今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

最近のお買い物♪ 多忙ながら、素敵な暮らしを心がけたいものと

2015-09-20 07:17:41 | 買い物

私の最近の暮らしは、かなり厳しい状況です。

前記事でもご紹介してきましたように、夫の看護と介護に追われています。

いわゆる老老介護。

育児のような夢や希望は持てなくて、つい心も曇りがち。

(この表現は、私の本心とは多少異なるようにも。

私は、夫の病がよくなり、天寿を全うしてくれる希望と夢を捨ててはいませんもの)

 

時々、あまりの蓄積疲労で、身の置き所がないほどの倦怠感と無気力に見舞われこともたまにあります。

それでも、日々の家事と介護から逃れることはできません。

数十分の仮眠を取って、気持ちを立て直すしか手立てがない私ですが、この効果はたちまち表れ、私は元気づけてくれます。

実に扱いやすい単純な心の私。

思い詰めても、割と早く元の自分に戻れます。

 

先日の事。

私の身にも交差点で倒れる、といったハプニングが起き、その後も相変わらず忙しい日々が続き、疲労が頂点に到達。

その日は、夜娘たちに訳の分からない愚痴を思い切り述べ、大層迷惑をかけたものです。

娘たちは、意見を言ったりせず、優しい口調で相槌を打ちながら、私の話を静かに聞いてくれました。

滅多にこのような愚痴は述べない私だけに、とても後悔しましたが、後の祭りです。

でも静かに聞いてもらえただけで、心が随分落ち着きました。

 

その愚痴とは・・・・・・。

もう少し一人で旦那さまの介護は頑張れたのに・・・・・・。

周りからいろいろ忠言され、介護保険を目いっぱい使用して介護する暮らしになってしまったことへの募る不満でした。

このことについての詳しいお話は、またいつかさせていただきますね。

「後日、詳細をお話します」が、最近の私の常套句になってしまいました。

そのうち忘れてしまいそうですね~(笑)

 

  最近は暗い話題ばかりの私のブログ。
お訪ね下さる方々の心が和んで下さいますようにと、可愛い画像をアップしました。
娘たちが幼い時に使用したおもちゃ箱。
ぬいぐるみは、ロサンゼルス滞在時、デイズニーランドで買ったものです。

 

多忙を極めた暮らしながら、ささやかなショッピングだけは、相変わらず楽しんでいる私。

さすがにこのひと月は、そんな心の余裕は持てませんでしたが。

マンネリで暮らすのが嫌で、どんなに大変な毎日でも、夢だけは失いたくない。

素敵な暮らしを心がけたい、と常に、私は願っています。

願うばかりで、イメージ通りに暮らせないのが現実ですけれど。

思うだけでも、私の心を支え、励ましてくれる元気の素になっているのは確か。

心だけはいつも前向き。

アバウトな所も結構あるため、介護鬱などとは縁が遠そうです。

 

今日もまた、気晴らしのために愉しんでいる、ささやかなショッピングで真夏の頃に購入したものを数点、ご紹介させていただきますね。

けれど、五年間の節約生活をいったん卒業して、お買い物を愉しむ計画も、何やら雲行きが次第に怪しくなってきました。

 

なぜなら最近は病院へ支払う医療費意外に、介護保険を利用した出費が膨らむ一方だからです。

8月の改正で、介護保険の利用の自己負担が二割になった我が家。

返す返す残念でなりませんが、お国の財政事情も厳しいようですから、仕方ないことなのでしょう。

そのため、お買い物は、ますますささやかになりそう。

ですが、今の私の楽しみは、そのくらいしかありませんから、良しとしましょう。

そういえば、ガーデニングも、多少やる気が出てきましたので、これもまた暮らしの潤いになってくれますように。

明け方、ベッドの中で、毎日読書も楽しんでいます。

 

 

 

さて最近のお買い物の紹介をいよいよ致します。

今回は妥協したものではなく、一目ぼれの小品ばかりといっていいかもしれません。

まず、「イッタラ」のお皿。

このお店は、私が行き付けのデパートの入り口近くにショップを構えているので、よく訪ねます。

前から目を止めていたお皿ですが、断捨離を志したいと思っている私にとって、本当に必要なものか、悩みに悩んでしまいました。

いつも食器を買うときは、6枚揃いで購入することが多いのですが。

このお皿は、最初夫婦用の二枚のみにしました。

居間のダイニングテーブルの上に置いてみました。

思わず、「素敵~!」と一人でつぶやき、大満足した私です。

カレーライスを盛るのに適したお皿が我が家にはなくて、長年、買いたいな~と思い続けてきたものです。

その通りにこのお皿を使用したときの画像が上にアップしたものです。

 

同じお店で、前から目に止めていたガラスプレートも一緒に購入。

実にぴったりで、私のイメージ通り。

カレーライスのみならず、和洋中いろいろなお料理に使用できそうです。

フィンランド製ですが、手軽に買える価格。

その後、さらに二枚購入しました。

 

次にご紹介するのは、色違いのエプロン二枚。

ブログにわざわざご紹介するほどのものではありませんね~

でもとても気に入っているので、見せびらかしたくなりました。(笑)

