遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『越境捜査』 上・下  笹本稜平  双葉文庫

2020-03-17 10:45:35 | レビュー
 2017年4月27日付で改正刑事訴訟法が成立し、即日施行された時点で、殺人などの時効は廃止された。この警察小説は2007年8月に単行本、2009年12月にノベルスとして刊行され、2010年11月に文庫本となった。つまり、殺人犯罪に時効が成立した時代のストーリーである。
 主人公はこの秋に警視庁捜査一課殺人犯捜査六係から同課特別捜査一係に配転となった鷺沼友哉である。継続捜査担当に回されたのは、春に配属となったキャリアの管理官とそりが合わず、捜査方針を巡って派手な衝突を繰り返したことによる。継続捜査扱いとなっている事案に鷺沼が取り組むというストーリーである。
 その事件は14年前に発生し、捜査一課所属の鷺沼もまたその捜査本部に加わっていた。警視庁捜査二課は巨額詐欺事件の被疑者、森脇康則を追っていた。その森脇の遺体が本牧埠頭D突堤で夜釣りをしていた住民により発見されたのだ。だが彼は登山ナイフ様の刃物で刺され、死後海中投棄されたと推定された。仲の悪い警視庁と神奈川県警が捜査本部の主導権争いを含めて捜査活動の確執を繰り広げる過程で、事件は迷宮入りとなる。森脇が詐取した12億円も行方がわからぬままとなる。詐欺事件自体は既に時効となってしまっているが、殺人事件はあと1年足らずで時効となる時期に至っていた。鷺沼はこの継続捜査事案に単独で取り組み始める。

 継続捜査とは言え、遺体が発見された現場は神奈川県警の管轄である。鷺沼が現時点で特別捜査一係に所属していると雖も、警視庁の所轄エリアから越境して捜査を始めることになる。再捜査を始める挨拶を兼ね、神奈川県警に状況を問い合わせると、余計なことはしてくれるなという意向を伝えられる。捜査への協力を拒否された。鷺沼が14年前の勘を呼び戻そうと頻繁に多摩川の橋を渡り始めると、早速県警の尾行がつき始める。死体の発見場所である本牧埠頭D突堤に夜出かけた時、鷺沼は三人の男に襲われヤキを入れられる。それがこのストーリーの始まりとなっている。鷺沼はその男たちが県警の人間ではないかと推測する。つまり、時効間近になってきたこの事件をほじくってほしくない連中がいるということなのだ。
 鷺沼は、今は神奈川県警警務部監察官室長となっている韮沢克文に面談の約束を取り付ける。14年前、韮沢は警視庁捜査二課の刑事として森脇を捜査していた。その韮沢は捜査実績を評価されノンキャリアながら警視正に昇進した。その結果警視庁から警察庁職員に移籍する。そして監察官室長として神奈川県警に横滑りしていたのである。鷺沼は刑事としての韮沢に学ぶところが多く、彼を尊敬してきた。鷺沼は韮沢から何かヒントを得られないかとコンタクトを取ったのだ。
 韮沢は県警内部の不祥事隠蔽体質に風穴を開け、膿を出し切ることを狙っているという。森脇の巨額詐欺事件に関しては、その12億円が県警の裏金として丸呑みにされている可能性が二人の話題になる。12億円については刑法上の時効は7年で成立し、民法上の請求権も10年で既に消滅している。当時の捜査関係者が関わっていたとすると、森脇の殺害に時効が成立することにより、12億円は自由な金に化けるのだ。
 鷺沼が韮沢に面談したことが契機となり、逆に鷺沼は韮沢から森脇殺人事件と12億円の所在究明に対して協力することを要請され、鷺沼はこの継続捜査に専念する立場に位置づけられていく。そこから鷺沼単独の公然とした越境捜査が始まっていく。

