残念。

でも、菩提寺に伺う前に、まずお墓に手向ける供花を買い求め、レストランで妹と昼食を共にするひと時はいつもと変わらず。

大おしゃべりをして、心から愉しみました。

 

ほとんど毎日のように電話で話している私達だけれど・・・。

会って顔を見合わせて語り合う愉しさは、やはり格別なものがあります。

この度の話題はやはりコロナ。

「この年齢になって、こんな不安な世相の時代を迎えようとは思いもしなかったわね」と言い合い・・・。

ため息が出そうになることもしばしば。

 

でもいつも、割と前向き思考の私達。

すぐ気持ちは切り替えられました。

「大変な時代だけれど、周辺の環境は見た目、何も変わらないのだから。

いつもと同じ日常があるのだから、くよくよするのは止そうね」の結論に。

 

境内の光景

 

私は日ごろから家籠りの傾向が強い暮らしだけれど、活動的な妹は自粛生活がさぞ堪えているはず、と思いきや、

意外に明るくて安心しました。

食事を共にしながらある深刻なコロナの話題も取り上げられ、その時は少々二人とも深刻な顔に。

この話題には、またいつか日を改めて触れたいと思います。

 

食事を済ませ、バスに7~8分乗車するとお寺に到着。

受付を済ますと、ミネラルウォーターとマスクをお土産に戴きました。

七枚セットのマスクは、とてもありがたく嬉しかった。

 

母が亡くなった時、墓地も墓石も新たに購入し
郷里から今のお寺に、お墓を移しました。

 

その後、湿度が高い、あまり経験したことがないような猛暑の中、お墓参りも無事に済ませ、ほっとした私達。

いつも二人揃ってお墓参りをするのだけれど、まれにみる仲良し姉妹の私達。

両親は、この間柄を天上から見守り、さぞ喜び、安心ししてくれているに違いありません。

何よりの供養では、と私は思っています。

 

キャリアウーマンとして活躍中の娘達は、日々の暮らしに追われ、今は時間的余裕があまりないでしょう。

そのため、私達のような親密な間柄には、なかなかなれないかもしれませんが。

歳を重ね、時間的余裕が十分持てる世代になったら、姉妹愛をもっともっと育て、亡き後の私の供養にもしてほしい。

そう心から願っています。

 

 

お寺の帰りに、またレストランで一服。

一時間くらいおしゃべりをして、

「お互いにコロナには気を付けようね」

との言葉を交わし、別れました。

 

その翌日の早朝、携帯のメールを見ると、妹から下記のような送信がありました。

「今日は久しぶりに会えて楽しかったね。ありがとう!カープは6対1で勝ちました。」

熱烈なカープファンの私達だけれど。

朝型人間の私は、残念ながら、カープの試合を最後まで観られません。

妹が必ず試合終了直後に、結果をメールで知らせてくれることになっています。(笑)

 

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いのちの歌

2020-08-12 06:48:16 | 人生

私は最近ある歌を、就寝前と朝起き掛け、起床してもしばらく繰り返し、パソコンのYouTubuで聴いています。

その曲の名は、竹内まりやさんが歌う「いのちの歌」。

 

https://www.youtube.com/watch?v=OYgC1-5Efr0

 

去年、デ某さまのブログで出逢って以来、すっかり魅せられ、折ある毎に聴いてきました。

ところが偶然、昨年の紅白歌合戦で登場した竹内まりやさんが選んだ曲が、この「いのちの歌」。

朝型人間の私は、彼女が出演するまでは起きていられず、一言娘達に言い置いて床に就きました。

その一言とは、

「竹内まりやさんの歌は、心を澄まして聴いてね。とてもいい曲だから」

 

年が明けた元旦の朝、娘達に感想を訊くと、思いを共有してくれていました。

既によく知っていたらしく、次女の孫娘の小学校の音楽会の合唱曲にもなったようです。

それを聞き、この歌詞の意味が、小学生に深く味わえるだろうか?

