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卍の城物語

弘前・津軽地方の美味しいお店と素晴らしい温泉を紹介するブログです

津軽観音巡礼第十九番 義経寺

2009-02-05 04:52:56 | 神社・仏閣
津軽三十三霊場カジュアル巡礼第十九番札所の義経寺へ行く。

小泊の海満寺から竜泊ラインで竜飛を通って義経寺へ。が、理想のコースなんだが、竜泊ラインは冬季閉鎖してます・・・。通った事ないからなんとも言えないが、観音巡礼者の為に除雪してはくれまいか、行政よ。
海沿いだからそんなに積雪あると思えないけど、交通量がないから仕方なしか。

国道339号線をひたすら北上し、中里で途中、県道14号線に乗り換え、蟹田方面へ。さらに県道12号線に乗り換え北上。今別町を通り、三厩へ。
弘前を出発した時には天気は晴れだったが、ここまで来たら吹雪になってきた・・・。
そして国道280号線に入り、海沿いドライブ。少しばかり走ると国道沿いに義経寺はある。

古くは鎌倉時代~、源義経は兄の頼朝と不和になり、平泉の藤原秀衡のもとに逃れるも、息子の奉衡は頼朝に恐れをなし、義経を急襲し、義経は自刃する。これが史実であるが、義経は悲劇のヒーローとして讃えられ、各地で実は生存していたという伝説が数多くある。その中でもこの三厩が代表の地として挙げられる。
義経は平泉を逃れ、南部、八戸、三沢、六ヶ所、平舘、油川、今別を通り、そして三厩へ辿り着く。そして蝦夷へ向かおうとしたが海が荒れて渡れなかった。
義経は念持仏の白銀の千手観音を奉安し、三日三晩祈願した。すると老人が現われ、三頭の竜馬を与えられた。その竜馬に乗り、義経は蝦夷へ向かったのである~。

義経の念持仏は、僧の円空が発見し、流木を彫って観音像を安置し、竜馬山観音堂とした。その後明治に入って本覚寺の末寺となり、義経寺となった。


太宰治の小説「津軽」でも太宰は友人と三厩を訪れ、途中義経寺にも寄っている。そこで義経伝説に疑問を持ち、不良青年が義経と弁慶を名乗って田舎者をたぶらかしたに違いない云々との記述があってなかなか楽しめながら読める。

義経寺は小高い丘の頂上にある。境内までの階段の前には厩石と呼ばれる巨岩がある。
もとはこの岩の麓に観音堂があった。
この巨岩は義経が乗った竜馬が繋がれていたとされる。三頭の馬の屋があった場所から、三馬屋(みんまや)の名が付いた。

長い曲がりくねった階段をヘエコラ登る。途中津軽海峡が眺望出来、頂上まで登りきり、境内に入るとそこからの眺めは更に絶景となる。
天気が良ければ北海道の渡島半島まで望めるが、何故かこの時間吹雪いていて悲しかった。

綺麗な門をくぐり、まず観音堂があり、右手に弁財天堂と観音石像と釣鐘、左手に金毘羅大神社殿と売店、奥に義経寺本堂がある。

観音堂は開いており、自由にお参り出来る。ここでこの観音霊場、十九番目となって初めて観音像本尊を拝見出来た。
冬季だからか、観音堂は大抵施錠されているか、時間外で見られないか、後は重要に保管されているかで一度も拝見した事なかったが、ここにきてやっと観音様を拝む。綺麗な金色の聖観世音菩薩です。ありがたや。丁寧にお参りして後にする。

最後に義経寺のご詠歌
~陸奥の いわれをここに 来て三馬屋 浪打ちぎわに 駒ぞ勇める~

住所・外ヶ浜町家ノ上76
電話・0174-37-2045

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