遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『虚像の道化師』  東野圭吾  文春文庫

2020-12-28 10:29:37 | レビュー
 ガリレオ先生シリーズの第7弾となる短編集であり、7編を文庫オリジナル編集して出版されたという。その内4編は「別冊文藝春秋」(第292号・第298号)、「オール讀物」(2011年4月号・7月号)にそれぞれ発表され、3編は書き下ろしである。尚、奥書によれば、『虚像の道化師』(2012年8月)、『禁断の魔術』(2012年10月)というタイトルで単行本化が先行している。単行本のタイトル毎の構成について奥書からは不詳。文庫本化で短編の組み合わせを編集したということなのだろう。総ページが475ページなのでボリュームとしては多いが、短編集なので読みやすさはある。章立ての形で編集されている。
 まずおもしろいのは、今回もタイトルの読ませ方である。そして、ミステリーの提示のしかたとその謎解きのストレートな展開にはスピード感があり、短編を一気に読ませ、読者を楽しませる。各章は全く独立した短編作品なので、章単位では何処からでも読み進めることができる。まあ、普通は章毎にシーケンシャルに読み進めるだろうが。
 それでは、どんな設定のミステリーであるかだけ、簡単にご紹介しておこう。

第1章 幻惑す まどわす
 宗教法人『クアイの会』の修行の様子について『週刊トライ』の女性記者・里山奈美がカメラマン同行で取材することの許可を得た。だが、記者が取材のために同席した場面は、教祖・連崎至光の下に10人の幹部が集り、会の運営について重大な問題が見つかったので、問題を引き起こしている幹部の心の浄化を行おうとする会だった。第五部長が魂の浄化を必要とされる対象者と連崎に名指しされた。連崎が魂の浄化だと言って始めた行動を、奈美は茶番劇だろうと冷めた目で見ていたのだが、その第5部長が目の前で5階の部屋の窓から飛び降りたのだ。その信者は病院に搬送されたが脳挫傷で死亡した。奈美はその取材の様子を記事にするとともに、後に連崎の送念の力を「浄めの間」で実体験して、この教団への信仰にのめり込んで行く。
 草薙は指示を受けて、これが自殺なのか殺しなのか、捜査に出向く。草薙は連崎に送念をやってほしいと依頼する。草薙は何も感じなかった。連崎は救いを求めていない人には通じないといなす。草薙は湯川にこの謎解きを持ちかける。奈美の実体験を聴取した湯川は、自身が奈美に同行し、その体験をしてみたいと行動に移る。連崎の送念のカラクリの解明に迫る。
 湯川は心理学の領域ではなく、物理学の領域で謎解きをする。ナルホドである。

第2章 透視す みとおす
 湯川は草薙に日頃の協力に対する接待だと言って銀座にある「ハープ」という店に連れて行かれる。そこで湯川はアイちゃんと呼ばれるホステスを紹介され、その場で彼女の透視を実体験させられる。そのアイちゃんこと、相本美香の遺体が荒川沿いの草むらで発見された。素手で扼殺されていた。鑑識は相本の足に付着していた煙草の銘柄を判明させる。
 草薙は「ハープ」での相本の常連さんのことや、相本の履歴などを捜査していく。客に対して相本が行った透視が重要な要因になっていた。事件の解明のためには透視のトリックを見破ることが必要となる。そこで、アイちゃんに透視された体験を持つ湯川の出番である。湯川は、草薙が得た相本の学生時代の関心事がモモンガの生態を知ることだったと聞き、そこから重要なヒントを得る。湯川の謎解きには説得力がある。

