Jerry Emma Laura Piano

Mina, Dalida, Barbara, Laura, Lara....美人大好き! あっ、Mihoが一番好き

源太郎、、、長野へ向かう

2016年07月25日 | 毎日の話
予定の北陸新幹線のかがやき発車時刻にはまだ余裕がある。ので、喫茶店に入り、新刊の井上ユリさんが執筆した、姉・米原万里、を購入して今読んでいる。井上ユリさんは井上ひさしさんの奥様。
米原万里さんは天才的なロシア語の同時通訳者、もう亡くなってしまったが、本当にすごい人だった。姉妹のエピソードが満載の本。楽しみだ。
では、良い一日を。

どろ亀さま、、、リクエストにお答えして

2016年07月24日 | 毎日の話

絵画を作成しているどろ亀さんから、チェスキークルムロフをもう少し描きたいとのブログがアップされていたので、参考となるか、そして気に入った構図があるかわかりませんが、フイルムスキャンしてアップします。もし使えそうなものがありましたら、どうぞお使いください。

チェスキークルムロフの全体像を彼女たちに紹介してもらいましょう(看板なんですがね)。本当に川の蛇行した一角にこの街はあります。街並みもいいのですが、川べりのカフェもいいですよ。では、チェスキークルムロフを散策しましょう。(写真の羅列です。手抜きですいません。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ラウラ、、、ほっといてアタシは休日なの。

2016年07月23日 | 毎日の話

ジェリーは源太郎の横で寝ているし、ラウラはMihoちゃんの横でまったりしている。

源太郎ちょっと近所を携帯もって、散歩してきた。(何のことはない、覚えたてのゲームの練習。これが結構ゲットできる。やるじゃん)

「結構捕まえたよ。でもさ、バッテリーが結構減るんだよね」

「当たり前でしょ。つなぎぱなしだもの」

「日本中でどんだけパッテリーを消費しているんだろうね」

東京都知事投票会場にポケモンを出没させたら、「投票率がぐっと上がるだろう」何て考えるのは不謹慎かもしれないが、やっぱり歩きスマホは危険だからこの案は却下だな。でも仮に一人が1Wh台使ったとして、全国で10,000,000台の消費電力は10,000KWh、これを1時間ごと、22万円ぐらい電気量を消費することになる。チリも積もればすごい消費だ。すえおそろしいので、源太郎は、もう体験したからやめることにした。

「おい、ラウラ何してんだよ」

「おかぁしゃんと一緒にいるの。邪魔しないでよ」

「どうせ、すぐ寝るんだろ。お腹いっぱいだし」

「うるさいんだから、あっちに行って」

「そうかい、でも目が閉じてきたよ」

「本当にうるさいんだから。今日は休日なの」

「お前、毎日休日だろ」

もうすぐお昼だ。阿蘇のうどん屋さんが懐かしい。高菜ご飯もいいよね。そして、円形水路ももう一度見に行きたいなぁ。通潤橋も観光客戻ってきたかなぁ。「だご汁」もいいよね。

 

 

 


ラウラ、、、どこに隠れているの?

2016年07月22日 | 毎日の話

今日はずっと涼しい、そしてどんよりした雲が空を覆っている。

関東以外は暑いというのに、どうしたことか。昨日は小田原周辺で豪雨、そして関東は地震も多い。

夏なら、夏らしい天気になれよといいたいが、気象予報士さんたちも「はい、梅雨明けです」とはっきり言わない。みんな曖昧にしているから予報をしていない。だから天気もはっきりしないんだよ。と言ってみても仕方ない。まあ、富士山の姿も見えないから「源太郎予報」もあてにならないが、ラウラの太陽光発電システムは明快で、日中はこんな状態だから今日は天気は回復しないだろう。ところで、ラウラはどこに行った?

