遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『ブラタモリ 3 函館 川越 奈良 仙台』 監修:NHK「ブラタモリ」制作班 角川書店

2021-02-04 10:51:23 | レビュー
 本シリーズの第3弾に、近畿の奈良が入っているのでこれを続きに読む事にした。本書には2015年5月30日から7月18日までの放送番組のエッセンスがまとめられている。
 本書の基本構成コンセプトは繰り返しになるがまずご紹介しておこう。
  *ブラタモリの番組放映のテーマについて、番組の流れに沿って論点を説明。
  *番組では語り尽くせなかった部分の補足説明(番組出演した研究者等のVOICE)
  *番組で採り上げた地域の観光スポットのガイド
  *同行アナウンサーの番組裏話 本書だと桑子真帆さんのトーク
である。

 函館では夜景と五稜郭を連想し、仙台では伊達正宗、「杜の都」という言葉とさとう宗幸の「青葉城恋歌」を私は連想した。だが川越からは連想が浮かばなかった。この本に取り上げられた地域の放送番組を視聴していない。それ故私はこの3地域については未訪の地として、活字と写真を通じて、楽しみながら学ぶことになった。川越は特にゼロ・ベースでの新情報であり、この地に興味が湧いてきた。関西からは手軽に行けないのが残念!

 順番に本書の各地域について学んだ事項を覚書として要約し、若干の読後印象も付記する形でご紹介しよう。本書並びにオリジナルの番組の関心への誘いになれば幸いである。

<函館> 
テーマ1 「レールはどう函館を目指す?」
 青森駅から函館を目指すと言う形で、本州と北海道がどのように繋がってきたかが明らかにされていて興味深い。青函トンネルから初めて青函連絡船に溯っていく展開になっている。トンネルも船も知らなかったことばかり・・・・おもしろい。
*青函トンネルは勿論海底トンネル。トンネルの入口から出口までの延長は約53.9km。
 1964年に着工し約22年に及ぶ難工事を経て1985(昭和60)年に貫通。開業は1988年。
 世界一長く、深い場所を通る。津軽海峡の海底まで140m、さらに100m下にトンネルの最低点がある。青函トンネル内のレールには継ぎ目がない。レールが溶接でつながれ実質1本になっているという。
*2016(平成28)年3月、北海道新幹線が開業。青函トンネルは最初から新幹線開通を想定した大きさで工事が行われたという。
*トンネル入口で警笛を響かせる(始まりの咆哮)。これはトンネル内の作業員へ知らせるため。その後は52.6kmの静寂と、最低点からの叫び(列車が最低点から上がるときのモーター音) ⇒この3つの声が鉄道ファンの楽しみという。
*北海道新幹線のレールへの積雪はエアジェットで雪を吹き飛ばす。新幹線で初の試み。
*新幹線開業後、木古内駅-五稜郭駅間は第三セクターの道南いさりび鉄道が運営。
*かつては、函館駅の先に旧函館桟橋までレールが繋がっていた。連絡船との接続。
*国鉄青函連絡船は1908(明治41)年3月から1988(昭和63)年3月まで80年間運航。
 青森-函館間を3時間50分で35万往復したという。
*連絡船は今は記念館となっている。函館市連絡船記念館摩周丸。船底は4線のレールが敷かれた車両甲板。一編成の貨物列車を4分割してそのまま積み込む方式。

テーマ2「函館の夜景はなぜ美しい?」
*函館は海岸段丘の地形で、坂道は海食崖。函館山はかつて要塞建設の際に山頂や尾根が削られた。その結果、海や山が一望できる景観となった。負の遺産から正の遺産に。
*函館は明治から昭和初期に太火が頻発。特に昭和9年の大火は大参事に。
 函館の坂道は道幅広く、直線的なものに改善。豪商相馬哲平が多額の寄付で貢献した。
坂道の直線化が夜景を美しく見せる。
*火山噴火が函館山を作り、山と陸地を砂州がつなぎ陸繋島となる。
 砂州がくびれを形成。夜景を美しくみせる一因に。
*函館山が溶岩の隆起というのは、南東側の立待岬でみられる柱状節理でわかる。

