今年の夏は、遠出が出来なかったまま過ぎていこうとしています。
いつもなら涼を求めて高い山へ出掛けていたところです。
これまでの8月22日を振り返ってみました。
46年前(1961年)…高校3年の弟と烏帽子、槍、大滝へと縦走中です。
この日は6時過ぎ烏帽子の小屋を出て、三ツ岳から快適な縦走路を辿り、野口五郎岳に立ちました。

このあと、ガラガラの急な岩屑道を鷲羽岳に着く頃から濃い霧になりました。三俣蓮華は山腹の捲き道を辿らず、強風と濃霧の山頂に立ったため双六岳まで時間がかかりました。
ビバークを覚悟した17時前、双六小屋の姿が霧の中に浮かび上がりホッとしました。
38年前(1969年)…奥穂高岳。
涸沢のテント生活中の一日。天気が悪いので奥穂高へピストンで登ることにしました。せっかくの山頂は濃いガスの中でした。
36年前(1971年)…大和葛城山。
今ではホームグラウンドのようになった山ですが、今の住所に引っ越して3年目のこの年この日、家族4人では初めての山行でした。
33年前(1974年)…剣山。徳島の知人宅から日帰りで往復しました。
下りは行者道をとりましたが、前日の雨で岩が滑りやすく、クラックに取り付けられたクサリの丸い輪も雨と泥に濡れていて、爪先を入れて下るのにちょっと苦労しました。
この後、この山には4度登っていますが、いつも頂上小屋でお世話になっているので、日帰りはこのときだけです。
12年前(1992年)…石鎚山。千日町ハイキング同好会の仲間達と。
前夜、大阪南港からフェリーで松山へ。8時前には土小屋に着き、裏参道を歩き始めました。最後の「三の鎖」が使用中止になっていて捲き道を登ったのが心残りです。

写真は最高峰・天狗岳頂上です。四国の第一、第二の高峰に登ったのが、図らずも
同じ8月22日でした。
11年前(1993年)…乗鞍岳。千日町ハイキング同好会の仲間達と。
西穂に登ったあと、蒲田温泉で飲んでいて帰るまでにもう一山登ろうと云うことになりました。

5時に宿を出て畳平まで来ると冷たい霧雨。強風とガスの中、手探り状態で頂上に立ちました。
10年前(1997年)…雨飾山。
前夜、小谷温泉に泊まり、この日山頂を目指しました。
花が多く美しい山でしたが、暑さには弱りました。山日記には「恐らく始めてこんなに水分を摂った」と書き残しています。
フトンビシの岩壁と、下山後の露天風呂から見上げた星空の美しさが目に焼き付いています。
いつもなら涼を求めて高い山へ出掛けていたところです。
これまでの8月22日を振り返ってみました。
46年前(1961年)…高校3年の弟と烏帽子、槍、大滝へと縦走中です。
この日は6時過ぎ烏帽子の小屋を出て、三ツ岳から快適な縦走路を辿り、野口五郎岳に立ちました。

このあと、ガラガラの急な岩屑道を鷲羽岳に着く頃から濃い霧になりました。三俣蓮華は山腹の捲き道を辿らず、強風と濃霧の山頂に立ったため双六岳まで時間がかかりました。
ビバークを覚悟した17時前、双六小屋の姿が霧の中に浮かび上がりホッとしました。
38年前(1969年)…奥穂高岳。
涸沢のテント生活中の一日。天気が悪いので奥穂高へピストンで登ることにしました。せっかくの山頂は濃いガスの中でした。
36年前(1971年)…大和葛城山。
今ではホームグラウンドのようになった山ですが、今の住所に引っ越して3年目のこの年この日、家族4人では初めての山行でした。
33年前(1974年)…剣山。徳島の知人宅から日帰りで往復しました。
下りは行者道をとりましたが、前日の雨で岩が滑りやすく、クラックに取り付けられたクサリの丸い輪も雨と泥に濡れていて、爪先を入れて下るのにちょっと苦労しました。
この後、この山には4度登っていますが、いつも頂上小屋でお世話になっているので、日帰りはこのときだけです。
12年前(1992年)…石鎚山。千日町ハイキング同好会の仲間達と。
前夜、大阪南港からフェリーで松山へ。8時前には土小屋に着き、裏参道を歩き始めました。最後の「三の鎖」が使用中止になっていて捲き道を登ったのが心残りです。

写真は最高峰・天狗岳頂上です。四国の第一、第二の高峰に登ったのが、図らずも
同じ8月22日でした。
11年前(1993年)…乗鞍岳。千日町ハイキング同好会の仲間達と。
西穂に登ったあと、蒲田温泉で飲んでいて帰るまでにもう一山登ろうと云うことになりました。

5時に宿を出て畳平まで来ると冷たい霧雨。強風とガスの中、手探り状態で頂上に立ちました。
10年前(1997年)…雨飾山。
前夜、小谷温泉に泊まり、この日山頂を目指しました。
花が多く美しい山でしたが、暑さには弱りました。山日記には「恐らく始めてこんなに水分を摂った」と書き残しています。
フトンビシの岩壁と、下山後の露天風呂から見上げた星空の美しさが目に焼き付いています。