夏休みで、今日は金曜日だから今夜は台北で夕食なんて思って機上の人になっている人も多いいだろう。そこで、台北の夜市や九份(文字化けするかな。ニンベンに分)の小さなお店を散策している人もいるだろう。そこでそんなお店のスナップ写真をアップしておこう。少しでも夏休みの雰囲気を味わってみよう。

夜市は、色鮮やか。果物屋さんや飲み物を売るお店。

 

 

 

昼間の台北を離れ、九份(ニンベンに分)へ。台北の北東部の九分は海を眺められる街。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、本当は台中の集集大地震の記念館がオススメなんだよね。こんなに可愛い学生さんが説明してくれるんだよね。

 

明日は土曜日。勉強でもするかな。その前に映画を鑑賞です。

 

ラウラを発見。そこで何してるの?

 


源太郎、、、映画を楽しんでいる  So In Love 名曲だなぁ

2016年07月20日 | 毎日の話

 ラウラは、おにいしゃんに抱かれて得意な顔をしている。大抵、自由にさせろと抵抗するが、おにいしゃんに抱かれると、これが完全に無抵抗。やっぱりラウラも若い娘だということ。

 

 病院から帰って、昼食を食べる。そしてちょっと時間があるので、TVをつけてみると地上波はワイドショウ、BS放送は古い刑事ドラマや韓流ドラマばかり。本当にテレビ局は制作費がないんだろうなぁと思う。

 

 映画も同じで、邦画はみんな「・・・製作委員会」と称し、誰もリスクを負いたくないので「赤信号みんなで渡ればこわくない」そんな仕組みになってしまった。だから、映画がみんなつまらなくなった。(誤解しないでほしいが、関西人は、”赤信号、車が来なけれゃ渡ればいい”という合理主義なのだ。関東人とは違う)

 

注)  製作委員会方式とは、アニメ・映画・テレビ番組などの映像作品や、演劇・ミュージカルなどの舞台作品を製作する際の、さまざまなリスクを回避するための方式・手法のひとつ。

 

 話題を変えて、今日ブログにコメントいただいた「マダム・グラハンさん」と本の話題で会話(コメントのやりとり)を楽しんだ。素晴らしい行動力をお持ちの方で、本をAmazonで早速購入されたようだ。そして「源太郎は、本だけはAmazonを使わない」その理由は?と聞かれたので、理由は大したことではないが、こんな理由。

 

 源太郎の若い時は、本は高価だった。専門書になるとちょっと手が出なくて、先輩が退職する時に何冊か頂いたし、コピー機械なんてなかったから、必要な箇所はノートに書き写した(時代錯誤かと言われそうだが)。退職された方から手紙を頂き、好きな本をあげるよと言われ、長野まで行った思い出がある。それほど本には思入れがあった。

 

 Mihoちゃんと結婚することになった時、何か欲しいものないと言われ、「・・・ハンドブック」が欲しいと言って、数万円する本を買ってもらった。今でもその本は大切に、そして今でも使っている。欧州に旅した時も、本屋を訪れ、美しい装丁の本を手にとってため息をついていた。安曇野にある緑山美術館にある古い本の装丁は憧れだ。

 

 Mihoちゃんから「源太郎蔵書」の判子をプレゼントされ、今もそれを愛用している。古本屋に売るとこの判子が押されていると価値が下がるが、売る気もないし、売ろうとも思わない。本当に邪魔になると図書館に寄贈すればいい。

 

 で、なぜAmazonを使わないかというと、仕事柄大きな本屋があったことも要因の一つだが、手に持って、感覚を感じて、購入したい。ただそれだけだ。メグライアンが主演した、ユーガットメールという映画があったが、あの小さな本屋さんで買いたいと思う。それが一番の理由だ。これで、答えになっているだろうか。

 確かに、Amazonは便利だよね。だんだん都内の本屋さんも書籍の数が減っている。レコード屋さんも同様だ。どんどん在庫がなくなってきている。そしてみんなお取り寄せ。そんな時はAmazonが便利。でも本当にそれで物を買う楽しみがあるのだろうか。そんな風に感じるのは、もう希少価値、いや絶命危惧種の仲間入りなのかもしれない。

