「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

サクラサク

2007-03-15 16:20:45 | その他


 公立高等学校の合格発表の日、まさに「15の春」「試練の15」とかいわれる高校受験生にとっては試練の日でもあります。

 愚息が受験した地元高校、我母校でもありますが、今年は競争率も激しく、なかなか厳しい現状、本人よりも親の方が緊張した一瞬でもありました。



 午後3時、いよいよ発表、昇降口前に掲示板が張り出される・・・歓喜の声が至るところから響き渡り、友達同士抱き合う姿も・・・・そんな中に親父が加わって息子の受験番号を探す・・・「いだっ~(あった)」、其処には友人達と来ていた息子も姿もあったが、お互い目があってガッツポーズ、後は何も言わず静かに引き上げた。

 歓喜の声の中、十数名が涙を飲んだはず、再起と再挑戦での奮起を期待いたします。

 難しいといわれていた志望校の受験、なんとかなったということでまずは一安心でもあります。



 さて、卒業式の後は夜勤で卒業祝もできず、合格発表と共に家族でささやかながら息子の大好きな焼肉でお祝いをいたしました。


 自宅では晩酌はいたしません。強いて言えば盆、正月、クリスマス、伝承行事に家族の祝事意外は家ではアルコールは口にしない・・・そんなことからも祝い事であろうと飲むものは安いもの、本日は缶のバイオレットフィズと380円の赤タレ、締めはココナッツリキュールのミルク割り・・・。



 
 まずは、進学してからの行い、努力も大切であるが、なんとか合格したということ、まずはこれにて良しとしております。


 寿司を狙っているが、興味はないよ~・・・という顔のネネ


 応援のコメント、ありがとうございました。
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遠中卒業式

2007-03-14 14:57:09 | 遠野
 長男の中学卒業式に行って来ました。








 
卒業した3年生、148名、全員進学の道へと進むということですが、中学で共に学び、さらにクラブ活動等で汗と涙を流し、喜びを分かち合った仲間達がいた事、是非に忘れず今後の人生を歩んでください。

 また、身体は大きくても、まだまだ子供、周りの大人達の協力なしでは何事も成しえない現実もあります。
 お世話になった方々に対し感謝の気持ちも忘れず、何事にも頑張ってください。


早池峰の山並み深く
 緑濃き、この高原に・・・・・・

    遠野中学若人我ら・・・・・。

「遠野中学若人我ら」の最後のフレーズ、男性と女性レパートリーがあるはず、いつ聴いてもなってなかった・・・・笑



3年4組の皆さん(父兄含み)

 祝・卒業・・・・。
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スノーバスターズ出動

2007-03-13 13:28:37 | 遠野
 大雪に見舞われた遠野、雪は止み、時折薄日が射すが吹雪模様は相変わらずである。


 積雪は40~50センチはあると思われますが、吹雪での吹き溜まりもあって、除雪作業には皆さん苦労したものと思います。

 さて、昨年から職場の親睦会でボランティア登録をし、スノーバスターズ(除雪隊)を結成しておりましたが、今季初出動の要請があり、松崎町内のとある御宅の除雪作業をして参りました。



 早朝、自宅の除雪作業を終え、すぐ集合場所へ移動、今回は私含みで職場の若手等4名、さらに社協職員3名の合計7名体勢で、いざ出動・・・・。


 「さぁ~はじめるか・・」・・・!?・・・道が無い・・・通い道路幅3メートル確保、御宅まで150メートル、さらに庭・・・遣り甲斐のある仕事だっ・・と後輩が言っていたが、その勢いも、ものの5分で閉口状態となる・・・汗


 「雪・雪・雪・雪・・また雪よ、遠野には七つの雪が降るとか
    粉雪、粒雪、綿雪、ざらめ雪・・水雪、硬雪、春待つ氷雪」

 てっがっ・・・・笑・・・今回は何雪だったのだろう・・?




 所によっては股下までの積雪、しかも重い・・・社協が準備した除雪機二台、しかし、湿った雪だったせいか、排雪管から飛ばされる雪が羊羹のような状態で詰まること、しばしば・・・結局使い物にならず、7名で人海戦術とありなりました。


 ようやく半分の距離、ここで応援部隊の要請、非番の職員2名が駆けつけるとの情報、もしやと考えていたが、やはり、作業が終った頃に到着、皆で「やっぱりなあ」と言い合う・・・笑


 午前9時過ぎから開始して、間もなく11時、ようやく御宅の庭に到達。



 11時過ぎになんとか終了。
 今回は一人暮らしの高齢者の御宅、我々が除雪するまでは、まさに孤立状態、当初は郵便配達さんが通れる道を確保と考えたが、どうやら灯油を給油に来る小型トラックが通れる道の確保が必要だったらしい、しかし、救急車は無理かもしれない・・・・。

