見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

正倉院展/奈良国立博物館

2004-11-20 22:37:34 | 行ったもの(美術館・見仏)
○奈良国立博物館『第56回 正倉院展』

http://www.narahaku.go.jp/exhib/2004toku/shosoin/shosoin-1.htm

 先週の話題を今ごろUPするのもどうかと思いながら。正倉院展は、このところ3年連続で行っている。夜行バスを利用するのが定番になってしまった。金曜日の夜、新宿発のバスに乗ると、京都に朝の7:00過ぎに着く。それから近鉄で奈良に向かうと、ちょうどいい。近鉄奈良駅のスタバで熱いコーヒーを飲んで目を覚まし、奈良博に向かうと、列の先頭に近いあたりに並ぶことができる。

 9:00の開館が近づくと、列は会場(奈良博新館)の回廊をはみ出すくらいに伸びている。開場になったら、初めのほうの展示品であまり立ち止まらず、どんどん先に進むほうがいい(最初の展示室には、あとで戻ってくる)。30分もすると、広い会場は人でいっぱいになってしまう。

 とはいえ、展示番号No.1(最初のケース)には、その年の展示品の中でも一、二の優品が選ばれているから、簡単に素通りするのは難しい。今年の「鳥獣背八花鏡(ちょうじゅうはいのはっかきょう)」は、直径が40センチ以上もある巨大な銅鏡だった。重さは9キロ(!!)以上あるから、ちょっと片手に持って、化粧を直すわけにはいかない。ふつう、銅鏡の背面といえば、幾何学文様や繰り返しパターンで埋め尽くすデザインが多いが、これはまるで琳派の団扇絵のように、ゆったりした余白を取り、4匹の霊獣が思い思いの姿で躍っている。

 「鳥獣背八花方鏡(ちょうじゅうかはいのほうきょう)」は、対照的に、細緻な鳥獣文と葡萄唐草文の優品である。方形というめずらしい形が、鏡の肉厚さを目立たせている。唐の則天武后が好みそうな、優美で華やかな一品である。

 今年の正倉院展は奏楽関係の出品が多かった。いちばんの注目は「楓蘇芳染螺鈿槽琵琶(かえですおうぞめらでんそうのびわ)」。背面の螺鈿の愛らしさに加えて、捍撥(かんばち。弦の張ってある面。撥が当たるところ)に描かれた図様に目を奪われた。まるで「懐旧」を刷毛で掃いたようなセピア色の小さな画面には、はるか遠方から皺のように連なる険しい山並みと、その上を飛んでいく雁の列が、伝統的な水墨画の筆致で描かれている。そして、山あいの街道なのだろうか、切り立った崖の下を、1頭の白象が歩む。

 白象の背中では、色とりどりの衣装をまとった4人の胡人が楽を奏し、そのうちの1人は両袖を振り上げ、片足さえ上げて躍っている。象の背中で? 何かの寓意なのかしら。「万径、人蹤滅す」とつぶやきたくなるような、哀しく険しい山嶺。どこまで行っても人家の1つもなさそうな、もしかしたら、世界の果てまで「人蹤滅した」終末の世に、彼らの奏楽だけが響いているのかもしれない。

 後半では、大中小の刀子(とうす)、紺と黄色の組帯、ビーズのようなガラス玉を編んで作った雑玉幡(ざつぎょくのばん)、ヨーロッパの王宮にでもありそうな彩絵箱、朽木のような味わいを楽しむ木画箱、ろうけつ染めの上敷き、等々。ああ、毎日、こんなに繊細でこんなに美しい道具に囲まれて生活していたのかなあ、平城京の貴族たちは。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若冲のペットボトル

2004-11-18 00:13:49 | なごみ写真帖
関西旅行おまけ。

奈良のコンビニで見つけた若冲プリントのペットボトル(お茶)。
関西限定!? 東京では見たことない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近江・櫟野寺