第3章 心聴る きこえる
 脇坂睦美は頭の中で羽虫が飛び回っているような耳鳴りに時折悩ませられる状態が続いていた。耳鼻科で診察を受けたが特に異常はないと診断された。一日のどこかで必ずと言っていいほど耳鳴りが聞こえる。休日の自宅では聞こえることがない。
 睦美の勤める事務機器メーカー「ペンマックス」の営業部長・早見達郎が自宅のマンションのベランダから飛び降りて亡くなった。早見には社内不倫の事実があり、広告部所属の相手の女性は自殺をしていた。早見のパソコンを分析すると2つのキーワードで頻繁に検索している事実が明らかになった。
 草薙は身体に不調を感じ病院へ受診に行く。そこでステッキを持ち暴れている男を取り押さえるが、ナイフで刺される羽目になる。その男・加山は幻聴に悩まされていたという。警察学校同期の北原の調べで加山が睦美と同じ会社だったことを知る。そこから草薙は早見の事件捜査の経緯を振り返り、捜査を進める中で見つけた『霊』と『声』という文字について考え直し始める。加山の幻聴供述が一連の事件・事象を解明するヒントとなっていく。その裏付けを理論的に解明し、事件解決に貢献するのがやはり湯川だった。
 この短編は草薙の同期である北原刑事のライバル意識とその変転をサブ・ストーリーとして織り込んでいるところがおもしろい。

第4章 曲球る まがる
 急病の同僚に代わり、乗り慣れない車で荷物の配送に携わった男が、ある地下駐車場に入ろうとして事故を起こすシーンから始まる。
 スポーツクラブのVIP会員の妻が、特別な駐車スペースに駐めた自分の車の傍で殺された。草薙と内海はその捜査に携わる。被害者は東京エンジェルスの柳沢投手の妻・妙子とわかる。事前に予約をしてあったエステティックが目的で地下駐車場の特別エリアに欧州車のセダンを駐めていたのだ。犯人は事件発生から5日目に逮捕された。
 柳沢投手は戦力外通告を受けた身だったが、現役を続行するつもりでトレーナーの宗田とともに練習を続けていた。宗田はバトミントンの専門誌に載っていた湯川の書いた研究記事に関心を抱いていた。その研究を柳沢の投球の練習に応用できないか宗田は発想していた。草薙の口利きで、柳沢は宗田とともに、湯川の研究室を訪れる。
 このストーリーの核心は、事件当日、妙子の車に残されていたプレゼント用の時計の謎解きを介して、柳沢妙子の事件当日の行動と思いを明らかにしていくことにある。一方で柳沢は、妻妙子に対する自身の思いを再認識し、遅まきながら妻の真意を知ることになる。
 冒頭の何気ない事故発生シーンがこのストーリーでどういう役割を演じているのか、それが一つの読ませどころになる。

第5章 念波る おくる
 午後11時過ぎに、童話作家である御厨春菜は同居する叔母の御厨籐子に若菜に連絡をとって欲しいと頼む。胸騒ぎがするというのだ。姉の若菜とは双子だった。
 籐子は午後11時15分に、若菜の夫・磯谷知宏の携帯電話とコンタクトが取れる。磯谷は部下の山下の同行で渋谷区松濤の自宅に戻り、頭部から血を流している若菜を発見した。 強盗殺人未遂事件として捜査本部が開設される。
 春菜は男の恐ろしい顔が一瞬頭に浮かび胸騒ぎがしたという。テレパシーという現象の有無がこの事件の背景となる。湯川は草薙に事件に関与するように引きこまれてしまう。そして、春菜の「繋がっている」という言葉に反応し、湯川は御厨の検査をしたいという。医学部の生理学研究室の教授の協力を得て大仕掛けな検査をする形になっていく。この検査には、関係者全員の写真が必要だと湯川が言う。一方で、湯川はもう一つの作戦を密かに進行させて行く。 
 このストーリーのオチがおもしろい。平凡さが意外性に転換しているプロセスを楽しめるストーリーと言えようか。

