遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『サンズイ』  笹本稜平  光文社

2020-01-30 13:10:56 | レビュー
 本書のタイトルは警察内部の隠語である。警察小説愛読者には常識用語になっているだろう。贈収賄や官製談合といった汚職がらみの政治案件を守備範囲として担当する部署を指す。「汚職」の「汚」の字の部首「サンズイ」に由来する。警視庁捜査二課第四知能犯~第六知能犯の三つのグループが担当する。この小説の主人公は第四知能犯第三係に所属する園崎省吾。園崎が、与党の桑原勇参議院議員のあっせん収賄罪もしくはあっせん利得罪の容疑で、公設第一秘書の大久保俊治に任意の事情聴取をしている場面からストーリーが始まる。
 大物政治家が絡んだサンズイ事案はほとんどが地検特捜の扱いとなり、警察が着手するのはせいぜい官僚が絡む贈収賄までという慣例になっている。だが、この捜査は園崎の所属する第四知能犯第三係が市役所職員から内部告発の手紙を受けたことが契機となった。都下の東秋生(ひがしあきお)市が、桑原事務所の口利きで破格の安値で市有地を地元の有力土建会社・三共興発に売却したという内部告発だった。その口利きの首謀者が大久保だと言う。桑原議員は東大卒のエリート官僚として総務省に入省し、事務次官を経て政界に転身し参議院議員になっている。三共興発の創業者で会長の藤井は桑原議員の中学以来の幼馴染で、桑原の有力な後援者である。桑原議員は古巣の総務省に絶大な影響力をもつと言われているという。総務省は地方交付税を所管するので、全国の自治体にとってはお上という存在なのだ。口利きに対し、そこに関係者の忖度が働き、一方で金が動いるのではないかという筋読みとなる。
 大久保は以前に政治資金規正法違反の疑いで地検の取り調べを受けたが嫌疑不十分で不起訴となり、議員は無傷で済んだという前歴があった。

 園崎には秘する思いがある。園崎の父はある代議士の秘書だった。その父が私文書変造容疑で逮捕され、代議士への忠誠心と事務所の弁護士の口止めもあり、罪を一身で背負う供述をしたのだ。懲役2年執行猶予3年の判決を受けた。代議士事務所は父を解雇、中小企業への転職を斡旋した。しかし、父はそれを断り、失意の果てに翌年自殺した。園崎は大学を中退し警視庁の採用試験を受けて警察官になった。そして捜査二課を希望した。そこには、父親を罪に陥れた政治の世界に報復したいという強い思いがあった。国会議員による「サンズイ」案件捜査に従事し、不正を暴き権力の座から引きずりおろしたいという思いだ。
 園崎は水沼とタッグを組み捜査に当たる。本間係長は園崎の思いを知っているがそのことをこの事案発生までは、園崎に語ることもなかった。

 園崎は警察官になって3年後に組織犯罪対策部の第四課に配属され、暴力を背景とした一種知能犯的な犯罪類型の捜査に従事した。そして、5年前に念願が叶い捜査二課に配属されたのだった。今では千葉県市川市行徳に一戸建ての家を買い、警察官を父にもつ紗子(さえこ)と結婚し、4歳の息子・雅人とともに暮らす。新米刑事の頃に、千葉県警との合同チームの事案でコンビを組んだ山下警部補とは10年来の付き合いで、家族ぐるみで付き合う間柄になっていた。山下は、千葉県警生活安全部に所属する。

 桑原議員の選挙地盤は千葉県である。大久保は普段は都内に住んでいるが、千葉県内に豪勢な住居を持っている。そこから千葉県警の山下が園崎を積極的に支援する役割を担っていく。

 このストーリーの展開で興味深いところがいくつかある。
1.ある時点から大きく見ると2つの捜査状況がパラレルに進展していき、それが結びついていくプロセスと構成になっている。どこでどのように関係が明瞭になっていくかというプロセスが興味深い。
 一つは勿論、大久保が直接関わり桑原議員に及ぶサンズイ事案の解明である。その証拠を固めていく捜査プロセスの展開がメインストリームとなる。この捜査は園崎が主体になりながら、水沼とタッグを組み実行する。この捜査プロセスは別項で補足する。
 もう一つは園崎の妻と子の雅人が意図的な轢き逃げに遭遇する事件に端を発する。その事件捜査のプロセスが加わる。市川市内で発生した事件なので千葉県警の所管。なぜか唐突にも千葉県警捜査一課の中林昭雄が園崎を被疑者と見なし、任意同行をかけてくるという奇妙な捜査が始まる。その捜査活動がさらにエスカレートしていく。妻子を轢き逃げされた園崎を被疑者に想定する論理がどこから出てくるのか。園崎が手がける大久保に対する捜査活動への意図的な妨害と思われる。読者にとってはそんな捜査にゴーサインを出した上層部がどこに繋がるのかが気になる次第。
 一方で、千葉県警生活安全部の山下が園崎の苦境を支援するために、独自にこの轢き逃げ事件の犯人究明に関わって行く。そこに生活安全部子ども女性安全対策課の北沢美保巡査部長も積極的に協力していくことになる。千葉県警内での2つの相反する動きが、それぞれサブストーリーとして進展していくからおもしろい。

