ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

この夏に「はまった」本

2012-09-13 17:15:03 | 読書日記

 この夏、ひょんなことから「柳 広司」という作家の小説に出会った。

表紙の人物は日本陸軍軍人・結城中佐である。「魔王」と呼ばれる彼が第二次世界大戦を前に陸軍内に設立したスパイ養成学校「D機関」では軍隊の信条・常識を根底から覆す。例えば、敵に捕らえられても自死を選ばず、軍人の仕事ともいえる殺人を許さない、さらに絶対者「天皇」の正当性すら「生徒」に議論させる。ここで育て上げられたスパイたちが東京で、上海で、ロンドンで、仮想敵のアメリカ、ソ連、フランスさらには同盟国であるはずのドイツ、時には軍隊内(例えば参謀本部)の「敵」と熾烈なスパイ合戦を繰り広げる。文句なしに面白いサスペンス小説である。

 
「天保銭(陸軍大学校出身者)は使えない」と豪語し、軍の外の大学出身者で構成する「D機関」に対し、新しい諜報員養成機関「風機関」が設立される。そこでの教育は「潔く死ね」「躊躇なく殺せ」。まさにD機関とは逆のものだった。もう一枚のジョーカー。つまり一枚はスペアで、どちらかは要らない。生き残るのは…という頭脳戦を描く表題作の他に、大戦直前の仏領インドシナを舞台にした仏印作戦、結城中佐の現役諜報員時代を描く「棺」などの短編集である。
 

柳広司はもともとがパスティーシュ(他の作家の作品から借用されたイメージやモティーフ等を使って造り上げられた作品。ウィキペディア)が得意な作家である。そのデヴュー作がこの「黄金の灰」。カバー絵はオスマントルコの辺境「ヒッサルリクの丘」に埋まっていた古代の壺…と言えば、お分かりのように、この作品の舞台は「トロイアの遺跡」。ここで起こる発見された黄金の焼失、密室殺人…これらの謎を解く探偵役はハインリッヒ・シュリーマン、語り手は彼の妻・ソフィアである。虚実を取り混ぜた本格的な推理小説として楽しめる。
 

「血と見まがう不吉な赤い色をした」カニが岩礁を這い、ゾウガメが頭をもたげたような雲の下を走る帆船・ビーグル号。「種の起源」の著者、若き日のチャールズ・ダーウィンが遭遇したガラパコス島で起こる不可能犯罪の数々。探偵役はもちろんダーウィン。本格推理小説の面白さに留まらず「異文化の接触」が巻き起こす悲劇、「アイデンティティの揺らぎ(本書の解説・千街晶之氏)」をも描く力作である。
 

子どもの頃に誰もが読んだ「シートン動物記」。その「狼王ロボ」を題材にした「カランボーの悪魔」が最初の章である。シートン村を訪ねたロサンゼルス・タイムズの記者(以後7編全体の語り手)に対し、80歳のシートンは彼のプロフィールを、「野生動物とのつきあい」で得た素晴らしい観察力と推理力で言い当てる。この件はまさにシャーロック・ホームズを彷彿とさせる。ロボの物語には殺人事件がからんでいたのだが、以下7編の短編は宝石盗難事件、殺人犯の居場所、猫ミステリー、日常の謎、ルーズベルト大統領の登場するエスピオナージュ、クマ狩りの活劇と、いずれもお馴染みの動物たちがからむバラエティに富んだ話をシートンが記者に語るという趣向である。動物好きの私には、この短編集が一番面白く、わくわくしながら読めた。
 

表紙カバーに地球儀が見えることから想像されるように、このマルコはマルコ・ポーロである。ジェノヴァの牢に入れられたマルコが、同じ牢の囚人たちに語る世界のあちこちで出会った不思議な事件の数々。ところが何時も肝心なところで尻切れトンボの形で終わる。囚人たちは知恵を出し合って謎に挑む。…という趣向だが、収録された13編の短編の中には、肩透かしのような解決もありまずまずの出来だった。「100万の」には「ホラ吹き」の意味があるのだが…ちょっと乱作気味で息切れしかかっているのか…。

まだまだ幾つかの出版社から文庫本など出ているが、この作家の作品を読むのにも少々飽きてきた。この辺で…

早朝の矢田丘陵歩き(2012.09.12)

2012-09-12 15:56:58 | 矢田だより

 恒例の秋の富士登山まであと3日。足慣らしに矢田丘陵を歩きました。明るくなるのを待って5時35分、横山北をスタート。

 
 
5時50分、東明寺。ちょうど日の出を迎えました。
 

子どもの森分岐から尾根道に入ると、ハギの花が咲いています。他には白いヤブミョウガの花など…。
 

6時30分、「まほろば展望所」着。備え付けの寒暖計はちょうど20℃を指していました。パンとコーヒーの朝食をすませて、三角点で写真を撮り(GPSを壊したのでコースタイムを書く代わりです)出発(6時40分)。
 

展望台に登ってみました。生駒山が朝日を浴びています。周りの樹木が大きくなって、松尾山の左手の金剛・葛城が見えにくくなりました。
 

こんな大きな白いキノコが顔を出していました。他にも松尾山への尾根道では、いろんなキノコが花?盛りです。南僧坊池を過ぎて今朝初めて、単独行の男性と出会いました。
 

7時20分、国見台。割合に展望がよく、大和高原の山々、高見山、台高山脈北部の山々も見通せました。
 

今日は先に松尾山へ登りました。7時38分、三角点。ここでもアブの襲撃に遭いました。峰入り修行道を松尾寺に下ります。
 

7時55分、三重塔の横から境内へ。本堂横のカサブランカは、種を付けたものや枯れたものばかりになりました。法隆寺側から登ってきた人や車で来た人、数人と会いました。
 

奈良の名水に選ばれた閼伽井(左上の朱色の建物)から落ちる「松尾の水」をペットボトルに汲みました(8時5分)。
帰りは林道を登り返して松尾山の下から国見台へ。ここから急坂を下ります。
 

8時57分、矢田寺。本堂の上は真っ青な空が拡がっています。
 

セミの声が高くなり出した野の道で、今年初めてのヒガンバナを見ました。3時間半のウォーキングのフィナーレです。

(矢田寺~北横山間に大雨による陥没で「通行止め」の標識があります。捲き道はありますが区域の両側とも迂回の標識はなく、崩壊場所のすぐ近くまで行って引き返すことになります。初めてのハイカーは困惑すると思われます。近畿自然歩道なのに不親切な話で、関係当局に善処をお願いしたいと思います)

花咲く「侯爵の道」を金剛山へ(2012.09.07)

2012-09-09 07:00:00 | 山日記

 

富士登山を一週間後に控えて3週連続のトレーニング。国道308号を途中から旧道に入り、水越峠を大阪側に越えたところに車を置く。すでに数台が駐車していた。ダイアモンドトレールの標識のある林道(ガンドガコバ線)に入ると、色鮮やかなトリカブトやツユクサが朝露に濡れていた。今日は白露。秋の気配が深まる季節の筈だが、右手、水オロシ谷を隔てた太尾の上の空はまだ夏の感じを残して、舗装の林道を登るうちに早くも汗がにじんでくる。
 
500mほどで地道になり、やや涼しさを感じる。越口の分岐は草ぼうぼうで道が見えず、この辺からはツリフネ、ミズヒキ、キンミズヒキ、マルバタケブキなどの花が目を慰めてくれる。谷が左手に変わる頃から再び舗装路になり、右に「金剛の水」を見てカヤンボに着く。左へ苔むした木橋を渡ればパノラマ台への道だが、こちらは帰りに使うことにして直進する。
 
 
広くなだらかな道の両側はツリフネ、ミズヒキ、キンミズヒキなどが乱れ咲き、フシグロセンノウの大群落もあった。またツルニンジン、フジウツギなども咲く「花の道」だった。T字路になったところで標識に従って左へ。太尾山腹を捲くように登っていく。少し幅が狭まり、また広く緩やかな登りになったところで後から来た人に先に行ってもらう。さらに登って道が林の中の急坂になる手前に丸太のベンチがあり、先ほどの人が腰を掛けておられた。横に座ってお話しを聞くと私と同い年で、堺からバイクで水越峠に来て、週二、三回はこの道を登られているとのこと。話しているうちにも、降りてくる常連らしい人と親しげに挨拶を交わしていた。10分ほど休んで先に行ってもらったが、みるみる背中が遠のいて行った。
 
 
しかし暗い林の中、木の根道の少し急な登りは10分足らずで、思ったより楽に太尾道との合流点太尾塞に出た。
ここで標高960m。葛城山と同じ高さになる。
 
 
ちょうど太尾から汗だくで登ってきた男性ふたりが、「ああ、着いた」とベンチに腰を下した。私たちは先ほど休んだばかりなので、そのまま通過する。ここまでの登りは、根来春樹さんの「金剛山」(昭和59年岳洋社刊)の言葉を借りると『どこか王侯貴族の香りがする。ひと言でいって「侯爵の道」である』。久しぶりに歩いたが、確かに、のびやかで大らかな気持ちで登れるいい道だった。
 
 
しばらく平坦な造林帯の尾根道を行き、次にうす暗い植林帯を抜けて短い急登が終わると、頭上が明るくなり大日岳(1094m)の頂上部に出た。昔は無線塔があっていい目印になったところだが、今はススキの穂が靡く草地でキンミズヒキの大群生やアキギクやゲンノショウコが緑に彩りを添えている。少し西側が開けるが、今日の河内平野は少し霞んで見晴しは先週に劣っている。
 

大日岳を下り、社務所の横を通って国見城址へ向かう。ちょうど太尾塞下で会った男性が下山されるところで、挨拶を交わしてお別れする。城址のベンチでしばらく休憩。夏休みも終わり、今日の城址は人影もまばらである。
 

帰りは転法輪寺を通って葛木神社に参拝、裏参道をブナ林に下る。葛城山が陽を浴びて明るく浮かんでいた。一の鳥居からダイアモンドトレールへ入る。いつもの郵便道を見送ると、しばらく平坦な道をいき「ここから急坂が続きます」の標識から、コンクリートの急な階段道になる。
 
 
この道は少し荒れていて、土が流されて階段だけがむき出しになって歩き難いところもあり、わずか500mほどだが時間がかかる。大きく右にカーブするところで勾配が緩まり、左手に谷を隔てて葛城山が見える。昔に比べると樹木が成長して大分、見晴しが悪くなった。
 
しばらくは涼しい植林帯の中の平坦な道をのんびりと歩く。少し急な下りになりパノラマ台に出た。ここからの大和平野を見下す景色も、植林が進んでかなり狭まったようだ。直進して御所に出る懐かしい道は、荒れて廃道に近い感じになっている。ベンチに座って水分を補給した後、左に折れてジグザグの急坂をカヤンボに下る。途中で何度か登ってくる人に出会ったが、すでにかなり疲れた様子で先を尋ねる人もいた。3年前のツツジの時期に青崩から葛城山へ登り、正午に着いた水越峠からこのパノラマ道を金剛山に登って北尾根を下りた時の長さを思い出した。
 

暑さを覚悟していた林道歩きだったが、幸いにも雲が出てきて涼しく歩けた。空になったペットボトルに「金剛の水」を汲んで、今日の楽しいトレーニングを終えた。
【コースタイム】水越峠06:30…カヤンボ07:05…太尾塞07:45 ~08:00…大日岳 08:30~08:35…国見城址08:43~09:00…葛木神社09:05…郵便道分岐09:17…カヤンボ10:35…水越峠11:10

古事記を口語文で…

2012-09-04 08:47:26 | 読書日記
 今年は712年に古事記が編纂されて(異論もあるが)1300年目にあたるので、奈良県や私の住む大和郡山市でもいろんな事業も行われているが、一昨年の「平城遷都1300年祭」に比べると今一つ盛り上がらないのが残念である。

大和郡山市では毎年「記憶力大会」が開かれている。これは古事記の編纂者の一人とされる稗田阿礼(ひえだのあれい)が大和郡山市稗田の出身とされていることに由来している。阿礼は非常に記憶力の良い人で、一度目や耳にしたことは決して忘れなかったといわれる。「古事記」序文によると、舎人として仕えていた天武天皇に命じられて「帝紀」(天皇の系譜、事績)「旧事」(昔の出来事)の誦習を命じられた。のちに元明天皇の代に詔勅によって阿礼が口誦し、太安万侶が筆録して古事記が成立した。現在、稗田町には稗田阿禮命を祭神とする賣太(めた)神社がある。

 古事記の内容については神話や昔話として知っていること、いや、私たち戦前の教育を受けた世代のものにはとっては「歴史的事実」として小学校で教えられたことも多い。しかし、いずれも断片的な知識で、この歳になるまで全文を読み通したことはない。原文は無理でも、せめて朧げにでも全体像を掴めたらとこんな本を読んでみた。
 

この本は語り部の古老が若者たちに「ふること」を語るというスタイルをとっている。古事記成立までは「歴史」は文章でなく「口で伝えられて」いたのだから、文章で読むより当時の聞き手に近い形で「受け取れる」ともいえる。古事記の原文には話が急に飛ぶところが何カ所もあるが、この本では、自称「老いぼれ」の語り部が、原文にはない独白を語ることで原文の繋がりにくいところを補っている。たとえばヤマタノオロチの話では、原文で怪物を退治した最後の場面で「蛇」という言葉がでてきて怪物の正体が分かるのだが、『ところでの、そのヤマタノオロチというのは、酔うて寝ておるところをよくよく見たれば、ただのクチナワの大きなやつだったというわけじゃ』と話す。もっとも時には『いや、どうにも、この老いぼれには分からんわい、神の代のことじゃでのう』と片づけることもあるが…。

もう一つ、この本の特徴は各章ごとの詳細な注釈である。活字の大きさを考えれば「本文」よりも多量になるかも知れないこの注釈が、読み応えがあり実に面白い。先ほどのオロチの場面では、他に化け物が正体を現す例として「さいちくりんのけい三足」や「四足八足二足横行左行眼天にあり」の昔話を引いている(答えは「西の竹林にいる鶏の足」と「カニ」)。さらに「天の浮橋」を宇宙ステーション、「天の御柱」をトーテムポールにたとえるなど、現代の読者に分かり易くする配慮が随所にみられる。
 

「神代編」はイザナキとイザナミ(作者は命や神を付けない)の国生み神話に始まり、天岩戸の物語、ヤマタノオロチ退治や大黒様と因幡の白兎などのエピソードを散りばめながら神武東征で終わる。次の「人代編」は神武以降の三十三代の天皇の事績であるが、皇位継承をめぐる骨肉の争いや陰謀、はたまた男女の葛藤など次第に人間味が臭くなる。しかし「ヤマトタケル」の英雄談、常世の国にトキジクノカグミを求めるタジマモリの話、雄略天皇が葛城山で一言主神に出会う話など、まだまだ神話世界の趣が濃厚である。逆に言えば、最後の推古天皇の時代で語り部の役割が終わり、確実な資料の残る「真の歴史」時代に入っていく。語り部も「これからは字と筆の世じゃ」と述懐している。
 この本は本文では「○○天皇」という後代のおくり名を使わず、すべて当時の呼び名のカタカナ表示である。たとえば推古はトヨミケカシキヤヒメであるが、これが却ってピンと来ない事が多い。やはり、私たち日本人は漢字という表意文字に慣らされた人間だった。
 

「口語訳」は洒脱な説明があったとはいえ大学教授の著書であるのに対し、この本の著者はエッセーを得意とする作家である。これまでにも「ギリシャ神話を知っていますか」「旧約聖書を知っていますか」などの著書を読んできたが、この本もその流れを汲む一種の啓蒙書?であるが、題名通り楽しく読ませる。
 何よりも面倒な天皇の名前(系図)だけが並ぶ箇所は「省略、省略」で面白いエピソードだけが並び、しかし、基礎となる原文を決してゆるがせにしない姿勢を貫いている。

表紙の絵はご存じ「天の岩戸」の場面。「岩戸のかげに一番の力持ちタジカラオの命が身を隠し、いよいよウズメの命の登場だ。(中略)着衣ははだけて乱れて、オッパイが飛び出す。下腹も見え隠れする。たいへんなはしゃぎよう。」こんな感じである。

しかも筆者は次々とこの古事記の舞台を訪ねるのである。これが実に面白い。上の場面では高千穂へ岩戸神楽を見学に行く。神武東征では「お船出餅」の話などなど。懐かしい文部唱歌もでてくる。「神々の恋」では「大きな袋を肩にかけ 大黒様が来かかると ここ因幡の白兎 皮をむかれて丸裸」の歌詞が四番まで。垂仁天皇のエピソードでは「香りも高いたちばなを 積んだお船が今帰る…」の忠臣タジマモリの歌。この歌は今でもアカペラで歌える。私は筆者と同世代(私が一歳上)で共有することも多いのである。実に人間的な古代の神様たちの姿が、生き生きと伝わってくる古事記の世界。この本を先に手にしていれば、きっと「口語訳」は途中で投げ出していただろう。