一家にテレビは何台ありますか?・・・今の時代、なんともナンセンスな問いかけですが、家族が多いお宅では、子供部屋に、台所に、リビングに・・・そして寝室にも・・・なんてことも多々あると思いますが、我家においても3台程・・・。
それほどテレビを観ているというものではないですが、やはりテレビは時の情報やら話題を得るには最も適した代物、毎週欠かさず観ている番組もありますからね・・・。
ということですが、居間のテレビが完全にイカレテしまった。
買って10年程ですが、買い替えを迫られている。
反面、夫婦の部屋といいますか、家の建て替え前に買ったテレビ、こちらは19年選手であるが、至って元気でなかなか壊れそうもない・・・。


実は昨年夏辺りから、そろそろ今流行りの薄型テレビでも・・・北京五輪は新しいテレビでを目論んでいたが・・・なかなかもう一歩が踏み出せないでいた。
なんたってテレビは壊れていないし、もったいない・・・そんな気持ちで今に至っております。
この話をしますと、当りが良かったんだと皆さんは言う・・・大概は10年も持てばそれなりに故障個所も出で来るもの、しかも我家ではもうひとつ、家の建て替えに合わせて導入したボイラー・・・・こちらもほぼ無故障で18年間稼働している。
こちらも当りが良かったんだといわれる。
別に大切に使用した内容ではないが、やはり当りが良かったと言わざるを得ないものかもしれない。
買い替え等の費用が別家電等の購入に回せたということでラッキーだったかもしれませんね。
いずれ、とりあえずテレビ1台を早急に買わなければ・・・・。
今後のテーマ?

母親の実家、屋号「檀那様」
遠野南部家下級武士であった家系ですが、遠野南部家家老加判、工藤家に連なる一族であり、その遠野工藤氏を少し調べてみたいと常々考えていた。
まずは母親の家系からとなりそうですが・・・・・。

祖父が30年以上前に建立した先祖300年の供養塔
八戸氏(遠野南部家)が八戸から遠野へ来たのが寛永4年(1624)、今から約380年程前の昔のこと。
祖父が供養塔を建てたのが昭和49年(1974)、先祖300年では寛永4年の遠野入部では数値が合わない・・・というのも、てっきり母方の先祖は殿様と共に八戸から来たものとばかり考えていたが、宮城県内に住む叔父に聞いたところ、先祖は工藤家の分家筋らしいとのこと・・・これで少し納得はしたが、祖父が先祖の供養塔を建てた意味は、遠野での初代が亡くなってから300年ということなのかもしれない、そうなると当初言われていたように八戸から来た・・・これも当てはまりそうな・・・・。
母親の実家、叔父宅とはいえ、小生は別家系の当主といいますか、人間でもあり、この分野に入り込むことはあまり好ましくないのではないのか?・・・そんな思いもあって母方の家系については、興味はあってもそれほど詳しく聴取もしてこなかったという経緯もありますが、我姓菊池と共にこちらの工藤姓も調べてみたい、そんな思いでもあり、今後このことに取り組めたらと考えております。
それほどテレビを観ているというものではないですが、やはりテレビは時の情報やら話題を得るには最も適した代物、毎週欠かさず観ている番組もありますからね・・・。
ということですが、居間のテレビが完全にイカレテしまった。
買って10年程ですが、買い替えを迫られている。
反面、夫婦の部屋といいますか、家の建て替え前に買ったテレビ、こちらは19年選手であるが、至って元気でなかなか壊れそうもない・・・。


実は昨年夏辺りから、そろそろ今流行りの薄型テレビでも・・・北京五輪は新しいテレビでを目論んでいたが・・・なかなかもう一歩が踏み出せないでいた。
なんたってテレビは壊れていないし、もったいない・・・そんな気持ちで今に至っております。
この話をしますと、当りが良かったんだと皆さんは言う・・・大概は10年も持てばそれなりに故障個所も出で来るもの、しかも我家ではもうひとつ、家の建て替えに合わせて導入したボイラー・・・・こちらもほぼ無故障で18年間稼働している。
こちらも当りが良かったんだといわれる。
別に大切に使用した内容ではないが、やはり当りが良かったと言わざるを得ないものかもしれない。
買い替え等の費用が別家電等の購入に回せたということでラッキーだったかもしれませんね。
いずれ、とりあえずテレビ1台を早急に買わなければ・・・・。
今後のテーマ?

母親の実家、屋号「檀那様」
遠野南部家下級武士であった家系ですが、遠野南部家家老加判、工藤家に連なる一族であり、その遠野工藤氏を少し調べてみたいと常々考えていた。
まずは母親の家系からとなりそうですが・・・・・。

祖父が30年以上前に建立した先祖300年の供養塔
八戸氏(遠野南部家)が八戸から遠野へ来たのが寛永4年(1624)、今から約380年程前の昔のこと。
祖父が供養塔を建てたのが昭和49年(1974)、先祖300年では寛永4年の遠野入部では数値が合わない・・・というのも、てっきり母方の先祖は殿様と共に八戸から来たものとばかり考えていたが、宮城県内に住む叔父に聞いたところ、先祖は工藤家の分家筋らしいとのこと・・・これで少し納得はしたが、祖父が先祖の供養塔を建てた意味は、遠野での初代が亡くなってから300年ということなのかもしれない、そうなると当初言われていたように八戸から来た・・・これも当てはまりそうな・・・・。
母親の実家、叔父宅とはいえ、小生は別家系の当主といいますか、人間でもあり、この分野に入り込むことはあまり好ましくないのではないのか?・・・そんな思いもあって母方の家系については、興味はあってもそれほど詳しく聴取もしてこなかったという経緯もありますが、我姓菊池と共にこちらの工藤姓も調べてみたい、そんな思いでもあり、今後このことに取り組めたらと考えております。