遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『たゆたえども沈まず』  原田マハ  幻冬舎

2020-09-12 12:02:16 | レビュー
 1962年7月29日、オーヴエール=シュル=オワーズにあるラヴー食堂の入口で、店の主人らしき男と初老の日本人でゴッホの研究者がもめている場面に、2年前に70歳で機械技師を隠退したフィンセントと名乗る男が偶然に立ち合うことになる。この場面からストーリーが始まる。フィンセントが明かさなかったので、日本人研究者は知らずに別れたのだが、そのフィンセントと名乗る男は、フィンセント・ファン・ゴッホの弟・テオドロス(以下、テオと略す)の息子だった。
 このフィンセントが川の傍で青いインクでフランス語の文字が綴られた一通の古い手紙を繰り返し読む。それは、「親愛なるテオドロス」へ「ハヤシ タダマサ」が送った手紙だった。そこにジュウキチという名が記されている。ふいの突風が吹き付けフィンセントはその手紙を奪われ、手紙は川の真ん中にひらりと落ち、たゆたいながら流れ去った。
 この古い手紙の短い文面が、この後のストーリーの人間関係へとすごく自然にかつ巧みに読者を導いていく。一方、後で振り返ると、風に奪われてこの手紙が流れ去り後世に残らなかったということが、このフィクション創作にとって巧みな設定になっていることに気づいた。

 そこから時間は、1886年1月10日に溯る。その日、フランスに着いた加納重吉がパリのオートヴィル通りにある「若井・林商会」を訪れる。日本美術品をパリで売る当商会社長・林忠正にフランスに来いと呼ばれたのだ。このストーリーは、その時点から1891年5月中旬までの期間を描く。そこではフランスの19世紀後半の美術市場の状況が全体の背景となる。時代はジャン=レオン・ジェロームを筆頭とするフランスのアカデミーの画家たちの全盛の時代から、印象派とけなされた画家たちが逆に印象派という語句を逆手にとり、新興の画家一派として自らの存在を主張し認められ始めていく時代への過渡期である。かつヨーロッパに「ジャポニスム」が浸透し印象派の画家たちに大きな影響を与えて行く時代でもある。日本美術を讃美する「ジャポニザン」を自称することが、パリの文化人やブルジョワジーたちにとりちょっとした流行になった。その渦中での、様々な画商たちと画家たち、並びに画商と画家の関係、美術業界での駆け引きなどが、史実にフィクションを織り交ぜた創作として描かれて行く。

 特に焦点が当たっていくのがゴッホ兄弟である。兄のフィンセント・ファン・ゴッホは現代では印象派に続く世代の確固たる画家の一人として世に知られている。だが、フィンセントは オーヴエール=シュル=オワーズで自殺を試み、下宿の一室で弟のテオに看取られながら死んだ。その生涯に数多くの絵を描き、画商である弟に送り続けた。ファン・ゴッホとして知られる画家の絵で、彼が生きている間に売れたのは一作だとされる。また数枚という説もあるようだ。つまり、フィンセントの生涯という期間でみると、彼は美術界において無名の画家に留まったのだ。無名の画家である兄の絵の価値を信じ、兄フィンセントを資金的に支え続けたのはグーピル商会に務める画商で弟のテオだった。
 
 このストーリーは。日本美術品をパリで販売する美術商・林忠正と日本から呼び寄せられてこの商会に務めることになった加納重吉が眺めたフランスとパリ。叱責されながらも指導され、美術商として成長していく重吉の姿と重吉の思いが描かれる。パリに在住し美術業界で仕事をする日本人の立場・境遇と視点があきらかになる。
 このストーリーの中核は、テオと重吉が出会い、二人が交流を深めて行くプロセスを描くことにあると思う。そこに、テオの立場から見た敬愛する兄フィンセントの姿、並びに画家として己の絵を描こうと苦闘する兄の絵の真価を信じ、弟のテオが資金的に支援するという関係での経緯や悩みが描き込まれていく。重吉はテオを介して画家フィンセントと彼の絵を知ることになる。そしてテオの立場も。また、林忠正は重吉を介して、テオを知り、フィンセントの絵を知り、さらに独自にフィンセントの絵の価値について、己の感性で評価をしていく。また、日本美術品を手段としてその支援も行う。

