宮応かつゆきの日本改革ブログ

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ヒトラーはスターリンの変質を知っていた。「スターリン秘史 巨悪の成立と展開=第9章」を読む

2013年09月12日 | 綱領関連

 「第9章」は、「1938年9月29日、ミュンヘンから世界に衝撃が走りました。~イギリスとフランスが、ヒトラーの要求を丸のみし、チェコスロバキアの領土ズデーテンの対ドイツ割譲を認めたのです。当のチェコスロバキア政府は意見を求められることさえなく」。この緊急事態に対応すべく、ディミトロフとコミンテルン書記局との緊迫した電報のやりとりが紹介されています。しかし、「スターリンからなんの指示もなんの助言もこないのは、なぜだろうかーー」(「前衛10月号」208頁)

 「第9章」の中でも、不破さんの「新しい史実」の解明や推論が躍動的に展開されています。そうした中で、私が特に刺激的に受け止めたことは、「ヒトラーがスターリンの変質を知っていた」ということでした。スターリンの「大テロル」に対しての、不破さんの、「ドイツ側が、もちだされた『ドイツ・ファシストとトロツキーらとの約束事』が事実無根であることを指摘すれば、スターリンのシナリオは無残に崩壊せざるを得ない性格をもっていました。しかし、ドイツ側は、この問題で最後まで沈黙を守ったのです。その点では、ヒトラー・ドイツは、スターリンノの『大テロル』のなによりの援護者となったのでした」

 そして、不破さんの分析は続きます、「おそらくヒトラーは、スターリンの『大テロル』の内実を知りうる立場にあっただけに、スターリン治下のソ連が、革命とも社会主義とも無縁な専制国家となりつつあることを興味深く観察し、そこから対ソ連政策のさまざまな可能な選択肢を考慮しはじめていたのではないでしょうか」(同誌、210頁)

 不破さんは、こうした分析・解明の根拠のひとつに、次の外交文書を紹介しています。「1939年4月から41年6月のドイツのソ連攻撃まで、2年2カ月にわたるドイツ=ソ連両国の外交交渉について、ドイツ側が記録した外交文書を収録した『ナチ=ソビエト関係 1939~1941年』です」(アメリカ国務省が1948年1月に発表したもので、同年、読売新聞社から、邦訳され、刊行された)

 1939年3月10日(同月21日まで)、ソ連共産党は第18回党大会を開催しました。その年の5月、「ドイツのりッべントロップ外相は、ベルリンに帰っていた駐ソ大使シューレンブルクを呼んで、『共産主義はもはやソ連には存在しない。コミンテルンはいまや、ソ連の対外政策の重要な要素ではなくなった。したがって独ソ間にはイデオロギー上の障害はない』というソ連観をのべた」(同誌、214頁)ことが明らかにされています・

 この年の8月31日、ソ連最高会議に、モロトフが独ソ不可侵条約の締結ついて報告。その内容は、「帝国主義、覇権主義の2匹の狼が、6カ国にわたる他国の領土の分け取りを取り決めた近代史にも例を見ないあからさまな略奪条約であり、それを締結した行為こそは、スターリンが覇権主義的な領土拡大の道に公然と足を踏み出した第1歩にほかならなかった」(同誌、231頁)のです。