遅ればせながら、遠野市立博物館で開催中の企画展「伊能嘉矩」に観て参りました。
遠野が生んだ日本民族研究の先学者である人類学者伊能嘉矩の功績を称え、特に情熱を注いだといわれる明治28年に日本の領土となった台湾の調査研究について多くの人たちに理解を深めてもらおうと開かれたものです。市立博物館の展示ブースには伊能嘉矩の出生などの他、主に台湾での調査研究を中心にその資料や集大成となった「台湾文化志」などおよそ100点が展示されています。また、今回はとぴあセントラルコートにも写真パネル16点を展示し、伊能嘉矩の学生時代や台湾での様子を見ることが出来るということです。市立博物館企画展「伊能嘉矩と台湾研究」は6月29日まで・・・・遠野市民は無料です。
遠野テレビ紹介文より抜粋

伊能嘉矩
慶応3年5月9日(1867)遠野町新屋敷(東館)に生まれ、父親は伊能守雄、母親は千代子。
母親の千代子が嘉矩が3歳の時に死去、父である守雄は、医学に志を立て、遊学へと旅立ち、祖父母によって養育された。
祖父は、伊能友寿(ともなが)で遠野南部家臣で家禄7石5斗のいわば下級家臣であったが、江戸や仙台にて遊学し、武芸、兵法を修めたといわれる。
また、神道を崇拝し、八幡宮の神官も勤め、現花巻市東和の小原実風(平田篤胤門下)で国学も究めた偉人でもある。
伊能嘉矩の功績等、何を成した人物かは、ネット検索でもかなりヒットいたしますので、各々お調べになられてください。
大正14年(1925)59歳で逝去。
菩提寺の大慈寺に眠っております。
学界空前の大著「台湾文化志」をはじめ、上閉伊郡志、遠野史叢・・・今日の遠野郷土史、民俗分野にも多大な影響を与える著書があり、その先駆者でありその功績は偉大であると思います。
こういった企画展を開催、久しく観る事がなかったので新鮮でもありました。
地元学の構築、まさに博物館は、うってつけの施設かと思いますので、今後も色々と企画して開催してほしいものです。
6月12日、気温が上昇、日中は30度近くはあったものと思います。
緑の南部曲屋
遠野が生んだ日本民族研究の先学者である人類学者伊能嘉矩の功績を称え、特に情熱を注いだといわれる明治28年に日本の領土となった台湾の調査研究について多くの人たちに理解を深めてもらおうと開かれたものです。市立博物館の展示ブースには伊能嘉矩の出生などの他、主に台湾での調査研究を中心にその資料や集大成となった「台湾文化志」などおよそ100点が展示されています。また、今回はとぴあセントラルコートにも写真パネル16点を展示し、伊能嘉矩の学生時代や台湾での様子を見ることが出来るということです。市立博物館企画展「伊能嘉矩と台湾研究」は6月29日まで・・・・遠野市民は無料です。
遠野テレビ紹介文より抜粋

伊能嘉矩
慶応3年5月9日(1867)遠野町新屋敷(東館)に生まれ、父親は伊能守雄、母親は千代子。
母親の千代子が嘉矩が3歳の時に死去、父である守雄は、医学に志を立て、遊学へと旅立ち、祖父母によって養育された。
祖父は、伊能友寿(ともなが)で遠野南部家臣で家禄7石5斗のいわば下級家臣であったが、江戸や仙台にて遊学し、武芸、兵法を修めたといわれる。
また、神道を崇拝し、八幡宮の神官も勤め、現花巻市東和の小原実風(平田篤胤門下)で国学も究めた偉人でもある。
伊能嘉矩の功績等、何を成した人物かは、ネット検索でもかなりヒットいたしますので、各々お調べになられてください。
大正14年(1925)59歳で逝去。
菩提寺の大慈寺に眠っております。
学界空前の大著「台湾文化志」をはじめ、上閉伊郡志、遠野史叢・・・今日の遠野郷土史、民俗分野にも多大な影響を与える著書があり、その先駆者でありその功績は偉大であると思います。
こういった企画展を開催、久しく観る事がなかったので新鮮でもありました。
地元学の構築、まさに博物館は、うってつけの施設かと思いますので、今後も色々と企画して開催してほしいものです。
6月12日、気温が上昇、日中は30度近くはあったものと思います。
緑の南部曲屋