 

 またまた、話は変わって映画。

仕方なく、「De Lovely」という映画を今見ている。「五線譜のラブレター」と言った方がいいのかと思う。

 

Begin the Beguine 

 

ビギンのリズムが聞こえてくると

あの夜の甘い音楽が

私の耳元に流れてくる

南国の魅惑に満ちた 素晴らしい一夜の出来事

あの夜の思い出が 鮮やかに蘇る

あなたともう一度 夜空の下で抱き合い

静かな浜辺では オーケストラが音楽を奏でる

椰子の木までも そっと揺れている

ビギンのリズムが かすかに響く

あの日に戻ることは もはや虚しい望み

あの曲が聞こえる時だけ 私の心は熱く燃える

あの夜 あなたと 永遠の愛を誓ったのに

決して離れないと 約束したはずなのに

崇高な ひととき 輝かしい歓び

不吉な雲が現れて 幸せをかき消してしまった

失われたチャンスを 人々は呪うけれど

私には その悲しみが 痛いほどわかる

だから ビギンのリズムを 奏でないで

消したはずの恋の炎に 再び火をともさないで

あの熱い想いは 眠らせたままに

思い出すのは ビギンのリズムが 聞こえる時だけ

 

そう、あの作曲家のコール・ポーターの映画。

 

不思議な気持ち でも真実の想い

君のそばにいると感じる 愛する人よ

星が空を埋め尽くす

あまりにも 君を愛している

たとえ 君がいなくても

僕の腕は 君を抱きしめる

愛する人よ わかっておくれ

それほどまでに 君を愛している

あの神秘的な夜 君に恋をした

初めて君が 僕の前に現れた夜

夢のような喜びで 恋に落ちた

嘲られても 傷つけられても

裏切られても 捨てられても

死ぬまで僕は君のもの

それほどまでに

それほどまでに

あの神秘的な夜 君に恋した

初めて君が僕の前に現れた夜

想いに応えてくれると知り

夢のような喜びで 恋に落ちた

嘲られても 傷つけられても

裏切られても 捨てられても

死ぬまで僕は君のもの

それほどまでに

それほどまでに

君を愛している いとしい人よ

君だけを

あの神秘的な夜 君に恋をした

初めて君が僕の前に現れた夜

想いに応えてくれると知り

夢のような喜びで 恋に落ちた

嘲られても 傷つけられても

裏切られても 捨てられても

死ぬまで僕は 君のものそれほどまでに

それほどまでに

君を愛している いとしい人よ

君だけを

 

大好きなLara Fabianが登場する。こんな映画は、日本ではヒットしないだろうなぁ。


Mario Frangoulis & Lara Fabian - So In Love in Mario with Friends

 

ラウラは、昼寝としゃれこんでいる。幸せな娘だなぁ。


源太郎、、、病院で抱腹絶倒 田丸公美子さんのエッセイを楽しむ

2016年07月20日 | 毎日の話

病院の待ち時間は長い。早めに受付を済ませたが、何せ人生の先輩方々の憩いの場所。どう見ても病人じゃない方々(お元気な方々と解釈いただきたい)が、楽しそうに会話している。

 

受付のお嬢様たちから「まいど」という声が聞こえそうで、バーの常連さんの如く、「今日も綺麗やねえ」とシワシワの親父が嬉しそうに声をかける、そんな待合室に源太郎が座った。

 

イヤホンをして、単行本を開いて静かな時間を過ごそうと思っている源太郎には、この連中の対角線で会話する老人たちが鬱陶しい。「・・さん今日は来ていないね」「具合でも悪いのかな」「いや、来週だろ。薬が切れるのは」「そうそう、・・さんの所はこの前嫁が出て行ったらしいよ」「何処の」「ほれ、あすこの、あの・・さんだよ」「そうかい。あのカミさんが」「違うよ。嫁だよ」・・・・・・生産性はなく、三秒で終わる話も、延々と続いている。

