ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

奈良の山あれこれ(91)~(95)

2015-11-09 11:25:43 | 四方山話
*このシリーズは山行報告ではなく、私のこれまで登った奈良の山をエリアごとに、民話や伝説も加えて随筆風にご紹介しています。季節を変えたものや、かなり古いもの写真も含んでいます。コース状況は刻々変化しますので、山行の際は最新の情報を入手されますようお願いします。*
 
*吉野周辺エリア* 

(91)栃原山(とちはらやま) 「吉野三山の黄金岳」



この山と南に並ぶ銀峰山、櫃ヶ岳を吉野三山と呼びます。どの山も登山口から短時間で楽に登れる里山です。栃原山は吉野町栃原にあり、標高531m。『大和名所図会』に「黄金嵩(こがねだけ) 栃原村にあり、奇峰高く聳え、山色蒼々たり」と記された山です。頂上には『大和志料』に「金ヶ岳の宮」と記された波比賣(はひめ)神社があります。社頭の説明板によると「天平2年11月11日に創建されたと伝えられおり、水の神・雨師の神である『弥都披比賣神』が祀られて」います。



下市から車を栃原へ走らせると、山頂に大きな鉄塔が立つ山が近づき、以前に櫃ヶ岳、栃ヶ山に登ったとき見覚えのある「一の鳥居」の前に出ました。車道が鳥居を潜って続いているので、そのままもう少し上までと車を進めるうちに、NHK栃原中継所の建物と二本の高い鉄塔、見晴台などのある広場に着きました。



石段を登ると、すぐ波比賣神社の境内で、結局、歩かずに山頂まで来てしまいました。



三角点を探して境内や裏手の広場も歩くが見付かりません。おそらく金剛山の葛木神社のように神域周辺にあるのでしょう、あえて深入りはしないで、展望台から大淀や五條の市街地、金剛・葛城の山並みを眺めて、「金の嶽」をあとにしました。


(92)銀峯山(ぎんぷさん)
「吉野三山の白銀山」



大峰山脈前衛峰で甘南備山でもある吉野三山のうちで、五條市に位置しています。近在の人からは尊敬と親愛をこめて「岳さん」と呼ばれています。『大和名所図会』では「白銀岳。古田荘夜中村にあり。銀(しろがね)ヶ岳は南にして、金(こがね)ヶ岳は北にあり、吉野将軍の宮合戦ありしよし太平記に見えたり」とあります。『太平記』には「銀嵩軍事云々。四月二十五日、宮之軍勢二百余騎、野伏三千人をめし具し賀名の奥銀嵩といふ山に打ちがり…」の記事があります。



山頂には古田荘12ケ村の氏神である波宝神社が建っています。『吉野郡群山記』に「御社、道の左に有り。鳥居は、額に神蔵(カンノクラ)大明神と記す。」と書かれています。



山麓の賀名生は吉野に侵攻された南朝が皇居を移したところで、藁葺の堀家住宅が皇居跡として今に残っています。冠木門の扁額「賀名生皇居」は維新の志士・天誅組吉村寅太郎の筆によるものです。文久3年(1863)、高取城攻撃に失敗した天誅組は、白銀岳に本陣をかまえて追討軍に備えました。堀家には天誅組関係の資料も数多く残っています。



賀名生は梅林としても有名で、急傾斜の斜面に一目一万本といわれる紅白の梅が咲き誇ります。


(93)櫃ヶ岳(ひつがたけ)  「吉野三山の銅岳」



山名の通り、お櫃のような形で吉野町と五条市にまたがる標高781mの里山です。黄金岳、白銀岳の南にあり「銅岳」と呼ばれました。ここにも山頂に誉田別命を祀る八幡神社があり、里人の信仰を集めました。『吉野郡群山記』に「上笠木(現・吉野郡黒滝村笠木)より峯伝ひに行けば櫃ヶ嶽にでる。この辺、酢の木多し。ふしの木(ヌルデ)極めて多し。土俗も、女の歯を染める(お歯黒)に用ゆ。‥櫃嶽『興地通志』曰く「櫃岳在貝原村、以形名」(形をもって名とす?)」とあります。



