今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

親愛なる友人達

2014-01-30 08:31:49 | 

「絆」

この言葉で思い出すのは、東日本大震災でしょう。

よく使用され、その言葉を私達は噛みしめ、当時の苦労を前向きに乗り越えなければ、と思ったものでした。

しかし、最近読んだ新聞の記事に、絆と言う文字を、その頃、安易に使用し過ぎたのではないかといった文面に出合いました、

いつも読み流してばかりで、今はその内容をよく覚えていませんが、目にした時はそれなりに納得した覚えがあります。

 

それで、改めて、「絆」の意味を辞書で引き直してみました。

 「人と人との断つことのできないつながり。離れがたい結びつき。「夫婦の―」 2 馬などの動物をつないでおく綱。」

 

そしてこの言葉の意味を改めて噛みしめ、私は気が付いたのです。

私には断つことのできない離れ難い結びつきの友人が多くいることに。

私が勝手にそう思っているだけかもしれませんけれど、見習いたいこと多々で、敬愛してやまない素敵な友人に多く恵まれてきました。

 

 

 

これらの友人の多くは、主人の職業柄、転勤が多く、その度に新しい環境の中、新しい出逢いがあり、親密になったお友達です。

更に、子供達を通して、親しくなった友人もたくさんいます。

 

まず最初に、結婚後に親しくなった友について。

何だか自分史のような文章になりそうな予感がしてきましたが、一度は日記に書きとめておきたかったことですから、このまま記述を進めます。

 

新婚時代は、社宅に入れず、旦那さまが既に用意してくれていた2DKのアパート暮らしでしたが、そこでとても仲良くなった六田さん。

あえて実名を書かせていただいたのは、今では全く交流がなく、お住まいの住所も無論分かりません。

万一、このブログを目にされたなら、私のことをきっと思い出して下さるに違いない、とかすかな希望を抱きつつ・・・・・・

 

ご主人様は、クラシック音楽がお好きで、大学にお務めの方でいらっしゃいました。

奥様は絵がお上手で、お部屋に飾られた淡い花の大きな油絵は、今でも記憶鮮やか。

とても柔らかな雰囲気の、優しさ溢れるお人柄の方でした。

 

 

そのアパートは大阪の千里山の高級住宅地の中にあり、最寄り駅から10分程のところでした。

その閑静な住宅地を抜けて、駅前の市場(スーパーと言ったモダンなお店ではなくて)へ日常の食材を買いに出かけたものです。

 

年甲斐もないことを記述するようで、幾分気遅れ気味ですが・・・・・・(笑)

秋の清々しい冷気に包まれた夕暮れ時の空気の感触は、今でも時に私の胸を熱くします。

何故なら、まだ新婚ほやほやで、照れ屋の旦那さまでさえ、私の肩に手を回し歩いてくれた季節でしたから。

 

 

 

その後、郷里の広島支店に勤めた旦那さま。

その時の借家は、実家のすぐ近くでしたから、日々実家通いで親娘べったり。

長女を授かったのも、この時代で、嫁いで三年目のことでした。

 

母の孫への愛情は殊更なものがあり、生き甲斐に感じているようにさえ見えました。

ですから、親孝行をしてあげたくて、朝な夕な、長女を連れて日参したものです。

郷里に戻り、最初に年が明けた真夜中の12時過ぎの事。

旦那さまの突然の思い付きで寒い中、乳児のMちゃんを抱き、徒歩およそ15分の実家に星空を仰ぎながら、新年の挨拶に出かけたことが今でも懐かしい想い出になっています。

 

こんな具合で、親子の交流が親密すぎて、親しい友人をつくる機会に恵まれなかったようにも。

但しご近所に、素敵なクリスチャン一家がいらっしゃり、奥様が本当に見目麗しく清らかな方で、私はいつも遠目に憧れのまなざしで見ていました。

もちろん郷里でしたから、母校の友人との交流は頻繁にありましたが・・・・・・

学生時代の共については後半で述べたいと思います。

 

 

広島支店から、また東京勤務に戻った旦那さま。

その時初めて社宅住まいとなり、西大久保にある広大な敷地に三棟の三階建ての建物が立ち並ぶ、会社の家族寮住まいとなりました。

お隣は西川布団の社長さんのお宅。

前は新自由クラブの事務所とその議員さんのお住まいがある、やはり閑静な高級住宅地の一角にその寮はありました

そこで親密なお付き合いをしたのは、同じ寮にお住まいだった柴崎さん。

もうひと方は、地方銀行勤務のご主人様の転勤で東京暮らしとなられた阿部さん。

子供が同年齢で同じ幼稚園に通い、今流の言葉で言うならママ友、と言えばいいのでしょうか。

とても親しくなり、一緒に公園に出かけたり、子供達のお誕生会などを共に楽しんだものです。

 

その後、移った社宅が小田急線の経堂に所在した会社の寮。

子供の成長につれ、家族寮の生活ながら、部屋数も増え、広々とした住空間に恵まれるようになりました。

そこでも、三名くらいの人達ととても懇意になりましたが、親密な関係とまでは至りませんでした。

何故なら確か、1年半後には、海外に転勤となったからです。

 

転勤が決まった時、襖の陰に身をひそめ、私は当分すすり泣きました。

目の中に入れても痛くないほど孫達を可愛がり、年に何度も東京に飛行機で訪れていた母のショックと寂しさを察せずにははいられなかったからです。

あの頃の私は、純で可愛かったな~、と今更ながら思い、懐かしく感じたり・・・・・・(笑)

 

 

 

結婚後知り合った海外転勤前までの友人達は、みなさんとてもいい方で、個々の素敵なお人柄を、今なお忘れることは、決してありません。

けれど、親友と言うまでには至っていなかったのかもしれません。

私自身、まだ未熟で、どこか足が地につかない人生を送っているころでしたから。

間柄を深めるほどの話題には至らず、子育てに追われる日々の中での折々の交流でした。

 

断つことの出来ない、離れ難い運命的絆を感じる友人達は、私も成長が著しかった海外暮らしと、帰国後の友人達です。

更に学生時代の親友も、同様です。

このことについては、続編としてまた詳しく、記述することに致します。

 

      

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 

にほんブログ村  ランキングに参加中 です。

今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログへの私の思い

2014-01-28 07:34:07 | ブログ

昨日は、妹夫婦のお招きで、久しぶりに両家そろって、昼食を共にし、寛いだ楽しいひと時を過ごす事ができました。

その後、デパートで買い物を済ませ、帰宅後PCを開くと、妹が早くも、その記事をブログに載せているのにびっくり!

超特急で、記事更新が出来てしまう早業は、のんびりタイプの私には不可能です。

感謝の気持ち一杯だけれど、このことについて綴る前に、すでに二回分、予定している題材があります。

一回目は、昨日ほぼ書き終えているので、まずそれから載せる事に致しましょう。

 

妹の記事は、同情してか、いやに私をおだて、持ちあげるような内容ですね~(笑)

現実とのギャップをかなり感じましたけれど、とりあえずお招きいただいた事と、おほめにあずかったことに(笑)、心からありがとうと言いたいです。

昨日の会食の詳細を私が綴るのは、もうしばらく後に致しますね。

 

 

さて、これからが、昨日の朝、書きあげた記事です。

 

娘達の受験の思い出話が終了したなら、綴りたいと思っていたことがあります。

私が心から信頼する友人達にについて。

しかし、思いが溢れ過ぎ、いつものようにすらすら書きあげる自信がありません。

以前は、この傾向がもっと強く、タイトルは思い浮かんでも、綴る自信が全く持てなくて、それがストレスになったものでした。

けれど、最近は、書きはじめれば、何とかまとめられるものだわ、といった開き直りの気持ちになりつつあります。

開き直ると言う言葉には、少々語弊がありますね~ 

私の思いを正直には伝えていないようにも。

気楽に書けるようになってきた、と言えばいいのでしょうか。

 

我が庭の今の様子

 数日前のこと。

相変わらず妹の夢路に、ブログへの愚痴と弱音を述べた私。

「早朝からブログ綴りで疲労感を感じるのが情けなくて・・・・・・

本当は就寝前に時間を取り、書きあげるのが理想なのだけれど、私にはそんな体力が残っていないし。

週に一回位の投稿が、自分の暮らしのリズムには一番合っていると思うのに、何故か頑張ってしまうのよね~

シニアーの注目記事の順位の動きが、不自然ね~

素敵な記事や注目に値する記事は、他にも一杯あるのにね~

このサイトの存在意義に疑問を感じるわ。

もっと規制をかけて、公明正大な場所にしてほしい」

とか。

(追記 私が望む規制とは、本人は自分の注目記事はクリックできない、何度も同一人物が同じ記事をクリックできない等です。

そうしませんと、故意に順位が操作できてしまい、不自然になると思います。)

 

更に、負担感がある一方、ブログ綴りが多少気楽になった理由も話しました。

「以前は、文章苦手意識が強くて、いつも難しい宿題を抱えているようなストレスを感じていたのだけれど、

最近は、文章を書く心構えとコツを、私なりに会得できたような気がしているの。

自分の心情に素直に耳を傾け、そこに思い浮かぶ語彙を一つ一つ丁寧に拾い、正直に連ねれば、文章が出来上がると言ったイメージに。

けれど、正直は、いろいろ問題を起こす原因にもなりかねないから、少々心配な事ではあるけれど。

ありのままを書き過ぎると、自己顕示欲が強いとか、自慢話が始まった、などの受け止め方をされかねないでしょ」

等々。

 