2004-11-17 00:12:11 | 行ったもの(美術館・見仏)
○油日神社~櫟野寺

http://www.rakuyaji.jp/

 櫟野寺(らくやじ)は滋賀県の東南部、甲賀町にあり、近江西国第二十九番、湖国十一面霊場第八番などの霊場にもなっている。本尊の十一面観音は一木造りでは日本最大級の坐仏である。何度かガイドブックで写真を見たことがあったが、きらきらし過ぎて、古びた味わいがなく、あまり興味をそそられなかった。

 元来は33年に1回しか開かない秘仏だったものを、最近は、年に数日公開するようになり、さらに今年から「秋の特別拝観」として、1ヶ月間公開することになったというニュースを、お気に入りサイト「観仏三昧」で読んだ。今回の関西旅行は、展覧会めぐりが主で、神社仏閣については何も考えていなかったので、1ヶ所くらい新しいところを開拓してみようと思い、予定に加えることにした。

 甲賀町までは、京都から新快速→JR草津線を乗り継いで1時間あまり。三重県との県境のすぐそばである。櫟野寺までは甲賀駅からバスやタクシーがあるとも書いてあったが、あまり信用ならないので、次の油日駅で下りた。ここから徒歩で約40分である(油日の駅員さんがとても親切で、丁寧に路を教えてくれた)。

 人も車もほとんど通らない、のどかな田園風景を20分くらい歩くと、小さな集落があって、油日神社に出る。油の神さまとして全国の油業者の信仰を集めている神社である。室町時代創建の本殿、拝殿、楼門、回廊はいずれも重要文化財。雨に濡れた黒い檜皮が美しかった。七五三参りの親子が何組か来ていた。

http://www.pref.shiga.jp/minwa/14/14-04.html

 それから、さらに左右の山が近くなった道を20分ほど歩くと、山間に隠れ里のような集落が現れる。集落の中心になっているのが櫟野寺である。新しい本堂には、小さな十一面観音立像が飾られていた。その奥に黒い大きな金属製の扉があり、下方に人間の背丈ほどのくぐり戸がある。奥は収蔵庫になっていて、入ってすぐ、お厨子の中から来訪者を見下ろすように立ちはだかる(坐仏だけど)のが、全長3.3メートルのご本尊である。

 実物は写真ほど金箔が目立たず、くすんだ色合いがいい感じである。それにしても大きい。目鼻立ちも大ぶりだし、体躯も肉厚である。手も大きく、指も太い。しかし、醜くはない。ゆったりと大らかな美しさがある。平安初期の制作だという。飛鳥の岡寺の観音坐像(塑像)を思い出した。

 それから、あたりを見回す。私はここに着くまで、秘仏・十一面観音のことしか考えていなかったのだが、櫟野寺には、20体余体の古仏(主に平安仏)が伝わっている。廃寺になった末寺から次第に集まったものだという。これらはホームページにも写真が載っているし、いつでも拝観できるそうだから、せひ一見をおすすめしたい。装飾も少なく、ポーズにもけれんのない、すっきりした聖観音が多い。どれも少し東国の匂いがする。

 かくして、つい予定以上の時間を過ごしてしまい、帰路は急ぎ足になってしまった。しかし、往復80分かける価値は十分にある。落ち着いた様子で堂内の説明をしてくれたお坊さんはまだ若かった。数年前に訪ねた善水寺(滋賀・甲西町)のお坊さんも若かったなあ。ぜひ今後ともがんばってほしい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水と仏の近江/琵琶湖文化館

2004-11-16 00:05:24 | 行ったもの(美術館・見仏)
○琵琶湖文化館 特別展『フェノロサ・天心が見た近江』

http://www2.ocn.ne.jp/~biwa-bun/

 私は近江が大好きで、いつか滋賀県内に住むことが夢だ。もし大津近辺に住むことができたら、この琵琶湖文化館に毎月1度は通いたいと思っている。特別展開催中も大人300円だから、鎌倉国宝館より安い。常設展示の仏画や仏像も実にいいものを置いていて、近江の仏教文化の奥の深さを感じさせる。たぶん1年通っても見飽きないと思う。