 

「・・・さん、診察室にお入りください」と看護婦さん(看護師と言わなければならないらしいが、看護婦でなければ意味がない。ナースキャップをかぶった野郎を想像してほしい。失礼の段おゆるしください)の声も大きい。杖をつきながら歩く老婆、それを支える老人。きっと夫婦なのだろう。確かに具合が悪そうだ。こういう病人から早く診察してやってほしい。

 

ところが「・・・さん」と次の患者の名前を呼ぶと「あぃよ」と、まってましたとばかり老人がすっと立ち上がって診察室に行こうとする。「・・・さんは、まだよ」と看護婦さんにたしなめられる。体は健康そうだが、明らかに心が病んでいる。この人も病人だった。

 

「源太郎さん、診察室にお入りください」、呼んでくれた看護婦さんに軽く会釈をして診察室に入ると、いつもの若い看護婦さんではなく、久々に婦長さんに出くわす。「源太郎さん。お久しぶり。元気でした?」「ええ、体調はまぁまぁですが、今日はリハビリも・・」「そう、よかった。じゃ、ゆっくりね」

 

「ゆっくり」という言葉は、「無理せずにゆっくり生活して」ということなのか「今日病院を楽しんで帰ってね」とバーのママさんの言葉なのかわからないが「ありがとう」と言葉を返して、若い医者の前に座った。若い医者は、大きな電子カルテを見ながら、決まり文句の質問を投げかけ、聴診器であちこちの音を聞いている。そして「大丈夫」ではなく「大丈夫ですね」と疑問形で聞く。

 

医者は料理人ではない、料理人なら「おいしいですか」と疑問形で聞いていい。どこぞの店紹介で「おいしいですよ」という料理人いる。斎藤晴彦さんの替え歌ではないが、「うまい、まずい」は客が決めることだ。でも、医者はそうじゃダメだろ。

 

「大丈夫かどうかは、医者が決めてくれよ。わからないから病院に来ているんだ」と言いたいが、婦長がすかさず「薬と、いつもの貼り薬もですね」と聞いてくれた。それを聞いた若い医者。タッチペンで「ピッ、ピッ」と入力する。診察が終わり、リハビリセンター室に、婦長さんが自ら案内してくれた。バーでも同じ、まっとうに付き合えばサービスがいい。

 

「今日はオートバイ?」「車ですよ。暑いですからね」「じゃ、気をつけてね」と婦長と会話を交わす。普通、オートバイなら気をつけてだが、車だからそれはないだろうと思いつつも、きっと「お体気をつけでくださいね」と言ってくれたのと解釈し「ありがとう」と答えて別れた。(源太郎はやっぱり大人の対応だ)

 

ところで、待合室には大抵単行本を一冊持って行っていくが、近頃は電子書籍なら何冊も持っていける。そして待合室も携帯電話はダメな場所もまた多いが、iPadなら問題はない。しかも、人生の先輩たちはそんなことに興味もないから、静かにしていて頂ければ、実に楽しい待ち時間をエンジョイできる。

 

病院は、あの空気の匂いが嫌いで、飛行機の搭乗と同じく注射が嫌い。せめてこんな場所なら抱腹絶倒のエッセイものに限る。そして、今日も表題の田丸公美子さん(シモネッタ)のエッセイ「シモネッタの男と女」を持参した。(田丸公美子さんは、イタリア語の同時通訳者で広島県生まれ、あのロシア語通訳者で作家の故 米原万里さんがこのニックネームをつけられた)

 

源太郎が女性のエッセイストの作品を読むのは想像しがたいだろうが、この方のエッセイは絶対お勧めする。小気味いいセンテンス。ジョーク溢れる経験談。そんじょそこらのエッセイストは太刀打ちできないだろう。

 