 ウインターコスモス

花期はとっくに過ぎているのに、まだ健気に咲き続け、野の花の趣です。

 

現実社会においては、子供について、夫の話し等は、余程親密で、素直に何でも語り合える親しい友以外、話題にすることはまずありえません。

けれど、ネットの世界では、のびのび話せるところがありますね~

それは、ブログが個人日記の領域に入リ、閲覧して下さ方も全く見も知らない方々で差し障りがないからでしょう。

でも正直に素直に綴りすぎて、読む方の気分を悪くさせてしまうことがあるのもこの世界。

これまでの辛い経験で、すでに実感してきたことです。。

人それぞれ、性格は異なりますから、受け止め方も違って当然。

やむをえないことだと思っています。

 

但し、そこまで気に掛けてブログ記事を書こうとすると、私らしさがなくなり、文章が生彩を欠き、面白くなくなってしまいそう~

ですから、素直に綴るしか私には能がありませんから、正直をモットーに、今のスタンスを今後も貫くつもりです。

将来読みなおした時に、当時の情景が生き生きと瞼に浮かんでくるように。

ありのままの暮らしを出来るだけ具体的に書き、想い出綴りとアルバムの作成に、元気なうちは励みたいと。

 

親友のKさんから頂いた蘭のシンビジューム

華やかで高貴な花姿から、日々元気をもらっています。

 

さて、今日は友へ抱く私の思いを述べる予定でしたが、全く違う内容になってしまいました。

溢れるような思いと感慨に満たされた多くの友との絆を、私の貧弱な語彙で、的確に表現する自信が全くありません。

けれど、先ほども述べたように、心に浮かぶ思いを一つ一つ拾い、素直な気持ちになって、次回に綴ることに致します。

 

       

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 

にほんブログ村  ランキングに参加中 です。

今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

泣き崩れて・・・・・・

2014-01-26 07:52:38 | 想い出

今日は最近の記事のパート3、といったところでしょうか。

記事のタイトルは、相当、人の目を引きそうですね~(笑)

 

今年の大学入試センター試験は、良いお天気に恵まれ無事終了しました。

受験された方々は、それぞれの思いを抱き、志望校目指し、更なるまい進へと、勉学に励んでおられます事でしょう。

偶然にもその日、T大の赤門をくぐる際、立会人から身分証明書を提示するように声をかけられた私です。

 

 

本日の記事は、その大学入試センタにおける、忘れもしない、次女の大失敗(?)についてなのですが。

その日、私は、励ましの言葉に精一杯の心を込め、次女を送り出しました。

そして無事に終わってほしい、と祈るような気持ちで、家事を進めていた昼前のこと。

電話のベルが・・・・・・。

電話口に響く次女の声。

嗚咽しながら、母親の私に救いを求めるかのような、悲痛な様相でした。

 

午前中の二教科目の国語の試験に臨み、終了前に差しかかった時、マークシートの問題の回答欄の枠が二つ残ってしまうことに気が付いたMちゃん。

回答する際、どこかで問題がずれてしまったのでしょうね~

もしそのミスが、最初の方であれば、採点はゼロに近い結果になります。

それに気がついた時のMちゃんの青ざめた顔は、想像するまでもありません。

 

このような時は、最悪のことしか思い描けなくなるのが、人の性。

しかし母親の私が、打ちのめされているわけにはまいりませんでした。

激しく動揺してしまったことには、次女と変わりありませんでしたが、ひたすら平静を装い、優しい母になりきった私。

前の失敗は忘れ、心を新たにし、午後からの二教科、理、数を全力を尽くして頑張るように、穏やかな声で励まし諭しました。

 

 

帰宅後、取り乱だし、泣き崩れてしまったMちゃん。

学習机と参考書を拳で叩きつけるようにして、いつまでもいつまでも・・・・・

無理もないことです。

長女とは異なり、大変な努力家のMちゃん。

ひたすら姉と同じ大学を夢見て、並々ならぬ苦労を積んで勉強に励み、目指したT大学でした。

それが、思わぬ小さなミスで、数年間の苦労が水の泡になりかねない出来事でしたから。

 

私は、Mちゃんが可哀そうの一言に尽き、慰める言葉も見つかりませんでした。

最難関の大学ゆえ、センター試験とは言え、足切り点も相当高い事でしょう。

今回のミスが、合否に大きく影響するに違いないと悟った私達。

 

その後は、T大学は半ばあきらめ、勉強の方針を私立向けに一変させました。

T大学の受験問題は、思考力を問う良門で知られるところですが、第二志望だった私立の数大学は、重箱の隅をほじくるような設問で、その頃は有名。

ですから過去問で、そのような問いに強くなれるように、記憶力を鍛える勉強に切り替えたのです。

 

そこに至るまでの、Mちゃんの心の葛藤と苦悩は、相当のものだったに違いありません。

私も、Mちゃんを不憫に思う気持ちは強くなる一方で、夜も安らかに寝付けなくなりました。

しかしその後も、ひたすら平静を装い、明るく振る舞い、優しい母親に徹したことを、今でもよく覚えています。

何としても立ち直り、第二志望の私立大目指して、元気に頑張ってほしかったからです。

 

そして、見事にその期待に応えてくれたMちゃん。

心機一転、その数日後からは、私立向けの方針に切り替え、一生懸命、受験勉強に励み始めました。

 

 

そして、その数週間後、結果報告の通知が来ました。

案ずるより産むが易しの言葉通り、足切りされることなく、T大学受験資格を取得することが出来たのです。

思いがけない通知を手にした時の親子の喜びは、たとえようがないものだったでしょう。

けれど、ショックを受けた時の印象の方が余りに強過ぎて、今となっては、その時の事をよく覚えていません。

そして、志望大学に無事合格。

 

合格発表の日も卒業式の日も、恐らくこの赤門の前を通り過ぎ、私は正門に向かったはずです。

私がこの大学を訪れたのは、その二度のみ。

入学式は武道館で執り行われましたから。

 

それが思いがけない契機で、また頻繁にこの大学を訪れることになった私達夫婦。

旦那様と話し合いの上、遠方ながら交通の便は悪くないこの病院に一本化して、今後は治療に専念することになりました。

夫と娘達の母校で治療を続けられることに、不思議な機縁と、言いしれぬ安らぎを感じている私です。

 

私が病院に行く時間帯に因るのかもしれませんが、余り学生の姿を見掛けない不思議な大学ですが。

けれど、構内にみなぎる若さと学問の気風が、すっかり鈍化した私の頭脳と心身に幾分でも新鮮な風を当て、若返らせてくれることを願いましょう。

生まれかわったなら、この大学を目指せるくらい、勉強にも励んでみたいな~、と思ったり……。

思うのは自由ですものね~(笑)

 

 

蛇足となりますが、私はもともと、決して大学に高い望みを抱いていたわけではありません。

女子大を卒業して、花嫁修行をし、良妻賢母の専業主婦になってほしいと願う、割と保守的な母親でした。

ところが、高2の夏休みの事。

駿台の入塾前に受けた全国模試の長女の成績が思いがけず、驚く程良くて・・・・・・

その時から多少欲が出てしまいました。(笑)

そしてその後の娘達の人生のシナリオは、思わぬ展開に。

若かりし頃、思い描いていた娘達の将来像と、今の状況が余りに異なり、母親としては、時々複雑な心境になることがあります。

でも今では、女性が働くのは当たり前の時代ですものね~

時代を先取りしたかのような娘達の選択は、間違っていなかったのかもしれません。

 

      

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 

にほんブログ村  ランキングに参加中 です。

今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我が家の轍を踏まないように、受験生は気をつけて

2014-01-24 07:15:37 | 暮らし

今は、まさに受験シーズン。

退院間近い旦那さまを迎えるに当たり、多忙な日々を過ごし、新聞もテレビも数日間、ろくに見ていませんでした。

受験生憧れの赤門で呼びとめられ、呑気な私は初めてその時、今は受験シーズンの真っ只中であることを実感したのです。

 

姪のRちゃんも、志望の高校目指し、ラストスパートといったところでしょうか。

妹夢路の話しによると、就学してからは、自分から自主的にお勉強に励む頑張り屋さんでしたものね~

私立校の全勝は当然の結果、と私は受け止め、心から喜んでいます。

私立同様、第一志望の県立高校合格も間違いないでしょうが、日頃の実力が心おきなく発揮できるよう、陰ながらひたすら祈っています。

わが世の春の到来はもうすぐ。

体調管理にはくれぐれも気をつけて、頑張てね!Rちゃん!

 

 

さて、昨日の記事の続編へと続きます。

旦那さまの退院の記事を書くつもりだった私ですが・・・・・・

赤門における思いがけない出来事で、私の思いが一気に過去の娘達の受験時代へと、タイムスリップしてしまいました。

こんな話題へと気持ちが移リ変われるのも、旦那さまの体調が、退院前後から、すこぶる良好だからでしょう。

帰宅後、食欲は入院前と変わりなくあり、散歩も日々数時間こなしています。

身に取り付けられた、人工肛門とチューブさえなければ、健常な人と変わりない雰囲気ですが、本番はまだこれから。

気を緩めるわけにはまいりませんのに、暮らしも気分も、もとの状態に戻ってしまった感じ。

こんな事でいいのかしら?