2. 園崎は大久保に対し任意の事情聴取を行うことから始めた。大久保がその後園崎に取引を持ちかけてくる。そのために園崎一人と会いたいという。だが、その約束の場には姿を見せない。園崎は隠密行動として大久保に会おうとしたことから、己のアリバイを立証できない状況に陥る羽目になる。大久保と会う予定の時間帯に、妻と子が轢き逃げ事故に遭遇する事態が発生していたのだ。園崎は己の捜査活動が妻と雅人を巻き込んだという責任を感じる。轢き逃げの実行者は大久保だと園崎は確信するが、それをどう証拠立てることができるかが問題となる。千葉県内の事件なので、園崎には捜査管轄外なのだ。
 つまり、山下の協力が必然化していく。

3. 捜査二課第四知能犯第三係により大久保に対するサンズイ事案の捜査が始まると、検察から横槍が入る。当初は送検されても訴追する気はないということを匂わせる忠告だったが、どこから圧力がかかったのか、トップダウンで捜査の中止命令という事態になっていく。それに対し本間係長は表向きは従う体裁をとる。そして、園崎と水沼の二人には潜行し独自捜査を継続するように指示する。いちいち報告しなくてもよいと言う。
 園崎と水沼だけで、大久保の身辺をどう捜査するか。一方、園崎はこの潜行捜査で水沼に後日被害が及ばないようにするにはどうするかとを考え始める。
 二人の潜行捜査に山下と北沢が協力・支援する役割を担っていく。
 サンズイ事案としては、園崎・水沼の捜査プロセスがメインであり、山下と北沢がサポートする。ここが読ませどころとなる。
 少しずつ大久保という人物の実態が明らかになっていく。大久保にはストーカーの性癖があり、起訴には到らず公式の記録はないが、過去にいくつか事件を起こしていた。さらに、偶然にも園崎の妻紗子も大久保にストーカーまがいの行動をとられていた事実が明らかになる。桑原議員を引き出す作戦を山下と北沢が思いつく。
 一方で、園崎は大久保が公設第一秘書という立場で行っている問題事象を明らかにしていく。また、大久保が桑原議員との関係で大きな野望を持っていることも分かってくる。

4. 園崎が轢き逃げ事件の被疑者扱いを受け、それがニュースになると、当然ながら、園崎に対する監査が表に出てくる。徳永という監査職員が園崎に本庁への同行を求めてくる。園崎が監査にどう対応するかという要素が加わってくる。捜査への抑制力となるこの展開も見逃せない。

5. 千葉県警捜査一課の中林は、唐突な捜査をなぜか捜査本部開設までに持ち込み、轢き逃げした車の発見を引き出してくる。だがそこに証拠の捏造が加えられていた。園崎には証拠の捏造と確信できる背景を掴んでいる。だが、それを開示できない状況でもあった。中林は園崎の逮捕状請求まで持ち込むに到る。園崎は己の行動の自由を確保するために逮捕が及ぶまえに逃走する決断をする。
 警察組織の軛を離れることで、園崎は警察官の埒内ではできない反撃行動に出る。己の身の潔白証明と、大久保を窓口としたサンズイ事案の決着をつけるための決定的な証拠の発見に邁進する。勿論、本間・水沼・山下・北沢との連携を図りつつ・・・・。この最終ステージは一気に読ませる展開となっていく。

 ストーリーの全体構成が徐々に複雑になっていく。そこが逆に読ませどころになる。
 警察組織に内在する隠微な体質、組織間の軋轢、政治家に弱い官僚組織の実態などが描き込まれていく。刑事訴訟法の改正により司法取引が可能となったという。そのアプローチをストーリーの冒頭で組み込んでいるのも、時代の推移を取り入れた試みと言える。
 このストーリーには、警察組織に対する著者の批判的視点が各所に盛り込まれているように思う。
 
 奥書を見ると、本書は「小説宝石」に2018年6月号~2019年6月号の期間連載発表された作品の単行本化である。、

 ご一読ありがとうございます。

この印象記を書き始めた以降に、この作家の作品で読んだものは次の小説です。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『失踪都市 所轄魂』  徳間文庫
『所轄魂』  徳間文庫
『突破口 組織犯罪対策部マネロン室』  幻冬舎
『遺産 The Legacy 』  小学館


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