遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『駐在刑事 尾根を渡る風』  笹本稜平  講談社文庫

2021-01-31 12:21:21 | レビュー
 このシリーズの第2弾。現時点で単行本あるいは文庫本となっているのはこの第2弾までと思う。単行本は2013年11月に出版され、文庫本化は2016年10月である。
 「駐在刑事」のタイトルの由来は最初の『駐在刑事』の読後印象記で述べているので再掲しない。本書も短編連作集であり、5編の短編が収録されている。
 この第2弾も奥多摩の水根駐在所所長として駐在する江波敦史を中軸にした物語。奥多摩で発生する事件は主に地区外に原因があるものが多い。駐在所警察官としての役割と行動範囲の限界をわきまえながら、本庁から青梅署刑事課強行犯係係長に異動してきた南村陽平警部とうまく連携していく。彼等が事件の捜査と解決を目指す姿が描かれて行く。
 このストーリーは、奥多摩の自然環境を背景に山岳小説の要素が加わっていて、山好きには楽しめる内容となっている。池原旅館の息子・池原孝夫が江波の山岳捜索に協力していく行動が清々しい。私は関西に住んでいるので、奥多摩の山々やその自然環境は知らないが、本書での描写から奥多摩の山々や自然をイメージし、楽しみながら読んだ。ほぼ一気読みだった。

 この第2弾にはさらにいくつかのおもしろさ、興味深さが加わる。
1) 第1作で名誉巡査部長の称号を授与され、見かけはほとんどラプラドール・レトリ-バーで「プール」と名付けられた雌犬が、江波の相棒然として常時登場すること。プールがどんな活躍をするかを楽しめる。称号授与の経緯は第1作のストーリーに出てくる。
2) 妻に先立たれ、老人性鬱病を患い、ある殺人事件に巻き込まれた内田省吾。この事件は第1作に収録されている。その父の世話を兼ね、バツイチで実家に戻っている娘の遼子は、町立図書館に司書として勤めている。彼女もまた山好きである。江波もバツイチ。
 省吾が巻き込まれた事件を契機に、江波と遼子の間に、心の通いあう部分が出来始めた。これがどのように進展していくか。池原孝夫は江波に対し遼子のことを話題に出し始める。江波と遼子の心情が時折ストーリーに織り込まれていく。興味津々・・・だがそこは緩やかな遅々たる進展・・・・で読者に一層関心を抱かせる。
3) 孝夫がある事件をきっかけにして寺井純香と交際を始めていく。孝夫と純香の関係がどのように進展して行くか。それがどのようにストーリーに織り込まれていくか。江波はこの二人の関係を暖かく見守りながら、時には孝夫の反応を楽しむ会話ネタにしていく。孝夫の反応描写が楽しみになる。
4) 本庁では旺盛な出世欲を抱き事件捜査を掻き回すだけの管理官の下で振り回されていた南村が管理官の軛を離れた。先輩刑事だった江波とどのように連携プレイしていくかという楽しみが加わる。
 *本庁捜査一課時代、江波は南村より先輩。警察官の階級も江波が1つ上だった。
 *水根駐在所は青梅警察署地域課の組織下にある。駐在所の管轄エリアは限定される。
  南村は同署の刑事課強行犯係長。青梅署の所管地域全体が管轄エリアになる。
 *江波は本庁時代と同じ警部補。南村は昇進し警部補に。二人の階級は同格になった。
 二人の関係は以前と比べて変化した。この点がどう影響していくかである。事件捜査のうえで影響が出るか。影響は出ないか。
 読者としては楽しめる要素が増えたと言える。

 さて、収録された短編のそれぞれについて、内容への導入と簡単な読後印象を記しておこう。
<花曇りの朝>
 この短編の最初に「駐在刑事」の由縁について触れられている。この第2弾から読み初めてもタイトルのネーミング経緯がわかるようになっている。
 孝夫が江波にチャムと呼ばれる犬探しの依頼をする。池原旅館に宿泊した50代半ばの寺井という女性客が御前山に連れて行った犬を見失ったのだという。翌日は駐在所勤務の休日であり江波はプールと共に、孝夫に協力して私人の立場で御前山に登る。プールが何かを見つけた。孝夫が確かめると、それは違法となっているトラバサミという罠だった。チャムの首輪も見つかる。だがチャムの消息は掴めなかった。
 孝夫は、自然公園管理センターへの問い合わせをした時に、あちこちの避難小屋におかしな男が出没し嫌がらせ的な行動をしているという話を聞いたということを、犬の捜索中に、江波に情報として伝えた。
 月曜日、午前中のパトロールから江波が戻った頃に、南村が駐在所に訪れる。山梨で起きた会社社長殺人事件の容疑者を甲府市内のホームセンターで目撃したという証言がもたらされ、その買物内容から容疑者が山に逃亡している可能性が高まり、広域捜査の事案になっているという。
 そんな矢先に、純香の母が犬探しに山に登ったと言う連絡が孝夫に入る。
 行方不明の犬の捜索にその飼い主の捜索が加わり、さらに殺人事件容疑者の広域捜査が重なるというけんのんな状況が生み出される。
 トラバサミの発見から事態はおもしろい方向に展開し、意外な結末になっていく。

