見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

人になった仏頭/国宝 興福寺仏頭展(芸大美術館)

2013-09-15 23:59:08 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京藝術大学大学美術館 興福寺創建1300年記念『国宝 興福寺仏頭展』(2013年9月3日~11月24日)

 興福寺には、これまで何度も何度も行っている。もちろん、この仏頭にも何度となく対面している。しかし東京においでいただけると聞けば、それは嬉しさも格別なので、やっぱりいそいそと見に行った。開館の10時より少し早めに行ったら、チケット売り場はもう開いていて、入場を待つ人の長い列ができていた。エントランスホール内で折り返すくらい。高齢のご夫婦が多いが、若者も混じる。他人のことを言うのもナンだが、最近の日本人、仏像好きだなあ。

 展示は地下2階に下りて、左右の展示室から始まる。第1展示室が混んでいたので、第2展示室から入ってみた。そうしたら、おお、『板彫十二神将』が揃っていた。旧・国宝館時代は、展示される機会が多くなかったので、たまに見ることができると、得をした気分になっていたもの。薬師如来の台座を飾っていたのではないか、という。ん? ああ、そうか、興福寺仏頭(山田寺仏頭)って薬師如来だったのかと気づく。

 あらためて第1室に入りなおすと、冒頭に鎌倉風というより濃厚に宋風な弥勒菩薩像。こんなのあったかしら、としばし戸惑う。いつも国宝館においでになる「厨子入り」弥勒菩薩半跏像だが、会場では、厨子と別々に展示しているのだ。おかげで、さまざまな角度から仏像の立体感を嘆賞することもでき、ふだんは仏像に隠れて見えない部分の絵画や、細かい細工(天井に取り付けられた天女のフィギュア!)も確認することができた。

 私は文書類や仏典類も興味深く見たが、それ以上に春日版の版木に感激した。興福寺には春日版の版木2778枚が伝わっているそうだ。その墨色の美しさ。また文字の筆画が太くて、これを摺ったら、黒々した紙面ができあがるだろうと想像できた。以前、印刷博物館で、春日版というのは濃い墨色が特徴と学んだ記憶がよみがえる。

 思いのほか、仏画がたくさん並んでいることに驚く。大乗院伝来の『慈恩大師像』は縦242cmの大幅。でも慈恩大師本人が八尺(196.8cm)の長身だったという解説のほうに驚く。鎌倉時代の『持国天像』はカッコよかった。剣を手に岩座の上で睨みを利かせる武将図で、二匹の邪鬼を従える。戦う武士の美意識がビンビンに感じられる。解説によれば、ボストン美術館所蔵の旧永久寺真言堂障子絵(四天王像)に似ているという。昨年、日本に来ていた作品だろう、たぶん。『護法善神扉絵』は六角厨子を構成していた12枚の扉絵。黒漆の背景に彩色鮮やかな天王や諸尊の姿が美しい。どこかで見たような記憶があるのは、貞慶上人の展示で見たのかもしれない。

 結局、第1、第2展示室に仏頭はいないのか(もったいぶるな)と思いながら、3階に上がる。第3展示室は、ブチ抜きの広い空間に『木造十二神将立像』を点在させ、奥に仏頭を配する。なかなか楽しい。この十二神将、どこにいらっしゃるんだっけ?としばらく考える。東金堂である。治承焼亡以前の東金堂十二神将像の再興像として造立された可能性が高いと図録にいう。私は、めずらしく「音声ガイド」を利用していたのだが、解説が「平清盛の息子・重衡によって焼かれ」「平氏によって焼かれ」と繰り返すので、苦笑してしまった。それはまあ、恨み骨髄だろうが。

