今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

六月の日記~沖縄慰霊の日に寄せての私の思い

2018-07-12 07:17:49 | 想い出

6月23日は沖縄の慰霊の日でした。

テレビでは、その式典の様子がたびたび取り上げられ、報道されていました。

太平洋戦争の末期、沖縄で繰り広げられた戦争が、如何に悲惨なものであったか。

人語につくし難いものであることは、終戦直前に生を受けて、戦争の記憶がまったくない私でも、想像がつきます。

そして戦後70年以上が経った今でも、沖縄の人達の気持ちが完全に癒えていないことも。

 

長年にわたり、沖縄の住民と政府の間では基地問題での闘争が続いていてきました。

私にはそれについての意見を述べる資格などありません。

勉強不足で、知らないことがあまりに多すぎるからです

行政の取り組みと沖縄の人達の気持ちとの折り合いを、どのように今後付けて行くのか、私は見守るだけです。

 

北朝鮮問題が平和解決に至り、すべての国と友好関係が結ばれるようになれば、沖縄の基地問題も自然消滅するのかもしれないけれど。

そんな夢のような平和な世の中が実現するのは、まだまだ先のことでしょう。

子供たちや孫たちのために、そのような日が訪れることをを祈って止まない私ですが。

 

この度の米朝会談によるトランプ氏と正恩氏の良好な関係も、どこまで信じてよいのか。

私はまだ半信半疑です。

正恩氏をバックアップす中国の動きが、私はとても気になります。

 

 

最後に、私がこの記事で一番書きたかったことを記します。

私は旅行好きではなかったので、国内外ともに、訪ねたところの数は知れています。

その中で、あなたが一番印象に残っている場所はどこですか?ともし尋ねられたなら、私は迷わず答えられる所があります。

 

 

それは沖縄の喜屋武岬。

沖縄本島南西端に位置する岬です。

沖縄戦でアメリカ軍に追われた住民が行き場を失い、身を投じた場所。

 

妹と沖縄旅行をした時、私が強く希望し、二人でこの場所を訪ねました。

タクシーに乗り、まだ舗装されていない田舎道を抜けて、その岬に到達した私達。

まだ観光化されていなかったのでしょう。

人影は全くなく、妹と二人だけで、岬の海を望みました。

眼下に見下ろせるコバルトブルーの果てしなく広がる海と、海岸に打ち寄せる白い波。

抜けるような青い空。

その絶景の余りの美しさに、私は言葉を失ってしまうほどでした。

同時にこの美しい海に身を投じた沖縄の人達の悲劇的な最後を思い、たまらない気持ちに駆られ、胸が詰まりました。。

 

 

ここを訪れる前、私達は、摩文仁の平和公園内にある資料館も見学しました。

そこに展示された写真を観て、私は複雑な気持ちに。

アメリカ兵が、沖縄の住民を優しく扱う写真が多かったからです。

それも真実の一面だったかもしれないけれど、当時の残虐さは、そんなものではなかったはず。

 

沖縄の悲しい残酷な歴史を飲み込んで・・・・・・。

切なくも優しく白波が打ち寄せる喜屋武岬の絶景が、今も私の脳裏から離れません。

 

         

 

またしばらくお休みに入ります。

まだ決めかねていることですが、9月まで夏休みにしようかとも。

早朝のブログ綴りも控えて、少しでも長く睡眠をとり、体力増強を図りませんと、猛暑を乗り切れそうになくて。

一方では、書くことで元気が湧くとも言えないでもなく・・・・・・。

ブログ綴りへの対応は迷ってばかりいる私です。

 

まだお伝えしていませんでしたが、今我が家には新しいパソコンが届いています。

実は今使用しているパソコンは、外枠が壊れ、大変なことに。

それでも機能には差し障りがなく見ることもブログを書くことも、辛うじて、できています。

 

でもこの際、思い切って、最後のパソコンと思い、今までと同様の富士通の商品を買い求めました。

思いがけない出費なので、後半の家計は、ますます引き締めなくてはなりません。

でも嬉しい!

PCの反応の鈍さに因る時間の無駄をなくせるからです。

今度こそ、PCのソフトの整理整頓を心がけ、きれいに使用したいもの、と願っています。

 

最近パソコンへの向き合い方も、随分変えました。

その結果、時間を思い切り短縮することに成功!

とてもとても満足しています。

これら色々なことについての詳述はお休み明けに致します。

 

最後になりましたが、この度の豪雨の災害には、本当に驚き、心が痛み、つらい気持ちが拭えません。

特に郷里の被害が大きくて・・・・・・。

そんな中、気丈に頑張っておられる被災地の皆様の姿を報道で観るたびに、感服しています。

どうかくれぐれも健康にご留意され、この艱難を乗り切ってください。

 

一方では、体調を崩し寝込まれている方も多いに違いありません。

お察し申し上げます。

お大事になさってくださいね。

 被災地の皆様が、穏やかな日常を一日も早く取り戻されますように、ひたすら祈っています。

 

政府は防災対策に、今後はもっともっと力を入れて下さい。

「人の命は地球より重い」といった人がいましたよね。

人の命を守るための施策を行政の第一課題にして欲しいとさえ、最近しみじみ思う私です。

 

もう一つ、お伝えしたい私の気持ちが。

死刑はやむを得ないこととはいえ、オウム信者と教祖七人同時執行には、複雑な気持ちに私はなりました。

それを受け止めざるを得ない国民の気持ちや、死刑が禁止されている国々の思惑など、もう少し想像力を働かせて臨んでほしかった、と。

 