 今季初出動、暖冬でこのまま要請は無いものと思ってましたし、そのスノーバスターズの存在も忘れかけていた・・・笑

 昨日今日と心地良い汗を掻かせていただきました。 



春めいていた2月中頃に再探訪した松崎町駒木の城館跡「八幡館と駒木館」を本編サイトへ再編アップいたしました。
こちら
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甘くなかった冬将軍

2007-03-12 11:33:27 | その他
 本日の我家から・・・


 昨日からの雪模様、勤務ではてんやわんやの一日、しかも勤務交代直後に交通事故発生、さらに別場所では車両20台近くが絡む多重事故・・・非番部になんとか解散命令が出て、無事に帰宅・・・・。


午後3時頃





 帰宅した際には、既に除雪作業は終了していたが、午後3時、本日二回目の除雪、さらに10センチ近く降り積もっている。
 しかも時折の吹雪の中、正味1時間半の作業、終る頃にはさらに10センチほどの新雪が・・・・明日の朝もたいへんな除雪作業となりそうだっ。

 それと明日は今季初のスノーバスターズの出動要請が入っております。

 冬将軍、このまま撤退とばかり思っていたが、北国の冬、やはり甘くはなかったようです。




 おまけ

 外は荒れ模様の中、二女の誕生日ということで、ささやかながら誕生日をお祝いいたしました。


 定番、山の神さんの手作りケーキ


ネネもお祝い?


 こちらは甘かったです・・・笑
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初大師

2007-03-10 17:35:40 | 福泉寺・伝承等
 早春の菩提寺恒例行事「初大師」が行なわれました。

 昨年同様土曜日ということもあって、遠野市内の檀家さん及び信徒さん、約250名の皆様がお越しになられ盛大に執り行われました。


 午前11時から予定されている護摩焚き祈祷前、9時半の西駐車場の様子。

 勤務明けだった為、午前9時過ぎに帰宅、9時30分には福泉寺護摩堂(客殿)にての御札係りの任につきましたが、既に多くの信徒さんが殺到している状態でした。



 法門山福泉寺の檀家さんは地元駒木、附馬牛町の小出集落に集中しており、公称約60戸、実質的な数は40数戸。
 さらに信徒さんは遠野市内含む岩手県内に約3千戸といわれておりますが、信徒さんは、自家の菩提寺を持ちながらも、福泉寺にもお越しになられる御宅の皆様でもあります。

 年明けから初大師までの行事としては・・・・
○行開き(1月8日)市外の信徒さんと檀家さん・・・約70名
○節分(2月3日)市内外の信徒さんと檀家さん、厄年の方々・・・約100名
○初大師・・・ほとんどの檀家さんと遠野市内の信徒さん・・・役250名
 
 上記3つの行事で各御宅の御札、御守札を配布しております。



 昼食会場まで人々が溢れ出す参加人数でした。





 護摩焚き祈祷

 真言宗豊山派の福泉寺、初大師や秋の例大祭では、県内の豊山派寺院のご住職様方の応援を得て盛大に執り行われます。
 (真言宗豊山派寺院は県内は少ないのですが、花巻市石鳥谷の五大堂光勝寺をはじめとする古刹の寺院のご住職様方が加わる祈祷は圧巻でもあります。本日は7名)



 春を告げる宗教的行事、後は我家での春祈祷を最後に、本格的な春への備えとなるのですが、既に例年は終っているはずの春祈祷、個人的な理由で行なう機会を失い、未だ執り行っていない、卒業式や地区父兄会等学校関連の行事、隣家での法事、職場の送別会、来週からは予定がビッシリで、難しい現状となっているも、なんとか今月中に行なわないとご先祖様や氏神様が勘弁してくれないかもしれない・・・・。


 おまけ

 味噌おにぎり・・・檀家役員やら賄い方の皆さんのおやつ



「方便」

 嘘も方便・・・といいますが、嘘も時と場合によっては必要との意味。
 しかし、サンスクリット語では、方便は「ウパーヤ」を訳した仏教語であるという。
 お釈迦様は、人々にいきなり難解なことを説くのではなく、相手の能力に応じて法を説いたそうです。
 相手が理解した後に次第に高い境地に引き上げる巧みな手法を用いたといわれております。
 