この笠木からの尾根道や十日市から尾根伝いに登る道があるといいますが、私たちは森林公園「やすらぎ村」に車を置いて登りました。山腹を登っていくと櫃ヶ岳への標識があり、貝原地区の最後の民家を過ぎると舗装が切れ林道らしくなります。見晴らしのよい丘の上に「あずまや」があり、行く手に櫃ヶ岳の頂が見え、振り返ると丹生川を挟んで銀峰山から吉野の方の山々が見えます。左手遠くには金剛・葛城の峰々。林道を離れて鳥居をくぐり、ヒノキ林の中の急坂を少し登ると神社の拝殿前にでました。





社の後ろの小高い所に小さい祠とケルンがあり、東側の木の開から、思いがけぬ近さに行者還岳から大普賢岳に続く峰々、疎らに雪を付けた弥山の大きな山容が正面に見えました。



帰りにお隣の栃ヶ山に寄り道しました。



杉林の中、無展望の山で、途中で山仕事をしている人に訊ねても、「名前は知らぬが、この上にある山に登る人が時々ある」というほどの不遇な山でした。


(94)龍王山 「ここも水乞いの山?」



銀峯山から南西の尾根上にあり、途中、大峰山脈の展望がいい山です。

銀峰山の波宝(はほ)神社参道を下ると、正面に龍王山が見えます。賀名生へ下る分岐から道は細くなり、左手に大峰の連山を見ながら行くと杉林に入り、一本の木に「竜王山へ」の標識がありました。



踏み跡を辿っていくと倒木が連続していて、潜り、乗り越え、迂回しながら高みを目指します。やや道らしくなるとNHK中継所のある山頂でした。



標点名「夜中」の618.8m二等三角点がありますが、周囲はヒノキ林に囲まれて全く無展望の山頂でした。少し右側の明るく開けた柿畑からは和泉山脈、金剛山地の眺めが美しく、眼下には五條の町並み、手前に拡がる緑の田園風景の中に「柿の博物館」の屋根の朱色が鮮やかでした。ここへは急な舗装路が登ってきていて、西側へ下ると山腹を水平に横切る道に出会い、テープ標識のある登り口に帰りました。


(95)扇形山(おうぎかたやま)  「扇を拡げたような形の山」

吉野から洞川への道は、江戸時代から大峰山への「山上街道」と呼ばれ、広橋峠からいくつもの峠を越えていきます。



小南峠はその最後の難所で、先達に率いられた白装束の人たちが喘ぎながら登ったところです。『あまりにも苦しい峠道なので貴重な米すら投げ捨ててしまう「米投げ」が転訛して「こみなみ」となった…「ひだる神」に憑かれ、歩行不能になった者も多かったことが伝承の由来かもしれない。(Wikipedia)』 

この峠から西に延びる尾根上に標高1053mのこの山があります。稲村ヶ岳の方から見ると、扇を拡げたような美しい形をしています。尾根が峠から東、さらに東南に回り込むと大天井岳に至ります。 

私たちは大天井岳に登る前に、今はトンネルが抜ける小南峠に車を置いて2時間ほどで往復しました。トンネルの上を通る尾根の中腹を捲いて行き、黒滝川沿いの集落を見下ろしながら緩く登り、15分で送電線鉄塔の下に来ます。左手には稲村ヶ岳と大日岳が見えました。コルに降り、しばらくはヒノキ林の中、殆ど水平の道を進みます。



やや登りになると笹原の中に立つ2本の送電鉄塔の下を通り、少し急坂を登ると扇形山の頂上でした。二等三角点が埋まっていましたが、樹木に囲まれて展望は全くありませんでした。