色々思うことがたくさんありますが、時々相変わらず痛む足をかばいながら、猛暑の日々を元気に乗り切れるように、私も頑張ります。

 

 

 

 

 


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六月の日記~人生における良き友との出逢い

2018-07-11 07:02:03 | 

この数年の間に、私は親しい友人を、三人も失いました。

さらに、遠い過去に遡りますが、大学時代の親友も、40代の時に失っています、

この度の親友との再会でも、

「あっちゃんがいれば、大学時代がそのまま再現できたのにね~」

と言い合いました。

 

キリスト教の信者だったあっちゃんの美しい大きな瞳は、独特の雰囲気をたたえていました。

いつも夢見るようで、天上に向けられている感じがしたものです。

その澄んだ目で時々、私はじっと見つめられました。

 

 

郷里も違い全く見も知らなかった人たちが親しくなっていく過程は、どんな風なのでしょう。

やっこちゃんの話では、私から声をかけたようです。

初めて出逢った時の私のキラキラ輝いた目が忘れられない、と話してくれました。

 

私は、自分が人づきあいが上手だとは全く思っていません。

どちらかといえば 苦手な方かも。

ニコニコ笑って、聞き役でいることの方が多いです。

自分から積極的に友人を作ろうとするタイプではありません。

でもこの人は、心から信頼できると判断すると、素直に自分の心を吐露できます。

 

その様な人に巡り逢えることは、めったにありませんが。

そういう人に出逢うと、特別努力しなくても、お付き合いが深まり、いつの間にか、一生の友と言っていい関係になっていました。

そういう間柄になった友達から、嫌な思いを受けたり、裏切られたことも一度もない私。

麗しい友人関係でずっといられました。

 

人生で一度のみ、友達作りの過程で、辛い思いをしたことがあります。

前記事でも、中高時代は暗い所があったと私は書きましたが、その理由の一つに、この友人関係が挙げられるれるかもしれません。

中学生の時、クラスに、学業も優秀で、私が敬愛してやまないクラスメイトがいました。

優しくて、思慮深く、物静かな雰囲気の方でした。

家も割と近かったので、私は、「本当の友達」になりたくて仕方なかったのですが。

 

しかしそのIさんは、他の三名の人と仲良しグループのような雰囲気となり、特別な親しさを醸し出すように。

私がそこに入れる余地は全くありませんでした。

とても傷ついたのを、今でもよく覚えています。

 

 

無視されたり、いじわるされたわけではなかったのだけれど、自分の気持ちを受け入れてもらえない辛さは、どうすることもできませんでした。

その傷心を中学生の間は、ずっと引きずってしまいました。

 

もっと成長してから、Iさんが私と本当の友達になることを拒んだ理由は、とてもよく分るようになりました。

奥手で、余りに世間知らず。

自我の確立が遅かった私は、根無し草のような雰囲気でしたから。

一方では、清純派タイプに見えたらしく・・・・・・。

花にたとえれば白百合なんて、よく言われたものです。

彼女は、親友の関係を築くには、わたしは幼過ぎて、きっと物足りなかったのでしょう。

 

その彼女と、卒業以来、初めてといっていい再会が、5~6年前にありました。

鳥羽方面に、小学校の恩師のお墓参りに、十名足らずの同窓生と出かけたときのことです。

実は彼女は、その恩師のお子様でした。

そのため、お墓に案内してくださったのです。

 

 

その後しばらくして彼女から、見惚れてしまう程に美しい筆跡のお手紙を頂きました。

お墓参りのお礼状だったのですが、最後に、とてもとても嬉しい言葉が添えられていました。。

それを読み、、過去の辛い思い出が完全に払しょくされたような思いになりました。

 

その言葉とは、

「どんなに素晴らしい人生を送っていらしたか、貴女を一目見て、すぐ分かりました」

というものでした。

余りに嬉しくて、ブログ上で、過去にすでにご紹介したことがあります。

Iさんは、茶道の先生として、ご活躍のようで、楚々とした優しい雰囲気は、中学生時代と全くお変わりなくて。

 

彼女は、きっとおそらく、中学時代の私を想い出されたのでしょう。

その印象がガラッと変わり、驚かれたのかもしれません。

私は夫の介護と腰痛で大変な時だったのですが、私の人生の軌跡を、賢明な彼女は、一目で理解して下さったようでした。

 

彼女からいただいた過分な言葉は、私の一生の宝物です。

いつかゆっくりIさんとお話しする機会を持ちたいものと、今では願っています

 

私の料理ブログです。

宜しければ、こちらにもお立ち寄り下さいませ。

https://blog.goo.ne.jp/karensakura0403


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六月の日記~ハリル前監督の退任への私の思い

2018-07-10 07:19:14 | スポーツ

日本がサッカーのワールドカップで、まず一勝を上げました。

アジア勢が、南米のチームに勝利を収めたのは初めてとのこと。

欧米の報道でも、日本の勝利が取り上げられ、絶賛されているようです。

自分が好きなスポーツチームが勝利すると、無条件で嬉しく、時に私を、歓喜の絶頂に導いてくれます。

国際試合は特にそう。

心の中にある健全なナショナリズムが高揚するようです。

自国を愛する気持ちの率直な顕れなのでしょう。

 

日本代表お疲れ様でした!の画像 プリ画像

 

しかし、この度のワールドカップにおける、日本のサッカー協会の下したハリル前監督への対応。

私はいまだに納得できないものがあり、今一つ気持ちが晴れやかになれません。

コミュニケーション不足といった理由だけで。

三年以上、渾身の努力を続けてこられたであろうハリル監督を、ワールドサッカーが始まる直前に首を切るなんて。

アジア予選では勝ち抜いて、代表をものにする功績も上げています。

それなのに。

余りに非情過ぎると思いました。

 