第6章 偽装う よそおう
 バトミントン部の同期で、今はある町の町長になっている谷内が地元のリゾートホテルで結婚式を行う。その結婚式に招かれて草薙と湯川が出かけることに。道中、草薙は高速道路でタイヤのパンクに気づく。雨が降り始めた中でのタイヤ交換作業。、通りかかった赤いアウディAIに乗る女性から湯川が傘を得て、草薙はずぶ濡れにならずに済んだ。その女性が後に事件に関係してくることになる。
 結婚式が終わり、二次会に移る前に、大雨のせいで土砂崩れが起こっていることが伝えられ、一方で臨席していた警察署長の熊倉に殺人事件発生の連絡が入った。ホテルに近い別荘地にある別荘の一つで事件が起こっていた。先に到着していた両親が殺されていたと夜に別荘に行った娘が通報して来たという。
 道路が通行不能になっている状況下でもあり、熊倉署長が草薙に事件捜査への協力を依頼する。草薙は現状況から協力せざるを得なくなる。成り行きから湯川も後に手伝う羽目に。
 現場に着き、草薙は現場検証をする。使用された散弾銃が庭に放置されていた。草薙は通報してきた娘に会って事情聴取を行う。桂木多英と名乗る女性はアウディAIを運転していた女性だった。多英の父は、ペンネームを竹脇桂という有名な作詞家だった。父は元弟子で今は音楽プロデユーサーをしている鳥飼修二を抗議をするために呼び出すと言い出していたという。歌詞の盗作問題が関係していたらしい。
 
 草薙が撮ってきた現場の写真に湯川は何かに気づく。そして草薙の同行で現場の状況を確認し、その状況分析から湯川は論理的な推論を重ねていく。
 そして、傘の御礼だと言い、湯川の推論した結論を多英に明確に伝えるという行動を選択する。だが、その後で意外な事件処理方法を湯川が語る。このアプローチが実に興味深い。湯川のこのスタンスは『真夏の方程式』の延長線上にあると思う。

第7章 演技る えんじる
 元倉庫を改装した稽古場で神原敦子が駒井良介の胸に深々をナイフを突き刺した。そして駒井の携帯電話の登録番号リストの一部削除という細工を加えるという場面からストーリーが始まる。
 敦子は午後9時ちょうどに喫茶店で安部由美子と待ち合わせる約束していた。この席でも駒井から安部に電話が掛かる細工をする。連絡がとれない状況を作り出した上で、敦子は口実を設けて稽古場に二人で出かけるように仕向けた。稽古場で駒井の遺体を発見。そばに携帯電話が落ちていると気づかせる演技をする。死体の脇の携帯をすり替えた上で、敦子は自分の携帯で警察に通報した。
 草薙、内海が加わった初動捜査が始まって行く。稽古場は劇団『青狐』が使っていた。草薙は壁に並ぶオーディオ機器のすぐ前に脚立が立てられていることが気になった。
 今度の芝居では、小道具としてナイフを使う場面があり、迫力が出ると本物のナイフが用意されていたと敦子は証言した。
 駒井の携帯電話の発信履歴が捜査の対象になる。駒井の女性関係を明らかにすることから始まった。さらに電話にトリックが仕掛けられていないかという疑問も浮かび上がってくる。また、日付と時刻が印字された3枚の花火の写真が残されていて、それらがどこで撮影されたものかが重要になっていく。
 湯川は『青狐』のファンクラブ会員だった。敦子が行きつけのバーに約束通り湯川が現れ、そこで敦子の用件を聞く。それがきっかけで朝刊の報道などで情報を得ていた湯川はこの事件に関わって行くことになる。
 実にトリッキーなストーリー展開となる短編である。敦子は殺人犯なのか?
 この短編の最後に「虚像を追い求める人生もあるということだ」という発言が出てくる。この発言の意味は深い。
 
 本書のタイトル「虚像の道化師」はこの湯川の発した言葉に由来するようである。
 
 ご一読ありがとうございます。

ふと手に取った作品から私の読書領域の対象、愛読作家の一人に加わりました。
次の本を読み継いできています。こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『真夏の方程式』  文春文庫
『聖女の救済』  文春文庫
『ガリレオの苦悩』  文春文庫
『容疑者Xの献身』  文春文庫
『予知夢』  文春文庫
『探偵ガリレオ』  文春文庫
『マスカレード・イブ』  集英社文庫
『夢幻花』  PHP文芸文庫
『祈りの幕が下りる時』  講談社文庫
『赤い指』 講談社文庫
『嘘をもうひとつだけ』 講談社文庫
『私が彼を殺した』  講談社文庫
『悪意』  講談社文庫
『どちらかが彼女を殺した』  講談社文庫
『眠りの森』  講談社文庫
『卒業』 講談社文庫
『新参者』  講談社
『麒麟の翼』 講談社
『プラチナデータ』  幻冬舎
『マスカレード・ホテル』 集英社


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