遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『ブラタモリ 7 京都(嵐山・伏見)志摩 伊勢(伊勢神宮・お伊勢参り)』 角川書店

2021-02-01 10:48:25 | レビュー
 たまたまこのシリーズがNHK「ブラタモリ」制作班の監修で出版されていることを知った。最初に読んだのが、『ブラタモリ 10 富士の樹海 富士山麓 大阪 大坂城 知床』である。先日ご紹介した。ブラタモリをある時点から見始め、この番組を好きになった。時に見落としている時もある。本化を知ったので、シリーズを溯って読んでみることにした。
 そこで、このシリーズは身近な地域、あるいはかつて何らかの要件で訪れたことのある地域を含むものから適宜読み進めてみることにした。
 そうするとやはり、「京都」から始めることになる。ブラタモリの二度目を楽しむことが目的だが、自分が生まれ育ち、訪れる頻度も多いエリアや対象物が含まれていると、さらに重ねて楽しめるというか学び直す機会にもなった。今回の「京都」ではその感が強い。ああ、そうだったのか・・・・知らなかったなぁ・・・・という部分が多々あった。
 伊勢・志摩は大昔に修学旅行で訪れた思い出がある土地。本書を読むことで、改めて歴史的視点を含め地域に関わる知識の一端を整理できた。いつか再訪してみたい気になった。

 第10弾を読み進めているとき全く意識しなかったことで、今回気になり試してみたことがある。それは本の各所に地図が掲載されていて、その地図の傍にQRコードが併載されていることだった。何だろうと思って少し試してみた。Googleマイマップにアクセスできるということが理解できた。スマホに掲載の地図を取り入れて地図を見ることができるのだ。遅ればせながら知ったことになる。後で見開きの目次ページを確認すると、左下に「QRコードの使い方」として説明されていた。本に掲載の地図の部分を一瞬に取り込み、地図を拡大して見ることもできて便利だと思った。

 さてこの第7弾のご紹介に入ろう。本書の構成も最初に読んだ第10弾とその構成コンセプトは同じである。
 *ブラタモリの番組放映内容のテーマについて、番組の流れに沿って論点を説明。
 *番組では語り尽くせなかった部分の補足説明(番組出演した研究者等のVOICE)
 *番組で採り上げた地域の観光スポットのガイド
 *同行アナウンサーの番組裏話 本書だと近江有里恵さんのトーク
である。
 観光旅行をするなら、予定の観光スポットにジャストミートしなくても、そのスポットを含む地域について、このシリーズに出ている地域だけを読んで行くと背景情報として奥行が広がることと思う。観光旅行の質が高まることになるだろう。

 本書に取り上げられた地域について、本書から学べる事項を抽出・要約しておきたい。私自身の再訪のための覚書でもある。

<京都 嵐山> 「嵐山はナゼ美しい!?」
*景色の美しさを感じるのは、上30度下30度の構図の中に山や川が収まるときである。
  これが山と川と橋の黄金率。嵐山に欠かせない美の要素がバランスよく収まっている。
*天龍寺の曹源池庭園は嵐山(後景)を借景に、断層崖の斜面(中景)を取り入れ、平地に大きな池(前景)を作るという作庭に美しさの秘密がある。
*嵐山の美しさは平地と山の境目”へり”にある。夢窓疎石が選定した「天龍寺十境」は6ヵ所現存する(大堰川・曹源池・嵐山・渡月橋・戸無瀬の滝・亀山)がその共通点となっている。
*嵐山の美しさは山の急斜面が生み出している。その急斜面は断層によって作られ、本来は地下にあるチャートが地上に現れたもの。急斜面は木の1本1本が際立って見えて美しい。
*嵐山の景観美は室町時代以来、天龍寺の管理により植林を連綿として続けてきたことによる。『天龍寺年中記録』(享和元年/1801)に、茶屋を出す者は嵐山に桜を2~3本植えつけることを申し渡すという記録が残る。自然美に人工美が加えられ維持されている。
*嵐山の美のパイオニアは秦氏である。秦氏の墓「狐塚古墳」の存在。
*嵐山の天龍寺となる場所に、中世に亀山上皇が奈良の吉野から数百本の桜を移植した。夢窓国師が作庭をする際にも、桜の移植を継続した。「一目千本」と呼ばれる桜の植栽地点もあったという。

