Mihoちゃんが、ピアノの練習するというので、退避しようとした時。「FFのストープ掃除していてね」とちゃんと仕事の指示をして、練習に入った。渋々、いたずらLauraをゲージに入れ、Emmaだけを自由にして掃除に入ることにした。
フィルターを外し、外カバーを外し、ファンカバーを外すと、細かい埃がしこたま付いている。そういえば昨年は手抜きの掃除をしたのだろう(記憶にない)。電気回路を傷つけないように、部品を外して、ファンを綺麗にした。
部品を逆順に取り付け、よかった「ビスが一本余った」なんてことはなく、試運転。今年もお世話になりますね。このFFのストーブがないと凍えてしまう。
ところで、写真を整理していて、昭和50年代前半で、作業が停滞してしまった。出てくる出てくる。面白いものばかりだ。
当時まだ高価だったカラーフィルムの写真だ。この堰堤は今は湖の底に眠っている。控えが一尺5寸もある花崗岩の石張りの堰堤だ。真っ白な花崗岩は昭和初期に造られたものだが、一切壊れていない。一箇所補修した後があるが、補修したところだけ繰り返し傷んでいる。それ以外は微動だもしていない。
続いて出てきたのは、学生時代の友人のI君を案内して黒部ダムにいった時の写真だ。夏だったと思う。残雪も見える。25tの両端走行ケーブルクレーンも健在な時代だ。右手下には、まだ112才(一尺立法が1才)四台を配置したコンクリートバッチャープラントがあったはずだ。56才のバッチャはもう撤去されたように記憶している。今の観光客の方々は、9立法メートルのバケットしか見ることしか出来ないのは残念だと思う。焼付けた写真からスキャンしているのでイマイチかもしれないが、当時友人は感激していたのを覚えている。
そして、小さな箱には、信州のスキー場の使用済みリフト券がいっぱい出てきた。なんでとっておいたのかな。捨てられない症候群かもしれない。挟まっていた、Mihoちゃんからの手紙があったので、見せると、破ろうとしたので、「だめ」といって取り上げた。
リフト券に紛れて、八方尾根の民宿のおばさんと記念撮影した一枚の写真が出てきた。確か民宿糀屋さんだったと思う。お袋のようなおばさんで、こちとら常連のお客だったが、「源太郎。雪が積もっている。雪かき」とか「早くお客さんの料理を並べて」「食器を下げて」と顎で使われた。これで料金一緒。とほほ、であった。が、地元の優待券をいつも貸してくれて、ある時期からはリフト代金はいらなかった。
噴火災害のあった御嶽山のスキー場。昭和50年だから40年前のリフト券だ。
色々なリフト券が出てくる。北海道や山陰、岐阜、富山、海外といったリフト券が出てくる。残念ながら新潟のスキー場で源太郎は滑ったことがない。
今日の作業は終り。昼食は、手作りの牛丼「子供達とすき焼きしたの、残り物の牛肉。柔らかいでしょ」とMihoちゃん。残り物と言わなければ、幸せだったのに。缶蹴り。