ワールドカップの好ましくない結果を見て、解任を言い渡すのであれば、それはスポーツ界では当然の事なのでしょうが。

実績や試合結果ではなく、コミュニケーション不足とは、理由があまりにも曖昧。

ベテランの一部の選手の不満に応えただけのような感じがしてならなかった私です。

会見でもって、長々と納得が行かない自分の心の内を吐露されていたハリル監督でしたが。

それを観て、私は同情を禁じえませんでした。

 

こんなことを書くと、白い目で見られそうで、怖くて、ブログで触れるつもりはなかったのですが。

最近読んだ新聞記事で、私と似た思いでいる人たちがいることを知りました。

サポーターの人達です。

そういえば、彼が会見をした時、サポーターから花束が贈られましたよね。

 

純粋にサッカーを応援するサポーターたちにとっても、納得に行かない事だったに違いありません。

ハリル監督は、この人たちの思いを知って、随分救われた事でしょう。

 

母国から、日本を応援する、ハリル氏の温かな言葉もありました。

西野監督の風貌も、私は好き。

ですから、今は過去の嫌な出来事は忘れて、日本を懸命に応援しています。

 

私の料理ブログです。

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六月の日記~地震による女児の痛ましい死 

2018-07-09 07:30:58 | 備え

関西方面を大きな地震が襲いました。

犠牲者の中に、小学4年生の女の子がいました。

通学途中、学校の塀の下敷きになって亡くなるなんて。

あまりに痛ましくて、許せない事故のように感じ、胸ふさぐ思いに、私はなりました。

児童会の委員として、生徒に、朝の挨拶の声掛けをするために、いつもより早く登校したとのこと。

張り切って出かけた女の子の明るい気持ちが、手に取るように理解できます。

日頃の孫たちの暮らしに重なるからでしょう。

 

 

ブロック塀は違法建築だったに違いないと、私は推測できたゆえの怒りだったのですが。

その通りだったようですね。

学校は児童を教育することが使命であることはいうまでもありませんが、もっと大切なことがあります。

子供の命を学校にいる限り、守り抜くことではないでしょうか。

それなのに、違法の学校の塀で犠牲になるなんて、許せることではありません。

 

私は、孫が通う学校の建物の耐震構造がとても懸念され、娘に数年前、学校に説明を求めてはどう、と言ったことがありました。

何故不安になったかというと、窓に目に見える形で補強がしてあるからです。

外見上、とても見苦しいにもかかわらずです。

耐震面の不安を抱えた建物であることが、その様子から、明らかにわかります。

そのような補強でもって、一時凌ぎをしているように見えて仕方がない私。

見苦しい校舎を見る度に、私の心に不安がよぎります。

次女は、そんな要望をする父兄なんていないわよ、と言ってまるで相手にしてくれませんでしたけれどね。

 

避難誘導の訓練(数回、私は参加しました)も大切だけれど、校舎が倒壊することの方がもっと怖いです。

中国の四川省で大きな地震が起きたとき、校舎が潰れ、圧死で多くの児童が犠牲になりましたもの。

 

 

私には学校が地震の際にとった児童への対応で、嫌な思い出が他にもあります。

 東日本大震災の時のことです。

親たちは出勤していましたから、何よりも孫たちのことが気になりました。

 

長女家の長男のR君のことです。

長女宅に電話したところ、なんとR君が一人で在宅中でした。 

学校は、帰宅するかどうか,本人の意思に任せたようです。

 

私はそれを聞き、呆れ返りました。

小学生の児童が、地震から逃れるために、咄嗟に一人だけで正しい判断が採れるとはとても思えないからです。

学校側が、親が迎えに来るまで子供たちを守り抜く義務がある、と私は思いました。

親が深夜に帰宅するまで、R君はさぞかし怖い思いをしたことでしょう。

 

 

 

学校はあらゆる災害に備え、万全の対策を講じる義務があります。

大切な子供たちの命を預かっているのですから。

学校に限らず、日本の防災対策は、想定外の結果に見舞われる度に、後だしで進歩してきたような感じがしてなりません。

ブロック塀の調査に、慌てて今頃乗り出している状況も、まさにその通りですね~。

それでは遅過ぎです。

 

地震国、火山国、台風も多くて、自然災害は避けられず、宿命のような我が国。

いくら進歩したとはいえ、自然災害を科学技術で予防することはできないのでしょうが。

この方面の対策と技術に、日本の資本をもっともと注いで、世界で一番自然災害に強い国と言われるようになってほしいものです。

 

追記

この度の集中豪雨により、多くの犠牲者が出ました。

信じられない思いで、報道を観ています。

昨日は息苦しい症状がまた出て、自分の精神的ショックの大きさにも気付かされました。

犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

 


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六月の日記~さくらちゃんのクラブ発表会と徒然なる思い

2018-07-08 10:00:58 | 

6月23日の土曜日、長女家の孫娘、さくらちゃんの所属するクラブ、吹奏楽部の発表会がありました。

ママから連絡があった時、さすがにちょっと迷った私です。

出かけることが最近多く、かなり疲労気味。

この週末は、家でのんびり過ごしたい、と思っていたからです。

「残念だけれど、今回はやめておくわ」と一度は言いました。

でも日が近づくに連れ、やはり行きたい、との気持ちが自然に湧いてきました。

 

