この度の娘の受験にまつわるも記事も、今日でやっと最終回。
何だかほっとしています。
こんなに不人気だった記事は、今までに余りありません。
ブログ村の皆さまの関心の薄さがとても分かり、何だか次第に恥ずかしくなりました。
でもブログは、公開とは言え、あくまで個人日記。
そう自分に言い聞かせるようにしていましたが。
内心、INとOUTの少なさに(私の過去のブログ記事と比較してです)、ハラハラドキドキだった私です。
お読みぐるしい点がありましたのなら、お許しくださいね。
ここから、前回の続きです。
受験は無事終わり、長女のMちゃんは、何と受けた三校の学校すべて合格でした。
全く考えもしなかったこと。
落ちて当たり前。
でもやるからにはベストを尽くす。
そんな思いで臨んだ受験勉強でしたから。
Mちゃんがとても仲良くしていた、お嬢さんのお母様に言われたものです。
「コネで合格されたのでは、と思っていましたけれど・・・。
国立の学芸大付属に合格されたので、実力だったのですね」と。
そう疑われてもやむを得なかったでしょう。
余りに短い、準備期間でしたから。
良く受かったものだと、親の私も、Mちゃんの頑張りと能力に頭が下がる思いになりました。
長女が中学から大学まで使用した学習机です
でも、私のMちゃんの勉強への協力と頑張りはそこまで。
また元のおおらかでのんびりとした母親に戻ってしまったのです。
勉強に関してはですが。
私は日ごろの生活態度や言葉遣い、身だしなみなどに関しては、結構口うるさいところがありました。
内面の成長が一番大切なことは、言うまでもありませんが。
形から入ることも、重要、と思っていましたから。
夫は、何もかも私任せ。
子供達を叱ったことも一度もなく、成長後は関わることもほとんどありませんでした。
幼い時は、週末には必ず公園に連れて行ってくれましたけれどね。
そんな父でしたが、パパには敬意を払い、言葉遣いも丁寧。
娘たちのその態度は、終始変わりませんでした。
お話が、チョット横道にそれてしまいましたね。
元に戻します。
その後も、中高の成績はトップクラスだったのかもしれませんが。
成績に余り関心もなく、通信簿を見せてもらった記憶さえあまりなくて。
恐らく、ちらっとは見ていたのでしょうが。
ほどほどの成績で、有名女子大学に入学し、幸せな結婚をしてほしい、との願いは相変わらずの私。
ところが、Mちゃんが、高校生になった頃からだったでしょうか。
将来働きたいと、言い始めたのは。
その当時は私の頭はまだ固くて、伝統的な価値観に縛られたまま。
猛反対したものです。
時代の流れとともに、その後、私の考えも、急速に変わっていきましたが。
高校一年生になり、大学受験のための塾選びをしないといけない時期になりました。
でも、Mちゃんは、至って暢気。
受験準備に取り組む姿勢は全く見えなくて。
テニスクラブの活動と友達との交流を心から愉しんでいる様子でした。
もちろん、塾にもまだ通っていなくて、模試など一度も受けていません。
次女の学習机
さすがに私は心配に。
でも中学受験の時のように、親が関われる年齢では、Mちゃんはもうありません。
本人が目覚め、本格的な受験勉強に取り組んでくれるのを待つしかなかった私です。
塾選びや、どの講師の授業を受けたらいいか。
そういった事では、私も多少下調べをして、意見を言った覚えがあります。
さすがに私もイライラして、もう始めないと間に合わない、と何度か注意したようにも。
そんな暢気なMちゃんでしたが、高2の夏に初めて受けた駿台の全国模擬テストの結果は素晴らしい成績でした。
その全国の順位を見て以来のことです。
Mちゃんは、東大を目指せるのでは、と思ったのは。
私は早慶さえ、まったく考えていなかったのですが。
突然、心変わり。
東大合格が、現実味を帯びることに。
娘ながら、主人の後輩になれるかもしれない、と夢のような想像を膨らませ始めました。
この驚きは、中学受験の前、四谷大塚の合否判定模試を受けた時とそっくりです。
Mちゃんは、高2の夏から、本格的に塾に通い始め、結局、東大も受験。
でも本人は、力試し程度のつもりで受けたようです。
合格してももさほど喜ばなくて、大学選びで、私と一悶着。
国立の大学に入学してくれれば、親は大助かりですものね。
私は絶対譲歩しませんでした。
最高学府の大学に受かったのに、それを棒に振るなんて、前代未聞のことにも思えました。
今は社会の最前線で活躍しているMちゃん。
最近、上司として、部下の結婚式の主賓になったようです。
もうそんな年齢になってしまったのだと、Mちゃんは自嘲気味でしたが。
私が国立大学に入ることを勧めたことを、今は、感謝してくれているに違いありません。
昨夜の夕食です。
この度の一連の記事は、今日で終わりにします。
今日で何としても終わりにしたいと思い、とてつもない長文になってしまいました、
お付き合いくださいました皆さま、本当にありがとうございました。
過去の想い出記事を綴ると、自分の文章力のなさを一層痛感します。
余りの拙文で、恥ずかしくてなりませんが、何とか書き上げることができました。
娘二人、東大を卒業と知った方は、たいそう驚かれますが。
私は教育ママではなくて、意外に暢気だったこと、お分かりいただけたのではないでしょうか。
最後にまとめのつもりで、私の子育てへの思いを、もう少し書かせてていただきますね。
今思うに、長女は短期集中型の勉強。
一見暢気に見えましたが、陰でものすごい集中力を発揮していたのでしょう。
一方、次女は長女とは正反対。
ひたむきに努力をする子でした。
その姿は、痛々しく感じられるほど真剣で、常にお姉ちゃんが目標。
恐らくお姉ちゃんの数倍努力をし、時間もかけて勉強。」
そして夢がかない、同じ中高、同じ大学に入学しました。
大変な努力家ながら、間の抜けた行為が次女のMちゃんには実に多くて。
私はフォローが大変でしたけれどね(笑)
勉強姿勢が全く違う娘達。
でも二人とも、成績が優秀、
そんな娘を育てられた私は、母親冥利に尽きる幸せ者だったのかもしれません。
自分に厳しく、他人に優しい人になるように。
自分に甘く、他人に厳しい人にだけは絶対なってはいけない。
一生懸命何事にも誠実に取り組んでほしい。
その過程を何よりも大切にしてほしい。
結果は神様が決めてくださることだから、心配しないように。
これが私の口癖でした、
勉強しなさい、と言った覚えはほとんどありませんが、
受験の準備期間中は、精いっぱい気を遣いました。
小学生の低学年の頃、テスト用紙のペケ印を見せられても、あまり気にしなかった私です、
理解度や、その時の調子で、色々あって当然、
そんなおおらかな母親でしたが、漢字テストを間違えた時だけは、私の顔が曇りました。
努力さえすれば、漢字テストは必ず百点が取れるはず、と言って、子供に努力することの大切さを教えたものです。
就学前に、お勉強と、何事にも一生懸命取り組むことの大切さを教え、褒める教育をしたことが、一番良かったのかもしれません。
叱ったこともよくあったのですが、妹には、「お姉さまは子供を褒めてばかりいた」と言われたことがあります。
今の娘たちは、私が描く理想の女性像に近い、と言えるほどに成長してくれています。
私が持ち合わせない、賢さ、体力、精神力、全て兼ね備えていて、本当に羨ましい。
良きお婿さんにも恵まれ、心優しい母親、妻として、職業人として、私の期待以上の生き方をしてくれています。
でも私は卑屈にはなってはいませんよ。
母親の威厳は保っているつもりです。
飽くまでつもり。(笑)
人生において、私の夢が叶った二つの内の一つは、これで終わりとします。
もう一つ叶った、大きな夢。
夢を追って数年間、方眼用紙にひたすらマイホームの見取り図を描き続けた私。
その通りに我が家を建築してもらった時の楽しくも苦労がいっぱいあったお話。
このことについても、またいつか語らせていただきますね。
延々と続いた同じ話題記事にお付き合いくださいました皆様、本当にありがとうございました。
次回の記事では、この度の水害についての私の思い。
それが原因ではと思えるような珍事に我が家が見舞われ、次女家を巻き込んでひと騒動があったこと。
このお話しをさせていただきたいと思っていますが。
毎日、辛い報道を観ながらのブログ綴りでした。
疲れもたまっていますので、しばらくお休みさせていただきたく思います。
その間に、気持ちをリフレッシュして、またブログ綴りを始めるつもりです。
その節は、またお付き合いの程、よろしくお願いいたします。
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花のように泉のように