或る日、次女が、介護疲れで少々くたばっていた私を助けるため、手伝いに来てくれたました。

そのエプロンをかけ、てきぱきと働いてくれ、私は大助かり。

私のエプロン姿を載せるより、はるかに見栄えがいいので、その画像をアップします。

8月の終わりでしたが、残暑がぶり返し、蒸し暑さひとしおの午前中の事です。

私のエプロンがよく似合っていたので、

「とても素敵」と言いましたら、

「下着同然のタンクトップに掛けているだけよ」といって照れくさそうにしていました。

 

 

 

そして、昨日(9月19日)は長女が午後から手伝いに。

色違いののエプロンをかけて、ビーフシチューとマカロニーサラダを作り、用事があるからと慌てて、都心の我が家へと。

はるばる遠方から、ありがとう。

 

 

このぐらいかしら、最近買ったものは。

そういえば、写真立ても。

 

 このお店の小物には、まだ他に惹かれるものがたくさんあるのですが、高価すぎて気軽には買えません。

 

あと一つ近い内に、どうしても着手しなければならないことがあります。

これが一番出費がかさみそう。

二階のレースカーテンの取り換えです。

陽射しに繊維がやられてしまったのでしょう。

理由もないのに破れてしまいました。

数か月前、浴室の洗面所の小窓のカーテンも、優しくそっと手洗いしたのに破れ、大変なショックを受けました。

襞の間に目立たないようにその個所を隠して、そのまま使用しています。

飾り用のカーテンでループを解くことはありませんから。

けれど、カーテンは、小物を買うときほどのワクワク感が持てず、なかなか取り掛かれません。

 

 

ずいぶん秋めいてきましたが、さわやかな秋空があまり仰げない日々が、当地は続いています

 季節は巡っても、夫の闘病、私の介護生活はその後も変わりありませんが・・・・・・。

できることなら、夫が奇跡的快方に向かい、明るい記事を、今後たくさん綴りたいものです。

ささやか喜びを積み重ね、愛おしみ、旦那さまにはいつも、明るい笑顔で接したいものと。

掛け替えのない一日一日を、「今日が一番素敵」の思いで、大切に過ごしましょう。

なぁ~て、また格好いいことを言ってしまいました。

思うばかりで、実際は、イメージ通りの暮らしには、なかなかなってくれません。

 

またしばらくお休みさせていただきます。

たくさんの温かな励ましの応援、本当に有難うございました。

 

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続 今度は私が救急車のお世話に

2015-09-19 06:59:43 | 病気

今日は、昨日の続編です。

人騒がせな大変なことを起こしてしまった私ですが、今は元気です。

翌日は、精神的ショックからまだ立ち直れていないところがあり、体調があまりすぐれませんでした。

今後また同様のことがいつ起きるかもしれない、と不安に。

何の前触れもなく、激しいめまいが突然襲ってきたからです。

 

もともと大変な高所恐怖症の私ですが、危険な場所は避けましょう。

階段の上り下りの際は、万一の場合に備えて、手すりの傍を歩くように心がけましょう、

身の安全を処するための行動規範のような事が、色々と頭の中に浮かびました。

 

今日(8月26日)は、整形外科の診察日でしたので、救急外来の診断結果の詳しい報告を聞くために、内科の予約も入れました。

脳のCT検査の結果に異常がありませんように。

一番心配しているのは脳梗塞の前兆です。

軽い脳梗塞ですと、めまいの症状だけで終わることがあるようですね。

ネット情報ですが、ある病院のサイトで説明されていました。

あぁ~怖い!ですが、取り越し苦労に違いありません。

その記事によると、心配のいらない目まいの方が多かったように思います。

 

 

お話が前後してしまいましたが、昨日の出来事の続きに入ります。

前回の記事では、お巡りさんが三名寄ってこられたところまでお話しました。

お巡りさんにしては、穏やかな優しい顔立ちの方達ばかりでした。

態度もとても紳士的で、動揺した私の心が次第に静まっていきました。

 

職業上、当然の事ですが、質疑応答がしばらくありました。

名前、住所、年齢などを聞かれたでしょうか。

「救急車を呼びますね」と言って、私の承諾を求められた時、

 私は、自分がみっともないことをしでかし、お騒がせしていることへの恥ずかしさでいっぱいでした。

できることならどこかに身を隠してしまいたいほど。

「救急車なんて大袈裟すぎます。とんでもないです」といった気持がありました。

 

ひと月半ほど前、夫が娘につれられて病院から戻ってきた直後に、同様のめまいに見舞わられた事がある私です。

その時も、救急車を呼ぶ呼ばないの騒ぎに一瞬なりましたが。

数十分後には元気を取り戻し、いつもと変わらず、家事に勤しむことができました。

 

今回は、公道での出来事。

気持ちをしっかり持てば、すぐ元気を取り戻せる、との気丈な思いが、しばらくは勝っていました。。

 

 

 

けれど、相変わらず気分がすぐれず、立つことができません。

いつまでも、駅前の交差点で寝そべっているわけにはまいりませんものね~(笑)

「救急車を呼びますから、待つ間、交番の中で休んでいましょう」と言われ、その言葉に素直に従うしか術がなかった私です。

両手を抱えられるようにして、交番まで何とか歩くことができました。

その後、十数分経過したでしょうか。

救急車が、サイレンを鳴らしながらやってきました。

夫のために、何度も乗り、すっかり見慣れた乗り物ですが、まさか私がそれで病院に搬送されることになろうとは。

思いもよらないことでした。

そうはいっても、過去に数度お世話になったことがある私です。

 

