○奈良国立博物館『第56回 正倉院展』
http://www.narahaku.go.jp/exhib/2004toku/shosoin/shosoin-1.htm
先週の話題を今ごろUPするのもどうかと思いながら。正倉院展は、このところ3年連続で行っている。夜行バスを利用するのが定番になってしまった。金曜日の夜、新宿発のバスに乗ると、京都に朝の7:00過ぎに着く。それから近鉄で奈良に向かうと、ちょうどいい。近鉄奈良駅のスタバで熱いコーヒーを飲んで目を覚まし、奈良博に向かうと、列の先頭に近いあたりに並ぶことができる。
9:00の開館が近づくと、列は会場(奈良博新館)の回廊をはみ出すくらいに伸びている。開場になったら、初めのほうの展示品であまり立ち止まらず、どんどん先に進むほうがいい(最初の展示室には、あとで戻ってくる)。30分もすると、広い会場は人でいっぱいになってしまう。
とはいえ、展示番号No.1(最初のケース)には、その年の展示品の中でも一、二の優品が選ばれているから、簡単に素通りするのは難しい。今年の「鳥獣背八花鏡(ちょうじゅうはいのはっかきょう)」は、直径が40センチ以上もある巨大な銅鏡だった。重さは9キロ(!!)以上あるから、ちょっと片手に持って、化粧を直すわけにはいかない。ふつう、銅鏡の背面といえば、幾何学文様や繰り返しパターンで埋め尽くすデザインが多いが、これはまるで琳派の団扇絵のように、ゆったりした余白を取り、4匹の霊獣が思い思いの姿で躍っている。
「鳥獣背八花方鏡(ちょうじゅうかはいのほうきょう)」は、対照的に、細緻な鳥獣文と葡萄唐草文の優品である。方形というめずらしい形が、鏡の肉厚さを目立たせている。唐の則天武后が好みそうな、優美で華やかな一品である。
今年の正倉院展は奏楽関係の出品が多かった。いちばんの注目は「楓蘇芳染螺鈿槽琵琶(かえですおうぞめらでんそうのびわ)」。背面の螺鈿の愛らしさに加えて、捍撥(かんばち。弦の張ってある面。撥が当たるところ)に描かれた図様に目を奪われた。まるで「懐旧」を刷毛で掃いたようなセピア色の小さな画面には、はるか遠方から皺のように連なる険しい山並みと、その上を飛んでいく雁の列が、伝統的な水墨画の筆致で描かれている。そして、山あいの街道なのだろうか、切り立った崖の下を、1頭の白象が歩む。
白象の背中では、色とりどりの衣装をまとった4人の胡人が楽を奏し、そのうちの1人は両袖を振り上げ、片足さえ上げて躍っている。象の背中で? 何かの寓意なのかしら。「万径、人蹤滅す」とつぶやきたくなるような、哀しく険しい山嶺。どこまで行っても人家の1つもなさそうな、もしかしたら、世界の果てまで「人蹤滅した」終末の世に、彼らの奏楽だけが響いているのかもしれない。
後半では、大中小の刀子(とうす)、紺と黄色の組帯、ビーズのようなガラス玉を編んで作った雑玉幡(ざつぎょくのばん)、ヨーロッパの王宮にでもありそうな彩絵箱、朽木のような味わいを楽しむ木画箱、ろうけつ染めの上敷き、等々。ああ、毎日、こんなに繊細でこんなに美しい道具に囲まれて生活していたのかなあ、平城京の貴族たちは。
http://www.narahaku.go.jp/exhib/2004toku/shosoin/shosoin-1.htm
先週の話題を今ごろUPするのもどうかと思いながら。正倉院展は、このところ3年連続で行っている。夜行バスを利用するのが定番になってしまった。金曜日の夜、新宿発のバスに乗ると、京都に朝の7:00過ぎに着く。それから近鉄で奈良に向かうと、ちょうどいい。近鉄奈良駅のスタバで熱いコーヒーを飲んで目を覚まし、奈良博に向かうと、列の先頭に近いあたりに並ぶことができる。
9:00の開館が近づくと、列は会場(奈良博新館)の回廊をはみ出すくらいに伸びている。開場になったら、初めのほうの展示品であまり立ち止まらず、どんどん先に進むほうがいい(最初の展示室には、あとで戻ってくる)。30分もすると、広い会場は人でいっぱいになってしまう。
とはいえ、展示番号No.1(最初のケース)には、その年の展示品の中でも一、二の優品が選ばれているから、簡単に素通りするのは難しい。今年の「鳥獣背八花鏡(ちょうじゅうはいのはっかきょう)」は、直径が40センチ以上もある巨大な銅鏡だった。重さは9キロ(!!)以上あるから、ちょっと片手に持って、化粧を直すわけにはいかない。ふつう、銅鏡の背面といえば、幾何学文様や繰り返しパターンで埋め尽くすデザインが多いが、これはまるで琳派の団扇絵のように、ゆったりした余白を取り、4匹の霊獣が思い思いの姿で躍っている。
「鳥獣背八花方鏡(ちょうじゅうかはいのほうきょう)」は、対照的に、細緻な鳥獣文と葡萄唐草文の優品である。方形というめずらしい形が、鏡の肉厚さを目立たせている。唐の則天武后が好みそうな、優美で華やかな一品である。
今年の正倉院展は奏楽関係の出品が多かった。いちばんの注目は「楓蘇芳染螺鈿槽琵琶(かえですおうぞめらでんそうのびわ)」。背面の螺鈿の愛らしさに加えて、捍撥(かんばち。弦の張ってある面。撥が当たるところ)に描かれた図様に目を奪われた。まるで「懐旧」を刷毛で掃いたようなセピア色の小さな画面には、はるか遠方から皺のように連なる険しい山並みと、その上を飛んでいく雁の列が、伝統的な水墨画の筆致で描かれている。そして、山あいの街道なのだろうか、切り立った崖の下を、1頭の白象が歩む。
白象の背中では、色とりどりの衣装をまとった4人の胡人が楽を奏し、そのうちの1人は両袖を振り上げ、片足さえ上げて躍っている。象の背中で? 何かの寓意なのかしら。「万径、人蹤滅す」とつぶやきたくなるような、哀しく険しい山嶺。どこまで行っても人家の1つもなさそうな、もしかしたら、世界の果てまで「人蹤滅した」終末の世に、彼らの奏楽だけが響いているのかもしれない。
後半では、大中小の刀子(とうす)、紺と黄色の組帯、ビーズのようなガラス玉を編んで作った雑玉幡(ざつぎょくのばん)、ヨーロッパの王宮にでもありそうな彩絵箱、朽木のような味わいを楽しむ木画箱、ろうけつ染めの上敷き、等々。ああ、毎日、こんなに繊細でこんなに美しい道具に囲まれて生活していたのかなあ、平城京の貴族たちは。