 それにしても、初めて琵琶湖文化館のホームページを覗いてみたのだが、ちょっとコメントしかねる。いまどき、これだけ素人丸出しのページは個人サイトでも珍しいのではないかと思う(溜息)。それから、沿革を読んで、元来、ここはもっと多角経営の施設だったものが、県立近代美術館に近代絵画を移管したり、県立琵琶湖博物館に水族館部門(!)を移管したりして、今日に至っていることも分かった。古美術中心の博物館には不似合いな、湖面に張り出したお城のような不思議な建物は、かつて子供をターゲットに水族館のイメージで作られたためなのだろう。

 そんなわけで、いろいろ不幸な点もあるのだが、古美術好きなら一度行けば、間違いなく何度でも通ってみたくなる博物館だと思う。ぜひ、もう少し広報に力を入れてもらって(今のホームページをなんとかして)、この館のファンが増えることを心から望む。

 今回の企画展は、フェノロサや岡倉天心に関する近代史資料が多いのかな、と思っていったら、それも多少はあったけれど(書簡など)、むしろ、彼らの実施した滋賀県の「宝物調査」にリストアップされた寺宝類が多数展示されていた。多くは絵画である。「十六羅漢図」とか、ええと、その対面にあった「阿弥陀三尊来迎図」(?)の寒色の目立つ色彩を見ていて、近江の仏画って、中国色が強いような気がした。思い込みかしら。

 この日、直前に訪ねた油日神社の社宝「聖徳太子絵伝」があったり、昨秋、安土を歩いたときに傍を通り過ぎた桑実寺の「桑実寺縁起」があったり、知っている寺社の名前を見るとちょっとうれしい。近江もずいぶん歩いたつもりだが、まだまだ未踏の地が多い。がんばらなくちゃ。

 1階のギャラリーでは「水と仏の近江」と題した写真展が行われていて、これもなかなかの眼福だった。名前を失念したが、プロのカメラマンの方なのかしら。写真集出してくれたら買うのにな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若冲と琳派/細見美術館

2004-11-15 00:08:52 | 行ったもの(美術館・見仏)
○細見美術館 琳派展Ⅶ『若冲と琳派』 展

http://www.emuseum.or.jp/

 週末、京都・奈良の展示会と文化財の特別拝観を駆け足でめぐってきた。1日1件のペースで紹介していきたい。順にさかのぼることにして、まず、日曜日の夕方、旅の最後に立ち寄った細見美術館から。

 楽しい展示会だった。展示品のだいたい半数が琳派で半数が若冲。琳派は、宗達が1件。「双犬図」は、例の”たらしこみ”で描かれた黒白2匹の仔犬。とけてくっついた飴みたいにぐにょぐにょしていてかわいい。光琳の「宇治橋図」は着物姿のおばさまたちに「モダンねえ~」と声をあげさせていた。

 あとは酒井抱一と鈴木其一が大半を占める。宗達や光琳ほど、”美術品”の威厳は感じないのだが、その分、生活に密着した、ある意味、幸せな美術のありかたを感じさせる。展示会の第一室のキャッチコピー「おいしい花鳥-琳派の軌跡」は「おいしい生活」にひっかけて、そういうことを言いたかったんでしょ? ちょっと分かりにくいと思ったけど。

 若冲はほんとにメジャーになったねえ。天下の琳派とタメを張るんだから、大したものだ。私は1980年頃、伏見の石峰寺に彼のお墓を尋ねたこともある年来のファンなので、不祥の息子の思わぬ大出世を見るようで、しみじみしてしまう。

 細見美術館の若冲コレクションは、やはり、「おいしい若冲」である。三の丸尚蔵館の動植綵絵のようなゴージャスな作品も、なくはないけど(雪中雄鶏図)、大半は水墨画か小品の彩色画で、これなら私にも注文できそうだし、いそいそと持って帰って部屋に飾りたくなる。画題は人間のような表情のニワトリたち。あるいは糸瓜、里芋(これも目も鼻もないのに、どこか人間くさい”表情”がある)。盆踊りみたいな「踏歌図」は楽しそうでいいなあ。「鼠婚礼図」は初見のような気がする。昭和初期の平和なマンガのようだった。

 この日はちょうど、美術館のカフェで結婚式が行われていた。ホームページに案内があるけど、ほんとに利用されているんですね。いや~若冲に祝福されると思うと嬉しい(?)かも。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

街はクリスマス:南新宿

2004-11-14 22:17:26 | なごみ写真帖
夜行バスで奈良・京都に行ってきました。
というわけで、とりあえず、出発前(金曜日の夜)の新宿南口バスターミナル付近。

街はもうすぐクリスマスなのね...