 しかし、治承焼亡という苦難の歴史を経て再興された十二神将像には、万一再び戦乱が起こるときは、絶対に寺を守護する強い神通力が求められたという解説を聞いて、なるほどと思った。鎌倉のリアリズムが、現代人の自然主義リアリズムとは全く違う「信仰」に基づいていることを了解した。本展の「音声ガイド」には、仏頭大使1号、2号こと、みうらじゅん氏といとうせいこう氏の対談によるボーナストラックが付いている(お聞き逃しなく!)。『板彫十二神将』と『木造十二神将立像』と『仏頭』の三箇所。やっぱり、この『木造十二神将立像』のところが、いちばんテンションが高い感じがする。腰のしぼり方、ひねり方、風をはらんだ帯のなびき方。東金堂では他の仏像の影に隠れていて、よく見えないものもある十二神将を、360度、斜めからも後ろからも見られるのはすごい。私は波夷羅大将の後ろ姿が好き! 図録の写真は、実にいいところ(細部も)を切り取っているなあ。嬉しい。

 そして、ようやく仏頭である。これも、360度、全方向から見ることができる。背面から見ると、頭頂部の大きな欠損が目立って痛ましいが、このまま縮小したらマグカップになりそうだ…と不届きなことを考えてしまった(すいません)。右耳部分も大きく内側に落ち込んでいる。だが、本来、完璧なシンメトリーを有する「仏の頭部」が、この損傷を受けることによって、人間的な魅力を感じるお顔になったとも言える。「人間の顔ってアンシンメントリーでしょ」と、そのことを指摘していたのは、仏頭大使1号、2号のふたり。

 この仏頭が載っていた、飛鳥・山田寺の三尊像が興福寺堂衆によって運び出され、東金堂に安置された経過を九条兼実は『玉葉』に書きとめている。さすが兼実さん。ちなみに山田寺は「興福寺と対立していた京都・仁和寺の所管であった」という図録の解説を読んで、思わず後白河法皇の顔が浮かんだ。その後、応永18年(1411)の落雷で東金堂は焼失、新本尊(現在の東金堂本尊)が新たに鋳造された。忘れられていた旧本尊の頭部が発見されたのは、昭和12年(1937)10月29日のことだという。盧溝橋事件の年だ。すごいなあ、こんなことがあるものなんだな、としみじみ往古を思う。最後に白鳳仏つながり(?)で、東京・深大寺の釈迦如来倚象がいらしていた。
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東京旅行・行ったものメモ(2013年9月)

2013-09-15 20:45:32 | 行ったもの(美術館・見仏)
三連休を使って東京へ。いつものように金曜の遅い便で羽田着。今回は展覧会にプラスして「見もの」というか「聴きもの」の舞台が2件。

土曜日
・東京藝術大学大学美術館 興福寺創建1300年記念『国宝 興福寺仏頭展』(2013年9月3日~11月24日)
・センチュリーミュージアム 『中世の日本美術』(2013年8月19日~11月30日)
・国立劇場 9月声明公演『天野社の舞楽曼荼羅供』(2013年9月14日、14:00~)

日曜日
・国立近代美術館 『竹内栖鳳展 近代日本画の巨人』(2013年9月3日~10月14日)
・NHKホール ミラノ・スカラ座日本公演2013『リゴレット』(2013年9月15日、13:00~)

ふう~満足、満足。今日の東京は、幸い、台風の影響もあまりなかった。今日は、関西のほうが雨が悪天候だったらしい。確か東京の友人が小浜や和歌山に出かけているはずなので、大丈夫だったか、気になるところ。東日本は明日が心配だが、もし飛行機が飛ばなくて、火曜の朝に札幌に帰れなかったら、そのときはそのとき! 五島美術館と江戸東京博物館は行けるかな。

読書も進んで、持ってきた五味文彦さんの『物語の舞台を歩く』と、昨日買った藤森照信+山口晃さんの『日本建築集中講義』を一気読みして、さらに別の本を買って帰ることになった。さすがに荷物が増えすぎなので(興福寺仏頭展の蓮クッションも嵩張る)、私としてはめずらしく、宅配便を利用することに決めた。

レポートは順番に書きたい。しかし帰ると山ほど仕事が待っているし、次の週末は関西行きの予定なのである。
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理想に飲み込まれない/いまを生きるための政治学(山口二郎)