 グーピル商会のパリ店に務める画商のテオは、フランス芸術アカデミーの巨匠とアカデミーの画家たちの絵を専ら売るという仕事をしてきた。だが、印象派の絵と接し、兄の絵を見て、彼は新しい美術の世界に目を向け、その美に引きこまれて行く。だが、現実の画商としてはアカデミー派の絵を褒め、それを売りさばき、自分が真に売りたいと思う絵を扱えないという実態に苦悩するという側面も描き込まれていく。兄への仕送りをし、オランダの母たち家族に仕送りをするには、アカデミー画家の絵を売り続けねばならないのだった。最後には、新興の画家たちの絵も扱えるように、時代は変化していくのだが・・・・。
 このストーリー、主にテオと重吉の視点からフィンセント・ファン・ゴッホの半生を知ることができる。また、フィンセントを支えた弟テオ自身の生き方を知ることができる。勿論、史実にフィクションが加わっているという前提があるが・・・・・。

 さて、読後に少しインターネットで調べて見た。勿論ゴッホ兄弟は実在した人物。林忠正もまた「若井・林商会」を運営し、パリにて日本美術品を商った実在人物である。ジャン=レオン・ジェロームやジュリアン・タンギーもまた実在した人々。
 加納重吉は著者が創作しフィクションとして加えた人物のようである。さらに、ゴッホ兄弟が生きていた時期に、林忠正がゴッホ兄弟との接点を持っていた痕跡は残ってはいないようである。

 本書のタイトル「たゆたえども沈まず」はパリのことだと言う。著者は林忠正が重吉に「そう。・・・・たゆたえども、パリは沈まず」と語って聞かせるシーンを描き込む。また、忠正に助言され、フィンセントが己の「日本」を探し求めてアルルに移住する。そして、フィンセントが己の耳を切るという自傷行為を起こした。テオを重吉と共にアルルの病室を訪れる。そして、兄がラテン語で言ったうわごとが「たゆたえども沈まず」というフレーズだったと描写する。

 本書には記述がないが、テオが亡くなった後、テオの墓は兄の墓の隣りに再埋葬された。ファン・ゴッホ・ミュージアム美術館のホームページには
A year later, Theo also passes away. His wife Jo knows the strength of their brotherly love, and therefore arranges for Theo to be reburied next to Vincent.
と、記されゴッホ兄弟の墓が並ぶ写真が紹介されている。

 私にとっては、兄ゴッホを金銭的に支援した画商の弟というだけの一行の知識を、フィクションを交えてとはいえ、パリにて画商として生き、必死に兄を支援したまるで一心同体のような弟の人生についてイメージを広げる機会になった。また、全く知らなかった林忠正という美術商についても知る機会となった。タンギー爺さんの絵は知っていたが、ジュリアン・タンギーという人を知る契機にもなった。

 本書は、「パピルス」(2014年12月号~2016年8月号)、「小説幻冬」(2016年11月号~2017年9月号)に連載された後、加筆修正し、2017年10月に単行本化された。2020年4月に幻冬舎文庫本の一冊となている。
 
 ゴッホ・ファンには、お薦めの一冊である。ゴッホについて関心のなかった人にとっても、ゴッホの絵への誘いとなる小説と言える。

 ご一読ありがとうございます。

本書に関連する史実部分の事項をいくつかネット検索してみた。一覧にしておきたい。
グーピル商会 :ウィキペディア
起立工商会社  :ウィキペディア
林忠正  :ウィキペディア
サミュエル・ビング  :ウィキペディア
エドモン・ド・ゴンクール  :ウィキペディア
ジャン=レオン・ジェローム  :ウィキペディア
3分でわかるジャン=レオン・ジェローム 印象派大嫌い、でも、弟子はカサット。新古典派の巨匠ジェロームの生涯と作品  :「ノラの絵画の時間」
フィンセント・ファン・ゴッホ  :ウィキペディア
テオドルス・ファン・ゴッホ   :ウィキペディア
ゴッホの考察サイト ホームページ
有名な「13歳のゴッホの写真」、実際は「弟のテオ」だったと判明 :「HUFFPOST」
ファン・ゴッホ・ミュージアム Van Gogh Museum  英語版ホームページ
   美術館に行こう  日本語のページ
ゴッホ美術館 :ウィキペディア
タンギー爺さん  :ウィキペディア
タンギー爺さん フィンセント・ファン・ゴッホ  :「This is Media」

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こちらの本も読後印象を書いています。お読みいただけるとうれしいです。

『風神雷神 Jupiter, Aeolus』上・下  PHP
『アノニム』  角川書店





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