音楽に詳しくない私は、出かけたところで、席に腰かけ、心を無にして聴き入るだけです。

とは言っても、その時受ける感動は、とても清々しくて。

清潔感にあふれ、若さがみなぎるような演奏と言えばいいでしょうか。

若返った気分になり、元気を一杯もらえます。

ですから、一度は断わったものの、やはり行くことにしました。

 

演奏会の記事は、もう4~5回綴ったでしょうか。

いつも同じような感想しか私は書けなくて。

ですから、今日はその話題は終わりにして、別のお話に移ります

 

 

さっちゃんのクラブ発表会に行くに当たって、私にはもう一つの愉しみがあります。

長女のMちゃんとのお茶の時間です。

近くに住む次女とは違い、なかなか長女には会えません。

ですから、この時とばかりに、私は日ごろ気になっていることなど尋ねて、心を休めるようにしています。

 

いま心配でならないのは、私にとって初孫の浪人生のR君のこと。

どこか私の中高時代に似ているようで、何だか責任すら感じてしまいます。

私は、良き先生に恵まれ、受験では推薦という逃げ道があり救われました。

そのお蔭で、名門の中堅の大学に無事入学できましたが。

 

演奏会の前に、Mちゃんと昼食をとったレストラン。
窓越しの風景が、なんと素敵な事。

 

R君は頭はいいのに、勉強の意欲が湧かず、勉学の面では、無為に過ごしてしまった中高時代のように見えます。

でも国語力はすごい!

大手塾の模擬テストで最近貰った判定は、Aのようです。

偏差値も60以上。

手伝いに行ったとき、成績表がテーブルの上にあり、盗み見みしてしまいました。

 

国語力がそんなにあるということは、他の科目は散々でも、伸びしろがいっぱいあるということ。

私はそう思っています。

思考力がすぐれていて、私たちが思うより、はるかにR君は成長しているのでしょう。

 

自信を取り戻すことが一番大事と思い、私はできるだけ褒めるようにしていますが。

それさえも、ストレスになることがあるでしょうから。

注意しないといけませんね。

 

おばあちゃんが孫のことに口を挟むのは良くないと思い、極力控えるようにしているのですが。

娘に会うと、心配の余りつい・・・・・・。

 

 

今回は、とても素敵なレストランで、演奏会の前のひと時、昼食を共にしました。

お洒落な人が行き交う街です。

センスの良い服装で身を装い、さっそうと歩く娘にも、思わず見とれ、頼もしく思いました。

 

R君のことが心配で、相当のストレスを抱えているでしょうに。

逞しく日々を送るMちゃんにも、私は心からのエールを送りたい気持ちでいっぱいです。。

 

その点、長女家の次女さっちゃんは、娘の話だと、いい加減なところがかなりあるようだけれど・・・・・・。

大好きな音楽に打ち込み、心から学園生活を楽しんでいる様子。

吹奏楽部の演奏会とピアノの発表会には私はいまのところ必ず出かけ、皆勤賞です。

夏休みには、短期留学の数十名の募集枠に無事合格し、ひと月ほど留学をすることになりました。

 

四人四様、個性がまったく異なる孫達

それぞれの個性を生かして、大きく羽ばたいてほしい、と心からバアバは願い、祈っています。

 

 

 


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六月の日記~ミニ同窓会

2018-07-07 07:21:48 | 

ここしばらく、本当にお出かけが多くて、色々なイベントを心から愉しんでいます。

脚の調子は、今一つなのだけれど、大事を取って家にこもる選択は今の私にはないようです。

無理をして、健康寿命が短くなる懸念も無きにしも非ずですが・・・・・・。

元気なうちに、愉しめることは思い切り楽しみましょう。

そんな心の持ち方があってもいいのかもしれません。

先日会った大学時代の親友にも、そのようなことを言われました。

 

一緒に海外旅行もしない、と誘われたけれど、さすがにそれは無理かな、と思っています。

それに、私はもともと「おうち」が大好きな出不精人間。

今は、特別以外の何物でもありませんから。

 

前置きが長くなりましたが、今日は中高の同窓会のお話です。

昨日(6月20日)は、強い雨の降る中、新宿の商用ビルの地下レストラン街で開かれたミニ同窓会に出かけてきました。

中、高と書きましたが、実は小学校も含みます。

集まるメンバーはいつも大体同じ。

ミニ同窓会といった感じです。

 

母校です。
正門の傍の講堂は、当時と変わらないまま。

 

母校の中高は、難関の試験を突破して入学した人たちが大半を占めていました。

夫もその一人です。

けれど、私のように「内部生」と言って、小学校からのエスカレター組もいました。

ですからこの同窓会では、小学校の思い出話もよく出ます。

2クラスしかなく、担任の先生も六年間変わりませんでしたから、その頃の仲間たちへの懐かしさには、特別なものがあります。

 

同窓会で集まった時、皆が異口同音に口にする言葉は、「自由でいい学校だった」との母校への賛美です。

私に限って言えば、中高時代の思い出には、少々複雑なものがあるのですけれどね。

ブログで前にも語ったことがありますが、小学校時代は勉強はほとんどしなくても、成績はオール5のことが多くて、トップクラス。

元気一杯、クラスではリーダー格の一人でした。

 

ところが、中学生になると、受験勉強をして難関の入試を突破した優秀な外部生に圧倒され、すっかり萎縮。

影の薄い、おとなしい学生に成り代わってしまいました。

思春期特有の向上心はありましたけれど。

勉強の要領も悪く、体力も劣っていて、自信喪失が甚だしい時期だったのです。

成績も急降下でした。

ですから、中高の思い出には、とても苦いものもあります。

 