この玄関に戻ってくると、いかに動揺した心も穏やかになっていくのが分かります。
我が家は、安住の場所ですものね。

 

この出来事は、総合病院で理学療法のマッサージを受けた帰りに起きました。

良い掛り付け医になかなか出会えず、私はいろんな個人医院で診察を受けていました。

最近、設備が整い、医師も多いこの病院を掛り付け医に決めたばかり。

乗り換えもあり、我が家からは40分近くかかる事から、敬遠していた所でしたが。

当然のように、行き先はこの病院を希望しました。

 

願い通りスムーズに、私はこの病院で受け入れてもらえました。

大きな病院の救急センターですと、それから1~2時間くらいは待たされるのが常ですものね。

以前ある方のブログ記事を、窓際の籐椅子に腰かけて読んでいるときのこと。

精神的ストレスからか、ひどい胃痛に見舞われました。

一向に治らず、腸閉そくを心配した私は、恐れをなし、大学付属の大きな総合病院にタクシーで駆けつけました。

ところが長い間待たされている間に、胃痛が治まってしまって、一件落着。(笑)

一通りの検査はその後受けましたけれどね。

 

今回は到着するなり、すぐ診察、脳のCT検査、心電図と、実にスムーズに運びました。

そういえば、この病院に、母も、次女も入院したことがあります。

何か不思議と縁のある病院のようです。

次女は牡蠣が当たって、中毒症状に見舞われた時のことです。

また余談ですが、長女も同様の症状に襲われ、それ以来、私は牡蠣が苦手になってしまいました。

 

 

検査結果は、差しあたって異常なしでしたが、CTの結果は若い医師には細部の診断までできないとかで、今日の午後、伺いに行くことになっています。

脳梗塞の兆候あり、などと言われたら大変なショックですが・・・・・・。

何事もなく、一件落着してほしいものです。

(その後の脳のCT検査では異常なしでしたが、さらに詳しい検査を受けるために、いろいろ予約を入れました。)

 

まだ、交差点の出来事のショックから完全に立ち直れていない翌々日。

また前回同様のコンファレンスが病院で持たれました

その時は、家族はむろん、我が家の訪問看護師さんも、病院に見える日でした。

 

私は、病院へ行く途中、お世話になった駅前の交番にも寄り、一言お礼を。

「その節は大変お世話になりました」と。

若いお巡りさんのさわやかな笑顔に元気づけられて、車中の人に。

 

退院の翌日の我が家の夕食です。
長期の入院前までは、私より食欲旺盛で、私の安心の拠り所だったのですが。
今は食欲がなくなってしまって・・・・・・。
のど越しがよくて、夫が食べれそうなもの優先。和洋折衷の献立が多くなっています。

 

今夏の最後になって、とんでもない失態を犯してしまった私ですが、酷暑を何とか無事に、我が家は乗り切れたと思いましょう。

夫は8月30日に退院後、また数日後(9月3日)には緊急入院。

この時は、抗がん剤の副作用が強く出て、白血球、血小板のの数値が異常事態となり、大変心配しましたが、何とか回復。

9月13日に、退院することができました。

相変わらず、心配事が尽きませんが、そのことはまた何時の日か、記事にしたいと思っています。

 

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今度は私が救急車のお世話に

2015-09-18 06:51:02 | 日記

我が家は波乱万丈。

私の身にも、思いがけない事が起きたり、と悩ましい日々が続きますが・・・・・・。

ストレス多い生活の割には、心はいつも穏やかで前向き。

これは、私が根っからの楽観主義者であるからかもしれません。

それに、心配し過ぎると、疲れやすい体に酷く応えるため、それがいやで、できるだけ早く気分転換を図るように努めています。

 

最近は特筆すべきことが、ありすぎて困るほど。

あまりにいろいろあって、いつものように草稿記事としてメモすることを一切していませんでした。

ですから記憶を手繰り寄せ、思い出し思い出し、綴っています。

どこまで正確に書けるか自信がありませんが、我が家に最近起きた一大事や心配事などを更にお伝えしていきますね。

 

今日は珍しく、わが身に起きた一大事(?)を、お話したいと思います。

私は最近、水曜日の午後、ある小さな総合病院のリハビリテーションに通っています。

そこで、理化学療法の本格的なマッサージを受けています。

このお話の詳細は、いつか改めてさせていただきますね。

 

緑ばかりの我が家の庭。
お花を植えるスペースが、小さくなっていく一方ですが、これは私の理想です。

 

今からお話するわが身に起きた一大事(?)とは、マッサージ(運動療法が正しい名称のようです)が終了後の帰り道での出来事です。

理学療法士さんに全身をほぐしてもらい、幾分軽やかになった体。

気分も悪くありませんでした。

駅の近くの小さなお花屋さんで、草花の苗を数種、久しぶりに購入しました。

体調も今一つですし、夫の介護はますます大変になっていく一方の私。

しばらくガーデニングはお休みしようかしら、と思っていたのですが。

急に涼しくなり、その凌ぎやすい気候に背を押されるようにお花屋さんへと。

 

 

