駒木の奥、土淵の西内に越える小路より東南に走る峰上にあり。
松が十余本、その根元に直径3.6m位、短径1.8m位の楕円形の塚があり、その前方は石を積み重ね一字一石(小石に一字書いたもの)がその間を埋めて、塚内にも埋積している。
昔、愛児を失った人々が、その冥福を祈り、塔婆と草履をあげて拝んだものなり。
松の木に耳を寄せると、小児の声が聞こえるという伝説があった。

この地獄山は、峰伝いに狭いが細長く平場があり、その平らな部分にいくつも小石の森があった。
その場所を通る人が石森に小石を積み上げ、時折、小石が崩れていたそうです。
地元古老が少年時代、夜に鬼が現れて小石の森を崩したものだと、大人達に言われたそうです。
今は林となり、その場所もわからない状態となっている。

耳切山から、駒木、松崎、遠野方面(6月7日)
地元駒木とはいえ、なかなか行き着ける場所ではなく、またこの存在をする人々も極めて少ないのが現状でもあります。
私の親父と同年代、上駒木に生まれ育ったご年配の方々が、辛うじてその場所の記憶をとどめているが、近年この方々が大人になり山仕事等で、たまたまその地を見たという人が僅かにいるのみ・・・・。
昔、駒木(妻ノ神)から海岸方面へ通じる小道があり、土淵の西内に出て、小国(川井村)方面や大槌方面を往来したといわれます。
この地獄山は、その道から若干外れているが、いつしか我子を失った母親等が訪れ、その冥福を祈った場所であるというが、その道筋が私には不明であり、数年前からそれとなく古老達から聞いてはいるのですが、大雑把な場所は想像ができますが、具代的な場所がわからない、現在の牧道のどの辺りから、旧道に入ったらよいのか、その下見に妻ノ神へ・・・・・。
しかし、道路に横たわるビヘーと2度遭遇、やはり時期が悪い、しかも遠くでは雷の音、耳切山の頂部辺りまで行ってUターン・・・。

荒川高原方面から雷雲が・・・ポツリポツリと雨も降ってきたということで、今回は撤退、こちらも初冬の頃か春先の探訪となりそうです。

8日は、早池峰山岳訓練、その後、軽く反省会兼慰労会、そして遠野ぶれんどノモー是かだろう会、充実しそうな一日となりそうです。
遠野ぶれんどには若干、遅れる可能性有り・・・・
松が十余本、その根元に直径3.6m位、短径1.8m位の楕円形の塚があり、その前方は石を積み重ね一字一石(小石に一字書いたもの)がその間を埋めて、塚内にも埋積している。
昔、愛児を失った人々が、その冥福を祈り、塔婆と草履をあげて拝んだものなり。
松の木に耳を寄せると、小児の声が聞こえるという伝説があった。

この地獄山は、峰伝いに狭いが細長く平場があり、その平らな部分にいくつも小石の森があった。
その場所を通る人が石森に小石を積み上げ、時折、小石が崩れていたそうです。
地元古老が少年時代、夜に鬼が現れて小石の森を崩したものだと、大人達に言われたそうです。
今は林となり、その場所もわからない状態となっている。

耳切山から、駒木、松崎、遠野方面(6月7日)
地元駒木とはいえ、なかなか行き着ける場所ではなく、またこの存在をする人々も極めて少ないのが現状でもあります。
私の親父と同年代、上駒木に生まれ育ったご年配の方々が、辛うじてその場所の記憶をとどめているが、近年この方々が大人になり山仕事等で、たまたまその地を見たという人が僅かにいるのみ・・・・。
昔、駒木(妻ノ神)から海岸方面へ通じる小道があり、土淵の西内に出て、小国(川井村)方面や大槌方面を往来したといわれます。
この地獄山は、その道から若干外れているが、いつしか我子を失った母親等が訪れ、その冥福を祈った場所であるというが、その道筋が私には不明であり、数年前からそれとなく古老達から聞いてはいるのですが、大雑把な場所は想像ができますが、具代的な場所がわからない、現在の牧道のどの辺りから、旧道に入ったらよいのか、その下見に妻ノ神へ・・・・・。
しかし、道路に横たわるビヘーと2度遭遇、やはり時期が悪い、しかも遠くでは雷の音、耳切山の頂部辺りまで行ってUターン・・・。

荒川高原方面から雷雲が・・・ポツリポツリと雨も降ってきたということで、今回は撤退、こちらも初冬の頃か春先の探訪となりそうです。

8日は、早池峰山岳訓練、その後、軽く反省会兼慰労会、そして遠野ぶれんどノモー是かだろう会、充実しそうな一日となりそうです。
遠野ぶれんどには若干、遅れる可能性有り・・・・
