福泉寺本堂を建てた大工さん、そして彫刻を施した人物が同一人物ということが遅まきながら判明、その名を「小原樗山 おばらちょざん」・・・・・。
大正元年完成の本堂
すぱらしい彫刻が施されている。
小原樗山・・大正期活躍した宮大工
1862(文久2)年生~1927(昭和2)歿年
花巻市東和町小山田出身・初代高橋勘次郎(1793-1865)の大和流彫刻の流れを伝承する家細工(その流派を継承する彫り手法)の第一人者
樗山の作である胡四王神社本殿の唐獅子
福泉寺本堂の唐獅子
樗山が建てた本堂、樗山の名は実は時折耳にしていたのですが、有名な宮大工であるという認識は私にはなく、ただ聞き流していたのがホントでした。
本日、隣家でしかも同じ系譜の御宅の法事に二日酔いの身ながらお邪魔して来たのですが、その中で、多くは語れませんが、樗山が本堂を完成させた際に2枚の絵を残していったといわれており、その内1枚は福泉寺に、もう1枚は我家へ・・・というより同系譜の御宅に・・・・分け有でこれ以上は語れませんが、見事な絵を今回拝ませていただいた、しかも我先祖の恩人、真言行者の前川慶喜師がやはり残していった巻物と共に・・・・複雑な心境ながら、現実からは逃避はできない・・・・。
ということで、今回、法事の席で本堂を建設した大工、小原樗山は岩手ではかなり名の通った名工、名匠であることをはじめて知りました・・・・汗
本堂の龍の逸話
先代住職、宥然和尚が若き頃、本堂の前の地面に何かの塊が落ちていたという。
側に近寄ると、一匹の龍、しかもそれは本堂に彫られた龍であったが、これは何かの拍子に落下したに違いないと思ったそうです。
ところが、この龍、結構な高さから落下したにも関らず、髭等の細工部分何一つ欠損もなく、無傷であったという。
時折、この龍、空を飛び遊んでいたに違いないと皆で言い合ったとか、名匠の作ということで、その見事な出来栄え、落下しても無傷ということ、妄想もホントかもしれないと思わせるエピソードでもあります。
おまけ
かねなり
法事で振舞われましたが、最近食べていなかったせいか、結構美味かったです。
大正元年完成の本堂
すぱらしい彫刻が施されている。
小原樗山・・大正期活躍した宮大工
1862(文久2)年生~1927(昭和2)歿年
花巻市東和町小山田出身・初代高橋勘次郎(1793-1865)の大和流彫刻の流れを伝承する家細工(その流派を継承する彫り手法)の第一人者
樗山の作である胡四王神社本殿の唐獅子
福泉寺本堂の唐獅子
樗山が建てた本堂、樗山の名は実は時折耳にしていたのですが、有名な宮大工であるという認識は私にはなく、ただ聞き流していたのがホントでした。
本日、隣家でしかも同じ系譜の御宅の法事に二日酔いの身ながらお邪魔して来たのですが、その中で、多くは語れませんが、樗山が本堂を完成させた際に2枚の絵を残していったといわれており、その内1枚は福泉寺に、もう1枚は我家へ・・・というより同系譜の御宅に・・・・分け有でこれ以上は語れませんが、見事な絵を今回拝ませていただいた、しかも我先祖の恩人、真言行者の前川慶喜師がやはり残していった巻物と共に・・・・複雑な心境ながら、現実からは逃避はできない・・・・。
ということで、今回、法事の席で本堂を建設した大工、小原樗山は岩手ではかなり名の通った名工、名匠であることをはじめて知りました・・・・汗
本堂の龍の逸話
先代住職、宥然和尚が若き頃、本堂の前の地面に何かの塊が落ちていたという。
側に近寄ると、一匹の龍、しかもそれは本堂に彫られた龍であったが、これは何かの拍子に落下したに違いないと思ったそうです。
ところが、この龍、結構な高さから落下したにも関らず、髭等の細工部分何一つ欠損もなく、無傷であったという。
時折、この龍、空を飛び遊んでいたに違いないと皆で言い合ったとか、名匠の作ということで、その見事な出来栄え、落下しても無傷ということ、妄想もホントかもしれないと思わせるエピソードでもあります。
おまけ
かねなり
法事で振舞われましたが、最近食べていなかったせいか、結構美味かったです。