と少し疑問に感じましたが・・・。

子供なりに、感動できる詞も一杯ある曲ですものね。

 

 

でも、この曲の良さをしみじみ味わえるのは、やはり、私のように歳を重ねた年代では。

私はそのように思います。

この歌詞の一言一言が、琴線に触れ、私の心を打ちます。

聴くたびに、胸が熱くなります。

両親、旦那さま、子供達、出逢った多くの素敵な友人たちに、溢れるような感謝の気持ちが湧いてきます。

そして、この星で出逢えた奇跡を改めてしみじみ思わないではいられません。

 

床に就き寝る前と、起き掛けの時に聴くのに、何とふさわしい曲でしょう。

この歌を聴き、感謝の気持ちを抱き、心安らかに就寝。

朝も、この曲を数度聴き、同様の気持ちで一日のスタート。

そして、これまでの過ぎし日々に思いを馳せ、幸せを一層噛みしめています

 

私の寝室から望んだ昨日の朝焼けです。

 

私が死んだ時、葬儀で流すBGMは、この曲に決まり。

そんなことまで思ってしまう私です。(笑)

 

皆様は当然ご存じの歌でしょうが、改めてしみじみと聴いてみてくださいね。

 

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感染者数に一喜一憂するのは止めました

2020-08-10 06:54:08 | 社会 政治

民族の大移動と言われるお盆シーズンですが、政府はその対応にいろいろ苦慮しているようですね。

いろんな対策が講じらているのでしょうが、結局は個々の問題。

一人一人が正しく怖れ、感染しない感染させない。

この意識を高く持って、頑張るしかないのでしょう。

 

私は感染者数に一喜一憂するのはもう止めました。

検査がどんどん増えてきているのですから、当然のなり行き。

脆弱なところもある日本の医療体制が崩壊しないかと心配でなりませんが・・・。

保健所も多忙を極め、想像以上に疲弊しているようですし。

でも、マスコミは、相変わらず、PCR検査をもっと増やせの連呼のようです。

 

政府が一番注視しているであろう、死亡者数と重症者数。

私もずっと前から同様の気持ちでしたから、そこに祈るような注意を払い、インフルエンザと同じ規模で終わることをひたすら願っています。

もしかするとインフルエンザ程、ひどい状況にはならないで、日本は終息してくれるのかもしれません。

 

調べたところによると、我が国に於けるインフルエンザによる死亡者は毎年一万人を超えているそうです。

関連死も数に入っているようですが。

だからと言って、新型コロナウイルスを軽視するのは明らかに間違い。

毒性ははるかに強く、急激に死に至る怖さは、想像以上です。

回復しても、後遺症で長く苦しめられたりもするそうですから。

海外諸国の状況は、とても悲惨ですし。

 

ニューヨークがPCR検査を徹底したことに因る今の成果を、マスコミは持ち上げていますが。

すでに夥しい人が亡くなり、感染者数も日本と桁違いに多くなった状況下で、PCR検査を徹底し、死亡者がゼロになった街とは、日本は比較できないのでは、と私は思っています。

 

ファミリールームの窓越しに見える庭の木槿の樹に、二羽のハトが訪れました。
つがいでしょうか。吉報のようで、嬉しい出来事でした。

 

マスコミや国民の多くは政府は無策と言い、批判ばかりしていますが、本当にそうでしょうか。

私はそんな風に思っていません。

政府が注視している事は、マスコミや国民とはかなり異なっている。

その様な印象を受けます。

 

一週間ほど前でしたか、朝日テレビに出演されたコロナ対策分科委員会の釜萢先生。

ニュースキャスターが興奮気味に矢継ぎ早の質問を投げかけるも、実に冷静な態度で、納得できる回答をされていました。

政府の方針が、とてもよく理解できた私です。

 

外国と比べるのではなく、わが国の事情にあったコロナ対策を貫き、これまで同様、国民の命を守ることを何よりも最優先して、政府には頑張って欲しい。

WHOのテドロス会長は、

「日本のコロナ対策は称賛に値する」

と言っておられたのに、マスコミはその事には一切触れようとしない。

何故でしょう。

 