源太郎は彼女のファンで、本屋に行っては最新版を探す。残念なことに先日2014年に発刊された「シモネッタのどこまでいっても男と女」の本を求めようとしたが「お取り寄せ」になっていて未だ読んでいないが、その他の書籍はすべて読破した。紹介を兼ねて、購入した書籍の表紙をスキャンしてアップしよう。著作権上怒られないと思うが。

 

 

(1)「パーネ・アモーレ イタリア語通訳奮闘記」 2004年、文春文庫、ISBN 978-4167679231、残念ながら文庫本。

 

(2)「シモネッタのデカメロン イタリア的恋愛のススメ」 2008年、文春文庫、ISBN 978-4167717643、これも残念だが文庫本

 

(3)「目からハム シモネッタのイタリア人間喜劇」 2008年、朝日新聞出版、ISBN 978-4023302846

 

(4)「シモネッタの本能三昧イタリア紀行」 2009年、講談社、ISBN 978-4062153805

 

(5)「シモネッタのドラゴン姥桜」 2009年、文藝春秋、ISBN 978-4163709505

 

(6)「シモネッタの男と女」 2010年、文藝春秋、ISBN 978-4163729008

 

(7)「イタリア語通訳狂想曲 シモネッタのアマルコルド」 2011年、NHK出版、ISBN 978-4140350942

 


源太郎、、、 Don Quijote に憧れる

2016年07月19日 | 毎日の話

原題は「El ingenioso hidalgo Don Quijote de la Mancha」、「才智溢るる郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」という小説で、第一部が1605年、第二部1615年にCervantesによって書かれた。誰もが知っている物語だ。

 スペイン語の講義によく出てきた単語「ingenioso」は才覚に長けたという意味があり、「hidalgo」は郷士と言われ、日本では庄屋階級と考えていい。「Don」はドン小西(笑)ではなく、成人男性の洗礼名につける敬称、「Quijote」は今では理想主義者なんて訳もあるが、鎧の腿あてや馬の尻の上部を意味する。ただ初版本では「Quixote」と書かれていたようで、このDVDのタイトルは初版本の表記を使っているようだ。

余談だが、このDVDを見ている間、ジェリーはMihoちゃんとお風呂に入り、キレイキレイにしてもらっているが、バスルームの前でラウラは心配そうにお座りしている。


さて、話を戻そう。この物語のあらすじはこんな感じだ。なかなか全編を覚えていることはなく、断片的にしか知らないので復習。

DVD 砂糖きび畑で、若き男の子が剣(木刀)を振りかざしているところから始まる。そして立派な装丁の本を整理する男の姿が映し出される。

 ラ・マンチャ村に、一人の老主人(郷士)が住んでいた。名前をアロンソ・ケハーナ(DVD ではキハーダ)といい、年齢は五十歳ほどで、いまだ独り身の男だった。そして彼はも二十歳ほどの姪と、四十過ぎの家政婦と暮らしていた。(すでにこの設定からこの男が変人であることが想像出来る。50歳で老人なら、源太郎はすでに後期高齢者になってしまう)

 彼は暇さえあれば読みふけったのが荒唐無稽な「騎士道物語」で、熱中のあまり好きな狩猟も畑仕事も忘れ、読みたい物語を買うために大事な田畑まで売り払う始末だった。毎日読書にめり込むうち、夢と現実の区別がつかなくなって、「我こそは世の悪を正す遍歴の騎士」だと思い込むようになっていた。

 思いつめた挙句、冒険の旅に出ようと決めた彼は、納屋の片隅から先祖伝来の古甲冑をひっぱりだして磨き上げ、年老いた痩せ馬を「ロシナンテ」と名付け、さらに自らの名前を「ドン・キホーテ・デ・ラーマンチャ」と名乗ることに決めた。

 彼は、騎士道物語に欠かせぬものは愛を捧げるうるわしの貴婦人だといい。近くの村に住む美しい百姓娘(DVDでは洗濯する娘、アルドンサと名乗る)を勝手に姫君と見立て「ドゥルシネア・デル・トポーゾ」と名付け、旅立ちの準備を整え、冒険の旅に出発した。