<京都 伏見> 「伏見は”日本の首都”だった!?」
*安土桃山時代という名称の中の「桃山」は伏見である。江戸時代、伏見城が廃城となった場所に桃が植えられたことに由来する。
*伏見城の本丸にあたる場所は今は明治天皇の陵墓となっている。現在の模擬天守からでも、360度の大パニラマが広がる。
*土木マニアの秀吉は、地形の等高線を無視し、直線的な通りと町並みを伏見に築いた。
 「直線を見たら、秀吉と思え!」傾斜地に伏見の城下町が形成された。
*桃山断層の地形を境にして、西側(下)を町人の町、東側(上)を大名の町と区分した。大名の町は、傾斜地を雛壇状に土地を造成整備した。
*「伏見」は「惣構」の縄張り図の都市。江戸期以降、「惣構」の水堀は運河として活用された。
*「黒田節」は伏見の福島正則の屋敷で行われた酒宴でのエピソードから誕生した。
 家臣母里太兵衛が大きな盃の酒を飲み干したことで名槍を貰い受けた「呑み取りの槍」
 現在も「桃山福島太夫南町」の地名がその屋敷跡に残る。同様に大名に由来する町名が多数現存する。それは伏見が首都であった証拠でもある。

<志摩> 「志摩の宝は絶景が生んだ!?」
*英虞湾を抱く志摩半島は、海岸段丘のリアス式海岸であり、黒潮のもたらす温暖により照葉樹林が繁茂する。それが志摩の絶景を生み出す。シイやカシなどの樹林。
*海底の水平な堆積層(堆積岩)がプレートの動きに押されて縦に立ち上がった。岩石の弱い部分が河川や波で削られてギザギザになり、海の生物の宝庫にもなった。
*志摩の宝は①アワビ、②波切のカツオ節、③英虞湾での養殖真珠
 志摩には2000年前から海女さんがいたと言う。志摩半島で最盛期6,000人。現在800人ほど。
 波切を含む紀伊半島沿岸はカツオ節発祥の地と言われる。志摩は「御食国(みけつくに)
 明治26年(1893)、鳥羽で世界初の真珠の養殖に御木本幸吉が成功した。
*志摩の宝には、さらに「アサオ」(青のり)がある。一大養殖産地(全国生産量の35%)
*アコヤガイに貝ひも(外套膜)から切り出した小片(ピース)と貝殻で作ったまん丸の核が挿入される。ピースの細胞が細胞分裂し、核を包み込む真珠袋を形成する。真珠袋から真珠質が分泌され、真珠層が巻かれていく。真珠が形成される。

<伊勢 伊勢神宮> 「人はなぜ伊勢を目指す?」
*伊勢神宮の正式名称は単に「神宮」。
  内宮(皇大神宮) 祭神は天照大神 太陽の神と伝わる。
  外宮(豊受大神宮) 祭神は豊受大神。天照大神の食事を司る。衣食住の神。
*内宮の正殿は五十鈴川の河岸段丘の高台に位置する。地盤がしっかりしている。
*内宮と外宮は現在では同年に「式年遷宮」が行われる。20年に1度。
 祭事はその8年前から始まる。次回は2033年で、祭事の始まりは2025年。
*伊勢神宮は「唯一神明造(正殿)」という独自の社殿建築。
 礎石を使用しない掘立式。切妻・平入の高床式。棟木の両端を棟持柱が支える。柱は12本。
 屋根を支えているのは、柱ではなく、柱より上に出ている壁板。
 木造部分はすべて檜の素木(しらき)。木材は全部ひとつの山の木だけ(「御杣山」)
*社殿の建て替えと併せ、奉納する神宝・装束もすべて寸分たがわぬ形で新調される。
 奉納される神宝・装束は714種、1576点と膨大。
*正殿の構造は、同様に神明造の「御稲御倉(みしねのみくら)」を見ることでわかる。
*正殿の屋根と柱の隙間がなくなると、柱が屋根を支えるようになり、屋根の重みを受けなくなった壁板には隙間が生じることになる。湿気や害虫の侵入の因に。そうなるまでの期間がおよそ20年という。

 「伊勢神宮参拝ガイド」が境内のイラスト図と主要建物等の写真付き説明で載っている。参拝順路が決まっているようだ。

 外宮は「火除橋」が参拝の出発点になる。橋を渡ると神域。一方、内宮は五十鈴川に架かる「宇治橋」を渡り、鳥居をくぐって右折し参道を進んで「火除橋」を渡り、第一鳥居の先で「御手洗場」に至る。
 ふと思ったのは、なぜ「宇治橋」という名称なのだろうかということ。その名称のいわれは本書に説明がなかった。課題が残った。

