遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『サロメ』  原田 マハ  文藝春秋

2021-04-23 10:23:10 | レビュー
 冒頭の表紙は2017年1月に出版された単行本のもの。2015年から2016年にかけて「オール讀物」に連載として発表された後、このショッキングな聖人殺害にまつわる挿画が表紙に使われて単行本となった。戯曲<サロメ>の象徴的場面である。

こちらは、2020年5月に出版された文庫の表紙。サロメがバプテスマのヨハネの首を見つめるシーンが二通りに描かれているのだ。

 オスカー・ワイルドは戯曲<サロメ>をフランス語で書き、最初は私家版として出版した。少女サロメの要求に応じざるを得なくなった領主ヘロデの命令で、捕らわれていたバプテスマのヨハネの首が切られる。その首が盆に載せられてサロメにわたされた。少女はそれを母のところに持っていくのだ。新約聖書の福音書「マタイ伝」第14章の1節から12節にその話が記されている。そこにはサロメという名は出て来ないが・・・・。当時においては「聖人殺害」という禁断のテーマを取り上げること自体が大きな問題である。それを人気作家・ワイルドはフランス語で戯曲を書いた。それだけでも話題性は十分にある。
  余談だが、調べてみると、単行本の表紙の挿画の方が、芸術雑誌「The Studio」の創刊号(1893年4月)に掲載された「クライマックス」という作品である。フランス語版<サロメ>が出版されたことに呼応して描かれ発表されたイラストレーションである。

 戯曲<サロメ>が英語に翻訳して出版される時には挿画が加えられた。これを描いた画家がオーブリー・ビアズリーである。未だ無名に近いイラスト画家だったが、起用されたのである。
 この小説はワイルドの<サロメ>を大化けさせることになったオーブリーに焦点を当てながら、戯曲<サロメ>に関わりを持った人々とその時代を描き出していく。オスカー・ワイルド。オーブリー・ビアズリー。オーブリーの母と姉のメイベル。英語版翻訳者となったアルフレッド・ダグラス。出版人のジョン・レイン。書店の店主、フレデリック・エヴァンズ。イギリス画壇の重鎮、エドワード・バーン=ジョーンズなど実在した人物と史実をベースに、架空の人物を絡ませていく。史実と仮想を巧みに織上げて創作されたアート・ミステリー風のフィクションである。

 文庫本は未確認なのだが、単行本には目次がない。構成の区切りの要所要所に真っ黒なページが挿入されている。ちょっとユニークな装丁だ。
 本書の構成は、現在時点と過去時点との入れ子構造になっている。その過去がさらに入れ子構造になっているところがおもしろい。まさに二重構造である。そして、それに大きな意味が込められているといえる。

 プロローグは20XX年9月上旬から始まる。まず登場するのは甲斐祐也。彼は東京国立近代美術館の研究員で、ロンドンにあるヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(V&A)に客員学芸員として赴任しほぼ半年が経過した。甲斐は19世紀末から20世紀初頭にかけてのロンドンにおける新興美術と、画家オーブリー・ビアズリーを専門に研究している。ジェーン・マクノイアという女性からコンタクトがあった。彼女はロンドン大学大学院のある研究室に所属し、主にオスカー・ワイルドの研究を手がけている研究員。調査を進めている資料について、直接会って話し合いたいと言う。その待ち合わせ場所が、サヴォイ・ホテル1階のティーサロンだった。ジェーンは甲斐の論文内容を熟知していた。
 ジェーンは甲斐に質問を投げかける。「ユウヤ、あなたは・・・・,<サロメ>は、誰によって書かれたと思いますか?」(p19)と。祐也は勿論、聖書の記述をもとに、ワイルドが自己流の解釈と味付けをして戯曲を書いたことは熟知していた。
 戸惑う甲斐に、ジェーンは自分のトートバックからパラフィン紙に包まれた紙挟みのようなものを取り出した。そして、「<サロメ>です。--未発表の・・・・開けてみてください」と言った。それはパリのある劇場の舞台の床下で偶然見つけられたものだという。

 そして、甲斐が見せられた物語が始まって行く。真っ黒のページがあたかも結界となり、1898年3月上旬、フランスのマントンに時空間が溯る。
 結核の症状が悪化していたオーブリーは母と姉メイベルとともに、マントンのホテルに転地療養のために滞在していた。
 メイベルは、ホテル・コスモポリタンで、エリック・クリエールと名乗る男と知り合うことになる。この出会いが伏線となることに・・・・。