その後、駅前の信号を渡って、いつも行き付けのショッピングビル地下の大手スーパーに行く予定でした。

放射状のようになった広い横断歩道。

四方八方に行き交う人たちで、いつも大変混雑するところです。

その横断歩道を渡りきる直前で、私は視界が急に悪くなるような気分に。

直後に激しいめまいが襲ってきました。

公衆の場所ゆえ、何とか足を踏ん張ってこらえようとしましたが、どうにも耐えられません。

横断歩道を渡り切ったところで、平衡感覚をすっかり失い、崩れるように倒れてしまった私です。

途端に、私の周りが人だかりになりました。

遠くの人たちの視線も、一斉に私に注がれているであろうことを意識しないではおられませんでした。

 

 

頭はもやがかかったような、くらくらした状態。

起き上がるのは無理でしたが、意識はしっかりしていた私です。

恥ずかしいといったらありません。

「みっともない、早く立ち上がらなくては」と駆り立てるもう一人の自分がいました。

けれど、どうすることもできなくて・・・・・・。

三、四名の方が、優しい言葉をかけて下さり、私を心配そうにご覧になています。

 

「お騒がせしてすみません。もう少し経てば起き上がって、タクシーで帰れると思います。

どうぞ私にお構いなく。

私は大丈夫です」

そんなことを言ったように思います。

私を取り巻く見も知らない方々の、優しさと温かさが身に沁みました。

そのうち、交差点の反対側の一角に在る交番のお巡りさんが、三名来られました。

さてその後の展開は、明日の続きとさせていただきます。

 

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家族一同揃っての病院でのコンファレンス

2015-09-17 06:56:23 | 日記

いよいよ家族揃っての、医師、看護師さんとのコンファレンスが始まりました。

夫は立ち上がると、時々激痛が襲うので、ベッド毎、面談用の個室に移動。

夫をよく見舞ってくれる娘たちですが、先生に正式なご挨拶をするのは初めてのことではなかったでしょうか。

娘たちより、数歳お若い先生。

実は、娘たちと同じ大学を卒業した、一応後輩に当たられます。

医学部の先生とは、むろん学部は異なる娘たちですが。

 

一見、さわやかな印象がする、とても感じのよい先生です。

けれど、物事を単刀直入にズバズバおっしゃりすぎ。

私は夫の心中を察して、ハラハラすることがよくあります。

そのため、先生に数度、勇気を出して苦言を呈しました。

 

しかし、先生は次のようにいつも答えられます。

「正直にすべてを患者に伝えるのが、僕の方針です。

今はどこの病院でも、同様の態度で患者さんに臨んでいると思いますよ。

真実を伝えなかったばかりに、医師が後で責められたり、裁判沙汰になることがありますから」

 

 

最後の言葉に、私はかなりの抵抗がありました。

「この先生は、患者の気持ちを慮るより、自分を守ることが優先されるのかしら?」と。

 

私達は、そんなことで医師を批判したり、裁判を起こすような人間ではありません。

私の両親は、ひどい医療ミスで突然亡くなりました。

不運な医療事故だったとはいえ、そのあといくら騒ぎ立てても、父母の命が取り戻せるわけではありません。

静かに見送ってあげたいとの思いで一杯でした。

母の場合は、訴訟を起こせば必ず勝てたはず、と今でも思っているほど、ずさんな対応だったのですが。

大学付属の大きな総合病院で入院中の出来事でした。

 

今の先生は、転院前、担当医だった大学付属病院の助教授の医師と連絡を取り合いながら、一生懸命、夫の治療に当たってくださっています。

ですから先生の心配は、取り越し苦労なのですけれどね。

若さゆえの頼りなさには、拭い切れないものがありますけれど。

 

担当医、看護師さん二名、揃った家族で、いよいよ話し合いが始まりました。

これまでの治療の経過と、今後の治療方針、我が家の介護計画などが話の中心でした。

ところが、介護の話になった時です。

娘たちが積極的に看護師さんとお話をするようになりました。

私の事はそっちのけで、訪問看護師さんの訪問回数、在宅医を依頼するかどうかなど、具体的な介護計画がどんどん進められていきました。

 

 

私は、心の中で、

「ちょっと待って!私はマイペースをできるだけ崩したくないの。

私には、私が望む介護スタイルがあるの。

私は自分でまだまだ頑張れる、と思っているの。」

と、心の中でつぶやいていました。

でも医師や看護師への遠慮もあって、それが口にできないまま。

お話が、具体的に進んでいく一方でした。

このお話の途中で、夫は病室に戻り、家族と看護師のみの話し合いになりました。

 

私は、どんなに嫌な思いをしても、その感情を他人に向けて露わにすることは、まずありません。

けれど、この日は、自分の顔がどんどん曇り、険しくなっていくのが分かりました。

 

二時間近くの話し合いが終わり、廊下に出て、私が娘たちに言い放った言葉。

「あなた達がパパの介護をしているわけではないでしょ。

介護者は、ママよ。

ママの気持ちを察することなく、どうして一方的に話を進めてしまうの???」

その後、娘たちを置き去りにして、早々と病院を出てしまった私です。

娘たちは、呆気にとられたようなポカーンとした顔をしてましたっけ。(笑)

 

翌日、電話で話した時の娘の弁は、

「先生や看護師さんに会い、直接お話する機会は私達はめったにないから、一生懸命になりすぎちゃった」

とのことでした。

その気持ち、理解できないわけではありません。

しっかり者の娘たちが傍にいると、私はすっかり娘たちを頼ってしまうところがありますから。

 

