遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『真夏の方程式』  東野圭吾  文春文庫

2020-12-17 21:58:08 | レビュー
 ガリレオ先生シリーズのたぶん第6作だと思う。「週刊文春」2010年1月14日号~11月25日号に連載、翌年6月に単行本化された。そして、2013年5月に文庫化されている。
 このストーリーは今までの作品とちょっと異なる点がある。それはガリレオ先生こと、帝都大学物理学科准教授・湯川学が、「玻璃ヶ浦」で発生した事件の謎解きに草薙の依頼ではなく、自ら主体的に関与していくという展開になる点である。

 在来線で「玻璃ヶ浦」に向かう時、柄﨑恭平という一人旅の小学生(5年生)が優先席に座り、携帯電話の事でお爺さんから注意を受けている場面で湯川は少年の手助けをした。それが思わぬ縁となる。少年は両親の仕事の関係で、夏休みを玻璃ヶ浦で旅館経営をする伯母一家のもとで過ごすことになる。車中で少年の話を聞き、湯川はその旅館が「緑岩荘」ということを知る。
 湯川は、海底金属鉱物資源の開発に関する説明会にパネラーとして出席すると言う仕事のために玻璃ヶ浦に来た。湯川はこの説明会の仕事を引き受けたが、主催者側DESMEC(デスメック:海底金属鉱物資源機構)が準備するホテルに泊まるという手段は回避して、少年から知った緑岩荘という旅館に泊まるという独自の選択をした。それが事件に関わる発端となる。

 経済産業省の資源エネルギー調査会が「玻璃ヶ浦から数十キロ南方の海域は、海底熱水鉱床開発の商業化を目指す試験候補地として極めて有望である」というレポートを発表した。それは地元に新たな産業が産まれる機会になると期待を寄せる人々を生み出した。一方、今は寂れつつある海水浴場であるが海の環境破壊を起こす可能性に警戒心をもち、この土地を観光視点で再開発し風光明媚な景観を維持していく方が良いという立場から反対する人々がいた。近辺の市町村を巻き込む大騒ぎとなる。
 海底金属鉱物資源の開発に関する説明会はこの大騒ぎに対処するためのものだった。湯川はデスメックから電磁探査についての説明が必要になった場合に研究者の立場で説明するという事を依頼されたのだ。湯川はこの説明会においては、電磁探査に関して科学技術的立場で説明するという局面に限定した関わりと自らを位置づけていた。それが宿泊先を独自に選択した理由だった。

 緑岩荘の娘・川畑成美は海を守る活動に参加し、資源開発という名目での生態系破壊に反対する立場で活動していた。成美は、玻璃ヶ浦出身の沢村元也の誘いを受けたのだ。沢村は地元の電気店を引き継ぎながら、一方でフリーライターとして環境保護をテーマにした仕事を積極的に行い、反対運動を始めていた。
 勿論、沢村や成美は説明会に参加し発言している。湯川は緑岩荘に泊まることにより、成美と話をする機会ができる。

 湯川が緑岩荘に宿泊した日、もう一人の男性客が緑岩荘にチェックインしていた。住所を埼玉県と記入した塚原正次という客である。だが、この客が翌朝、死体で発見されることになる。現場は、玻璃ヶ浦の港から海岸沿いに200mほど南に進んだところの堤防から岩場に落ちた形だった。近くに住んでいる人が発見したという。宿名のない浴衣と丹前を着ていて、下駄が落ちていただけだった。すぐにその死体が塚原だと判明する。
 塚原正次は前日の説明会に参加していた。緑岩荘で夕食を食べた後、旅館からいなくなっていたという。また宿泊の際の所持品から身元調査が行われた。その結果、塚原は警視庁捜査一課に所属し昨年定年退職した刑事だったことが判明する。

 湯川は説明会に出席した後も、調査船での仕事が終わるまでは玻璃ヶ浦の緑岩荘に宿泊して留まる予定だった。湯川は緑岩荘で夏休みを過ごす恭平との関わりを深めていく。一方で、成美は玻璃ヶ浦の素晴らしさを湯川に伝えるために、スキューバ・ダイビングで案内したい場所があると提案する。
 また、湯川は死体で発見された塚原についての情報を少しずつ見聞していくことになる。恭平に塚原が落ちた岩場まで案内してもらうこともする。そして恭平から現場では下駄の片方が見つかっていないということを聞いた。

