「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

住環境マネジメント: 西武七里ガ浜住宅地の住民協定

2012-12-08 00:00:03 | 環境・土地
三浦展さんと言えば、パルコ。東京やその郊外の分析にかけては超一流。



三浦氏が説明する東京郊外の「発展と衰退」。どうも今後は鎌倉市を含む湘南一帯は発展しないようだ。関東圏の人へのアンケートで「住みたい街」として鎌倉はよく名前が挙がるが、そう答えるのはある程度以上の年齢の人に多いらしい。いや鎌倉だけではない。たまプラーザに代表される横浜市青葉区の田園都市線沿いの場所も同様。これからは都心から遠くて若年層の働く場所が少ない郊外の街は、どこでも空洞化が進むらしい。一方、職住接近の街の人気が上がるとのこと。さいたま市なんてのは赤マル急上昇。

本日はピアノをどうぞ。



私もそう感じる。昭和的な生活スタイルは遠のいてゆく。人口が増加し地価は上昇していた昭和の時代、都心から離れた郊外に人々はかろうじて住宅を入手し、専業主婦と子供がそこで生活し、お父さんはそこから遠く離れた都心に毎日通勤していた。ところが今や、関東圏郊外の空き家率はすでにかなり高い。戸数が多過ぎる時代になったのだ。七里ガ浜の我が街もすでにその兆候はある。そして今後空き家率はさらに高くなる。

その裏返しで、確かに東京でも大阪でも都心のオフィス街にまで高層マンションが増えている。理由は何か。晩婚化の時代。結婚しても共働きの時代。そんな状況では、職住接近でないと生活し難い。また人口は全体では減少しているし地価も下がったのだから、都心回帰の傾向はこれからますます顕著になるだろう。



で、話は切り替わる。久々にこの話。

我が街にはこの看板が溢れている。元々はこれが掲げられていた土地区画がこの協定に反して区画分割され、これが「余計な看板」と打ち捨てられている。住民自らルールを決めおきながらそのルールが守れないとは、なんと情けないことか。売却して出てしまうから、そのあとはどうなってもいいと言うのか。



このまま行くと、我が住宅街の区画は少しずつ細切れになり、一旦は新参者が来て戸数も増える。しかしその後にやがて来るのは空洞化の時代で、その時は空き家の数がやたらと増えることになる。治安的には非常に危険な状態で、風景は細かく複雑になるので人目につかず隠れる場所がたくさん出来て、犯罪を呼びやすい多くのスポットを作りだす。路駐や落書きが多い街は犯罪が多い、というがそれと同様だ。住宅街のクォリティは劣化し、小さな空き家は埋まらないだろう。

改善のヒントを得ようと、上記三浦氏の本に紹介されていた学究的な本「住環境マネジメント」を買ってみた。国内、国外にわたる住宅地管理の例の紹介と分析だ。



多種多様な住宅街。



いろいろ問題は抱えつつも、当住宅街よりははるかに良い管理状態の海外の住宅街が紹介されている。



しかし結局この本(↑)はあまり参考にならなかった。そもそも日本を除く経済先進国では簡単に区画の分割など起こらないからだ。景観を劣化させることを法律あるいは行政が防ぐし、住民も許さない。一方、日本は私権が強すぎる。「自分の土地は何しようが勝手」という文化で、このままでは我が街でただ分割がすすむが、先を見通せば、その後に来る状況は細切れで空き家だらけというものである。欧州のような静かでゆったりした住宅街は永遠に出来ない。

自分が好きな土地を選んで住む、ということは周囲も含めた街の景観を買っているわけだから、逆に周囲の景観に影響を与える自分の土地も自分の好きに出来る訳ではない、という当然のことを理解しようとしない文化である。これは不可逆的変化を引き起こす。住宅街内でパラパラと劣化が始まり平均的な美しさが徐々に失われるという方向にのみ進み、決して改善する方向には進まないという一方通行の変化だ。区画は一度分割したら、元に戻すことは不可能だからだ。その意味で、区画分割が最も質の悪い問題である。ゴミ、薪ストーブ、騒音、路駐、屋上の設置、植栽の放置、犬の糞、猫の放置等、当住宅街の問題は多数あるが、区画分割に比べれば遥かに軽い。



半世紀ほど前から始まってすでに開発しつくされた七里ガ浜。それでもまだ何とかかろうじて良いところだ。



せめて自分達で決めたルールを守りませんか? あなたが土地を売った後も、隣人はそこに住んでいる。自治会理事長や環境担当理事は頭をかかえている。自治会だよりでは、何年も前から「協定違反の分割を止めてもらいたいと業者に連絡したが聞き入れようとしない」という連絡が繰り返されている。こんな具合だ(2012/10 自治会報より):
(5)土地分割問題
新たな計画が数件申請されています。大手不動産会社の仲介で当自治会の住民協定を守らない中小デベロッパーへ売却する事例が増えております。大手不動産会社へまちづくり理念問題から抗議を申し入れます。



自治会に文句を言われるような土地売買をする住民も業者も、それを強行せざるを得ない理由をいろいろ挙げる。しかし彼らに共通する本音は、自分の経済的利益や売買の安易さしかなかろう。つまり本音は「より早くより高く売りたい(売る側)」あるいは「ルールに反してでもここに住みたいし分割した土地が安いから買いやすい(買う側)」である。隣人がどう思っていようが知りはしない、ということだ。

不動産業者に土地の仲介を依頼するのではなく彼らに土地を売却するということは、ほぼイコール、区画分割がなされることだと理解せねばならない。住民協定のある住宅街の大半の住民は、不利を承知でそれを守っている。それによりなんとか維持されている周囲の良好な環境を利用して、購入した区画だけを抜け駆けで分割してそこを割高に売ろうとする不動産業者は恥を知らない。ある住宅街から利益を得る以上、そこのルールをせめて守るというのがまともな業者なはずだ。そういう業者に土地を売ってはいけない。買ってもいけない。



法律は「それを破れば犯罪」という最低限のルール。一方、住宅街の多くのことはボランタリーな自治で成り立っている。それは最低限のルールである法律なんてものより遥かに高い次元の自発的な精神であり、マナーや良識と言った類のものだ。住民協定だって法律ではないが、住民自身が全員で自ら同意して決めた次元の高いボランタリーなルールである。さらに文書化され市役所に届けられ受理されてもいる。

だから「敷地分割の何が問題だ、法律に背いていないのに何が悪い?」と思っているなら、それは大きな間違いだろう。高いレベルのコミュニティーは法律などを遥かに超えた高いレベルの良識により保たれる。それがなければ、そこは文化的にズタズタな街になる。「隣人に会ったら挨拶する」は良識やマナーの類であって法律ではない。だから挨拶しなくても法的には罰せられないが、それをしない人はコミュニティーで軽蔑される。それと同じことだ。

皆さん、売る時はよく考えて。無責任な売り方は止めませんか。



あちこちに「住民協定がある、分割不可」と書いた看板が立っている住宅街だ。買う人ももうちょっと考えてみてはどうだろうか。どんな商品もそうだ。買う人がいなければ、業者はそれを供給しない。協定に違反して分割した区画を買う人さえいなければ、業者は分割などしない。
コメント (12)
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