 

あまり人の出入りが頻繁になると、マイペースで暮らせなくなる上に、気も遣わなくてはなりませんから、私は疲れてしまいそう。

パウチ交換、ドレーンの挿入口の消毒とガーゼの取り換えは、自分でしっかりやってきたとの自負もありました。

却って看護師さんが出入りするようになり、トラブルが続出。

とても複雑な心境に、私はなっていました。

 

けれど、看護師さんは、とても心のきれいな方。

実に一生懸命、夫の介護と看護に当たってくださいます。

ケアーマネージャーさんも、同様に素敵な方で、心から信頼しています。

病院の、我が家と訪問看護ステーションとの連絡担当の看護師さんも、然りです。

 

ケアーマネージャーさんに、いつか良い方達ばかりに恵まれた我が身の幸運を、喜びと感謝の気持ちを込めて語ったところ、とても嬉しい言葉が返ってきました。

「~さんがとても優しい良いお人柄だから、そういう人の周りには、自然と良い人たちが集まるものなのよ」と。

励ましを込めたお世辞とは、むろん分かっていますが。

褒め言葉は、いくら年を重ねても、子供のように嬉しいものですね~(笑)

 

とは言っても、看護師の訪問回数は、迷うところ。

在宅医の訪問まで依頼する必要が、本当にあるのか。

 

けれど結局、娘たち、病院、訪問看護ステーション側の勧め、夫の気持ちを優先する事になりました。

訪問看護士を週に三回お願い、緊急用の契約料金も別に毎月支払うことに。訪問医の依頼も。

ベッドは結局レンタル。

入退院時には、介護タクシーを利用。

 

介護保険の支払いが、8月の改正で、1割から二割になった我が家です。

すべてを加算すると、一体いくらになるのでしょう。

医療用品の購入費もあります。

私の病院通いの出費も。

十万はくだらないでしょう。

いつか、皆様の参考になると思いますので、具体的な料金を表示させていただきますね。

 

それ以外に、病院に支払う医療費も。

入院費は、医療保険でまかなえてる我が家ですが。

 

何と重たい家計負担でしょう。

二年間限定のお買い物の夢は萎んで行く一方だけれど・・・・・・・。

夫の命には代えられません。

 

介護保険制度による国の助成は大変助かるものの、医療サービスが過剰になるようにも。

色々複雑な思いが拭い切れない私ですが・・・・・・。

これからも悔いの残らないように、夫の介護と看病に、誠心誠意、励みたいもの、と願っています。

 

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白い運動靴 

2015-09-16 07:05:29 | 家族

お休みに入る前の最後のブログ記事の投稿を終えた日。

私は、午後から緊急事態で入院した夫のもとへ、また出かけました。

娘たちがお見舞いに行ってくれる日は、私は休養日と決め込んでいるため、病院でめったに会う事はありません。

しかしこの日は、珍しく、長女と一緒に、夫を見舞いました。

 

Mちゃんは、

「私が行くから、ママは家でゆっくりしてね」

と言ってくれましたが、この日はそうもいかない事情がありました。

旦那さまから頼まれたものを、病院に届けなければならなかったからです。

今回の入院は、ほぼひと月近くになります。

その理由の説明は、いつかまた記事に出来れば、と思っています。

夫がどんな治療をしてきたか、その過程も詳しく、お話したいものです。

 

ジーンズにTシャツ、短めのベージュ系のシャツブラウスを羽織り、エルメスの皮のネックレス。

手には、ボッテガベネタのダークブラウンの小型のバッグ。

服装は普段着といっていいさりげないものでしたが、小物で締めた娘のお洒落。

私には、とても長女が素敵に見え、素直に、褒めてあげました。

 

娘たちは、地味な国立大学を卒業後、銀行と商社に総合職として勤務していました。

しかし子供が生まれると、あまりに多忙を極めたこの職種に付いていけなくなったのでしょう。

二人とも転職。

今はスーツをほとんど着ることのない自由闊達な雰囲気の外資系の会社で、TOEIC一級の英会力を生かして働いています。

そのため、服装もかなり砕け、時々、私は思わず眉をひそめたくなることも。

 

 

次女のMちゃんは、特に流行に敏感で、奇抜なファッションで、私を時々驚かせませ。

我が家に来るときは、いつも構わないジーンズにTシャツといった地味な服装が多いのですが。

 

数日前のこと。

さすがに私が気分を多少悪くするようなファッションの日がありました。

十時から病院で家族揃って、担当医のお話を伺う日の事です。

私は先生への礼儀と思い、多少いつもより改まった服装で身をまとい、幾分緊張の面持ちで家を出ました。

我が家の最寄駅に着くと、次女から電話が携帯に入りました。

「今から電車に乗るところよ」

と話すと、Mちゃんは少々びっくりした様子。

「私、まだ準備の最中よ。間に合うよね?」と。

 

ところが何としたことでしょう。

病院に着くと、次女が先にもう到着していました。

私は乗り換えを二度して、最寄り駅から徒歩で病院に。

途中、急行利用でも1時間半かかります。

次女は乗り換え一回で、JRを利用して急行の停まる駅で降り、病院までタクシー利用。

この方が近いのかもしれませんが、JRは料金も高いうえ、タクシー利用ではね~

私は多少遠くなっても、慣れたT線が大好き。

車窓を流れる景色も親しみが持てます。

変えるつもりはありません。

 