その夜たどり着いた安宿を「城」と思い込み、亭主を「城主」と呼んで自分を正式な騎士に叙任するよう頼み込む。彼の奇矯ぶりを客たちと笑っていた亭主だったが、宿銭も取らず、早々にお引き取りを願うのだった。

 いよいよ正式な騎士にもなってご満悦。宿の亭主から騎士たるものが提携すべき品々を聞き、いったん村の我が家へ戻ることにする。その途上で出会った商人一行に、「ドゥルシネア姫が世界一美しい人だと認めよ」と無理難題をふっかけ、逆に自慢の槍を折られるまで叩きのめされてしまった。

 顔見知りの村人に助けられ、家に戻ったドン・キホーテ。三日間もの行方知れずを心配していた姪と家政婦、友人である住職と床屋は、これはすべて騎士道物語のせいと考え、燃やすにも数の多すぎた本を書斎ごと壁で囲って塗り固めてしまう。本人には、「魔法使いがやった」と説明をして。
 しかし苦労の甲斐もなく、ドンーキホーテは身の回りの品を売って路銀を作ると、近所の百姓サンチョ・パンサを「どこぞの島の主にしてやる」とそそのかして従者に仕立てあげ、夜更けにそっと旅に出た。

 翌日、野原に並んだ風車を「多くの腕を持つ邪悪な巨人」と思い込んだドン・キホーテ。サンチョ・パンサが止めるのも聞かず、ロシナンテに拍車をくらわせるや、槍を小脇に突進する。しかし折りからの風に勢いよく回り出した風車の翼にはじき飛ばされ、槍はこなごな、身体はぼろぼろ。思わず駆け寄るサンチョ・パンサに「あれは、我が蔵書を隠した魔法使いの幻術だ」と言い張るのだった。

 一事が万事、この調子。貴婦人の馬車とたまたま同道していた旅の修行僧たちを「姫君をさらう極悪非道の輩」と思い込み、貴婦人の従士と大立ち回り。旅龍の下女が同室の客と逢い引きしようと忍び込んできたのを、「ドゥルシネアに捧げた我が貞操の危機」と勘違いしての色騒動。ロシナンテが牧場の牝馬に挑みかかったおかげで馬方たちから棍棒の雨あられを見舞われ、打ち身を直す「霊薬フイエラブラース」をみずから調合して服用するも逆に具合が悪くなり、羊の群れを「敵の軍勢」と信じて猛攻撃。果てには、役人に連行される途中のケチな小悪党十二人を解き放ったはいいが、恩知らずな囚人どもに襲われて身ぐるみ剥がれる羽目になる。

 ある山中で、突然ドゥルシネア姫への恋心が抑えきれなくなったドン・キホーテ。ちょうど里心のついたサンチョ・パンサに姫への恋文を持たせ、村に帰すことにした。帰路の途中で出会ったのが、郷士どのの行方を案ずる住職と床屋である。サンチョもまた、「騎士妄想」にどっぷり冒されていることを知った二人は、主従を旅から引き戻すために一計を案じる。

 偶然知り合った美しい乙女を「悪しき巨人につけ狙われ、安全な場所で自分を守ってくれる騎士を探すさすらいの王女」に仕立て上げ、まずはドン・キホーテを山中からおびき出すことに成功した。しかし、泊まった旅宿で、ワインの革袋を「王女を襲う巨人」と勘違いして剣で切りつけ台無しにするなど、彼の狂乱はすでに手のつけようがなく思われた。

 住職と床屋は、眠ったドン・キホーテを縛り上げて丸太の檻に閉じ込める。目を覚ましたドン・キホーテは驚くものの、「魔法使いにつかまったのだろう」と信じ込み、おとなしく村へと連行されていった。住職は、彼がまた逃げ出さないように優しく見守ってほしいと家族に頼む。姪と家政婦の二人は、あらためて騎士道物語を激しく呪い、その作者を地獄に墜とすよう天に祈るのであった。