<伊勢 お伊勢参り>
*伊勢参拝の隆盛は、伊勢の「御師(おんし)」と呼ばれた人々の存在に負う。
*伊勢の御師は、日本全国に伊勢信仰を広めて全国を行脚した神職のこと。
 神宮の中での祭祀にはたずさわらない下位の神職をさす。
 門前町を拠点とし、全国の各地に「檀家」と称する専属契約を結んだ得意先をつくる。
   内宮の門前町は「宇治」、外宮の門前町は「山田」と称した。
*御師邸は、伊勢参りの人々の宿泊・飲食と名所案内、御神楽奉納などの一切をまとめて世話をした。御師はいわばコンシェルジェの役割を果たした。旅館業が生業だった。
    伊勢講が一般的なお伊勢参りのスタイルで、皆で金を積み立てて
    かわるがわる伊勢をめざす。
    御師邸の神楽殿で御神楽奉納が行われた。御神楽にはランクがあった。
*かつて山田には611軒、宇治には272軒の御師の家があったという。
*御師の布教道具:お札(外宮の場合「豊受太神宮御祓大麻」)、伊勢みやげとして「めひび」と呼ばれたメカブと伊勢暦
*外宮と内宮を結ぶ参宮街道の中間に「間の山」と呼ばれた尾根があり、「古市」と呼ばれる一大歓楽街があった。参拝の後の楽しみの場所。遊郭だが歌舞伎小屋や料理旅館もあったという。
*外宮門前町山田と伊勢湾を結ぶ勢田川の水運が、「お伊勢さんの台所」として、川沿いの町・河﨑という問屋街を栄えさせた。その繁栄は戦前まで続いた。
*江戸時代、伊勢では「山田羽書(はがき)」と称する日本最古の紙幣が流通した。
 信用力が高く、桑名などでも使われた。山田羽書をモデルに諸藩が「藩札」を発行した。
*明治に国家が神道を管理するようになり、御師制度が廃止された。
*内宮に延びる現在の国道23号は、大正9年(1920)には「東京ヨリ神宮ニ逹スル路線」として国道1号に定められていた。つまり、東京が始点、神宮が終点だった。
*近畿日本鉄道(近鉄)の宇治山田駅は昭和6年(1931)に伊勢を目指す人々のために開業された。大阪からの日帰り参拝を可能にした。
*内宮の門前町は、江戸時代の伊勢の町並みを思わせ、「おはらい町」と呼ばれ一大観光地になっている。これは「伊勢市まちなみ保全事業」として、ここ二十数年間での改修による成果である。伊勢は式年遷宮をきっかけに変化する町。

 温故知新という側面を多く盛り込んだ内容になっていて、なかなかおもしろくさらりと読めて楽しめる。あらためて放映された番組の動画を見られれば改めてビジュアルなおもしろさを味わえることだろう。

 ご一読ありがとうございます。


本書に関連し、関心事項をネット検索してみた。一覧にしておきたい。
天龍寺 公式ホームページ
世界遺産・京都「天龍寺」の名庭園!紅葉の見どころ&見ごろは?:「LINEトラベル」
夢窓疎石  :「コトバンク」
夢窓疎石により作庭された庭園 :「庭園ガイド」
嵐山おすすめ観光スポット~現地スタッフ厳選 BEST20~  :「マイトリップ」
伏見城下絵図  :「古地図コレクション」
豊臣秀吉が築いた「伏見城」と伏見の街  :「三井住友トラスト不動産」
現在の伏見桃山城と豊臣期の伏見城の場所比較 :「伏見・お城まつり2019」公式サイト
伏見の見どころ   :「KEIHAN 京阪電車」
47. 英虞湾  :「閉鎖性海域ネット」(環境省)
鮑取り 喜多川歌麿  :「東京国立博物館 画像検索」
海女習俗  :「三重県」
海女について  :「海女小屋 相差かまど」
海とともに~鳥羽・志摩の海女~(三重県制作) YouTube
平成26年度鳥羽・志摩の海女漁技術「海女の一日」English  YouTube
かつおの天ぱく(志摩市)で鰹いぶし小屋見学!  :「観光三重」
御木本幸吉  :ウィキペディア
ミキモト真珠島 ホームページ
神宮 ホームページ
  神宮の歴史・文化
伊勢の御師と旅人たちの伊勢参り :「せとうち観光専門職短期大学」
旧御師丸岡宗大夫邸  :「まちかど博物館」
年間400万人が参拝した江戸のツアー!お伊勢参りを先導した御師のビジネスモデルが凄かった  :「日本文化の入口マガジン」
伊勢参宮図屏風  :「名古屋市博物館」
おはらい町  :「伊勢市観光協会」
おはらい町  :ウィキペディア
伊勢古市参宮街道資料館 ホームページ
山田羽書を知る  :「伊勢川崎商人館」

    インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ブラタモリ 10 富士の樹海 富士山麓 大阪 大坂城 知床』  角川書店



最新の画像もっと見る

コメントを投稿