 そこで、再び時空間が転換する。次の結界の先は、1891年7月のロンドンに溯る。ここから始まるストーリーがいわばメインと言える。ストーリーは、19歳のメイベルの視点からまず始まり、時を重ねていく。母とメイベルは結核を患っているオーブリーの看護に長年影のように付き添っている。オーブリーの画家としての才能を二人は信じ切っている。メイベルはオーブリーのためにモデルの役割も果たしてやる。一度、オーブリーは姉にヌードでモデルになって欲しいと要求した。
 画家をめざす弟に対し、メイベルは女優をめざしている。だが、現実は厳しい。
 メイン・ストーリーは、1892年6月に、見聞を広げるためにオーブリーとメイベルがパリに旅行する時期をはさみ、1893年6月までが語られる。
 メイベルは、オーブリーを画家として世に出すために、また自分自身が有名な女優になるために、悪魔に身体を売り渡すことすら辞さないというスタンスを取っていく。そしてオーブリーが敬意を抱くイギリス画壇の重鎮であるエドワード・バーンズ=ジョーンズに面会し、絵を見て貰う機会を作ってやることに。それが、偶然にもオスカー・ワイルドとオーブリーが出会い、ワイルドがオーブリーの絵を目にする契機にも繋がる。そして、オーブリーがエドワード・バーンズ=ジョーンズに面会したことが、彼のその後の生き様を変えていく契機にもなっていく。一方、メイベルは端役であるが舞台に立つチャンスを得る。
 ワイルドとの交流の深まり、パリへの旅行とその意味、1892年8月に20歳になったオーズリーが書店を経営するエヴアンズの仲介で<アーサー王の死>の挿絵を描く仕事を得る経緯が描かれて行く。をオーブリーはワイルドからフランス語で書かれた<サロメ>得ると、そのレスポンスとして、まず後に「クライマックス」と称される絵を描くに至る。「クライマックス」は載らなかったが、雑誌「ペル・メル・バジェット」にオーブリー・ビアズリーの作品が掲載される。それがオーブリーが「画家」として「公式に」デビューを果たしたことになる。後に「クライマックス」は雑誌「ステューディオ」に掲載される。

 オーブリーは自分が目にしている世界と同じ世界をオスカー・ワイルドが目にしていると意識し始めて行く。オスカーが英語版を挿画入りで出すことになったとき、オーブリーがそれを担当するのは必然の流れとなっていく。
 オスカーは<サロメ>の英語への翻訳をオーブリーにさせて出版する腹づもりだったようだ。だが、メイベルがある画策をする方向で事態が動き出す。このプロセスが興味深い。<サロメ>の英語版出版へのプロセスは著者の巧みな創作力が羽ばたいている。メイベルが悪女に徹していく生き様がしたたかに描かれているともいえる。オーブリーの失意とのコントラストと併せて、読ませどころとなっていく。
 出版人はジョン・レイン。英語版<サロメ>は、オスカー・ワイルド原作、アルフレッド・ダラス訳、オーブリー・ビアズリー画という形で出版されることになる。
 ここで一つの区切りができる。

 次は1894年4月から1895年4月5日までが描かれる。
 メイベルがロンドンの中心部にある伝統ある劇場「グレイス・パレス」でシェイクスピア原作の演劇<アントニーとクレオパトラ>にメイベルがクレオパトラ役で大抜擢されて出演している状況の描写から始まり、オスカー・ワイルドが重大猥褻罪で逮捕されるまでの経緯が語られて行く。この時期に、オーブリーが美術監督に就任した雑誌「イエローブック」が出版される。
 著名な作家おすかー・ワイルドは妻子が居ながら男色家だった。「19世紀のイギリスにおいて、男色は、宗教的観点からはもちろんのこと、法律で禁じられていた。つまり、男色家とは、犯罪者の同義語であったのだ」(p11)
 つまり、ワイルドは監獄に収監されて、失墜することになる。
 これがビアズリー姉弟の人生の転換点にもなってしまう。舞台でいえば暗転となる。