2013-09-12 23:18:47 | 読んだもの(書籍)
○山口二郎『いまを生きるための政治学』(岩波現代全書) 岩波書店 2013.8

 最近、同じ著者の『若者のための政治マニュアル』(講談社現代新書、2008.11)を読んで、納得できるところが多かった半面、どこか虚しさが残った。2008年と言えば、福田→麻生政権の年である。あれから5年間の日本国民の経験(政権交代とその反動、および震災と原発事故)を、政治学はどう評価・総括するのだろう、という興味で、引き続き、本書を読んでみた。

 著者の基本的な立ち位置は、2008年の『若者のための政治マニュアル』から変わっていないと感じた。政治が追求する最大の価値は生命であるとか、政策課題の選別をめぐって権力が働くとか、権利(right)と特権(privilege)の区別とか、市民の主体的な行動によって支えられる民主主義とかは、前著にも書かれていたことだ。こうした正統的な政治学は、とりあえず1980年代くらいまでは、現実に機能していたのだと思う。私が、かつて中学・高校の「公民」だったか「政経」だったかで学んだのも、いわば正統的な政治学だった。

 ところが、1990年以降、「冷戦崩壊にともなう世界全体の市場化」と「IT革命にともなう情報に関する落差の消滅」という大変化が起こる。要するに、グローバル化である。その結果、古い政治システムでは機能していた、いくつかのバランサーや安全弁が失われてしまった。そのことを、本書はきわめて丁寧に記述している。

 たとえば、グローバル金融資本主義の展開によって中間層が崩壊し、1%の富裕層と99%の貧困層と言われる今日、その比率は、必ずしも政治の多数決に反映されない。「官と民」「生産者と消費者」「高齢者と若年層」など、同じような生活をしている人たちを分断する言説から何かを選んで、人々は自分の所属集団を決める。だから99%の人々をひとつの政治的主張にまとめることは困難である、という分析に同感した。

 それから、産業構造が変化する中で、労働組合、業界団体などの中間的な社会集団は、既得権にしがみつく守旧派というイメージで見られるようになり、すっかり衰退してしまった。しかし、しっかりした社会集団は、市民に対する政治教育の機能を持っている。人間は、中間団体で交際、議論することによって相互性(他者の立場を思いやる能力を学ぶ)とトクヴィルも説いている。最近、大学教育の現場で言われる「コミュニケーション能力」って、本当はここまで到達しなければいけないんじゃないかな。なんか就職先に適応する能力みたいに矮小化されているけど。ともあれ、民主主義を衆愚政治に陥らせないためには、中間団体の再生が急務である。

 また、官僚主義の弊害を取り除くには、民間手法や市場主義の導入がいちばんよいという神話の「嘘」についても、詳しく論じられている。官僚制の病理は「目標の転移」(目標の意味を問うことなく、擬似的な目標に到達するために頑張ることが善となる)にあるが、市場原理や競争原理は、全く同じ現象を引き起こしやすいのである。本書には官僚制の強み(専門性、継続性)についても、きちんと記述されていて、むしろ今の官僚集団は、こうした強みを取り戻さないといけないのではないかと思った。

 結びにいう、2009年の政権交代から民主党政権の自壊を通して「日本人が政治について理想を語ることを諦める気分に陥ったという点で、民主党の罪はきわめて大きい」という総括は、自分の経験にも思い当たるだけに辛い。でも私は、そんなに大きなショックを受けなかったのは、もともと「ゆるい」人間だからだろう。「地上で理想を実現することが不可能であることは、すでに繰り返し述べてきたとおりである」という著者の発言に驚かず、「漸進的な政策の改良を生ぬるいと否定していては、何の前進も起こらない。ある程度前向きの変化が起こったところで、大満足とはいかなくても、ほどほどの満足を得るべき」という主張に黙ってうなずくのが、大人の腹の太さというものだ。