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愛宕堂

2007-03-08 17:33:16 | 遠野
 朝から青空が広がるも風が冷たい、そんな中、公立高校の入学試験が行なわれ、まさに「15の春」となるか?・・・・、長男も試験に挑むも、帰宅しての開口一番は、「全然出来なかった」の言葉・・・「こりゃ~参ったな」の心境・・・。

 
愛宕大権現・・・法門山福泉寺境内

 数日前に降った雪も日影以外は、ほとんど融けて無くなっている。

 息子の高校受験ということで、合格祈願ではないが、なんとか健康で受験できたことを氏神様である愛宕様に感謝するべく手を合わせる。
 ついでに、試験問題が解る内容であるようにと・・・願う・・・。



 しかし、帰宅して、ほとんどダメだったと聞くと妙に力が抜ける、確かにボーダーライン以下に入っているので、限りなく不合格の可能性大との言葉もいただいている、仕方なしか・・・再募集先でもリストアップして合否を待つのみです。



 さて・・・
 笛吹童子さんのエントリーにて、駒木村分の神社について、我先祖の名が登場、この愛宕様は代々我家が別当を務めております。

 昭和の初めに地域で少し有名となった我家に関連する騒動があったり、太平洋戦争という激動の時代、当主(祖父)の戦死なんかで愛宕様を守るということは、なかなか出来ない時期が続いてたのも事実で、なんとか福泉寺の協力で宵宮は続けられ、本堂に収められていた御神体や神楽での権現様を安置するお堂も昭和40年代に完成して、管理全般は福泉寺に移っております。

 今は名だけの別当と成り果ててますが、先祖から受け継ぐものをなんとか微力ながらも継承している現状です。

 一説には遠野で一番古い愛宕様、由来もはっきり伝えられておらず、いつからあるのかは不明ではありますが、宮洞の屋号と共に後世に伝える、これだけはなんとかしたい・・・そんな思いがあるのですが、本日のエントリー・・・息子の高校受験での出来が悪かったとのことでトーンが下っておりますので、これにて・・・・涙


のぼり龍と見立てて・・・。


ネコ見えますか?
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ネネイガーマスク

2007-03-07 19:10:25 | 
 野暮用で盛岡へ・・・・久しぶりの積雪、しかも遠野は真冬日だったらしいですが盛岡も真冬並みに冷え込んでおりました。

 3月も間もなく中旬といったところで真冬の気候、冬将軍は愚将か、良き参謀に恵まれなかったか、それとも本来の3月を置き土産とするのか、いずれ少し寒い日が続きそうでもありますから、健康管理には十分お気をつけください。




 専用マスクをしても、ご覧のとおり寝入るネネ、最近は朝出歩き、昼、夜は就寝の生活である。

 猫の世界では、恋の季節到来・・・あちらこちらで猫のうなり声が聞こえますが、ネネはオスだけではなくメス猫にも追い回される始末、こうなったらマスクでもして出歩けば・・・・と思わずにはいられない・・・。



 こちらが本当の素顔・・・・。

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時を越え、海を越え

2007-03-05 19:23:12 | その他
 日本では大東亜戦争、世界的には第二次世界大戦、太平洋戦争と呼ばれる先の戦争では、多くの若者が徴兵され過酷な戦地で戦い若い命を散らしました。

 詳細は語れませんが、とある南方の島にて日本軍は壊滅、敵側の米国兵のひとりが、戦場から一枚の日の丸を拾い、本国へ持ち帰ったという。

 それから60数年の年月が経ちましたが、日の丸を持っていた米国人の方が、この日の丸を、かつての持主或いはご遺族に返したいと考えたそうです。

 日の丸の旗には、墨で寄せ書きが書かれ、YH君へ(漢字で)・・・と書かれている。
 出征するときに送られた日の丸であり、日本人の名が何人か書き込まれているが、その出目は不明、大使館などを経由して、その話は岩手県にも伝えられる。

 その日の丸には、福泉寺法門山と書かれており、まずは全国の福泉寺の名を持つ寺院が検索されたらしい、福泉寺という名のお寺さんは全国に数十は存在するらしいが法門山の山号を持つ福泉寺は唯一つ、そう遠野の福泉寺のみであり、ある方を通じて日の丸に書かれた文字のコピーが届けられた。

 今のご住職夫妻が確認すると確かに福泉寺法門山と書かれており、しかもその字体は先代の住職、宥然和尚が書いたものと判明。

 そうすると話は早い、遠野、しかも福泉寺の檀家さんか松崎町駒木に縁ある御宅が遺族である可能性が極めて高い、しかもY姓の御宅は駒木に何軒かあって、一挙にその捜索範囲は狭められた。

 近所のY姓の御宅に一発目で訪ねると、その家のご主人から「誰それの家の叔父だな」の返事が帰ってきたそうで、目出度く解決・・・・。

 ご遺族の御宅は我家と同じ集落で、しかも隣組同士、間もなく日の丸が届けられ、60数年ぶりにその魂は海を越え、里帰りを果たしました。

 日の丸には、福泉寺住職の宥然和尚が○○○○君へと書き添え、地域の何人かの今は亡き方々の名が連なり、配属された先の戦友達の名が書かれている。

 時折、こういった話題がメディアなんかで紹介されますが、まさか自分の身近な存在で起ころうとは・・・・私は戦争を知らない世代、多くは語れないが、20歳前後で戦死、母親や家族を思いながら戦地に赴く姿、そして二度と故郷に戻れない悲壮感、考えただけで心が重くなります。

 今の世、そしてこの日本が戦争という悲劇を繰り返さない、ただそれを願うばかりです。




 おまけ

 本題が飛ぶか、おまけが飛ぶか・・・どちらかを喰ってしまうというエントリーのまずさがありますが・・・・久しぶりに猫話題

ネネの手
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納豆

2007-03-04 21:07:23 | 思いで
 昨日の勤務は朝から大忙し、結局翌朝まで・・・・体力的なことも去ることながら精神的な過労も伴い、家へ帰ってからは何処へも行く気が起こらず、昼食を食べるとそのまま寝入ってしまって、目が覚めたのは夕方5時過ぎ、起きた途端、翌朝だと思い、今日も仕事へ行かなくてはと思いながらも、まだ早朝5時か?後1時間は寝ていられるか・・・なんて夢みたいな話・・・されど部屋には誰も居ないと気付くと、まだ4日の夕方と気付く愚かしさ・・・・汗


 さて、納豆・・・・

 一頃はあんなに置いてあったスーパーの納豆、全部売り切れ状態が数日続いたことを思い出す。
 別に納豆が大好物ということではないが、冷蔵庫に何個か入っていないと気がすまない、そんな食品かもしれない。

 スーパーに無いとなると、やはり気になる、必死になって探したわけでもないが、あらためてテレビ等のメディアの影響は大だと思い知る。

 画像は、昔からあった大粒の納豆。
 某ブログでもいつぞや話題となったが、遠野では売っていないと思うが、北上の某スーパーで見つけて、思わず買ってしまった。

 大粒で昔懐かしい味、藁ツトに入った納豆も懐かしいけど、こちらも懐かしい・・・しかし、普段から小粒の納豆に慣れ親しんだ為か、どこか食べ辛い、小さなご飯茶碗に大粒の納豆、これかもしれない・・・少年時代はどんぶり飯にお替りしてまで食べた納豆、この違いなのか?

 
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さくらの湯

2007-03-02 19:23:00 | 湯っこ・鉄道・旅・・・
阿弖流為(アテルイ)温泉郷の湯・「さくらの湯」(奥州市水沢区佐倉河)

 
阿弖流為(アテルイ)

 古代東北、胆沢蝦夷の首領。
 朝廷の征夷の大軍を打ち破り、その後の征夷軍にも反抗、古代東北の蝦夷社会を中央から守ろうとした郷土の英雄。

 アテルイの事績なり、伝承は皆無に等しいながらも、これは高橋克彦氏の小説「火怨」によることが少なからずあったと私は考えている。
 無論「火怨」の影響だけで郷土の英雄アテルイが注目を浴びたわけではないと思いますし、地元からアテルイの再評価なり顕彰される何かが発信されたものと思いますし、その事績、伝承が僅かながらも浸透し、その地元の奥州市や近隣では、郷土の英雄が活躍した地として、アテルイの里として、PRもしているようです。




 征夷大将軍、坂上田村麻呂に降伏したアテルイは、京に連行され、処刑されてしまう。
 
伝アテルイ、モレの首塚・・大阪府枚方市

 2004年10月訪問


 さて、「さくらの湯」

 4年程前、長女が北上市内の高校を受験した際に、その入学試験日に帰りまでの時間潰しに、たまたま見かけた看板を見て、訪れたのが最初でありました。
 以来、年に5度前後利用しております。

 サウナ、露天風呂完備





 山の神さんも休みということで、温泉にでも・・・ということで出かけて参りました。
 女性客も多い温泉施設でもあるようです。



おまけ

ひな祭り・・・。

 3月3日は勤務の為、我家のひな祭りは一日早い3月2日に・・・・まっ、男の私に合わせることはないのですが、一応家族が揃ったときにという配慮があったようです。

 でも3日も何かしらひな祭りを行なうものと思います。



 安ワインと桃ワインで乾杯
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