「絆」
この言葉で思い出すのは、東日本大震災でしょう。
よく使用され、その言葉を私達は噛みしめ、当時の苦労を前向きに乗り越えなければ、と思ったものでした。
しかし、最近読んだ新聞の記事に、絆と言う文字を、その頃、安易に使用し過ぎたのではないかといった文面に出合いました、
いつも読み流してばかりで、今はその内容をよく覚えていませんが、目にした時はそれなりに納得した覚えがあります。
それで、改めて、「絆」の意味を辞書で引き直してみました。
「人と人との断つことのできないつながり。離れがたい結びつき。「夫婦の―」 2 馬などの動物をつないでおく綱。」
そしてこの言葉の意味を改めて噛みしめ、私は気が付いたのです。
私には断つことのできない離れ難い結びつきの友人が多くいることに。
私が勝手にそう思っているだけかもしれませんけれど、見習いたいこと多々で、敬愛してやまない素敵な友人に多く恵まれてきました。
これらの友人の多くは、主人の職業柄、転勤が多く、その度に新しい環境の中、新しい出逢いがあり、親密になったお友達です。
更に、子供達を通して、親しくなった友人もたくさんいます。
まず最初に、結婚後に親しくなった友について。
何だか自分史のような文章になりそうな予感がしてきましたが、一度は日記に書きとめておきたかったことですから、このまま記述を進めます。
新婚時代は、社宅に入れず、旦那さまが既に用意してくれていた2DKのアパート暮らしでしたが、そこでとても仲良くなった六田さん。
あえて実名を書かせていただいたのは、今では全く交流がなく、お住まいの住所も無論分かりません。
万一、このブログを目にされたなら、私のことをきっと思い出して下さるに違いない、とかすかな希望を抱きつつ・・・・・・
ご主人様は、クラシック音楽がお好きで、大学にお務めの方でいらっしゃいました。
奥様は絵がお上手で、お部屋に飾られた淡い花の大きな油絵は、今でも記憶鮮やか。
とても柔らかな雰囲気の、優しさ溢れるお人柄の方でした。
そのアパートは大阪の千里山の高級住宅地の中にあり、最寄り駅から10分程のところでした。
その閑静な住宅地を抜けて、駅前の市場(スーパーと言ったモダンなお店ではなくて)へ日常の食材を買いに出かけたものです。
年甲斐もないことを記述するようで、幾分気遅れ気味ですが・・・・・・(笑)
秋の清々しい冷気に包まれた夕暮れ時の空気の感触は、今でも時に私の胸を熱くします。
何故なら、まだ新婚ほやほやで、照れ屋の旦那さまでさえ、私の肩に手を回し歩いてくれた季節でしたから。
その後、郷里の広島支店に勤めた旦那さま。
その時の借家は、実家のすぐ近くでしたから、日々実家通いで親娘べったり。
長女を授かったのも、この時代で、嫁いで三年目のことでした。
母の孫への愛情は殊更なものがあり、生き甲斐に感じているようにさえ見えました。
ですから、親孝行をしてあげたくて、朝な夕な、長女を連れて日参したものです。
郷里に戻り、最初に年が明けた真夜中の12時過ぎの事。
旦那さまの突然の思い付きで寒い中、乳児のMちゃんを抱き、徒歩およそ15分の実家に星空を仰ぎながら、新年の挨拶に出かけたことが今でも懐かしい想い出になっています。
こんな具合で、親子の交流が親密すぎて、親しい友人をつくる機会に恵まれなかったようにも。
但しご近所に、素敵なクリスチャン一家がいらっしゃり、奥様が本当に見目麗しく清らかな方で、私はいつも遠目に憧れのまなざしで見ていました。
もちろん郷里でしたから、母校の友人との交流は頻繁にありましたが・・・・・・
学生時代の共については後半で述べたいと思います。
広島支店から、また東京勤務に戻った旦那さま。
その時初めて社宅住まいとなり、西大久保にある広大な敷地に三棟の三階建ての建物が立ち並ぶ、会社の家族寮住まいとなりました。
お隣は西川布団の社長さんのお宅。
前は新自由クラブの事務所とその議員さんのお住まいがある、やはり閑静な高級住宅地の一角にその寮はありました
そこで親密なお付き合いをしたのは、同じ寮にお住まいだった柴崎さん。
もうひと方は、地方銀行勤務のご主人様の転勤で東京暮らしとなられた阿部さん。
子供が同年齢で同じ幼稚園に通い、今流の言葉で言うならママ友、と言えばいいのでしょうか。
とても親しくなり、一緒に公園に出かけたり、子供達のお誕生会などを共に楽しんだものです。
その後、移った社宅が小田急線の経堂に所在した会社の寮。
子供の成長につれ、家族寮の生活ながら、部屋数も増え、広々とした住空間に恵まれるようになりました。
そこでも、三名くらいの人達ととても懇意になりましたが、親密な関係とまでは至りませんでした。
何故なら確か、1年半後には、海外に転勤となったからです。
転勤が決まった時、襖の陰に身をひそめ、私は当分すすり泣きました。
目の中に入れても痛くないほど孫達を可愛がり、年に何度も東京に飛行機で訪れていた母のショックと寂しさを察せずにははいられなかったからです。
あの頃の私は、純で可愛かったな~、と今更ながら思い、懐かしく感じたり・・・・・・(笑)
結婚後知り合った海外転勤前までの友人達は、みなさんとてもいい方で、個々の素敵なお人柄を、今なお忘れることは、決してありません。
けれど、親友と言うまでには至っていなかったのかもしれません。
私自身、まだ未熟で、どこか足が地につかない人生を送っているころでしたから。
間柄を深めるほどの話題には至らず、子育てに追われる日々の中での折々の交流でした。
断つことの出来ない、離れ難い運命的絆を感じる友人達は、私も成長が著しかった海外暮らしと、帰国後の友人達です。
更に学生時代の親友も、同様です。
このことについては、続編としてまた詳しく、記述することに致します。
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