 鷺沼は森脇の妹であり、ファミリーレストランチェーンのオーナー経営者となっている三上真弓の自宅を訪ね再度聞き込みをすることから始める。その折り、県警の宮野刑事から1週間ほど前に接触があったと聞く。鷺沼が東京に戻る磯子駅のホームでその宮野が直接鷺沼に接触してきた。
 宮野は鷺沼をショットバーに誘う。そこで、1枚の旧札のピン札を宮野は鷺沼に見せた。それは、消えた12億円に印刷されている記番号の1つに一致するものだった。宮野はそれが県警本部の管理官から帳場の打ち上げの折に買い出しに行けと手渡された万札3枚の内の1枚だったという。宮野はその出所は県警にプールされた裏金だろうと言う。宮野の狙いは12億円の所在の究明である。12億円を奪取したい、そのために鷺沼と協力関係を結びたいと言う。そんな宮野は鷺沼が敬愛した滝田刑事の甥だという。
 鷺沼は森脇を殺した犯人の究明と逮捕、宮野は12億円の所在の究明と奪取が直接目的である。森脇の殺害と行方不明の12億円の関係は切り離せない。また、少なくともその一部は神奈川県警内部の裏金になっているという。二人の奇妙な同盟関係が始まって行く。
 鷺沼と宮野の捜査活動が進むにつれて、14年前の捜査本部の実態と捜査情報が見え始める。そして、この14年の時間的経過を経て警察組織内の職階と人間関係の相関図がどのようになってきたかの実態が見えて来る。閉ざされていた闇の中から蠢きだす人々が鷺沼の前に現れて、真相の解明を阻み始める。かつての捜査活動のプロセスに警察組織を覆う腐敗が絡んでいた事実が明らかになっていく。
 
 このストーリーを興味深くする背景がいくつかある。
1. 東京都の警視庁と神奈川県の県警との確執、対抗意識が諸に描き込まれていること。
2. 全国の警察組織内に根を張っている裏金づくりとその悪用をはかる人々の存在。裏金がどのように作られどのように利用されているのかという実態を赤裸々に描き込んでいること。
3. 法の下に正義を執行するはずの警察組織内において、法を無視した治外法権意識が上層部に巣くっているという実態およびそれを当然の如くに受け入れ己の利をはかる一群の人々がいるということ。仕組まれた冤罪、隠蔽工作の事例が織り交ぜられている。
 そのような警察組織の腐敗により事件の捜査が歪められて行った部分が明らかになるに連れて、鷺沼の信条、捜査意識、正義とは何かの感性にも変化点が生まれ始める。警察官としての倫理感に「越境」次元が加わっていく。このストーリーが一層おもしろくなる部分でもある。

 このストーリーは、鷺沼が尊敬する韮崎が仕組まれた事件に遭遇することから、急展開を始めて行く。そこが読ませどころに繋がって行く。
 後は、本書を開いて読み進めてほしい。

 ご一読ありがとうございます。
 
本書と関連して、現実に語られている警察等の組織体質に関わる事象・事例の情報を検索してみた。一覧にしておきたい。
北海道警裏金事件  :ウィキペディア
警察組織における裏金問題を実名で訴えた現職警察官に対する警察庁の対応等に関する再質問主意書 質問本文情報  :「衆議院」
裏金問題について  :「警察よくある質問」
愛媛県警裏金問題告発者 拳銃を没収され仕事も与えられず :「NEWSポストセブン」
警察の裏金を証言。裏金は400億以上。警察とパチンコ屋の闇の関係 換金は?警察庁「存ぜぬ」  :「NAVERまとめ」
現役警官として初めて「警察の裏金」実名告発した仙波敏郎氏が :「格差階級社会をなくそう」
仙波敏郎「警察の裏金問題」結論  :YouTube
00033 Edit  :YouTube
稲葉事件  :ウィキペディア
北海道警がひた隠す「下半身露出警官」の父親は署長だった :「BLOGOS」
検察庁による報道機関への情報の漏洩等に関する質問主意書 質問本文情報 :「衆議院」
証拠物のフロッピー改ざんした大阪地検特捜部・前田恒彦元主任検事に実刑判決 :「東洋経済ONLINE」
大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件  :「LeagalSearch」
証拠改ざん事件をめぐる三井環・元大阪高検公安部長の告発状  :「魚の目」
証拠改竄で主任検事が逮捕! 「村木裁判」で露呈した特捜部捜査「終わりの始まり」 
  郷原信郎    :「現代ビジネスプレミアム」
鹿児島県警察における供述調書の改ざん事件を受け、直ちに取調べの全過程の全面可視化(録画)を求める会長声明  :「鹿児島県弁護士会」
運転者の過失理由を勝手に書き込んだ警察官3名を警視庁が処分:「Reaponse.20th」
神奈川県警察の不祥事  :ウィキペディア
各県警返還額一覧  :「全国市民オンブズマン連絡会議」

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この印象記を書き始めた以降に、この作家の作品で読んだものは次の小説です。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『サンズイ』  光文社
『失踪都市 所轄魂』  徳間文庫
『所轄魂』  徳間文庫
『突破口 組織犯罪対策部マネロン室』  幻冬舎
『遺産 The Legacy 』  小学館


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