またいつものことながら、話が今日の記事の主題から外れてしまったようです。

娘たちの服装についてのお話でした。

 

 

 

 

私より意外にも先に病院に到着していた次女。

長女と二人で、夫の病室の前で、立ち話をしていました。

その姿が目に留まった一瞬、私の目は点になってしまいました。

次女の足元を見て。

白い運動靴を履いているのです。

 

スカートはもう随分前に、大奮発して購入したとかの、大胆な柄模様のブランド品でした。

上着は襟ぐりの大きく開いたラグラン袖のざっくりしたサマーセーター。

上はともかく、運動靴があまりにアンバランスに思え・・・・・・。

それに、お世話になっている先生へのご挨拶で履く履物には思えませんでした。

 

私は眉をひそめて言いました。

「何故、今日のこの日に、運動靴なの?」

すると長女が、次女をかばうように言いました。

「今、運動靴は大流行しているのだから、いいじゃないの」

と。

 

前の会社のアニュアルレポートの表紙に載せていただいた時の次女です。

 

しかしいくら流行していても、服装には、TPOというものがありますよね。

まともなお洒落をすると、大きな美しい瞳も手伝って、輝くようなオーラーを発揮するじMちゃんですが。

その日の服装は、Mちゃんの魅力を台無しにしているようにすら私には見えました。

後の話では、前日仕事を終えて帰宅したのが真夜中の12時だったとのこと。

疲れたままのお出かけで、適当に服を選んで慌てて家を出たのだそうです。

 

この日は、娘たちに出会った時から、私の心に影が差したせいでしょうか。

その後の先生と看護師さんとのコンファレンスも、私の心には重しがどっかりと居座るような雰囲気となり、何ともやりきれない日でした。

このお話の続きは次回に回します。

 

但し、白い運動靴には、その後、少々納得できた私です。

翌々日、病院からの帰りの電車内での事。

乗り合わせた車両で、センスのいい身なりをした女性が、なんと4人も、白い運動靴を履いていました。

何故、まるで体育の時間に履くような白なのでしょうね~

流行って、私には理解できないことが多々ある不思議な世界です。(笑)

 

追記(字体が変ですね。なぜ?理由が全く分かりません。PC制限時間は、朝は七時までと決めていますので、後ほど、書き改めたいと思います。)

家族にまつわるお話、その他色々なことを、具体的に書き過ぎると、自慢話、ブランド好きなどとの批判を受けそうで、ちょっと怖くもありますが・・・・・・。

私はできるだけ、具体的に書く方針をブログ綴りでは貫いてきました。

私のブログは、個人日記のつもりです。

自分史の一部を綴っているとの思いもあります。

 

年を重ね、ブログを書く気力がなくなった時は、読み返して愉しみたいもの、と。

出来れば推敲もやりなおしたい、と。

その時、具体的に綴られてると、その情景が生き生きとよみがえり、一層楽しめることでしょう。

 

そのうえ、少々お宅っぽい私です。(笑)

話題はどうしても家族のことが多くなります。

私は自慢する気持ちなど、サラサラありません。

 

そんな私のブログの趣旨をご理解いただけると、大変嬉しいです。

 

この二日間、身に余るようなたくさんの応援をいただき、驚いています。

本当に有難うございます。

 

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続 救急車で緊急入院した夫 

2015-09-15 15:50:48 | 病気

昨日の続きです。

救急車が、けたたましい、けれどどこか物悲しい響きのサイレンを鳴らしながら、我が家にやってきました。

私はこれまでの人生で、すでに幾度、救急車のお世話になった事でしょう。

夫はむろん、私も、私の両親も。

幸いにも、娘たちは一度も、この車に乗せられた事はありませんが。

孫のK君は幼い時、一度だけありました。

義父母さまの蓼科のお山の上の別荘での出来事です。

急峻な山の曲がりくねった坂道を、真夜中に疾走する救急車を想像するだけで、背筋が寒くなる思いがしたものです。

 

五年以上前の事。

夫が肝臓の大手術をする前日に、私はこの話を聞かされ、驚きと共に、両方の心配で胸が張り裂けそうになりました。

その時は旦那さまに申し訳ないけれど、Yさんの手術以上に、K君の事を心配したものです。

幸いにも大事にならず、その後は、その出来事が嘘のように元気になりましたけれどね。

 

 

救急車の想い出へと、またまたお話が脱線してしまいました。

夫の事に戻します。

我が家へと次第に近づいてくるこの音を、緊張した面持ちと慌しさの中で聞きました。

近所をお騒がせする恥ずかしさで、なんとも複雑な思いがする救急車ですが、お世話になるしか、他に打つ手がなく、いつも本当にありがたく思っています。

この車に乗るたびに思うことは、振動が激しく、乗り心地が非常に悪い事。

付き添いが腰かけるシートの上の天井は幾分傾斜気味で低くなっているため、私はいつも首を痛めます。

この度の件で乗車したときは、首を疲れさせないように、体の向きを工夫したりと。

 

