何を思ったのか、元来内気で積極的ではない性格ながら、どこか心の根底に目立ちたい気持ちがあったのか、好きな分野でアピールしたいと思ったのか、ホームページなるものを立ち上げてみたいと考えたのが、今から6年前の春・・・・試行錯誤しながらも、なんとかページが出来上がり、生まれ育った遠野市松崎町のこと、それも興味があった郷土史分野を主に展開してまいりました。
ウエブサイト「遠野・松崎じぇんご弐」
2001年6月21日開設、満6周年を迎えました。
弐というくらいですから「壱」が実はあって、翌2002年3月から5月までの2ヶ月、諸般の事情で表向きは廃し、実情は休止をしておりまして、再開するにあたり、「弐」として、気持ちも新たに発信してきた経緯がございます。
また、分家サイトである「奥州虎猫舘」も6月24日で満5年となります。
主に北奥羽の歴史を扱って参りましたが、最近は「遠野南部氏」関連に固執しすぎながらも、追加、更新が停滞しておりますが、徐々にペースを上げてまいりたいと思います。

ホームページ立ち上げ当時、遠野では御伽屋さん、座敷親父さん、遠野市綾織町を紹介していた古舘さんのHPが草分け的で、市内発信のHPは、ほんの数える程度でありましたが、その後、HPが急激に増えたというわけではございませんが、今はブログ隆盛時代、その数もみるみるうちに増え続けており、時代の移り変わりを感じます。
長女が中学2年生であった開設当初、間もなく長女は20歳となり、時の流れもまた感じずにはいられません。
皆様一人ひとりと心をつなぐ橋・・・・

ホームページというもので、多くの方々と知り合い、お付合いさせていただいておりますが、疎遠となる部分もあり、なかなか人との繋がりの難しさもございますが、歴史関連で知り合った東京都の稲用さん、八戸の藤九郎さんとは、HP開設当初から親しくお付合いさせていただいております。
この方々はじめ、多くの方々が関っていただいた当ウエブサイト、地味ながらも今後も展開させて参りますので、よろしくお願いします。

薬師の小さな雫もやがて大河となり、田瀬湖の水を満遍なく湛える力となる、ブログやウエブサイトもこうした力を秘めているものと思いますので、私も得意分野で今後も頑張りたいと思います。
ウエブサイト「遠野・松崎じぇんご弐」
2001年6月21日開設、満6周年を迎えました。
弐というくらいですから「壱」が実はあって、翌2002年3月から5月までの2ヶ月、諸般の事情で表向きは廃し、実情は休止をしておりまして、再開するにあたり、「弐」として、気持ちも新たに発信してきた経緯がございます。
また、分家サイトである「奥州虎猫舘」も6月24日で満5年となります。
主に北奥羽の歴史を扱って参りましたが、最近は「遠野南部氏」関連に固執しすぎながらも、追加、更新が停滞しておりますが、徐々にペースを上げてまいりたいと思います。

ホームページ立ち上げ当時、遠野では御伽屋さん、座敷親父さん、遠野市綾織町を紹介していた古舘さんのHPが草分け的で、市内発信のHPは、ほんの数える程度でありましたが、その後、HPが急激に増えたというわけではございませんが、今はブログ隆盛時代、その数もみるみるうちに増え続けており、時代の移り変わりを感じます。
長女が中学2年生であった開設当初、間もなく長女は20歳となり、時の流れもまた感じずにはいられません。
皆様一人ひとりと心をつなぐ橋・・・・

ホームページというもので、多くの方々と知り合い、お付合いさせていただいておりますが、疎遠となる部分もあり、なかなか人との繋がりの難しさもございますが、歴史関連で知り合った東京都の稲用さん、八戸の藤九郎さんとは、HP開設当初から親しくお付合いさせていただいております。
この方々はじめ、多くの方々が関っていただいた当ウエブサイト、地味ながらも今後も展開させて参りますので、よろしくお願いします。

薬師の小さな雫もやがて大河となり、田瀬湖の水を満遍なく湛える力となる、ブログやウエブサイトもこうした力を秘めているものと思いますので、私も得意分野で今後も頑張りたいと思います。