サッカーが当時はとても強くて、全国制覇をしたこともあったのでは。
記憶が曖昧ですが。

 

でも今では、同窓会の席で、そんな辛い思い出も平気で皆に語れる私。

今回の席でも、私が自分の過去を振り返り、そのように述懐すると、

「そんな風には見えなかったわ。明るい努力家に見えたわよ」

との友の弁

 

五月の日記の記事でも、同窓生と会ったことを話題にしましたが、

似たような事を言われました。

周りの人が私から受けた印象は、どうも違うようです。

 

この度の会でも、お酒の勢いで、

「~さんにあこがれている人が、何人かいましたよ。僕もその一人でしたよ。

その面影が今もあるよ」

などとからかわれました。

私自身は、少々暗い中高時代とずっと思い続けていたので、お世辞でも、チョッと嬉しい言葉でした。

 

同窓会は、楽しいのだけれど、少し疲れるところもあります。

お酒が入り酔うと、男性の方々の乗りがすごいですから。

私は、中高時代と根の気質はあまり変わっていないのでしょう。

同じ席にとどまっているだけ。

席を変えてまで、おしゃべりに興じる性格ではありません。

同じクラスだった人、小学校から持ち上がりだった内部性の人達が私の傍に来てくれるのを待っているだけ。

まったく覚えのない人達もいますから。

 

そんな私でも、参加するだけ、まだよい方なのかもしれません。

女子の出席率は、いつもよくありません。

 

 

私は、同窓会の雰囲気に馴染み、心から愉しんでいるとは言えないかもしれないけれど・・・・・・。

その席に身を置くと、遠い青春時代が蘇えるようで、心地よいものがあります。

私にとっては、反省と悔恨の中高時代と言ってもいい時でしたのにね。

やはり懐かしい。

 

今回は、いつもより女性の参加が多く、6名。

3名の方は、その当時、とても優秀で、特有の風格と落ち着きがある人でした。

私には、近づきがたく、ちょっと怖い存在だったようにも。

今も、その雰囲気は余り変わっていらっしゃいませんでした。

 

その人の個性、持ち味などは、50数年経過しても変わらないもののようです。

その中では、私は大きく変わったほうかしら。

妹には、「二十代の頃の弱々しいお姉さまとは、今は別人のよう」と言われたことがあります。

 

それが成長の証なら、嬉しい事ですが、果たしてどうでしょうか。

同窓生の目には、どのように自分が映っているのか、ちょっと気になる所です。

 

追記

この度の集中豪雨で、厳しい状況に見舞われておられる方々に、心よりお見舞いを申し上げます。
郷里でも犠牲者が出ているようです。

当地はいまのところ大丈夫のようですが、荒っぽい風が吹くだけでも、体調が悪くなりそうな私です。

被災地の皆様のお気持ちは如何ばかりでしょう。

どうか心を気丈にして、くれぐれもご注意の上、元気に乗り切って下さいね。

被害が少ない事を、ひたすらお祈りしています

 

 

 

 

 

 

 


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六月の日記~舌が肥える 

2018-07-06 07:23:16 | 

この度の友のわが家訪問では、私の手料理を振る舞って上げたい気持ちは一杯あったのですが・・・・・・。

体力的なことが気がかりなうえ、時間的にも無理。

そのため、昨日書いたように、外食となりました。

今日の記事は、友のことではなく、タイトル通り、[舌が肥える」の言葉の意味を痛感した思い出について記します。

 

友からの思いがけない、嬉しい贈り物。
同様の食器をほぼフルセットで持っているので、何よりのものを戴き大喜びしてしまいました。
わたしからは、大判のレースのハンカチ他。

 

わが家は、レストランで夫婦二人、食事を愉しむといったことは、ほとんどありませんでした。。

夫は徹底した外食嫌い。

家庭の味を好む人でした。

会社で、接待やお付き合いの外食が多すぎた、その反動かもしれません

私が誘っても、絶対乗ってくれなくて。

外出先で、とても疲れているときは、少々悲しく思ったものです。

子供達と一緒の時だけは、嫌がらず共に愉しんでくれましたけれどね。

 

 最近のわが家の夕食です。
ひじきずし・冬瓜のえびそぼろあんかけ・冬瓜の冷やし汁・いかとねぎのかきあげ・きんぴらごぼう・小松菜のおろし和え
レシピは、料理ブログにて記す予定です。

 

そのせいか、私も友人や妹共にする食事は別として、一人暮らしになってからも、外食を愉しむことはほとんどありませんが。

夫の墓参で郷里に戻った時、旅先でホテルに宿泊する時などは、贅沢な会席料理や、コースのフランス料理など、一人でもいただくのを愉しむようにしています。

一人で街中の高級レストランに入る勇気はありませんのに、宿泊客の特権の如く、ホテル内のお食事処だと、平気になれます。

ですから一流の味が味わえるそのチャンスは逃したくない私。

一人ですから一品一品の味をゆっくりと堪能もできます。

 

一流のお料理の味を知ると、舌が肥える、と言いますよね。

とは言っても、自分の舌が肥えたと実感することはあまりありませんでした。

家では、いつもレシピ通りに料理を作る私ですから。

レシピ通りに作っても、美味しい美味しくないの料理の選別はしていたでしょう。

その基準は確かなものになっていたかもしれません。

上等の味を知ると、それが刺激となって、私は料理に臨む気持ちが新鮮になり、作る楽しみが新たに湧いてきます。

 

今週は、1週間、次女家の旦那さまが海外出張で留守です。
そのため、長女家に代わって、次女家に奉仕しています。(笑)
お重箱に詰め、保冷袋に入れて、運びます。

 