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の花:リンドウ

2004-11-12 22:09:35 | なごみ写真帖
 海蔵寺のキキョウ(※と書いてしまったけどリンドウでした)。このお寺は鎌倉いちばんの私のお気に入り。毎月一度は通って、季節の花を楽しむ。

 さて、今夜はまもなく家を出て、夜行バスで京都・奈良の週末旅行に出発。寺社の特別公開と美術館を、精一杯の駆け足でまわってくる。なので、上洛のことは、関西在住の友人にもヒミツ(連絡すると会わなくちゃいけないので)。

 あ~ほんとは仕事たまってるんだ~~。週末に少しでも片付けておかないと月曜からむちゃくちゃ苦しいんだけど...でも今しか見られない文化財には代えられないっ。思い切って、出発!!



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

王朝ブログ明月記/五島美術館

2004-11-11 12:40:47 | 行ったもの(美術館・見仏)
○五島美術館『特別展 京都冷泉家「国宝 明月記」-藤原定家の日記から800年を越えて甦る王朝貴族の生活-』

http://www.gotoh-museum.or.jp/

 すごい。なんたって国宝「明月記」(54巻、補写本5巻ほか)全巻を展示してしまおうという企画である。

 私が出かけたのは日曜日で、お茶席があったらしく、着物姿の上品なおばさまが目立った。「これ何かしら」「日記みたいね」という無邪気な囁き声も聞こえた。お茶をたしなむ方々は、ふだん古筆にもなじみが深いので、こうした展示会では、私に読めない変体仮名をすらすら読み下してくれることもあるのだが、定家の悪筆にはお手上げのようだった。

 実際、「明月記」は悪筆である。原本の隣に現代語の抄訳があっても、なかなか原文が判読できない。アラビア語か何かの写本をじっと見ているのとあまり変わらないかも知れない。

 それでも、父・俊成の死を記した条は、漢文の中に俊成の言葉を仮名書きで埋め込んでいることなど、おもしろい発見があった。後鳥羽院が裸で水練をしているのでびっくりしたとか、愛猫が犬に噛み殺されて悲しいとか、各巻とも興味深いトピックを選んで広げてくれている(ただ、とにかく読めないのが残念)。

 定家は10代の後半から70歳過ぎまで、ほとんど毎日、日記をつけ続けた。執念である。気のせいかも知れないが、私と同じ、40代の前半くらいは不平が多い。こんな仕事は意味がないとか、もう出仕しないことにしたとか、そのくせ他人のスピード出世をきりきりと羨んでいる。でも、当時、定家より早く出世した公卿たちの誰が、今日に名を残したか。そう思うと、人間の評価なんて、分かんないものだなあ。

 さて、定家が今の世に10代の若者だったら、やっぱりブログを始めるかしら? 今、ブログを始めた若者の何人が、70歳過ぎまでこの習慣を続けているだろう? 果たして、今日、世界中で書き綴られているブログのいくつかは、五百年後、一千年後に21世紀初頭の政治・文化・社会を示す史料となるのかしら? そんなことも頭をよぎった。

 参考文献として、堀田善衛『定家明月記私抄』(ちくま学芸文庫 筑摩書房 1996.6)をおすすめする。それから、かわいい「束帯人形」をお見逃しなく!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の花:ツワブキ

2004-11-10 18:04:20 | なごみ写真帖
 これも大巧寺の庭で。つわぶき(石蕗)の花。内田百間の随筆集のタイトルにもあったね。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の花:ムラサキシキブ

2004-11-09 12:28:20 | なごみ写真帖
 秋の花を求めて、鎌倉へ。大巧寺(おんめさま)の庭のムラサキシキブ。実がぎっしり付いている。いいなあ、日当たりがよくて手入れもよくないと、こうはならない。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする