ニュース!
鶴岡八幡宮のあの大銀杏が倒れてしまった。我ら鎌倉市民の多くは落ち込んでいるのではないか。公暁もきっと悲しんでいるはずだ。急斜面で階段の際という厳しい条件で、あれだけのものが千年以上も立っていたことに敬意を表する。非常に残念だ。
ニュースはそれだけではない。原村さん(当ブログにリンクあり)とウェブ上で会話していたらこんなニュースと言うか、前からジワジワと起こっていたことの総括とも言える記事を見た。「ミシュランや現代自・・・」 それがこれだ。現代自動車にしてみたら、日本ほど閉鎖的な市場もなかったろう。以前このブログで、欧州の金持ちがレクサスの最高クラスのモデルを買わないと書いたら、ある知人が「やはり欧州人は閉鎖的なんですね!」と言って来たが、それは違う。私が書いたのはクルマに10万ドル以上費やす連中が、どういうクルマを選ぶかという話だ。彼らは高級なクルマについては単なる工業製品以上の「何か」を求める。レクサスは工業製品として恐ろしく優秀(最近ややそれが揺らいでいるが)なのだろうが、工芸品としてはどうか。10万ドルを超えるクルマにはそれが求められるだろう。欧州人デザイナーを次々と高額報酬で雇い、その時その時に最もグローバルに受けるデザインの最大公約数を刹那的に集約しただけのような形をした東洋のクルマなど、彼らは確立された伝統として認めない。そのクルマの個性が見られないからだ。買うのは米国人、ロシア人・・・。
そんな高額なクルマは置いておいて、問題は低価格帯のクルマである。結局日本では価格裁定が働いていないというのが、現代自動車の判断だろう。あまりに閉鎖的だ。その点この価格帯では欧州の方が圧倒的にオープンで、価格と性能を比べ、コストパフォーマンスで判断する。だからあちらではHyundaiも日本より遥かに多く走っている。
こんなことをしていたら、日本は商品の供給元(業者)としてだけでなく、市場(お客)としても見放されるだろう。このままこれを放置して、「日本は日本」と言っていると、日本はさらに縮小する。米国のような自己完結型経済ではないからだ。米国に比べると日本はGDPに占める輸出入経済の比率が高すぎる。他国とやり合って行くことを止めたら、そこで日本は終わりだ。日本は外国人にとってただの「何だか相手にしにくい国」となる。
日本以外のアジアの人々と会った時驚くのは、我々がウカウカしている間に、彼らははるかに国際的感覚を身につけてしまっていることだ。あらゆる分野で世界の中の日本の順位がどんどん下がって行くのが現状だが、いくつかの分野ではもはや「圏外」になりつつある。しかし国内においては大学進学率だけが上昇を続け世界で1、2位を競う高さとなった。然しながら英語を解さない大学卒業生の割合が世界一の国でもある。英会話が「語学留学」と称して大学の卒業単位に数えられたりする恐るべき情けない国である。英会話は立派なスキルだが、学問ではない。しかもさらに情けないことに、その「語学留学」を経て帰国した学生がまた外国語が話せない。豊か過ぎてボケた国である。我が国は、どこの国から見ても「不思議の国」である。
一方のミシュラン。これも日本のタイヤ事業から後退を余儀なくされるらしい。驚くことに、「ミシュランってタイヤの会社なの? レストランの評価会社じゃないの?」という若い人が多いのだそうな。そうです。ミシュランはタイヤの会社です。タイヤの会社がタイヤの販売増を狙いサービスでガイドブックを作ったのが始まりで、ガイドブックを延々と作って来たのだが、日本にいきなり来て有名になったように見えるのはレストラン・ガイドとしての彼らの評価基準「☆3つ」とか何とかですけど・・・。
ミシュランのタイヤ(A)は知っていても、ミシュランの有名なガイドブック(B)を利用するという経験が日本ではあまりなく、ここ数年でいきなりレストラン・ガイド(C)だけが有名になってしまったようだ。(A)→(B)→(C)なのに、(A)を「聞いたことはあるが直接は知らない」で、(B)はまったく経験せず、(C)でいきなりそれを見た!・・・みたいな感じである。しかしハッキリ申し上げて、あの(C)、レストラン・ガイドにあまり意味はない。「なるほど! こういう観点で、ミシュランの評価者はこう考えるんだ」という意味では参考にはなるが。何事も順番があり、歴史があり、経験を経ないといけない。いきなり(C)を見て、良いも悪いも判断は出来ないだろう。しかし日本では唐突に(C)を見て、「素晴らしい」あるいは「ひどい」と議論が盛んである。
そんなレストラン・ガイドに関心はない。で、ミシュラン・オリジナルの(B)ガイド・ブックがこれだ(上下3枚の画像)。古い!1987年。レッド・ブック(これの愛称)は昔からそれなりに価値があった。これを持ってドライブすれば間違いはないのである。どこの街に行けば何があるか。もちろんそれだけでは不足で、各種歴史本等で予習も必要だったが。しかしとにかく食べるところ、寝るところは確保出来るのである。たいした会社である。ミシュランはこれで自社のタイヤのファンを増やしたのだ。
ストラットフォード・アポン・エイヴォン。二行目には「シェークスピアの生誕の地」とある。その街のレストランやホテルを見つくろってまとめて情報提供している。ストラットが街の名前。フォードは英語で言う「ford(動詞: 歩いて川を渡るの意)」で、Oxford(牛 + 歩いて川を渡る)と同様だ。エイヴォンとは川の名前。つまり「ストラットフォード・アポン・エイヴォン」とは「エイヴォン川のほとりの渡河点の街ストラット」である。ドイツ語の「フランクフルト・アム・マイン(マイン河畔のフランクという歩いて川を渡れるところ)」と同じである。ドイツ語の「furt」は英語の「ford」だ。
シェークスピアの妻アン・ハサウェイの実家を描いた絵。これもストラットフォード・アポン・エイヴォンに現存する。
全部で850枚刷られたらしい、そのうちの一枚。
欧州をクルマで、そしてこのミシュランのガイドブックを持ちながらドライブするということの楽しみ。道路と景観が素晴らしくドライブすること自体が楽しいからポルシェみたいなクルマが生まれる。また国境を越えてドライブすることの、若干煩わしいような手間も楽しみのうちだ。しかしそれはもはやかなり損なわれてしまっている。私の自宅にはその楽しみの痕跡みたいなものが、あれこれある。本を眺めていたら出て来たのがこれだ。
誰が見てもシャープに印象に残るデザインの硬貨。ドイツの5マルクである。1951年の鋳造。国境を越える度に通貨の交換が必要となり、異なる単位でモノを買う習慣が消えた。ユーロ統合は便利で経済拡大には貢献したのだろうが、旅行者にはつまらない変化だった。ヒトの顔が皆同じになるようなものである。
これが逆側。
変わったところでは、これいかがでしょう? 古銭というところまでは行かないが、6ペンス。英国のポンドの下位にある単位ペンス。1967年の鋳造。確かこの硬貨の鋳造はこれが最後の年のはずだ。12進法の名残で6なのである。その後、ポンドも40年ほど前に10進法に切り替わった。
次は1/2ペニー。1971年。これもまた最後の鋳造年のはずである。日本風にいえば50銭みたいなものか。
どこもかしこも同じになるのは面白くないけれど、物事はどんどんその方向に進んでいるらしい。日本中同じような店ばかりになり、方言がすたれ、同じような街並み、チェーン店ばかり。それはグローバルに見ても同様だ。
それにしても、ミシュランも日本から撤退とは・・・。
鶴岡八幡宮のあの大銀杏が倒れてしまった。我ら鎌倉市民の多くは落ち込んでいるのではないか。公暁もきっと悲しんでいるはずだ。急斜面で階段の際という厳しい条件で、あれだけのものが千年以上も立っていたことに敬意を表する。非常に残念だ。
ニュースはそれだけではない。原村さん(当ブログにリンクあり)とウェブ上で会話していたらこんなニュースと言うか、前からジワジワと起こっていたことの総括とも言える記事を見た。「ミシュランや現代自・・・」 それがこれだ。現代自動車にしてみたら、日本ほど閉鎖的な市場もなかったろう。以前このブログで、欧州の金持ちがレクサスの最高クラスのモデルを買わないと書いたら、ある知人が「やはり欧州人は閉鎖的なんですね!」と言って来たが、それは違う。私が書いたのはクルマに10万ドル以上費やす連中が、どういうクルマを選ぶかという話だ。彼らは高級なクルマについては単なる工業製品以上の「何か」を求める。レクサスは工業製品として恐ろしく優秀(最近ややそれが揺らいでいるが)なのだろうが、工芸品としてはどうか。10万ドルを超えるクルマにはそれが求められるだろう。欧州人デザイナーを次々と高額報酬で雇い、その時その時に最もグローバルに受けるデザインの最大公約数を刹那的に集約しただけのような形をした東洋のクルマなど、彼らは確立された伝統として認めない。そのクルマの個性が見られないからだ。買うのは米国人、ロシア人・・・。
そんな高額なクルマは置いておいて、問題は低価格帯のクルマである。結局日本では価格裁定が働いていないというのが、現代自動車の判断だろう。あまりに閉鎖的だ。その点この価格帯では欧州の方が圧倒的にオープンで、価格と性能を比べ、コストパフォーマンスで判断する。だからあちらではHyundaiも日本より遥かに多く走っている。
こんなことをしていたら、日本は商品の供給元(業者)としてだけでなく、市場(お客)としても見放されるだろう。このままこれを放置して、「日本は日本」と言っていると、日本はさらに縮小する。米国のような自己完結型経済ではないからだ。米国に比べると日本はGDPに占める輸出入経済の比率が高すぎる。他国とやり合って行くことを止めたら、そこで日本は終わりだ。日本は外国人にとってただの「何だか相手にしにくい国」となる。
日本以外のアジアの人々と会った時驚くのは、我々がウカウカしている間に、彼らははるかに国際的感覚を身につけてしまっていることだ。あらゆる分野で世界の中の日本の順位がどんどん下がって行くのが現状だが、いくつかの分野ではもはや「圏外」になりつつある。しかし国内においては大学進学率だけが上昇を続け世界で1、2位を競う高さとなった。然しながら英語を解さない大学卒業生の割合が世界一の国でもある。英会話が「語学留学」と称して大学の卒業単位に数えられたりする恐るべき情けない国である。英会話は立派なスキルだが、学問ではない。しかもさらに情けないことに、その「語学留学」を経て帰国した学生がまた外国語が話せない。豊か過ぎてボケた国である。我が国は、どこの国から見ても「不思議の国」である。
一方のミシュラン。これも日本のタイヤ事業から後退を余儀なくされるらしい。驚くことに、「ミシュランってタイヤの会社なの? レストランの評価会社じゃないの?」という若い人が多いのだそうな。そうです。ミシュランはタイヤの会社です。タイヤの会社がタイヤの販売増を狙いサービスでガイドブックを作ったのが始まりで、ガイドブックを延々と作って来たのだが、日本にいきなり来て有名になったように見えるのはレストラン・ガイドとしての彼らの評価基準「☆3つ」とか何とかですけど・・・。
ミシュランのタイヤ(A)は知っていても、ミシュランの有名なガイドブック(B)を利用するという経験が日本ではあまりなく、ここ数年でいきなりレストラン・ガイド(C)だけが有名になってしまったようだ。(A)→(B)→(C)なのに、(A)を「聞いたことはあるが直接は知らない」で、(B)はまったく経験せず、(C)でいきなりそれを見た!・・・みたいな感じである。しかしハッキリ申し上げて、あの(C)、レストラン・ガイドにあまり意味はない。「なるほど! こういう観点で、ミシュランの評価者はこう考えるんだ」という意味では参考にはなるが。何事も順番があり、歴史があり、経験を経ないといけない。いきなり(C)を見て、良いも悪いも判断は出来ないだろう。しかし日本では唐突に(C)を見て、「素晴らしい」あるいは「ひどい」と議論が盛んである。
そんなレストラン・ガイドに関心はない。で、ミシュラン・オリジナルの(B)ガイド・ブックがこれだ(上下3枚の画像)。古い!1987年。レッド・ブック(これの愛称)は昔からそれなりに価値があった。これを持ってドライブすれば間違いはないのである。どこの街に行けば何があるか。もちろんそれだけでは不足で、各種歴史本等で予習も必要だったが。しかしとにかく食べるところ、寝るところは確保出来るのである。たいした会社である。ミシュランはこれで自社のタイヤのファンを増やしたのだ。
ストラットフォード・アポン・エイヴォン。二行目には「シェークスピアの生誕の地」とある。その街のレストランやホテルを見つくろってまとめて情報提供している。ストラットが街の名前。フォードは英語で言う「ford(動詞: 歩いて川を渡るの意)」で、Oxford(牛 + 歩いて川を渡る)と同様だ。エイヴォンとは川の名前。つまり「ストラットフォード・アポン・エイヴォン」とは「エイヴォン川のほとりの渡河点の街ストラット」である。ドイツ語の「フランクフルト・アム・マイン(マイン河畔のフランクという歩いて川を渡れるところ)」と同じである。ドイツ語の「furt」は英語の「ford」だ。