けれども、昨日は旦那さまの病への対応で、現実の厳しさに直面。

今後のことが少々不安になりましたが、このことについては、日を改めて述べたいと思います。

 

まぐろとアボカドのづけ丼・かぶと生揚げの煮物・きゅうりの酢の物・茶碗蒸し

退院後数日にもかかわらず、すべて完食した旦那様です。

 

このような訳から、旦那さまの退院その後については後に回し、今日は、娘達の受験の想い出話をさせて頂きますね。

過去の受験の話しになりますと、結構耳目に値するような(?)印象的な出来事が、我が家にはいろいろあります。

お孫さんに受験生がいらっしゃいましたら、多少はご参考にして頂けるかもしれません。

我が家の轍を踏まないように、くれぐれも注意して下さい、との思いを込めて・・・・・・

 

昨日、赤門を通り抜ける際に思い出した出来事は、センター試験に纏わることなのですが・・・・・・

この際、起きた順に従って、ご紹介しましょう。

 

昨夜の夕食

今のところ食事制限は一切ない夫です

お野菜たっぷりのミートローフ・サワークリーム入りのポテトサラダ・カリフラワーのポタージュスープ

 

まずは次女が第一志望の中学受験に臨んだ時のこと。

何と出かける日の朝、インフルエンザ感染で39度台の熱を出し、大変な事になりました。

その時の様子は過去記事でご紹介したことも、すでにあります。

早朝、近所の小児科医院に駆け込み、熱冷ましの注射と頓服を服用し試験に臨み、幸いにも無事合格しましたが。

早朝、次女の紅潮した顔と粗い寝息に仰天したこと。

今でも昨日の出来事のように、鮮やかに思い出します。

小学校の受験生に、体調管理を望むのは、少々無理なところがありますね~

この点は、親の責任というべきでしょう。

受験は、インフルエンザの流行期と重なります。

お孫さんに受験生がおいでの方々。

申し上げるまでもないことですが、くれぐれも感染への注意を怠らないように気をつけて、ベストの体調で受験に臨まれますよう、お伝え下さい。

 

二番目にご紹介する失敗談も、またまた私の注意不足が理由で起きた出来事です。

これは、呆れるほど頓馬な事で、ご紹介するのも少々恥ずかしくなるほどですが・・・・・・

幻の合格になりそうな事件が、長女の私立大の合格発表でありました。

既に、その前に受けた私立大は全勝でしたし、本人の第一志望は国立大でしたから、娘は母親の大失敗を笑って受け流してくれましたけれどね。

もし第一志望で、郵送の連絡がなければ大変な事に。

 

娘は、他に用事があったのか、私一人で合格発表を見に、或る大学のキャンパスに赴きました。

そして合格発表の掲示板に娘の番号を追い求めましたが、何度見直しても見付けることができません。

「この学部は、さすがに無理だったのね~」と、少々気落ちした面持ちで、Mちゃんにその旨、電話連絡しました。

ところがです。

自宅に戻ったところ、迎えに出た長女が開口一番に話したことは。

「不合格、ってママは言ったけれど、郵送で合格通知の連絡があったわよ」と。

「本当~!!!」と恐らく言って、私は、どんな顔をして、娘に謝ったのでしょうか?

 

郵送で合格発表の連絡がなければ、私の呆れかえるような不注意で、幻の合格になるところでした。

こんな失敗を犯すのは、私ぐらいでしょうね~

でも、念のため、ご注意申し上げます。

緊張しすぎて、自分の番号を見落とす事のないように。

受験生の方は、しっかりと自分の番号を見届け、何度も確認して下さいね。

 

そして最後にご紹介する受験にまつわる失敗談が、赤門を通り過ぎて以後、感無量の心持でその思い出に浸りながら、病院に向かったことです。

更に続けたいのですが、これ以上綴ると余りに長文になってしまいますので、センター試験における次女の失敗談は、次回に回させて頂きます。

 

 

受験に限らず、人生には失敗はつきものです。

けれど、誠心誠意それに対処すれば、結果はともかく、乗り越えられない事は、まずありませんね~

私が長い人生を過ごし、心に深く悟っている事といって良いでしょう。

神様は、その人が耐えることができる試練しかお与えにならない。

そんな文句を何かで目がしたことがあったように思うのですが・・・・・・

 

受験生の娘達に私が口癖のように言い聞かせたことは、頑張る過程が一番大切。

結果は気にしなくていい、ということでした。

神様が貴女に一番ふさわしい学校を選んで下さるから、と。

 

姪のRちゃん始め、受験生皆さんのご健闘を、心よりお祈り申し上げます。

 

      

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 

にほんブログ村  ランキングに参加中 です。

今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

退院日、病院に向かう道のりでの印象的な出来事いろいろ

2014-01-22 07:58:10 | 病気

夫が退院する日(19日)、家を出たのが8時前でした。

9時半頃には病室に辿りつく予定だった私には、少々遅すぎる出発です。

前回の退院時に、看護師から10時頃の退院を希望されたことが念頭にあり、気になって仕方なく、自宅にタクシーを呼び、最寄り駅に向かいました。

実際は、そんなに焦らなくても、十分間に合ったのですけれどね。

 

幸いにも、タクシーの運転手さんは、喜ばしい記念日にふさわしく、好印象の方。

私は親近感を覚え、今日が特別の日であることを伝えました。

タクシーの車窓越しに仰いだ空は、抜けるように青く、一点の曇りもありません。

東西南北、果てしなく、限りなく澄んだ青空のみが拡がっています。

遥か遠くの山並みの上にも、雲は掛かっていません。

 

病院から帰宅後、撮影した青空です

 

まるで、夫の病の前途の明るさを祝福してくれるかのような空の情景。

私の心は一層弾みました。

運転手さんのお話しによると、昨日は、今朝の天気は雪の予報だったとのこと。

こんなに予報が外れることは珍しいです、と驚かれていました。

 

真っ白な雪景色も、それはそれで素晴らしく、印象的な日になったかもしれないけれど、出かける身には、少々堪えるお天気ですものね~

快晴で、雲影一つ見当たらない青空ほど、旦那さまの退院日にふさわしい空模様はありえないでしょう。

ですから、その幸運を心から噛みしめ、喜びました。

 

そんな感慨に浸りながら、最寄り駅についた私。

心ばかりのお祝儀のつもりで、釣銭は頂かず、ホームに向かいました。

旦那様帰宅後の生活に思いを致し、心を新たにして、いつもとは多少違う気分で、また車中の人になった私です。

 

最近、不思議に感じることですが、休日の朝の電車は、意外にも、込み合っているのですね~

無論急行のみですが。

景気も上向きで、余暇の日をレジャーで楽しむ方が多いのでしょうか?

そのため、休日にもかかわらず、席を確保することができませんでした。

長時間の乗車ゆえ、がっかりした私は、その後、或る行動にでました?

何とも年寄りじみていて、自ら情けなく感じつつも、シルバーシート目指し、通路を抜けること。

私の期待通り、そのシートの真ん中が、混んだ電車にもかかわらず空いているのを発見。

ホッと胸をなで下した私です。

 

昨日も同様の空模様でした

 

このシルバーシートの光景には、しばしば複雑な気持ちを抱く私です。

若者が、悪びれた風も全くなく、堂々と腰かけている姿をよく見かけますが、余り良い印象を受けませんね~

キリスト教が根ざす西洋社会では、恐らく見られない光景では?

日本の恥ずかしい社会現象の一つに思えてならない私です。

私は、乗車する度に当たり前の如く、そのような場に出くわしますが、むろん私には、席を譲って下さい、などと言う勇気は毛頭ありません。

 

一昨年の孫の運動会でしたかしら。

敬老席のあるテントに向かおうとしたところ、「ママは、そんな席に座る人には、まだ見えないわよ」と、次女に言われたことがありました。

とても嬉しい言葉でしたから、臆面もなく又ここで記してしまいましたが、それは見かけ倒しの私の姿。(笑)

自分では、シルバーシートにふさわしい人間、と思っています。

 

そういえば、旦那さまが一時帰宅して病院に戻る際、事情を話し、若者に席を譲ってもらったことがありました。

又或る時は、身体障害者手帳を見せて、席を譲ってもらっている御老人に出合ったこともあります。

 

こんなことをしなくても、シルバーシートの本来の趣旨が、若者に当たり前のごとく浸透してほしいものですね~

そして、弱者の立場の人達が乗り合わせたなら、快く席を譲る社会に、日本も早くなってほしいものです。

 

さて、いろいろな思いに浸りながら辿りついた本郷駅。

心配した到着時間でしたが、取り越し苦労だったようで、思いがけず早く当駅に着きました。

旦那さまの医療用品、その他の備品を収めるために、日頃より大きいキャリーカートを引いて、徒歩でT大学の赤門に向かった私です。

 

以前に撮った画像です

 

病院に向かう正式なルートとは異なりますが、この大学に縁がある私は、この赤門を抜けてキャンパスを通り抜ける道程を、殊更愛しました。

このお陰で、私の不安や疲れが、どんなに癒されたことでしょう。

夏から真冬への季節の移ろいに随時、身を置き、緑濃い樹木が、紅葉、裸木へと変わる情景の変化を、心から楽しむこともできました。

 

 

ところが、今日はその赤門の前で、ちょっとした異変が。

守衛さんとは異なり、大学関連らしき人が二名、腕にワッペンを付け、訪れる人を迎えるがごとく、門の脇に立っていました。

その傍を通り過ぎようとしたところ、身分証明書を見せるように言われました。。

私は思わず驚き、その理由を尋ね、大学入試センター試験日であることに、始めて気づかされたのです。

「病院へ向かうところです」と話し、私は証明書を提示することなく、その場を通リ抜けることができました。

 

さてその後、病院に向かいながら、私の心には過去のある出来事が鮮やかに蘇りました。

その時、大きく激しく揺さぶれた親子の感情が、昨日のことのように想い出され・・・・・・

痛恨の出来事だったにもかかわらず、愛しさで、胸が熱くなる思いがしていました。

病院に辿り着くまで、その出来ごとを振りかえり、改めて学生時代の娘達に思いを馳せつつ、旦那さまの病室へと歩みを進めた私です。

 

いろんな出来事に遭遇し、その度にそれを乗り越えられた幸運に感謝しながら、人生は繰り広げられていくものなのでしょうね~

又今も、新たな問題に直面し、その人生の課題を無事にクリアしようと頑張っている私達夫婦。

案ずるより産むが易し、の心境で、今後の人生の課題も一つ一つ、逞しく明るく取り組んでいくことができますように。

 

親子で心揺さぶられた若かりし頃の想い出は、次回でお話しさせていただきます。

 

      

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 

にほんブログ村  ランキングに参加中 です。

今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は、いよいよ夫の退院日♪

2014-01-20 08:56:56 | 病気

今日(19日)は、、いよいよ旦那さまが退院する日です。

昨日も記しましたが、退院とは名ばかりで、今後、手術を控えての帰宅ですから、心から喜び安心できるわけではありませんが。

嬉しいことには変わりありません。

 

放射線治療の副作用がひどく、夫の症状が最悪の時は、幾度も外科処置や手術がなされました。

酸素吸入器も取り付けられた状態で、敗血症の懸念があると言われた時は、死を連想し、身も心も震えあがる思いがしたものです。

そんな艱難を乗り越えての、この度の退院。

この日を迎えられたのも、主治医のK先生始め、若い諸先生方、看護師さん達の手厚い治療と看護のお陰です。

ここ数年、入退院を繰り返してきた夫ですが、退院の度に心に抱く感謝の思いは、海より深く山より高し以上に相応しい言葉が、私には見つかりません。

 

 

その上、長期に及んだたため、入院費もかさみましたが、高額医療費制度といった国の助成の恩恵に浴し、がん保険にも加入していたため、経済的負担は余りなく、我が国の皆保険制度の素晴らしさを、いつも改めてしみじみ思う私です。

我が国の財政状況を察すると、こんな恵まれた医療制度の恩恵を、子、孫の世代がいつまでも享受できるか不安になりますが。

何としても維持してもらいたいものですね~

 

そのためにも、私達がまず自らの健康管理に気を配る心がけが大切と思いつつ・・・・・・

私はその点においては十分とは言えず、合格点には程遠いですが、

但し、徹底したお医者様嫌いでしたから、これまでの人生では、医療費は最小限にしか使用していません。

ところが、時折倒れ、緊急入院も数度経験したので、威張れるほどのことではないようにも~(笑)

 

 

この度の長期の旦那さまの入院において、医療関連の方々への感謝の思いの他に、家族の協力も忘れることができません。

総合職で男性並みに働き、日々残業もこなす傍ら、子育ても大変な娘達です。

それにもかかわらず、その合間を縫って、度々父を見舞い、私を支え元気づけてくれました。

 

仕事と家事の両立で多忙な娘達ですから、子供達に迷惑をかけたくない、との思いは、私は人一倍強い方かもしれません。

自分でできることは少々大変でも、自分でこなす自立した暮らしをいつまでも、と願いますが・・・・・・

次第に年老いていく身です。

重々しい人生の課題に向き合う気力を今後、いつまで持続できるでしょうか?

心もとなさを、自分に感じないではいられません。

その点、独歩と自尊の精神が強い旦那さまの態度には見習うことが多く、感心ばかりしてしまいますが、私はYさんのように強い人間にはとてもなれそうになくて・・・・・・

 

 

とにもかくにも、この度は大きな山をひとつ無事に乗り超えられた私達夫婦。

本番は、まだこれからで、次なる高い峠を目指して進まなければなりませんが。

人事を尽くして、事態の推移を見守ることしかできない私達です。

神様の御心のままに、といった心境で、うろたえず焦らず、今が一番素敵の精神を貫けますように。

そして悔いのない日々を大切に紡いでいきたいもの、と願っています。

 

今日掲載した蘭の花、シンビジュームは、私が心から敬愛する親友が、夫の退院を祝して、我が家にわざわざ届けて下さったものです。

このことについては、また日を改めて、書かせていただきますね。

 

追記 

私は日記の概要をざっと書き終えても、その日に投稿をしないことがほとんどです。

そのため、文章に時差が生じてしまいますが、いちいち、それを修正し編集し直すような事は、今後しないことにしました。

そのため、今日の日記のように、日付を時々記入させていただきますので、何卒ご了承くださいませ。

 

        

  にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 

 にほんブログ村  ランキングに参加中 です。

 今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

待ち遠しい春の曙

2014-01-18 11:12:46 | 病気

一昨日の朝、旦那さまから電話で、退院日の連絡がありました。

半月ほどの退院期間が途中でありましたが、ほぼ四か月に及ぶ入院生活を送ってきた旦那さま。

いよいよの退院とあって、心なしかYさんの声が弾んでいるように、私には感じられました。

 

これまでの苦労を思い起こし感無量ですが、これが全快間近の退院であれが、どんなに嬉しい事でしょう。

実際は今回の退院も、前回と同様、自宅療養生活であることに変わりありません。

何よりも気がかりなのは、化膿した腹腔の膿抽出のために取り付けられたチューブが未だに取り外されていないこと。

退院の際も、身に携帯したまま、自宅に戻らないといけません。

主治医のK先生のお話しによると、保険のようなもので、慎重を期しての対応との事。

退院後、最初の受診日には取り外せるでしょう、と夫には話されたようです。

人工肛門のストマー袋も付けたままですし。

喜ばしくないお土産持参の帰宅と言えば、よいのかしら。(笑)

 

笑っている場合ではありませんね~

その処置を今後は、看護師に替わって私がすべて行うことになるのですから。

昨日は自宅でシャワーを浴びる際の前後における、そのチューブの取扱いと処置について指導も受けました。

ノートにしっかりメモしましたが、一回のみの説明で、老化著しい私の頭が呑み込めたのかしら。

何だか不安で自信もありません。

けれど、旦那様は、記憶力抜群の人。

人工肛門のストマー袋の取り付け同様、戸惑った際は、Yさんの指示に従えば、何とかなるでしょう。

 

 

食事にも気を配らないといけません。

けれどこの点は、いつも通りの食事で構わないようにも。

私は、特別気を遣って調理しているわけではありませんでしたが、

これまで、診察時の採血結果報告の際、いつも栄養の数値がすこぶるいいらしく、諸先生方がとても褒めて下さいました。。

主婦としては勲章を授与されたような嬉しさで、その後の励みにもなっています。

 

でもやはり、今後のことを色々考えますと、不安が尽きない私です。 

夫の体力が順調に回復しませんと、がん摘出の手術ができませんし、万一無理して手術に臨むと、また前回のようにいろんな問題が生じかねないようです。

旦那さまの自宅療養における、私の責任が重大、といった感じ。

更に肝臓の今後の治療をどうすればよいのでしょう。

C型肝炎の治療は、いつから始めればよいのかしら。

眼の治療もありました。

満身創痍の旦那さまですね~

けれど、日頃、愚痴一つ語らず、いつも淡々と冷静に過ごしているYさん。

そのような悲壮感は全く感じられず、敬服の至りです。

私には、とても真似ができそうにありません。

 

このように、私達には決めかねる問題が色々あり、戸惑うことがばかりですが・・・・・・

今のところ、旦那様と相談の上、病院は一つに絞る予定でいます。

先生にご相談した上で最終的な結論を出すことになるでしょう。

 

 

病を敵にたとえるなら、私は頼りない援護射撃手の心境ですが、やむを得ずながら、付き合わなければならない友と思えば、多少は気が楽になります。

焦らず、仲良く病と付き合いながら、旦那様には療養と治療に専念してもらわなくては。

人工肛門のストマーも最初ほどは嫌ではなく、多少可愛く見えてきたかしら・・・・・・

 

正に季節も私達の人生も、真冬の時代の中にありますが、冬来たりなば春遠からじですものね~

春の曙が、医師の話からも窺えてくるこの頃。

本格的な春到来の頃には、旦那さまが入院前の元気を取り戻してくれているに違いありません。

そう信じ、草木が萌えいずる春を、例年以上に待ち遠しく感じている私です。

 

       

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 

にほんブログ村  ランキングに参加中 です。

今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。

 

 

 

 


 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

輝いていた若かりし頃を想い出し、仲睦まじく麗しい余生を

2014-01-16 07:47:44 | 病気

病院に出かけた一昨日は、今冬、一番寒い日ではなかったでしょうか。

まるで冷蔵庫の庫内を歩いているような冷たさ。

悲しくなってしまうほどでした。

でもそんな弱気ではいけない、と自分の心を奮い立たせた私。

最近心がけている事を思い出し、胸を張リ、歩幅な大きくして、思い切り元気よく歩くように努めました。

すると次第に体が温まリ、寒さがあまり応えなくなりました。

家の中でも、この心がけ次第で、多少は暖房費の節約になるかもしれませんね~

 

晩秋に植え付けた寄せ植え 色調が暗いですね~私の不安な心の反映かしら

お花には興味のない旦那様は、一顧だにしてくれません。

 

その日は、自宅で昼食を済ませ、病院に向かい、到着したのは昼下がりの2時半頃。

6時頃まで夫の病室にいて、ストマー袋(人工肛門の袋)の取り換え、カフェでのおしゃべり、その他諸々のお世話をし、病院のレストランで夕食を済ませ、我が家に戻ったのは9時前。

そのためか、昨朝も五時起床のつもりが目が覚めたのが6時過ぎ。

PCに向かったのは、その30分後。

時間リミットは7時ですから、昨日望んだ久しぶりの連日投稿は無理となりました。

 

狭い病室では、特別忙しく立ち振る舞うわけでもありませんのに、何故か、いつもひどく疲れます。

病院の往復に、ほぼ4時間弱取られますから、それだけでも年老いた身には、重労働といってよいかもしれません。

しかし、疲労の一番の原因は、病院特有の雰囲気では。

明るい場所とは言えず、患者さん、先生方始め、医療に従事する方々すべてが、病という人生の重たい課題に直面し、闘っていらっしゃるわけですから。

いつか我が身、と思ったりすると、軽やかな明るい気分には、なかなかなれません。

 

 

夕食の献立 ぶりのみぞれ鍋・肉じゃが・お刺身、ごま豆腐・山芋の酢の物・お豆ご飯

夫が一時帰宅した時の夕食と朝食

食事制限はほとんどありません。

余り残さず、思いがけない食欲に驚き喜んだ私です。

 

さて、今日は前日の記事の続きを書くお約束でしたが、一晩おくと、その後の文章は様変わりです。

前の投稿では颯爽と歩く心がけについても記しましたが、旦那さまの歩行は、再三病を患うようになってからは、明らかに元気がなくなってきました。、

歩行スピードが落ち、姿勢も悪く、私の目には、その姿がとても弱々しく映ります。

共に出かけた時など、私は時に、彼の姿勢の悪さと、歩き方を注意する事があります。

「もっと胸を張り、かかとで地面を力強く踏みつけるような歩き方をしては?

その方が健康のために良いと思うのだけれど・・・・・・」などと。

けれど、とても自尊心の強い旦那さまです。

妻に注意されるのを好みませんから、その場では決して変えようとしません。

私も無論、その性格は十分承知していますから、即座の変化を期待しているわけではありません。

私の注意が僅かでも心に留まり、今後に良い影響与えてくれれば、といった程度の思いで、いつもいます。

 

実は一時帰宅し、我が家で一晩過ごした翌日の12日のお昼下がり、珍しく、近所の周辺を30分程度二人で散歩しました。

Yさんは、「一人で大丈夫」と言いましたが、さすがに私は心配で、彼の言葉を素直に受け止めることはできませんでした。

先程もお話ししたように、自我、自尊の強い人ですから、心配し過ぎて世話を焼き過ぎると、却って彼の気分を害してしまいます。

妻としては優しい気持ちから沸く言葉でも、控えなければならない事がよくあります。

 

ところが、1昨日はさすがに少々気が弱くなているのか、私が散歩に同伴することを拒みませんでした

空は真っ白な雲と青空のコントラストが何とも鮮やかで、今時の好天気は、小春とは言わないのでしょうが、その言葉がふさわしいような散歩日和でした。

私は以前、Yさんとの話題に幾度かした、里山公園に彼を案内することに。

この公園風景は、このブログでも写真を掲載しご紹介したことが数度あります。

そこまで、往復で三十分程かかります。

Yさんの今の体調には、散歩時間としては理想的。

 

歩行速度は、今までよりさらに遅くなり、何だか歩き方が、奇妙で変?

旦那さまの背中には、病の苦労と哀愁が漂っているように感じられ、ちょっぴり胸がキュン、となりました。

病の影響が歴然としていて、少々痛々しいほどです。

 

 

貴公子の如くノーブルで涼しげな雰囲気の彼に惹かれ、一目ぼれで、早くも大学2年生の時に婚約してしまった私でしたが・・・・・・

結婚は4年制大学卒業後の秋でした。

しかし、その頃の素敵さは、幾星霜には逆らえず、とっくの昔に消えてしまった旦那さま。

旦那さまだけではありません。

私自身も、その面影がないほど、今は変わり果て、痛切に反省しますが、今更どうしようもありませんね~(笑)

 

 

 

婚約時代の輝いた二人の姿を改めて見つめ直し、当時の心のときめきが一瞬蘇り、至福の時に浸ることができました。

年末に収納棚の整理をしている時に、久しぶりに出逢った写真。

それ以来そのアルバムは、奥にしまうことなく、私の部屋の棚に載せています。

スタンドのフォットフレームに収め、いつも過ごすファミリールームの隅にでも飾ろうかしら。

夫婦円満に老後を暮らす効果大かもしれませんね~

 

このデートは妹・夢路も一緒だったようです。

 

先程、旦那さまの歩き方が奇妙で変、と書きましたが、それには訳がありました。

帰宅後のお茶のひと時にYさんが話してくれたこと。

患部を医療品で覆っているためかさばり、ズボンもまともに着用できなくて、ベルトも締められないようです。

歩きづらい理由が良くわかり、私は心から同情してしまいました。

 

そんな話を聞くにつけても、1日も早く全快し、颯爽とは言えないまでも、元気な頃の歩行を取り戻し、数時間の散歩を心から楽しめるようになってほしい、と祈るような気持ちになりました。

Yさんも、むろん同様の思いでしょう。

 

 

送迎では、娘達の協力を受けた私たちでしたが、今回は、1両日を二人だけで静かに過ごしました。

穏やかな優しい時が流れ、とても心満たされた私です。

いよいよ退院も間近。

今後、まだ手術が控え、実はこれからが正念場。

心を引き締め、旦那さまの体力作りに励みましょう 。

 追記

タイトル迷ってしまいました。

今更、「頑張る」の表現も変と思い変えましたが、今度は気取り過ぎかしら?(笑)

でも私の理想には違いありません。

       

  にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 

 にほんブログ村  ランキングに参加中 です。

 今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。

 

 

 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤いリボン 最近の私は又とても元気 ♪

2014-01-14 06:56:53 | 暮らし

作日の朝は、、また寝過ごしてしまいました。

常に5時間睡眠の頃には、考えられなかった現象です。

8時間以上、寝てしまうなんて・・・・・・

早起きは三文の得、というけれど、私は十文くらい損をした気分です。(笑)

そのため、日中の仮眠を取らないで、過ごしたいところでしたが・・・・・・

この睡魔は、夜の睡眠の長さに関係なく、私には襲ってくるので、厄介者です。

 

夫の症状が落ち着きを取り戻し、退院の期待に胸が膨らみ始めたクリスマス前あたりからでしょうか。

ほっと安堵し、気が緩んでしまったのか、次第に体調が下降気味となっていきました。

体力と根気が続かず、情けないながら、1日に数回、横になる私、とまた化してしまったのです。

 

 

その頃、自らを元気づけるために私の椅子に結んだ可愛いリボン。

クリスマスシーズンの飾り付けとしても良い、と思ってのことでしたが・・・・・・。

それ以来、ずっと付けたままで、ほどいていません。

このリボンを見た娘達は笑っていましたけれど・・・・・・

心映えの効果大で、私はこのリボンを見て、元気づけられています。

旦那さまが全快するまでは、ほどかないつもり。

このリボンに、私は願をかけているのかしら?(笑)

 

ところが最近、このリボンの効果もあってか(?)、また見違えるほど元気に。

私は数年前から、私の疲れ易さや体調の激しい波は、自律神経失調症によるものだと思っています。

私の勝手な自己診断で、医師からそのような事を告げられた覚えは、全くありませんが、

これが高じると、うつ病になるのかもしれませんね~

幸いにも、私は婿に冷やかされるほどの楽天家。

ですから、この性格のお陰で精神は割と常に安定していて、その点で苦労したことはありません。

心配性のところも無きにしも非ずですが、いつまでも尾を引くことは、まずありません。

 

 

この自律神経失調症を直す一番良い方法では、と私が最近、思っていることがあります。

規則正しい睡眠が、良好な体調を維持するうえでとても大切である事は言うまでもありません。

過去の暮らしを顧みて、最近強く反省し、改めた事です。

しかしここ一月ほどの私の体調は、それにもかかわらず不調で、頭の中にクエッションマークがいっぱい。

 

旦那さまの回復が顕著となり、それまでの緊張が一気に緩み、いつものように疲労がどっと押し寄せたと言えるかもしれません。

過去に、このような状況時に突然体調を崩し、、緊急入院した事が数度ある私です。

でも、今回は無理をして疲労をためないよう心掛け、睡眠も十分取っててきたのに何故?

との疑問を拭うことができませんでした。

その結果、最近気がついた、体調を整える良い方策とは?

 

それは意識して、体を思いきり元気に動かす事。

 

私に長年にわたって身についた自然の動作は、実にスローで悠長なものです。

妹の夢路が家事をする姿をたまに見る機会があリますが、

そのてきぱきしたスピード感ある動作に驚かされ、私は少々乱暴では、と感じてしまうほどなんです。

そんな妹ですから、逆に私の動きは、余りにテンポが遅く、見ていてもどかしさを覚えるのでしょう。

その点を指摘された事が、今までにも何回もありました。

 

旦那さまの若かりし頃の海外出張のお土産

スイスで求めた木彫りのお人形

 

そんな訳で、ときどき反省し、スピードを上げるようにしているのですが、長年の習性は、いとも簡単には改まってはくれません。

改めたつもりでも、三日坊主となり、すぐ元のゆったりした動きに戻ってしまいます。

 

ところが、松の内が明けた頃から、その点をまた反省し、一日の家事をこれ以上の早さは私には望めない、と思えるほどのスピードでこなすようにしています。

もっと具体的に述べるなら、手足の動きにも力を入れて、少々乱暴と感じるほどの意気込みで、日中の作業をしています。

歩行も、床を叩きつけるが如く力強く。

 

 

するとどうでしょう。

この数日間、私は見違えるほど元気になりました。

恐らく、家事とはいえ、勢いとスピードある作業が、体内の血流をよくし自律神経のバランスを良好に保ってくれるのではないでしょうか。

心にも明らかに張りが生まれます。

昨日我流計画ノートの反省枠には、とても充実した1日でした、と書き込むことができました

 

私の勝手な診断に過ぎませんが、たとえ単なる思い込みでも、それが前向きのものであるなら、悪い結果を招くことはないでしょうから。

そのように信じ込んで、この心がけを今後も忘れないようにしたいもの、と思っています

 

とは言っても、すぐ元のリズムに戻る懸念大なので、葉書に大きな字でこの注意事項を書き留め、いつでも見えるように手下に置いています。

この調子で、自ら犯す時間泥棒も卒業したいものですね~

 

 

この嬉しい報告を、数日前、旦那さまに病院でしたばかりの私です。

ところが、この旦那さまも、私に似て動作が割と悠長。

そうでもないかしら。

元気な頃には、歩行スピードが速くて、私はいつも遅れがち。

小走りしで彼に追いつくようにしていましたから。

 

その旦那さまが一時帰宅した一昨日の様子まで、昨日既に書き終えていますが、文章が余りに長くなるので、いったんここで打ち切らせていただくことに致します。

そうすれば久しぶりに連日投稿ができそうですから。

大した内容ではありませんが、若かりし頃の夫婦の写真も掲載する予定です。

乞うご期待!(笑)

等と、ふざけてしまいましたが、多少でも興味を抱かれましたら、またお立ち寄り頂けますと嬉しいです。

 

       

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 

にほんブログ村  ランキングに参加中 です。

今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。

 

 

 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

改めて旦那様へ抱く感謝の思い

2014-01-12 07:13:20 | 病気

今日は、夫がお正月に引き続き、一時帰宅する日です。

いつも通り、一泊限りですから、束の間の滞在を、Yさんがマイペースで心行くまでくつろげるように、心配りしたいもの、と思っています。

 

一週間前でしたでしょうか。

長期入院で、すっかり衰えた筋力の回復のために、リハビリが始まりました。

とは言え、特別リハビリ室に出かけ、療法士の指導のもと、器具など利用して体を鍛えるような大袈裟な事ではありません。

リハビリ用の運動が図解で示された書面を自分で見ながら、病室で体を動かすだけ。

私は少々物足りなさを感じましたが、目を患ってはいるものの、手足に障害があり、その動作が不自由なわけではなかった旦那さま。

それで充分だったようです。

 

新春用に私が寄せ植えしました。

 

そのリハビリも兼ね、私も最近は病室を訪れた際は、必ず院内のカフェに誘い、二人で一服するように心がけています。

よい気分転換になれば、との思いもあるからですが。

その帰り、通路を歩いている時、旦那さまが、次のように言いました。

「昨日、リハビリのために、この廊下を三周して、リハビリは卒業できたよ」と。

「そう、ずいぶん早い卒業ね~何を基準にして判断するのでしょうね~?」

と、問い返したところ、3周(1キロ)、普通の速度で歩行しても、スタート時点と体調に変化が全く見られず元気だったからのようです。

 

ほぼ延べ三カ月も入院し、その間、半月ほどの退院期間もありましたが、熱があり、その時は寝たきりの生活でした。

それにしては、体力の回復が驚異的。

信じられない程の事ながら、私は嬉しい限りです。

 

とても私には、真似のできないこと。

私も過労で倒れ、過去に、数度入院の憂き目に遭いましたが、退院後、しばらくは宙に浮いたような体を持て余し、酷い時は半年くらい体調が元に戻らず苦労したものでした。

今思えば、筋力の低化のみならず、病後特有の自律神経失調症の状態になっていたのでは、と推測できますけれど。

もともと体力がない上に、精神力にも問題ありの私ですから、当然のことでした。

 

 

その点、旦那様は、私が足元にも及ばない強靭な精神力を持ち合わせ、体も、細身の人ながら、日頃はとても丈夫。

彼から、疲れたと言う言葉を聞いた事がありませんし、嫁いで以来、風邪をひいて寝込む姿を見たのも、数度だけ。

但し、若い時に、胃潰瘍と痔の手術で二度ほど入院の経験はありますが。

 

寡黙で、優しい言葉など何一つかけてくれない旦那様ですが・・・・・・

一方で、注意やお叱りを受けたことも全くといっていいほどない私。

無論、私が良く出来た妻だからではなく、寛容な彼の精神に因る所が大で、放任主義だったからでしょう。

こんな人柄の旦那さまに、私は物足りなさを感じて、文句を言ったことも度々ありました。

 

けれど、体も心も弱い私です。

恐らく冷静な強い精神力と丈夫な体を持った旦那さまが傍にいてくれたお陰で、私は安心してマイペースの幸せな日々を送ることが出来たのでは、と改めて思うこの頃です。

そのよい例が、東日本大震災が襲った時。

私は恐怖に見舞われ、一目散で二階の夫の書斎に駆けつけました。

激しく揺れる我が家ながら、旦那さまの悠然とした落ち着いた態度に接し、動揺した私の気持ちが、どんなに和らいだかわかりません。

 

母の遺品のお茶道具

亡き母も草葉の陰で心配しながらも見守ってくれていることでしょう

 

その旦那さまが、70代前後から、まるでこれまで頑張って暮らしてきた疲労が一気に襲ってきたかの如く、矢継ぎ早に病に襲われるようになりました。

そんな厳しい状況下でも、愚痴一つ言わないのは、相変わらず今も同様です。

 

経済的にも恵まれた生活をさせてもらった私です。

いろんな意味でお世話になった旦那さまに、これからは精一杯の恩返しをする時かしら。

私にしては、まことに殊勝な気持ちになっている昨今ですが・・・・・・

こんな心構えが、三日坊主にならないように気をつけなくては。(笑)

 

この旦那さまが、一番嫌がる妻の私の行為は、何だと思われますか?

私が、ときたま注意される事は、それくらいかもしれません。

 

彼は、話すテンポが割と遅い上に、無駄口はきかず、詳しい説明は省き、要点のみ語ろうとします。

ですから聴く方は、幾分の想像力を働かさないといけません。

その想像力は、私のお手のもの。(笑)

ですから、彼の余りにゆっくりした語り口に私はついていけず、二言三言しゃべると、すべてが飲み込めたかのような気分になり、言葉を挟んでしまうのです。

これがYさんは非常に嫌らしく、私はよく叱られます。

「最後まで俺の話しを、もっとよく聞け」と。

 

 

今日お正月の元旦以来のご帰宅。

旦那さまが、一番嫌がることを肝に銘じて、犯さないように注意しましょう。

途中で口を挟みたくなっても、最後まで彼の話しを聴き通すこと。

その点さえ注意すれば、彼が機嫌を損ねることはないはずですから。

 

今日は、長女夫婦がお迎えに行ってくれます。

帰りは次女夫婦が。

それぞれ、PTAの会合、少年野球チームのサポート役の仕事がある中での協力に、感謝あるのみです。

本当にありがとう。

旦那さまが体調も麗しく、心穏やかに至福の時を、我が家で過ごす事が出来ますように。

 

退院は、いよいよもうすぐ。

来週の週末頃を予想しています。

 

       

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 

にほんブログ村  ランキングに参加中 です。

今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相変わらず試行錯誤中の私の暮らし

2014-01-10 07:04:23 | ブログ

1昨日は出かける準備もあり、朝から気忙しく、丁寧なブログ記事の推敲もしないまま投稿し、出かけてしまいました。

病院から戻ったのは、日もとっぷり暮れた9時過ぎ。

翌朝起きてPCの前に向かい、前日の記事を読み直すと、自らの文章ながら、言葉の使い方に何だか納得できなくて・・・・・・。

色々書き直しているうちに、結構な時が流れ、新しい記事を書く時間が余りなくなってしまいました。

朝、私がブログ記事を書く時間リミットは、一応7時までと、心の内では決めています。

延長するのは当たり前の如くで、再三ですが。

ところが昨日の朝、起きたのは、前日の疲れから寝過ごしてしまい、6時過ぎ。

それではむろん、書く時間が足りないのは当然ですね~

 

長女からのクリスマスプレゼント シクラメン

 

ブログを綴る時間帯を、1日の暮らしのどこに当てるか、迷うこと仕切りで、今なお試行錯誤しています。

皆さんは、どのようになさっておられるのでしょう。

お尋ねできるものなら、質問させていただきたいほどです。

 

私は、早朝に起きて、身支度、朝食後、集中的に取り組むことがほとんどです。

この事については、過去記事で、すでに何度もお伝えしてきました。

けれど相変わらず、この時間の使い方に疑問を抱くことが良くあり、今朝もそう。

一層のこと、起きるなり家事に勤しみ、全速力でその日の日課を片付けた後に、多少長い仮眠をとって、ブログ記述に臨んだ方が、充実した過ごし方が出来るのではないかしら?と。

幾度も幾度も、この思いを抱き、それを実践しようと心掛けたことがあります。

 

ところが、主婦業なんて、泉の如く湧いてきて、終わりなんてありません。

あれもこれもと、励んでいるうちにあっという間に日が暮れてしまって、ブログを綴る時間も気力もなくなってしまいます。

ですから、やはり早朝のゴールデンタイムに、もったいないな~と感じつつも、強制的にその作業をあてがい、それが終了後、すっきりした気持ちでその後の日課に励むほうがやはりいいのかしら?とも。

相変わらず、この迷いが尽きることなく、時々私を悩ませます。

 

 

ブログの時間帯のみならず、私は1日を如何に過ごすのが理想的か、常に検討課題になっていて、これも、未だに試行錯誤してばかり。

計画ノート、タイマーなどは必需品で、手下に常に置いて、最大限に利用し、私の心と、疲れやすい体の励みにしています。

 

 

幼い時から、割と体が弱く、体力のなさは私の1番の泣き所。

終生、付きまとっていくことでしょう。

もしや、広島の原爆投下による、3キロ地点での被爆が、多少は原因しているのかしら?

福島の原発事故で騒然となり、放射線の影響が喧しく報道されるまでは、そんな事、考えたことの全くなかった私でしたが。

それ以来、多少、自分が被爆者であることを意識するようになりました。

 

けれど、それまで、そのような被害者意識を全く抱かず、能天気で暮らしてきたことを、悔やんではいません。

もしそれを問題視して過ごしていたなら、私の人生はもっと憂いを帯びたものだったかもしれませんものね~

 

そういえば、母も病弱な人でしたが、私に似て気力が充実した頑張り屋さんでした。

私同様に、頑張りすぎては、時々ダウンし、寝込んでいました。

 

 

この疲れやすい体と上手に付き合って、楽しく暮らすためにも、無為にだらだら過ごすのは私にはご法度。

生活のリズムが、とても大切です。

 

今年は、どうしようかな~

ブログに集中する余り、朝から疲労感を覚えるのは、何とも情けなくて・・・・・・

早朝は、ブログに取り組むのではなく、気候が良くなれば、庭のテラスでコーヒーをすすりながら、朝の朝食。

その後、庭の可愛い草花達にも、朝のご挨拶。

芽吹きに感動し、空を見上げておいしい空気をいっぱいすって朝のスタート。

快適なリズムに乗って、家事に勤しむ・・・・・・

そんな暮らしもいいですね~

このようなきれい事を綴ると、もう一人の私が、「言うは易く行うは難し」と、すぐ耳元で囁きます。(笑)

 

 

今年の一番の目標は、旦那さまの病の回復である事は、言うまでもないことだけれど・・・・・・

二番目の目標は、掛け替えのない1日を、如何に麗しく素敵に暮らすか、その暮らし方のデッサンを見事に描きつくす事かしら。

時間管理術なる書物でも数冊読んで、もっともっと素敵で効率の良い暮らし方を心掛けられないものか、と。

 

何だか漠然とした掴みどころのない表現ですが、このように綴るだけで、結構夢が膨らみ、何かしら心が弾み、とても元気が沸いてきます。

これも、ブログ効用の素晴らしさですね~

今年も、こんな調子で、ブログを綴ることで、自省自戒の前向きの日々を送り、多少でも成長したいものと、強く願っています。

 

       

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 

にほんブログ村  ランキングに参加中 です。

今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新春の孫談話

2014-01-08 08:55:42 | 

松の内も過ぎ、若夫婦はいつも通り、一昨日から出勤。

家族一同、今年をつつがなく平穏の内に、過ごせることを祈ってやまない私です。

取り分け、旦那さまの病の全快を希求し、そのために妻として出来ることは誠心誠意やり遂げなければ、との思いでいます。

主治医のお話しでは、すべての数値が良い方向に向かっていて、この調子ですと間もなく退院できます、とのこと。

その後、自宅でしっかり体力を付け、二月の中旬に、大腸がんの手術に臨むことになりそうです。

 

先生のお話しぶりでは、自宅での療養に大いなる期待をかけておられるような感じがしました

病院は完全看護とはいえ、狭い個室で過ごしている今の旦那さま。

自宅に比べ、運動不足は避けられませんから、退院後は出来るだけ通常の暮らしに戻り、体調を整えることが肝心のようです。

 

幾分洋風ぽっく自分でアレンジしたお正月花

フラワーショップの店員さんは多忙すぎて、各自勝手に選んで下さいと言われ仕方なくでした。

 

退院後の、妻の務めと責任を思うと、今から、少々緊張してしまいそぉ~

私には、いまだに見るのがつらい、ストマー(人工肛門の)の装具取り付けも私がしないといけませんから。

 

でも生真面目なようでいて、実際はとてもいい加減で、ずぼらなところも結構ある私。

その性格が、いかなる逆境でも、心の均衡を保つ上に役だっています。

ですから退院後のことも、何とかなるでしょう、といった感じで受け止め、余り深く考え過ぎないようにしています。

 

 

 

今日はお正月の家族の様子を続編でお伝えするはずでしたのに・・・・・・

今は、常に夫の事が心の大部分を占めているため、知らぬ間にこのような書き出しになってしまいました。

 

さてお話しを、年末年始の出来ごとに戻しましょう。

長女家の車で、ほぼ一月半ぶりに一時帰宅した旦那さまも居て、家族全員が何とか揃う事ができたお正月。

大晦日にすでに集合し、いつも通りの明るさと賑やかさで年が暮れ、明けていきました

そして私は例年通り、孫達の去年より一段と成長した姿に改めて嬉しさを噛みしめ、旦那さまの全快を殊更祈りました。

 

 

特に、この一年で身体的成長がめざましかったのが、初孫で中2のR君と次女家の孫娘のかれんちゃんです。。

R君は、今では既に私の身長を越え、中学入学当時の心配になる程、背丈が低かったR君とはまるで別人に。

もともと大人っぽい凛々しい顔立ちをした子ですから、背広を着ると、すぐにでも社会人になれそうな雰囲気です。

私は、こんなに急に大きくなっては、体調に悪い影響を与えるのでは、と心配になるほど。

育ち盛りの時期になると、人間は急に大きくなるものなのですね~

新たな認識といってもよいほどで、私には大変な驚きでした。

 

 

ところがこのR君は、初孫特有のデリケートさと呑気さで、甘えの構造が顕著らしく、成績もいま一つ振るわず、パパとママを悩ませています。

いつも成績優秀でで勉強で苦労したことがない両親には、意欲的に勉強に取り組もうとしない姿が、とても歯がゆく感じられるようなのですね~

とは言っても、小学校でトップクラスの子供達の集団で、レベルも非常に高い学校です。

合格した時は、信じられないほどその幸運に驚き感激した私達ですから、ついていくのにしばらく苦労するのは当然と言えば当然。

優しい娘は、心配しながらも、その辺りの配慮は欠かさないように心がけて接しているようですが、短気なパパは、我慢できないらしく、注意してばかり。

 

娘や私がいくら叱らないように意見しても、性格は、そう簡単には変えられそうにないようです。

身長が180センチ以上あり、何事にも意欲的に取り組める人ですから、そのエネルギーの発散は人並みではなく、それがR君に向かってしまうのですね~

 

ところがこのR君のお正月における我が家での態度が、見違えるほど逞しくなっていて私はびっくり。

明るさもずいぶん戻り、元気になっていました。

今までのR君は、パパに叱られるとすぐ傷ついて半べそ状態でしたが。

このお正月は違っていて、理不尽で不当な注意を受けると、しっかり反論し、大きな体のパパに向かっていきました。

 

 慣れないお屠蘇の味に渋い顔のR君

 

私は、そんなR君の心意気が嬉しくて、つい応援。(笑)

「その調子!その調子!パパが不当な文句を言った時は、遠慮せずしっかり意見を言いなさいね。でも正しくて、自分に落ち度があると思った時には素直に反省してね」と。

私の感想を傍で聞いていたパパのHさんは、

「それでいいよ。どんどん反論すればいい。おれも負けてはいないけれどね」

と言って、笑っています。

 

こんなHさんですが、お嫁さんの長女のことは、相変わらずべた褒めしてくれます。

とは言っても、Mちゃんが、いろいろ彼に注意すると、「昔はもっとかわいかったのだけれどな~」ですって。(笑)

 

 

今年のお正月で、一番嬉しかったことは、旦那さまが、一時帰宅出来るほどに順調に回復した事と、R君の見違えるような心身共の成長でした。

そのため、新年早々、初孫で、特別な思いがあるR君についての記事が多くを占めてしまいました。

 

R君の妹の桜ちゃんも、実に個性的ですが、次女と家事をしながら語り合いました。

「さばさばして男勝りだけれど、実にチャーミングな性格ね。この愛くるしさは、何なんでしょうね~

優しいところも結構あって、気配りもさりげなくしてくれるし」

次女も頷いて、その性格を絶賛していました。

 

