長い間秘境だった大台ヶ原には、イッポンタタラの他にも「義経の笹馬」などいろんな怪物が出没したようです。
幕末の紀州藩士、畦田翠山の「和州吉野郡群山記」によりますと…
大台辻より、大台山入口まで二里余(辻堂より二里半)。
<現在は川上辻から入之波温泉に下る途中、馬ノ鞍峰への道と分かれるところを大台辻と呼んでいますが、ここでいう大台辻はドライブウェイから小処温泉に下る林道が分岐しているあたりを指すようです。変愚院>
大台の辻には、道の傍に木の柱を建てて「これより西村(今の西原)領」と境界を記している。ここから西に下る道がある。西原へ行く道である。
ここは毎年十二月二十日、往来留め(通行止)になる。これは深山で雪が深いので、昔からご法度(法律で定められた禁止事項)となっているそうだ。
世間では「牛鬼が出て熊野の海へ潮踏みに行く。その時は、辻堂に戸を閉じて、これを見る事を禁ず。もしも隙間などからこれを見れば、たちまち死ぬ。」というが、雪の上に一つづつ足跡があるというのは、嘘である。
<辻堂は、先程の林道を少し下ったところにありました。
お堂には狼地蔵が祀ってあり、狼はこの前を通れないと、群山記に記されています。
辻堂山はこのお堂があったことからこう呼ばれています>
幕末の紀州藩士、畦田翠山の「和州吉野郡群山記」によりますと…
大台辻より、大台山入口まで二里余(辻堂より二里半)。
<現在は川上辻から入之波温泉に下る途中、馬ノ鞍峰への道と分かれるところを大台辻と呼んでいますが、ここでいう大台辻はドライブウェイから小処温泉に下る林道が分岐しているあたりを指すようです。変愚院>
大台の辻には、道の傍に木の柱を建てて「これより西村(今の西原)領」と境界を記している。ここから西に下る道がある。西原へ行く道である。
ここは毎年十二月二十日、往来留め(通行止)になる。これは深山で雪が深いので、昔からご法度(法律で定められた禁止事項)となっているそうだ。
世間では「牛鬼が出て熊野の海へ潮踏みに行く。その時は、辻堂に戸を閉じて、これを見る事を禁ず。もしも隙間などからこれを見れば、たちまち死ぬ。」というが、雪の上に一つづつ足跡があるというのは、嘘である。
<辻堂は、先程の林道を少し下ったところにありました。
お堂には狼地蔵が祀ってあり、狼はこの前を通れないと、群山記に記されています。
辻堂山はこのお堂があったことからこう呼ばれています>