低い天井には物々しい医療器具が吊り下げられていますが、私にはすっかり見慣れた光景になってしまいました。

いつもは1時間半くらい掛る病院に、およそ30分くらいで到着したでしょうか。

そのまま入院となった旦那さまですが、私たちがその場を後にしたのは、真夜中の二時過ぎ。

「私たち」の表現は、今はじめてですね。

実は長女のMちゃんが、最初から付き添い、同行してくれたのです。

 

 

友人と楽しく過ごし、その後、お買い物を済ませ帰宅直後の突発的な出来事に、私の体はすっかり参っていました。

夜遅く旦那さまに同行し、病院で医師の質問や指示にテキパキ対応する自信は全く持てなくて。

長女に助けてもらってよかった。

退社後、家の車で飛んで我が家に出向いてくれたMちゃんです。

車で救急車の後を追うようにして、病院に同行してくれました。

病院に到達後は、長女にすっかり頼り切り、私は、今にも倒れてしまいそうな体を支えるのが精いっぱい。

一度、エレベーターの前でふらつき、看護師さんに、「大丈夫ですか」と声をかけられました。

旦那さまはむろん、そのまま入院です。

 

自宅から病院に電話をかけたときは、明日まで様子を見ては等と言われました。

そのため、一時は救急車を呼ぶことをためらいましたが、意を決し行動に移して本当に良かったです。

後から担当医がおっしゃいました。

「とても適切な判断でした。

病院に来なければ、手遅れになっていたかもしれません」と。

 

私は、その言葉で、強く思ったことがあります。

病人が自宅で緊急の事態になった時、その対応の適切な判断が一番できるのは、いつもそばで見ている家族ではないかと。

しかし実際は、病人の気持ちを尊重し過ぎたり(病院い行くのをとても嫌がった夫です)、看護師さんや医師への遠慮もあったりで、言いたいことも言えず引き下がってしまうこともありますよね。

このことでの苦い思い出はいろいろあるのですが、、またいつかお話させて下さいね。

 

次女から色々な記念日にもらった、小物入れとハンカチ。
以前にもご紹介したことがありますね~
外出時には、必ずバッグに。
それだけで、お出かけが楽しい気分になり、元気が出てくる私です。

 

その日病院を後にしたのは、真夜中の二時を回っていました。

その後疲れ果てていたのでしょう。

二階の寝室に戻る気力もなく、ファミリールームの隣の和室で熟睡。

翌朝、日が高く昇った頃、隣の部屋で誰かが働く気配と音で、目が覚めました。

次女が、部屋の後片付けや、お洗濯、私の朝食の準備を進めてくれていました。

その後、出勤。

長女も、真夜中の帰宅ながら、朝早く会社へ。

優しい娘たちの協力に、改めて感謝一杯の私でした。

 

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救急車でまた緊急入院した夫

2015-09-14 06:56:54 | 病気

前回の一連の記事で、友人が入居している施設をまた訪問したことを、最後に綴りましたが、

その際、皆様にちょっとご心配をかけるような文を、終わりに書き加えてしまいました。

帰宅後の夜遅く、夫が救急車で病院に搬送されたことです。

しばらくお休みするにも関わらず、含みのある文章のままで終え、大変失礼いたしました。

 

相変わらず私の日記は長文ですが、多少でも短く、と心がけるため、最近は続編を設け、途中で打ち切ることが多くなっています。

夫介護で多忙な日日ゆえ、尻切れトンボの日記に度々なりますこと、お許しくださいませ。

 

8月30日の退院日。

介護タクシーで戻ってきた夫ですが、介添えに男手がもう一人必要とのことで、高1の孫息子R君が
手伝いに来てくれました。
夫が寝ているベッドは、レンタルです。

 

 出かけるとき、旦那さまに、

「困った事が起きたら、すぐ携帯に連絡してね。

戻るのに、三十分もかからないところにいるから」

と告げて家を後にした私です。

 

久しぶりの友人との会食で心は弾み、期待通りの楽しいひと時を持つことができました。

帰りは、最寄り駅前まで友人に送ってもらった私。

その後、スーパーで食材を買い、薬局で夫用の医療品を数点購入し、

「今から帰るからね」

と電話を入れました。

ところが、険しい旦那さまの言葉が跳ね返ってきました。

「早く帰ってきてくれ~」と。

感情的な声で、まだ余韻に浸っていた楽しい気分が、吹っ飛んでしまいました。

 

タクシーに乗り、慌てて帰宅。

二階の寝室に上がると、旦那さまがソファーに横になっていました。

その姿はいつもと変わりありませんでしたが、腹部に目をやると、血が大量に流れたらしき血痕が。

パジャマのみならず、ソファー、絨毯も至る所、赤く染まっていました。

 


8月30日、放射線治療と抗がん剤治療を終え、三週間ぶりに我が家に戻ってきたときの夕食です。
その数日後に、また緊急事態が発生しました。

 

このようなことは、過去にも数度ありましたから、さほど驚かなかった私です。

恐らく腹部から挿入したドレーンが毛細血管に当たり、傷がついたのでしょう。

落ち着いて処置し、そのあと病院に電話をかけるかどうか決めようと思いました。。

 

その日は、友人が車で迎えに来てくれるのを外で待っている間も、顔に汗が噴き出すほどの異常な暑さでした。

猛暑の中、久しぶりの外出で、かなり疲れていた私です。

その体を鞭打って、夫の介護と血痕の後始末、夕食の準備をしなければなりません。

私のストレスは、まさにマックス状態になりました。

でも手伝ってくれる人は誰もいないので、一人で頑張りぬくしかありませんでした。

 