ウィズコロナで経済活動にも力を入れようとする政府の態度は、私にはとてもよく理解できます。

大不況になれば、さらに多くの犠牲者を出すことになるでしょうから。

難しいかじ取りを迫られる中、膨大なデーターを分析しながら取り組んでおられるであろう、厚労省の方々の頑張りとご苦労をも私は思わないではいられません。

とは言え、最近は家庭感染も増え、地方への感染拡大は目を覆うばかりです。

高齢者が重症になるケース、亡くなる方も、次第に増えてきました。

 

広島の原爆慰霊式に参列された安倍首相が、死亡者数と重症者数を常に注視している。

高齢者が感染しないように、気を付けていきたい、とおっしゃっていました。

その通りだと私も思います。

そのために、私たち高齢者は、できるだけ外出を控え、感染しないように最大の注意を払う努力をしてまいりましょうね。

ワクチンができるまでの辛抱。

そう思っています。

 

マスコミや国民の無策と言う非難の言葉には負けないで、政府にはこれからも国民の命を守ることを最優先に頑張ってもらいたいです。

WHOのテドロス会長は、日本政府のコロナ対策を称賛しているのですから。

 

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被爆者として思う事 徒然なるままに

2020-08-08 07:07:27 | 想い出

8月6日は原爆の日でした。

そして、父の命日でもあります。

この巡り合わせは、余りに神秘的。

そう思えて、仕方がない私です。

 

最近、爆心地からかなり離れた地域でも、黒い雨が降った所に居た人たちは、被爆者として認められる判決が下されましたね。

父は、原爆が投下された当日、爆心地から一キロも離れていない会社まで出向き、その帰りに黒い雨に遭ったようです。

会社の人達はほとんど全滅。

焼けただれ、外見ではだれか分からなかった同僚の女性が、父に声をかけてきたそうでした。

街や会社の壮絶な惨状を目の当たりにして、父は何を思ったのでしょうか。

 

過去に撮影した画像です。

 

原爆投下の前日、出張から戻った父。

その翌日は、30分出勤を遅らせて良かった幸運で、九死に一生を得ることに。

母も同様です。

勤労奉仕のため、市街地で働いた手前の通りの主婦の方達は、全滅。

母は翌日がその日に当たっていました。

 

原爆投下後、母はその苦労で結核になり、長期の入院と自宅療養を余儀なくされることに。

私は就学前、1年間くらい祖父母の家に預けられました。

母が入院する時、路地の先に、迎えの黒いタクシーが止まりました。

泣き叫んで母を追いかけたこと。

父が、祖父母の家に迎えに来てくれ、家に戻った時の広い玄関の空気感など・・・。

今でもかすかにに思い出せます。

母の後ろに、母のお里が雇ってくれた和ちゃんと言う女中さんがいたことも。

確か被爆で両親を失い、孤児になった人でした。

数年わが家にいた和ちゃんの思い出も、色々あります。

またいつかの機会にお話ししたいです。

 

 

広島が復興を遂げるまで、いろいろ苦労があったでしょうに。

父母の態度は一貫していて、被爆当日の話に触れることはほとんどありませんでした。

二~三回、聞いた覚えはありますが。

 

妹の方が、私より聞く機会があったのでしょうか。

8月6日の記事に、両親から聞いた原爆投下直後の状況をもっと詳しく記しています。

宜しければ、目を通してください。

https://blog.goo.ne.jp/yumeji_2014

 

父母がそのような態度で子供たちに臨んだためでしょう。

私は被爆者の負い目を精神的には全く感じることなく、その後の人生を過ごすことができました。

もしかすると、幼い時から虚弱体質で、熱ばかりだし学校を休みがちだったのは、多少被爆の影響があったのかもしれませんが。

 

 

おかしなもので、自分が被爆者であることを強く意識するようになったのは、東日本大震災以降のことでした。

その時、マスコミもブログでも放射能の恐怖が嫌と言うほど語られるように。

それを目にするたびに、三キロの地点で放射線を浴びた私は、今も元気に過ごしているのに、と思い・・・。

東京まで危険と、不安を煽るような過激な物言いをするマスコミやブロガーさん達に、疑問を感じないわけにはまいりませんでした。

そしてある方のブログに、言葉を選び、妹にも読んで聞かせると言った慎重さで、意見をさせていただきました。

福島の方達の気持ちを察し、言葉をもう少し謹んでほしい旨コメントした私です。

 

ところが、それが原因で、その後数年間ネット上で大変な苦労をすることに。

酷い中傷コメントだった、と言われ続けました。

今なお、その非難は続いています。

そのために最近また新たな挙動があり、その執拗さに唖然としてしまった私です。

 

今日の記事の文章の流れの必然として、過去の苦い思い出に触れましたが・・・。

今の私にとっては、遠い過去の出来事に過ぎません。

今は、事実とあまりに異なることを言われ、非難されても、一貫して無視を通す精神力も身に付きました。

 

平和公園に通じる広島の風景 

 

核のごみ処理は未だに未解決のままで心配ですが・・・。

今は、怖いウイルスが蔓延するといった深刻な問題が新たに発生。

私の老後は、期待したようなな穏やかさとは程遠い感じになってしまいましたが。

でも目先だけ見つめれば、いつもと変わらない日常があります。

 

戦争中の苦労や原爆投下の壮絶を体験した両親の気持ちを思えば・・・。

ウイルスの蔓延など、嘆いて暗くなるほどのことではないのかもしれません。

こういう時だからこそ、ささやかな幸せを噛みしめ、心はいつも平静でいたい。

そして逞しく生き抜かなければ。

今は、その様に思っています。

 

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お墓の問題

2020-08-08 06:47:03 | 暮らし

私達は長男長女の結婚のため、お付き合いしないといけないお寺が二つあります。

これまでは、両お寺に、私ができる精一杯のお務めを果たしてきたつもりです。

しかし、我が家は娘二人で、跡継ぎがいません。

ですから両家のお墓も私達の代で終わりになります。

 

今後のことを考えると、娘たちに負担をかけず、私達のお墓を守ってもらうにはどうすればいいかと、折ある毎に考えてきました。

私が亡くなったら、時期を見計らって、いつか永代供養し墓じまいをしてくれればいい。

そう思っています。

孫にまで面倒はかけられませんから。

昨日の記事で墓石を移動するなどと記しましたが、公営墓地以外はほとんど認められていないようです。

誤解を招くといけませんから、一言付け加えさせていただきますね。

 

 

ところで一番の問題は、私が入るお墓です。

正直に言って、私は夫の実家のお墓には入りたくありません。

その理由は、私は結婚後一度も夫の家に寝泊まりしたことがありませんから。

子供が夏休みになると、いつも帰省し、ひと月位郷里で過ごすのが恒例でしたが。

夫の実家には私も子供たちも一度も泊っていません。

実は夫もそうでした。

私の両親と共に、私の実家で一週間の夏休み休暇を過ごし、帰京していました。

 

これには訳があります。

義父は開業医で、家が職場となっていました。

義母さまは夫が大学生の時に亡くなり、未婚の薬剤師の叔母さまが同居し、兄の仕事を手伝っていました。

ですから、もしかすると義父は、叔母に負担をかけたくなかったのかもしれません。

 

 

年に三回、お布施を用意しなければならない我が家。
いつも、文具店で慌てて用意していましたが、
最近ネット通販で、格調もあるとても良い雰囲気のお布施袋に出逢いました。
10枚でこの安い価格、驚きです。
皆様にも心からお薦めします。

 

 

そういった感じでしたから、私は嫁ぎ先の家族の一員と言った実感は味わえないまま、長い歳月が流れ去りました。

でも関係はいつも良好で、問題は何も起きなかったのですが。

お姉様との間柄は、残念ながら険悪に。

夫が冗談で「養子になってもいい」と言った事(私さえ、後で知ってびっくり!)を真に受けられ、その後も更なる誤解がありました。

藤純子似の才色兼備な方。

夫の葬儀の時、姪がその美貌に見惚れていました。

今はハワイに在住していらっしゃいます。

 