<川越> 「なぜ川越は小江戸と呼ばれる?」
*埼玉県川越市は東京からおよそ30km北東方向にある。
*商都川越と江戸は約300年間、新河岸川の舟運による物資運搬で密接に繋がっていた。
*かつての新河岸川は「九十九曲がり」と称され、人為的な蛇行で水嵩を増す工夫をした。
*「川越五河岸」が栄えた。下新河岸の旭橋付近に船問屋が軒を連ねた。
 下船問屋「伊勢安」が1軒だけ現存する。
 また、地元の人により「ひらた舟」が再現されている。
*寛永15(1638)年の大火で喜多院が焼失し、将軍家光の別殿が移築され、客殿となった。
 当時の住職は天海大僧正。喜多院は川越を代表する名刹。仙波東照宮がある。
*明治26(1893)年の川越大火でまちの3分の1を焼失した。
類焼を免れたうちの1軒が寛政4(1792)年に建てられた土蔵造りの店舗兼住居(大沢家住宅・重文)だった。
 東京から江戸職人(大工や左官など)を呼び、明治期の東京・京橋の町並みを写し、蔵造りの町並みが形成された。「江戸黒」と呼ばれる町並み。 ⇒「小江戸」と呼ばれる由来
*川崎の大火の後、「時の鐘」も再建された。元は川越城主・酒井忠勝の創建。
 鐘つき堂の高さは16m。現在は通常1日4回自動で鐘撞きが行われているとのこと。

<奈良> 
テーマ1「奈良発展の秘密は”段差”にあり!?」
*奈良の地名の由来には、人が踏みならした、平らな土地だったという説もある。
*平城宮跡はまっ平ら。しかし、平城京に付け加えられた「外京」は高所にある。
 そこには東大寺・興福寺があり、現在の奈良の町の中心地である。
 ここは奈良盆地東縁断層帯上の高台になる。
*「外京」は近鉄奈良駅を境に東側が高い台地になる。
 興福寺境内地の崖の西側に東向商店街(登大路から三条通りまでの南北の区間)がある。興福寺に敬意を表し、戦国時代までは商店が東向きに建てられていたという。この名の由来は知らなかった。
*平城京遷都の中心人物は藤原不比等。藤原氏の氏寺である興福寺を高台に建てた。
 その理由は寺の権威を表すためといわれる。かつては北円堂から平城京を一望できた。
*現「ならまち」は、元興寺の衰退によりその境内地に興福寺関係者や商人が集まり、商業地となった地域。元興寺の一部がその町の中に残った。⇒直線でない通りができた理由。
 現在の「奈良町物語館」の建物内には、かつての元興寺金堂の礎石が床下に残る。
*春日大社の第一殿~第四殿は横並びになっているが、土台には微妙な段差がある。
 「御蓋山が神体山だから人の手を加えてはいけないという思想」で傾斜地のまま整地せずに本殿が建てられた。
*興福寺とならまちを結ぶ動線の交点は、率川(いきがわ)に架かっていた橋、絵屋橋跡地付近。つまり谷底のような地形。かつては高台の聖地に対し、谷底の俗社会という関係・位置づけだった。
 明治期に元林院町には花街があり、隣接する南市町は周縁的遊興地だった。

テーマ2 「観光地・奈良はどう守られた?」
*「奈良のシカ」は春日大社の神(武甕槌命)の使い。現在約1200頭が居て、国の天然記念物に指定されている。
*創建当時の大仏殿は現大仏殿(高さ約48m、間口約57m)の約1.5倍の規模だった。
*戦国時代から江戸中期までの約140年間大仏殿はなく、大仏は野ざらし状態だった。
 大仏殿の再建は寄付を募って賄われた。大仏殿再建を支援したのは徳川綱吉。
 大仏には奈良・鎌倉・戦国・江戸各時代の修復の痕跡が残る。首から上は江戸時代の修復による。細部をみれば各時代のツギハギだらけ。
*奈良県生駒市にある長福寺の修復作業の見学を文化財保護事業の一事例に
  ⇒時代の材料が混在。残すことが修復の基本。プラス新技術導入事例を兼ねる。
   文化財建造物の修理周期は、解体修理で200~300年、屋根の葺き替えは100年。
   補強する判断は文化財の価値を損なわないかとのせめぎ合いだという。