この度のロイヤルパークホテルで友人と共に愉しんだ和食も、とても美味しくて、二人で感動しました。

その翌日の朝食も。

やっこちゃんは、バイキングが苦手とのことでしたので、朝食も和食処でいただきました。

 

 ホテルの朝食

 

そしてお昼も、前もって私が予約していた近所の小料理屋へ彼女を案内しました。

店主さんは、とても雰囲気のいいかたで、一人で腕を振るい、お料理をこしらえられておられます。

私は二度ほど、利用したことがありますが、味は悪くない、と思っていました。

友の話では、長年のお得意さんがいて、閑静な場所に移ってきても、営業に差し障りはないみたいよ、とのことでしたが。

 

ところがどうしたことでしょう。

折角、やっこちゃんを案内したのに、その日のお料理は全く美味しく感じられませんでした。

天ぷらも、お刺身も、煮物も。

味がしつこい、天ぷらの衣が重た過ぎ、といった感じ。

 

理由はすぐ分りました。

ホテルで一流の夕食と朝食を頂いた直後だったからでしょう。

舌がとても肥えていたために、まずく感じてしまったようです。

 

 

私が申し訳なさそうにすると、お値段も違うから、仕方ないんじゃない、と言って慰めてくれました。

私達が訪れたタイミングのの悪さが、店主さんには、不運というべきなのかもしれません。

或は、その日に限って、手抜き料理だったのでしょうか。

 

私の住まいからほど近い所に、気の利いた和食処ができ、とても嬉しかった私ですが・・・・・・。

時々利用したい、との気持ちがすっかり失せてしまいました。

 

一流のものに触れ、それに慣れると、選別が厳しくなっていくのでしょう。

でも、それが良い事か悪い事かの判断が難しいですね。

庶民の味は、素朴で温かい。

ホテルの料理は、芸術の域で、気取りすぎのようにも。

 

どちらにしても、口が肥えるの言葉を実感した出来事でした。

 

 


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六月の日記~二日目はわが家へと 

2018-07-05 07:00:06 | 

親友のやっこちゃんがこの度の再会に当たって、是非、実現したいことは、私の家を訪問することだったようです。

我が家に一泊してもらっても、私は一向にかまわなかったのですが、二人とも、大変なホテル好き。

ですから、優雅なホテルライフを、まず一緒に心ゆくまで楽しみましょう、で意見が一致。

一泊した翌日、帰途に就くまでの時間、我が家に寄っていただくことになりました。

 

話せば話すほど、二人の趣味が同じなのに、びっくり。

何と、一番お気に入りのブテイックも同じところでした。

二人とも、身に付けている外出用の洋服ほとんどのの購入先が同じ、と分かり、笑ってしまいました。

 

今、一番関心のある商品も、似たものが多くて。

例えば、バカラのグラス類。

彼女は、よくお店を訪ねているようです。

私も同様ですが、私の場合はウィンドウショッピングばかり。(笑)

 

最近も、目の保養のために訪ねました。
ぜひ欲しいものが数点ありますが・・・・・・。
数少なくても、良質のものを揃える、のモットーも二人が同じ。

 

美術鑑賞も、二人とも大好き。

但し私がなかなか足を運ぶところまでいかないのに対し、彼女は、新幹線を利用してでも、その鑑賞を愉しみたいようです。

彼女に、「いつでも、声をかけてね」と。

趣味も同じだと分かった嬉しさは、格別でした。

 

私が一番好きな画家は、ルノワールよ、と彼女に伝えました♪

 

穏やかな愉しい時の流れに身を任せ、私達は電車でわが家へと。

彼女とお付き合いしておられる友人達の優雅な暮らしぶりを伺ううちに、なんだか来ていただくのが恥ずかしくなってしまった私です。

インテリアに凝ったのは、新築当初だけ。

築三十年以上の家は、その後、さして変わり映えしていません。

色々な所に、ほころびが目立ちます。

 

ところが、わが家を見た彼女の言葉は、社交辞令と分かっていても、とても嬉しいものでした。

「隅々まで、あなたのこだわりを感じる。素晴らしい」

と。

お世辞でも、嬉しい言葉でした。

 

 

洗面所を見て頂いた時、取り付けられた器具の平凡さが情けなくて、ここまで気が回らなっかったの、と私が言うと。

彼女が、「友で、こだわってお洒落なもので統一している人がいるわよ」と言っていました。

「素敵!、うらやましいなあ~。

でもこの年になって取り替える気力も経済力もなくて」

と笑った私です。

 

どんな家であれ、私が日々を送るこの住まいを見てもらったことは、とても嬉しい事でした。

今後はわが家を思い浮かべ、私の暮らしを一層実感してもらえるでしょうから。

 

 

お茶を一服し、我が家の近くにある隠家のような小料理店で、共にお昼食を、

 数時間の束の間のひと時が過ぎると、時間に追われるような慌しさで、新横浜に向かいました。

入場券を私が買う暇もないほどに、時間がぎりぎり。

名残惜しく思いながら、改札口に佇んで、姿が見えなくなるまで、彼女を見送った私です。

約束を交わした、来年の私の郷里での再会が今から楽しみです。

 


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六月の日記~友のご主人さまは私の理想のかかりつけ医 

2018-07-04 07:05:37 | 

時空を飛び越え、あっという間に大学生時代の親密さを取り戻した私達。

寛いだ雰囲気の中、思い出話で盛り上がっているうちに、予約した夕食の時間に。

美味しいお料理、一品一品に舌鼓を打ちながら、さらに楽しいおしゃべりが続きました。

 