お話が脱線してしまいましたね。

元に戻します。

夏休みやお正月の休暇を、私の実家で、心からくつろいで過ごした夫。

無口な人でしたが、私の両親にとても敬意を払ってくれてもいました。

両親を我が家に引き取り、介護に明け暮れた時も、文句ひとつ言わず、理解ある穏やかな態度で見守ってくれました。

 

母が亡くなった時、葬儀の最後の挨拶では、感極まって声を詰まらせるほどでしたから。

言葉には出さなくても、母への感謝の気持ちを忘れないでいてくれたのだと思います。

私には、夫は私の実家の家族の一員になり切っているように見えました。

そして義父は生前、私たち家族が、私の実家でお世話になることを心から喜んでくれてもいました。

 

結婚後の私の半生はこんな感じでしたから、今更夫の実家の菩提寺のお墓に入るのには、どうしても抵抗があります。

そのお墓では、とても、私は寛げません。

永代供養になる前の数十年間を、夫も私の両親の菩提寺のお墓に入り過ごす選択を私が勝手にしても、きっと快く承知してくれるに違いない。

私はそう思っています。

 

これは、ママからの、娘達への意思表示です。

よろしくお願いします。

 

娘達に私の気持ちをを伝えたくて、綴った今日の記事。

個人的なこのような思いを公開までして書く私の厚かましさ。

少々恥ずかしいですが、お読みぐるしい点は、ご看過下さいますように。

 

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お盆がもうすぐだけれど~お墓の課題

2020-08-04 07:15:28 | 暮らし

八月となり、お盆がもうすぐ。

父母の菩提寺からは、7月の初めに、8月の大施食会のお知らせが届きました。

今年はコロナ禍ゆえ、お盆法要は、法話もなく、無客席で執り行われるようです。

檀家は受付で供養料、付け届け志納金、塔婆料などを収め、お墓参りをして終わりとか。

わが家にお越しいただきお棚経をあげていただけるかどうかは、まだ分かりません。

 

 

更にいつもですと、郷里の夫の菩提寺にも出かけ、お墓参りをしていました。

ですから、8月はお寺費がかさみ、家計の支出は、毎年一番多くなります。

でも今年は、今の状況では、広島に行くのはとても無理そう。

春のお彼岸の帰広も中止し、お手紙を添えお布施のみお送りしました。

今回も夫には申し訳ないけれど、そうせざるを得ません。

お布施に添えるご住職様宛のお手紙は、とても気が張る私ですが。

昨日、下書きをほぼ完了し、ホッとしているところです。

 

           

 

この調子では、秋のお彼岸も、帰広が危ぶまれそう。

どうなることでしょうか。

心の重荷をすべて軽くして下さるような温かな雰囲気が漂う郷里のご住職様。

私は、心からお会いしたく思っているのですが。

 

私が死んだときは、郷里のご住職様にお経をあげていただきたい。

そう願っている私ですのに、入りたいお墓は、私の家からさほど遠くない両親が眠る所がいい。

夫の遺骨も、私が埋葬されるとき、同時に横浜のお墓に移してほしい。

何とも説明しがたい、複雑な気持ちでいます。

さらに墓石も移動できるなら、公園墓地へと。

 

 

両親の菩提寺には、今一つ馴染めないものがある私。

強面で大柄なご住職様だからでしょうか。

法事などでお支払いするお布施も高額です。

広島のご住職様は、気持ちだけでいいですとしかおっしゃいません。

 

そういう時、私はよく分かりませんから、横浜のお寺さんの額にできるだけ合わせるようにしてきましたが。

娘たちにこの経費の負担をかけたくないと思う私。

公園墓地に移し、後々は永代供養してくれればいいと願っています。

その跡地を次女家が使用してはどうかしら。

 

一番私が望むお別れの場所は、教会だけれど。

長い間、教会には通っていないので、それは無理でしょう。

何だか遺言みたいになってきてしまいましたね。(笑)

 

養子でもない夫を、私の両親のお墓に入ってもらうことに私があまり抵抗を感じないのは。

それなりの訳があります。

この理由についてのお話は、次回とさせていただきます。

 

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