 このストーリー、大きくは3つのサブ・ストーリーがパラレルに進展していき、それが交差し、収束していく。
 1つめは、現在時点で玻璃ヶ浦が直面する課題。玻璃ヶ浦沖での海底金属鉱物資源の開発問題に対する反対派の運動に絡んだ活動プロセスの進展である。沢村、成美、漁師など様々な人々の思いが関わって行く。

 2つめは、塚原の死から広がる捜査。塚原正次の身元確認には、妻の塚原早苗に警視庁捜査一課多々良管理官が同行してくる。塚原は捜査一課での多々良の先輩にあたるのだ。多々良は塚原の死に対して単なる事故死でない可能性を重視する姿勢を示す。遺体を引き取り、警視庁側で解剖するという手はずもたてる。警視庁独自の捜査を草薙が指示されることになっていく。結果的に、湯川の行動と草薙の行動の接点がで出来ていくことに・・・・・。
 なぜ、塚原は説明会に参加したのか。なぜ緑岩荘を宿泊先にしたのか。
 また、多々良管理官は、塚原の定年退職前に塚原が担当した事件で一番印象に残っているのは仙波英俊だと聞いたという。仙波が塚原の死と何らかの関係があるのかどうか。
 死体の解剖結果も踏まえて、捜査の波紋が広がっていく。

 3つめは、湯川と恭平の交流の深まり。恭平の夏休みの宿題を湯川は手伝ってやりながら、恭平との会話、成美との会話などを通じ宿泊先の緑岩荘を基盤にして、いくつかのことに気づく。そこから、湯川の論理的な推論が構築されていく。
 恭平の案内で塚原の死体が発見された岩場を確認に行った。そして下駄の片方が見つからないという点に疑問を抱く。
 緑岩荘のロビーの壁に掛けられた絵の景色に関心を抱く。どこから眺めた絵か。だれが描いたのか。何時から、なぜここに掛けてあるのか。
 塚原の死亡との絡みで、警察から緑岩荘に鑑識を含め捜査に来たプロセスを湯川は見聞する。それは何の為かと・・・・・。また、恭平から塚原のいなくなった夜、旅館の庭で恭平が伯父さんと花火をしていたことを知る。
 湯川の気づいた諸事象が徐々にリンクされ統合化されて推論が深まって行く。

 塚原正次の刑事人生における最後のこだわりが、玻璃ヶ浦と過去の事件とのつながりを明らかにして行く。現在己の目で観察・確認する事象から推論を組立ててアプローチする湯川と、多々良管理官からの指示で過去の事件を追跡捜査するアプローチの草薙とに接点が見出されて行く。過去の解決した事件の裏には、隠されていた真相が秘められていた。その真相が現在の事件にリンクすることになる。

 このストーリー、法律的には客観的事実証拠と供述から刑事事件が解決しているが、その真相は秘められたところにあるという事件の連鎖を取り扱っている。その連鎖の仕方が読ませどころとなっている。
 玻璃ヶ浦で過ごす恭平の夏休みに恭平との交流を深めた湯川が最後に、駅の待合室で恭平に語る言葉をご紹介しておこう。
 「どんな問題にも答えは必ずある。だけどそれをすぐに導き出せるとはかぎらない。人生においてもそうだ。今すぐには答えを出せない問題なんて、これから先、いくつも現れるだろう。そのたびに悩むことには価値がある。しかし焦る必要はない。答えを出すためには、自分自身の成長が求められている場合も少なくない。だから人間は学び、自分を磨かなきゃいけないんだ」(p461-462)
 今の恭平は解けない謎、解けない方程式を目の前にしているような心境に居た。湯川が語ったこの言葉はその心境に対する語りかけだった。この小説のタイトル「真夏の方程式」はここに由来するのだろう。

 ご一読ありがとうございます。

ふと手に取った作品から私の読書領域の対象、愛読作家の一人に加わりました。
次の本を読み継いできています。こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『聖女の救済』  文春文庫
『ガリレオの苦悩』  文春文庫
『容疑者Xの献身』  文春文庫
『予知夢』  文春文庫
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『マスカレード・イブ』  集英社文庫
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『嘘をもうひとつだけ』 講談社文庫
『私が彼を殺した』  講談社文庫
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