スカートの大嫌いな桜ちゃんが、この日は珍しく・・・・・・

それだけでばぁばは大感激でした。

 

さらに面白い話があります。

このさっちゃん、体感温度が正常ではありません。なぁ~んて。(笑)

年末に吹き抜けの広いリビングで、ツリーの片づけをすべて請け負ってくれました。

その部屋は吹き抜けになっていて、我が家で一番寒い部屋なのですが。

それなのに、暖房を必要としないさっちゃんです。

ママ曰く。

「会社から戻っても、真冬にもかかわらず、暖房を入れないでいつも過ごしているのよ。

私はだから、帰宅するとそこら中のエアコンを付けまくるのだけれど、暖房費がかからなくて大助かりだわ」

といって笑っていました。

 

こんな具合で、長女家の子供達の性格には、実にユニークな面があります。

それ故の心配も尽きないところもあるのですが。

 

その点次女家の子供達は、私には申し分のない性格に映ります。。

両親は揃って実に穏やかで冷静な態度で、子供達にも接していますから、私は見ていて、心配になるようなことはほとんどありません。

K君は、野球少年として、文武両道といったところかしら。それほどでもないかな~

ママは、週末になると大学時代の経験を生かして、少年野球チームのマネージャー宜しく、サポートに励んでいます。。

パパも同様で、育児、家事に惜しみない協力をしてくれています。

 

 

かれんちゃんは、実におっとりとしていて、さっちゃんとは正反対の性格。

娘達の幼い頃の雰囲気に似ているといっていいでしょう。

何と言っても今、我が家では一番かわいい存在ですからね~

 

 

 

このかれんちゃんが、何と元日の朝から熱を出し、もしやインフルエンザでは?、と一瞬、緊張と不安が私達の心をよぎりました。

体力の衰えが甚だしい旦那さまに移ると、大変な事になりますから。

午前中、さっそく救急病院に駆けつけ、その後もパパとかれんちゃんはそのまま一足早く自宅に戻らざるを得ませんでした。

長女夫婦は、病院へパパを送り、そのまま帰宅。

次女とK君と長女家の子供達はもう一晩、我が家に泊まり、翌日はそれぞれ嫁ぎ先のお宅の新年会へと。

 

 

手の動くままに、キーボードを打っていたところ、思いがけずいつの間にか、新年早々、孫の話題になりました。

私と夫の、今後の一番の愉しみは、孫達の事になるでしょう。

ですから、その健やかな成長に祈りを込めて綴った今日の記事は、新年にふさわしいと言えばふさわしいようにも・・・・・・。

こんな記事になるとは、書きだす前は想像すらしていなかった私です。

 

今後も、今日のように、風の吹くまま気の向くまま、その日に心によぎる思いを、素直な気持ちで綴っていくつもりでいます。

それゆえに、推敲は丁寧を心がけ、多少はまとまりのある文章になるように心がけませんと。

私の気まぐれな文章をご覧下さる方々の頭を、混乱させるようでは、申し訳ありませんから。

我が家の出来事中心の個人日記に過ぎませんが、宜しければお付き合いの程、今後とも宜しくお願い致します。

 

       

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 

にほんブログ村  ランキングに参加中 です。

今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。

 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

謹んで新春のお慶びを申し上げます。我が家のお節料理

2014-01-06 06:36:15 | 家族

皆さま、お正月を如何お過ごしでしたでしょうか。

主婦の方々は、通常以上に家事に追われて多忙ながら、それにもかかわらず、いつになく清新で華やいだ心持でいらしたのでは?

そんな気分で、私は新年を迎えました。

三賀日も過ぎての新年のご挨拶。

遅くなりましたこと、心よりお詫び申し上げます。

 

このような年の節目を大切にする日本独特の慣習は、今も変わりなくその伝統が受け継がれていますが、お正月は別格ですね~

おせち料理、松飾り、お正月花、初詣など、今なお、人々の暮らしに根付いている我が国。

お正月特有の誂えと趣向に、改めて日本人の心の豊かさと美意識を感じないではおられません。

 

でもこのような感慨に格別な思いを抱く世代は、団塊の年齢あたりまででしょうか。

初詣などは、若い人にも人気があるようですから、一概にそうとは言えないかもしれませんが。

お節料理は、洋風料理を好む若い人たちには不人気になりつつあるようです。

 

 

そのお節作りを、我が家は恒例通りに、かまぼこのような練りもの以外はすべて手作りで、無事に仕上げました。

そして、お正月らしい食卓を家族一同が揃って囲み、新年を迎えることができました。

とは言え、今年のお節の大半は、娘達が分担を担い、作ってくれたものです。

特に次女が張りきってくれましたが、失敗も色々あり、それも、ご愛敬と言ったところ。(笑)

失敗は成功のもとですから、来年はその反省に立ち、いっそう腕前が上がることでしょう。

 

一の重

 

紅白かまぼこ・二色卵・伊達巻・黒豆・きんとん・田作り・リンゴ羹

 

 結局、私が調理したのは、三の重のおなます、すべてと、宝来揚げ、鶏の野菜巻きとお煮しめくらいかしら。

毎年、大きな鯛を近所のスーパーで注文し、当日焼くのが我が家の習わしですが、今年27日に注文したところ、すでに売り切れたのか、手に入れることができませんでした。

慌てた私は長女に、娘宅から近い渋谷東急フードショーに問い合わせてもらったのですが、海がしけていて、入荷しないとのこと。

こんな経験は、初めてです。

 

二の重

 

宝来揚・昆布巻き・鶏の野菜巻き・牛肉の八幡巻き・鶏肉団子の照り煮・里芋の含め煮

いかの松笠焼き・里芋の含め煮・焼き豚

いつもはエビの養老煮もこの重に盛り付けますが・・・・・

毎年、今ひとつ人気がないため、今年は塩焼きにして別皿に盛りました。

 

そのため、長女と相談し、ローストビーフを作ることになりました。

けれど元日にもかかわらず、旦那さまが夕方には家を出て病院に向かわないといけません。

余りに慌ただしく、焼くのが間に合わず、それも中止。

お料理の段取りは、なかなか難しいですね~

とても高価なお肉を持参してくれたので、あり付けなかったのは少々残念でしたが、夫と共にに我が家を去った長女夫婦に持ち帰ってもらいました。

長女家の孫達は我が家にもう一泊しましたが。

 

えびをまっすぐにして焼くか曲げるか迷った末、養老煮風に

私は、塩焼きの方が俄然美味しいと思いました。

 

それにしても、60代の前半あたりまでは、ほとんどすべて自分で準備してたなんて、今では信じられません。

今年は特に特殊な事情があり、止むを得ず、娘達に多くの負担をかけてしまいました。

 そのお節作りを、それなりに楽しんでいる様子を見て、私が抱いた感想を、娘達に話しました。

「あなた達も、いつか専業主婦の身になれば、ママと同様のお節をつくってお正月を迎えるようになるのではないかしら?」と。

それを聞いたMちゃん達は、まんざらでもない顔をしていましたよ。

 

 七色なま酢・しめサバ・菊花かぶ・たたきごぼう・鮭の南蛮漬け・酢ばす

 

私はYさんのもとに嫁ぎ、最初に迎えたお正月から、母の真似事で、郷里に幾度も電話をかけ、尋ね尋ね、母のお節とそっくりのものを作ったものです。

母の心配りだったのでしょうか。

妹の夢路(プラチナのように輝いて)も、母が慣れ親しんでいた同じ料理テキストを持っていて、私は未だに、その本の味付けと盛り合わせが基本になっています。

それ以来、そのお正月料理を欠かした事がありません、と言いたいところですが・・・・・・・

一度だけありました。

十数年前のこと、年末に過労で倒れ緊急入院したことがあるからです。

 

お餅・小松菜・鶏・えび・シイタケ・紅白かまぼこ(鶴に見えますか?)・ゆず

 

新しい品が、その後、数品増えましたが、ほとんど変わることなく、母のお節を守りつづけ、四十数年になります。

 出来れば、我が家のこの伝統を、娘達には消してほしくないものですが、果たしてどうでしょう。

怪しい雰囲気が多少します。

 

参考までに去年の我が家のお節

そっくりだけれど、去年の方が盛り付けが美しいですね~

 

先程、今年は特殊な事情があり、娘達がいつも以上にお正月準備を協力してくれた、と書きましたが、その理由は、このブログをご覧下さっている方にはお伝えするまでもないことでしょう。

夫が未だに入院を余儀なくされていて、私は1、2日置きに病院へ、年末年始も通い続ける日々でした。

その旦那さまが、大晦日に長女家の車で我が家に一時帰宅し、元日のみ自宅で過ごす事ができました。

久しぶりに帰宅した旦那さまは、病院で見るより弱々しい姿に私の目には映り、又、新たな不安を幾分覚えました。

けれど孫達の可愛い言動や、若夫婦の元気な話しぶりに、その心配も次第に和らぎ、年末年始を無事に送ることが出来た私と夫です。

さてその時の様子は・・・・・・

次回に続編とさせて頂きます。

 

孫達と一緒に改めて新年のご挨拶

明けましておめでとうございます。

本年の皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

 

      

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 

にほんブログ村  ランキングに参加中 です。

お立ち寄りくださいまして有難うございました。

本年も宜しくお願い致します。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする