三輪山(みわやま) 標高467.1m。大和平野の東に並ぶ青垣の山々の南端にある、美しい円錐形の山。
大神大物主(おおものぬし)神(大国主神)を祭神とする大神(おおみわ)神社の神体山として尊崇されています。
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奈良市にある大神神社の摂社・率川(いさかわ)神社で毎年6月17日に行われる三枝祭(さいぐさまつり)は別名を「ゆりまつり」と呼ばれています。この神事は、すでに文武天皇の大宝元年(701)制定の「大宝令」には既に国家の祭祀として規定されています。率川神社の祭神ヒメタタライスズヒメノミコトが三輪山麓の狭井で育ったことから、当時そこに咲いていたササユリの花でお供えの酒樽を飾る習わしが今も続いています。近年になって大神神社周辺にササユリを再生する試みが行われ、現在では約2000本といわれるササユリが生育されています。
ちょうど見頃と新聞で報じられ、「ささゆり奉献神事」が行われる16日の前日に出かけました。
まず拝殿前斎庭に設けられた「茅の輪くぐり」。無病息災を祈りながら三つの輪を中央、右、中央、左、中央…と潜ります。そして参拝。
大神神社は背後の三輪山そのものが御神体なので本殿はなく、この拝殿が重要な建物になっています。現在の建物は1664年(寛文4年)四代将軍家綱の造営になるものです。
儀式殿横から狭井神社への道は「久すり道」と呼ばれ、さまざまな薬の原料になる木や草が植えられています。これは狭井神社が古くから「華鎮社(はなしづめのやしろ)」と呼ばれ、病気を鎮める神様として信仰されてきたからです。
左に見える赤い鳥居は市杵島姫神社。市杵島姫は弁財天として知られる水の神様で、安芸の宮島神社の祭神でもあります。鳥居を潜り、正面の本殿に参拝を済ませて社務所で住所・氏名などを記帳して鈴の付いた襷をお借りします。
狭井神社登拝口です。現在、三輪山に登るのはここからの往復に限られ、社務所で初穂料(300円)を収め、襷を首にかけて山に入ります。往復2時間足らずの往復でしたが、山中では飲食、喫煙、写真撮影の一切が禁止されています。神様の山の様子は詳しく人に話さないのがよいと思いますので、あえて記述しないことにして、駐車場にあった説明板の文章を一部引用しておきます。
『全山杉やヒノキなどの常緑樹に覆われ、山中には神の憑代(よりしろ)とされる奥津、中津、辺津の磐座(いわくら)がある』
神社の名前ともなっている「狭井」。神水の井戸から湧き出る水は「薬水」と呼ばれ、諸病に効力があるといわれています。
「清浄の音 心静かにお聞きください」という表示があります。耳を傾けると澄み切ったコンという音が…水琴窟といわれる仕組みです。
今はボタンを押すと蛇口から冷たい水がほとばしり出るようになっています。ペットボトルにも頂いて帰りました。
参拝を済ませてササユリを見にユリ園の方へ帰ります。
辨天池の横に咲くササユリ。後の石碑は三島由紀夫の筆で「清明」の文字が刻まれています。「豊饒の海」を執筆した時にここを訪れました。
池の西側にササユリが群落しています。この光景を見ただけで十分満足できました。
この一帯は「大美和の杜」と呼ばれています。展望台に上ると金剛、葛城から二上山に続く山並みを背にした大和三山<写真では畝傍山(左)と耳成山(右)が写っています。天香久山は畝傍の更に左>、大鳥居と、梅雨時にしては素晴らし眺めでした。
祓戸神社北側にあるユリ園のササユリの花は、残念ながらやや時期遅れの感じでした。しかし、その数は年々増えている様子です。ササユリの花は種を播いてから開花するまで6年もかかるそうです。
山野ではごくわずかに自生するだけの清楚で美しいササユリの姿を近くで存分に見ることができるのは、神社豊年講の方々の長い年月にわたるご努力のお蔭で本当にありがたいことです。
二日後に控えた率川神社の三枝祭では、姫蹈鞴五十鈴姫さまもきっと故郷から運ばれたササユリの姿、香りに御心を慰められることでしょう。