<仙人の消息>
 最近の江波と遼子の間柄の描写から始まる。だがこれは地元で仙人と呼ばれるようになった田村幸助についてのストーリーである。奥多摩に現れた時は普通の登山者。そのうち、ほとんど毎日山のどこかで見かけられるようになる。2年目に入ってから、登山スタイルが急変した。鈴をつけた金剛杖、木製の背負子、キャンバス製の頭陀袋、地下足袋と脚絆に。そこで仙人のニックネームがつく。その仙人をここ半月のあいだ、誰も見かけていないという。勿論、遭難届が出ている訳でもない。池原旅館の主が江波に相談を持ちかけた。
 江波は一度連絡をとってみると約束した。江波は3年前に水根駐在所に出されていた登山届の緊急連絡先に記されている女性のところに電話してみた。電話口に出たのは男だった。男は凄みを利かせた口ぶりで江波に応対した。だが、半月前に自動車事故に遭い、全治3ヵ月の診断にかかわらず、1週間前に勝手に退院したという情報を江波は得た。江波が男の応対に違和感を持ったことから、江波は南村に話をしてみる。南村が少し動いてみると言う。
 一方、図書館司書の遼子は図書館でアクセスできるデータベースから田村幸助がアメリカの有名な化学賞の金メダルを受賞していたという情報を得て、江波に知らせる。
 田村幸助とその家族のことが、少しずつ明らかになっていく。このプロセスが読ませどころである。このストーリーのキーワードは「身内の不祥事」。ここではダブルミーニングとして使われている。そこが興味深い。

<冬の序章>
 駐在所の定休日、江波は雪の切れ間から覗く青空を見て、水根を起点・終点として鷹ノ巣山へのコースを登ろうと決める。孝夫が同行すると言う。水根ストアの一人娘真紀がプールに声をかけたことが切っ掛けで、江波たちは真紀から一つの懸念を聞くことになる。男と女の二人連れが普通のスニーカーにジーンズ、セーターという軽装で榛ノ木尾根の登山口に行くのを見た、危ないと感じたというのだ。
 トオノクボの広場で江波たちは一休みしようとした。その時プールが何かを見つけた。急峻なガレ場の下方に頸を骨折していて冷え切った遺体を発見。その男の顔を見た孝夫は高校の先輩で、バイク泥棒の濡衣を着せられその後本当にグレた木村和志だと言う。真紀が語った二人連れだとすると、このあたりには女の姿はなかった。状況を考え、江波は南村の携帯に連絡をとった。
 立ち入り禁止のロープが断ち切られていた。だが事件性の判断の有無は難しい事案だった。翌朝の捜索でヘリも飛んだが女性は発見できなかった。司法解剖の結果、死因は低体温症と判断された。課長判断で捜査は打ち切りになる。
 だが、そこから南村と江波はやはり女の行方を追うという行動を取る。境駐在所所長から南村に一つの情報の連絡が入った。
 12月に入ってしまう。江波は登山道のパトロールという口実で許可を得て、孝夫と再度遺体発見現場を調べてみる行動をとった。プールがまたもや何かを見つけた。
 一旦閉じられた事件ファイルをこじあけるという行動が思わぬ事実を掘り当てるというストーリーの構想と展開がおもしろい。

