今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

悲しい問いかけ

2011-03-31 05:50:24 | 日記

お母さんはどこ?

ネットのニュースで、このタイトルの記事を読み、小1の孫に重ね合わせた私は、悲痛でいたたまれない気持ちになりました。
まだ厳しい現実がよく把握も理解もできない年頃なのですね~。

お子さんは学校にいて助かったものの、この子のご両親は津波に呑まれ、亡くなられたようです。
そのことが、まだ知らされていないのでしょう。
毎日、お母さんが迎えに来るのを待ちわびているとのこと。
幸せな家庭が両親ともども一瞬で奪われてしまった子供達。
今後の生活を、私は心配せずにはおられません。
行政は、この子たちの幸せな未来を如何に築き、見守っていくのか。
地味ながら、今後の重要且つ大切な課題であることを肝に銘じてほしい、と願います。

東京と横浜にも震度5強の地震が襲ったとき、私が一番心配したのは、孫達のことでした。

長女の小5のR君は、自主判断で4時以降の行動は、帰宅も学校への居残りも自由だったようです。
そのため、Rは帰宅して、共稼ぎの両親が戻るまで、揺れが続く家で一人で過ごしました。
小1の子は、ママがお迎えに来るまで保育園で待機。
次女の五歳の子も、育児中のママがお迎えにくるまで、保育園の校庭に全員避難していました。
子供達の自主判断との、都内の小学校の無責任な対応には驚かされましたが、とにもかくにも全員無事で、心から安心しました。

しかし未曽有の災害で、東北では、多くの子供たちが犠牲となり、親を失った子も多いことでしょう。。

時折、避難所ながら、ゲームに興じ、笑顔で過ごす子供達の姿がテレビに映し出されると、見る者の心がいやされ、ほっとすることもあります。

娘達は、子供達は地震の危機感がまだないため、親が心配するほど怖がらなかった、と言いました。
避難所の子供達も、心に刻まれた恐怖の体験を、子供特有のおおらかさと明るさで乗り越え、私達の心配をよそに、きっと逞しく成長してくれ
るに違いありません。

ママどこ?は本当に辛いニュースですが、一方、うれしい報道も目に留まりました。
乳児を抱える母子を、同じ施設に集め、保育士が面倒をみる配慮が、一部でなされはじめたとのこと。

私も、五カ月の乳児を抱え、このたびの震災にあった次女の生活を慮ってきました。
放射能物質騒動で、都民までもが浮き足立ち、その後も一向に原発が改善する様子がなかったゆえ、孫のことを心配するあまり、つい悲観的な
事を語ってしまった私。

その時娘が言いました。

私は過剰に心配することなく、できるだけ平常心で暮らすように努めているの。
ストレスがたまると、母乳ががでなくなってしまうから、と。

本当にその通りですね~ 

ストレスで母乳ががでなくなった被災地の若いお母さんたちも、乳児専用の避難所に入り保育士の心遣いを受けるようになってからは、、赤ちゃん
にもお乳が与えられるようになったそうです。
高齢者に目が向いた報道が多い中、若いお母さんに焦点が当てられたこの度のテレビのニュースを、私は殊更、嬉しく思いました。

放射能の我が子への影響に怯えながら暮らす、福島の若いお母さんたちのご苦労と不安は、如何ばかりでしょう。
ミネラルウォ―ターの確実な提供など、多方面での手厚い保護を心から望みます。

福島原発は収束の兆しが一向に見えず、あまりに不安で、最近は怖いものには目をつぶる、の心境でした。
しかし、有識者を集め、あらん限りの知恵を絞り、解決を模索する中、一縷の光明が差してきたかのようにもみえます。

それにしても東京電力の社長さんの高血圧による入院は、体調ゆえ、批判するのは気の毒で、心苦しいですが、情けない報道でした。
被災地の方のご苦労を思えば、気力で頑張れないものでしょうか。
私でさえ、人生乗り越えなければならない大変な苦労もありましたが、苦労の最中に倒れたことは、一度もありません。
無事に乗り越えほっとした時に、必ず病が襲いました。

独占に近いお殿様企業では、たくましさに欠ける社員が多いのかもしれない、と勝手に想像しています。

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