シェークスピアの妻アン・ハサウェイの実家を描いた絵。これもストラットフォード・アポン・エイヴォンに現存する。
全部で850枚刷られたらしい、そのうちの一枚。
欧州をクルマで、そしてこのミシュランのガイドブックを持ちながらドライブするということの楽しみ。道路と景観が素晴らしくドライブすること自体が楽しいからポルシェみたいなクルマが生まれる。また国境を越えてドライブすることの、若干煩わしいような手間も楽しみのうちだ。しかしそれはもはやかなり損なわれてしまっている。私の自宅にはその楽しみの痕跡みたいなものが、あれこれある。本を眺めていたら出て来たのがこれだ。
誰が見てもシャープに印象に残るデザインの硬貨。ドイツの5マルクである。1951年の鋳造。国境を越える度に通貨の交換が必要となり、異なる単位でモノを買う習慣が消えた。ユーロ統合は便利で経済拡大には貢献したのだろうが、旅行者にはつまらない変化だった。ヒトの顔が皆同じになるようなものである。
これが逆側。
変わったところでは、これいかがでしょう? 古銭というところまでは行かないが、6ペンス。英国のポンドの下位にある単位ペンス。1967年の鋳造。確かこの硬貨の鋳造はこれが最後の年のはずだ。12進法の名残で6なのである。その後、ポンドも40年ほど前に10進法に切り替わった。
次は1/2ペニー。1971年。これもまた最後の鋳造年のはずである。日本風にいえば50銭みたいなものか。
どこもかしこも同じになるのは面白くないけれど、物事はどんどんその方向に進んでいるらしい。日本中同じような店ばかりになり、方言がすたれ、同じような街並み、チェーン店ばかり。それはグローバルに見ても同様だ。
それにしても、ミシュランも日本から撤退とは・・・。
工場がなくなるだけで、販売は継続します。
そう新聞に書いてありますね。
引き続き入って来るということなので、
安心です。
ただスタッドレスなどは、海外で
日本専用のものを作るのか、どうか、
そのあたりがわかりませんでした。
今日にでも調べてみます。
はじめまして。
あっ、それ読んだことあります。
いや、ラジオで聞いたのか。
グリーンスパン元連銀総裁もそうではなかったか。
あれは米国人だった、失礼。
そう言えば、LS600hのエンジンオイル漏れが
日本でも見られて話題になってました。
また海外でおおごとにならなければいいのだけど。特定の車種でユーザーに騒がれると怖いです。
私が以前乗っていたクルマがリコールされ、
その箇所がまた壊れたなんてことがあった
のを思いだします。その時は私もちょっと
不信感を抱きました。
レクサスとポールと言えば、私に聞いてよ。
これは有名な話。
ただしポールがトヨタを選んだわけじゃない。
まずはトヨタが彼に自社製品提供を申し出たって話だから、趣旨が違う。
そんじゃあ、ってんで環境問題優先の
ポールは、レクサスを希望。
もちろんレクサスのハイブリッドで。
そしたらトヨタが、なんとそれを慌てて
わざわざ空輸。
環境優先で選んだのになんてことするの!
とポール側が怒った。
後半は日本でもよく報道されてるけど、
前半は海外メディアではよく書いてある話。
おちゃさん得意でしょ?
読んでみて。
それよりたまには寄って行ってくださいよーー。
って、私のよく知るうさちゃんですよね?
確認。
なんだか、この記事について知らない方が
投稿されて来るんで。
クルマ好きは知ってましたが、ポールもですか?
へえー、それは知りませんでした。
環境問題に熱心なサー・マッカートニーとも
なると、トヨタだけでなく各社の格好の宣伝塔
になりますから、こうしたトヨタからのクルマ
提供みたいな話は、たくさん来るのでしょう。
「くれるんなら、その車種ね」なんてチョイスし
たのか。。。いいなーー。うらやましい。
レクサスもポールの愛車と言っても
まあ、そんな提供者の一台なのでしょう。
「何年かは売らない」とかいう書面は交わすので
しょうねえ。
デカプリオがプリウス持ってる、
なんてのもありましたね。
でもきっと今回の騒ぎで売ってたりするんでしょうか。
クルマはイメージで芸能人・タレントと
結び付けられますからね。
デニーロはレガシーもらったのかな。
いろいろおかしい想像をしてしまいます。