 巻末の「文献一覧」と「読書・映画案内」が、著者の思想の基盤を示していて、なかなか素敵。
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現代日本画の冒険/星星會展 日本画の伝統と未来へ(北海道立近代美術館)

2013-09-08 18:57:13 | 行ったもの(美術館・見仏)
北海道立近代美術館 特別展『星星會展-日本画の伝統と未来へ』(2013年9月6日~9月23日)

 札幌に引っ越してきて以来、地元の催しもいちおうチェックしているのだが、なかなか食指の動くものがない。現代アート関連の企画はけっこうあるんだけど、私、古いもの好きだからなあ。

 と思っていたら、この展覧会のことを知った。星星会は、同世代の4人の日本画家、下田義寛(1940生)、牧進(1936生)、田淵俊夫(1941生)、竹内浩一(1941生)が、2005年から2013年まで、隔年で新作日本画を展観してきたグループ展。本展は、その活動の掉尾を飾る記念展だという。

 下田義寛の作品は、力強く羽ばたく鳥、夕映えの桜、富士山など類似のモチーフを繰り返し描いていた。牧進の作品は、装飾的で華やか。絵画というより友禅の文様みたいだ。自然の実景には絶対にあり得ないと思う一方で、自然の中に「一瞬」こんな装飾的な光景を見たような気もする。画面いっぱいの花吹雪とか紅葉とか、月夜の梅とか、執拗なまでの「繰り返し」が美しい。

 田淵俊夫先生は、このブログでも何度か書いたが、ご本人の謦咳に接したことのある方なので、先生と及びしたい。今朝の『日曜美術館』のアートシーンで、東京都江戸川区に生まれた田淵は、故郷ののどかな風景を原点としました、みたいな紹介があって微笑んでしまった。私も同じ風景の中で育った人間だからである。田淵先生の風景画には、ほとんど人の姿が登場しないが、どこかに人の気配があって、それが懐かしさを醸し出しているように思う。

 竹内浩一は、最小限の背景のもと、ひたすら動物を描く画家。非常に写実的な動物の姿なのに、どこか人間に似ている。大きな動物から小さな動物(鳥、魚)まで描いているけど、猿の三幅対がいちばん気に入った。

 楽しかったので、後日の記憶のよすがに展示図録を買ってみたが、印刷にはガッカリ。どの作品も、日本画の色彩のあえかな美しさからは著しく遠ざかっている。
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雑誌は日本美術ブーム?/Pen、BRUTUS、芸術新潮

2013-09-07 14:44:01 | 読んだもの(書籍)
■『Pen』2013年8/1号「完全保存版・日本美術をめぐる旅。」 阪急コミュニケーションズ 2013.7

 書店の雑誌コーナーに行ったら、日本美術に関係する特集が目についたので、少しまとめ買いをしてきた。お奨めはこれ。「水墨画」「障壁画・絵巻」「建築・庭」など、いくつかのテーマを設定し、全国各地に散らばるさまざまな名勝や作品を、エキスパートの解説のもと、取材している。まず、テーマの設定が渋い。冒頭が「水墨画」って、どういう購買層をねらっているんだろう。全方位的に受けのよさそうな「琳派」とか「浮世絵」はなし。でも「伊藤若冲」はひとりで1ジャンル扱いなのも面白い。

 そして、この特集を成功させているのは、何よりもエキスパート(案内人)の贅沢な人選。「障壁画・絵巻」は、画家の山口晃さん。西本願寺・白書院の空間構成について語る、(外の光が差し込んだとたん)「わーっと奥行きが出まして(中略)竹がポーンと前に出て」という興奮気味のコメントが楽しい。下手の魅力『松姫物語絵巻』を再度(著書『ヘンな日本美術史』に続いて)取り上げてくれて、ありがとうございます!

 「伊藤若冲」=辻惟雄先生、「建築・庭」=藤森照信先生は盤石。「仏画」=横尾忠則氏は、ちょっと意外だった。高野山・金剛峯寺の『仏涅槃図』を挙げていらっしゃるが、これは大きさ(約3メートル)が想像できないと、誌面では魅力が伝わりきらないかもしれない。「水墨画」は板倉聖哲先生。ここで思わぬ耳より情報を拾ってしまった。毎年10月第2日曜に大徳寺本坊方丈では曝涼があるのか! 今年は小浜に行くつもりだったけど、どうしよう~。

■『BRUTUS』2013年8/15号「日本美術総まとめ」 マガジンハウス 2013.8

 山口晃さん描く表紙がかっけー。『檜図屏風』制作中の狩野永徳である。特集は「東京国立博物館(トーハク)に行けば、ぜんぶわかる! 日本美術総まとめ」で、各時代の美術の特徴を解説する。うーん、時系列順の美術史って、いまひとつ面白くない。実は、この特集よりも、付録の「書いて楽しむ『和様の書』。」が欲しくて、本誌を買ってしまったのだ。東博の特別展『和様の書』の連動企画で、同展の出陳作品を薄墨色で印刷した「練習帖」が付いている。これを筆ペンなどでなぞって書いてみよう、という趣向。

 購入してから、これは貴重な記録かもしれない、と思ったのは、山下裕二先生の解説による「日本美術×現代アート」のページで、主に2000年以降の日本のアートシーンを展覧会や出版物で振り返っている。山下先生と赤瀬川さんの『日本美術応援団』の刊行が2000年2月。同年10月、京博の『没後200年 若冲』展は「新聞社などとの共催でない自主企画として、学芸員の狩野博幸がキュレーション。若い世代を中心にクチコミで9万人を動員」という。でもまだ9万人だったのか。

 この頃から、私は日本美術ブーム、奇想ブームが「来た」と思っていたけれど、2004年10月、千葉市美の『伝説の浮世絵開祖 岩佐又兵衛』は、まだ「早すぎた」(山下)か「動員は振るわず。再度の企画が待たれる」という結果だったらしい。まあ、空いていたな、確かに。2005年4月、京博の『曽我蕭白-無頼という愉悦』も狩野博幸の企画。「円山応挙が、なんぼのもんぢゃ!」とくさしたポスターには「応挙びいきの京都人から反発も」って本当なんだろうかw。やはり「早すぎ」につき蕭白ブームは不発、とある。

 2006年7月のプライスコレクション『若冲と江戸絵画』は、東京展だけで32万人。2007年5月、承天閣美術館『若冲と動植綵絵展』は、最終日に6時間待ちの行列ができたとのこと。日本人、若冲を好きすぎる。

 日本美術ブームらしきものが一般化するのは、2008年頃なのか。同年3月、東博の『国宝 薬師寺展』は75万人(!)、7月の『対決-巨匠たちの日本美術』は33万人、10月の『大琳派展』は31万人を動員した。あとは、数だけ書いておくと、2009年の『国宝 阿修羅展』が空前の95万人。『皇室の名宝』が45万人。『空海と密教美術』は55万人。『ボストン美術館』が54万人。…まあねえ、最近は、何を見に行っても混んでいる。

 山下先生は、この「雪崩を打つような日本美術ブーム」に対して「こうなると天の邪鬼な僕は、うんとハードルを高くした展覧会をやりたいって思うようになってしまう」と語っている。ああ、ぜひお願いしたい。

■『芸術新潮』2013年9月号「世界文化遺産登録記念 大特集・富士山 その絵画と信仰」 新潮社 2013.9

 富士山に関する美術大特集。神話と信仰をまとった古代~中世の富士山(白い山頂が、ひときわ鋭角的にそびえたつイメージ)も美しいと思うし、近世以降の、実景に近い、なだらかでおおどかな富士山も好きだ。前者には、粛然と声を失うような名品もあれば、にぎやかで楽しい素朴絵もある。後者では、永青文庫展で見た杉谷行直の『富士登山図巻』が収録されていて、うれしかった。下野国の神官・小泉斐(あやる)も実際に登山して『富士登岳図巻』を残している。栃木県立美術館所蔵。

 なお、元来、仏教色の濃かった富士山から仏像が排除されたのは、明治の廃仏毀釈によるもので、「下山仏」は柴又にもあるという。知らなかった。

 特集以外では、「韮山代官・江川家の身辺『写生』お蔵出し」が気になる記事だった。このひと、大砲・反射炉だけでは語れない多芸多才な人物とは聞いていたが、「絵筆のまめさは超人的」だったと知って、さらに親しみが増した。今年3月、江川家関係資料が新たに重要文化財の指定を受けるに際し、日常的なスケッチの類は指定を外れたそうだが、むしろこっちが見てみたい。
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もっと権利の主張を/若者のための政治マニュアル(山口二郎)

2013-09-05 21:44:16 | 読んだもの(書籍)
○山口二郎『若者のための政治マニュアル』(講談社現代新書) 講談社 2008.11

 8月13日に第3回『鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台』を聴きに行った。ゲストは山口二郎先生。このレポートは、つい書き逃してしまったが、大学の先生らしい、端正な講義だった。そして、なんとなく予想はしていたけど、山口先生が民主党の政策ブレーン(というか政治哲学ブレーン?)だったらしいことが分かった。そして、民主党政権の(特に対米政策に関する)失敗に対し、「あれほど稚拙とは…」と苦いものを思い出すようにおっしゃったのが印象的だった。

 さて、本書は「社会の荒廃で様々な被害を受けている若い人々に対して、政治のスキルを提示する」ことを目的に書かれたものである。きびきびとした文体で、平易で明快で、気持ちのいい本だ。政治の「スキル」と書いてあるけれど、目先の利益を手に入れるための「やりくち」ではなくて、政治の根本的な理念から説き起こされている。本当に手ごわい相手と渡り合うには、こちらに盤石の信念や理念が必要だからだ。

 政治の最も大事な目標は生命の尊重である。だから「あんなやつ(どんなやつでも)は死んで当然」という政治家は絶対に許さない、と著者は言う。戦争を肯定する政治家は無論。平和とは、単に戦争がない状態を意味するのではない。人間がモノとして扱われ、生きる希望を持てない社会を「平和な社会」と呼ぶことはできないのではないか。

 そこで必要なことは、政治参加と権利の主張である。権利(right)の主張と、特権(privilege)の要求は区別されなければならない。今までの日本の政治は、さまざまな特権が甘やかされる一方で、正当な権利が守られてこなかった。もっと自信を持ってわがままになり、みんなの権利が尊重される社会を作っていこう。

 著者の主張に私は共感する。だが、ちらっと確かめた奥付によれば、本書の刊行年は2008年で、当時の世論がどうだったか、正確には思い出せないのだけど、あれから5年、日本の社会は、ますます権利の主張がしにくくなり、生きる希望の持てない方向に進んでいると思う。

 では、猛々しい競争から、人間の尊厳を守ってくれる政治家はどこにいるのか。どうやって見つけ出せばいいのか。著者は、政治家の「言葉」への注目を促す。あやふやな言葉を使うやつを信用するな。ああ、その通りだ。でも、その見極めをつけるには、判断する側が、言葉に対する正しい感性を持たなければならない。空疎な言葉と実のある言葉を見分ける能力を持たなければならない。いまの国語教育は、その責務を果たしているのだろうか。屁理屈とこけおどしでディベートやプレゼンに勝つ能力の育成に、躍起になっているのではなかろうか。

 若者の政治的リテラシーが低いのも、政治への関心が薄いのも、実のところ、文科省の役人や文教族の政治家が、若者に政治に関心を持ってほしくないと思っているからではないか。これは、うがった見方のようで、なんとなく真相をついている気がした。それから、社会が抱える多くの問題から、政府が何を政策課題として取り上げるかという決定には、必ず「社会的偏見」が働くというフロー図も、当然のようで、新鮮だった。社会は不公正にできているのだ。だからこそ、権利は不断に主張し続けなけれなならない。

 最後に著者は、グローバル資本主義という病に冒された日本を変えるには、必ず世の中は変えられるという楽観的な進歩主義(理想主義)と、本当に世の中を変えるためには、一時の熱狂に踊らされず、策を慎重に練る保守主義(現実主義)が必要だと記す。民主党・鳩山政権の、あまりにも現実と乖離した、稚拙な失敗を経験した今、この箇所を読むのはつらい。でもまた、時代は巡ってくるだろう。「あとがき」には、著者に刺激を与えた若い知識人たちへの感謝が記されているが、その中に「今私の向かいの研究室にいる中島岳志君」の名前もある。

 本書に続いては、2013年8月に上梓されたばかりの著者の新刊も読んでみようと思っている。本書との間で、何が変わり、何が変わっていないのかを確かめながら。

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写す熱意/谷文晁(サントリー美術館)

2013-09-03 00:14:06 | 行ったもの(美術館・見仏)
サントリー美術館 『生誕250周年 谷文晁』展(2013年7月3日~8月25日)

 やれやれ何とか最後の週末に間に合った。図録の序章「様式のカオス」の扉に「谷文晁と聞いて、これぞ彼の代表作という一点が思い浮かぶ人がどれだけいるでしょうか。」という興味深い問いかけが掲げられている。確かに。私は、長いこと、谷文晁という画家をうまく認識できなかった。この絵はいいなと思って、谷文晁の名前を覚えても、次にまた、この絵はすごいと思って出会う谷文晁が、あまりに別人すぎるのだ。「八宗兼学」とはよく言ったものだと思う。

 その「カオス」ぶりを表現したかったのかもしれないが、会場の冒頭には、山水・人物・仏画・洋風画・水墨・彩色など、技法も題材も、あらゆるタイプの作品が、所狭しと掛け並べられていて、呆然。ひとり骨董市かよ!と、笑いながら毒づきたくなった。

 興味深かったのは、サントリー美術館本『石山寺縁起絵巻』の修復後初公開。『石山寺縁起絵巻』は、昨年、滋賀県立近代美術館の『石山寺縁起絵巻の全貌~重要文化財七巻一挙大公開~』を見に行って分かったところによれば、全7巻が、鎌倉時代末期から江戸時代まで描き継がれて成立した、不思議な絵巻物である。谷文晁は、その掉尾の巻6-7を制作した。と思っていたら、これとは別に、箱書に「文晁筆」の墨書を持つ巻1-7の模本1セットが伝わっているのだという。図録の解説によれば、複数の弟子の関与が推測されるが「文晁筆に帰して良いもの」と考えられている。「絵巻が重く感じられるほど緑青や群青の岩絵具が贅沢に厚く塗り重ねられており」という解説がすごいなと思った。展示ケースの都合で、全場面公開とはいかなかったのは残念。

 本展の後半は、文晁をめぐる画人・文化人ネットワークに注目する。これも面白かった。私が、谷文晁と聞いて最初に思い浮かべる作品は、絵画的完成度とは全く別に、木村蒹葭堂の肖像である。抱一も若冲も応挙も、南畝も京伝も、みんな近いところにいたんだな。

 私は文晁が自然の景観を写した作品がかなり好きだ。山水図というより、近代の「写生(スケッチ)」だなと感じる作品がいくつかある。その一方、和漢の名画や西洋画を写した作品を見ると、彼にとっては、自然の景観を写すことも、絵画作品を写すことも、本質的に変わらなかったのではないかとも思う。
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双調平家物語の復習(おさらい)/院政の日本人(橋本治)