 ひと月ほど後。住職と床屋は、姪と家政婦から彼がどうやら正気を取り戻しかようだと聞いて見舞いに行く。彼の態度や口調は、きわめて平静だった。しかし、住職が「トルコが我がスペインに攻めてくるという噂をどう思うか」と話を向けると、やおら身を乗りだし「国王陛下が、スペイン中の遍歴の騎士たちを首都へ呼び寄せればよい」と言い出した。それを聞いた周囲の人々は三度目の家出が近いという暗い予感をおぼえる。

 さらに火に油を注いだのは、サンチョ・パンサの報告だった。大学を終えて村に戻ってきた博士サンソン・カラスコの話では、『才智あふるる郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』なる本が出版され、大評判になっているというのだ。しかもその内容は、主人公二人の気持ちを非常に害するものであった。

 三度目の家出を心配した家政婦は、学のあるサンソン・カラスコに主人を戒めてくれるよう頼む。しかし、彼は逆に「ドン・キホーテ殿。いざ、遍歴の旅に立たれよ!」と焚きつける始末。さらに、彼はただ一人の味方である自分に旅の様子を書き送ってほしいと頼み、ドン・キホーテもこれを快諾した。

 三度目の旅がはじまった。ある夜、主従二人は森の中で「ドン・キホーテを打ち負かした」と自慢する謎の騎士に出会う。愛するドゥルシネア姫まで侮辱されたドン・キホーテは、憤然と決闘を申し込む。口ほどにもなく落馬する謎の騎士。その顔は、なんとサンソン・カラスコであった。彼を正気に戻すには、別の騎士が彼を打ち負かすしかないと考えた住職と床屋とで考えた作戦だったのだが、これがかえって裏目に出てしまった。

 幾多の冒険で、いわば初の大勝利をおさめたドン・キホーテ。喜びのあまり、過去の敗北も失敗もきれいさっぱり忘れてしまった。檻の中のライオンに挑みかかる「冒険」では当の猛獣が争いを好まず、騒ぎを恐れたライオン使いがドン・キホーテの勇気をほめたたえたことで一件落着。

 モンテシーノスの洞窟での「探検」は、中で一時間ほど居眠りをした間の夢を、三日間におよぶ魔法の国での波瀾万丈な実体験と思い込んで大満足。今回の旅で徐々に主人の正気を疑い出したサンチョ・パンサの憂いとは裏腹に、ドン・キホーテは意気揚々と旅を続けるのだった。

 ある日の夕方、草原で鷹狩りに興じる一団を認め、白馬にまたがった貴婦人をどこぞの高貴な奥方に違いないとドン・キホーテは思う。それは、珍しく真実であった。彼女は、この辺り一帯を治める公爵の令夫人だったのだ。
 『才智あふるる郷士』をすでに読み、もともと騎士道物語の愛好者であった公爵夫妻は、二人を城に招いて大歓迎する。いたずら好きの夫妻は、ドン・キホーテが城に滞在する問に巻き起こすであろう珍騒動を、「生」で楽しもうという魂胆だったのだ。

 公爵に言い含められ、召使たちも「遍歴の騎士」歓迎する大芝居を打ったものだからドン・キホーテは有頂天。しかも、話の流れで公爵がサンチョ・パンサをとある「島の主」に任じてくれたのだ。もちろん愚かな失態を笑わんがための冗談であったが、どうしてこの新主殿、やっかいな訴訟ごとを持ち前の現実的な知恵で解決するなど、有能で賢い主として領民に慕われていく。本人が「身のほどにあわねえ」と職を辞しかとき、多くの人が別れに涙したほどであった。

 ドン・キホーテはその間、数十匹の猫との大立ち回りなど、さまざまな騒動を起こして公爵夫妻を大いに喜ばせていた。しかし、島から戻ったサンチョ・パンサと再会すると、安逸な暮しにひたっていては騎士の名折れと思うにいたり、暇乞いを申し出る。