<尾根を渡る風>
 この短編のタイトルが本書のタイトルに使われている。この連作集の中では、やはりこの短編が一押しである。読者に感動を呼び起こすストーリーと言える。
 江波がトレイルランニング(山岳マラソン、山岳耐久レース)の練習を奥多摩湖を望む山道で行っている場面から始まる。これを始めたのも孝夫に誘われたことが契機だった。このストーリーはこのトレランとの関わりが深まっていく。読者はトレランというスポーツを知る機会にもなる。
 朝のパトロールに出ようとしたとき、遼子から携帯に連絡が入った。ここ2週間くらいほとんど毎日、通勤の行き帰りに、いつも同じ車があとを尾けてくると言う訴えだった。いつも途中から現れて、途中で姿を消すという。単なる偶然とは思い難い。まだ被害を受けていないとのことだが、ストーカー行為を懸念した江波は遼子に車のナンバーを控えているか尋ねた。そのナンバーを聞き、パトカーの端末からその所有者を検索した。所有者は河野利之。彼の年齢と遼子が言う運転する男の年齢とは相違する。親の名義の車を息子が使っていることも考えられる。後に、遼子は図書館の貸出登録に河野弘樹という人が居るということに気づく。車の所有者の住所と一致し、年齢は25歳。
 孝夫は河野弘樹という名前を聞き、去年のトレランの本大会で五位に入賞した男を思い出す。大会主催者のホームページから孝夫は完走者のリストと河野弘樹が写っている写真を印刷してきた。勤務帰りに駐在所に立ち寄った遼子はその写真の人物から図書館で奥多摩や奥秩父の登山の歴史本について質問を受けたことを思い出したという。
 遼子が図書館の駐車場に駐めていた前輪タイヤ2本がナイフのようなもので切り裂かれてパンクしていたという事件が起こる。
 河野がトレーニングとして奥多摩を走っているなら、江波はさりげなく河野と接触する機会を作れると考える。孝夫もそのトレランのトレーニングに付き合うと言う。
 河野弘樹の生育環境と心理に深く関わって行くストーリーである。
 この短編のタイトルは、末尾の段落に記述されたフレーズに由来する。爽やかさを感じさせほっとするエンディングになっている。

<十年後のメール>
 江波に孝夫から連絡が入った。宮原和樹の父親からの電話で、10年前に、当時22歳の和樹は雲取山を目指していたが途中で消息を絶ったという。雲取山周辺の捜索活動では本人はおろか遭難の痕跡すら見つからず、捜索は打ち切りになり、単なる失踪者として記録されるに終わった。その父親のパソコンに10年前に発信されたメールが1週間前に届いたというのだ。電子メールでは起こり得ることだという。写真が1点添付され、文章は「助けて」の一言だけのもの。その写真のアングルが、池原旅館のホームページに孝夫が撮って載せている写真の背景と同じなのだという。それが縁での問い合わせだった。
 10年前の捜索では、和樹の登山計画との関係から奥多摩側は捜索対象範囲に入っていなかった。これでは警察が動かない事案になる。江波は個人的な伝手で情報を収集する行動をまず始めた。
 和樹の父親は鷹ノ巣山のその写真の撮られた場所に登ってみたいと孝夫に言ったという。孝夫は純香のアドバイスを得て、尋ね人のポスターを作成するという気合いの入れようだ。江波は私的にこの山行に同行し、また父親から詳しく話を聞く。和樹と父親の関係がわかってくる。それはまた江波が父親自身を知る機会にもなる。
 その後、遼子が駐在所にやってきて、図書館の新聞データベースで10年前の遭難事故の記事を探してみた結果を江波に示した。遼子が宮原という姓でうっかり検索した結果入手した記事も含まれていた。それは和樹の遭難日と同日に奥多摩町内の青梅街道で起きた追突事故の報道記事だった。江波はその報道記事に着目する。
 そして、和樹に関わる事実が明らかになっていく。
 父と息子の人生観の違いが生み出す悲劇。10年の歳月の経過が父の歩む方向を定めていく。興味深い構想の短編になっている。

 そろそろこのシリーズの第3弾が出ないだろうか。それを期待したい。
 ご一読ありがとうございます。
 
この印象記を書き始めた以降に、この作家の作品で読んだものは次の小説です。
こちらもお読みいただけると、うれしいかぎりです。
『駐在刑事』  講談社文庫
『漏洩 素行調査官』  光文社文庫
『山岳捜査』  小学館
『公安狼』   徳間書店
『ビッグブラザーを撃て!』  光文社文庫
『時の渚』  文春文庫
『白日夢 素行調査官』  光文社文庫
『素行調査官』  光文社文庫
『越境捜査』 上・下  双葉文庫
『サンズイ』  光文社
『失踪都市 所轄魂』  徳間文庫
『所轄魂』  徳間文庫
『突破口 組織犯罪対策部マネロン室』  幻冬舎
『遺産 The Legacy 』  小学館


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