二人とも、服装ををドレッシーなものに着替えて、改まった気分で……🎶

 

彼女の旦那さまは、かの有名な癌センター病院勤務のお医者さまでしたが、15年ほど前に独立して開業医に。

今はすっかり軌道に乗っておられるようですが、そのための医療機器などの設備投資の負担の大変さなど、これまでの苦労話もいろろ聞かせて貰いました。

ご主人様が勤務しておられる時は、専業主婦だった彼女。

独立後は、ずっと医院の事務を担当。

患者さんたちとの肌の触れ合いを何よりも大切にして、お仕事に励んでおられる様子が、お話からとてもよく分りました。

 

 

「患者さん一人ひとりの人生の背景は、実に様々なの。

大変な苦労をしている方も多いの。

それを知って、私は人生勉強をさせてもらっているのよ」

としみじみ語る彼女。

 

待合室の受付の窓口の傍で日々のお仕事に励んでいる彼女。

患者さんの苦労話や愚痴に、優しく耳を傾ける友の姿が目に浮かぶようでした。

 

ここからは、その時のお料理を一気に公開。
見た目も美しく、お味も絶品でした

 

高層マンションの自宅とは別に、もう一軒、一階がクリニックのわが家をお持ちで、そこへ朝早くから出かけ、夜遅くまでお仕事を頑張り、マンションの自宅に戻って就寝するのは真夜中の1時、2時頃になるようです。

 

 

ご主人様の医療へ誠心誠意の取り組み方にも、私は唯々敬意を払うばかりでした。

昼休みの休憩時間には、往診もされているとのこと。

お薬をご自宅まで、先生が直接届けたりもなさるようです。

 

 

奥様のやっこちゃんも、「主人の努力には頭が下がるの」」と言っていましたが。

ご夫婦揃って誠実な優しいお人柄だからこその、患者さんへの丁寧な対応なのでしょう。

私がいつも気になる抗生物質も、あまり使用しないようにしているとのことでした。

 

 

他にも勤務医のお給料は、大手企業のサラリーマンの収入より少ない事。

地方の病院を希望すると、お給料が倍になる話し等々。

私の知らない医師社会のことを、色々教えてもらいました。

 

 

私はいまだに心から信頼できる医師に巡りあえず、かかりつけ医を決めることができないでいます。

友のご主人様のような医師に診ていただきたい。

心からそう思った私です。

 

 

 

お料理好きの私です。
今後の参考にしたくて。

その画像ばかりで、ごめんなさい。

 

二時間半近く、美味しい会席料理を味わいながら、心からリラックスして語りつくした私たち。

まるで夢がやっと叶ったかのような、素敵なひと時でした。

想い出、信頼、励まし、今後の夢、理想の死に方まで、と話題は実にいろいろ。

 

 その後部屋に戻り、交代で入浴。

とても夜更かしな彼女より、私は先に床に就き、いつの間にか深い眠りへと。


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六月の日記~友のお蔭で、優雅なホテルライフを満喫 

2018-07-03 07:02:26 | 

いよいよ、彼女との再会の日が訪れました。

一泊用の荷物を詰めたキャリーバッグを片手に、駅のホームで、彼女が乗る新幹線の到着を待つ私。

グリーン車から、小柄なやっこちゃんが降りてきました。

懐かしさで一杯に。

長いブランクなど、たちまち埋まり、大学時代の親密さが戻っていくよう。

積りに積もった話題が溢れ、ホテルへ向かう車中でも、お喋りが尽きません。

 

新横浜から地下鉄に乗り、桜木町で下車。

その駅から十分ほどのところに、宿泊先のロイヤルパークホテルがあります。

私は、gooの乗り換え検索ですべて下調べしてあったため、そこまでは私が何とかリードして行動できましたが。

旅行好きでホテル慣れし、このホテルに宿泊した経験もある彼女。

ホテルに入ると、予約の手配をすべてしてくれた彼女に私は頼り放し。

とは言っても、二人とも、おっちょこちょいのところは相変らず。

大学時代と変わらない、雰囲気が常に漂い、笑ってばかり。

 

ここからは、私たちが宿泊した客室を一気にアップします。

 

一方、私は今日宿泊する客室への期待感が高まる一方でした。

何故なら、私が旅先で利用するホテル代の二倍以上かかる部屋だったからです。

室料を聞いた時は、遺族年金の身の私は一瞬たじろぎましたけれどね。

時には、こんな贅沢も許される、と思い、喜んで承諾しました。

 

私達が泊まる部屋がある高層階でエレベーターを降りました。

すぐお部屋に向かうのではなく、豪華なゲストルームの受付で、再度手続きをします。

これもやっこちゃんにお任せ。

やっこちゃん話では、この階にあるテイールームで、お茶は、いつでもフリーにいただけるとのことでした。

 

 

私も、彼女と同様に非日常の雰囲気が漂うホテル空間が大好き。

そのため、旅先のホテルでは多少の贅沢を良しとしてきました。

とは言っても、一流と言われるホテルの並みの部屋が限度だったのですが

 

 

私たちが予約した部屋に足を踏み入れると、ラグジュアリーなインテリアでコーデイネートされた二室の部屋が目に飛び込んできました。

正確にいえば、三室。

それ以外に、バスルームと、化粧室が二つありました。

そのけた外れの非日常を感じさせる豪華な部屋で、二人は、心ゆくまで語りつくす贅沢に浸りました。

 

 