2013-09-01 21:56:10 | 読んだもの(書籍)
○橋本治『双調平家物語ノートII 院政の日本人』 講談社 2009.6

 今年の1~3月を読破に費やした『双調平家物語』16冊(中公文庫)は、「平家物語」の翻案としては、かなり独特のスタイルを持っている。その著者が、執筆の中で感じた疑問の数々は『権力の日本人』『院政の日本人』という2冊にまとめた、と記していたので、機会があれば読んでみたいと思っていた。たまたま本書を見つけたので、読んでみることにした。ノートIの『権力の日本人』は無かったが、IIから読み始めても問題ないだろうと判断した。

 全体としては『双調平家物語』の「おさらい」という感じで、特に新しい見解が述べられているわけではなかった。ただ、小説である『双調平家物語』は、小説としてのストーリーを前に進めていかなければならないので、突然、表舞台に出てくる人物の出自や姻戚関係をだらだら説明するわけにもいかず、文中に年表や系図を挟むわけにもいかない。地の文で著者の意見や解釈を述べるにも限度がある。なので、フィクションの楽しみよりも、この時代の「ひとつの解釈」を深く知りたいと思う読者には、本書をおすすめする。私自身は、本書もそれなりに楽しんで読んだが、血と砂埃の匂い、夜の闇の深さなど、小説『双調平家物語』の世界にひたる方が好みである。

 『双調平家物語』が、なぜか蘇我氏の時代から書き起こされていると同様に、本書の記述も、はるか古代の応神朝から始まる。そこで喝破されるのは「日本の無名な若者には、知恵と勇気でお姫様を手に入れ、新しい王様になりました」という夢を描く余地がない、という真実である。これ面白いな。王朝的な日本には「有能で無名な若者」の居場所がなく、有能な若者は、自分は「由緒正しい名門の生まれ」かもしれないという夢を見る。権力を手にした男たちは「娘を帝の后にして皇子を得、その皇子を天皇にする(天皇の舅となる)」ことを志向する。著者は、この志向が頼朝で消えることをもって「平安時代の終わり」と書いているが、いやいや徳川将軍家だって…。

 気になった箇所を適当に拾うと「絶対王政としての院政」というのも興味深い指摘だった。確かに白河法皇の時代は「フランス絶対王政の太陽王ルイ十四世に匹敵する」と思う。歴史の教科書がなかなかそこまで言わないのは、「院政」を「天皇制」の一時的な変種くらいに考える先入観を抜けきれないためではないだろうか。(白河)上皇は、平安時代中随一の「欲望を表明しうる人」となった。この「欲望」こそが、鎌倉時代を導き出す大いなる道標になったのだ、というのは、なかなか素敵な解釈だと思う。なお本書には「白河法皇の素晴らしい生涯」という年表あり(笑)。

 そういう白河法皇を祖父にもった鳥羽法皇は、万事に強引だった祖父への反動か、「上皇というものは、そんなに前に出るものではない(天下の中心は天皇と朝廷だ)」と考える人物だったという。ああ、なんとなく納得。あと「崇徳上皇は、気の強い人である」という端的な人物評も当たっていると思う。

 後白河法皇について、著者は「かなり早い段階で、平清盛という人物をわずらわしがっていた」と想像する。これにも同意。ただ、著者の描く清盛は、小説『双調平家物語』でもそうだったが、戦うことを知らない都の武士の一人で、全く凡庸な印象しか残らない。よくも悪くも、福原京遷都とか宋との貿易拡大とか、新しい事業に手をつけた歴史上の人物として、もう少し評価してあげてもいいんじゃないの?と私は思う。

 頼朝の挙兵以降、著者が注目する人物は木曽義仲である。小説を読んでいても、なんだか「通説」の義仲と描き方が違うなあ、と感じるところが折々あったが、「平家物語」以外の資料も突き合せて、けっこう大胆な(と思われる)解釈を施していることが分かって面白かった。義仲の存在は、鎌倉幕府の始祖・頼朝を脅かすものであったために『吾妻鏡』から活躍を消去されたのではないか。これを著者は「『吾妻鏡』の嫉妬」と呼ぶ。なるほどね。歴史の真実は簡単に手に入らないものだが、遠い歳月の向こうに想像を及ぼすのは楽しい。
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