 新たな冒険に胸おどらせるドン・キホーテと、大地主になる夢がかなえられたことで主人への忠誠心が戻ったサンチョ・パンサは、勇躍マドリードヘ向かう。マドリードでも、人々が「遍歴の騎士」として自分の名前を知っていることがドン・キホーテにはうれしくてたまらない。

 ある朝、いつもどおり甲冑に身を固めて海岸へ散歩に出たドン・キホーテ。その前に、光り輝く三日月を楯に描いた一人の騎士があらわれる。銀月の騎士と名乗るその騎士は、負けたら首を差しだすが、もし自分か勝ったら「生まれ故郷の村に帰って一年はおとなしくしていること」を条件に決闘を挑んでくる。毅然と受けて立つドン・キホーテ。しかし、銀月の騎士の猛進に、あわれ人馬もろとも地面に叩きつけられてしまう。銀月の騎士の正体は、先の森の中での失敗を反省し、再び槍を取ったサンソン・カラスコであった。

 一年の約束で、村に戻ったドン・キホーテ。しかし敗北の憂いのためか、間もなく重い熱病にかかってしまう。病の床で彼は、突然理性を取り戻し「わしはもうドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャではない」と言いだす。死を自覚した今、神の慈悲により狂気を脱したというのだ。そして家族や友人たちが見守る中、言葉の限り騎士道物語を罵倒しつくすと、静かに大往生を遂げたのであった。

 住職は公証人に、彼の死をしっかり記録するように頼む。不届きな作者によって、再びドン・キホーテの物語をよみがえらせないために。

最後の場面がいい
若い姪
「伯父は夜も あそこに 星が見たいと」
「私たちは いつも伯父を 引き止めようとしたわ
 冒険など降らないと でも今は思うのよ」
「伯父は素晴らしい人生を 生きたのだと
 話をする伯父の目は 輝いているわ」

そして、終焉。サンチョが語りかける
「旦那様 死んじゃいけねえ 死ぬのは忘れて何年も生きるんです」
ドン・キホーテが答える
「我が友よ 過酷な旅に連れ回したな」
サンチョ
「最高の旅でした 元気を出して 死んでる場合じゃねえ 
 出かけましょう 鏡の騎士と戦うんです
 公爵夫妻との食事もある」
ドン・キホーテ
「すべては終わったのだ
 今後の お前の冒険は 妻子たちと一緒だ」
サンチョ
「違います おらは探究を続けました」
ドン・キホーテ
「ほんとうか しくじった? 」
サンチョ
「そうでもないですよ ドルシネア姫を お連れしました」
ドン・キホーテ
「お前は誰だ」
ドゥルシネア(洗濯娘)
「トボーソのドゥルシネア姫です」
ドン・キホーテ
「アルドンサかと思った 一度見かけた 壁越しに」
ドゥルシネア(洗濯娘)
「いいえ、私はドゥルシネア姫です」
サンチョ
「旦那様の姫だ」
ドン・キホーテ
「そうなのかもしれないな」
サンチョ
「旦那様やったね。姫に会えたじゃないの」
ドン・キホーテ
「私の旅は終わり 人生も終わる」
そして、ドゥルシネアがドン・キホーテにキスをする
ドン・キホーテ
「光栄です。ドゥルシネア姫
行くがいい 私は疲れた」
サンチョがドン・キホーテの手をしっかりと握り去っていく
そして、木馬に乗ったドン・キホーテが星空の旅に
しばらくしてサンチョがドン・キホーテの身なりを整える
エンディング


ラウラ、、、お掃除のお手伝い

2016年07月19日 | 毎日の話

「おかぁしゃんが今窓拭きをしているの」

雑巾の入っている箱の蓋に、ラウラは座ってお澄まし。

「ラウラ。それよりお風呂場のブラインドをまた曲げたね」

「エェ。そんなことはいたしませんよ。ねぇ、おかぁしゃん」

「そんなことする子は、あんたしかいないでょ」

「知らないもんね」