 彼女は、旅行先で、このレベルの部屋を時々利用しているようです。

でもその代償は当然と言っていいほどの尊い日々の暮らしがあることを知り、私は、また新たなる感動を覚えました。

 

彼女から聞いた話に、感心してしまった私です。

その話題については、明日触れることに致します。

 

 

 


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六月の日記~親友は人生の宝物

2018-07-02 07:06:40 | 

一泊の優雅なホテルライフを愉しむ予定のマークが 、カレンダーに付きました。

一緒に泊まるのは、大学時代の親友。

その時から、やっこちゃん、~ちゃんと呼び合う仲です。

年に数度、近況の報告をし合ってきましたが、会うのは本当に久しぶり。

 

長い間会わなくても、彼女との絆には特別なものがあります。

私が、いつもしみじみ思うことは、親しさは、会う回数では決められない、ということ。

会わなくとも、信頼関係が崩れない友情こそ、本当の友だと思っています。

 

私には、そういった雰囲気の心の友が結構いますが。

もう、余生が長いとは言えない年齢になりました。

今後はもっと会う努力をしなければ、と思っていたところに、彼女から同様の気持ちを告げられたのです。

 

「どうしても~ちゃんに会いたい。

今後はそのような機会をもっと持つようにしないと・・・・・・。

その内に、会えなくなってしまいそうで、とても心配になってきたの」

と話す彼女。

 私も、同じ気持ちを、常日頃抱いていました。

ですから、彼女の言葉に、胸が熱くなりました。

そしてこれからは、もっと会いましょう、と。

そして早速、具体的なスケジュールが決まりました。

 

 

 私達が4年間を共に過ごした母校の大学です
数年前に訪れたときの写真です。
在学時代の美しい校舎が、そのままありました

 

大学時代は、学生寮は異なりましたが、寝食を共にしたような親密な間柄。

姉妹と変わらないくらいの深い絆を、今でも私は彼女に感じています。

 

実は、もう一人、同様に親しい友がいました。

愛称は、あっちゃん。

三人、四年間いつも一緒だった私達。

この度の旅行も、あっちゃんも当然、誘う所でしたしょうに。

悲しい事に、50代を迎える前に早世されました。

 

ペギー葉山の「学生時代」を聴くと、三人で仲良く過ごした大学のキャンパスが蘇えるようで、今でもとても感動します。

私が一番好きな曲、と言っても過言ではありません。

 

https://www.youtube.com/watch?v=W5ALFCfqCK4

 

やっこちゃんは、この度、電話で言葉を交わしても、優しい声の響き、人柄、何一つ変わっていなくて。

大学時代にタイムスリップしたかのよう。

彼女も、私に同様の感想を抱くようです。

 

この度決まった旅行も、二人で行くと、失敗だらけの珍道中になるのは間違いないことでしょう。

お互いにそう言い合っています。

いつも行動を共にした学生時代、私達の雰囲気は、常にその様で、笑いが絶えませんでしたから、

 

彼女が、ホテルの予約はしてくれるそう。

但し、彼女は私と違い、朝から日が暮れるまで、超多忙な日々。

ご主人様は、他県の大きながんセンター病院の勤務医でいらっしゃいましたが、今は退職し、開業医としてご活躍中。

そのご主人様の片腕となり、医院の事務を一手に引き受けているようです。

 

彼女の優しい人柄や語り口から、クリニックが患者さんの憩いの場にさえなっているであろうことが、想像つきます。

五月の日記でご紹介した、同窓生の外科病院の院長の奥様Mさんに、通じるものがあると思いました。

 

 

70過ぎても、働いている彼女の日々は、大学時代の可憐な人柄を思うと、信じられないような事なのですが。

その忙しい暮らしの合間を縫って、私との再会を果たしてくれることになりました。

 

お互いに、大切な友人を最近失ったり、友が鬱になって交友関係が途切れてしまった話になりました。

 宝物は大切に思うだけでは、あまりに寂し過ぎます。

人生の一番の宝物とは、家族、きょうだい、親友でしょうか。

その大切な気持ちを、心を込めて行動に移し、その人達に伝えなくては。

親友を失うことが多かったこの数年間で、私がしみじみ思い、反省したことでした。

 

                                      6月3日記述

 

 


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六月の日記~カレンダーめくりの何と早い事

2018-07-01 06:58:55 | 暮らし

暦は六月のページになりました。

もう半年の月を迎えてしまったなんて、信じられません。

今年は、日の経過のスピードが、何時にも増して早く感じられる私です。

何故でしょうか。

そのスピードは、年齢に比例する、とはよく言われることですが・・・・・・。

砂時計のような、虚しいイメージにはしたくありませんね。

 

日々を愛おしむように、大切に丁寧に過ごせば、そのような思いを抱かないで済むのでしょうが。

言うは易く行うは難しです。

 

夫の写真と共に、常にテーブルの上に置いている三点セットです。
私の言葉をオウム返しするくまさんは、私のマスコット。

 

5月に限って言えば、楽しいイベントが多く、とても充実した月になりました。

新しく迎えた6月は、梅雨入りとなり、予定もあまり入らないのでは、と思っていたのですが。

いまのところ、楽しい大きなイベントが、間近に二つ控えています。

7月にもいろいろあり。

何だか、当分忙しそう。

日ごとに暑さも加速していくでしょうから、万全の体調で臨めるように、しっかりと体調管理をしなければなりません。

 

 

六月の行事の一つは、中・高の同窓会です。

もう一つは、二日前に決まったことですが、大学時代の親友と、一泊の小旅行を愉しむことになりました。

この友への私の思いは、明日綴ることに致します。

 

6月1日記

 

 


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