<仙台>
テーマ1「伊達政宗は『地形マニア』!?」
*仙台は3つの河岸段丘(下町段丘・中町段丘・上町段丘)の上にできた城下町だった。 城下町は北西が高く、南東に向かってゆるやかに傾斜している。
*平野部は過去何度となく洪水や津波等の災害に襲われた平野だと知っていたようだ。
*伊達政宗は広瀬川の上流から4つの谷を越える「四ツ谷用水」(総延長40km以上)を造り、城下を潤した。谷を越えるのに松の板材製箱樋<幅5尺(1.5m)×高さ5尺>を使用した。上町段丘と中町段丘の「へり部分」に用水を通した。
*四ツ谷用水(本流)は梅田川と合流する一番低いエリアでは排水の役割も担っていた。
*大崎八幡宮の太鼓橋の下をかつては四ツ谷用水が流れていた。今は暗渠で痕跡のみ。
*仙台では町人のまちは「町」、武士のまちは「丁」と使い分けした。用水はその境を流れた。四ツ谷用水は城下の地下に水をためることにもなり、井戸の恩恵をもたらした。
*現在仙台市博物館のある三の丸の裏手から本丸に上がる道が築城初期の登場路と推定。
*仙台城の三方は自然の要害で、北側のみに石垣が造られた(本丸北壁石垣)。

テーマ2「杜の都・仙台の秘密とは?」
*杜の都・仙台のシンボルは定禅寺通となっている。だがそのケヤキの植樹は戦後のこと。
*杜の都と称えられたのは江戸時代からである。現在裁判所がある片平丁あたりの武家屋敷の屋敷林がルーツ。政宗があくまでも実質本位の植樹政策で、食材として実のなる樹木、燃料や建材となる杉や松を植えさせた結果である。
*仙台城の城下町は整然とした碁盤の目状の区割りだが、JR仙台駅東側には角度が少しずれた町割りがある。それは政宗が第2の城「若林城」を造り、いわば副都心が形成された結果である。だが、己の死後、廃城にするよう厳命した。藩の行く末を案じ、一国一城令への気配りをしたと言える。若林城跡は現在宮城刑務所になっている。
*政宗が若林城を築城した真意は不詳のまま。仙台城の本丸は山城で住むのには不便。
 二代忠宗はやや低地の山麓部に二の丸を造り、ここで政務をとったという。
 その跡地が東北大学のキャンパスになっている。
*仙台には五大祭りがあることを本書で初めて知った。
  「仙台・青葉まつり」「仙台七夕まつり」
「定禅寺ストリートジャズフェスティバルin仙台」
「みちのくYOSAKOIまつり」「SENDAI光のページェント」。

 いつか、未訪地に、ぶらっと旅をしてみたいな・・・・と思う。

 ご一読ありがとうございます。

本書の関連で、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
青函トンネル  :「JRTT 鉄道・運輸機構」
青函トンネルの構造  :「JR北海道 北海道旅客鉄道株式会社」
青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸 青森市港湾文化交流施設 ホームページ
函館市青函連絡船記念館 摩周丸 ホームページ
夜景  :「函館市公式観光情報」
旧相馬家住宅 ホームページ
相馬哲平 :「函館市文化・スポーツ振興財団」
川越散策に行こう! ホームページ(甘味処 川越 あかりや)
「川越」に関するまとめ記事  :「RETRIP」
川越大師 喜多院 ホームページ
華厳宗大本山 東大寺 ホームページ
法相宗大本山 興福寺 ホームページ
真言律宗 元興寺 ホームページ
ならまち 情報サイト
仙台城跡―伊達政宗が築いた仙台城―  :「仙台市」
「仙台城(青葉城)」伊達政宗が築いた最後の砦!仙台のお城巡り⑥:「GOGO MIYAGI」
四ツ谷用水再発見事業  :「仙台市」
「四ツ谷用水」と河岸段丘を巡る仙台地形散歩=散策コース地図付き=:「むらごんの思い込みWeblog」
四ツ谷用水をめぐるアレコレ。 :「仙台市環境Webサイトたまきさん」
若林城とは  :「仙台市」

    インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ブラタモリ 7 京都(嵐山・伏見)志摩 伊勢(伊勢神宮・お伊勢参り)』 角川書店
『ブラタモリ 10 富士の樹海 富士山麓 大阪 大坂城 知床』  角川書店




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