遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『祈りの幕が下りる時』  東野圭吾   講談社文庫

2017-01-09 13:15:36 | レビュー
 刑事加賀恭一郎のシリーズはこれで完結するのだろうか・・・・。この作品の末尾近くで、松宮刑事が加賀宛てに頼まれた手紙を金森登紀子に託すために喫茶店で会った時に、本庁から練馬署に日本橋署にと異動していた加賀が、遂に警視庁の捜査一課に戻ることになったと語る。読者の一人としては、捜査一課に所属する加賀刑事のシリーズをいずれ続けて欲しいなと思うのだが。

 さて、この作品は加賀恭一郎と両親の過去の関係についての謎が明らかとなり、加賀の過去の人生、加賀家の影の部分が解明されることで、一区切りがつき、納め所となるのは事実である。私がこのシリーズで副次的に知りたかったことはスッキリと全体構図がわかってある意味で満足している。
 本書は2013年9月に単行本で出版され、2016年9月に文庫化された。2014年に、吉川英治文学賞受賞作となっている。私は2014年時点で著者の名前は新聞広告で知っていたが、関心の対象が違ったので、受賞作となっていることも意識になかった。
 今回、このシリーズを読み継いできて、なるほどこの作品が受賞するのもうなずける。
 加賀の母・百合子の人生に関わる事実が、日本橋署管内で発生した殺人事件と深い関わりを帯びていくという構想が巧妙にストーリーとして構造化されている。あたかも玉葱の皮を一枚ずつ剥いていくかのごとく、一つの事実の裏に別の事実が隠されていて、新たにそれを追及すると別の事実との関わりから、また一枚裏の事実が見えて来るという・・・・。玉葱は剥けばバラバラになるだけだが、このストーリーの展開では、哀しい事実が幾層にも複雑に絡んでいく。その闇の構造が見え始めると、そこにいくつかの家族の問題が絡み合っているという構図になる。この構図の伏線がかなり巧妙に張られていて、加賀の過去の時点でのある行動が、実はこのストーリーに結びついていたというおもしろい仕掛けも組み込まれている。このストーリーの一つの特徴は、時間軸の長さにある。主な登場人物のほぼ半生の人生史がすべて関係してくる。
 もし、殺人事件の被害者が、幼馴染みの演出家を訪ねていても、明治座での初日の芝居を見るという選択をしていなければ、この小説は存在しないということになる。一つの偶然が、過去の事実の隠蔽のために殺人事件を必然化することになっていく。その結果、全てが暴き出されていくという興味深いストーリー展開に仕上がっている。

 ストーリーの冒頭は、家を出た恭一郎の母・田島百合子が仙台に住みつき『セブン』というスナックで働くようになった時点のことを、その店の経営者宮本康代が回想するシーンから始まる。このストーリーの核になる殺人事件からは26年以上前の事実からスタートする。百合子は仙台に住みつき16年目に体調を崩した後、心不全で亡くなる。宮本康代がそれを発見する。康代は百合子の家族のことは一切知らない。仙台で百合子はある時点から綿部俊一と交際していた。康代は百合子の遺品から綿部の電話番号を手がかりに、連絡を取る。綿部は事情があり仙台には行けないがと言って、加賀恭一郎の連絡先を調べたと康代に連絡をしてくる。康代の連絡を受けて、恭一郎は仙台に赴き、母の住んでいたアパートの1Kの部屋の整理をし、遺骨を受けとることになる。綿部のことについて恭一郎に尋ねられると、康代は顔を見知ってはいるが綿部自身については何も知らないこと、ただ百合子の口から、綿部が東京の日本橋に行くことがあったということを聞いたとだけ告げる。この後、10年以上の歳月が流れる。宮本康代は、東日本大震災と原発事故の後、店を閉じ引退していた。
 その宮本康代に、加賀は松宮とともに再会しなければならない事態になっていく。
 
 ことの発端は、3月30日に葛飾区小菅にあるアパートの越川睦夫の部屋の下、1階に住む住人が天井から異臭のする液体が滴ってくると管理人に告げたことから始まる。部屋から女性の腐乱死体が発見される。住人の越川睦夫は姿を消していた。妹の捜査願いを出していた兄夫婦が警察署から連絡を受け、東京に身元確認をするため、妹の髪の毛のついたブラシその他を持参した。捜査の結果、指紋照合とDNA鑑定の結果も踏まえ、被害者は押谷道子と判明する。
 兄の話から、押谷道子が滋賀県にあるハウスクリーニングの会社に勤めていて、3月8日(金)の通常勤務を終え、11日からは欠勤していたこと、週末にちょっと贅沢しようかなと本人が同僚に語っていたと言うことがわかる。何らかの理由で東京に出て来ていた時に事件に遭遇したのだ。

 そのころ、3月12日の深夜に新小岩の河川敷に作られたテント小屋が焼け、ホームレスの焼死体が発見された。行政解剖の結果首を絞めて殺されていたという事実がわかる。殺人事件が発生していたのだ。捜査に携わる松宮は2つの事件の発生場所が荒川の近くであり、約5キロの距離なので、関連がないかと問題提起する。

 松宮は坂上刑事と彦根に赴き、押谷道子の勤務先及び関係先で上京前の行動の後付けの聞き込み捜査から始めて行く。押谷道子の仕事上の関係先の施設「有楽園」で一つの情報を入手する。一時預かりとなっている厄介な女性がその施設に居た。押谷道子が彼女を目にしたとき、その女性がアサイヒロミの母ではないかと訊いていたという。その女は人違いだと拒否する。松宮に応対した女性は、押谷がアサイヒロミさんは東京で芝居の仕事をしているということを言っていたという。その問題の女性に面談した松宮は、アサイという名と押谷道子の死を話したときに、女の反応に気づく。捜査の糸口となる感触を得る。
 そして、ネット検索により、演出家で脚本家そして女優「角倉博美、本名浅居博美、出身地滋賀県」という人物が浮かび上がってくる。
 角倉博美演出の芝居『異聞・曾根﨑心中』が明治座で上演中だということがわかる。
 殺人事件との関係は不明だが、押谷道子が東京に出かけた契機が見え始める。