まずは、旦那さまの体の状態に、いつもと変わったところがないか、丁寧に見廻しました。

ドレーンの挿入口からの出血がほとんどですが、人工肛門のパウチを取り付けたところからも、珍しく出血しています。

何だか次第に不安になってきました。

何はともあれ、やはり病院に電話をかけましょう。

 

夫の介護方針をいろいろ検討して下さっている看護師さんに、まず最初に連絡しました。

我が家の訪問看護士さんとも、情報交換をしてくださっている方です。

その看護師さんは、「明日訪問看護師さんが見えるなら、その時まで様子見でもいいかもしれない」とおっしゃいました。

 

 

同様な状況に、既に数回見舞われたことがある夫。

今まではそのたびに救急車で病院に駆けつけていました。

しかし、この日は疲れ切っていた我が身。

夜も更けて病院に出かけるのは、とても厳しい事だったのですが。

通常は到底無理なことでも、、このような時は馬鹿力が出る私です。

この蓄積疲労が、のちに思わぬ出来事となって、私を襲うことになるのですけれどね。

 

 

私は、無理をしてでも病院に出かける覚悟ができていましたが、旦那さまはひどく嫌がりました。

まるで子供が駄々をこねるようでした。

「病院に行くのは嫌だ!嫌だ!」と半分泣きべそをかくが如くの反発です。

 

どうしたものかと、私は戸惑いながら、旦那さまの血で汚れた体を清拭し始めました。

するとYさんが言いました。

「寒いから、エアコンんを止めてくれ」と。

そのうちに体が小刻みに震え始めたのです。

熱を測ると39.8分もあるではありませんか。

これは大変!

 

 

癌を患って以来、こんな高熱に見舞われたのは初めてです。

どんなに、旦那さまが嫌がっても、病院行きは決定。

高熱が出ていることを話し、救急車を呼ぶことを納得してもらうために、必死で説得し続けました。

それでも嫌がる旦那さま。

「病院に行くと死んでしまう」

と苛立った言葉が返ってきます。

 

「免疫力が落ちている体だから、病院へ行かないと、肺炎や敗血症になり、あっという間に命を落としてしまうかもしれないのよ。

救急車呼ぶわね」

と言いながら、私は大慌てで、入院のための備品一式を旅行バッグに詰め込みました。

もちろんその前に病院に連絡も入れました。

長くなりましたので、この続きは、明日の続編とさせていただきます。

 

 

追記

この度は、またある方のコメント欄に私の思いを数度綴り、お騒がせし、申し訳ありませんでした。

MさんとKさんには、

「いつまでもいつまでも、いい加減にして下さい」

と言いたい気持で一杯になってしまいました。

全く関係にないことで、私のハンドルネームを露わにしてまで、私たち姉妹を中傷する記事を見て、苛立ちが抑えられなくなってしまった私です。

(その後、その記述は削除されたようです)

今も相変わらず、事実と異なる身勝手な言い分で、私の事が批判され続けていますが。

 

恐らく、夫の症状が思わしくない時でしたので、神経が過敏になっていたのかもしれません。

冷静になってから、書き込んだことを大変後悔しました。

今反省しきりでおります。

その節は、えありすさまのお言葉に、いかに、私は支えていただいたことでしょう。

改めて、心より厚く御礼申し上げます。

 

とても私が太刀打ちできるような人たちではありません。

もういい加減、私たち姉妹を中傷するのはやめて下さらないでしょうか。

 

「頓馬」の言葉が余程ひどい私の言葉として、記憶に刻まれておられるようですね。

幾度も取り上げられ、私を非難しておいでですから。

 

この言葉は、「こんなに頓馬な受け答えをする可愛い管理人さんを見るのは初めてです」と、私は書きました。

 

過去に「愚か者の虚言」という、私を批判することだけが目的のブログが立ち上げられました。

広島で被爆した私が風評被害を心配するあまり、その思いを綴ったコメントをKさんのブログのコメント欄に入れさせていただきましたが。

自分のブログに「うんこ」をまき散らした、と激しい言葉で私を非難されました。

「愚か者の虚言」に最初に載った記事です。

原子力に非常に詳しく、理論物理学者の次女婿に質問状を突きつけるような管理人さんでした。

 

ところが途中から白い花など、植物を多くたとえにして、寓話的比喩的な物言いで私を非難するするようになられました

管理人さんの雰囲気が急に変わり、びっくりした私です。

その時、過去の流れがまるで理解できていないような受け応えを、管理人さんがなさり始めました。

それに対して、私がユーモアを込めて語りかけた言葉に過ぎません。

「こんなに頓馬な受け答えをする可愛い管理人さんを見るのは初めてです」と。

 

いつもの事ですが、前後の文を省略して私の言葉を取り上げ、自分の都合のいいように変色し、非難なさるMさん達。

お願いですからもう止めて下さい。

一事が万事、この調子で、私はやり切れない思いをし続けてきました。

いつまで、私と姉妹への中傷が続くのでしょう。

その執念と執拗さには驚くばかりです。

 

この度は、弱い心を抑えられなくなってしまいましたが、今後は今まで通り、平然と無視できる自分でありたいと、強く願っています。

 

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