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ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

奈良の山あれこれ(106)~(109)

2015-12-19 09:19:22 | 四方山話

 (106) 勝負塚山(しょうぶつかやま) 「水争いの勝負か?聖宝か?」
上多古谷の上にそびえる大峯の前衛峰。吉野郡川上村と天川村の境に位置し、点名・鳴川山の三等三角点(1,246m)を持ちます。
  山名は、元は「しょうほうつか」で理源大師聖宝が毒蛇や獣をここに閉じ込めたのが由来といわれています<同じ伝説は(102)百貝山でもご紹介しました>。
また、この山を巡っては、昔、川上村と天川村の間で30年に及ぶ境界争いがあったと言われていますので、このことが山名に関わりがあるのかも知れません。



2008年7月、梅雨の晴れ間に上多古林道の伊坪谷出合から二人で登りました。(登山口の様子から見ると、われわれ登山者は地元の方からあまり歓迎されていないようです。)



 七合目

急登の連続で3時間半かけて頂上にたどり着きましたが、暗い林に囲まれた山頂は僅かに南側が開けているだけでした。吉野川の支流・上多古谷を隔てて山上ヶ岳と対峙しているので、頂上からは山上ヶ岳の宿坊が見えると言われますが、靄がかかっているようでよく見えませんでした。全身汗まみれで記念写真を撮り、早々に元の道を下山しました。



一日中、誰にも会わず、心配した雨にもクマ、マムシ、ヒルにも遭わずに済みましたが、下りも3時間近く、標高差850mのかなりシンドイ山でした。それだけに登り終えたあとの達成感は大きく、二人とも大満足で帰宅しました。


(107)観音峰(かんのんみね) 「南朝の天皇、観音様に助けられる」
この山の名は後村上天皇が観音の夢告げで難を逃れたことに由来します。南朝の後醍醐天皇が吉野行宮で崩御のあと、大塔宮護良親王、後村上天皇、長慶天皇らは天川郷を南朝最後の砦として潜行していました。この峰は南朝守護の観音信仰の場所でした。

「みたらい渓谷遊歩道」が通る虻峠近くが登山口です。



展望台までは遊歩道になっていて、途中の観音平休憩所まで6か所に「南朝物語」の説明板があります。



休憩所からは林の中の急登、水平道、ジグザグの急登で観音峰展望台(1208m)に着きます。



展望台からの眺めはまさに360度。東南には大日岳、稲村ヶ岳からバリゴヤ谷の頭に続く岩稜、さらに鉄山、弥山、八経ヶ岳、頂仙岳と大峰の山々が続きます。西には天狗倉山と高城山、その左に双耳峰の武士ヶ岳。遠くは護摩壇山、荒神山、生石ヶ峰、陣ヶ峰、そして高野三山、龍門山…数えきれぬ山々の饗宴です。




一帯は初夏には緑の笹原にベニバナヤマシャクヤクが紅を点じ、秋にはススキが銀色の穂をなびかせる楽園です。目の前の1285m峰へ急登して尾根道を行くと、展望台から1時間で観音峰(1347m)の三角点です。ここは灌木に囲まれて展望は全くありません。



  おすすめの下山路は、法力峠から洞川(どろがわ)への周遊コースです。稜線の最高点・三ツ塚(1380m)を通り、左手が開ける痩せた岩稜帯を急降下で法力峠に下ったあとは、母公堂へ降りてもいいし、五代松鍾乳洞を通って行くのも面白いでしょう。洞川には日帰り温泉もあります。


(108)大日山(だいにちやま)かかる聳えたる山は近国にはまれなり」



大峰山脈主稜線上の釈迦ヶ岳南にある大日岳とは別の、稲村ヶ岳を双耳峰とみた時に南峰にあたる岩峰です。昔はこの山が稲村嶽と呼ばれ、雨乞いの山として知られていました。

 キレットより

「和州吉野郡群山記」の「稲村嶽記」に『稲村嶽は、高山の上に直立せる奇峯にして、遠くよりながむれば、山上嶽の西に細く尖りて、山上嶽と相並びたり。かかる聳えたる山は、近国にはまれなり。近くして山体を見れば、南西の方、山半ばより土なく、大なる巌石なり。周廻六丁、高さ三丁なり。』と記されています。



また蟷螂の窟から登り、虎丸嶺(現在の法力峠)、山上辻(現在の洞川辻)を越える登山路が紹介され、虎丸の『「辺り、石楠花極めて多く、林をなして、四月中下旬の頃、花をひらく。外の石楠花に勝れ、紅色うるはしくして美なる事、枝頭に紅絹を引きかけるがごとし。その樹大は柱のごとく、高き事、一、二丈ばかりなり。」と称賛しています。

 


確かに花の頃は美しく岩壁を彩り、絶景です。現在は山上辻近くのキレットから登りますが、『坂極めて急にして、梯をたてたるがごとし。木の根を取らへて登る(群山記)』」ことは昔に変わりません。



山頂(約1700m)には大日如来を祀る祠があります。


(109)稲村ヶ岳(いなむらがたけ)
 「稲叢の形をした山」

山上ヶ岳から西に延びる支脈上にあります。古くから女人禁制ではありませんでしたが、大峰山(山上ヶ岳)と峰続きのため、女性の登山は忌まれていました。「女人大峰」として正式に禁制が解かれたのは戦後のことです。洞川から法力峠を経て登る現在の登山道は、昭和初年に赤井五代松が独力で開いた登りやすい道です。



途中に彼の偉業をしのぶ名を残す「五代松鍾乳洞」があります。小屋やトイレのある山上辻で山上ヶ岳への道を分けると大日キレットで、周辺と稲村ヶ岳南斜面にかけてシャクナゲが群生しています。



山頂には大きな展望台があり、目前の山上ヶ岳をはじめ大峰山脈北部を中心とした大展望が得られます。

 


初めて訪れたときは、五代松鍾乳洞を見学後、山上辻にでて南面のシャクナゲ鑑賞路から登頂。稲村小屋に一泊して翌日、山上ヶ岳へ登りました。78年は10歳と8歳の子供たちと洞川の蟷螂窟前にテントを張りピストン。



シャクナゲ鑑賞路は鎖場やトラバースがあるのに子供たちも頑張ったものです。下山後、ローソクを灯した子供の案内で蟷螂窟を見学しました。その後も何度か登りましたが、五代松鍾乳洞か母公堂経由の道ばかりです。清浄大橋からレンゲ谷を詰める道は、一度下りに使ったことがあります。



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