 加賀が日本橋署に赴任して間もなくの頃、加賀の剣道の経歴を知った署長から、日本橋署主催の少年剣道教室の講師を頼まれ、加賀は仕方なく引き受けたことがあった。そのとき、芝居の関係で子役に急遽剣道を習わせたいとして、演出家の角倉博美が付き添ってきたことがあり、加賀は一度角倉博美に会っていたのである。

 さらに、松宮が2つの事件の関連性を指摘したおり、扼殺の可能性のある焼死体のDNA鑑定で一旦無関係という結果が出ていた。しかし、加賀が、警察がDNA鑑定に選びそうなものを別人のものとすり替えておいた可能性を指摘する。そのことから、別のDNA鑑定が行われ、焼死体がアパートの住人である越川睦夫と判明する。
 また、捜査に関わる会話で、越川の部屋にあったカレンダーに、常盤橋とか日本橋という名称の書き込みがあったことが話題になる。加賀がそのことに異常に反応したのだった。加賀には引っかかることがあった。
 加賀の母、亡き百合子に関わる私的な事情と現在捜査中の事件に、なぜか接点が出て来たのである。捜査は紆余曲折を経ながらも、加賀からの私的資料の提供もあり、捜査の進展に速度が加わっていく。

 この小説のおもしろいところは、無関係に見える事象に接点が見え始め、それが網の目の如く相互に繋がっていくところである。そして、表面的に整合しているかに見えた事象に、さりげなく修正され隠蔽された陰の部分があること。それの部分を加賀が掘り下げていくアプローチの仕方にある。普通なら気づきにくい部分に切り口を発見し着実に掘り下げていく。そして、地方紙に載った事件に鋭く光を投げかけていき、裏付け捜査を行っていく。
 その先に、誰もが考えなかったカラクリが事件の捜査を複雑にする要因となっていた事実が姿を現してくる。
 捜査は物証がモノを言う世界である。加賀が着実に動かぬ証拠を積み上げていくプロセスが興味深い。加えて、DNA鑑定というものが重要な要因となっていく。さまざまなフェーズで、違うアプローチによる資料に基づくDNA鑑定が組み込まれていく興味深さがある。
 フィクションとしてのこのストーリーの構築は緻密である。

 この小説をうまく成立させている要素の一つは、各地の原子力発電所を渡り歩く原発作業員の存在を組み込んだところにある。それも、原発作業員の一局面にある雇用構造の陰の部分を巧みに織り込んでいる。あくまでフィクションとしての組み込みであるが、そこにはなぜかリアリティを感じる局面がある。折々に読んできた原発関連ルポルタージュとダブらせて想像できる部分があるからかもしれない。あくまで推測にすぎないけれど・・・・。

 「祈りの幕が下りる時」という本書のタイトルについて、ここが直接の由来かと言える箇所は、私の読んだ限りではなかったと思う。
 「幕が下りる時」という直接的関連で言えば、角倉博美、即ち浅居博美が演出した明治座での『異聞・曾根﨑心中』が、無事に千秋楽を迎えることになる。浅居博美にとり、演出した芝居が大成功で幕が下りることを祈っていたのは間違いはない。そういう意味では、演出家浅居博美にとって芝居の幕は無事に下りた。
 加賀にとっても母・百合子の哀しい人生をしっかりと受け止めたいという祈りの思いについては、思わぬところから現実に発生した殺人事件を契機に、見えなかった事実の側面が明らかになって行く。そしてそれは、加賀の母の人生に対する気持ちの一線を引き、幕を下ろす時でもある。

 加賀がある人に問いかける言葉をご紹介しておこう。
 「つい最近、知り合いの看護婦からこんな話を聞きました。死を間近にした人がいったそうです。子供たちの今後の人生をあの世から眺められると思うと楽しくて仕方がない。そのためには肉体なんか失ってもいいと。親は子供のためなら自分の存在を消せるようです。それについて、どう思われますか」(p321)
 ここには、親の視点に立った「祈り」に関わる局面がある。

 事件の早期解決を目指し、捜査に取り組む警察官にとって、事件が解決するのは「祈りの幕が下りる時」でもある。

 この加賀恭一郎シリーズがこの作品で完結と考えるならば、シリーズが好評の内に幕を下ろすというのは、著者の願うところだろう。この作品は、執筆者にとっても、「祈りの幕が下りる時」である。受賞作として幕が下りたのは喜ばしいことだ。

 このタイトルには実にさまざまな意味合いが重層しているように私は思う。

 加賀恭一郎シリーズの幕を下ろしてはほしくはないのだが・・・・・。

 ご一読ありがとうございます。

人気ブログランキングへ
↑↑ クリックしていただけると嬉しいです。


ふと手に取った作品から私の読書領域の対象に加わってきました。
次の本をまずは読み継いできました。お読みいただけるとうれしいです。
『赤い指』 講談社文庫
『嘘をもうひとつだけ』 講談社文庫
『私が彼を殺した』  講談社文庫
『悪意』  講談社文庫
『どちらかが彼女を殺した』  講談社文庫
『眠りの森』  講談社文庫
『卒業』 講談社文庫
『新参者』  講談社
『麒麟の翼』 講談社
『プラチナデータ』  幻冬舎
『マスカレード・ホテル』 集英社



最新の画像もっと見る

コメントを投稿