 真っ黒のページで、場面はふたたび、フランスのマントンに切り替わる。
 1898年3月16日である。この日の夕方、往診に来た医者が告げる。「今夜が山場です」と。オーブリーはホテル・コスモポリタンの一室で、25年半という短い生涯を閉じた。
 エリック・クリエールはメイベルにメッセージを認めてパリに去る。
 オーブリーの最後の瞬間をメイベルが看取る場面描写は意味深長である。

 真っ黒なページの結界を超えると、エピローグになる。
 興味深いのは、真っ黒のページを結界にして2つの時空間が簡潔に描写されていくことである。
 最初は現在という時空間への戻り。ただし、20XX年11月末、パリのブフ・デュ・ノール劇場にタイムスリップする。
 床下から埃を被った便箋大の紙挟みが発見された現場である。甲斐祐也とジェーン・マクノイアが現場で意見交換をする場面が描写される。甲斐の読んだ「物語」のごく短い最終章。甲斐はそれを脳裡に追いかける。
 真っ黒いページの結界を超えると、もう一つの時空間にタイムスリップする。
 そこは、1900年11月30日。パリにあるブフ・デュ・ノール劇場である。
 それは、甲斐が脳裡に思い浮かべた、「物語」のごく短い最終章、つまり、問題の最終章が描かれていると言える。
 こちらの最後の一行は、
 「照明が落ち、幕が降りる。舞台は闇と静寂に包まれた。」(p322)である。
 このフィクションの最後の一行でもある。

 後で、調べてみると、オスカー・ワイルドが死去したのは1990年11月30日。
 ウィキペディアは、1987年に服役を終えたオスカー・ワイルドは、各地を転々と1900年初夏までさすらった後、パリ6区のホテルに泊り、梅毒による脳髄膜炎で亡くなったと説明している。享年46歳だったという。尚、英語版の説明を読むと死因について複数の異見があることを併記している。つまり、死因は定まっていないのが現状のようだ。
 序でに、オーブリーと姉のメイベルとの間には、近親相姦の噂があったという説もあるようだ。オーブリーについての日本語版、メイベルについての英語版の双方で、この点に言及している。英語版にはメイベルが妊娠し、流産しているという点にも触れている。そういう視点で読むと、著者が微妙な描写をしていると感じる箇所もありフィクションとして読む上では興味深い。
 
 ご一読ありがとうございます。
 
本書を読み、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
サロメ(戯曲) :ウィキペディア
サロメ 日本語訳:白神貴士 オスカー・ワイルド(仏語原本) 英訳:アルフレッド・ダグラス
Salome (play)  From Wikipedia, the free encyclopedia
オスカー・ワイルド     :ウィキペディア
オーブリー・ビアズリー   :ウィキペディア
オーブリー・ビアズリー / Aubrey Beardsley  :「Artpedia アートペディア」
Oscar Wilde   From Wikipedia, the free encyclopedia
Aubrey Beardsley  From Wikipedia, the free encyclopedia
Mabel Beardsley From Wikipedia, the free encyclopedia
Salome (play)   From Wikipedia, the free encyclopedia
サロメ(ヘオディアの娘)  :ウィキペディア
エドワード・バーン=ジョーンズ :ウィキペディア
腎臓たっぷりだもの。イギリス料理「キドニーパイ」が本場でも賛否両論らしい:「macaroni」
ピエール・ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ :ウィキペディア
ギュスターヴ・モロー :ウィキペディア
トマス・マロリー :ウィキペディア
アルフレッド・ダグラス  :ウィキペディア
Lord Alfred Douglas  From Wikipedia, the free encyclopedia
First edition of Oscar Wilde's Salome  :「BRITISH LIBRARY」
Aubrey Beardsley illustrations for Salome by Oscar Wilde :「BRITISH LIBRARY」
The Climax (illustration)  From Wikipedia, the free encyclopedia
オーブリー・ビアズリーのサロメ(1)  :「さきの小さな大発見」
The Yellow Book の表紙  :「BRITISH LIBRARY」
アーサー王の死 :ウィキペディア
ビアズリー「アーサー王の死」:「天牛書店」

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『<あの絵>のまえで』   幻冬舎
『風神雷神 Jupiter, Aeolus』上・下  PHP
『たゆたえども沈まず』  幻冬舎
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